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◇街娘改め貴族令嬢と義理の父


春分の祭礼からほどなく、ある春先の日に、私の立場は激変することになる


橋の街が反乱軍の手に落ちた頃から戦場以外でも大公側の劣勢は明白になり

城下の人々の生活にも影響が出始め、人々の不安は徐々に増大しつつあった


様々な物資が欠乏したり価格が高騰したから商業活動にも大きな影響が出て

街はいくつもの店が無期限休業の張り紙を出して閉めてしまい閑散としてる

私を含む大公城下の商家の子たちの多くが通う学校も無期限臨時休校となり

級友と会う機会は大幅に減ってしまったけど私は趣味の読書に勤しんでたし

同じ趣味を持つ本読み友達とは細々と交流が続いていて、たまに誰かの家で

集まってお気に入りの本を交換するなどしてたけど、人が減った街は侘しい


そんなあるとき育ての父から書斎へ呼び出され、大事な話があると言われる

育ての父と個人的に親交のある宮廷貴族が、私を養子に迎えたいというのだ


唐突な話で驚いたけど、毎月のように会食していて私もよく知っている相手

もちろん私だけ貰い子であることも承知の上で何かと気に掛けてくれていて

育ての家に加えて、もう一つの私の「実家」になりたい、との申し出だった


この貴族夫妻には娘がおらず、実は以前から娘がほしいと考えていたそうで

そこへ先日、私が宮廷文書館への興味を示したことを育ての父から聞き及び

養子として籍を入れ貴族の一員となればその資格を得る第一歩を踏み出せる

まあ原則として貴族の中でもかなり高い地位でないと閲覧はできないものの

何らかの大役を果たすなどすれば特別に閲覧を認められる可能性も充分ある

双方にとって悪い話ではないのではないか、というのが、この貴族の提案だ



ただその話には続きがあって、貴族令嬢が旗を掲げて自軍を応援するという

いわば反乱軍の姫に対抗するような役割を、私に求めているとのことだった


「宮廷貴族の令嬢として、大公閣下や宮廷に代わって兵たちを鼓舞してもらいたいのだ」

「といいますと、旗を振ったり言葉をかけたりして、応援すれば宜しいのでしょうか?」

「さよう、そのようなものだ。頼まれてはくれぬか」


いささか大変なお役目で、前線に立つため相応の危険を伴うものでもあるが

無事に果たせたならば文書館閲覧であれ何であれ存分な褒美を望めよう、と

書斎の机を挟んで私と向かい合った宮廷貴族が、一通りの説明をしてくれる

育ての父は事前に聞いていて承知済みであるらしく話には口を挟んでこない


例の髭のおじさん相変わらず立派な口髭だ、この髭も髪型も手入れ大変そう

育ての父より十くらいは年上で、すでに一人息子は結婚して幼い孫までいて

会食の席で私たち姉妹も弟もかわいがってくれるけど、一対一は初めてかも


この貴族が権力を笠に着て育ての父を従わせたなどとは微塵も感じられない

双方の利害に依らず、地位を越えた友達だという二人の間柄も前に聞いてる

二人の間でも話し合って、育ての父も納得した上で、私を呼んだとみていい

ということは、ほぼ確定したものとして受け入れるのが、娘の私の責務かな


育ての父も私を実の娘のように大切にしてる、きっと相応の事情があるのだ


「そのお役目に私が適任とお考えになった理由があるかと思いますが、お聞きしても?」

「むろんだとも。

 まず第一に、めぼしい貴族の年頃の子女で、引き受けてくれそうな娘が見当たらぬのだ。戦いの前線に立つ以前に陣地入りさえ嫌がってな、野蛮だの怖いだの、甲冑をつけるには髪も切らないといけないから嫌だ、などと言うて」

「まあ私だって野蛮そうだなとは思いますけどね。でもそんな嫌がるものでしょうか?」

「やはり、いい顔はせなんだな」

「そりゃあ私も、あまり気乗りはいたしません。けど、その役割が必要なら、まあ……。

 嫌がってた令嬢たちだって仮にも貴族なのでしょう? そんな貴族でいいんですか?」

「わっはっは。庶民にしておくには惜しい心掛け、気に入った。かような話がなくとも、我が家に迎えたいものよ。

 そしてこれぞまさにもう一つの理由。そなたの父からもさんざん聞いておるからな、腹の据わった、物怖じせぬ娘だと。その点なるほど、評判通り。今の問答で得心したぞ」

「はあ。

 ……あっいえ私の場合、腹が据わってるとか、物怖じというのは、少し違うと思います。どちらかというと私って本を読んでるとき以外ボンヤリしてることが多くて、ぽやーんとした子だなんて家族や友達からもよく言われてますし」

「いやいや、宜しい。些事に動じぬ姿勢、こと荒事の場面で役立つものだからな」

「たしかにそうですね、動転して変なことをしても損をしそうですし。そういった物語、よく読みました」

「うむ。そなたを見込んで、ぜひお願いしたい。無論そなたに戦働きなど期待してはおらぬ。厄介な任であるゆえ可能な範囲で構わぬ。我が家の手勢を護衛につけるが、もしそれでも身の危険を感じるような場面があれば、戦場いくさばなど放棄してよい。どうせそれは勝ち目も残されておらぬ局面であろうからな。

 せっかく新たな家族を迎えるのだ、我とてむざむざ失いたくはないぞ」

「承知しました。命まで懸けなくていいなら少しは気が楽です。やれるだけやってみます。

 ……えと、これからは義父上ちちうえですね。不束者ですが、ご厄介になります」

「こちらこそ頼んだぞ、義娘むすめよ」


いかにも古風な貴族らしい言い回しだけど私は小さい頃からの知り合いだし

お気に入りの物語本にも同じような言い回しが結構あるので、もう慣れてる

それどころか会話してると喋り方の癖がうつってしまうこともあるくらいで


喋り方だけではない、義父上のお考えまで私にうつってしまったように思う


追い込まれつつある情勢下、少しでも劣勢を挽回せんとする宮廷貴族の思い

新たに貴族の末席に加わる私もまた、微力を尽くして応えたいと考えたのだ



育ての親や妹弟たちとも全く縁が切れるわけではなく、ちょくちょく会える

逆に新しい家族は私からすれば立派な貴族の家柄、私もその一員になれると

思うと少し胸が高鳴るようで、その夜には全然寝付けず朝まで愛読書を読む


最近のお気に入りは友達から回ってきた写本で、同世代の貴族令嬢が書いた

物語の最新作品、作者は偽名とのことで、どんな人なのか全く知らないけど

有名な神話や伝説などを下敷きに新解釈を加え展開された恋愛物語の数々は

恋など知らぬ私でもときめかされるし、戦闘場面の生々しい描写もまた魅力

剣や槍と、鎧や楯とがぶつかりあう金属音、泥や汗、血の匂いや味まで実感

させてくれそうな物凄く写実性あふれる書き方で、儚い恋愛が一層引き立つ


貴族になったら、もしかして私の前にも立派な騎士が現れたりするのかなあ

そうして城下の激しい攻防戦の中で、支え合い助け合って結ばれたりするの?

