今私は自分の部屋でアイスを食べながら、凛くんからの連絡を待っている。一回も彼から連絡が来ないのだ。今は夜の八時。これ以上待っていたら朝が来る。

｢やっぱり脈なしなのかなー」

　私はアイスを加えたままベッドに寝転んだ。いつも私からのLINE。絶対返信はくれるけど返信はそっけない。そうやって期待しちゃだめだって分かってはいるけど、あのドッジボールの事があってから地味に期待してしまっている自分がいる。彼が優しいだけなのかな。でも興味ない女の子のこと気にかけたりするもんなの？たくさんたくさん考え込んだって、全然凛くんの心情がわからない。

〈今、暇？〉

　結局自分からメールを送ってしまった。

｢あー、送っちゃったー.......」

　後悔ではないけど、後悔に似ている感情が湧き出た。彼は私からメールが来ることに対してどう思っているのだろうか。迷惑ではないとは言っていたけど、彼からメールがこないと、メールしたくないのかなとか思っちゃう。

　ピロン

〈はい〉

　返信は来たけど、現実と少しも変わりのない冷たさ。その冷たさがたまにすごく沁みてしまう。

　暇と聞いておいて特に話題もなかった。ひたすら世間話をするにも凛くんは嫌だと思って、次に何を送ればいいのかが分からない。

　そのときふと頭に浮かんできた。

　電話だ。いきなり難関すぎるけど、でもこの難関を先延ばしにするのはもっと大変な気がする。

　結構緊張するけど、それでも何か一つ今日進展させたかった。

〈凛くん、よければ電話しない？〉

　私はすぐ画面を閉じて、横にあったクッションを抱きしめた。断られたら悲しくなるし、いいよって言われても緊張する。

　胸の鼓動が鳴り止まない。心臓の音が大きすぎる。

　携帯が小さくバイブした。

　私は薄目で画面を開いた。怖い。いいですよって来てる若干の期待をこめて画面を見た。

〈電話は、ごめんなさい〉

　絶望。電話したくないってことじゃん。私の初恋終了。悔しくて涙が出てきそう。

　涙を堪えていると再び携帯が震えた。

〈そういう意味じゃないです〉

　よく分からない文章が送られてきた。どういうこと？と入力したけど、勇気は出なくてすぐに取り消した。聞き返すのも図々しいと思ってしまった。彼は人と連絡を取り合うのが苦手そうだから色々と間違えたのだろう。

