世界樹の物語はアッチェレランドのスピードで

 さすがに授業中は、どの生徒も表向きは静かだった。でも時々、視線が私の方向に突き刺さる。そりゃそうだろうって思う。どうして私の隣に彼が座るのか、本当に意味不明だった。きっと空いていた席が、休学していた私の席と、それから彼の席のみだということは予想できる。


「助かったよ、櫻が教科書を見せてくれて」


 私はコクコク頷いて、できるだけ先生が黒板に板書する方向だけを見ようと、集中する。


(他人の空似、他人の空似!)


 私はお経を唱えるように、心のなかで必死に呟いた。

 とこう君まで、こちら側を見る。


 まるで苦いお薬を飲んだような顔をしていて――私は首を傾げる。


 幼なじみとは言え、やっぱり分からないことだらけ。

 彼も転校生と、お友達になりたいというクチらしい。


(……まぁ、良いけどね)


 窓から風が吹いて。

 月桂樹の香りにも似た――でも、それよりも甘い。あの世界で感じた、世界樹の花弁の匂い。その香りに、包み込まれたような錯覚を憶える


 冷静になろうと、思考を巡らしても、湧き上がってくるのは異世界あっちのことばかり。

 やっぱり、後悔してばかりだった。





■■■





 休み時間のチャイム。

 授業は押していたが、仕方ないと先生は区切りをつける。

 みんなが息を呑む、そんな息遣いまで耳につく。

 授業終了の号令。




 ――ありがとうございました。




 これが言い終わる半ば、みんなは転校生に殺到する。彼がどんな顔をしているのか、その表情はまるで窺えない。


「ウィンチェスター君! 格好良いね! モデルか何かしてたの?」

「ちょっと一人ずつ自己紹介しようよ? クラスの親交を深める意味もこめて、さ」

「良いね!」

「グッドアイディア!」


「……ねぇ、榊原さん。ちょっとどいてもらって良い? あなたはいつでもウィンチェスター君とお話できるじゃない? 良いよね?」


 私が答える余裕もなく、みんなが詰め寄ってくる。その狂乱振りに圧倒されているうちに、いつの間にかその輪から押し出されてしまった。


(まぁ、良いけどね)


 私は小さく息をつく。

 授業が始まるまで、あの場所で時間を潰そう。そう思った私は教室を出ようとして――。



「アステリアが名前よね? アスって呼んでもでも良いかな?」


 そんな声が飛び込んできた。

 そういえば、あちらの世界サイド・ユグドラシルのアスは、貴族令嬢に迫られて、不快感を隠しもしなかった。そのクセ私には無防備なのだから、こっちが勘違いしてしまう。



「気安い――」


 そうそう、そんな風にオブラートに包まずに……とまで思い、首を横に振る。

 彼がココにいるわけがない。


 私は雑念を振り払うように、廊下を出たんだ。






■■■






 階段の踊り場には、ガラスがはめ込まれ、ここから町の景色を一望できる。

 田舎町――田園風景と、繁華街が共存しているような不思議な光景が目の前に広がっていた。

 真夏になると暑くていられないが、ここから見る景色は私はたまらなく大好きだった。


「櫻、良い景色だな」


 いきなり声がして、ビクンと体を震わす。転校生が、さも当然の特権と言わんばかりに、隣へ座ってくる。


 思わず腰を浮かせようとして、その手を掴まれた。掌から、指先へ。優しく絡めとられて。それから、優しく引き寄せられる。


「……え?」


 私は彼のことを思わず、マジマジと見る。こんあ風に当たり前にリードする人を、忘れるわけがない。


「アス?」

「もちろん」


 彼がにっこり笑う。でも、その笑顔もやがて滲んで、私の視界からはぼやけて見える。まるで、魔方陣に飛び込んで、あの世界にサヨナラを告げた日のことを思い出す。でも、あの時と違うのは、アスの体温をその掌にダイレクトに、感じられることで。


