5)


――消した? というか、さっさと消して。


 次の日の朝、会社に向かう電車の中で、天架からメッセージが来る。


――同じ電車に乗ってはいないよな? 


――連日の遅刻はまずいでしょ。


 その言葉に安心したような、何か寂しいような。


――あの動画を使って、こっちから君を脅迫出来ないものだろうかと考えているんだけどね。


――はあ?


――ネットにばら撒かれたくなかったら、こっちの言うことを聞け! 


――ちょっと、そんなことやめてよ。


 え? けっこう動揺しているのか? ばら撒けるものならば勝手にすれば! そんな強気な発言に返ってくると思っていたが。


――わかった。お兄ちゃんの言うことを、何でも聞く、・・・なんて言うわけないよね。お姉ちゃんに言うよ。盗撮されて、なおかつ、肉体関係も迫られたって。


 まあ、それがオチだろう。


――もちろん、消した。




 いや、実はまだ消していない。ヤバい代物だと思いながらも、あのままスマホに残してある。

 だってあまりに勿体無いのだ。あの動画の中の天架を消し去るなんて! 

 確かに肝心なところは見えてもいない。ただ下着姿を曝したという程度。

 観終えた瞬間は酷く落胆したことは事実だ。

 しかし被写体はあの天架なのである。何度か観直しているうちに、これはこれでも充分に価値のある動画ではないだろうかなんて考えにもなってきた。

 天架は恋人でも何でもない。永遠に彼女の裸身とは無縁だろう。

 それが僕の運命であるのに、しかしどういうことであろうか、このような半裸姿の動画が手に入ったのだ。


 かなりの鮮明な映像だ。天架が上半身下着姿になってからの数十秒間は、かなり見応えのある出来だった。

 見えそうでも見えないのが、逆に良い。彼女の乳房とブラの隙間の闇の中のことである。

 いや、もしかしたら見えたのかもしれない。何とも言えない。それを確かめるために、またその動画自体を見たくなるのだ。


 そしてスカートを脱いでからの十数秒くらいの時間も。

 普段の天架はスラッとしているタイプに見える。

 制服を着てても、部屋着でも、何というか小鹿のように敏捷そうな雰囲気なのだけど、スカートを脱いだ姿はこれまでの印象と変わった。下半身は意外とムチムチとしていたわけだ。

 脱いだ途端、生来のすばしっこい雰囲気は消えて、どのように形容すればいいのだろうか、言ってしまえばその逆、ある種の鈍重そうな女性に見えもした。

 それはしかし、女性らしさとか優しさとか、そういうものを感じさせる。とてもポジティブな空気感だった。


 人は裸に近づけば近づくほど、その人物の本当の正体のようなものが見えてくるものだとすれば、半裸姿の天架はかなりキュートである。

 こんな貴重な動画を消すなんて考えられない。

 これを消してもいいと思えるときは、彼女を自分のものに出来たときだけだろう。




 個人的にパソコンを所有していたら、この動画をそこに移せばいいわけであるが、あいにく家のパソコンは妻も使う。

 オンラインのストレージサービスに移すなどの案もあるだろうが、うら若き乙女の着替えを盗撮した動画を、そんなところに預けられようか。

 その案も却下。

 というわけで、動画はスマホのファイル内に残っている。


 勿体無さ過ぎて消せない。

 消すどころか、僕はスマホのロックを解除する暗号を変更した。

 これまでは栗子の誕生日の四桁がその暗号であったが、それを適当な番号に。

 これで当面、栗子にスマホを覗かれたとしても(例えば、僕が熟睡している間とか。我が妻はそのようなことを平然とやるのだ)あの動画に行き着くことはないだろう。


 しかしいつまでも、あのようなヤバい代物をスマホに入れっぱなしにしておくわけにはいかない。

 それは例えるならば、ポケットの中に違法の薬物とかを入れているのと同じで。


――早く消してくれないと、お姉ちゃんに言うからね。お兄ちゃんに盗撮されたかもしれないって。スマホ、チェックしてみてって。


 わかっている。

 天架がそんな手口で来ることは。そういうこともあり、あの動画を残していくわけにはいかないのだ。


――君の考えそうなことは理解していた。だから即座に消したんだ。


 僕は平然と嘘をつく。


――だったらいいけど。


――まあ、しかし僕を盗撮犯に仕立て上げるのは無理筋だと思うけどね。何せ、こっちにはアリバイがある。


――何それ? 


