魔装ガールズ 第4話
晩夏。
夕景の日を、憶えている。
幼子が二人、横断歩道傍の歩道にいる。
片方は可愛らしい、ごくありふれた少女に見える。
片方はしかめ面で、まだ随分気温が高いというのに長袖をしていた。
その袖の下にある痣の跡を知っているのは、そこにいる二人だけ。
夕焼けが、目に痛かった。
しかめ面の女の子は左手を目元にかざした。
信号が青に変わる。
つないだ右手を引かれる感覚。
二人で渡る横断歩道を―――。
その貌は夕焼けに溶けて、良く見えない。
1
目を覚ました。
遠い夢を、視ていた。
いつのころだったか、幼馴染のあいつとの面白くもない記憶だ。
布団から体を起こす。
洗面所で顔を洗い、制服に着替える。
時刻は午前八時。
学校に遅刻する時間だけど、どうせ担任も遅いから問題ない。
押し付けられた委員の仕事なんて端からやる気もないし、それも問題ない。
朝食に箱買いしていたカロリーメイトとウィンダーゼリーを口に入れる。
とっくの昔に味なんてわからなくなったそれらを胃の中に落としながらネットニュースを見た。
『都心でU《アンノウン》B《ビースト》の出現、被害は過去最高のものに』
全く魅力のない見出しの記事が板切れの中で踊っている。
UB――世界中で出現し、暴れだす生態も出現場所も不明な巨大生物。
要するにでっかい化け物。
いつの間にか、頻繁に世の中で暴れていた化け物。
私の幼馴染は、そいつらと戦っている。
2
新宿。109前スクランブル交差点。
夜の闇の中、異形の翼竜が飛翔していた。
アンノウンビーストである。
交差点の中央に四人の少女。
それぞれが腕に『宝玉』のはまった
一人は紫苑の髪。紫苑の瞳。すらりと白く伸びる肢体と切れ長で静かな眼差しはひときわ目立っている。
一人は橙色で短めの明るい髪。背は低いが強気な眼差しをしている。
一人は灰色の髪。伏し目がちな目元に小柄な体躯で地味そうな印象をしている。
そしてもう一人は、肩までの髪を茶色に染めている。程よく整った顔立ちと平均的な体躯、印象には残りづらい。
それぞれに
四人は一斉に装置を起動した。
『宝玉』から装置を通して流れたエネルギーをもとに
「いこう」
紫苑の髪をし、蒼の装甲を纏った少女――千樹カナリアが告げる。
四人が飛翔した。
それぞれがそれぞれの色を纏い、虚空に線を残す。
翼竜型のUBは既に音速の領域にその速度を突入させんとしていた。
それど彼女らもまた速度を上げ始めている。
『宝玉』のエネルギーを利用した彼女たちはどこへだって飛んでいける。
四人は音速の領域に突入した。
一番最初にUBに追いついたのは橙の少女――白戸焔だった。
「おりゃあ!」
焔は『宝玉』から流れるエネルギーをこぶしに集中させ、下からたたき上げるように翼へと叩きつけた。
バランスを崩したUBは旋回を始めた。
「……ッ!」
墜落する寸前、灰色の槍が幾重にも出現し、UB全身を貫き空中で固定した。
灰色の少女――月詠凪がエネルギーを収束させて実体にしたものだ。
「ハアッ!」
空中で動けないUBの上空を『白』の装甲を纏った少女、――孤宮若葉が陣取り、エネルギーを固めた弾丸をライフルの如く、雨の如く降らせた。
しかしこれらのダメージを振り切り、UBはさらに速く飛翔した。
だがその飛翔はまもなく終了した。
「―――――」
蒼と紫苑の混じる閃光。
音速を超え、絶速とすら言えるような刹那の一閃。
UBがずれた。
斃されたUBは灰燼に帰し、あとには何も残らない。
その場には四人の、装甲を纏った少女たちが残され。
後から、現場処理の大人たちがやってきた。
3
【UB対策室】
「お疲れ様だ。諸君」
会議室に一同が集められ、前方に陣取る対策室のリーダーである西条が声を通した。
子供のような幼い外見であるが、そこにいる誰もが彼女に視線を向ける。
かの若き人材が認められている証拠だった。
「有働」
西条が声をかける。
彼女の右隣にいた有働光彦が立ち上がり、事務的な連絡を下した。
身長の高い、切れ長の眼差しをした彼は西条光の名実ともに右腕であり、信頼も厚かった。
「………以上です。皆さん、今日もお疲れさまでした。各自ゆっくり休んでくださいね」
【メンテナンスルーム】
『今日のお仕事もおわり! ちょーつかれた!』
という旨のメッセージを若葉は幼馴染の斎田ひなたに送る。
既読だけがついて返信がないが、彼女たちにとってはそれが普通の事であったし問題ない。
若葉が既読を確認してちょっとにやにやしていると。
「いやー! 今日は二連続かー! 疲れたわー」
大きく伸びをしながら、白戸焔は明るくそう言った。
「そうだねー、疲れたねー」
合わせて、携帯をしまい、そんな気のない返事を孤宮若葉はしていた。
対して、残りの物静かな二人はもくもくと体調検査と着替えを行っていた。
「……」
月詠凪は部屋の隅でもくもくと着替え。
「―――」
千樹カナリアはとっくに必要事項を終わらせて待機の姿勢を取っている。
『宝玉』と呼ばれる未知の物質が発見されたのは数年前の北極でのことである。
それはUBという謎の危険生物が発生した時期と奇しくも同時期であった。
その『宝玉』とされる物質に内包されるエネルギーはそれまで存在した、あらゆるエネルギー物質とはその在り方を異とするするものであり、その波長はUBと呼ばれる存在にのみ有効であった。つまりはUBと呼ばれる存在を効率的に殺傷するための毒のようなものであったのだ。
しかし、そのエネルギーを引き出す媒体がなければ物質の内に秘めた対UB用のエネルギーを引き出せないことが分かった。
要するに、『宝玉』とは特定の因子を持つ人間を媒体とすることでしかその力を発揮できず、その特定の人間に安全に力を引きださせて戦わせるのが奇才、或守幸が作った
そしてソレを使うことが出来るのは現状、この四人だけである。
「やあ諸君、今回も君たちの健康状態に異常はなかったよ。まあ君たちが使っているのが奇才であるこの私が作った完璧なデバイスなのだから当然だけどね。まったく、この私が貴重な人材である君たちの負担になるようなものを作るわけがないのだから、毎度毎度のメンテナンスなんていらないんだがね。仮に君たちが体調を崩すことがあるとすれば、それは君たち自身の不摂生によるものだからね。気を付けたまえよ」
デバイス開発者兼技術主任の或守が四人のもとに訪れた。
世界中で最もUBと『宝玉』それらにまつわるエトセトラに詳しい学会の異端児である。
軽快かつ一息でそれらの文言を彼ないし彼女は語る。
或守という人間の性別は誰も知らない。
或守にとっては生物学的観点以外ではどうでもいいことらしい。
「まったく、最近の私は『宝玉』の正体を探るのに忙しくて出来れば君たちに時間をかけたくないのだが……大体なんだ超古代文明って、私の専攻に歴史はないぞ、ふざけているのか……」
「大変ですね、或守さん」
このまま愚痴を言わせていると長いので若葉はここらへんで話を区切った。ついでにねぎらいの言葉をかけておく。すると、
ふむ、と或守は悪くないなという顔をして。
「まあいい。さ、さっさと帰り給え。この奇才である私に残業なんかさせないでくれよ」
そういって、しっしっと言いたげに腕を振るった。
機嫌がよくなったらしい。
「さ、帰りましょうか」
「んー、そうだな。帰ろ」
若葉はそう言って、それに焔が追随する。残りの二人は、はい。とかうん。とかといった生返事をして部屋を出た。
全員が帰路につい他のを確認して。
「ふむ……」
或守は何かを考え込むような仕草をした。
やがて部屋は暗室となった。
4
「諸君、今日は二連戦、お疲れだったな」
「お疲れ様」
メンテナンスルームを出て、UB対策室も内包している東京のはずれのビルの外。すっかり夜も更けたところで四人は西条主任と有働副主任の二名とばったり出くわした。
「最近はUBの活動がどういうわけか活発化している。貴女たちには苦労を掛けるけど、それもこの国、ひいては世界の平和のため。これからも頼むわよ」
「主任の言う通り。君たちには苦労を掛けるね。でも『宝玉』の力に選ばれた君たちなら大丈夫だよ。ね?」
西条の言葉に続いて、ぽん。と傍にいた凪の方に手を置きながら有働も彼女らを激励する。
思わず俯く凪をしり目に、どこからかクラクションか人を呼ぶ声がした。
「おーい、焔―」
「ん? あ、母さん。未来もいる!」
停められた車から焔の母、白戸美緒がまだ赤ん坊の妹である未来が出てきた。
白戸美緒はパート帰りに学童保育から未来を預かって、そのまま焔を迎えに来たのだろう。
「じゃあ、お先に失礼しまーす!」
大きく手を振りながら焔は家族のもとに向かった。
白戸家は母子家庭で白戸美緒は普段、パートで日銭を稼いでいる。
だが、誰の子供かもわからない未来を妊娠、出産して家計に限界が来ていた。
白戸焔が戦う理由はそのため。ひいては金のためだった。
がんばってるな。すごいな。
そう、若葉は彼女を思う。
若葉が戦う理由も同じく家計のためではあるけれど。焔ほど切実でもなかったから。
切実な理由で、それでも明るい振る舞いの彼女をすごいなと思う。
自分が戦う理由って、何だろう?