だけど恋愛もさることながら、私が現実にいる誰かと家族を持つことなんて

何だか想像つかないな、もしあるとしたって一体どういう関係になるだろう


私の家族観は少し異質、普通に血の繋がった家族と一緒に暮らす家はないし

今度の家族は貴族だから、今の家族とはまた少し違った関係になるとは思う


もちろん、私を引き取って自分の子供たちと同様に育ててくれた親たちには

いくら感謝しても足りないくらいありがたく思っているのは間違いないけど

その優しさを知ってるだけに私の方が引け目を感じているのかもしれないな

育ての父も承知の上である、という点も私がお役目を引き受けた理由の一つ



新しい実家となる義父の家には、翌日から身近な荷物だけ携えて移っていく

まず持参したのは一通りの着替えと日記や筆記具、お気に入りの物語を数冊

他の本なども数日かけて、義父が私のために用意してくれた部屋へ運び込む

こういうところは近所ならではの気軽さ、育ての実家で食事をする日もあり

義理の実家でも義母や義姉、使用人など女性陣とともに台所で料理する日々


義父と義母、息子である義兄と、義兄の妻つまり義姉、それから三人の幼子

宮廷貴族では同じくらいの家柄の貴族どうしで結婚するのが一般的だそうで

義母も義姉も、それぞれ義父や義兄と子供の頃から付き合いのある家の出身

幼馴染みで暮らし振りも近い相手との結婚だから安心、と私に教えてくれた


新しい義父はせっかちなのか、養子縁組をする手続を始めたその日のうちに

すぐ鎧職人に私を採寸させ、本日より取り掛かれと、その職人を急き立てる

義兄が子供の頃に着ていた鎧を私の身体に合わせ細身に仕立て直すと同時に

もっと華やかに見えるよう、いくばくかの装飾を追加してくれるのだという


義兄のお下がりで剣ももらったけど、こっちは興味本位で抜いただけだった

同じ刃物でも台所で慣れてる包丁とは全くの別物で、持つだけでも恐ろしい

同じく子供用として大人の騎士が使うものよりは軽く作ってあるといっても

非力な私には重すぎるものだし鋭い刃が何だか怖くて鞘に戻してそれっきり


同じく貴族令嬢としての衣装も、この春夏の季節に合わせ何着かを仕立屋へ

あと、甲冑を着ることになったので兜で邪魔にならないように髪型も変えた

義父一家がいつも依頼する髪結職人が呼ばれ、義父の指示で私の髪を整える


腰に届くほどだった私の髪は肩くらいの長さで切られて、前髪も短く揃えて

貴族の少年のような髪型になったので、義母や義姉は綺麗な髪が勿体ないと

言いつつ、前にも増して子供っぽく見えるようになった私もかわいいと言う

同時に二人は私が甲冑を着て戦場に立つことを改めて認識したのか心配して

「その身が危ないと思ったら、すぐに逃げなさい」などと忠告もしてくれる


その後しばらく、義父一家の紹介で様々な宮廷貴族と会食する日々が続いた

注文してた衣装が完成するや、義父は上屋敷町のそこかしこに私を連れ回す

養子になればすぐ貴族になれるのでなく、貴族の一員として認められるには

他の貴族たち、とりわけ同程度の家格を持つ者たちの認知が欠かせないのだ


宮廷には数々の派閥があって、義父は属する派閥の主立った貴族はもちろん

他の派閥の者たちに対しても、新たに迎えた養女として私を紹介していった


おかげで私がおちおち読書もしてられないくらいに目まぐるしい日々となり

その後も多くの貴族の女性たちから誘われ、お茶やお菓子を交えてお茶会も

ほんの少し前まで街娘だった私は、貴族令嬢としての風習を色々と教わった


礼儀作法などは義実家との会食を通じて知っているものの、たとえば服装や

髪型、装身具などにも、それぞれ意味があって軽んじてはならないのだとか

貴族の令嬢や夫人は長い髪を、それぞれの家庭内の立場や家格などに応じた

結い方をするもので、髪を短く切るのは私のように特別な事情がある者だけ


未婚の貴族令嬢の結い方は教えてもらったけど、ちょっと重そうだと感じる

私はむしろ、甲冑を纏う前提で髪を短くしていて助かった、と思ったくらい



そして貴族の男性たちは、やはり各自の役割に責任感を持って仕事をこなす

領主として所領を管理し、収益で家族と部下、使用人たちを養うだけでなく

たとえば騎士として部下を率いて戦いに臨んだり、政治に関わる役目もある


義父と義兄は同じく宮廷貴族の一員、大公国の政策を決定し実行する立場だ

後の時代で言うならば議員と官僚を兼ねたような国政の中枢を担う人たちで

おかげで内乱の最中でも前線に出ず、むしろ情勢に応じた政策に頭を悩ます


ある程度は姫や反乱軍の情報も持っていたから、私も少し聞かせてもらった


曰く、帝国時代からの歴史を誇る大公の世を終わらせ新たな国を作るとして

姫は反乱軍を率い、母方一族が治めていた裾野地方を足掛かりに勢力を拡大

その支配地域は、あの橋の街を陥落させた時点で大公国の半分を超えており

今は急速に勢力範囲を拡大し続けていて、遠からず城下にまで迫る見通しだ


姫や反乱軍首脳部は新たな国政のあり方について、身分の差をなくした上で

人々の中から投票という手法で少数の代表を選出し、議論させるとしている

そこで決まった政策は、能力に応じて採用する役人たちが実行するのだとか


国政だけでなく各地域でも同じような仕組みを取り入れて地方自治を実現し

いずれにせよ民が自ら統治して貴族や領主は不要とする、という考えらしい

軍事も役人と同じように能力で選んで鍛えた将兵からなる常備軍に担わせる

こうすることで現在は貴族層が担っている騎士の任も不要になるというのだ



出自を問わず能力に応じて為政者や役人を選ぶ考え方には、街娘だった私に

してみれば若干の魅力を感じるところもあるけど貴族にとっては明らかに敵


姫の反乱軍は大公にとって自身を支える貴族たちの地位を損ねる存在だけに

大公とその宮廷は反乱軍に決して屈せぬという強硬姿勢を崩さず、籠城して

反乱軍を迎え撃つべく今も残る貴族たちの軍勢を城下の街に掻き集めている


宮殿を中心に広がり貴族たちと市民が数多く暮らす市街地全体を囲む城壁は

大公国の初期に築かれ、その後の歴代大公が維持、強化してきた最後の守り

新たな家族となった義父や義兄に連れられ私も城壁に上がって一周してみた

平時ならともかく戦時下の今では、普通の庶民だったら見られなかった景色


城壁の外側はそのまま堀割へと落ち込んでいて、この堀には川の水を分けて

水が常に引き込まれ、ついでに城壁の内側の市街地からの排水まで流れ込む

おかげで敵が攻め寄せてきても、そう易々と侵入することはできないだろう


城壁と堀の外側にも城下に入りきれなかった住宅や倉庫など建物があるけど

敵方に利用されないよう城壁付近は全て解体され帯状の更地、その外側でも

人々は戦闘を避けるため避難していて、入れ替わりに大公側の兵たちが滞在

城壁に迫る反乱軍を迎撃しつつ、最後は城壁内に入って籠城戦に臨むという

部隊ごとに誇らしげに掲げるのは、その兵たちを率いる有力な騎士の旗印だ


その周辺は緩やかな斜面で、城壁から離れるに従い少しずつ低くなっていて

傾斜を生かした水路に堀割などから水を流してあり、広々とした麦畑を潤す

春を迎え麦が伸び始めた時季だから青々とした畑が一面に広がって心地好い

ところどころ牧場もあり、多くの馬が群れて走ったり草を食む様子が見える


畑や牧草地の中にも建物が点在し、農具小屋や厩舎から自営農や領民の住居

さらに小規模領主や代官の館など色々ある、と義父と義兄が説明してくれた

その中には義父の領地館もあるというけど、遠く霞んでてよく見えなかった



振り返ってみれば宮殿は周囲より少し高い地盤の上にあり、その城下の街も

上屋敷町あたりまで同じくらいの高さがあるけど、私たちが暮らす材木町や

隣の鍛冶屋町、御蔵町あたりは少し低い位置になっていることがよくわかる


もう少し低いのが鋏町や樽甕町、萬町あたりで、日頃ほとんど意識してない

けど明らかに高低差があって、そういえば地下に巡らした上下水道は傾斜を

生かして流れるようになっていると、どこかの本で読んだことを思い出した


そして城壁に近いあたりには草木が茂っていたのを今では全て伐採されてて

籠城のため集まった騎士や兵たちの天幕や小屋、備蓄品の仮設倉庫など並ぶ


籠城するとなれば、住民の分も含め食料や燃料など様々な物資が必要になる

保管場所として城壁内にある商家の倉庫までも大公の名の下に借り上げられ

多くの物資を運び込んでるので、数カ月は食いつなげる見通しであるらしい


一方で飲み水は備蓄が難しい資源とされがちだけど、この街では割と潤沢だ

宮殿の裏手にある大公の私邸には中庭に泉があって、豊富な水が湧いており

これが宮殿や上屋敷町あたりまでの水源、そして城下の他の街が使う分には

城壁の外にある川の上流から延々と水路を引いて、街へ導いているのだった


この上水道からの余分の水が堀割を常に流れていて、ええと、その後たしか

南西の方にある湿地帯を潤しつつ大河の方へ向かうのだっけ、と目をやると

少し離れた場所に野営陣地の天幕がいくつか展開されつつある様子が見える


近郊に点在する小さな街や集落にも大公側の兵力が駐屯して敵の勢いを削ぎ

最後は籠城し、残る全ての兵力で城壁に拠って敵を寄せ付けないようにする

縁の深い南隣の侯爵国にも援軍を要請し反乱軍の背後を衝いてもらう作戦だ

ただ隣国も強大な勢力となった反乱軍を恐れているとされ実現するかは不明


事実、反乱軍は急成長して大公国の大半を勢力下に収めてきたのだ、多くの

庶民が反乱軍に参加し、また同時に多くの地方領主が地位や命を失っていた


領地を追われた地方領主一家、または当主や後継者を失った家族たちだけが

城下へと相次いで逃れてきていることは、城下の貴族たちの間で周知の事実

宮廷貴族が在地に置いていた家族や使用人たちも続々と城下へ避難してきた

そういった人たちの多くは、余裕のある上屋敷町の貴族たちに預けられたり

さらに城下よりさらに東、大公の離宮がある小都市や、もっと東の山間地の

国境の向こうへ送られていったり、亡命していくような例も少なくなかった


ただし、そんな事情を私が知るのは、少し後になってからのことだったけど



二週間ほどすると甲冑が仕上がってきて、鎧職人と義父の使用人に手伝って

