21.想いの丈が募りゆく





「……さて、どうですか?痛みは時々ありますか?」


とある日の午後。病院の診察室で、俺は医者の先生からそう尋ねられていた。


痛み、というのは幻肢痛のことだった。


「最近は随分減ってきました。激しい痛みもあまりありません」


「そうですか、それはよかった」


先生は薄く微笑みながら、パソコンに俺の情報を打ち込んでいった。


「幻肢痛は基本的に二年ほど続きます。ですが、時間と共に緩和されていきますので、二年後にはほとんど弱まっているケースが多いです」


「二年……」


「でも、今のペースなら、二年と言わずに弱まってくれるかも知れませんね」


「……そうだと嬉しいです」


「それじゃあ、また痛み止めのお薬を二週間分出しておきますから、痛くなったらそれを飲んでください」


「はい」


「何か困ったことがあったら、遠慮なく病院へお問い合わせください」


「はい、ありがとうございます」


そうして、俺はペコリと頭を下げた。






「……ごめん、お待たせ」


診察を終えてロビーへ向かうと、ベンチに長谷川と母さんが待っていた。


二人は俺が帰ってきたことに気がついて、すっと同時に席を立った。


「先輩、大丈夫ですか?」


「うん、特に何もなかったよ」


長谷川はほっと、安堵のため息をついていた。ただの診察なんだから、そんなに怖がる必要ないのに……と思いはするけど、彼女からしたらそれさえも不安なのだろう。


とりあえず、長谷川の緊張が解れたならよかった。


「礼仁郎、長谷川さん。あなたたち先に車に戻ってていいわよ。お会計とかは、私が済ませておくから」


「ほんと?じゃあごめん、お願いしていいかな母さん?」


「ええ。今回、お薬は出たかしら?」


「うん、痛み止めが出たよ。二週間分」


「分かったわ、ならそれも薬局で買ってくる」


「ありがとう、助かるよ」


「それじゃあ、車の鍵を渡しておくわね」


「うん」


俺はそうして、長谷川とともに車へと戻った。


二人で一緒に後部座席に乗って、扉を閉めた。


「ありがとうな、長谷川。わざわざ学校休んでまでついてきてくれて」


「いえ、そんな……」


最近俺は、長谷川と接する時に、ひとつの約束ごとを自分の中だけに設けていた。


それは、謝らないこと。


謝る代わりに、「ありがとう」と言うこと。


初めの頃は、長谷川にいろいろしてもらうのが申し訳なくて、何かと謝っていた。そうなると、長谷川も「こっちこそ、事故に遭わせてしまってすみません……」という流れになって、延々と謝り合うことになってしまう。


お互いに罪悪感を抱えてしまうし、あまり気持ちよくない。だから努めて「ありがとう」と言うようにしたのだ。そっちの方が言葉も前向きだし、長谷川にも罪悪感が残りにくいと思う。


何ヵ月か長谷川とともに過ごして、俺はやっとその方法を思い付けた。こういうことに考えを巡らすことができるようになったのは、俺自身が前向きになってきているからだろう。


人は、いきなり大きく変わることはできない。小さな言葉の変化からしか進められない。それでも、きっとその小さな変化は、いつしか大きなものになっていると、俺は信じている。