「で、では、わたしはこれで……」
「え? あ、うん。月詠さんも、お疲れ様」
「い、いえ……」
ぼそぼそと月詠凪が別れを切り出した。
彼女の家がどこにあるのかを若葉は知らない。
あまり人付き合いの得意でない人なのは雰囲気からわかるので深追いはしていない。
あまり激しく動くことや争いごとが得意ではない彼女がそれでも頑張って戦う理由を若葉は知らない。
いつかもう少し仲良くなりたいなと、若葉はこっそり思っている。
割と手ごたえを感じているのだけれど。
もうちょっとかかりそうかなとも思う。
「では、私たちも退散しよう」
「ええ、そうですね主任」
そういって西条と有働の主任副主任コンビは建物の中に戻っていった。
官僚クラスの大人にお休みなどないのだ。
夜がすっかり更けた暗闇の山奥に若葉とカナリアが残された。
「……」
「……」
「…………若葉、今日、来る?」
しばしの沈黙の後でカナリアが若葉に聞く。
その表情は静謐なままで何の感情も浮かんでないように見える。
けれど。
「もしうちが行かいって言ったら、カナリアさんと日下部のおばあちゃんが今晩何食べるつもりなんです?」
「……ん」
若葉のちょっと意地悪な問いかけにカナリアは少し考えて。
「コンビニでお弁当を」
「もう夜遅いですよ。お弁当が売り切れちゃってるコンビニも多いです。それに、栄養のバランスが偏っちゃいます」
「ん。それもそう。じゃあパクチー」
「いやそれ代案じゃないですよ! だいたい、普段のカナリアさんほっとくと買い置き詰め合わせのパクチーばっかりむさぼってるし。正気じゃないですよ」
「正気。何故ならパクチーは美味しいから」
「いやパクチーって料理に彩や風味を加えるためのものでそのまま貪るものじゃないですから。一食にカウントしないでください。……って、話脱線っしちゃいましたね」
「うん。私は若葉が今日、来てくれるかを聞いたから」
「うーん。そうですね。行きます。日下部さんにもまたご挨拶したいですね」
「うん。ご飯も作ってくれると嬉しい」
「はいはい」
うん。うれしい。とカナリアは答えた。いつもの静かな口調に聞こえるけれど、聞く人が聞けば割とほんとにうれしいと思っていることがわかる。四人の中で一番付き合いが長い若葉にはなんとなくカナリアの感情の変化がわかるようになっていた。
だから、生意気な返事をしつも若葉はどこか嬉しそうだった。
5
郊外のどこかうらびれた下町の小さな一軒家。
『日下部』という標識が引っかかっている古びたその一軒家が千樹カナリアの住居だった。
「ただいま」
「おじゃまします」
カナリアと若葉が玄関を開けて暗い家の中に入ると、奥から険しいまなざしの老婆が出てきた。
「なんだい。遅かったじゃないか」
「うん。今日はたくさん戦ったから。時間がかかった」
「ふーん。で、お連れのあんたは? またアタシにたからせる腹積もりかい? こちとら年金暮らしの貧乏老人だ。金は出さないよ」
「もちろん。お金が欲しくて来たわけじゃないですよ。ただ、大事なセンパイとその保護者のおばあさんが不摂生な食事をしているのが気に入らないだけです」
「ふん、そうかい。好きにしな」
「はーい、好きにします。お邪魔しまーす。あと台所借りますね」
そういって若葉は日下部家にあがり、台所に迷いなく向かった。
それから手馴れた様子で持ち込んでおいた食材を調理し始める。
「あ、カナリアさん! ご飯の前にパクチーは止めてください! 入らなくなっちゃいますよ!」
「大丈夫。もしゃもしゃ。ちゃんと食べられる。もしゃもしゃ」
「ダメですよ。口の中がパクチー一色になったら、うちがせっかく作ったご飯美味しくなくなっちゃうじゃないですか」
「? それは美味しくなったということでは?」
「……いや、あの小娘の言う通りにしなよ、アンタ……」
日下部が割と信じられないものを見る眼差しでカナリアにツッコミを入れた。
不肖不肖といった感じでカナリアはパクチー(お徳用)をしまった。
……どこで売ってるんだろう。と日下部氏は思う。
そんな感じのやり取りを済ませると若葉が調理を済ませて居間に料理を持ってきた。
焼きホッケと簡易なコールスロー、白飯に味噌汁。
といった、実に夕食らしい夕食だった。
「なんかぱっとしないね」
「食べるだけの人は気楽でいいですよ。ってあれ? 日下部さんの腕時計、止まってません?」
「いいんだよ。これは旦那の形見なんだから。さっさと食うよ」
「あ、そうですね。ほら、カナリアさん」
「ん」
「……アタシの旦那みたいな返事するんじゃないよ……」
三人が今のちゃぶ台に揃った。
「いただきまーす」
「いただきます」
「はいはい、いただきますっと」
三者三様に挨拶をして、同じ食事に手を付ける。
「うん。美味しい」
「ありがとうございます。日下部さんは?」
「ああ、うまいよ。伊達に定食屋の娘じゃないよアンタは」
「ふふん。そうでしょう。もっと素直に絶賛してもいいんですよ?」
「調子に乗るんじゃないよ。そこまでじゃないわ」
「ううん。とても美味しいと、私は思う」
「流石カナリアさん! 話も舌もよくわかる!」
「……いい性格してるよ、この小娘は」
そんな和やかな会話が古びた家の中に広がった。
穏やかに、時間が過ぎていく。
千樹カナリアに両親はいない。
肉親はいない。
日下部とカナリアは血のつながらない赤の他人同士だが、紆余曲折を経て日下部が身元引受人となった。
カナリアが初めてUBと戦った時、彼女には身元がなかった。
10歳半ばの彼女はみすぼらしい服と『蒼の宝玉』、それから類まれない戦闘センスのみしか持ってはいなかったのだ。
彼女の存在を知るものは世界のどこにもいなかった。
そんな彼女だからこそ、自分に近しい人のことは大切にしていた。
一緒にご飯を食べている二人を見て、カナリアは目を細めた。
人の営みというものをよく知らない彼女ではあるけれど、今この瞬間の胸のぬくもりが、幸福であることぐらいはわかった。
6
日下部家での食事と後片付けを終え、若葉は電車に揺られている。
車窓から見える眩い景色の中にぽっかりと空いた暗闇が見えた。
今日、彼女たちが戦った場所だった。
一つ一つの明かりが地上の満天を作る中に虚のように空いたその暗闇は酷く不安げに見える。
まるで光を取り込むブラックホールのようであった。
若葉はただ、その虚を見つめていた。
「ただいま」
定食屋「小河」。
そこが孤宮若葉の家である。
旦那に逃げられた若葉の母が女手一つで築き上げた城である。
そんな家の家計に余裕を持たせるために、若葉は働いている。
戦っている。
裏口から家の中に入る。
時刻はまもなく天辺。
母は明日の仕込みを終えて既に眠っていた。
若葉は入浴を済ませてパジャマに着替える。
ものが少ない、がらんとした自室の、敷きっぱなしの布団の上に転がって天井を見た。
電灯の紐が、揺れている。
若葉は目を瞑った。
夕景の日を、憶えている。
あの日、父親がいなくなった。
どうしてかはわからないけれど、幼いながらに不思議な納得があった。
カンカンと、遠くで、踏切の音。
そっと、誰かの手に触れた。
それは、夕焼けが、痛かったから。
7
昼休みのチャイムで目を覚ました。
随分と、古いユメを視ていた。
寝ぼけ眼を擦りながら、貌を上げるとあきれ顔の幼馴染がいた。
「わかば」
「ひなたちゃん……」
「酷い顔ね。午前中の授業、ほとんど寝てたんでしょう? 寝不足よ」
「う~、不摂生なひなたちゃんのほうが明らかに睡眠時間が短いのに……なぜ、……」
「経験の差でしょ? あんたはほら、いい子ちゃんだし」
「……ふぁっしょん不良め。委員長のくせに」
「やりたくて
はんっ! といわんばかりに言いきってしまう斎田ひなたを若葉はにへら笑いで見上げる。
「……ひどい顔」
「ひどいよ、ひなたちゃん。二度も言った」
「だってほんとに阿呆みたいな顔してるんだもの。顔洗ってらっしゃい」
「へ~い」
昨日、UB退治という大きな仕事をこなした若葉ではあるけれど、彼女は齢十六の少女であり、本分は(あくまで名目上であると考える者もいるけれど)学生である。
ということで学校に若葉は来ている。
月曜日も相まって、ひどく肩が重く感じていたのは事実だった。
女子トイレで顔を洗う。
水浸しになった自分の顔面を若葉は見た。
目の下の隈をが浮き出る。
肌も随分荒れていた。
朝方何てもっとひどかった。
だけど、今は随分ましな感じがする。
いや、人前にはとても出れないけれども。
はぁー、と一つ大きなため息をついてから、速攻でメイクを施し、若葉は女子トイレを出た。
出たところで。
「ん」
「あ」
若葉は焔とばったり出くわした。
8
若葉は16歳。
焔は17歳。
なお、焔は留年しているので同じ学年である。
普段はあんまり接点がなかったが、実は同じ高校に通っている二人である。
ちなみに対UBとして魔装少女歴は若葉のほうが先輩だったりする。
冷静に考えるとなんだか面倒なんだが、そこらへん焔はフランクだったのであんまり考えないでいいのは楽だった。
そう、白戸焔は非常にフランクな人物なので。
「お弁当、一緒に食べない?」
と聞いてくる。
「う、うーん。そうですね……」
「敬語、使わなくっていいっていったじゃん? てか、職場だと全然使わないし。で、どう?」
「……あー、友達と食べるので」
「あぁ、ひなた! じゃあ、ひなたも一緒に食べよう!」
「断る」
「おわぁ⁉ びっくりした!」
にゅっ、とひなたが現れて即答した。
「ひなたちゃん……気配を殺して人の後ろに立つのは止めよう」
「なによ。アンタたちが身の毛もよだつような相談をしていたのが悪いわ」
「えぇ……」
困ったような頭を掻きながら焔はひなたを見る。
見られてひなたは目を逸らした。
「焔。あのね、ひなたちゃんは、その、……賑やかなのが、だめなの……」
「あ~……」
「ちょっと。まるで私が陰キャのコミュ障みたいに言うのやめてくれる? そうだけど」
「認めるんだ……」
「事実だし」
「そうだね……うん、そういうことだから、焔、うちは……」
「別にいいわよ。若葉はそこな陽キャと食べてくればいいわ。私は独りでもいいし」
「ひなたちゃん……そういうところだよ。っていうか、教室にいなかったっけ? どうしてこっちまで?」
「トイレよ」
そのまますたすたとひなたは女子トイレの中に入っていく。
「……ごめんね。ひなたちゃん、ああいう子で」
「う、ううん。いや、なんとなくわかるよ」
わかるってなにが? と聞こうとしたけど、焔の眼差しはどこか遠くを見るようで、なんだか聞けなかった。
その後、中庭で若葉と焔は二人で昼食を摂った。
焔は購買で買ったであろうサンドウィッチと牛乳。
若葉は朝方に作ったお弁当を食べた。
ひなたのために作った分はまだカバンに入れっぱなしだった。
自分の夕食にすればいいかとボンヤリ考えた。
9
午後の授業が終わった。
若葉はそそくさと帰り支度をしてから、さっさと帰路についた。
夕焼けの中を歩いている。
ボンヤリと足を止めて、赤い太陽を見た。
たまに、若葉は自分でも不思議なくらいセンチメンタルな気持ちになる。
普段の自分は割と優しいと思う。
世のため人のためになることをすることにためらいとかもない。
そこら辺の損得抜きに行動できるし、いいことなら積極的にやっていいと思う。
ただ、ドライだなとも思う。
人の痛みはわかるけど、自分が痛んだりはしない。
泣いてる人間に適切に対処するけど、寄り添ったりは別にしない。
哀しいお話も、愛にあふれた物語も、いい話だね。とは思うけど、それだけ。
ただ、時々、本当にたまに、ちょっと夕日が目に痛くなる。
どうしてだろうと考えて、不意に肩を叩かれた。
「あた」
「そんなに強く打ってないわよ」
ひなたが夕日の中に現れた。
そのかおは逆光でよく見えない。
「おなか」
「うん?」
「おなか減った。アンタのお弁当、当てにしてたのに」
「いらないんじゃないかと」
「そんなこと、一言も言ってない」
そういえばそうだった。
「お昼、食べてないの」
「食べてない」
「……食べる?」
ひなたは頷いた。
夕暮れの公園でに女子高生が二人。
片方は委員長タイプの見た目で、しかめっ面のままお弁当を食べている。
片方は普通に可愛いタイプで、お弁当を食べているほうをにやにや見てた。
「見られてると食べずらいんだけど」
「えー、ひなたちゃん我儘だー」
「いや、何見てんのよ」
「ひなたちゃんがお弁当食べてるところ」
「なんで?」