もらって着てみたら、これが物凄い重さで動きづらくて、かなり大変だった

こんな武具で駆け回ったり斬り合ったりするなんて騎士たちの体力は凄すぎ

いや単に私が非力すぎるだけかな、義兄は子供の頃から鍛えていたというし


そのうえ騎士の武具だからか複雑な構造で、着るのも脱ぐのもいちいち面倒

自分の手が届かない留め具もあって毎回誰かに手伝ってもらう必要があるし

その後も何度となく脱ぎ着したのだけど私は全ての手順を覚えきれなかった


それでも、姿見に映った甲冑姿の私は、まるで伝説の女騎士みたいに思えた

いや小さいから少女騎士と言った方が適切か、でもやっぱり凛々しく見える

新たに施された装飾も派手すぎかなと思ったけれど、これはこれで格好良い

私の名にちなんで花々の彫刻が各所に施された分、少し軽くなった気もする

ただしさすがに暑かった、夏に向かいつつある季節だったから、なおさらだ


甲冑姿で大公の謁見を受けたときは物語にある騎士の叙勲の場面を想像した

本物の騎士なら、ここで主君である大公から剣か槍を授かるのが普通だけど

私の場合は大公の家臣から旗印を託されたという点が、ちょっとだけ違った

旗を捧げ持って立つだけでも大変だったけど、大公は何やら私に語り掛ける


それに応えて私は、事前に義父たちと相談していた通り、こんな宣言をした


「身に余る大役、若輩者ではありますが、誠心誠意努めてまいります」


でも謁見の間の大公は遠すぎて、私にかけてくれた言葉も幾つか聞き損ねた

私に付き添ってくれていた義兄に後で聞いても、よくわからなかったという

同じく謁見の間に臨席して、大公の家臣として旗印を私に手渡す役を担った

義父によると、大公の声は優しい調子のときほど届きにくくなるとのことで

その意味では私のような小娘が大役を担うことに対する労いの言葉だろうと



なおこのとき義父上、確かに小娘って言いました、当日の日記にもあったし

いくら幼い頃から知ってる間柄とはいえ、その言い方は如何かと思いますぞ

とはいえ、私自身も街の普通の小娘に過ぎないという自覚はありましたけど

十七歳の誕生日を義実家と育ての実家が一緒に祝ってくれたのは嬉しかった




◇傀儡の姫と傭兵たち、そして本物の姫


貴族時代の私は、本名のハナを貴族っぽく言い換えてフロラと名乗っていた


当時は何が何やらほとんどわからないものの、ただ勇気ある少女だと評判に

なったのが何だか誇らしく、生まれ育った城下の人々の役に立てるならばと

漠然と名誉に思って引き受けた役割だけど、私にできるだけのことはしよう



と心に決めて頑張っていたものの、しかし事態の変化は激しくなっていった


城下の治安も急速に悪化していって、落書や暴動なども珍しくないくらいで

噂によると正体不明の犬の群れが人を襲って殺すような事件もあったらしい

反乱軍が差し向けた間者が城下に侵入していて何か事件になるかもとの噂も


私ことフロラは、義父が雇っていた百名ほどの傭兵団に守られながらの活動

専らの宮廷貴族の義父はずっと城下暮らし、領地経営は信頼の置ける部下に

任せていて、家格に応じて求められる兵力は傭兵団を雇って揃えていたので

養女になった私の護衛も、この長年の付き合いのある傭兵たちに委ねていた

何人かは顔見知り、実は越年祭の行列にも参加していた近所の人たちだった


傭兵といえば私利私欲で動く者も少なくないとは聞くけど、この傭兵たちは

全く違う、義父が永続的な契約で雇い、途切れることなく給料を払っていて

むしろ義父やその一家、大公国のために身体を張る、そんな気概を持つ人々

主君から土地を賜った恩義に騎士として奉公する地方領主と、ほとんど同じ


でも一方で特定の戦い方に拘泥しないところもあって、その点は傭兵らしい

つい先日まで街娘だった貴族令嬢は、半ば騎士のような傭兵に親近感を持ち

お役目で城下や周辺の陣地を巡る間も、彼らと色々お喋りしながら歩き回る



義父と同じような宮廷貴族たちは、その多くが同様に常勤の傭兵を雇用して

城下や領地を守らせており、反乱軍への大反攻作戦にも参加しなかったので

その大半が温存されたまま、籠城戦に備えて城下や周辺に集結してきていた


ちなみに宮廷貴族の中には、兵力が必要なときだけ傭兵を雇う者もいたけど

臨時雇いの傭兵は多くが反乱軍についてしまって、その分だけ戦力は乏しい

兵力が足りない宮廷貴族は、代わりに軍資金や物資を負担させられたという


そのほか城下近郊に所領を持つ大公直参の騎士たちも少数ながら残っていて

彼らも来るべき決戦に備え城下の守りを固めるためにと次々に集まってきた

騎士たちは彼らに代々仕えている部下、郎党たちも伴っているので、相応の

兵力になるけど、中には大きくて獰猛そうな猟犬を連れた者もいて少し怖い


義父の家には成熟しても小さいままの犬がいて、しかも血統を証明する書類

までついた高価な犬種だと聞いていたので、そういう犬を飼うのが貴族だと

私は勝手に思っていたけど、この差は宮廷貴族と武辺の騎士の違いなのかも

または城下常勤の貴族と、領地で仕事する在地領主の違いかもしれないけど



日に日に情勢の変化が激しくなっていき、ついには城下の道や広場の各所に

敵が侵入してきたとき移動を妨げて遅らせるための障害物が、ありあわせの

荷車や木箱や樽などありったけ流用して作られ始めると、内乱など知らない

ふりをしてた城下の人々にも、決戦は避けられないのだと諦めの空気が漂う


商店は軒並み休業となり、育ての家もまた同様、どの建物でも道路に面した

戸や窓に内外から木の板を釘で打ち付け、少しでも暮らしを守ろうと必死だ


そう、大公軍が活発に動くのとは裏腹に、人々の生活は大きく変わっていた


当時の私にはわかってなかったけど、育ての家では物価高に悩まされていて

そこには反乱軍の経済戦争も影響していたのだと、かなり後になって知った

寝返った国教会の造幣所を使って新たな貨幣を流通させるなど大胆な手法で

反乱軍は経済面でも大公側を弱体化させるための様々な策を繰り出しており

それが育ての父の商家を、ほぼ事業停止に近い状況まで追い込んだとのこと


この頃の城下では商家の多くが経営難に直面、雇われの身の庶民たちは一層

深刻な生活苦、に対して義父たち中級以上の貴族は危機感が希薄だった印象

私の養子縁組で育ての一家と義父一家とは以前より頻繁に会食していたけど

育ての父に比べると義父や義兄は庶民の家計状況について今一つ詳しくなく

このままでは庶民から干上がって負けるぞと、強い口調で指摘されたりした


上層部が籠城を覚悟して準備を始める頃には、庶民の台所として親しまれる

城下の市場も、ほとんどの露店が閉店したり何処かへと消え去ってしまった

ある程度以上の所得水準の家では多くが食料を備蓄してたけど、そうでない

者たちは何も買えなくなるとすぐ底を突き、やむなく宮廷は備蓄を放出して

彼らへ食料配給を開始、街のあちこちで人々が長い行列を作って並んでいた


とはいえ彼らが満足できるほどの内容や量であったとは、到底思えなかった

貰うまでの列に並んでいる表情と、受け取った後の表情に、さほど差はない

精神的に参っているのか疲れ切っているのか人々は一様に虚ろな表情のまま


私も育ての一家と会う余裕が減って、妹や弟が不安がってないか心配になる



籠城に備え大急ぎで物資が運び込まれ、城壁の外側に騎士たちの部隊が駐屯

していたのも束の間、ほどなく反乱軍が迫ってきて全兵力が城壁の中に入る


お役目に従い城壁に立って旗を振る私には、反乱軍と小競り合いした部隊が

押し負けて散り散りに撤退し、眼下の城門へと転がり込んでくるのが見えた

持ち場が遠かったか隊列が伸びきってバラバラになってしまった部隊もある

かなりの距離を走ってきたのだろう、人だけでなく馬も疲労困憊した様子だ


二重になった正門の、外側の門から一歩入ってすぐに一息ついた歩兵たちが

逃げ込んできた後続の兵たちに突き飛ばされ喧嘩になりかけるのを見た私は

上から声を掛けて落ち着かせ、ともかくも内側の城門の中へ入るよう促した

門の中へ入れば広場があって、そこでなら喧嘩も気兼ねなくできるだろうし

まだ門の外に兵たちが大勢いて、早く入れてあげないと反乱軍が迫ってくる


この歩兵たちを率いてた騎士は一人だけ騎馬だったのだけど、あろうことか

馬を疾駆させ部下を置いて真っ先に逃げ込んでいて、広場で座り込んでいた

さすがに無責任すぎると感じた私は城壁から石段を降りて駆け寄ったところ

騎士は酷く怯えており、さきほど喧嘩しかけてた兵たちが周囲で慰めている

彼らは指揮官より先に落ち着きを取り戻した様子で、事情を説明してくれた


曰く、彼らの持ち場へ攻撃してきたのは敵総大将の姫が自ら率いる主力部隊

だけど攻撃に晒されるより前に、先頭に立った姫の鬨の声に怯えてしまった

猛々しい姫だという噂は聞いていたものの、その噂も霞むくらいの恐ろしさ

騎士も兵たちも逃げ出し、命からがら城下までひた走り、やっと辿り着いた


幸いにも追撃はほとんどなく、脱落者は出ていないようだけど、実は我々を

城下に追い込み、何か特別な一撃を加えて全滅させる狙いではないか、云々



俄には信じられないけれど、騎士にも話を聞いたら、全く同じような説明だ

幸い、この騎士は私と言葉を交わすうち次第に戦意を取り戻してきたようで

城壁内に新たな持ち場を探すと言い、手勢を再び集合させ引き連れていった


私は少し安堵しつつも、もはや大公側の劣勢は覆せないだろうとも思い至る

噂に聞くベスティア姫と反乱軍の底知れぬ強さを垣間見せられ、騎士たちや

彼らが率いる兵たちの様子に、どこか少し頼りなさを感じざるを得なかった


でも致し方ないのだろう、少なくとも表面的に、大公国は長らく平和だった

降って湧いたような内乱に直面した騎士も兵も、やはり戦争なんて怖いのだ

戦力にもならぬ私に、そんな彼らを非難する資格などないし、その気もない


ただこの有様では、民に見限られて大公の治世が終わるのではないだろうか

そのとき貴族たちは、騎士たちは、郎党やお抱え傭兵たちは、どうなるのか


隣人にまで見限られての一方的な敗北となれば、たとえ生き残ったとしても

その不名誉な烙印は彼らだけでなく子孫にも捺され続けてしまうことだろう

尊厳は完全に失われ、敗残の身を悔いて、死んだ方が良かったと思うのでは


