1話-4 旅立ちの杏仁豆腐

「話があったというに……」


 疲れた顔で、じゅ 弦尭しぇんやおは額を押さえた。

 やはり杏仁豆腐とともに後宮入りの承諾をもらったとき、話すべきだったかもしれない。

 今からでも、くるまを追いかけて引き返させることはできた。迷いがそれを躊躇わせた。


 去りゆく俥を見つめていると、遠い記憶が蘇った。


 あれはまだ七つの頃。

 同じように、姉を見送った。見送るしかできなかった。


「あやつも、同じように笑って出ていくのか」

「後悔しておりますの?」


 すぐそばで聞こえた声に、弦尭しぇんやおは我に返る。

 凜風りんふぁの侍女であり、昔は姉の侍女だった女がひややかな目をしているように見えた。

 それを気のせいだと片付ける。


「なにがだ? 凜風に、杏仁豆腐がうまかったと伝え損ねただけだが?」


 凜風の出自は後宮にある。

 もしそのことをあれが知るところになるのだとすれば、それは天命なのだと己に言い聞かせた。


◇◆◇

 

 黎国皇城の奥深く。東の菜園に面した殿舎の一室で、薄鼠うすねずの衣を着た青年はため息をついた。


「今日も、まずかった……」


 美しいが、どこか酷薄な瞳を細め、食べ終わった皿を見下ろす。

 昨日の食事もまずかった。その前の日もまずかった。明日もまずいだろうし、もう一生、食事とはまずいものだと諦めている。

 それでも呪いをこめてぼやかずにはいられないのだ。


「なぜ生きるために、まずいものを食べなければならないのだろう……」

「それは貴方様が生きたいとお思いになっているからではないか、と」


 白湯とともにそう返してきたのは、幼き頃より仕える老武官だった。名をがお 浩宇はおゆうという。

 青年にとっては、実の親よりも頼りにしている存在であったが、今は忌々しげに彼を見上げた。


「……お前はまた、私の見ていないところで、うまいものをたらふく食べているのだろう?」

「お戯れを」


 大木のような風格を持ち合わせたがお武官は、曖昧に微笑む。


劉輝りゅうき様、緋彩の件を報告してもよろしいでしょうか?」


 じとりと、劉輝は武官を見やる。話を逸らすのがうまい、と思いながらも、その件は確認せざるを得なかった。

「やってくれ……」と、劉輝は居住まいを正す。


「結論から申し上げますと、りー徳妃の関与は認められませんでした」

「……そうか」


 予想通りの結果ではあったが、劉輝は落胆を隠しきれなかった。


「また、逃げられたか……」


 先日、後宮内を騒がせた謀殺は、一応の収束を見せていた。

 事の発端は李徳妃が隣国から取り寄せた、『緋彩』という織物である。

 それは血のような赤い石を練りこんで織られ、光の下では美しく輝き、妃嬪たちはこぞって手に入れようとした。

 若き柳貴人も、その美しい衣に魅了されたひとりであった。

 優しい心根と気遣いで、仕える者たちにも慕われていた彼女は、近頃、皇帝の目にも留まるようになっていた。

 その彼女がなんとか手に入れた『緋彩』を、ここ最近ずっと纏っていたのだが、ある日突然、死んでしまった。身の回りの世話をしていた者たちからも、体調を崩すものが続出した。

 はじめ巷の流行病が後宮内でも流行りだしたのか思われたが、原因は『緋彩』だった。

それに使われていた鉱物が猛毒だったのだ。

事が露見してから、『緋彩』の持ち込みは禁止され、はじめに後宮に持ち込んだ李徳妃に事情を聴いたが、相手は皇帝の寵妃であり、宰相を祖父に持つ権力者である。


『わたくしも被害者でございます』と泣かれれば、それ以上手出しはできなかった。


 そして、すべては伏せられ、死した者は巷の流行病にかかったということで片付けられたのである。

 劉輝はため息をこぼした。


「李 麗宝りほうは、まるで緋彩のようだな。猛毒を孕んだ悪しき華。どうにか排除できぬものか」

劉輝りゅうき様」


 そっと諫められ、目を細める。

 ――不用意な発言は身を滅ぼす。

 それは身にしみるほどに理解しているが、ここでくらい言わせろという気分だった。この後に控える予定が気鬱だというのも理由のひとつだった。


「面倒だな。すべて、すべて放り投げてしまいたい……」

「そう仰らず。きっと善き事もあります。このあと、見に行かれるのでございましょう?」


 青年の薄鼠の衣に目をやり、がお武官は励ますような笑みを浮かべる。劉輝りゅうきは冷めた目で、深々とため息をついた。


「後宮の女は揃いもそろって毒華だ。毒でただれた庭園を愛でる趣味などないというに」


 そう呟いた瞬間、高貴な後ろ姿を思い出した。毒花たちが競い合い、枯れていくのを眺めて安心を得ている皇帝陛下を。


 自分もいつか、ああなってしまうのではないか。

 今は強い嫌悪感があっても、後宮の毒華の香りを吸い続けていたら自分もいつか。


 劉輝りゅうきは身震いして沈黙していると、がお武官は優しく語りかけた。


「劉輝様、皆が皆、そのような悪しき者ではありません。――けっして、希望を捨てないでください」


 その言葉は青年の胸にひとつの波紋もおこさず、消えた。

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龍華後宮の料理妃 ~美食は溺愛のはじまり!?~ 本葉かのこ @shiramomo

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