豊秋津のものがたり

へのぽん

この世の出口

 響夜は、どこかで聞いたことのある歌を口ずさみながら川沿いを歩いていた。久々に都会へ来て、テンションが高い。


「呑気ね。こっちは緊張で胃が重いっていうのに。結局倒してくれるけどさ」

「自信持てばええのに」


 平安期、空海が密教の秘伝を日本へと持ち帰るとき、青年に日本へと来るように懇願した。密教は大日如来を中心とし、真言と呼ばれる術を使い、森羅万象、人々の暮らしを守る。空海曰く龍洞拳の「拳」は真言そのものであると。龍洞拳と呼ばれるが、継承者本人は気にしていない。いつもは壱之拳いちのけんと呼んでいる。


「ごめんね、安くで使って。こちらにも予算があるの」

「鍋焼きうどんがええな」

「それくらいなら喜んでおごるわ」


 浜中少尉は笑った。



 ※

 夜、二人は大阪中之島の肥後橋界隈を歩いていた。開発計画のど真ん中の解体現場に「鬼」が現れたと通報があるので、陸上自衛隊浜中少尉は、高野山に滞在していた如月響也に応援を求めてきた次第だ。

 響夜は、浜中少尉は戦争でもしてるような格好だねと話した。これくらい装備していたところでも死ぬかもしれない不安がある。響夜はデニムにダッフル姿である。


「地獄穴の探索してたんだけど、誰か他でも動いてるみたい」

「厄介に厄介重ねてくる奴はいるしね」


 別働隊に対してインカムから聞こえた。

 浜中少尉は無視した。

 山田軍曹らが解体現場を覆う防音壁の間を大きなニッパーで切断してこじ開けた。


「軍曹らは待機。ここからは二人で入る」

「二人?」と響夜。

「わたしは邪魔?」

「みんなで行くのかと」


 解体中のビルは、昼間の埃がようやく地面に落ちていた。ブーツで踏むと、ふんわりとチリが飛ぶのが見える。

 浜中少尉は、腰から自動式拳銃を抜いて安全装置を外した。防弾防刃対策は万全だが、それでもどうにもならない相手のときはどうする。

 以前、響夜も拳銃を持てと言われたし、射撃の練習もしたが、当たらないし、頼ると隙ができるので遠慮した。浜中が響夜の下手さ加減に諦めたのもある。

 解体現場の足場に張った防音防塵シートが風に揺れ、紐が鉄パイプに触れてカランカランと不規則に鳴っていた。

 ゴーグル越し、浜中少尉は響夜に示すように頭上を指差した。ゴーグルも付けるように言われたが、視野に頼るようになるとの理由で断ると、もう何も渡さないとむくれられた。それでも信頼関係はある。

 如月は、ダッフルコートのフードをかぶった姿で足場から、破片塗れの三階フロアに忍び込むと、古い階段が上に続いていた。エレベーター縦穴に風が吹き込んで、低い音がビル全体に響いていた。

 二人、突入した。

 浜中少尉は階段を壁際、上の様子を探りながら上がると、響夜にハンドサインで来るように合図した。腕に付けた装置を示して、敵が近くにいると伝えてきた。

 鬼が現れると、一定の周波数と複雑なパターンが発生しているとのことで、それにウェアラブル端末が反応し、ゴーグルに敵が映されるらしい。階段の上にはいくつもの柱のあるフロアが待ち構えていた。

 ビルを支えていた柱が、一部の天井は抜けて冬空が見えた。突然、浜中少尉は柱の陰から発砲した。何か見えてたか。次の柱へと飛び込んで、闇へと発砲した。

 響夜は抜いた腰鉈を、浜中少尉の見ている方と真逆の背後へ投げつけて、一気に闇へと駆け込んだ。怯んだ敵の膝に硬い靴底を蹴飛ばし、手刀で腹を裂いた。如月の体が三人の青白い引火で照らされた。