だからといって名誉ある死などという選択も私からすると好ましく思えない

けれどこの戦いを生き抜いて、敗北しても尊厳を保つことなんてできるのか


閉門直前まで城門前に立ち塞がり、迫る敵兵を突き放して戻った部隊だけは

統率を保っているように見えたけど、あのような騎士たちがどれだけいるか

彼らが掲げる猛禽の旗印は強そうに見える反面、他の旗印が目立ってこない


大公の旗も私の力だけでは持ち上げるのが精一杯だったので周囲の兵たちに

手を貸してもらったけど、それでもしばらく振ってたら腕が上がらなくなる

やっぱり私では力不足なのかもしれない、体力的にだけでなく他の意味でも



城門が閉め切られた後、壁の外側では日ごとに反乱軍の陣地が拡大していき

穂を出したばかりの麦畑が容赦なく潰されていくのを何もできず見せられた


城壁すぐ外は帯状の更地だし、その外側にある建物も多くは無人だったので

反乱軍は難なく接収、木造建築は解体し、石造のものは何かに流用する様子


こちらの城壁から矢が届くかどうかの距離に土塁が築かれ、上には木造の塀

その背後には兵舎などに使うつもりだろう、平屋の建物が続々と出来上がり

またこちらを攻めるのに使うらしい櫓が建てられ、どんどん高くなっていく


大公側の兵たちは、その作業をする人々へ向け城壁から矢を放ってみたけど

よほどの強弓使いが山なりに射てようやく土塁や塀まで届くかどうかだった

それに対し反乱軍は特に反撃するまでもないというのか着々と作業を進める


騎士やその郎党は長弓にこだわるのに対し傭兵は合理的に判断するのが身上

私を護衛する傭兵たちは、強力な弩を作れば届くのではないかと言い出して

早速その日のうちに隊長さんが鍛冶屋町を訪れ、職人に相談してきたという

他の傭兵たちからも同じような発注があって、職人たちも多忙を極めたとの

ことだけど、決戦が始まるまでには相当数が揃い、ある程度の反撃ができた



一方で城壁の兵たちの表情が日ごとに陰鬱なものへ変わっていくのもわかる


反乱軍はこちらの城門と向き合う位置に一早く櫓を建て、兵たちが常に監視

大公側は城門を開けることができず、おかげで反乱軍は時間に余裕ができて

一カ月以上もの期間をかけて絶え間なく工事をして陣地を構築し続けていく

陣地の向こうに残っていた畑は枯葉色になって程良いところで刈り取られた

あっちは収穫を総取りだけど城壁のこっち側では庶民が飢えに苦しんでいる


この頃には一時期、塩も酷く高騰していたらしいけど、後になって考えれば

当然のこと、大公国は塩を輸入に頼っていて、西の海の塩も東の塩湖の塩も

籠城となれば入ってこなくなり、備蓄に頼るしかないので値上がりしたのだ

といっても、そのあたりは宮廷や街役人も承知していて、いざというときの

ため備蓄していた食塩を配給として放出し始め、ほどなく塩価も落ち着いた


食料などの配給に並ぶ人々の列には庶民だけでなく下級貴族も混ざってきた

以前の水準に近い食生活を辛うじて維持する中流から上の者たちに対しては

一部の人々から不満の声が挙がったようだけど、ほどなく聞かれなくなった

怨嗟を訴えた者たちは誰かに連れ去られたか、何らかの手段で黙らされたか


薪炭も同じく値上がりしたけど、これは城下周辺の森林で得られるものだし

籠城前に大量の備蓄を確保しており、消費が少ない夏なのでマシな方だった


街中では、飼っていた馬が盗まれたという話もたまに聞かれるようになった

貧困層の誰かが空腹のあまり連れ去って食べたというのが、もっぱらの噂だ

そういえば街中をウロウロしてた野良犬たちも激減した気がするけどまさか……


猫たちも息を潜めているようで、いやこれは単に私の甲冑姿が怖いだけかも

ともあれ人間以外の動物の姿は城下で滅多に見掛けられなくなってしまった

城下の多くの人々は遠からず攻め込まれるだろうと想像し、ただ怯えた様子


その想像を裏付けるように、障害物を置いた場所に点々と兵力が配置される

そういった拠点を私が甲冑姿で訪れると、決まって兵たちは奮い立つ様子を

見せたけど、そのうちどれだけがカラ元気、カラ勇気だったかはわからない


背後で「あんな小さな女の子まで担ぎ出して」なんて声も聞こえた気がした

けどそこはごめんなさい、私の身体的成長は早期に止まっていたようなので

年齢より幼く見えたかもしれない、もっと立派な身体つきなら良かったのに



睨み合いの末に反乱軍は総攻撃の体制を整えたのか、城壁を取り囲む土塁や

櫓に完全武装の兵たちが整列していき、城門に向かい合う位置にある最大の

櫓の上には、その反乱軍を率いる女性、つまり大公の娘でもある姫が現れた


ああ、あれが本物の姫、そして我が身を振り返れば貧相なものだと思い知る


あの姫ならば、兵たちを率いて最前線で戦うことだって、きっと難しくない

男の兵士と見比べれば一回り小柄だけど、私より背が高いのは間違いないし

腰に着けた剣も重さを感じてなさそうな様子で旗や槍なども軽々と振り回し

駆け回ったり櫓を登る身軽な様子から甲冑を着こなしているのも見て取れる


似たような装いをした女騎士たちを従え、その中でも際立った存在感を放つ

まるで遠い昔の伝説の物語の中から現代の大公国に現れた英雄女傑のようで

その姫と対峙することも私に求められてきた役割だけれど、ただ圧倒された


彼女はこれほどの大軍勢の頂点に立って大公の治世に終止符を打たんとする

まさに本物の姫であるのに対し、私なんてきらびやかな甲冑で飾り立てられ

役を与えられ傭兵たちに振られるまま旗を振ったりするばかりの傀儡くぐつの人形

中身は単なる街娘でしかなく、右も左もわからず戸惑い右往左往するばかり


姫が大公や貴族たち、そして城下の庶民たちに呼び掛ける声は朗々と響いた

獣の精霊の名を持つ姫、麗しい声音ながらも皆を畏怖させる動物的な威圧感


曰く、兵を挙げたのは大公の統治を終わらせ新たな世を作らんがためであり

命を奪うことが目的ではない、抵抗せず受け入れるのならば生命は保障する

むしろ今からでも協力してほしい、でなければ武力で攻め落とす以外にない

攻撃の準備は全て整っており、次の日の出とともに全軍が作戦を開始すると


これに対し傀儡の姫はともかく、城壁の騎士たちも傭兵たちも何も返せない

大公側は、姫とその軍勢からの最後通告に対し、ただ沈黙で返答をした形だ


圧倒されつつも、しかし降伏する気などないことは、私にだってすぐわかる

だから私は大公の旗印に手を掛け、傭兵たちに力を貸してもらい精一杯振る



宣言どおり明くる日の出とともに始まった決戦は、私の想像とは全く違った

あの大軍勢が最初から大挙して城門や城壁に押し寄せるのかと思っていたら

城壁を上回るほどの高さの櫓が幾つも迫ってきて、中では兵が弩を構えてる


最初だけは私も城壁に上がり、楯を持つ傭兵たちに守られて旗を振っていた

城門の上は広くないから、傭兵たちは私の周囲に楯を持ってしゃがみ込んで

私が旗を振るのを二人ほどが手伝ってくれる、というか一緒に振ってくれる

そのとき向かいの塀の上に鎧を着こなし颯爽と駆け巡る姫が現れ目が合った

気がするけど、こちらへ向けて無数の矢が放たれ、それどころではなくなる


周りの兵たちは「フロラ様をお守りせねば」と声を挙げ私の前に楯をかざし

矢を受け止めようと必死にかばってくれた、けどそのために自分自身の守り

がおろそかになって矢を受けた者も多く、私は彼らのためにも退くしかない


すぐさま私も身を伏せ、兵たちに案内されるまま這うように石段へと向かう

そのときに気付いたけど、身近にいた兵たちの楯は、ほとんどが無傷だった

それに対し矢を受けた者たちの悲鳴は、私より離れた場所から聞こえていた


反乱軍の矢は的確に実働戦力を狙ってる、その方が戦闘を有利に進められる

一方で私のように何もできない者など狙う価値すらないのだなと思い知った


城壁からの石段を転げるように降りたものの、護衛についてくれていた兵の

うち三名は既に息がなく、他にも十名近く重傷で手当を受けるため離脱する

と隊長さんが私に報告するのを聞いて、私は涙を堪えながら思わずこう言う


「皆さんが私を守るよう義父から命令されていることは知っています。

 けど、私のために皆さんが命を投げ出すようなことは、私が嬉しくありません」

「フロラ様……」

「それに私は、向こう側の姫様と違って最前線では無力、いえむしろ足手まといでしょう。

 今後、私は少し下がった位置で、危険を避けつつ、皆さんを応援することにします」


義父お抱えの兵たちは騎士にも負けぬ忠義者揃いで、つい忘れかけてたけど

傭兵なのだ、妙なこだわりを持つ騎士よりずっと合理的に戦える貴重な戦力

武器選びにしても、鍛冶屋町の職人が強力な弩を十数丁は作ってくれていて

これを使えばあの距離でも届く、反撃できると喜ぶ様子を私も見ていたのに

単に目立つ私でなく傭兵たちを反乱軍の矢が狙ったのも、その意味では当然


なのに皆は私の護衛を優先してくれて、そのために命を落とした者までいる

何の戦力にもならぬ私が、これ以上彼らの戦いを邪魔することは許されない

いくら役目とはいえ一矢も報いることなく命を落とした兵たちに申し訳ない

そんな思いがこみ上げて涙となって溢れてくる、ああだめだもう止まらない


その涙も、兜や籠手をつけてるから拭えなくて、流れるままに言葉を続ける

そんな私の声を、隊長さんを筆頭に傭兵さんたち全員が跪いて聞いてくれる

周囲では、正門内側広場にいた大勢の兵たちまで、静まり返って聞いている

こんな情けないところだけ、本物の姫みたいに注目されなくたっていいのに


でも今ここで伝えておかないと絶対に後悔すると感じて、全てを言い切った


「だから隊長さん、私の護衛も最小限でいいです。他の皆さんは、私なんかのためでなく、皆さんが大切にするもの、命を賭す価値があると思えるもののためにこそ、思う存分に戦ってきてください。

 そして結果がどうなろうと、納得するまで戦ったなら、できるだけ生きて帰ってきてほしいです。でないと私が悲しみます」

「……お心遣い、深く感謝いたします、フロラ姫。

 ご下命に従い、旗持ちと楯持ち、ほか数名だけ御身の許に残します。他の者たちは、我らが姫と仰ぐフロラ様の、その名に恥じぬ働きをして参りましょう。そして戦いの後、必ずや生きて戻って、姫様の御前に再び参上します」