――君が浴室に入っていたあの時間、僕はまだ会社にいたんだ。自宅に帰っていなかった。盗撮なんて絶対に不可能なことが簡単に証明される。


 天架は僕のスマホを脱衣所に設置して、自分の指で録画をスタートしたに違いない。何も映ってない浴室の映像が、長々と続くのはそれが原因。

 その時間、僕は会社にいたのだから、その操作を僕は為しえないというわけである。


――そんな冷静に矛盾点を追求しても、お姉ちゃんはわかってくれないでしょ。お兄ちゃんのスマホに盗撮の動画があれば、もうそれでお兄ちゃんは盗撮犯だって決めつけられると思うんだけど。


 確かにその通りである。栗子にとって、スマホは魔法の箱。

 高度なアプリ類を駆使して、録画開始の時間を上手く操作したのだとか、あるいは外から録画を開始するよう細工をしたのだとか、何とでもファンタジーを考え出すだろう。

 その盗撮動画が見つかってしまえば、それで終わりなのだ。

 やはり、保存しておくわけにはいかない。だからと言って、消すのも惜しい。引き裂かれるようなアンビバレンツ。




――それよりも君こそ、あの写真を消せよ。


――何、あの写真って? 


――君が浮気現場を撮ったと言い張っている写真。本当のところは、別に何の証拠も写っていないけどね。


――じゃあ、いいじゃん、本当のところは何も写っていないなら。


 肝心のことをずっと言い忘れていた。C子と僕が一緒に歩いているあの写真を、天架に消してもらわなければいけなかったのだ。いったい何のために三万円も払ったというのか。

 まあ、しかしそれこそ天架はどこか別に保存しているかもしれない。

 オリジナルネガなんて観念もない。無限の増殖が可能な時代。そのスマホの中に、あの写真の複製が既に複数あったとすれば、一枚消されたところで何の意味もないのだ。


 僕はきっと浮気するのが早かったのだろう。もっと未来であれば! 

 もっとAIが進化した時代ならば、「こんなの偽造だろ? AIで作ったな」と言い張れば、それで済むはずであった。

 しかしまだ、そこまでの進化には至っていない時代。

 天架のような小娘が、あのような写真を偽造出来るわけもない。だからあの写真は、れっきとした証拠物なのである。




――昨日、それなりの現金を君は受け取ったよな? 


――うん、それがどうしたの? でもまだ約束の金額に達していない。


――最初の君の要求は三万だったはずだ。


――最初はね、でも気が変わったんだよ。私の気を変えたのはお兄ちゃんの不誠実な態度だから。


――僕が悪いというのかよ。


――そうだよ。




――なあ、おい。そんなに金が必要ならば、良いバイトを紹介してやろうか? 


 一方的にやられ放題である。このまま引き下がる僕ではないことを、天架に知らしめる必要がある。


――どんなバイト? 


――とても簡単な仕事だよ。楽に稼げる。


――嫌。


――まだ何も言ってないけど。


――何を言おうとしているのか、ピンと来た。


――食事するだけでもいいらしいぞ。


――だから嫌だって。


――金持ちの男性だよ。金が有り余っているんだ。君くらいの若くて容姿端麗の女性ならば、あっというまに稼げるだろう。十万や二十万はすぐかもな。もっと欲しいのなら、もっと過激なことをすればいい。




――それが嫌ならば、撮影会とかは? 君向きじゃないかな。僕がマネージャーになって、君を色んな撮影会に連れ回してやる。一緒に稼ごうではないか、君の裸で。


――はあ? 


――そういうのにまるで抵抗無いだろ? 実際、僕のスマホの前で裸になっている。


――裸にはなってない。


――いや、けっこう写っていたぞ。上手く隠したつもりだったんだろ? スカートをカメラのほう投げて。しかしカメラから少し外れていたんだ。


――嘘でしょ?


――見て確かめたくなったか。まあ、もう消したから、確かめようもないけどな。


――もしかして私のこと、馬鹿にしてる? 


――別に。


――しているよ。


――あっ、君はもうそういう仕事もやってるとか? 


――馬鹿にしているんじゃなくて、ケンカ、売ってるね。


――ケンカくらい売るだろ。こっちは散々、君に困らされてきたんだ。もう我慢の限界だよ。




 その遣り取りを最後に、天架から一切返事が返ってこなくなった。


――さっきのはちょっとした冗談さ。


 そのようなメッセージを送っても、音沙汰なし。

 少し挑発し過ぎたかもしれない。天架を本気で怒らせた。

 これは少しばかり、まずいことになったぞ。

 彼女を怒らせたとすれば、天架はついに決断するかもしれない。例の浮気の件を、栗子に告げ口するのだ。

 それだけは制止しなければいけないのに。


――あと二万、払おうではないか。今日の夕方、どこかで逢おう。


 それでも無視である。

 二万程度では無理か。しかしそれでも合計五万になる。さすがにそれ以上、出す気にはなれない。

 電車は会社の最寄り駅に着き、仕事をして、昼休みになっても、天架から何の返答もなかった。

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