「なんとなく」
「別にいいけど」
「いいんじゃん」
「別にいいわよ」
「いいんじゃーん」
「うっざ」
「ひどー」
ひなたがお弁当を食べ終える。
「ん。ごちそうさん」
「はい、お粗末様でした」
若葉が空になったお弁当箱をしまう。
二人とも、そのまましばらくは公園のベンチで動かなかった。
空の紅に青よりも暗い色が混じる。
水に二種の絵の具を溶かしたように見えた。
ただ、静かだった。
UBが発生してから、真っ先に捕食されたのがカラスで、夕方に鳴く彼らはもう絶滅していた。
だから、夕方は静かだ。
静寂だけが、ただ、二人だけの時間を溶かしていく。
「ねぇ」
不意にひなたが口を開いた。
それは、憧憬の伴う遠い声だった。
「昔、二人で家出したことあったわね」
「―――あ、うん。憶えてる。こんなかんじの夕焼けも、憶えてる」
幼い頃、家庭環境に問題があったふたりは、ふたりだけで家出をした。
夕景の日。
目に痛いくらいの赤。
ふたりで、ここではないどこかへ行って、今までとは違う二人になろうとした。
そんなことを、考えて。
「でも結局うまくいかなかったよね」
「そりゃそうよ。大体私たち、いくつだった?」
「うーん。小学生ぐらいだったよね」
「そんな小さな子供が一体どこに行けるっていうのよ」
ひなたは、目を細めた。
「……帰ろっか」
「そうね」
ふたりはベンチから立ち上がった。
ふたりが歩く。
若葉のほうがひなたより早足で、前を歩いている。
横断歩道を先に若葉が渡ったところで信号が赤になった。
横断歩道の間を車が通った。
たくさん、通った。
ひなたから見える若葉の姿がいくつもの鉄塊に阻まれてぶれた。
声を上げても、届かないとわかる。
ぶれる視界の中で、不意に若葉が携帯を取り出して会話を始めるのが見えた。
やがて、彼女は駆けだした。
―――嗚呼、私の幼馴染は、化け物と戦うのだ。
10
現場は地獄絵図だった。
団地住宅の密集地だったこともあり、死人も多い。
建物の崩壊も激しく、あたり一帯にもとの形で立っている建造物は残っていなかった。
暴れているUBはどれも30~40m級の大型、それが10体以上いた。
屋外だというのに死の匂いが充満していた。
そしてここらは白戸焔の居住地だった。
帰宅直後に襲われたのだろう。
孤軍奮闘する橙色の影は焔のものだ。
人が死んでいる。
おそらく、焔の知る人たちがたくさん死んでいる。
(……焔の、お母さんと妹さんは……?)
考えたくないことを若葉は考える。
遠くからでもわかる必死の形相の焔のそのことを尋ねるのは、あまりにも酷なことのように思えた。
「……っ、今は戦わないと」
若葉は『白の宝玉』をはめ込んだ装甲着装着装置(アームドデバイス)を起動する。
蠅のように飛び回る橙色の傍に白の直線が飛んだ。
「お母さん! 未来!」
焔が必死の形相で叫んでいた。
ソレを喰らおうとUBが襲い掛かる。
ギリギリでそれを回避する。
攻撃が空ぶったところに若葉がエネルギーの弾丸を降らせた。
(まだ、焔のお母さんと妹さんは見つかってない……生死は、わからないけど……)
そう思ったら「いた!」と焔が叫んだ!
確かにいた。
二人とも気を失っている様子で瓦礫のはざまにいた。
「―――‼」
一直線に焔が二人のいる方向へ疾駆した。
だが、それが命取りだった。
「あ」
――UBという怪物の形と大きさはあまりにもまちまちである。片手ぐらいの大きさのものから30~40m級の大型のものまで。
だがソレは今までのそれの中で最大といえるものである。
50mの三つ首の魔犬が虚空から現れる――
一瞬のことである。
三つ首の魔犬型UBがその瞬間に現れ、その左の首で焔の胴体を噛みちぎった。
年齢にしては小さなその体が下半身を喪い、ナカミを取りこぼし、もっと小さくなってから地面に撃墜した。
「……………………ぁ」
からっぽになった焔が二人に手を伸ばした。
だが結局届かないでその目から光が消え、伸ばした手が落ちた。
「――――――ッッッッッアアアアアアアアアァァァァッ‼」
落ちた焔を舐めとろうと下ろされる左の首に蒼の光のブレードが届く。
が、
「浅いッ……っ!」
到着した直後のカナリアは歯噛みする。
あまりにも、その斬撃は遅かった。
超大型三つ首UBの左の首が半分もげるが、しかしそれがダメージ足りえないのはなおも獰猛に動き回るソノ化け物を見れば一目瞭然である。
UBの右の首が
伸びた首は遠くから斬撃を飛ばしたカナリアに激突する。
不意打ち、かつその巨大な質量に耐え切れずカナリアは吹き飛び、近隣家屋に激突する。
なおも首を伸ばそうとするUBだったが、右の首が縦にさっくりと割れる。
頭突きが激突する一瞬にカナリアが返す刀で切っていたのだ。
首が戻る。
三つ首のUBの左首は半分切れ、右の首は二つになっている。
だがなおも全く消滅の気配なし。
そしてその巨大UBのもとに先ほどまで多くいたやや大きめのUBが集まった。
「………合体、してる?」
複数体のUBが大型のそれに触れると、その箇所から融け、巨体に溶けるように融合していった。
そして三つ首のUBにあった傷はふさがり、さらに二回りも巨大な大きさへと変貌した。
だがソレは暴れる気配がない。
まもなく、三つ首の化物は虚空に溶けるように消えていった。
後に残ったのは壊滅した団地。
人が死んだ匂い。
苦しそうに助けを求める人々。
昼食を一緒にしたはずの、友達の上半身だけになった死体。
呆然とそれを見ているだけの若葉だけだった。
若葉はただ、見ているだけしかできなかった。
11
白戸焔の通夜が行われた。
随分多くの鳴き声が聞こえた。
彼女が慕われる人間であったこと孤宮若葉は知っていた。
彼女が古い名家の末端だったことを若葉は初めて知った。
お家騒動を経て、今の母と妹との団地での三人暮らしに至ったのだということを坊さんが言っていた。
どこかぼんやりとした面持ちで、若葉はそれを聞いていた。
焔の死は一瞬で爆ぜるような惨たらしいものだった。
紅いものを取りこぼして墜ちていく彼女の姿と写真に写るニッコリ笑顔の彼女がどうにも結びつかない。
棺に泣きながら取りついている焔の母を無感情な目で見ていると通夜はやがて終わった。
その後のアレコレは親族だけで行われるようで、それ以外の人々は早々に退散した。
「若葉」
「ん? ああ、ひなたちゃんも来てたんだ」
「そりゃあ、同級生はみんな来てるわよ」
「あー、そうだよね普通。うちは同僚枠だからあんまり同級生って意識はなかったな、年上だったし」
「ふーん……」
興味なさげにひなたは相槌を打った。
ふと、ひなたは若葉を見る。見て、それから少しだけ視線をずらす。
「ねぇ、アンタは……」
そんな言葉が出た。
そんな言葉が出て、その続きがわからずに、ひなたは黙りこくった。
「……………………じゃ、帰るわ」
「うん」
「若葉は? 帰らないの?」
「うん。或守さん……技術研究開発主任とのごはんに誘われたの。今日会ってすぐに」
「ふーん。もてんのね」
「うーん。あの人が人間にそういう感情を抱くのは想像できないかな……?」
12
聞かされていた料亭の前に或守はいた。
「さ、入り給え」
実に普通にそういうと或守はずんずんと料亭内に入っていく。
一市民に過ぎない若葉としては、そのあまりにもお高そうな雰囲気に少々怖気づいていた。
「一市民とは面白いことを言うな君は。『宝玉』の力を扱える人間という時点で君たちが普通ではない、特別な人間であることなど時間の速度が光の速度と同期することに等しく当然のことだ。むしろ君たちが一職員並みの待遇でしかないことのほうがおかしい。お上にもそういったんだが、偉い老人というものは現場の優秀な若者に良い待遇を与えることを死ぬよりも忌避する傾向にある。その現場の優秀な若者には奇才たる私も含まれるのだから始末が悪い」
「前々から思ってたんですけど、天才、じゃないんですか?」
「ふむ、私が自分を天才ではなく奇才と称することが疑問かい? その答えなら単純だ。単純に、私が天才と呼ばれることに飽きたからだよ」
実にごく当たり前のことだと或守は言った。
お酌をしようとすると、酒は飲まない。この奇才たる頭脳を傷つけたくないからね。という。
「それに、君は酒を呑む人間が嫌いだろう? 私は気遣いのできる大人だからね」
気遣いのできる大人は子供を高級料亭に連れてきたりはしない。
食事が一通りで揃い、仲居さんがいなくなった。
「とりあえず食べようじゃないか。美味な食事とともにする話をしに来たのではないしね」
「はい……美味しそうですね……」
「人を誘っておいてファミレスの安飯で済ます私ではないからね」
ふふん、と得意そうに或守は胸を張った。
二人では広すぎる気がする料亭で二人は食事をした。
他愛もない話をした。
……その大多数が或守の自慢と愚痴ではあったが、若葉にとってそれは決して嫌な時間ではなかった。
或守という人間は優秀な研究者であり科学者であり技術者である。
『宝玉』の力を危険なしに扱えるようにしたのは氏の発明の賜物であり、こうして若葉が生きて戦うことが出来るのもこの奇才の尽力によるものである。
若葉は、この変人が嫌いではなかった。
その性格ゆえに組織内外に嫌われる或守ではあるが、若葉はどういうわけか彼ないし彼女のそういった側面を嫌うことがなかった。
むしろ不思議な安心感すらあるほどで。
「ふむ、それは君の近くに私なんかよりよほど気難しい人間がいるということではないかね?」
「人の思考を読むのはやめてください」
「ははは、つい得意の読心術を披露してしまった。いやはや多彩を極めるな私は」
「あははー、さては反省する気ないですね?」
「何を反省することがあるかい?」
「んー。いっぱいある気がするけど、まあいいです」
この人より気難しい近しい人、といわれて若葉はすぐに一人の顔が浮かぶ。
全くあの面倒くさい幼馴染は、本当に、まったく。
本人も知らないうちに口元が綻んだ。
そんな少女の表情に、或守は自分の読心術の衰えのなさを感じた。
だがそんな特技が、果たして自身にとって吉と出る物かについてはさしもの奇才も考えるものがあった。
13
「さて」
或守は豪華な食事を一通り終え、箸をおいた。
ちなみに若葉は或守より先に食べ終わっている。
「本題に入ろう」
「あ、はい。そうですよね。大事な話があるって……焔の事ですか?」
「それもあるね。だが本題はそこじゃない。白戸焔の死は我々にとって大きな損失だが、悲しむよりも先に考えなければならない事柄が一気に浮上する大きなターニングポイントでもある。今夜はそれについて話したい」
「……我々、ですか……? その、それは対策室の事でいいんですか? それともうち……わたしと或守さんのこと?」
おずおずと若葉は或守に小さく手を挙げて聞いた。
「なるほど、そこを気にするか……。やはり君に話すという私の判断は正しかった」
「……」
「ではまずはその問いに対する答えだが、どちらでもないよ。どちらかというと後者よりだが、この場合の我々とは」
どこかでししおどしの音がした。
何かがここで決定的になる、そんな予感とともに。
「人類、ひいてはそれに与するもの、それが我々だ」
「…………大きいですね」
「ああ、人類滅亡がかかっていると思うよ、私は。まあ他人の意見は聞いてないから知らないが」
「では、どうして、うちに……?」
「君が一番信用できるからさ。単刀直入に言うとね、私はUB対策本部に『敵』がいると踏んでいるんだよ」
「……」
「ふむ。想定より驚いてないな」
「いえ、すごくびっくりしてます」
「驚きはしたが、取り乱すようなことでもないと。いい答えだ」
「それで『敵』って何ですか?」
「何、か……。それこそ、UBの親玉としか。そうだね、いわばラスボスだ」
「ラスボス」
「そ、ラスボス。UBを純粋な生物という素っ頓狂な連中もいるが、戦っている君たちならわかるだろ、アレは生物ではない。生物を模している別の有機……いや、それすら正確じゃないな、有機か無機かすらわからないんだし。少なくとも連中は生物的な営みをその存在目的としてはいない。いわば、生物のような形をしたシステムだ。そして、そのシステムを操る件のラスボスもおおよそそう言った類のものだろう」
「……ちょっと、ついていけてないです」
「では一から話そう」
私直々にね。と或守は得意げに言った。
14
君たちが使う『宝玉』に付随する装置とそれに伴う君たち自身のメンテナンスを私が請け負っているのは知っているだろう?