「はい、待ってます。

 私も、やれるだけやってみますから、皆さんもどうかご武運を」


身辺に残った少数の兵たちにも、いざというときは私を守ることに拘泥せず

隊長たちと同様にせよと命じた、そう、私が彼らにとって姫だというのなら

この姫の命令を守ってもらおう、生きて帰ってくるようにとの大切な命令を


そしてこれが、私こと傀儡の姫にできる精一杯の、彼らへの応援だったのだ




◇大公政権最後の日々


攻撃が始まったと知って私を心配し、宮廷から駆け付けてきた義父と義兄に

私は先の事情を説明、良い判断だと褒められたものの全然嬉しくはなかった


二人は私の身辺に残っていた兵たちに対し私が危険に陥る場面を避けるよう

にと指示を与えていたようだけど、私は現実でない物事のように聞いていた


このあたりから、私は自分で自身の感情の動きを止めてしまったのだと思う

力不足だという自覚を言葉にした時点で街娘の魂は活動を諦めてしまったか

文字通り傀儡のようになっていた私には、ただ五感で受けた記憶だけが残る


身辺に残ってくれた傭兵たちも各方面から情報を得ては私に聞かせてくれた

戦場の記憶には私自身が見たことと彼らが伝えてくれたことが混在している



城壁やその付属の塔を上回る高さがあって、迫り来る櫓は非常に厄介な脅威

大公側からは櫓を焼け落とそうと火矢を射かけたりもしたようだったけれど

城壁に面した側は鉄板で覆われていて矢は弾かれて地面に落ちて火も消えた


しかも反乱軍が使っている弩は極めて強力なものらしく、こちらの長弓では

山なりに射る距離から、向こうの矢は真っ直ぐ飛んできて城壁の石に刺さる

中には重さも太さも桁違いの矢、というより槍そのものみたいなのも射られ

強固な鎧も貫く威力があって屈強な騎士でも一撃で動かなくなるほどだった


義父の傭兵たちが特別に作らせた強力な弩は、数少ない反撃の手段となった

別の宮廷貴族が抱える傭兵たちも同じような弩を用意して城壁から反撃する

けれど反乱軍は櫓の背後の塀にも無数の弩を配置し、矢数でも大きく上回り

次第に城壁からの矢は減っていき、それに合わせ反乱軍からの応射も減った


さらに続いて土塁の背後で何らかの大掛かりな仕掛が動いては、大きな石や

落下と同時に弾ける小石の詰まった袋などが弧を描き城壁を越え飛んでくる

次々と降ってくるので兵たちも後退するしかなく、私はさらに遠ざけられる

石弾は城壁の補修部分など脆い箇所を崩すほどの威力だったし、小石の袋は

当たった場所の周囲の人々に被害が出るから、怖くて誰も前に出たがらない


城壁の内側に沿っていくつもあった天幕や仮設兵舎も次々に潰されてしまい

休息の場も失った兵たちは城壁から少し離れた路地に雑魚寝する羽目になる



物凄い数の矢玉から避けようと、兵たちが城壁を降りて遠ざかり始めた頃に

飛んできはじめたのが、おそらく反乱軍の秘密兵器だろう「柔らかい弾」だ

油っぽい泥のような中身を布か革の袋で包んだようなもので、当たると飛び

散り周囲に付着、これが城門の内外に集中して投射され城門付近は泥まみれ

同様の攻撃は正門だけでなく、裏門など城壁の出入口全てで一斉に行われた


この泥が何なのか、私も周囲の兵たちも城下の人々も、すぐ知ることになる


ひとしきり泥を塗りたくったところへ、何本もの火矢が続いて飛んでくると

激しく燃え上がり、慌てて兵たちが桶で水を掛けたものの、まるで消えない

物凄い炎と熱気のせいで近付いた者たちの衣服に火が着いたり、頭髪が焼け

焦げるなどしたため距離を取らざるを得ず、城内の人々は手を拱くばかりだ


何時間か経った頃、城壁を守る騎士の誰かが奥の手を考えついたのだろうか

兵たちの一団が巨大な樽を積んだ荷車を幾つも持ち出してきて突進していき

城門を目掛けて荷車ごと勢いよく叩きつけて壊し、大量の水を浴びせかけた


城壁の外で水道が断たれたときに備え備蓄していた貴重な水だったのだろう

しかしその水も激しく蒸発するばかりで炎は消えない、そればかりか周囲の

城壁の巨石が甲高い音を立てて弾けて割れ、あっという間に崩壊していった

高温になっていた石材が水で急激に冷やされたことで砕けた、と誰かが言う

続いて城門と一体だった石造の塔も城壁の崩落で支えを失ったのか倒壊する

その瓦礫の中で城門は倒れず残ったものの、まるで火柱のようになっていた


反乱軍は、燃え続ける城門の扉を目掛けてさらに泥を投入し炎の勢いを増す

崩れた石垣で弾けた泥が予想外に跳ね飛んだのか、正門内側広場にいた兵が

幾人か全身を炎に包まれ、もがき苦しんだ末に断末魔の悲鳴を上げて倒れる

居合わせた他の兵たちが水浸しにした毛布で包んだものの消せはしなかった


その様子が反乱軍からも見えてたか、城門を焼き尽くせるくらい投入したか

用意した弾が尽きたかはわからないけど、ほどなく燃料の追加もなくなった


そして籠城側も消火を諦め、あとは遠巻きに炎を避けつつ、それでも城壁の

上に残っていた勇気ある者たちが反乱軍に向けて散発的に矢を放ったりする

けれどもこちらからの矢に対し、反乱軍は数十倍ありそうな数の矢を返した

本格的な攻略に向けて、城壁や城門から大公側の将兵を遠ざけるのが狙いか


私は流れ矢が危ないからと護衛の傭兵たちに建物の陰になる場所を歩かされ

市街地で広場や路地に点々と置かれた陣地を巡って応援する活動に終始する


閉門直前まで城門の前に立ちはだかっていた猛禽の騎士の一団は、正門から

真っ直ぐ続く広小路を突き当たった宮殿正面前の広場に堂々と陣取っていた


しかし広小路の途中に幾つも設置されてた数々の障壁は急ごしらえのもので

装備もまちまちな寄せ集めの兵たちが、そぞろに屯してるばかりでしかない


付き添ってくれている傭兵によれば横合いの路地に配置してある伏兵が本命

とのことだったけど、その伏兵の集団は私でも練度が低そうだとわかる程度

やはり最後の守りとなり得る戦力は、宮殿前の騎士たちだけだったのだろう



城門は三日三晩にわたり燃え続け、ようやく火勢が収まってきた頃に残って

いたのは、砕けた城壁や塔の残骸と、消し炭同然になった門扉、表面を補強

していた鉄棒や鉄板が高熱で飴細工のように歪んだ、不気味な形をした物体

誰にだって、ここを反乱軍が易々と越えて突入してくるだろうと想像がつく


夜には、周囲の兵たち皆が「明日いよいよ突入してくるぞ」と噂をしていた

もはや私に何ができるだろう、ただ与えられた役目に従って陣地を巡るだけ

しかも現実感が希薄になりすぎていて、何をすれば良いかもわからない有様

護衛の兵たちに促され館まで戻って甲冑を脱がされるや、寝床に倒れ込んだ


起こされたのは未明、まだ東の空が僅かに明るくなり始めた程度の時間帯だ


反乱軍に動きがみられるとの知らせを受けた私は寝台を出て支度をしたけど

そのときの記憶は明瞭なのに、私が自分で考えてそうしたという認識はなく

傀儡の姫は決戦の朝にも、与えられた役割を自動的にこなそうとしたらしい


そして周囲の者たちも、傀儡の姫が動けば自動的にそれに沿って活動をする

使用人たちが身に着けてくれて甲冑姿となり街路の一角に設けられた陣地に

向かう途中、城門の方から両軍のものらしき喚声が、ひときわ大きく轟いた


「ついに始まったか」「もはや俺も覚悟を決めないと」などと、私の周囲に

いた兵たちが口々に言い合って、反乱軍が入ってくるであろう城門の方へと

勇んで駆け出していって、決戦の初日に私が伝えた通り、彼らの戦いへ赴く


このとき身辺を離れた兵たちは、「ここは危険です、姫様はお屋敷か宮殿へ」

といった声を私にかけたはずだった、けれど私の耳には何も届いてなかった




◇傀儡の姫と反乱軍の兵士、のち看護婦


まだ現実感が戻らぬ私は、まるで夢の中で取り残されたように感じてたけど

実は現実の私も、周囲に守ってくれる兵たちは皆無となり取り残されていた

気付けば、私が振って戦意高揚を図るはずだった大公旗も傍らに倒れている


庶民たちは何とか戦いを遣り過ごすことにしたのだろう、周囲の建物からは

人がいるような気配を感じられるのだけど、窓も全て閉じて誰も出てこない

城下には町内ごとに防火組織があり、籠城戦でも動員されるはずだったのに

もはや勝てぬ戦とわかって引っ込んだか、そういった人々はどこにも見えず

実は城下で暮らす貴族たちも多くは同様に自宅へ引き籠もっていたのだとか


どのくらい一人のままでいたのかもわからないまま、おそらく相当な時間を

現実感のない状態で浪費していたのだと思う、もうすっかり明るくなってた


朝だなあ、と間の抜けたことを考えている私の耳に、斬り合ったり打ち合う

ような音が聞こえてきて、ときたま怒号や悲鳴が混じっているのが、徐々に

近くなってくる様子だったので、反乱軍が攻め寄せてきたのを理解し始める


「いたぞ! 騎士だ!!」「一人だけか!? 囲い込め!」そんな声がしたのを

認識したので声のした方を振り向くと、槍などを携えた男たちの集団だった

揃いの服装に、鉄板を曲げて作った兜や肩甲、鎖帷子といった防具もお揃い


あの服や鎧は城壁から見たっけ、反乱軍の歩兵たちか、もうここまで来たか

靴底に打ってある鋲が、石畳を踏み締めるたびにカチャカチャと音を立てる

私の近くにいた兵たちも似たような靴だったけど石畳を前提とした底なので

鋲の数は少ないのだろう、野や畑で戦ってきた反乱軍の方が騒々しい感じだ



と、ここでようやく我に返った、いや、本能が街娘の魂を目覚めさせたのか


兵たちが「騎士」と言った相手とは誰なのか、どうみてもこの私しかいない

慌てて反対方向へ駆け出そうとするけど、鎧が重すぎて走ることさえ難しい

走ったら足音が余計に大きくなって、鎧の中で反響して耳にまで届いてくる


だけどこの甲冑は誰かに手伝ってもらわないと兜さえ脱げないような代物だ

籠手だけでも重たい上に指を器用に動かせなくて兜の緒を緩めるのさえ困難


鉄の板を加工して作られた鎧兜は身を守る能力が非常に高いとはいえ身体を

動かせるようにするため各所に隙間があるし鉄板の厚みも大したことはない

そもそも私の鎧は子供用、大人用に比べると軽く作るため鉄板はさらに薄い

しかも私のために追加してくれた彫刻の分、もっと強度は落ちているはずだ

つまり強力な一撃からは身を守れないだろうし、隙間を狙われても危ないし


義父からも私が戦うことなど全く期待しておらぬと言われてるし、逃げよう


背を向けて走り出した私に向かって何本かの矢が放たれ、兜をかすめたもの

もあれば胴鎧の背中に当たったのもあって、強く叩かれたような感じがした

城壁に向けて使われたものより小型の、つまり威力も弱い弩だったのだろう

鎧とその内当てのおかげで助かったようだけど、もっと近寄られたら危ない


ただの街娘でしかない私が物語の騎士のように勇ましく戦えるはずもないし

要するに今の私は絶体絶命、こんなことなら引き受けなければ良かったかも


まだまとまらない思考を何とか巡らせ、彼らを引き離せそうな道筋を考える

幸いにも、このあたりは小さい頃に育ての家の弟や妹たち、それから近所の

悪ガキやら何やら色々な友達とも一緒に走り回ってた萬町で細い路地が多い

けど私は覚えている、ええとたしかあの路地からそっちへ曲がれば、たぶん……


「あ痛っ! ……っ~~」


昔は背丈よりも上にあった角の張り出しの下に、兜の額を思い切りぶつけた

今も小さい女の子と言われつつ、その程度は背が伸びてる絶妙な成長っぷり


顔全体を保護してるから大した怪我はしてないと思うけど、兜は視界が悪い

せめてこれだけでも脱いで、それで小娘だとわかれば反乱軍の兵たちだって

問答無用で矢を放ったり槍を突き立てたりせず、話くらいは聞いてくれると

思うのだけれど眉庇を上げるのが精一杯、息を切らしながら逃げ惑い続ける


そうして路地から路地へ抜け、あれっこの先は広い通りだったかもしれない

と思い出したときは既に勢いがつきすぎてて、無理に止まろうとして躓いて

勢い余って顔から石畳の道路に倒れ込んでしまって甲冑は激しく音を立てる


「うぐっ!!

 ……うぅ……」


そのいまいましい鎧兜のおかげで、ひどく頭を打ったりはしてなかったけど

むしろ身体より気持ちの方が痛かったから思わず泣きそうな呻き声が漏れる

そこへ不意に、石畳にキュッキュと擦れるような特徴ある足音が寄ってきた


「大丈夫? すごい勢いで転んでなかった?」


足音に続いて頭上から兜越しに聞こえてきた声は、若い大人の女性のようだ

その調子に敵意などは感じられないし、それどころか心配されてる気がする……?


「身体中が痛くてよくわかりませんけど、大怪我はしてないと思います」


頭の悪そうな返答をしてしまった、鎧は重いし走り回ったせいで力が入らず

起き上がるのは無理と確信、どうにか残ってた力を振り絞って仰向けになる

けれど、転んだときの勢いで眉庇が下りてしまったようで、視界が良くない

その女性が眉庇を上げてくれて、ようやく面と向かって話せるようになった


濃い藍色の服の上に真っ白な前掛けと帽子と手袋という装い、何かで聞いた

ことがある、反乱軍の病院で働く看護婦たち、つまり非戦闘員だ、助かった!

内乱が終わってからは前線で活躍した衛生兵など男性も加わって、看護師と

総称されるのだけど、この頃は女性ばかりなので看護婦と呼ばれていたのだ


彼女は私の目を覗き込み、一瞬だけ怪訝そうな表情をした後に、吹き出した

何故笑ったの!? よほど私が情けない表情をしていたのか他に何かあるのか……


「こんな立派な鎧を着てるなんて事情ありそうだけど、戦うのは無理そうね」

「こんな残念な鎧なんて私もう脱ぎたいんです。手伝っていただけませんか」

「お花ちゃん悪運だけは良いのかしら。この形の鎧なら私も手伝えると思う。

 じゃあ、まずは兜から脱ぎ脱ぎしましょうねー。ちょっと顎上げられる?」

「はい……」

「この金具ね、……を開けて、次はこの紐を解いて、こう抜いて……、っと」


この看護婦さん、ひょっとしたら騎士の家柄か何かの出身なのか手慣れてる

品のある立派な大人っていう雰囲気で一つひとつの仕草にも落ち着きがある

あと何だか、私をかなりの子供扱いしているような気がする、気のせいかな


「あの、私、そんなに子供じゃないんですけど。これでも一応十七歳で……」

「あらそう。でも剣は振れそうにないし鎧に着られてるんだから子供でしょ?

 おまけに逃げ回って転んで敵の一員に見つかって安心してるようじゃ……」

「やっぱり安堵した間抜け顔を笑ったのですか? あとお花ちゃんって……」

「気付いちゃった? えらいわねー。

 よし、外せそう。今度は顎を引いてー……、はい脱げた」


その瞬間、兜の下で蒸れてた空気が発散し、一気にさっぱりした気分になる

それに、やっと頭が自由になったので思考能力まで回復したような気がする

まあ兜の下で結って薄い布で巻いてた髪が隙間から幾房も垂れたり跳ねたり

してたはずで、さぞ情けない姿だったと思うけど、そのときは気にも留めず


「はー……、ありがとうございます」


朝の空気を身体一杯に深呼吸して礼を言うけど、まだ身体を起こす力は出ず

というより、もはや安堵して気が抜けて、ほとんど力が入りそうになかった


鎧と兜が干渉して制限されていた首の動きを確かめるように、顔を上下左右

動かしてみたり、頭に手をやったら籠手の感触だったので思わず手を見たり

そんな私の様子を観察してたのか、看護婦さんは私の鼻を拭って話し掛ける


「鼻血は、やはり鼻の頭ぶつけただけのようね。少量だし、もう止まってる。

 ……で、どうする? 間抜けな騎士のお嬢さん」

「鼻血? えっ?」

「戦う意志がないのなら、私たちが保護する。あなたは反乱軍の捕虜になる。

 そうでないなら……、もうそろそろ来そうだけど……」

「えっと、それってまさか……」


彼女が顔を向けた方向に私も目をやると、さっきの兵たちの鉄鋲底の足音が

駆け足で迫ってきていて、まだ私は降伏宣言をしてなかったことに気付いた


「な、ないです、ないです。もう許してください戦うなんて無理ですから!」

「ふふっ、わかった」


看護婦さんがそう言い終わるかどうかのところへ、兵たちが駆け込んでくる


「いたか!?

 ……って、あれ? 看護婦の姐さん?」


きょとんとした顔で立ち止まった兵士たちに、彼女は鋭い表情でこう言った


「はい、あなたたち回れ右! 女の子がお着替え中です!!」


着替え中って……、そりゃたしかに、これから脱ごうとしてますけど、鎧を


「でもそいつ、騎士じゃないんですか?」「え?」「女!?」

「この子が騎士か何なのかまで知りませんが、もう戦意はないから私の仕事。

 あなたたちも任務に戻る。嫌がってる女の子の尻なんか追い掛けてないで」

「いやしかし」

「しかし何?」

「すみません、失礼します!」


彼女が睨みを利かせたら、屈強な男たちが決まり悪そうな顔で去っていった

姫といい、この看護婦さんといい、実は反乱軍では女の方が強いのだろうか

ぽかんとして見上げる私に気付くと、看護婦さんは表情を緩めて目を合わす


「さて、次は胴鎧かな。さっさと脱いで、おとなしく身体を見せなさいねー」

「いやあのその言い方ちょっと何かいやらしくないですか!?