「なんで――」

「悪かった」


 アスが私の耳元で囁く。


「……な、なんのこと?」

「貴族どもを絞り上げたんだ。貢献してくれた世界樹の聖女に対して、我が国は冒涜にも等しい扱いをした。本当に申し訳ないと思っている」


 アスが頭を下げるのが見える。でも、今はそんなことよりも――。


「世界樹の花が咲いたのは櫻、君の功績だ。枯れかけた時かろうじて、君を召喚できた時とはまるで状況が違う。今の世界樹なら、定期的に世界と世界を接続ができるかもしれない。でも、その検証に時間をかけすぎた。役人バカどもをコントロールできなかったこと含めて、全部、俺の失態だ。本当にごめん」


「あ、あの、私が聞きたいのは、そういうことじゃなくて……そ、それももちろん気になったけど、クラスのみんなは――?」


 本当はもっと聞きたかった。アスの気持ちもふくめて全部。でも、それ以上前に進むのはどうしても怖いと思ってしまう。


「ん? あぁ、君のクラスメートか。あまりにやかましいから、魔術の実験台に――」

「実験台?!」


 そうだった。世界樹の守護者と言われた、ウィンチェスター王家、王位継承権第一位のアスは、もともと冷血王子と呼ばれていた。その由来は感情を表に出さなかったから。でも、その本当の理由は、魔術の実験にしか興味がなかったから。


 当時のアスは、世界樹に接続ログインする古代魔術と聖女マスターキーの虜になっていたことを思い出す。


「あ、心配しないで。身体への影響は微弱で――」

「当たり前でしょ!」


 思わず、王子の頬を両手で抓る。頑強な騎士を性転換させたり、私を幼女にしたり。彼の黒歴史は、あげたらキリがないほどで。でも、本当に問題だったのは――。


「だ、大丈夫だって。俺の認識を庚君だっけ? 彼にすり替えただけだから」


 にっこり笑って、そんなことを言う。

 今頃、教室では廉君がクラスメートに【アス】と認識されて、取り囲まれている。幼なじみの心境を考えると、思わず目眩を憶えた。


「また魔力の循環不全でしょ?」

「え?」


 ピタリと、アスが私のオデコに、自分の額を寄せる。


「え? え?」

「魔力が閉塞してる。こっちに戻ってから、魔力回路の調整をしていなかったでしょ?」

「あ、アス! その、ちか、近い!」


「ずっとフラフラしていたんでしょ? 医学的治療じゃダメだって、あれほど言ったのに。確かにこっちの魔素は薄いけれど……いや、待って。場所によっては、活性化しているところがあるね。これは興味深い……」

「きょ、興味があるのなら、そっち行けばいいじゃない! バカっ!」


 いつも、そうだ。魔術と世界樹。それ以外は、まるで興味がない。それがアスのアスたる証だって分かっている。どうせ私なんか――。


「でも、俺は櫻の傍にいることが、一番重要だって思っているからね」

「え?」


 そっと、髪を撫でられた。ちょ、ちょっと! もう戦時中じゃないから。怯えていないし。怖くも無いから。ホームシックでも無い。だからそんな風に髪を撫でなくても良い。他の子にしてあげたらいいじゃない――。


「こんなこと、櫻にしかしないよ」


 アスは真面目な顔で、私にそう囁く。


「まずいな。だいぶ回路が梗塞してるね」

「え?」


 私は目をパチクリさせる。アスと出会った時、一字一句同じことを言われたことを思い出した。


「魔力回路がつまったら、外部干渉における起点が必要。気孔が集中している額が最適だけど、まずいね。追いつかない」


 

 あの時、アスに口吻をされた。でもあれは人工呼吸みたいなもので――。



 ――だから、無理矢理の召喚は反対だと言ったんだ! 汝らは聖女をなぶり殺すつもりか!