それとは別に私はUBについての研究も行っているんだ。いわば『宝玉』。それに選ばれた少女たち。『UB』。ある時点からこの日本を始点として始まったこれらすべてを包括する研究こそが私の分野だった。
そう、だった、だ。もう私はこの分野の研究を終えた。
全く、面倒な分野だったよ。
理工学専門だった私がガイア理論に超古代文明だなんてオカルトと呼ばれる分野に肩までどっぷりつかるとはね。
端的に言うとね、UB……いや、あの化け物どもは所詮、大量生産の雑兵か。やつらの親玉――我々にとってのラスボスだがね、ソレは喪われた超古代文明、――いわばムーやアトランティスに類するものだね――の産物だ。
かつて、今のこの国があった場所に近しい地点に我々の及びもしない文明があったことが分かった。
だが、彼らは滅びた。
愚かにも彼らは己の文明を滅ぼす終末機構を作り上げてしまった。
戦争が起きたのか、どこかのバカがとち狂ったのか、文明を進めすぎてしまったが故の必然なのか。
まあ、どうでもいいことだ。所詮は終わった文明、終わった歴史だしね。
問題はその終末機構――これを私はクロウと名付けたが、これがまだ生きていることだ。
いや、生きているというのは正しい表現ではないね。
ソレはただ文明を物理的に終わらせるためのモノだから。
それも頭の悪いやり方で。
クロウが目覚めるのは文明がある地点――これが具体的にどの
クロウにプログラムされたやり方は単純でその文明の中枢に近い部分に人間として潜り込み、文明の支柱になる部分に亀裂を作る。
そしてじわじわと力を蓄えてUB……今までのような雑兵ではない、先の三つ首の――仮にケルベロスとして――クラスのが大量に、単純な質量でもって蹂躙する。
実にスマートではないな。結局質量作戦とは。
クロウに時間経過とともに蓄積される我々の文明では未知とされるエネルギー、――おそらくエントロピーの亜種だろうね――によってUBが生まれ続ける。
UBとはいわば細胞だ。そして核がクロウと呼ばれる存在。
生物的ではないといったが、その機構はいわばそれら自体が一個体の単細胞生物的ではあるね。
今日、白戸君を殺したあのUB、今までの個体とは桁が違った。
おそらく、上位固体。
クロウが力を蓄え、終末への段階が最終フェーズに近づいている証拠だ。
今、ヤツが文明を滅ぼすにあたって一番邪魔なのはUB対策本部だ。
当然だね『宝玉』の力を扱える少女が4人―――……3人も残っている。
対UBの最前線でもある。何故なら奇才の私がいるから。
『宝玉』、そう、何年か前、UBが発生しだしてから間もないころに発見された、この世界で唯一UBに有効なエネルギーの波長をもつその物体。
それも超古代文明の産物だよ。
クロウへの抑止力として作られたもので、現在27個の『宝玉』が発見されている。
おそらくこれですべてだ。
28個目の存在を示唆する考古学的証拠もあるのだが、これだけはどういうわけかその実態がつかめない。おそらく超古代文明人が意図的に空白としたんだろう。
まあ、おおよそ察しはつくが。今は考えたくないな、これについては。
……さて、前提条件はこんなものか。
15
「要するにだ、超古代文明が生み出したクロウなる悪者がおそらく君や私の近くに潜んでいて、まもなく大量かつ強大なUBの大群を引き連れて終末を始めるらしいということさ」
若葉は絶句していた。
想定していた話よりも随分とスケールの大きい話だったし何より。
「………どうして、うちにその話を?」
「さっきも言ったろ、一番に君を信頼しているからさ。最前線で働く兵隊であり、中枢の政治に興味を示さない君がクロウである可能性は限りなく低い。また、クロウ本体でなくとも洗脳なりなんなりで息のかかった人間という線があるが、こと君に関してはその線も薄いと考える」
「それはなぜです?」
「明確な理由はないよ。単純に、私が君を知っているからさ」
「……」
「信じられないというその表情、実に良いね。まあ、それらしい理由がそれしかないのは事実だし、それで信用してこんな大事な話をするのはいかがなものかという君の考えくらいわかる。だが、さっきも言ったろ? クロウのシステムは最終段階に入ったと推測される。単純に時間がないんだよ」
或守はクイとオレンジジュースを飲んだ。珍しくたくさん喋って口腔内が渇いたからだった。
「白戸焔くんの死は狙ったものだろうと私は考えている。彼女の居住区に彼女が帰宅するタイミングで一斉にUBが襲い掛かり、強大な個体まで投入してきた。偶然と考えるのは簡単だが、私はそんなに楽観的ではない。こちらの牙城を確実に崩しに来ていた証拠でもある。そのうえで、君やカナリアくんの追撃を避けたのは、まだそこまで確実な戦力がそろっているわけではないから。だが、それも時間の問題だ。おそらく次はもっと大きく手を打ってくる。その前に手を打ちたい。そのために協力が必要だ」
「カナリアさんや月詠さん、もしくはほかの人では……」
若葉は聞いた。話を聞けば聞くほど事は大ごとへと移ろうとしていて、それを阻止するための人材が自分であることに不安を隠せなかった。
「カナリアくんは選択肢としてはあったが、不安要素も大きくてね。主に精神面で。彼女の出自は聞いているかい?」
「……不詳であることは知っています。あとは今は日下部家でお世話になっていることとかしか……」
「端的に言えば彼女はホムンクルス、人造人間だ。昔、より究極に近い人間を作るべく某国で密かな実験が行われていた。計画自体は失敗したが、その実験過程で生まれた、試作品番号1001番、それが彼女だ。ほかの試作品たちは某国壊滅時に一緒に死んでしまったが何の因果か瀕死ながらも生き残った彼女を私が知人から引き取ったのだよ。もともとそのつもりで作ったのかは知らないが彼女は『宝玉』に適合した。そして今や世界最強の魔装少女さ。戦うことが彼女の存在証明となった」
「思ったより人道に反する話が出てしまった」
「だからといって付き合い方を変える君ではないだろう。そこがいい。君の思考は他の魔装少女たちに比べて、というよりそこらの人間よりも冷静だ。君は今、私の語らったアレコレについて大きな不安を抱いている。だが同時に取り乱してはいない。最善手をしっかりと理解している。ほとんどの人間は感情に行動や目的を引っ張られてしまいがちだが、君は何というか理屈と感情が上手いこと切り離されている。私が君を気に入っているのはそういうプロ気質というか職人気質なところさ」
「……焔が死んだとき、うちは動けませんでしたよ?」
「それは違う。君は動けなくなったのではなく、動かなくなったんだ。白戸焔の死に千樹カナリアのダメージ、局面は非常に不利だった。あそこで何もしなかったのはむしろ最善手であるといえる。わかっていたんだろう?」
「………買い被りすぎです」
若葉は水を飲んだ。
口の中が渇いていた。
「そういう意味で、ほかの面々は難しい。千樹カナリアはいかに強いといえど、それは実務面での話だ。彼女はいかにもクールビューティ―といった風貌だが、実際の所、社会的動物としては未熟だ。白戸焔の死に動揺し、力づくで実力の図り切れていない敵に突っ込んでいく不安定さが少々不安だ。自分の知り合いに敵がいるなんて状況で心を取り乱さない保証はない。月詠凪くんだが……彼女は単純に、人間として弱いしね」
「他の本部の面々は?」
「それこそないね。確実にクロウでない人間はある程度分かるが、彼らにラスボスのお守は難しいしね」
「なるほど」
「分かってもらえたかな?」
「ええ、まあ。色々、理解はしました。納得は別ですが」
若葉は答えた。
本当は理解も納得もできていないが、理解も納得も出来ない理不尽なんて若葉にはなれたことだったから。あとは飲み込むだけ。
ただ、一つだけ聞きたかった。
「焔が死んだのは、偶然じゃなかったんですか?」
「死に偶然などないよ。すべては必然に起こるのさ。ただ、そこに作為があるかないかという話で」
「じゃあ……」
「ああ。作為が必然に組み込まれ始めた以上、事態は加速する。多分、これからたくさん死ぬね。そして奇才たる私もまた例外ではない。と、言うわけで……」
或守は分厚い手帳を取り出し、若葉に向けた。
若葉はそれを受け取った。
その手帳は皺が嵩んで、重かった。
「受け取り給え。その手帳には明日の晩の手筈とその後の事、その他、私の研究成果が載っている。もちろん全てではないが、君と黄昏明けの世界にとっては割とお得なもののはずさ」
手帳を渡し、そう言い終わると或守は立ち上がった。
「ということだ。随分夜も更けて、ちょうどいい時間だ。続きは明日の晩、よろしく頼むよ」
去り際、一言だけ或守は告げた。
「私は君のことが割と好きだったよ」
その言葉を捨て台詞に或守幸という人間は今度こそその場を立ち去った。
慌てて追いかけて外に出るも、すでにその姿はなかった。