 音も熱もない、紫の炎。

 魂だ。


「後ろ後ろ」


 響夜が短く放つ。

 浜中少尉は三発発砲した。響夜は浜中少尉の体をすり抜けて、喉を掴んだ敵を地面に叩きつけ様、蹴飛ばした。

 不意に闇からゴシックのドレスを着た女が現れた。美しい白い顔に乱れた髪がアンバランスだ。胸に添えた両手に何か持っていたが、ぬいぐるみのようでもある。


「わたしのかわいいアイドルが死んだのよ。でもわたしはあの子たちを蘇らせることができる。彼女の魂を入れる器さえあれば。でもこれは違うのよ」


 目を剥いた。

 白い顎に血が溢れた。

 膝から崩れ落ちた後ろでは、長い髪の女が打刀を鞘に納めるところだった。

 浜中少尉は拳銃を構えた。

 響夜は黙って見つめていた。

 結局、炎に包まれた。

 これこそが響夜の拳の力だ。


 浜中少尉はインカムに命じた。


「すぐに今の映像を解析して」

『了解』

「戻るわ。負傷者なし」


 ※

 ビルの界隈、どこにでもある大型バスに乗り込むと、浜中少尉は機材が集められた後ろへ進んだ。シンは席に座った。

 パソコンを前にした佐藤が、浜中少尉に説明した。高校生でも通じそうな顔をしていたが、話し方は小学生でもマネできそうにない。パソコン機材に囲まれて恐ろしい速度で機材を操作していた。


「地下系アイドル?」


 佐藤少尉は、タブレットで二つの画像を見せた。ゴスロリの方は一樹美弥(かずきみや)かつという自称アイドルだそうだ。


「二年前に死んでます。誰かが興味半分で蘇らせたのかもしれません。地獄穴が活性化してますからね」

「興味半分じゃないわ。クライアントに連絡して。部隊も臨戦体制を。これは誘導ね。まんまとわたしたち引っかかった」

「浜中少尉、つい今淀屋橋の袂に地獄穴を発見しました。対処します」


 佐藤の声が険しい。


「了解。支援は?」

「一帯は零式結界で封鎖作業中だそうです。支援要請でますかね」

「状況は途中で聞くわ。アイドルに誘き寄せられたようね」


 浜中少尉は響夜に頼んだ。


「ごめん。付き合える?」

「構わんで。ミックスモダン一枚」

「二枚でも三枚でもいいわ」


 響夜のは彼女とバスから降りると、駆け抜けるバイクを見送った。あれは夜遊んでいる未成年だ。浜中少尉は急停止したミニバンに乗り込んだ。


「マンホールくらいらしいわ。零式結界で漏れは防いでるようだけど」

「でかいな」


 しばらく走ると、


「了解」


 浜中少尉は、運転手に対して戻るように伝えた。響夜は徐々に車が停止するのを感じながらブーツの靴紐を結びなおした。


「この穴も罠やろ。一人で行くわ」


 と告げて車を降りた。


「結界は破られかけてるわよ」

「了解。そっちはそっちで警護の仕事に集中した方がええわ。ではまた後でな」

「頼むわ」

「頼まれた」 


 響夜は住友の前を抜けて、冬の風が通る川の上の橋を越えたところ、市役所の前の気配が淀んでいて、あきらかに地獄穴が臨界点に達し、異形の鬼がわらわらと這い出していた。背丈は子どもほどのものもいれば四つ足のもの片目のものもいる。獣のように毛に覆われているもの、生皮のようなものは首が二つある。

 手刀で数匹を倒した。

 龍洞拳の敵の魂を砕くことにあると言われている。倒されたものは、輪廻の輪からも消し去られる。この世にもあの世にも戻れない。

 引火は無への引導の印だ。地獄穴を塞がないと、霊の世界から肉体を求めて、魂の不完全な欠片が次々と現れる。

 世の中、輪廻の輪など悠長なことを受け入れたくない連中も多い。生きていられるなら、ずっと生きていたいが、肉体は限られる。いつまでも若くはないし、老いさらばえるし、いずれは朽ちる。そうであれば魂を新しい肉体へと乗り換えればいい。

 秘術があるのならば。

 マンホールほどの地獄穴から、互いを押し退けるように魂が、這い上がろうとしていた。地上に現れた魂は肉体を求めて草木、土、虫などを掻き集めながら空まで浮かぶ。火炎が空を覆い尽くすと、臭い土くれが雨のように落ちてきた。響夜は地獄穴に渾身の一撃を撃ち込んだ。拳の勢いとともに青白い炎が覆い尽くした。


「死に急ぐまでもないのに」


 安堵する間もなく、響夜は寸前のところで刃風をかわしたたが、植え込みのサツキの枝が払われ、次々と襲いかかる刃風から市役所の前を堂島川の水の匂いの中、柱の陰に背をつけて隠れた。


 一人なんかな?