「あの……先輩すみません。少し話したいことがあるんですけど、いいですか?」


長谷川からそう言われて、俺は彼女に顔を向けながら「どうした?」と答えた。


「………………」


だけど、長谷川は口を一旦開いた後、少し眉をひそめてしばらく固まり、またゆっくりと口を閉ざしてしまった。


「……?なんだ?どうかしたのかい?」


「い、いえ……やっぱり、いいです」


「なんだよ、もったいぶらないで、話してくれよ」


「でも、よくよく考えたら……ゆずが先輩にお願いしていいことじゃないと思いまして」


長谷川は悲しそうに眼を伏せて、ぽつりぽつりとそう語っていた。


「俺にお願いしたいことがあるの?いいよ、全然言ってくれよ」


長谷川から俺に何かを頼むなんて、かなり珍しかった。


いつも俺に対して遠慮がちだし、俺が頼むことばかりの展開が多い。


だから、せっかく俺を頼りたいと思ってくれたのなら、それに応えてあげたいと思った俺は、前のめりになって彼女の話を聞こうとした。


長谷川はしばらく迷っていたけど、俺のことをちらりと見てから、「映画……」と囁いた。


「映画?」


「はい、あの……よかったら、今度また、映画を観に行きませんか?この前、先輩方とみんなで行った時、とても楽しくて……。それで、また行きたいなと」


彼女はなんだか照れ臭そうに、太ももの上に置いた手をもじもじといじっていた。


「ははは!そっか、長谷川はこの前のあれ、本当に楽しんでくれてたんだね」


年上の人ばかりで気を遣わせてしまってないか、初対面の人ばかりで緊張させてしまってないか、そんなことばかり気になっていたけど、彼女が全うに楽しむことができていたなら、俺もひと安心だ。


「いいよ、行こう!何か観たい映画ある?」


「えっと、また恋愛映画なんですけど……36年目のラブレターっていうのが気になってて」


「あー!CMでたまに見かけるよね。確か字が書けなかった旦那さんが、奧さんにラブレターを書くって話よね?」


「はい」


「感動系っぽいなあ~!俺、枯れるまで泣いてしまうかも知れん!テイッシュ箱をたくさん脇に抱えておかないといけないな」


「ふふふ」


長谷川は、楽しげに笑ってくれた。


俺が事故に遭う前の時みたいな……無邪気な笑顔。


それを見たら、なんだかとても嬉しくなって、俺はつい、こんな言葉を口走ってしまった。


「やっぱり俺、長谷川の笑ってる顔、好きだな」


「え?」


「長谷川が笑ってくれると、俺、安心する。凄く嬉しいよ」


「………………」


長谷川は頬を赤らめて、すっと視線を下に向けた。


そんな彼女の反応を見て、俺はようやく……とんでもなく恥ずかしいことを口にしていたことを自覚した。


「あっ、やあ、えーと……なんか、ごめん」


俺がしどろもどろに謝ると、彼女は小さな声で「いえ……」と答えた。


「そ、そうだ!その~、今度映画観に行く時は、だ、誰を誘おうか!?」


「………………」


「倉崎さんなら呼びやすいかな?あ、もちろん長谷川の呼びたい人とかでも全然……」


「……りが、いいです」


「え?」


長谷川の、ごくりと生唾を飲む音が聞こえた。そして、本当に消え入りそうな声で、こう告げた。


「先輩と二人が、いいです」


「………………」


「………………」


「……そ、そっか」


「はい」


「……う、うん、分かった。じゃあ、二人で行こうか」


「すみません、ワガママ言って」


「い、いや、全然俺は……」


「………………」


「………………」


奇妙な空気だった。


二人とも顔を背けて、車の窓の外を見つめていた。


だけど、お互いに意識し合っていることは、口に出さずとも分かった。


肌がピリピリするほどに、その感覚が伝播していた。


「………………」


「………………」


「ごめんなさい、待たせたわね」


その時、ちょうど母さんが病院から帰ってきた。


俺は、この緊張感漂う空気が壊れたことにほっとしつつも、それをどこか残念に思う気持ちもあった。


車はゆっくりと発進し、俺たちの家へと向かうのだった。


窓の外では、パラパラと小雨が降り始めていた。














……私、倉崎 桃香には、悩みがあった。


中村くんと、距離を縮めたい。でもどうしたらいいか分からない。そういう悩みだった。


「………………」


自分の部屋の中にある勉強机に座って、頬杖をつきながら窓の外をぼんやりと見つめる。


ぽつ、ぽつと、小雨が振り出していた。ガラスに小さな水滴がついていて、それが音もなく滑っていく。


(……中村くん)


本当なら二人きりのデートとかに誘いたいんだけど、どうしても長谷川ちゃんがついてきてしまう。


正直言って、二人のことを引き離すのはとても難しい。お世話係の長谷川ちゃんと中村くんを分ける合理的な理由がないから。


「二人きりになりたい」と言って無理やり中村くんだけ呼ぶこともできるけど、それは最早告白してるのも同義。それはさすがに……私も恥ずかしい。


(……ずるいな、長谷川ちゃん)