　私は沈んだ気持ちで寝る準備をして、目を閉じた。今日はいい夢は見られないだろう。

　次の日の朝、昇降口前。

｢あ」

　凛くんとばったり会ってしまった。何が気まずいとかはないけど、電話断られたという事実があるから目を合わせづらい。

｢凛くん.......おはよ.... ！」

　挨拶をしないのも変だったのでなるべく元気なトーンで挨拶してみた。自分を装うためでもある。

｢っす..」

　彼は目をこすりながら眠たそうに言った。その表情に愛くるしさを覚える。彼もこんな表情するんだ。

　そのおかげか自分の中で少し気まずさが薄れ、いつも通り話せそうだと思い、私は口を開いた。

｢....り」

｢凛くーーん！！おはよーー！」

　何人かの凛くんファンの女の子たちが私の声をかき消した。彼女たちは一瞬で凛くんを取り囲んだ。

　ああ、だめだ。話せない。あの中に入ってまで彼と話せる勇気は持ち合わせていない。

　不意に彼の顔を見た。心底嫌そうな顔をしている。さすがの私も怖くなったのでその場から立ち去ろうとしたそのときだった。

｢あなた最近よく見るけど、凛くんとはどういう関係なの？言っとくけど凛くんは私達のものなのよ？」

　ファンのリーダーであろうその子が私を睨んで言ってきた。他の人達も私に冷たい視線を向ける。怖くて唇が震える。

｢......私は......その...」

｢声小さくて聞こえないんですけど」

｢....えっと...」

　どうしよう。声が出ない。怖い。彼女たちの中に先輩もいるから余計に声が出ない。気弱な性格がここで足を引っ張ってしまう。

｢黙ってちゃ分かんな」

｢だる」

　凛くんが静かな声で呟いた。その冷たさに辺りが静まり返った。

｢...凛くん、だるって何？」

　リーダーの彼女が可愛らしく首を傾け、私に向けた声のトーンとは明らかに異なる、きゅるっとした声を発した。

　凛くんは後頭部を掻きながら、彼女たちを冷たい目で見つめた。

｢朝からうるさいっす」

｢え......」

｢てか俺、いつから君たちのものになってんすか」

｢いや、私たちはただこの子が凛くんと」

｢....だから、そういうのがだるいって言ってんすよ」

　凛くんは明らかに不機嫌だ。この前の駿河のときとは違う、また新しい表情。

｢......凛くん、今日どうしたの？いつもはそんなこと、私達に言わないじゃない」

｢関係ない人いじめるとか、やばいっすよ。人の気持ち考えたらどうですか」

｢っ....」

　彼女たちはひどく落ち込んだ顔をした。多分、こんなにはっきり言われたのが初めてなんだろう。

　でも彼女たちだけでなく私も落ち込んでいる。

｢もういいっすよね」

　そう言って凛くんは上履きに履き替え、早足で教室に上がっていった。

｢....関係......ない.....」

　その言葉が頭にこびりついてしまった。あなたは俺には関係がない。そういう意味なんだろうな。

　階段を上がっていく彼の後ろ姿と私との距離に、追いつけないほどの距離が出来てしまっている気がした。

　私は沈んだ気持ちで自分の席についた。

｢はぁ........」

｢どうしたの、さーちゃん」

　梨花ちゃんが私の席の前に座った。

｢なんかさ、全然脈ナシだなーって思ってさ..」

｢なんで？」

｢さっきね、凛くんとバッタリ出会って、ファンの子に私が色々言われちゃって。そしたら凛くんがこの人は関係ないって言ってさ.... 」

　梨花ちゃんは不思議そうな目をしながら首を傾げた。

｢...なに？」

｢それさ、さーちゃんを守るために言っただけじゃない？」

｢..どこが？」

｢どこがって言われたらよく分かんないけど、脈ナシではないよ」

　そんなこと言われたらますます分からなくなってしまう。でもこれで脈アリって言われても納得出来ないし。

｢大丈夫だって」

｢だって電話も断られたんだよ？」

　普通好きな人との電話はOKするはずだ。今まで友達の恋バナを聞いたことがあるけど、好きな人と電話したんだ、とか電話に誘われたとか、そんなラブラブな話しか聞いたことがない。