 これが視線の源やな。


 そうしていると、広場に黒いラフなパーカーにカーキのパンツ姿の女が出てきた。

 右手に打刀を持って。


「罠じゃないわよ。おまえと話したい」

「誰に対しておまえ言うてるねん」

「おまえ以外いない」

「他に誰かおると思うたわ」


 響夜は柱から出て、冷たく照らされた階段をゆっくりと降りた。おまえと呼んだ彼女の近くにいるのは武装した五人だ。

 響夜は彼女と正対した。整えられた眉から通る鼻筋、薄い唇、頬を包むような髪、黒いジャケットの上からでもわかる華奢な肩。ズボンは冬の冷たい風に吹かれる。覗き込んできた上目遣いにドキッとした。

 響夜は背を向けた。


「ちょっと待って」

「あのさ」


 彼女が肩越しに覗いてきた。


「ちょっと舐めてんの?罠じゃないとは言ったけどさ。どっち向いてるのよ」

「え?罠なん?」

「違うけど。それにしても後ろ向くなんてバカにしてるの?」

「電話かかってきたもんで。いい?」


 突然、スマホが震えたのだ。響夜は画面を見ると、少尉と出ていた。


「待っててね。もしもし如月です」

「調子狂うわね」


 響夜は呆れた相手を手で制し、他から彼女に近づいてくる影。目で追いつつ浜中少尉の言葉を聞いた。


「ホテル?てかグランホテルてどこ?」

『アジト』

「あ、はいはい。あそこね。もう大阪はどこに何あるかわからんねん」


 電話口から激しい銃撃音がした。響夜は今すぐ行かなければならないのと聞いた。


「お〜い」

『ごめん。はじまった』

「わかった」


 響夜は高校生風の彼女を見た。


「話は、また後でええかな。ひとまず今からグランホテルへ行かないとあかんので」


 彼女は響夜の手から、スマホを引ったくった。拳銃を構えた三人がいて、彼女は控えるように手で制した。


「一緒に来て」


 セダンに乗せられた。後ろの座席でスマホを奪われ、番号を登録された。二宮礼子と記された。あちらには「きさらぎ」と記された。


「ホテルへ行って」

「二人?」

 

 セダンは、川沿いのホテルの地下駐車場に滑り込んで、タイヤを軋ませて停止すると、開いていたエレベーターに乗るように指示された。


「わたしたちもグランホテルに行かなければならないの」

「奇遇やん」

「バカか」


 彼女は、エレベーターの中、階上を目指している数字を見ていた。どこまでも美しい人だなと、響夜は見た。


「ジロジロ見ないで。わたしたちの追いかけているものは同じということよ」


 エレベーターが停まると、扉が開いて、血生臭いホールに出た。慌てて戻ると、彼女たちに「何をしてるんだ」という顔をされた。左から銃弾がかすめた。


「撃たないでくれ〜」


 飛び出した彼女は、抜刀した姿で廊下の突き当たりまで駆け抜けた。鬼たちの屍が泥のように絨毯に染み込んでいた。シンは銃撃がやんだのを聞いてホールへと出た。


「誰、あれは」

「わからん」


 浜中少尉の視線の向こうには、抜刀した彼女が腰溜めに構えていた。


「スイートの入口よ」

「他から入れないですか」

「ないわよ」


 エレベーターホールをまっすぐ行くと、大阪の夜景が見えた。壁はコンクリートのようだ。壊せないのかと尋ねると、ホテルごと壊すことになると答えられた。しかし壁の向こうにも数匹の鬼の気配がある。

 響夜は壁に沿い、足を運んだ。

 右の拳を壁に突き入れた。

 寸止めだ。

 壁に向いて上段を蹴ると、左の肘を壁際に叩きつけた。ラストに拳を突きつけた。


「残心」

「何してるの?」


 ※

 ホテルが静かになった。スイートルームは吐き気のする、人だったような泥の山に埋もれていた。ヘドロの山だ。キッチンもリビングも爪で削られ、拳銃を持った数人は引き裂かれていた。