若葉の手にはずっしりと重たいボロボロの手帳だけが残されている。
16
「……やぁ、こんな晩に奇遇だね」
夜だった。
その日は雨が降っていた。
或守はUB対策本部の開発室にいた。
装甲着装着装置を《アームドデバイス》作り上げたのは、その部屋だった。
「貴方こそ、今日は非番では?」
「私はそんな君たちの組み立てたシステムには従わないよ」
「そうですか。で、何を作っていたんです」
「さあて、なんだろうね? ところで、有働くん。君がクロウ……要するに超古代文明の終末機構の核って認識で、あってるよね?」
銃声が二発。
或守は脳と心臓を撃ち抜かれ即死した。
相手からの返答も、最期に言い残す言葉もなかった。
有働光彦――UB対策本部副本部長である男はつい先ほどまでの柔和な笑顔を悍ましいほどに無機質な眼差しへと変えていた。
有働が本部から外に出ると既にデバイスを展開していた若葉がいた。
「有働副本部長……或守さんを殺しましたね」
雨が、降っていた。
「或守さんの胸元には超小型カメラが着いていました。その映像はリアルタイムでうちのスマホに中継されていました。だから貴方があの人を撃ち殺したことを知っています」
雨のせいで何もよく見えない。
有働の姿が柔和でやりてな副本部長ではない、もっと無機質で得体のしれない何かに写った。
「貴方が、クロウ」
その言葉は相手に向けたものではない。
自分自身に向けたもの。
ただの確認。
だから次のアクションは一瞬。
『宝玉』から流れるエネルギーをカナリアがやったようにブレードにし、刹那で距離を詰る。
確実に、絶対に外さないために。
零れ落ちる雨が弾け、残像が残る。
されどその斬撃は弾かれる。
「……させないっ」
孤宮若葉の攻撃を弾いたのは同僚の月詠凪だった。
『灰の宝玉』を持つものだった。
―――クロウ本体でなくとも洗脳なりなんなりで息のかかった人間という線があるが
若葉の脳裏に或守の言葉が反芻する。
「月詠さん。有働副本部長はクロウというUBの親玉である可能性が限りなく高いうえ、或守技術主任を今しがた殺害した人物です。いわば、敵です」
「知っているわ。そんなの」
「―――そうですか。では有働副本部長はクロウに確定。月詠凪さんはそれに与する敵対勢力ということで?」
「そういった。同じことを繰り返さないで」
「……クロウは今現在のこの文明を滅ぼしかねない危険な存在です。本気で人類を滅ぼす側に与するつもりで」
「うるさい!」
苦虫をかみつぶしたように聞く若葉に対し、凪は急に激高した。
「五月蠅い煩いうるさい! どうだっていいでしょそんなことは! どうだっていいのよそんなことは! そうよ! 人類何て滅んじまえばいいんだわ! 人類何て滅ぼしてしまうわよ! わたしは滅ぼす側につくの! あなたなんか今殺してやるんだから!」
凪の背後に立っていた有働――クロウの体積が爆発的に増大した。
「なっ⁉」
大きくて真っ黒な肉会が増殖するように巨大化し、UB対策本部を飲み込んだ。
紙一重で若葉はその場を離脱し、上空からソレを見下ろす。
遠くから蒼い流星のようにカナリアが合流した。
「若葉、呼ばれたから来たけど、アレはなに? UBでいいの?」
「正しくはその核、だそうです。要するにUBの親玉だって或守さんが言ってました」
「ん。よくわかんないけどわかった。或守は?」
「―――いま、は、……その話はあとでします。今はアレの撃退に力を注ぐべきです」
若葉は不自然な言い回しにカナリアは少し首を傾げた。
されどすぐに気を取り直し、クロウを見据える、
「ん。わかった、アレを倒し――」
「カナリアさん?」
カナリアはその巨体を見つめた。
黒い肉塊が分裂し、ケルベロスと或守が仮称した――焔を殺した個体が顕現し。
「いや嘘……、でしょ……」
それだけではなかった。
クロウは爆ぜるようにそれぞれの肉塊に分裂し、それぞれがUBと呼ばれる化け物へと姿かたちを変えていった。
UBの大群が世界を覆いつくすようにあふれ出た。
17
世界が滅びればいいと思っている。
みんなが死ねばいいと思っている。
自分が――ねばいいと思っている。
生まれた時に初めて見たものはゴミだった。
母親が自分を生んだあとすぐに近所のゴミ捨て場に捨てたのだった。
月詠凪の産湯はゴミ汁だった。
その後、行政により児童養護施設に入ることになった。
凪は両親の顔を知らない。
それでも生まれたばかりの時に嗅いだごみの匂いは覚えている。
鼻が曲がりそうで、実際に鼻が曲がった。
鏡に映る自分の鼻は酷く曲がっていて醜かった。
それを施設の人間に言ってもみんな一様に。
「君は醜くなんかない。鼻も曲がっていない。君は綺麗な娘だよ」
嘘を吐いた。
こいつらが嫌いだった。
嘘を吐く大人も、馬鹿な子供も嫌いだった。
醜い自分が嫌いだった。
ある時に愛なるものを知って。
愛されることのない自分が……だった。
全部壊れちまえと思っていたら、
施設がなくなった。
黒スーツの怖いおじさんが壊していった。
おじさんがわたしを買った。
処女をなくしたとき、別に嫌悪感はなかった。
痛かっただけ。
12歳で、まだ痛みに耐性がなくて泣いた。
だけ。
しばらくしておじさんが死んだ。
ビルの中で銃撃戦があって、みんな死んだ。
みんな死んだ後に、有働が来た。
有働は転がる死体を一通り食べるとわたしに近づいて契約を持ち掛けた。
世界を滅ぼす契約だった。
空っぽ色の貌だった。
ほかの人間よりマシだった。
つまらない仕事。
施設の大人みたいな連中がいっぱい。
有働から聞いた通りの化物と仲間たちで力を合わせて戦うの。
くだらない。
どうでもいい。
わたしはやることをやるだけ。
それだけで、痛くならないし、おなかも減らない。
それでいい。
千樹カナリアの眩しさも。
孤宮若葉のやさしい貌も。
白戸焔の明るさも。
全部、どうだっていいモノ。
白戸焔に近づき、彼女の一日のローテーションを調べ、確実に抹殺できるように誘導したのもわたし。
家族を誘拐し、冷静な判断を鈍らせたのも私。
バカなあの女は一番警戒心が薄く、弱みも多かった。
最初のターゲットにはもってこいで、なんの疑いもなくわたしの接近を許した。
バカな女。
だから死んだ。
ざまあない。
ざまあない。
ざまあない。
わたしは、死なない。
わたしは、あんなふうにはならない。
わたしだけ、
わたしだけは生き残れる。
18
あふれ出したUBは瞬く間に増殖し、世界を覆いつくしたが、それらはまもなく雨に紛れるように虚空へと姿を消した。
「クロウがいまだ不完全な状態である証拠だな。……或守はそこまで見越していたのか、大した奴だったのに……全く……」
UB対策本部長である西条光が天を仰いだ。
本部はなかったので臨時的に都内ビルの一室でのことである。
重要な部下が4人も一挙離脱した彼女の心中を推し量れるものはその場にはいない。
「……すみません、制圧しきれなくて」
「いや、いい。或守の意図は敵に対して先手を打つことだろう。そういう意味では孤宮は十二分の戦績を残した。クロウなるものの正体とさらにはそこに与する者の正体が割れ、あとは最終段階とやらまでに対策を施すだけだ」
ビルの一室に重たい空気がのしかかる。
味方に裏切り者が二人、重要な戦力が二人を喪い、敵の総攻撃はいつ何時始まるかわからない現状はあまりにも過酷だった。
「一応、全世界的に避難勧告は出されている、総理には無理を……⁉」
突如としてそこに月詠凪が現れる。
室内にいた何人かが銃を発砲した。
だが当然の如く弾丸が弾かれる。
凪はカナリアと若葉だけを睨みつけた。
ほかの何も見たくなかった。言われたことだけでしに来たのだ。
「二人とも、こっちに来ませんか?」
「いかない」
「いきません」
凪の問いかけにカナリアと若葉はそれぞれに答えた。
「そ、まあいいや。言われたことはしたから」
凪は消えた。
同時に轟音が空中で響いた。
皆が慌てて外を見る。
2012年12月21日午前2時44分44秒。
霞が関上空、識別コードケルベロスが出現、国会議事堂。警視庁。をはじめとする日本の中枢は壊滅した。
現政権は壊滅。
一時間での死者は3万人に及ぶ。
時を同じくして世界各国の政治的治安維持的中枢機関に超大型UBが同時多発的に出現。
世界の治安維持機能は壊滅した。
UBの大群が世界に放たれた。
終末が始まる。
19
ワンセグで見る画面では国会議事堂が爆発していた。
ついでに警視庁も爆散していた。
マジか。
終わったなこの国。
やばいことになりそうとは聞いていたけど。
避難所の中にはどよめきが響く。
世界中に化け物が溢れかえっているらしい。
ふーん。やっば。
他人事で私は携帯をいじる。
世界の危機だなんていったところで実感はわかない。
メールボックスを開く。
若葉から来ていたメールを見る。
主にしっかり避難してほしいとかいう内容だ。
政府の広報か。
アンタも逃げたら?