｢何か理由があったんじゃない？」

｢....理由..？」

｢だから、今から聞いてきたら？」

　梨花ちゃんが立ち上がって私の隣に立った。

｢なにを？」

｢なんで断ったのかとか」

｢無理無理無理無理」

　そう言っても梨花ちゃんには届かず、強い力で私を立たせ、教室のドアを開け、私の背中を押して廊下に投げ出した。

｢...もう...」

　投げ出されても凛くんがここを通るとは限らないじゃん。教室に行くのは絶対嫌だだ。偶然でもない限り、凛くんとすれ違うこともできない。

　だが、偶然というものは存在するようで、たまたま凛くんが通りかかった。

｢....凛くん.....」

　私の声はとても小さかったはずなのに、彼が私の方を向いた。

｢....凛くん、えっと」

　まさか振り向いてこれるとは思わず私が戸惑っている中、凛くんはゆっくり歩み寄ってきた。

｢なんですか？」

　いつもと変わらない声のトーン。

｢......聞きたい、事が......あって」

｢はい」

　言いづらい。彼女気取りになってるみたいで複雑だ。なんで私との電話断ったの？などというセリフは彼女でもない私が言ってはダメだ。

｢.......や、やっぱいいや！....ごめん！引き止めて」

　私は踵を返して急いで帰ろうとした。

｢......電話のことですか？」

　彼の透き通る声が響いた。

　もしかして彼は、気にしていた？

｢......あっ...えっと.... 」

　私はぎこちない笑顔をしながらゆっくり振り向いた。

｢...電話....迷惑だった..？」

　そう聞くと、彼は私を真っ直ぐな瞳で見つめてきた。その瞳は私を安心させるような言葉を言おうとしている目なのか、それとも真逆か、それは分からない。

｢....嫌でした」

｢....っ...」

　やっぱりそうじゃんか。迷惑だったんじゃん。なんで電話断られたのに少しでも希望があるって思ったんだろう。自分をあざ笑いたくなる。

｢俺の気持」

｢ごめん。もう誘わないよ。迷惑だから断ったの分かれよって感じだよね」

　私はとても悔しくて、悲しくて、情けなくてこれ以上彼と話すことはできないと思ってしまった。だから、その場から離れる以外の選択肢が分からなくて教室に走って帰った。

｢......最後まで...聞けよ..」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　✿

　あの日から私は毎日毎日放課後凛くんの部活を覗いていた。でもどこか気まずいままなのは変わっていない。彼と目が合えば逃げたりしていた。気づけばもうそろそろ一学期が終わる。なのに私は少しも行動できず、彼は振り向いてくれない。

｢さーちゃん、私今日用事あって早く帰らなきゃいけないの！ごめんね！バイバイ！｣

｢ううん！大丈夫！バイバイ！｣

　放課後、梨花ちゃんが急いで学校を出ていった。最近一緒に帰っていたから久しぶりの一人になる。でも今日は放課後学校に残って、夏休みの宿題を早めにやっておこうと思う。あとが楽だし。

　教室でやることにしたけど、参考書を借りるために図書室に少しお邪魔させてもらう。

｢...失礼しまーす....｣

｢どうぞ〜｣

　図書室には司書の先生と数人の生徒がいた。勉強をしている子もいれば、友達同士でお話をしている子もいた。私は参考書が置いてある本棚へと向かった。

｢....うーん...。どれにしよう｣

｢何に迷ってんの？｣

　声がした方を見てみると本棚の横からひょっこりと顔を出した駿河がいた。

｢え、なんで駿河がいるの？｣

｢んー？俺図書委員｣

｢あ、そうだった｣

｢それで、何探してんの？｣

｢英語の参考書探してる｣

　そう言うと駿河は一番下の段から薄い冊子を取り出した。

｢これおすすめだよ｣

｢え？でも他の参考書より薄くない？｣

　明らかに他の参考書より薄かった。これに必要な文法全てが書いてあるのだろうか。本当におすすめなのだろうか。

｢参考書っていうのは分厚いかどうかより分かりやすいかどうかなんだ。この本は俺も実際に使ってて分かりやすいんだ｣

　実は駿河は頭が良い。学年トップクラス。そんな駿河が言うなら間違いないだろう。

｢そうなんだ。ありがとう｣

　私は駿河から参考書を受け取った。

｢てか、普通に自分で買ったら？｣

　ごもっともだ。単に買いに行くのが面倒くさいと思っているのは秘密にしておく。

｢参考書は高いし、自分に合わなかったときに買った分のお金がもったいないなって思ってしまうからさ｣

｢まぁたしかに。トライアル期間ってのも大切だしな｣

　駿河は私に笑って見せた。ちょうど良く焦げた肌に白い歯が映えている。

｢あ、俺先生に呼ばれてるんだった。じゃあ、またな！」

｢うん、ありがとう！」

　駿河は走って図書室を出ていった。彼はいつも忙しそうにしている。まだ一年生であるのに執行部にも入っていたり、部活動だってテニスの県大会に行くために毎日毎日一生懸命練習に励んでいる。その中でコツコツと勉強をし、優秀な成績を修める彼は誰が見ても高校生の理想そのものだろう。