 先に籠手を外していただければ、あとは自分で何とか……」

「いいから。ほら動いたら駄目。さーてお胸はどうかなー?」


優しそうに見えるけど、これはきっと違う、怖い、この看護婦さん危険かも……


こうして、男だらけの戦場での私の初陣は惨憺たる結果に終わったのだった




◇傀儡の姫の虜囚の日々


それから私は鎧の金物部分を一通り脱がされて布と革の内当てだけにされた

この下は肌着と下着だけになるから看護婦さんも脱がさないでくれたものの

身体の発育を見てか「思ってた以上にかわいい」と笑われてしまい大変遺憾


看護婦さんの指示に従って身体のあちこち動かしてみて、鼻血を除けば他に

大した怪我もないのがわかると、看護婦さんは私の手を引いて立ち上がらせ

少し離れた場所に停めてた荷馬車へ連れて行って有無を言わせぬ調子で乗せ

馬車の傍らにいた護衛らしき兵に、置いてきてた私の鎧兜を取りに行かせて

前掛けのポケットから手帳を取り出し、私の名前など聞き出して書き込んだ


そういえば、このとき初めて鉛筆というのも目にしたのだっけ、といっても

当時それどころではなかったから意識していなくて、後になって思い出した


「あなたは捕虜になるけど、暴れたり逃亡したりしようとしなければ大丈夫。

 まあその気もないようだし、ここに乗ったままでいれば運んでもらえるわ。

 ただ、武具は証拠品として預かることになるから、そこは我慢しなさいね。

 上手くすれば返ってくるかもしれないけど、今は確実なことも言えません」

「ありがとうございます。もう鎧なんて着る気もないですし、お任せします」

「陣地では尋問を受けると思うので、協力してくれるものと期待しています。

 私たちは今日、物凄い数の捕虜と物凄い数の負傷者を相手にするはずだし

 その後始末だけで何日もかかりそうだから忙しいのよ。死にそうなほどね」


有無を言わさぬ調子で畳み掛ける、手間をかけさせるな、ということらしい

もう私は反乱軍に身柄を預け、煮るなり焼くなりしてもらおうと思っている


ただ、捕らえられた敗軍の将の運命は人それぞれ色々だ、同じ敗軍でも私の

ような傀儡の姫は、果たしてどのような扱いを受けることになるのだろうか



その後も看護婦さんは馬車を離れては、両軍それぞれの負傷兵を連れてきて

馬車に乗せたり護衛の兵士に引き渡したりして、忙しそうに行き来していた

看護婦や兵士は他にも何人もいたし、少数ながら医師も加わっているようだ


ゴム引き底という少し風変わりな看護婦の靴は、石畳の上の足音が心地好い

まだ伯爵領で実用化されて数年とかいう最新の靴は彼女たちの制服の一部で

軽い上に濡れた石畳でも滑りにくいから、動き回りやすいのだと後で聞いた


同じ場所には数台の荷馬車が停めてあって、「積荷」で使い分けている様子

隣の馬車は負傷した部位に包帯を巻かれた兵たちが次々に乗り込んできては

満員になると出発、すぐ別の馬車が同じ場所に来て、また負傷兵が乗り込む


負傷の程度は人それぞれ、着衣も包帯も真っ赤に染まって痛々しい人も多く

自力で動けないほどの重傷で応急担架に乗せられたまま馬車に積まれる人も


無傷の私まで彼らと同じ扱いを受けてていいのかと、何だか少し後ろめたい

いやまあ鼻血は出てたらしい、看護婦さんが笑ったのって鼻血の方なのかも


私が乗せられた馬車は女性用なのか、流れ矢か何か深手で応急手当を受けた

貴族夫人が担架で乗せられると陣地で本格的な治療を受けるというので出発


その夫人と少し言葉を交わしたところ、反乱軍では貴族たちの館を把握して

いるらしく個別に部隊を送り込んで制圧しているそうで、家の人々が心配だ

私のように無抵抗で投降しているなら、捕虜となって命は助かると思うけど

義父や義兄はどうだろう、抗戦しようとしても多勢に無勢で重傷か討ち死に?