と送ると、
困り顔の絵文字が帰ってきた。
なんやねん。
「他になんて送ったらいいのかわかんないよそれ」
若葉がいた。
私は駆けよって抱きしめたくなる衝動を抑えた。
「なに? アンタ、仕事はいいの? こんなところにいる場合じゃないんじゃない?」
「うん。そういったんだけど、うちのデバイスはメンテナンスしてるから、今のうちの家族や友人に会ってきなさいって。お母さんが生きてるのはわかったから、若葉ちゃんのところに来たの」
「ふーん。そう」
「うん。そう」
若葉はにへらと力なく笑った。
「じゃあ、メンテとやらが終わったら」
「うん、行かなきゃ。今は、自衛隊や対策本部の人たちが進行を食い止めてる。でも、時価員の問題。カナリアさん……仕事の先輩さんなんだけど……も、保護者の安全がわかったらすぐに合流するって言ってた」
「……その人が全部やってくれるじゃない? それでいいでしょ」
ううん。と若葉は首を振った。
どこか寂し気で哀し気な顔だった。
「出来ないよ……あの人を、独りぼっちにしたくないから……。もう、二人しか残ってない……」
「そんなの……」
そんなの知らない。私を独りにしないでって、言うべきだったんだろうか、私は。
そんなの、言えるわけないじゃない。
これが最後なんて、最後のお別れなんて、そんな訳、ないでしょ?
「……っ」
若葉の携帯が鳴った。
電話に出て、
「…………はい、はい。すぐ行きます。では現地で……」
「若葉……」
「ごめんね、ひなたちゃん。もうちょっと一緒にいたかったけど、行かなきゃ」
そういって若葉は私の傍から離れていった。
その背中が、小さくなっていくのを私は見ていた。
20
「はぁ、はぁ、っはあ……っ」
一面が瓦礫の山だった。
車は通れず、若葉は不安定な道を走っていた。
そこは知っていた道だった。
いつも、カナリアと連れ立ってお邪魔していた日下部家への道だった。
もう、そこに見る影はない。
「あっ! カナリアさ……ん……」
千樹カナリアはそこにいた。
瓦礫の上で立っていた。
暗い影になって、その姿はよく見えない。
ちらりと、彼女が片手に何かを持っているのが見えた。
それは腕だった。
人の腕だった。
しわがれた老婆の腕で、止まった時計をしていた。
腕だけが、残っていた。
すぐそばで轟音が鳴った。
ケルベロスを始めたとした、最大規模のUBの大群がすぐそばで暴れていた。
「カナリアさん」
若葉は預かっていた装甲着装着装置(アームドデバイス)を渡した。
メンテナンス済みのものだ。
カナリアは生返事をしながらそれを受け取り、老婆の腕を置いた。
「あとで、ちゃんと埋葬するから」
カナリアはその腕に言った。
だれもその言葉に答えなかった。
二人がデバイスを起動する。
UBの大群の中に突っ込んだ。
カナリアは蒼い刃を限界まで厚く長く伸ばした。
斬撃が連続で繰り返される。
若葉は空に巨大な球体を生み出した。そしてそれは爆ぜる。
光の刃が降りそそぐ。
強力な広範囲攻撃が放たれて、なお多くのUBは健在で会った。
ケルベロスが吠える。
袈裟に斬られた胴も全身に刺さった鏃の傷も次の瞬間にはなくなっていた。
右と左の首がそれぞれに若葉とカナリアを捉えた。
悲鳴を上げる間もない一瞬のことである。
それなりに場数を踏んできた二人であったが、それほどに今回の個体は段違いであった。
ギリギリと顎力によりデバイスが悲鳴を上げる。
一瞬の間隙。
その間に二人はどうにかUBの顎から抜け出すが、それと同時に装甲着は完全に破損し、目の前には『宝玉』だけが転がった。
UBの大群が移動を始めた。
すでに二人には見向きもせず、化け物たちは人を襲う。
人が食われる音がする。
人が踏む潰される音がする。
誰かの悲鳴。
誰かが死んでる。
脱出したとはいえ、相応の傷を負った二人は倒れたままそれを聞いている。
けれど、
それでも。
21
自分が生まれた時のことを、憶えている。
自分が生まれる前のことも覚えている。
大きなフラスコの中にいた。
見えるものは自身を包む培養液とガラス越しに、ぐにゃりと歪んだ真っ赤に染まる研究室のみ。
本来薄暗いはずのその場所が真っ赤に染まっているのはひとえに、その場所が襲撃を受けていたから。
異形の獣が暴れている。
研究者の白衣は血に濡れている。
破損したコンピューターの残骸に内臓や筋が引っかかっている。
朱い警報が培養液越しに振動として伝わる。
――それをフラスコの中の少女が亡と見つめていた。
獣の一つがガラスを割った。
培養液と一緒に吐き出される。
一糸纏わぬ白く細い肢体に薄い紫苑の髪が纏わる。
ぼんやりと生気のない、髪と同じ色の瞳で名無しの少女(ニンギョウ)が眼前のソレを視認した。
そこには悲しみも恐怖もない。
ただ耽美なまでの硝る躯が、場違いにそこにあるだけ。
生まれたばかりの―――創られたばかりの人形はどこまでも空虚に、虚空の洞を認めるのみなれば。
未だ其処に、命は在れど生は非ず。
己に自我は無く。意味も亡く。何もない。
唯、望み落とされ、まもなく華の如く散る。
―――ああ、なんと瑣末なこと。
それが、人形の最初の思考。そして最期の思考。
そう思っていた。
不意に目の前の
否、正しくは爆散したのだ。
飛び散る、
紫苑と真白でできた人形がアカに染まる。
なんだろう。
彼女は思う。生まれたばかりの彼女が思う。
降り掛かった残骸を彼女は気にも留めない。
思考の先にあるのは残骸の向こう側。其処に佇む一人の人間。
真っ黒な全身コートに身を包み、正しき固体認識はままならない。
なのに、明らかに他の人間とは違う。
「―――――」
人間がぽつり呟くと、彼女の姿を視認した。
リノリウムの床をコツコツ歩み寄ってくる。
「ん」
空の手を差し出される。
「大丈夫か。生きてるなら、よかったな」
生きている。『私』は、生きている。
ああ――視界が収束する。地面の感覚を知覚する。己の鼓動を認識する。
差し伸べられた、人の手に、自らの手を伸ばす。
人形だった彼女が、
その命を感じる。
この命は何のため?
なにゆえに「私」はここにあるのだろう。
少女はふとそんなことを思う。
目の前のその人は答えてはくれなかった。
華の如く散る。
そのはずだったのに。
そんなことを考えながら、少女は戦うようになった。
それが「私」に向いていることで、求められていることだったから。
命の理由を考える。
「……まだ」
カナリアは『宝玉』を掴んだ。
デバイスは既にない。
でも関係ない。
あれはあくまでも「安全に」『宝玉』の力を使うためのものである。
『宝玉』の本来の使い方は、別にある。
それを、カナリアは知っていた。
知っていて禁止されたのだ。
けれど、今、それをやる。
「私が戦うから」
「カナリアさん……無茶です……そんな傷で……」
カナリアはその『蒼の宝玉』を自身の心臓にねじ込んだ。
体内でエネルギーが弾ける。
全身がばらばらになるような衝撃。
蒼の雷撃が爆裂するような。
悲鳴を上げることすらできない。
されど、
「――――プレセンスアルタレーション!」
叫んだ。
痛い。
自分が見えない。
関係ない。
「
」
ぱきん。
パキン
ハジケテシマウ。
ナニガ
ダッテソレハ
関係ない
ガチガチキシム
ワタシハダアアッレエ
やるべきことは魔獣を倒すこと
パチパチハジメル
ミンアミンナオシマイ
ヒトのためになること。
イタイトカナニカハワスレタ
そのために生まれた。
ココロハココニ
そのために生かされた。
カナシイカナシカナシイイ
そのために生きている。
ダレカワタシヲタスケテホシイ
それが運命なのだと、貌さえ思い出せない誰かに教わった。
だから、戦う。
ナニカガワレタココロガワレタアタマガワレタニンゲンガワレタ
それが―――。
――――翔ける。
ありうべからざる蒼き月光。
月明かりに翳る姿はどこか、虚ろに。
爆ぜる。
紫電は四方に。
異形が燃える。
穿たれた地面にはイオンの如く発光する長髪。
稲妻は大地から。
紫苑の儚さは亡く。
その瞳は、蒼く煌めく。
蒼き紫電を纏いし。
変質した。
何かが、どうしようもなく。
なにかがすこし、
何かが少し、削れている。
大事なものが、壊れている。
もう、とりかえしがつかない。
――関係ない。
――ただ、戦うだけ。
――そのために生まれたから。
――目の前のこの
「――それが私の存在証明」
炸裂した。
一秒。
異形の大群は焼き尽くされる。
否。三つ首の魔犬は顕在。
其は仇敵。仲間の仇。恩人のアダ。
その感情も、残ってないけど。
魔犬が気づくころにはもう遅い。
刹那のこと。
左の頭の上に。
雷撃が左の頭部を消し去る。
残りの首が反応するときにはすでに上空へ。
蒼い十字架に見える。
稲妻状のエネルギーを束ね、それは上空を埋め尽くす。
ソレは収束し、
「―――――」
穿たれる。
滅殺。
異形は完全に消え去った。
「カナリア、さん……」
たたずむ蒼い人影。
そこにはだれもいない。
風が吹いた。
月光が舞台のように照らす。
すでに、カナリアではなくなってしまったもの。
その背中を若葉は見た。
それは決めてしまった。
引き返すことをやめてしまった。
不意にカナリアが振り返る。
カナリアは不器用に微笑んだ。
その姿がぶれた。
それは幻覚ではなく。
されど、その姿は幻影。
ただその姿を、若葉は見ていた。
Interlude
古いユメだ。
終わるセカイ。
そう、もう取り返しがつかない程度には終わる。
一人の少女がいた。まだいたいけな、ともすればまだ、十分に子供のようでさえある。年のころは13、14ほどであろうかというところ。
眩く煌めく光の球体が総てで27。少女を囲っている。
その女の子に聞いてみる。
怖くない?
その子は答える。
怖いよ。
じゃあどうして?
誰かがしなきゃいけないから。
いやじゃないの?