 官僚達、召喚推進派。

 一方で、自分達の努力で世界樹の再生を試みるべきと、アスを中心とした召喚慎重派。その対立の最中、召喚は実行された。


 召喚されたものの、座標値が狂った。私は世界樹の森を彷徨い歩くしかなった。そんななか、アスが探してくれたんだ。


 私は目を閉じる。

 ――これも魔術の探求の一環だ、許して。

 あの時のアスはそう言った。


「魔術の探求で口吻を許すほど、俺は軽くないけど?」

「それは、どういう――」




 私の唇に触れる。

 桜の花びらが、ひらりひらりと舞って。

 最初に出会った、あの時のように。

 





■■■







 ――貴方を守るよ、世界樹の名にかけて。


 これはね、古の騎士の宣誓なんだ。この誓いを立てた者は、命と引き換えにしてでも、約束を違えることを許されない。世界樹に誓うということは、つまりそういうことなんだ。

 そう彼は囁く。


(なにそれ、そんなの私知らない――)


 一目惚れだったんだ。

 弱くて今にも折れそうで。でも、絶対に自分の意志を曲げない。

 そんな聖女様に惹かれたから。

 だからね。

 彼は言葉を重ねる。唇に重ねる。


(それって……?)


 さらさら。

 風が吹く。

 花弁が、葉が舞って。


 光が眩しい。


 それでも、アスを見ようと、必死に瞳を開けようとして。

 溢れる感情に邪魔される。

 言葉を無理に紡ごうとして、やっぱりアスに声すら奪われて。




 ――世界が二人を分かつくらいで、俺の誓いが揺らぐわけないからね?




 ■■■





 風が頬を撫でるのを感じて、私はうっすらと瞼を開けた。光が差し込んで、眩しさに目を閉じてしまう。


『おはよー、サクラ』


 脳天気な声が響き、私は目を丸くする。ずっとえていた、それだけでも驚きなのに。こっちの世界に聞こえなかった今はエルの声が、はっきりと聞こえる。


「魔力回路の梗塞が解消されたからだろうね」

「え?」


 アスの声に思わず戸惑う。

 気付けば、私はアスの肩にもたれかかっていた。


「あ、ごめ――」

「しばらく、そうしていて。処置後は、副反応の影響も考えられるから」

「う、ん……」


 思わず唇に指先で触れて。


「アス?」

「なに?」

「私、あの――」

「よく寝てたね」


 ふんわりとアスは笑む。夢――だったのかな。でも、私の制服のに桜の花びらがついていて。触れると、まるで震えるように消えていく。世界樹の魔術が発動された証だった。


「アスなんだよね?」

「だから。そう言っているよね?」


 この姿勢だったら、アスから私の顔は見えない。思わず彼の肩で自分の顔を隠すように、俯いてしまう。


 嬉しい。

 ニヤけてしまう。


 もう絶対に会えない。そう思っていた人が私に会いにきてくれた。夢と現実が混在するような感覚に囚われながら。嬉しくて仕方ない。そんなことを漫然と思うと――欠伸が漏れる。


 世界樹の花。蜜。その甘い香り。魔術で、私を無理矢理寝させようとしているのが分かった。すごいな、アス。それともエルが告げ口したんだろうか?


 こっちに帰ってきてから、全然眠れてなかった。でも授業が……それにアスが……。思わず、アスの腕を掴んでしまう。


「ちゃんと、傍にいるから」

「うん……」


 アスが言葉にしてくれだたけで、胸の中が安心感で満たされていく。だってアスは、誓った約束なら絶対にたがわない。そんなことを考えていたら、私はあっさりと夢のなかへ落ちていった。







 葉がさやさや揺れる。花弁がひらひらと舞って。そして、囁きが小幕を震わせる。


 ――王子は素直じゃないよね。

 ――うるさいよ。

 ――別に夢のせいにして誤魔化さなくても良かったんじゃないの?


 ――今回も前回の接吻アレも、僕にとってはノーカウントだから。


 ――櫻が自分じゃなくて、故郷の方をを選んだからって、そんなに意固地にならなくても……。

 ――そんなんじゃない。


 ただ、とアスは呟く。

 これは夢。だから、これはきっと私の願望でしかない。そう思いながらも、嬉しくて無意識に唇の端が綻んでしまう。




「世界樹への誓いは、簡単に捨てられるほど安くない。俺がどれだけ、櫻のことを想ってのか、ちゃんと理解してもらわないと」

「櫻の心臓がもたないかもだけどね」



 心地よくて、なんて自分勝手な夢。

 でも今だけは、もう少しこの夢を見ていたい

 

 だから、ちょっとだけ手をのばして――。


 指先に、絡むその温度を感じながら。

 私は、無防備に微睡み続けたんだ。

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