私の身近な人が痛みを味わうところを想像すると、やはり嫌な気持ちになる

傭兵さんたちも、きっと奮戦してるとは思うけど、無事に戻ってきてほしい



荷馬車が走り出したのは昼前くらいだっただろうか、城門の残骸や瓦礫など

邪魔になりそうなものは既に脇へ除けられ、その間を馬車が通り抜けていく

城壁の外へ出るなんて本当に久し振りだ、景色もずいぶん様変わりしている


まず城壁には、数日前に弩を撃ち込んできた櫓が幾つも取り付き、そこから

跳ね橋みたいのが城壁まで渡してあり、そこを反乱軍の兵が行き来している

城壁に向き合って築かれた巨大な土塁は、ところどころ切れ目が作ってあり

奥の方から櫓が出てきたのを城壁から見てたっけ、入ったら反乱軍の陣地だ


陣地内の建物は木造で仮設のようだけど、かなりしっかりした作りに見える

それが無数に並んでて、まるでもう一つ城下町が作られたように思えるほど

数日前まで城壁の上から見てたけど、こうして中に入ってみると本当に圧巻


相当な戦力を城下に突入させているだろうに、まだ陣地には多くの兵がいる

ほぼ全員が揃いの制服に身を包み、様々な作業をてきぱきとこなしているし

防具を着け武器を携えた兵たちが整然と隊列を整えたまま、きびきびと歩く

籠城側にいた人々の、どこか乱雑で無秩序な印象もあった動きとは対称的だ


大量の石弾や柔らかい弾を投射したと思しき巨大で複雑な兵器は幾つもある

もし仮に大公の下に英雄がいたとしても、一人二人では勝ち目もないだろう

そういえば、あの宮殿前に陣取っていた猛禽の騎士は結局どうなったのかな

強そうではあったけど、あれほどの軍勢に攻め込まれては守りきれないよね


私がこれまで読んできた物語はあくまでも物語、私は現実を知りたくなった

この国が何故このような事態に陥って、どのように事態が推移してきたのか



私が捕虜として収容された反乱軍の陣地の部屋では鎧の内当ての代わりにと

捕虜の虜囚服を与えられたけど、男物しか用意がなくて私に合う寸法もない

とのことで大きすぎ、とはいえ現状よりずっとマシだからと一人で着替える


長すぎる袖や裾を何回も折り返して手足を出そうと格闘していた頃、建物の

外から物凄い喚声が上がったけど嬉しさと悲しみとが入り混じって聞こえた


その中の幾つかの声に集中して拾って聞き取った内容は、夜になって職員が

伝えに来てくれた結末とほぼ違わず、大公と姫が一騎打ちの末に差し違えて

残った宮廷貴族たちは敗北を認め降伏を受け入れ、内乱が終わったとのこと

内乱に勝利した喜びと、姫を失った嘆きと、両極端の声だったというわけだ


あんなに輝いてた本物の姫が亡くなってしまったなんて、私まで悲しくなる


その一方で、ほとんど役に立たないまま敵に捕らえられた敗軍の傀儡の姫は

こうして生きながらえ、いや、これはいわゆる生き恥を晒すという状況かな

ともあれ結果は受け入れるしかない、私は反乱軍に身を委ねると決めたので

あと義父や義兄は宮廷に詰めてたはずだから、きっと同じく捕虜になったか

私は自分でも意外なほど落ち着いていた、気懸かりなのは傭兵さんたちだけ


二十三代大公と、その血を継ぐ姫の死で、三百数十年に及ぶ大公国の歴史も

終わった、私は実に間抜けな着替え中の姿で、その瞬間を迎えたのだけれど



ともあれ反乱軍は勝利し、決戦で大公側にいた者たちの多くは反乱軍の捕虜

貴族や騎士に傭兵たち、そして私も含めた捕虜は陣地で虜囚の日々を過ごす


反乱軍は膨大な数の将兵と職員が細分化された役割を分担している巨大組織

強烈な存在感で率いてきた姫を失っても、彼らは変わらず任務を続けている

たとえば収容された捕虜の世話、その部屋の監視や警備、そして尋問なども


虜囚の待遇といえば隙間風吹く牢屋に着の身着のまま襤褸で身体を隠すのみ

身体の汚れを拭う布一つなく食事も水も最低限で用を足すのも小さな桶一つ

女性だろうと男の兵たちの悪意に満ちた監視下でそれを済ませねばならない

床は板張りか石敷か土間で冷たくて寝台も毛布もなく横になっても眠れない

尋問は拷問で、ありとあらゆる責め苦に苛まれ身に覚えがなくても白状する


みたいな話をよく本で読んでたけど、反乱軍のそれは驚くほど居心地が良い


一応は陣地の建物の一角に収容され部屋の戸には鍵を掛けられて監禁状態で

入口には女性兵が警備について脱出も困難だとは思うけど、割と普通の部屋

部屋は隙間風もなく私の寝室より少し狭いけど余裕で、さすがに窓は小さく

格子つきのが天井付近に幾つか、外は見えないものの採光と換気には充分だ

七月後半あたりの暑い時季だったし、開けっぱなしで程良い通風を得ていた


建物自体は陣地の兵舎などと同じく木造二階建て、まだ木材の匂いが新しい

室内には、標準よりずっと小さな私の身体には広々とした寝台と、小さな机

水差しと小さな茶碗もあって、これらは割って自らの身体を傷つけるなどの

行為を避けるためか陶器ではなく木製で、わざわざそのために作ったらしい

水が足りなくなったときは遠慮なく兵や職員に頼めば補充するとも言われる


職員に頼んだら筆記具や紙ももらえて、獄中日記など書いたりして過ごした

このとき初めて触れたのが鉛筆だ、そういえば看護婦さんも使っていたっけ


黒鉛に粘土か何かを混ぜて細く焼き固めた芯を木の板に埋め込み棒状に成形

先端を細く削って使うという筆記具、これはなかなか優れた発明品だと思う

黒鉛棒に似た筆跡ながら、はるかに細かい字を書けるし手も汚れなくて便利

削るには小刀でもいいと思うけど小さな刃を組み込んだ専用の道具をくれた

まあ捕虜に刃物を与えると何をするか予想できず危険だといった考えだろう


夜は、少なくとも夏場には明かりをつけず日の出日の入りに合わせて寝起き

差し入れられた本も窓から射してくる光で充分に読めるから早起きしていた

冬場や長雨だとどうするかは聞きそびれた、私はその季節の収監経験ないし


用を足す際は、警備上の都合とのことで断って別の部屋へ案内してもらって

しなければならないけど、上と下が少し開いた扉でほぼ全身が隠れる個室に

女性捕虜には女性の兵か職員が戸の外で少し離れて待機してくれているだけ



人によって期間や内容、厳しさなどは違ったらしいけど、私も尋問というか

取り調べというか、そんな形で反乱軍の人たちに色々と質問されたのだった


私はというと、どうやら女性士官というらしい、反乱軍でも上の方の地位に

いる女性や、その下で働く女性の職員などと話をしたけど尋問ぽくなかった

姫が率いていたおかげか、女性の捕虜には女性が対応するのが決まりだとか


それはそうとしても、私に対しての「尋問」は、大半が雑談だった気がする

学校に通っていたこと、読書が趣味なこと、親はいないけど育ての親たちが

優しくて血の繋がらない妹や弟とも仲良しで、暖かい家族で暮らしてたとか

宮廷貴族に気に入られて養子になって、その家が今の新たな実家であること

あと家族や友達との思い出や、学校での日々、好きな料理やら得意料理など


そんな話ばかりで、傀儡の姫の経緯や義父との関係さえあまり話題にされず

籠城や決戦の際のことなど、むしろ意図的に避けているのかと思うほど皆無


まあ私の素性や経緯など大した裏もなく、義父や傭兵たちの供述で事足りて

ごく単純に傀儡の姫の中身がどんな小娘なのか、興味本位で聞いたのだろう

その割には毎日、朝食から昼食くらいの間ずっと「尋問」が行われてたけど



翌日には少年兵用の制服を着るように言われ、割と合ってしまい微妙な気分

でも数日のうちに私に合うものが用意できたとして何着かの差し入れが届く

もはや制服すら諦めたか、今度は制服に似た一般向けの既製服なのだそうで

陣地内にある売店で私の体型に合う寸法のものが手に入ったという話だった

反乱軍の人間たちが自宅に残してきた子供たちの土産用に売られているとか


この陣地のさらに外側には、将兵や職員が家族と一緒に暮らせる住宅もあり

彼らは仕事のため陣地に通う生活、なのでその日のうちに土産を渡せるのだ

こうした近所の子供たちは、内乱中は陣地への立入を規制されていたけれど

戦闘が終わった今は、許可を得た子供たちが陣地に入ってくることも増えて

私も「尋問」などのため出歩く途中、それらしき子供の姿を何度か目にした


当時気に入ったのは看護婦の制服の色違い、かつ寸法違いといった雰囲気の

シャツとスカートが一体化してて襟から裾まで幾つもあるボタンを留める服

前掛けや手袋などは必要ないし、この服だけなら普段着にも良さそうな印象

兵や職員の制服に似せた既製服も、動きやすいし丈夫そうで、旅に良さそう


下着や肌着も私に合った品が一通り与えられ、着替えは洗濯までしてくれる

寝床も高級ではないにせよ充分に清潔で柔らかいし敷布などは毎日のように

交換してくれるから不快に感じることもほとんどなくて、ぐっすりと眠れる


食事も三食決まった時間に部屋まで届き、育ての家や義父の家ほどではない

ものの内容も分量も満足できる、けどこれもごく普通の兵卒用なのだという

しかも食材や調理法も多種多様で、初めて味わう料理も多かったから毎食が

楽しみだったし「尋問」の話題にも事欠かなかった、なお職員たちによると

陣地内の食堂で毎食作っているそうで、籠城中の配給を思い出し落差を知る


もう本があれば何日でもゴロゴロしてられそう、身体を動かす趣味はないし


でもやっぱり一人きりでいると戦場で命を落とした人々の姿が脳裏に浮かび

あのとき私にもっと力があれば違ったのか、いや一人二人では駄目だろうし

なら他にどんなことをすれば彼らが死なずに済んだか、などと考えてしまう




◇拾われたお花と広々とした湯船


陣地の各所には風呂場もあって、捕虜も毎日決まった時間に入浴が許された

ほどなく大公国全土に広まった公衆浴場というのを、私はここで初めて知る

捕虜は時間を分けて入浴しており、私は午後に女性職員の付き添いで女湯へ

同行してくれた職員と一緒に、かなり長い時間ゆっくり浸かることができた


おかげで明るい中で陣地の様子を見ることもできたけど、逆に私も注目の的

そりゃこんな小娘が捕虜として陣地を歩かされてたら誰だって気になるよね

たまに呼び止められて話し掛けられたりしたものの、付き添いの女性職員が

適当にあしらってくれて、余計な詮索をされることがなかったのだけは幸い


こんな広い浴場に皆で入浴する習慣、もちろん城下では当時なかったものだ

傀儡の姫も中身の街娘も、育ての家でも義理の実家でも個室の小さな浴槽に

少量の湯を張って一人、小さい頃は親と一緒に入浴するのが日常だったから

たっぷりのお湯なんて贅沢だなと思いつつ、多くの人たちが入浴できるなら

むしろ割安かもしれないし、捕虜の入浴時間も将兵や職員、看護婦たちなど

普通に入浴してきて、実に多種多様な女性たちと裸の付き合いをすることに


すると反乱軍には意外なほど元貴族やその使用人だった人が多いと気付いた

いろいろ話を聞くと、城下から遠い地方領主の中には大反攻の後くらいから

続々と反乱軍に寝返る者がいたし、それに従い使用人たちも反乱軍について

そのまま兵や職員、看護婦などの仕事を得て、庶民たちに混ざっているとか


他にも雇い主である領主が滅ぼされたり捕虜になって仕事を失った使用人や

反乱軍が迫る前に解雇され、自分の生活のため反乱軍で働くという人もいた

将兵たちの生活を支える様々な仕事があり、軍でも働き口に困らなかったと



ゆったりした気分で様々な人とお喋りできるものだから楽しくなってしまい

つい時間を忘れるし色々と興味深い話も聞ける、あのときの看護婦さんとも

翌日だったか偶然にも洗い場で隣り合って、思わず咄嗟に胸を隠したけれど

他愛もない話などをして、彼女も割と普通の女性だとわかって少し安心する

最初ちょっと怖いと感じたのは、患者や後輩には厳しく心掛けてるからとか


私の想像通り騎士の家柄という彼女は長いこと姫の山荘で看護婦をしている

そうで、「夫は弱いくせに軍に志願するというから勝手にしろと離婚した」

とか言いつつ、その元夫が無傷で戦いを終えたことを喜んだりしてて大人だ

しかも私が、収容されている間やることがなくて暇だと伝えたら、ほどなく

何冊かの本を差し入れてくれて、例の貴族令嬢の最新作もあって嬉しかった


看護婦さんは仕事柄その小説家さんと知り合いで、しばしば彼女の許を訪れ

体調を確認するついでに雑談して新作まで一早く読めるというから羨ましい


その貴族令嬢の筆名はイオン、貴族としての名はウィオラというのだそうだ

実は内乱初期に反乱軍の捕虜となって以後ずっと僻地の館で軟禁状態だけど

当人は読書と小説書きで満足している様子と聞かされて他人事とは思えない

「そういえば、あなたも少し彼女と似てるところがありそう」とか言われた

「歳も近いようだし、もし会う機会があったら、ぜひ仲良くしてあげてね」


ついでに知ったのだけど、反乱軍では活版印刷という新たな技術を取り入れ

軍務や行政などの様々な文書を大量に印刷しており、もちろん普通の書籍も

同じ技術で大量に印刷できるようになって今では安価に出回っているという


私が知る印刷といえば、頁ごとに版木を彫って作る木版だけど、それに対し

活版では金属で作った「活字」というのを一文字ずつ組み合わせて版を作る

おかげで長い文章でも短時間で印刷できるけど、挿画には彫った版が必要だ

そこには木版を使ったり、銅版印刷という別の技術で作る必要があるという

あと大量に出版されてるせいか、装丁も安っぽく感じられる点だけ少し残念

いや活版でも丁寧な装丁を施せばもっと立派な本ができそうな気もするけど



そういった話をしてたら周囲の入浴客も混ざってきたけど私が珍しいのかな

あとほとんどの女性将兵や職員さんたちは私が傀儡の姫だと知ってるらしい

おそらくこういう場があるから噂話も急速に広まるのだろう、きっとそうだ


この反乱軍の入浴習慣は裾野地方や伯爵領の風習を取り入れたものだそうで

心身を休ませ調子を整える効果があるとして奨励され、多くの陣地に浴場が

設置してあって将兵や職員は休憩時間などに無料で好きなだけ入れるという

また内乱の途中から、それぞれの浴場が独自に薬草を浮かべるなどの工夫を

するようになり、浴場どうし競い合って入浴客を取り合うようになったとか


そういえば洗い場に置いてある石鹸も貴族が使うような香り付きの上等な品

反乱軍では、こんな日用品も上質なものを大量生産できる体制を作っていた


で山荘には昔から石積み漆喰目地の公衆浴場があり、裾野地方や伯爵領では

各集落にも、もっと規模は小さいけど同じような公衆浴場がいくつもあって

庶民も普段から親しんでるんだよと教えてくれたのは、日焼けした肌の女性

男の職人たちに囲まれて育ったせいだという口調も特徴的な、技術士官さん


「でもこの浴場は木で作られているんですね」

「ああ、オイラ伯爵領の出だから、公衆浴場といえば木の浴槽なのさ」

「そうなんですか?」

「そ。伯爵領はこういう風呂ばっかだよ。伯爵領といえば港、港とくれば船、

 ……そして木の湯船! ってね」

「船……?」

「実家は船大工でね、たまに船でなく浴槽の注文も来るんだ。水が外か内かの違いだけで、船も風呂も水を漏らさないのが大事。水を漏らさず木材を巧みに組むのは、船大工の得意分野ってわけさ。

 な、一緒だろ? 湯“船”っていうだけに」

「はー、なるほど。そういう繋がりだったとは」

「木の浴槽は早いよー。材木と職人が揃えばすぐできるし、できたらすぐ入れるからね。

 石やら煉瓦やら積んでも、漆喰目地が固まるまで時間かかっちまうからな、こういう野戦陣地には向かんのよ」

「それに、石や煉瓦は重くて、ここまで運んでくるのも大変そうですものね」

「そそ。お嬢ちゃん話が早くていいね。

 まあ丸太や材木だって重たいけど、水に浮くから川に流したり船で引っ張ったりすると楽に運べるのさ。そんで手近な川岸で引き上げて、最後ちょっと陸路で運ぶだけ」

「知恵ですねー」

「これも伯爵領じゃ当たり前。港には材木が一杯浮いた貯木場もある。

 船の材木なんかも山で切り出したのを川に流して、港まで浮かせて持ってくるからね」

「面白そう! いつか行って見てみたいです」

「ああ、そのうちおいで。……じゃ、オイラそろそろ上がるわ」


気さくに色々と教えてくれたけど長湯はしないそうで、すぐ上がっていった

職人というのは忙しいから食事も入浴も排泄までも素早く済ますのだという


けれども別の理由もあるのではないかと彼女を知る周囲の人たちが冷やかす


「助手くんが心配だから、っていうのもあるんでしょ?」

「あぁ?

 そりゃあ心配もするさ、アイツまだ子供なんだからな。シャレんならん問題だよ。

 自分の働きで次々に人が死んでくのを見ちまったら、そりゃあ気落ちもするさ」

「そうよねそうよねー。

 早く部屋に帰って、大人の女として優しく慰めてあげなさいね」

「だーかーらぁー、お前らそんな野暮なこと言うなっての」


そそくさと脱衣所へ向かう日焼けした背中を、私は驚きつつ目で追っていく

任務では屋外で様々な道具を扱うため暑くて仕方なく、背中が大きく開いた

服を自作して着てたら、そこがすっかり日焼けしてしまったと言ってたっけ


だけど助手? 次々に人々が……? この人は、どんな任務だったのだろう

疑問を察したのか、私の隣で彼女を冷やかしてた女性職員が説明してくれる


「あの人と、助手の男の子が、この反乱軍の攻城兵器を開発したのよ」

「えっ、あの人が!?