いやだけど、でもね。そういうことじゃないんだよ。だって、こうしなきゃ、みんな死んでしまうから。
本当に死んでしまうから。
この血が通うものは、ツクリモノを含めても、もうわたししか残っていないから。
よく、わからない。
どういうことなのか。
わからないけれど、
どうしてこんなに哀しいんだろう。
光が瞬く。
ソラを覆いつくすように。
八咫烏の群れが消える。
ソレは眩く。
嗚呼、けれどそれはとても哀しい。
22
目を覚ました。
どうしてか、泣いていた。
どんな夢を見ていたのか、憶えていない。
「……カナリアさん」
カナリアはベッドで眠っていた。
綺麗だった紫苑の髪と瞳は、蒼いネオン色に染まっていた。
その姿は眠っていたというよりも、活動を停止しているというほうが正しく見えて、なんだかすごく、胸がざわざわした。
『蒼の宝玉』を肉体に取り込んでから、対UBの戦闘はほとんどカナリアがこなしていた。。
自分に何もできないのが、歯がゆかった。
或守の手帳を開く。
あの『宝玉』の使い方や、ぼかされていた28個目の『宝玉』に関する文言もそこには乗っていた。
そのページを飛ばす。
最後に残った文言を見る。
『最後に、私は死ぬだろう。まあそんなことはどうでもいいことだ。おそらく、人類は滅亡の危機に陥るだろう。なにぶん事態が思ったより進んでしまっていたものだからね。
ただ、トリガーを引いたのは君じゃない。私が引かせたんだ。すべては私の計算通りのギャンブルだ。おおよそ最善の行動を君は取るだろう。そのために生まれる犠牲は、仕方がないが大人のせいにでもすればいい、本来我々の仕事なんだよそういうのは。幼い時分から大人の事情に振り回されてきた君には難しい話かもしれないが、それだけは覚えていてくれ。
さて長々と感動的なセリフを連ねることは簡単だが私の柄ではないし、端的に君へのメッセージを送ろう。ありがたく頂戴するといい。
世界が終わるかどうかは、正直私にはわからない。
遅きに失してしまったからね。
君の活躍に私は割と期待している。
だが同時に君がし~らないっって言って全部ぶん投げてしまってもいいと思っている。
好きにしたまえ。
結局のところ、すべては必然だ。
すべての結果は必然で、君が選んだ選択肢も必然。
なるべくしてなるだけだ。
世界が滅んでも、救われても、究極いいかなって思う。
まあなんだ。
がんばれ』
「何を頑張れっていうんですか」
完全に深夜に片手間で書いたでしょって感じのメッセージだった。
ため息を零して、カナリアの髪を撫でる。
さらさらだった髪は、なんだか粒子みたいになってた。
「じゃあ、少し出てきます。またおこしに来ますから」
若葉は部屋から出た。
寂しかった。
辛くて、哀しくなった。
自然と、足が速くなった。
走り出す一歩手前みたいに歩いて、歩いて。
「若葉」
ひなたがいた。
外でうろうろしてたらしい。
若葉はひなたを抱きしめた。
強く抱きしめた。
泣きたくなくて、抱きしめた。
あたたかくて、柔らかくて。
「……苦しいわ、若葉」
「ごめんて……」
「私たち、もう子供じゃないのよ」
若葉の背中に手が回った。
いつかの夕景の日を思い出す。
世界に二人だけみたいだった。
ひとりぼっちとひとりぼっちで。
ずっとずっと二人だけだったあの日。
二人で空を見上げた。
今は、UBの活動が一時的に落ち着いている。
それはカナリアの尽力故のことで、今この瞬間この場所だけの事。
今こうしている瞬間も、世界中で化けが暴れ、同じく『宝玉』を持つ少女たちが散っているのをみんな知っていた。
みんなが絶望の中にいて、みんな苦しんでいる。
だっていうのに、冬の空は高く青く澄んでいて、きれいだった。
土が鳴る音がした。
「あぁ、月詠さん。来てたんだ」
「……」
月詠凪が現れた。
彼女は普通の服を着ていた。
「呑気ね」
「うん。静かだから」
「孤宮、貴女友達なんていたの?」
「うん。ひなたちゃん。幼馴染なの」
ひなたは会釈しなかった。
凪は舌打ちをした。
「あんたら人間に最後通牒を突きつけに来たわ」
「そう」
「明日の夜8時、クロウが直々にやってきて千樹を殺す。それでおしまい」
「うん」
「……クソッ。反応が薄いわね。もっと泣き叫ぶなりすればいいのに」
「そうかもね……。でも、泣くのは疲れるから」
だから、いや。
若葉はそういった。
その瞳に凪は写っていなかった。
ただ、澄んだ高い空が写っているだけ。
「ッ! 帰る!」
「どこに?」
「どこだっていいでしょ!」
凪は溶けるように消えた。
静かな時間だった。
静かで、肌寒い時間だった。
「ねぇ」
若葉がいった。
すこしだけ。
二人は近づき、寄り添った。
肌寒い空の下に、小さな体温だけが伝わった。
でもそれはどこか、寂しかった。
23
明日の話をカナリアは からきいた。
カナリアは頷いた。
最後の戦いだろう。
もう、自分の体が燃えているのを感じていた。
不意にドアをノックする音がした。
中に入れると、 の友達だった。
名前、名前が出てこない。
「あの」
その人が言った。
「 を」
、だれだったか。思い出せない。
「 を、連れて行かないで、ください」
その人は泣いていた。
苦しくて悲しくて仕方がないと泣いていた。
自分にはどうすることもできなかった。
「私を、一人にしないでください……」
その人は泣き崩れてしまった。
膝をついてその人を見た。
とても辛そうで、けどどうすることもできない。
どんな言葉を紡げばいいのか、定まらない。
「 がいなかったら、私、私、ひとりぼっちになっちゃう……」
「それは、私には決められない。若葉が決めることだから」
いま、なにをいったのだろう。
じぶんでもわからない。
でも、なんだかつめたいことをいったようなきがする。
「でも、私は若葉に幸せになってほしい」
じぶんのことばがわからないのに、しぜんとそのことばはこぼれる。
「私は、若葉のこと守りたいから」
その言葉はわからない。でもその言葉は嘘ではなかった。
24
ひなたがカナリアの部屋から出ると凪がいた。
二人は無言でしばらく見つめあった。
「何か御用で?」
先に話したのはひなただった。
「あなたなに。わたしはそこにいる女に話があんの。あんたみたいな一般人に興味ないわ」
「で?」
「あ? そこどけっつてんだけど」
「は? なにさまよアンタ。そういわれてホイホイどく訳ないでしょ」
「は? 殺すぞ」
「やってみたら」
突風が吹いた。
ひなたの目の前に拳があった。
されどひなたは微動だにしなかった。
「殺らないの?」
「……」
「哀れな女」
「……ッ」
凪は歯ぎしりをした。
ひなたは目の前のこの人間が自分の手を直接穢すこともできないような意気地なしだとわかっていた。
それは、彼女が自分に似ていたから。
哀れな人間だと、自分が写る雲った瞳を見て思う。
「あなた、何しに来たの?」
「………降伏を勧めに来たの。有働は不完全な状態で最終段階に入った。不安要素が多いから、戦わないで済ませられるなら……」
「嘘。それ貴女の独断でしょう?」
「なぜそう思うの」
「顔にそう書いてる。それに、普通に考えてそんな無意味なことを冷酷無比な終末システムがするとは思わないわ」
凪は何も言わなかった。そのことが雄弁に答えを騙っていた。
「あなた、なにがしたいの? 言っとくけど、あんたを慰めてあげるほど、私も、他のみんなもやさしくないわよ」
きっ、と凪はひなたを睨んだ。
ひなたの表情は変わらない。
冷たい、無表情のままで変わらない。
凪は消えた。
逃げたのだ。
25
「くそっ、くそっ、くそっ!」
悪態を付きながら、凪は歩いていた。
人気のない山の中に彼女は身を潜めていた。
寒い山の中で、息が白く染まる。
「あの女、あの女ぁ……」
何がしたいの何て決まっている。
生き残りたいだけ。私だけ生き残りたい。
せっかく情けをかけてやっているのにッ、どうして……!
「あ、え?」
突然、目の前に有働が現れた。
何か、左胸が熱い。
心臓をぶち抜かれたのだ。
有働は、ソレは、何も言わない。
「ぁ」
凪は倒れた。
激痛を感じることもない。
ただ、胸が空っぽになっただけ。
怪物はすでに消えた。
『宝玉』が凪の手元からどこかに去っていった。
独りぼっちになった。
「……ぅ、ぁ……」
凪という名前ではあったが、その魂が凪ぐことは結局なかった。
果たして、自分が何を望んでいたのか。
それすら知ることはなかった。
だから、泣くこともなかった。
欠けるように、月詠凪は死んだ。
26
有働と、自分たちが呼んでいたものが目の前にいた。
すでに他の『宝玉』持ちたちは残っていなかった。
だからいま、クロウと戦えるのはカナリア一人。
「カナリアさん……」
若葉はその人の名前を呼んだ。
無理を言って傍に置かせてもらったのだ。全身に防護フィルターを張っている。或守の忘れ形見だそう。
一度呼んで返事がなく、二度三度呼んでその人は振り返った。
その人の顔に表情は浮かんでいなかった。
ただどこか不思議そうにしているだけ。
「……頑張ってください」
その人は前を向いた。
クロウの頭上の空に散らばっていたUBが大量に集結し、落下してきた。
落下の衝撃でぐちゃぐちゃになった異形が合わさって、一つの大きな異形になった。
ソレを言語で表現するにはどうすればいいだろう。
冒涜的で、退廃的で、巨大におぞましい何かだった。
混沌の使者ではなく、漂白の徒。
仇花すら許さぬ真っ白な殺戮者。
クロウ対宝玉形態。クロウ・アルビノ。
完成した次の瞬間に、それは全身についた嘴から超音波メスを発した。
ヘリや戦車や人間が切れた。
周囲を固めていた自衛隊は壊滅する。
蒼い稲妻がクロウ・アルビノに激突した。
ぐらりと揺れたが、それだけ。
五本の手がカナリアを掴んだ。
電撃をつかんで離さない。
稲妻が収束し、炸裂する。
すべての
消し飛んだが、すぐに再生する。
否、その再生は生物的なソレではなく逆再生と呼べるものだった。
クロウ・アルビノは常に万全の状態を維持し続ける。
空に暗雲、雷撃が落ちる。
されど無傷。
足りない。パワーが足りない。
クロウ・アルビノが頭の上についた口を開いた。
発狂しそうな電子音声。
エネルギーが収束する。
尋常ではない熱量の光線が放たれる。
カナリアは『自身』のエネルギーを最大解放する。
極大のエネルギーと絶白の光線が激突した。
尋常ならざる激突は爆発すら消し去る虚数を作り、すべての力は虚へ消えた。
クロウ・アルビノはそのあまりにも絶大なエネルギー放出に一時機能停止する。
カナリアは――。
「―――カナリアさん!」
カナリアは、自分だけを囲う防護フィールドを展開し、自身の生存を優先することもできた。
けどしなかった。
そうしていたら、敵の攻撃は太平洋すら真っ二つに引き裂いていたであろう。
当然、それだけのエネルギーは余波だけでどこまで人間を殺すかわからないものである。