中村くんと一緒の家にいて、ずっと彼のお世話もできて。いつもいつも二人きりで。


このままだと、負け戦になるのは目に見えている。中村くんも長谷川ちゃんのことをずっと気にかけているし、もしかしたら……好きかも知れない。


少なくとも、単なる後輩以上の気持ちがあるのは間違いないと思う。


そして、しかも最近は牧平さんという伏兵もいる。彼女は恋愛にあまり興味がないタイプらしいけど、中村くんへは興味津々だった。


下手をすると、そこから恋愛感情に発展する可能性だってあり得る。


「う~ん……」


私は頬杖を止めて、机に突っ伏した。両腕を枕にし、顔を横に向けた。


「はー……どうしたものかなあ」


長谷川ちゃんや牧平さんというライバルがいる以上、時間の猶予はない。


特に長谷川ちゃんよりも強い気持ちを私へ向けてもらうには、それ相応のインパクトを中村くんへ与えないといけない。


私の気持ちが……他の二人よりも、誰よりも大きいことを、証明する。


そのためには……。


「………………」


私は、近くに置いてあるスマホに手を伸ばし、写真の一覧を眺めていた。


そこには、中村くんの写真がたくさんあった。


これはみんなでショッピングモールで遊んだ時に、中村くんの写真をこっそり撮っていたのだ。


マイクを持ち、音痴だけど頑張って歌っている中村くん。せっかく買ったタピオカミルクティーを溢して、しょげている中村くん。


みんなと話ながら、ニコニコ優しい笑顔を浮かべている中村くん……。


「……可愛い」


中村くんって、本当に可愛い。なんでこんなに可愛いんだろう。


ああ、そうか。可愛いというより、いじらしいのかも知れない。


右手を失って、彼は傷ついて……。目も当てられないほど悲しそうに泣いている時もある。でもこうして、ドジだけど前向きに生きようとしている。


それが、本当に心をくすぐられる。何事も懸命になっている彼のために、何でもしたいって……思ってしまう。


「ねえ、中村くん」


私は、写真の中の彼に向かって、話しかけた。


「私ね、中村くんのこと、好きなんだよ」


「………………」


「うん、本当だよ。嘘じゃない」


「………………」


「びっくりした?ふふふ、中村くんのそういうところ、私……本当に好き」


私は、頭の中でリアルな会話劇を繰り広げていた。


彼の息遣いや反応、視線の動き、そういったものが手に取るように空想できる。


「ねえ、中村くん。私がどれだけ中村くんのことが好きか、証明してあげる」


「………………」


「ほら、手を出して?」


「………………」


「何をするのかって?ふふふ、さあ?なんだと思う?」


「………………」


「はい、どうぞ中村くん」




「私の胸……触って、いいよ」




心臓が、バクバクする。


実際に自分の胸を触って、より臨場感を出す。


身体中が火照って、辛い。呼吸もだんだんと乱れてきて、鼻息が荒くなる。


「うん、いいよ。中村くんなら、いい……」


「………………」


「こういうことするの、中村くん、だけだからね……?」


「………………」


「だから、中村くんも、私だけ見て。私だけを……感じて」


お股の辺りが、ムズムズして落ち着かない。


太ももを擦り合わせて、そのムズムズを払おうとするけど、一向に解消されない。


「……んっ」


自分のものとは思えないほど、艶っぽい声が口から漏れていた。


「うん、いいんだよ中村くん。私が全部、受け止めてあげる」


「………………」


「私に、その身を委ねて?全部を私にあずけて?」


「………………」


甘美な感覚だった。


じりじりと肌を焼くような快感が、絶え間なく続いていた。


本当にこんなやり取りを、彼とできたらいいのに。


「本当に俺なんかでいいの?」って、慌てふためく彼が見れたらいいのに。


「うん、そうだよ。中村くんだからいいの……」


「………………」


「好き、中村くん」


「………………」


「好き、好き……」


気持ちが抑えられなくなった私は、写真の中の彼に、キスをした。


外から聞こえる雨音が、微かに私の耳に届いていた。









─────────────

後書き

「5.クラスメイト(1/2)」の一部を漫画にしてみました。


https://www.pixiv.net/artworks/131579479



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る