 城壁に向かってきた櫓とか、弩とか、石弾とか……??」

「そのほとんど全部ね。巨大投石機もだし、城門を焼け落とした燃焼弾も。

 しかも助手の男の子は飛び道具の天才で、投石機の狙いをつける任務までこなしてたの。ほとんど標的を外さなかったんだけど、燃焼弾が少し逸れて人を巻き込んだのを気に病んでるみたい」

「それは! ……私も近くで見てました。私の知る限り、一番苦しそうな死に方です。

 自分のやったことが、そんな結果になったとしたら、きっと自身を責めるでしょう」

「でしょうね。……ごめんなさい、思い出させちゃった」

「いえ、戦争ですから、そういうこともあるのだとは理解してるつもりです……」

「上層部もね、できるだけ犠牲が少なくなるよう作戦を立てて、色々な道具を駆使することにしたそうよ。兵力で力押ししたら、両軍にもっと多くの犠牲が出るだろうからって」

「わかります。あんな雨のように矢玉が降り注いだから、大公側では城壁に誰も近寄れなくなったし、おかげで戦おうとする気力も削がれた気がします。城門も炎で近寄れなかったですし、消そうとしても焼け石に水……。

 そうだ! そういえば、あれほどまで熱した石に水を掛けると、簡単に割れたりするんですね! 私、知りませんでした。そういうところまで狙った作戦だったんですか?」

「ああそれね、私の部署。ずいぶん前に大公の城壁で使われてる石材の産地を調べてたよ。熱と急冷で割れやすい石材が多用されていると判明して報告したのは、もう一年以上は前だったかな。まだ本部が橋の街に移る前だったから」


話に加わってきた別の女性職員は、様々な情報を収集する部署の所属という

反乱軍の中には実に色々な仕事をする人がいて、私は知るたびに驚かされる


しかも城攻めの一年以上前から、それを念頭にした調査まで行っていたとは

大公の兵たちは弩や投石機や燃焼弾で死んでいく運命が既に決まってたのか

もしその運命を早くに知って、降伏するなり何なりすれば助かっただろうか

ただ今の時点で確実に言えることが一つ、もはや彼らの命は戻ってこないと


私があれこれ思いを巡らせてる間にも、周囲の女性たちは話を続けていった


「石の種類って、そんなに違うの?」

「全然違う。部署で同じ石材を取り寄せて他の石材と比較実験してたから間違いない。

 この石は特に加熱急冷に弱くて、ほとんどの試験片で脆くなったり割れたりしたって」

「そんな実験してたんだ。大変そう」

「調達は簡単だったけどね、試験片を整えたり実験設備を作るのに手間かかったみたい。あと予算、色々と工夫した炉を作ったら足りなくなって増額申請……」

「だろうねー。ちなみに山荘の石材とかは?」

「あっちは全然。弱点を強いて挙げるとしても、酸に少し弱いくらいしか」

「へー。

 ……ねえあなた大丈夫? 気分悪くなっちゃったのかしら?」

「あら、湯あたりでもしたの?」


私が途中から言葉を発しなくなった様子に気付いて心配したのか、周囲から

彼女たちが慰めるような声を掛けてくれるけど、すぐに私の思考は定まった


「はい、大丈夫。だと思いますが……。

 駄目ですね、やはり私は何もできないバカな小娘です。思い知りました。

 私は、もっともっと、色々なことを知らないといけないような気がします。

 目の前で死んでいった多くの人たちが、何故その運命になったのか、とか。

 そういったのを見極めないことには、たぶん私の中で答えが出なそうです。

 だけどきっと、傀儡の姫だったからこそ見えたこともあると思うし……」


「えっ? あなたが傀儡の姫の中身? あの城壁のお花ちゃん?」


誰に言うとなく口に出すと、少し離れた場所から別の女性が声を掛けてきて

浴槽の中、お湯を蹴立てながらずんずん私に近付いてくると私の頭を撫でる

目を細めて嬉しそうな表情で、小さな子供や愛玩動物を愛でるような感じで


「えっ? あっ、はい。

 まあその中身、のようなものです。お花っていうかハナっていいます」

「そっかハナちゃん。私たちが呼んでた愛称そのままの名前だったのかー。

 えらいなあ。小さいのによく頑張ったね、あの城壁で。本当に勇気ある」

「えっ? えっ?」


かなり背丈がある上に筋肉質で、本物の姫に付き従っていた一人という女性

つまり鎧を着こなし陣地を駆け巡り、櫓に登って弩を射たりしてた女騎士か

本物の姫も戦場で強かったというから、この人みたいな雰囲気だったのかな


そんな人なら私が旗を振るどころか旗に振られる様子も見てたはずだろうに

小さく弱い私が城壁に立って戦いに臨み、かつ生還したことを褒めてくれた


「いやー、こうして見ると本当に小さいね。それに元気そうで良かった。

 こんなかわいい子に怪我なんてさせてたら姫様に顔向けできないもの」

「姫様? ベスティア姫の……?」

「そう、私たちを導いてくれた姫様ね、すごく強くて、すごく優しい人だった。もし小さい者、弱い者が酷い目に遭うようなことがあれば、すごく厳しかったんだよ。でも、もういない。これからは私たちが、あの人の遺志を守って新しい国を作っていくしかない」


この強そうな女性は、亡き姫を思い出して一瞬だけ泣きそうな顔をしたけど

すぐ元気な表情に戻り、情報職員さんが気を利かせて間を空けてくれたので

私の隣に座ると女騎士は、私の肩をそっと優しく、大切そうに抱いてくれた


籠城戦のとき傀儡の姫に付き添ってくれた傭兵たちよりさらに強そうな手で

繊細な陶磁器工芸かの如く私の肌に触れる様子から、その心情が感じられる


「ああ、暖かい。小さくて柔らかくて、力込めたら潰しちゃいそうで怖いくらい。

 感触まで本当にお花そのものって感じなんだね……」


まるで、その手の感触で私が生身の、血の通った人間であることを確かめる

かのように私の肩や首筋、二の腕を撫でて彼女はしみじみ慈しむように言う

ひょっとしたら同じようにして本物の姫の肩を抱いた間柄なのかもしれない

たとえば武芸の鍛錬で汗を流した後に、互いの成長を称え合ったりしながら……


「ハナはさ、本当に生きてるんだよね、今ここに」

「はい、命懸けで護衛してくれた傭兵の皆さんや、反乱軍の皆さんたちのおかげで」

「それを聞いて安心した。

 いい? たとえ仕立てられた偽物の姫であろうと何だろうと関係ない、あなたはあの戦場から無事に生きて帰れたのだから、それだけでもすごく立派。一生自慢していい」

「いえ、逃げ回った挙句、運良く看護婦さんが拾ってくれただけですから」

「それはそれでものすごい幸運じゃない! もしかしたら、いつか誰かを導く本物の姫になる運命があって、そのために死なずに済んだのかもしれないよ」

「だけど私、護衛についてくれた傭兵さんたちを、何人も失ってしまいました。導き手として失格です」

「それは、ハナが未熟だっただけだと思うな。だってあなた初陣だよね? 何の経験もないまま戦場に放り込まれて、自分の身を守るだけでも精一杯だったんじゃないの?」

「その通りです。というか私自身、身を守れていたかといえば、とてもそうは思えません。私がボヤボヤしていただけなのに、傭兵さんたちは飛んできた矢から私をかばってくれて……。

 それに、あの旗を振るのだって、重すぎて私一人では無理で、傭兵さんたちに手伝ってもらって……」

「あはは。あんな大きな旗、普通の女の子には無理だって。騎兵槍の何倍も大変なんだよ。私みたいのが腕力を自慢するために振るようなものなんだから。

 それにね、やっぱりハナには人を導く素質があると思う。今の話でわかった」

「そうなんですか?」

「そもそも護衛ってのは、身体を張ってでも主君を守るもの。だからハナの代わりに矢を受けたのも役割に殉じただけ。本来はね。

 だけど、わかっていたって、自分に付き従ってくれた人が犠牲になるのは悔しい。その気持ちは大事。私もそうだったし、姫様だって表には出さなかったけど同じだったと思う。この反乱軍で兵を率いる指揮官たちは、だいたいみんな何度も悔しい思いをしながら、そのたびに乗り越えて、何とか戦い続けてきた。きっと大公の騎士たちだって同じだったろうし、いくら戦争だから敵だからって、人を殺してばかりいたことにも、みんな苦しい思いをしてたんだよ」

「やはりそうですよね。人の上に立つには、戦だけでなく、心も強くなければ……」

「ああ。

 だけどハナなら乗り越えられるし、きっと大人になればもっと強い心の持ち主になる。そうして成長しながら、色々な人を導いていくんだ」

「と言われましても……。できると思いますか?

 あの甲冑の殻を剥いたら、中身は何の威厳も存在感もない、ただの街の小娘ですし……」


私とは真逆で筋肉だけでなく胸まで立派な女傑さんに言われても私には何の

自信も持そうにないから口許まで湯に浸かるけど彼女は胸を張って言い張る


「できるかどうか私にはわからない。きっと誰にもわからない、まだ今は。

 わからないから、できるかもしれない。できないなんて言いきれない」

「無茶苦茶な……」

「だってそうでしょ? 途中で死んでしまったら、もうそれ以上何もできないんだよ。

 でも生き残ったなら、まだできるかもしれない自分がそこにいる。この先の人生にも、まだまだ時間がある」

「それは、まあ、そうかもですけど」

「そうだね、まずハナは自信をつけて、胸を張れる自分になるといいんじゃないかな。その自信を持てるように、たとえば自分の得意なことをひたすら鍛えて伸ばすの。そのうちきっと、他人にできないことができる自分に気付いて、それが自信を持たせてくれる。

 私の場合は武芸だったけど、ハナは何?」

「私の得意なことっていっても……、読書? くらいしか取り得なんて」

「いいじゃない、読書。それなら今まで以上に色々な本を読み漁って、深くて広い知識を持つといいんじゃないかな。それは使い方次第で物凄い武器になるから」

「そういうものでしょうか?」

「知識は武器。間違いない。どんなに小さくて非力な者だって、この武器を手にしていれば皆の役に立てるんだよ。いくら戦いに強くたって、一人では何人もの相手を守ることなんてできないけど、知識や知恵は数え切れない人たちを、それも手が届かないところや見えないところにいる人たちまで守れる。

 反乱軍にしたって、さっきいた技術士官も凄い人だけど、他にもたくさんいてね、そういう人たちが姫様を支えてきたからこそ成り立っていたようなもの。ここまで来られたのは、ああいう知恵ある人たちが色々な分野の知識や知恵を組み合わせて、戦力を何倍にも、何十倍にも高めてくれたおかげ」


言われてみればそうか、これまで見てきた反乱軍の強さは、単に戦力だけの

強さではない、むしろその戦力を最大限に生かす知識があってこそのものだ

しかも、そういった知識を上手く組み合わせて、さらに強さを発揮している

きっとまだ私が知らない知識や知恵が、この反乱軍には無数にあるのだろう


「そっか……。知識か。少しだけ、前向きになれた気がします。ありがとうございます」

「戦いは終わったんだし、これからの時代には武芸より知識こそ役立つ武器になるはず。

 だから頑張ってね。ハナの将来、楽しみにしてる」

「はい、やれるだけやってみます」


この日は色々な人と喋って少しのぼせてしまったし、捕虜の入浴時間も若干

過ぎてしまったらしいけど付き添っていた職員さんは何だか楽しそうな表情


そういえば私、反乱軍の女性たちの間で『お花ちゃん』って呼ばれてるのか

級友たちからも同じ愛称で呼ばれてたけど、あれは私が読書ばかりで他人に

あまり関わろうとしないのを半ば揶揄するような意図も含まれてた気がする


当然ここでは違う意味が込められてると思いつつ、そこはあまり意識すまい



大公の城壁を飾った小さな一輪の花、何の役にも立てなかったお飾りの花は

城壁から落ちて倒れてたところを敵だったはずの反乱軍の人たちに拾われた

挙句に、むしろ何かと大切に見守られてるし、育ててもらってる気さえする


世直しを目指して突き進んできた人たちが、この新たな世へと私を植え替え

再び根を張り葉を茂らせ花を咲かせよと、私を励ましてくれたように感じた




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