それをさせなかった。
削れて、失くして、それでも。
その体が崩れ落ちる。
若葉は全力で走って、ギリギリでキャッチした。
『蒼の宝玉』が地面に転がった。
それはつまり『宝玉』にとってその体が無用となったということ。
それはつまり『宝玉』の力を使えなくなったということ。
それはつまり、その肉体は――。
カナリアはその瞳で若葉を見た。
若葉は泣いていた。
わかば……だれのことだっけ。
ああ、けど、この人に泣いてほしくないなっておもう。
その涙をぬぐいたくて、手を伸ばした。
そしたら、その手はもう欠けていた。
こまったな。ってちいさく微笑った。
その人がなにかをいった。
なにをいったかは、もうわからない。
ああ、わたしはなにをいいたかったんだろう。
ふわり、風が吹いて、カラダが宙へ浮いた。
ちいさく、ソラにとけるように。
それは微かな光のようで。
手のひらで溶ける雪のように、彼女は消えた。
27
空からたくさんの『宝玉』が降り注いだ。
『蒼』も『白』も一人、しゃがみ込む若葉の頭上に。
その数、27。
その意味を、若葉はもう視っていた。識っていた。
或守の手帳で、ユメのなかで。
巫女と称された、前の彼女のことを。
クロウ・アルビノが再起動を始まる。
時間はもうなかった。
自分がここにいるのは、そのため。
そして答えは、もう知っていた。
決めていたのではなく、知っていたのだ。自分がすることを。
或守の言葉が脳裏をよぎる。
ああ、つくづく必然というものである。
若葉は手を伸ばした。
同時に雪が降った。今年最初の雪だった。
しんしんと、雪の音が奏でられる。
雪が躯を焦がし、旋律が心地よい。
思い出すのは、夕景の日。
それだけが、自分をつくるもので。
かけがえのないモノ。
あのしかめっ面を――。
27の光に触れる。
――砕けてしまった。
28個目の『宝玉』。
形になることのなかったその一つ。
それは27の『宝玉』が集結したとき、形となる。
完全数28。それを完成させるのは、その血の通った少女の魂。
28個目の『宝玉』とは、最後に残った『宝玉』を使える者、それ自体である。
もう、誰も残っていない。
一つになる。『宝玉』たちが一つになる。
斯くて、「 」は完成する。
終末機構抑制兵器。それは人を柱とした、禁断の発明。その文明が滅びるのはその時点で必然であったといえよう。
それでも、かつてのだれかは守りたかった。
生きていてほしい人がいて、生き延びてほしい人がいて、残ってほしい想いがあった。
届くかな。届くといいな。
大好きなあの人たちに。
特別な、あの人に。
愚かしくても、愛おしいから。
※
「若葉……!」
悲痛な声でひなたは叫び、走る。
神々しくさえある、痛々しくさえある、その光に向かって。
※
クロウ・アルビノが起動する。
標的がいる。
かつて、己を封印せしめた虹色の存在。
終末を終わらせるものが
クロウ・アルビノは飛翔する。
最大戦力をぶつけねば、倒せないと知っている。
すべてのUBが集結する。核を中心に細胞質が完全となり、究極の単細胞生物が出現する。
全ては一。それこそが究極の群れ(クロウ)。真白で真黒な災厄。
一時、距離を離し、確実にエネルギーを溜め――。
――が。
距離が詰まる。
クロウは距離を離す。
されど、それ以上の速度を少女は出す。
天空を怪物はとんだ。
音や空気すら引き裂く絶速。
されど、追いつく。
マッハ10。
音速は当の果て、絶速を凌駕し、いま神速に至らん――。
※
赫い空の下。
ひなたはふらふらと歩道を歩いていた。
緋い空の下。
若葉はふらふらと歩道を歩いていた。
※
虹色に、空が染まる。
異形の翼が灼かれる。
怪物の絶叫は、されど雲の上では響かない。
※
本当に、たまたまあっただけ。
たまたま、ひどくぶたれたときに、若葉と出会った。
本当に、たまたまあっただけ。
たまたま、家で両親が喧嘩して、滅茶苦茶になった時、無視されたとき、ひなたと出会った。
お互い、顏は知っていた。
いつも一人でいる子だった。
たまたまあって、少し話をした。
※
空が虹色に光って。
何かが起きている。
その何かは、きっと人間にはわからないもの。
関係ない、あそこに若葉がいる。
今、走らなくちゃいけない。どうしても。ただ、そんな確信がある。
※
お互いのことを話した。
幼いながらも、どうしようもない日々のことを話した。
二人で遠くへ行こう。
どちらかが先にいいだした。
二人で、二人だけで、どこか遠く。パパやママのいない、痛くない場所。
二人、手をつないだ。
子供の家出。所詮、うまくいくはずがない。
それでも、夕景だけがは二人を照らしてくれた。
※
怪物は墜落する。
追い打ちをかけるように、少女は神速でその體(カラダ)に突き刺さる。
まるで、虹色の流星のよう。
クロウは絶叫した。
再生を、逆再生をして元の状態へ。
しかしそれは赦されない。
―――エントロピー、凍結。事象は固定した。
かつてと同じく、全くあっけなく。
大地に激突し、爆発した。
爆発したという状態で固定される。
『セカイ』に霧散し、消え去った。
クロウは再び、エントロピーが飽和を迎えるまで復活することはない。
果たしてそれは何巡先の未来か、過去か。
※
短い時間だった。
それでも、楽しい時間だった。
初めて、誰かと心が通ったような気がした。
この人の傍にいたいと、そう思えた。
そして二人は親友になった。
唯一、心が許せる特別な人になった。
そんな幼い日。
ちっぽけで、愚かで、本当にありふれた、なんてことのない特別な出来事。
その日から、今日まで貴女を忘れたことはない。
そんなちっぽけなことをいつまでも憶えている。
忘れたりしない。
※
「若葉!」
ひなたは叫んだ。
完全に更地になったその地の真ん中で、若葉が倒れている。
まだ、言ってないことがたくさんある。
まだ、ふたりでしたいこと、ある。
まだ、傍にいてほしい。
それだけでは、だめなの?
私はずっと、憶えてるよ。
若葉の傍に駆け寄った。
かすかに残った彼女にひなたは寄り添った。
「若葉、わかば、わかばぁ……! なによ! まださよならも言ってないじゃない! どうして……、どうしてこんなことするのよ……! 私を独りにしないでよぉ……。こんなことなら、
……こんなことなら、世界なんて滅んでもっ……!」
ひなたの泣き顔が見えた。
若葉はそっと手を伸ばした。
応えるように、ひなたも手を伸ばした。
いつかの日みたいに、二人は手をつないだ。
ああ―――。想う。
このぬくもりが大切だから。
―――なんだ、そんな小さなことでいいんだ。
世界を白く染めるように雪が降った。
このぬくもりがあたたかかった。
雪の切れ間から光が差した。
冬の、やさしい日差しだった。
目に痛くない、やさしい光だった。
「若葉……?」
頷くように、応えるように。
いつかの幼い日々からのように。
あの日、夕焼けに隠れた貌のように。
若葉は微笑んだ。
エピローグ
初秋。
夏の暑さが和らぎ、秋の気配が近づいてきた。
遠くから声がしてきた。
「ひなたさーん」
ぶんぶんと手を振りながら、その娘は近づいてきた・
「うるさい」
「あぅ」
うるさいのでデコピンを食らわせてやる。
「未来ちゃん、貴女ね、もういい年なんだからもうすこし落ち着きを持ちなさいよ」
「うぇ~、まだ中学生ですよ~」
「はぁ、あの可愛らしい赤ん坊だった貴女はどこへ行ったんだか……」
わざとらしく、ひなたはため息を吐いた。
ちなみに白戸未来の抗議は一切受け付けるつもりはない。
そう、白戸未来。
焔の妹でまだ赤ん坊だった娘がそれなりに大きくなるくらい、あれから時間がたっていた。
二人で並んで歩いた。
二人とも秋服になっていた。
「学校の授業はどう? 未来」
「んー、ぜんっぜんわからん! でもテスト前はひなたさんに教えてもらうしいいもんねー」
「あのね、私はこう見えて社会人なのよ。そんな暇じゃありません」
「ぶえー。人付き合いが嫌いで研究職についたらもっと人付き合いすることになっちゃった人の言葉は含蓄があるなー」
「……」
一度きっちりと、しばき倒してやろうかとか考えるひなたであった。
ほんと、まさかあの子供がこんな生意気に育つとは……。
そして私となかよしになるとか、つくづく変な縁である。
「じゃあ、私こっちだから」
「あ、ひなたさん……」
「ん?」
「また、お見舞いですか?」
「そうよ」
「……」
未来は目を伏せた。
何かを言いたいけど、でもそれを言ってはいけないと。そういう顔だった。
「……若葉さん、でしたっけ?」
「そうよ」
「………早く元気になるといいですね」
「ええ」
「じゃ、じゃあ!」
未来はその場から元気にかけていった。
生意気だけど、いい子だなってひなたは思う。
孤宮若葉の体は病院のベッドの上にある。
ギリギリで生きていたのだ。
けれど、彼女が目覚めることはなかった。
今にも消えてしまいそうに、その命は弱弱しかった。
死んでいないだけで信じられないとどこかのだれかが言っていたような気がする。
けれど、目覚めることはなかった。
その体は弱弱しく、そして成長することもなかった。
ずっと、若葉はあの時間の中で止まっていた。
「……」
目の前に横断歩道があった。
信号が青になる。
いつかの夕日を幻視して、その幻影はすぐに消えた。
ひなたはひとりで、当たり前に横断歩道を渡った。
若葉の所に通うために。
それはずっと変わらない。
安楽死を勧められたし、若葉の母はそれでもいいやといったが、ひなたは西条主任にコンタクトをしてどうにか延命してもらった。
あの時役立たずだった人がこんな形で役立つとは。
若葉の母は、好きにすればといっていて。
お金は働いた分だけ出ていたから。
これがエゴだとわかっていても、いつか彼女が目覚める日を、ずっと待っていた。
※
深い、海の中のようなところ。
時間の闇の中に包まれていて。
ずっと深く堕ち続けている。
このまま、ずっとずっと。
……。
………………。
…………………………………。
ふと、誰かが背中を押してくれた。
ふと、上から誰かが手を差し伸べてくれた。
――若葉
聞き覚えのある声だ。
ユメの中であったようなこえ。
いつかよく聞いたような声。
懐かしい手を掴む。
ああ、この感触を識っている。
それからゆっくりと浮上した。
※
「若葉―。来たわよー。もう秋ねー、すっかり……」
ひなたは愕然とした。
指先が震え、唇が戦慄いた。
それがどういう感情によるものなのか。感傷によるものなのか。
ただ、抱きしめた。
いつか、我慢してできなかった分も。
窓から吹く風は、すこしだけ肌寒かった。
外には少しずつ褪せていく木々が見える。
少女は起き上がり、空を見ていた。
いつかのすがたのままで、夏の終わりを見ていた。
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