　私は駿河に教えてもらった参考書を手に、カウンターまで行き、本を借りる手続きをした。こうやって本を借りるのは久しぶりだ。

　教室に戻るとさっきまでいたクラスメイトは一人としていなかった。捗りそうだ。

　放課後の一人の教室は好きだ。誰にも気にされず、自分の好きなように好きなことをできるから。私は窓側の一番後ろの席に座って、参考書と課題のワークを開いた。自分の席は一番前だけど、後ろで勉強したくなったので借りようと思う。

　吹奏楽部のトランペットの音、野球部の掛け声、風の囁く声が聞こえる。窓から見える絵の具で塗ったような青色の空は、夏の存在を際立たせる。

｢......Sin....んー｣

　私は数Ⅰの勉強を始めた。数学はかなり嫌い。誰かに教えてもらいたい。でもそんなこと言ってられないから、参考書とにらめっこしながらただひたすらに課題を進めた。

　参考書を睨み続けて体感一時間が経過した。

｢はぁ、疲れた....ってまだ二十分しか経ってない...｣

　時計を見ると自分が思っていた半分も針は進んでいなかった。勉強をしていると時間の流れが遅く感じる。楽しい時間はあっという間にすぎるのに、苦の時間はカタツムリ並に遅い。

｢...あの｣

　心臓がドクっと鳴った。

　やや低くて、でも少し凛とした音が広がる声。

　私は胸の鼓動を感じながら声のした方の目を向けた。

｢....え、凛くん..？....なんでそこにいるの？｣

　彼は教室の一番前の扉の前に立っていた。数週間ぶりに見た彼の瞳。その中に私が映っているのはあのとき以来だ。

｢なんとなく来ただけです｣

　彼は何を考えているのだろうか。いきなり私を遠ざけたり近くに来たり、何をしたいのかが全く分からない。それとも気まずさをなくしに来たのだろうか。

｢.......そっか.... ｣

　あの日から一度も話していなかった。気まずいから連絡もとっていなかった。だから私はドキドキする胸の鼓動をおさえて再び参考書に目を移した。それに気づいているかのように、彼は私の机の横に来た。窓から入ってくる夏の匂いのするそよ風は、ふたりきりの教室をドラマチックに演出してくれる。

｢.......なに？......｣

　久しぶりに話せた嬉しさがバレないように、参考書を見ながらなんとも思ってないような口調でそう聞いた。

｢数学分からなさそうだと思って｣

｢...え｣

　瞬時に凛くんの方に顔を向けた。私がバカに見えるということだろうか？それともからかってる？

｢......そんなにバカっぽい？...｣

　悲しそうに目を見て聞くと、彼は目を逸らした。

｢...そういう意味じゃなくて、悩んでるような顔をしてたんで｣

　私の思い違いだった。彼の声のトーンだと勘違いしてしまう。

｢...そっか..。まぁ、たしかに悩んでる。数学嫌いだし｣

｢......そうっすか｣

　相変わらずの塩対応な言葉。いつも通りでも気まずい空気は変わらない。

｢...勉強、教えてくれる？｣

　その空気を壊すために、少し上から目線で言ってみた。

｢あ、はい」

｢え？」

　すごくすんなり受け入れてくれた。なんでっすかとか言ってくるかと思ったのに。なんだか初めから教える気でいましたかのような声のトーンだった。

｢....教えてくれるの?」

｢はい」

｢...部活は？」

｢今日ないっす」

　ないなら普通帰るのでは？なんでわざわざ気まずい関係の私のところに来たのだろう。彼の行動の心理を知りたい。

｢......なんで家に帰らないの..？......｣

｢...なんで...？」

｢なんで私のとこに来たの？」

　彼は私から目をそらして考える素振りをみせた。そんなに考える必要ないのに。なんとなくって言っていたけど本当にそうだとは思えなかった。そもそもなんとなくで彼は私のことまで来る人なのだろうか。彼の性格上そんなことはしない気がするのだ。