「傀儡術か」


 響夜は別室を覗いた。ホテルは一つしか部屋がないと思っていたが、ここはいくつもあるので驚いた。

 急襲したが、浜中少尉は見知らぬ相手と鉢合わせた。すかさず響夜は相手の懐に飛び込んだ。拳銃を持つ相手を壁に押しつけると、彼を盾にして突き進んだ。


「下衆いわね」

「自分で浴びるのは痛いやん」


 浜中少尉が言うやいなや、ガラスが割れたて、人が飛び降りるのが見えた。瞬間、刀を床に捨てた彼女は目に見えない弓に矢を継がえて狙いを定めた。


 無防備すぎると、響夜は思った。

 矢を放つ寸前、天井が破れ三匹の蜘蛛女が降りてきた。響夜は蜘蛛を外へと蹴飛ばした。

 光を帯びた矢は、ビルの谷間を今まさに抜けようとしていた黒い翼をつらぬき、美しい顔が青白い炎に照らされた。やがて炎は対岸のビルで消え、街は黒くなった。


「落ちたんか」


 響夜は呟いた。

 お世辞にも痩せているとも言えない、ぶよぶよした老人が、ベッドの上で仰向けになって死んでいる。まるで歯はプラモデルのように乾いていた。老人は死ぬ間際に何を見たのかわからないが、幸せな人生を送れたようには思えない。


 浜中少尉が答えた。


「コイツが脇坂幸司よ。我々が守ろうとしていた人」

「誰か知らんが守る気にもなれんな」

「シンプルに言えば、政財界の裏世界の実力者ね。にしては哀れだけど」

「ま、死ぬときは誰でも哀れや。俺は落ちた鬼を探してくるわ。捕まえたらきび団子増やしてな」


 響夜は浜中少尉の脇を抜けた。


「お嬢様……」


 低い声が聞こえて、彼の背中越しにソファから起き上がる彼女が見えた。男は若くもないだろうが、ハリウッドのスパイ映画の主人公のようにスーツが似合っていた。


「わたしも行く」


 ※

 川沿いを吹き抜ける風が冷たい。響夜は肩をすくめた。川面の突風に川底の土をさらう背の低い船が波に揺れていた。 


「寒いね」

「冬だし」


 二宮と名乗る彼女が話した。


「我々はこの世とあの世を隔てる壁の間にある領地を守っている。二宮家の一人」


 日本には、この世とあの世を区別する緩衝地帯があると言われ、二宮家を含めた領主は平安以来、裏の世界で領地として維持しているのだと伝えられている。


「まさか壁越しに部屋にいる敵を倒した?」

「わかる?」

「龍の拳はそういうこともできるのね。脇坂は領地の領主である証の印を売ろうとしていた。この世とあの世を近づける奴に売れば大変なことになる。だからわたしたちは阻止しようとした。でも」

「売れたように見えんけどな」


 響夜が答えた。


「奪われたわね。烏間に」

「カラスマ?」

「烏間家も守護領主よ。二宮と同じ。奴は売買の話を聞いて印を盗んだ。領主たちは情報を共有してる」

「売り買いできるんなら買えばええねん」

「値段なんてつかないわ。すべてを治めることができれば、永遠の命と富と権力を手にできるはずよ」

「売ろうとしてたんやろ。脇坂は次の命を手に入れようとしていたんか」


 響夜は橋まで歩いた。


「間もなく術が解けるわ。死ぬはずのない付喪の術がね。術も永遠じゃない。いつか尽きるのよ。魂を食らえばなくなる。わたしたちは吸血鬼のようなもの。人の魂を食らい生き続けているけど、食えなくなれば老いて死ぬの」


 川下へと走る船が怪しい。川底の泥を積んだように見えるが、軋むような空気が伝わる。浜中少尉は拳銃を抜いた。如月は船と並走した後、橋へと曲がると欄干を越えようとした。


「ダメ」


 飛び出した響夜は、礼子にダッフルコートのフードを掴まれて止められた。


「何するねん」


 船が爆発した。黒煙が墨汁のように夜空を染めた。炎と煙が立ちこめられ、背骨に響くような振動がした。船はギシギシ護岸へと擦り付けられた。


「ごめん。大丈夫?」


 身を呈して止めた二宮が、星空を邪魔するように覗き込んだ。すると浜中がさっさと答えた。


「気にしない気にしない。あんなもんに引っかかる奴が悪いわ。退いてくれや」

「ごめん」


 浜中少尉はインカムで支援を要請し、響夜は中之島公園へと走り出した。


「アホを見つけたやん。見えたぞ。さ、追い詰めたるからな」


 ☆☆☆☆

 駆け出した響夜は、川沿いのプラネタリウムがある建物の広場にいた。二宮の仲間も集結しているようだった。


「何とかできる?」


 浜中少尉は呟いた。


「こっちは何とかするんやないか」

「わたしたちはホテル、船、解体現場への対処してるから頼んでもいい?」

「そやな。離れときや。歪みに巻き込まれんように。又は異空に飛ばされるで」

「任せたわ」


 浜中少尉は後ずさるように離れた。

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