｢....俺が....多分....愛原さんのこと好きだからっす｣

｢.............え？｣

　私は持っているペンを落とした。聞こえた言葉に動揺が隠せなかった。

　今、好きって言ったよね。私の事好きって言ったよね。そんなことありえないありえない。夏のこの教室のせいで変な夢を見てしまっているんだ。そうだ。絶対。だってありえないもん。そんなことありえるはずがないもん。

　私は呆然としながら両手のほっぺを引っ張った。夢なはずなのに痛い。めっちゃ痛い。

｢....私のこと...好き...なの？｣

　この現状を把握するために私は事実確認をした。とりあえず状況を整理したい。

｢はい」

｢...いつから？」

｢...覚えてないけど、愛原さんに惹かれてました」

｢......っ..」

　私は机の上に泣き崩れた。叶うなんて思っていなかった。一生彼への思いは一方通行で終わると思っていた。

　今起きていることが信じられない。だって彼は一回も両想いの素振りを見せてこなかった。

｢...電話......断ってきたし....連絡も....1回も..っ...くれなかったじゃん....っ」

｢......それは」

｢....私との電話、嫌だったって言ってたじゃんっ......」

　私は両手で顔を覆った。目から温かい涙が溢れ出してくる。幸せすぎて止まらない。

｢......嫌だって言ったのは、愛原さんが嫌いだからじゃないです」

｢....っ......え？....っ...」

｢...好きな人と電話したら、自分の気持ちが伝わってしまいそうで嫌でした」

｢....え？」

｢...それに俺が積極的に関わっていったらまた悪口言われると思って」

　私が勝手に勘違いしてたってこと？ただ私の事が嫌いだと思ってた。避けられてると思ってた。

｢電話嫌だって言ったとき最後まで聞かずに逃げていったから、どうしたらいいか分かんなくて」

｢......っ....っ..言葉が.......っ足りな...っすぎるよ...っ」

　思い込みが激しかった自分が嫌になった。なんであの日、逃げ出しちゃったんだろう。本当に私は馬鹿だ。

　すると彼が私の席の前に私の方を向いて座った。

｢....愛原さん...。顔、見せてください」

｢....やだ..。顔、やばいもん、今」

　こんなぐちゃぐちゃな顔、彼には見せられない。せっかくしてたメイクも涙で流れてしまった。目が真っ赤で腫れているだろう。

｢......いいから」

　冷たい口調で言われた。そうすると体が無意識に反応して、手が顔から離れた。だめ。この顔は見せられない....はずなのに..。

｢愛原さん」

｢....なに..」

｢...まだ、俺の事好きっすか？」

　なんだその質問。どれだけ私が凛くんのことを想っているのか彼だってわかってるんじゃないの。決まってんじゃん。そんなの決まってんじゃん。

｢...だいすき..」

｢じゃあ、彼氏にならせてください」

｢...え？」

　そう言って顔をあげると、彼は私にゆっくりと唇を落とした。

　暖かくて、甘くて、切なかった。その瞬間はスローモーションのように感じた。苦の時間ではないのに、時間がゆっくりと流れているようだった。

　彼は私からゆっくりと顔を離し、私を見つめる。

｢.......返事....もらえますか？」

｢......私でよければ......っ凛くんの彼女にさせてください」

　叶わないと思ってた。もう振り向いてくれないって思ってた。神様は運命をたくさん動かしてくる。こんな幸せなことがあってもいいのだろうか。この幸せを彼と一緒に感じていきたい。ずっと続いていきたい。

それが叶うことなんてないのに。