第32話 誕生日と浴衣①

「透華さん、今日はちょっとだけ夜更かししませんか……?」


 夜も更けゆく頃、結衣が恐る恐ると言った様子で透華に提案した。


「え、いいですけど……。でも紅葉さんの方が眠そうじゃないですか……?」


「だいじょうぶですよ」


 いつも規則正しい生活を送っている結衣が夜更かしの提案をしてくることなど今までなかった。しかし、今晩の結衣は何かに期待しているように見える。眠そうだが。


「もう少し起きてるんならお茶でも淹れますかね」


「あ、待ってくださいっ」


 立ち上がろうとした透華を引き戻した結衣は、小さく「さん、に、いち……」と呟く。


「お誕生日、おめでとうございますっ!」


「…………えっ?」


 突然のあまり驚きを通り越して思考が停止してしまった。


「あ、あれ……? もしかして、間違っちゃいましたか……?」


 想定外の反応が返ってきた結衣がおどおどしている様子を見て、ようやく透華の思考が再開した。


「あ、いや、間違ってはないんですけど……誕生日を祝ってもらえるとか思ってなくて……」


 全くまとまっていない言葉がだらだらとこぼれてしまう。


「よかった……、誰よりも早く透華さんの誕生日をお祝いしたかったんです」


 にこっと微笑む結衣の笑顔に、透華も冷静さを取り戻した。


「それはめっちゃ嬉しいんですけど、僕紅葉さんに誕生日言いましたっけ?」


「生徒の誕生日を調べることくらい、保健室の先生なら簡単なんですよ? だからお祝いしちゃいました」


 えっへんと誇らしげにしたあと、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ結衣。


 確かに深夜零時、日付が変わって透華の誕生日の六月十二日になったが、透華自身はすっかりそんなこと失念していた。透華にとって誕生日は親からお祝いの電話が来るくらいで平日と同じだからだ。


「それだけじゃないんですよ、プレゼントも用意しました!」


 結衣は嬉々として続ける。とてとてと可愛らしく走って一旦部屋に戻ったかと思うと、お洒落な紙袋を携えて戻ってきた。


「どうぞ、頑張って選んだので……」


「……開けてもいいんですか?」


「もちろん! むしろ開けてもらえないと困るというか……」


 おずおずと差し出された紙袋を受け取り、開くと木の箱が入っていた。


「え、桐箱……」


 結衣の方を見てもそわそわと不安げにするばかりなので、そのままそっと桐箱を開ける。


「……おぉ……すごい……」


 そこには浴衣が入っていた。身頃が上になるように綺麗に畳まれ、収められている。


「広げてみてください」


 言われた通りに桐箱から取り出して広げてみる。するとそこには黒地に白い小さな花が散らされていた。


「……気に入ってもらえましたか? 前に浴衣の話をしたときに試してみたいって言ってたのを思い出して……」


「すごく嬉しいです、まさか覚えててくれるとは思ってませんでした……。こんなに綺麗な浴衣をもらえるとは思ってなくて……」


 淡く透けるような白い花が黒地によく映えている。極度に華美なわけではないが美しさが滲んでおり、寝間着にするにはもったいないくらいだ。


「喜んでもらえて良かったです……」


 不安そうだった表情から一変、安心した様子で呟く結衣は、にこにこと浴衣の説明を始めてくれた。


「私の浴衣は紅葉柄なので、透華さんの浴衣は透明なお花のイメージで仕立ててもらいました。その白い花は山荷葉さんかようというお花で、花びらが透明になる珍しいお花なんですよ」


 細かな意匠まで透華をイメージして作られたであろうことが良くわかる浴衣だが、説明を聞くことでより一層その解像度が高まる。


 しかし、透華は引っかかってしまう。


「え、仕立ててもらったって、すごく高かったんじゃないですか?」


 桐箱に入っている時点で安物ではないだろうと気づいてはいたが、まさかオーダーメイドだとまでは思っていなかった。着物の相場に明るくはないが、一万円や二万円では利かないだろう。

 結衣が誕生日を祝ってくれたことは嬉しいが、それほどたくさんのお金を使わせてしまったと思うと申し訳なさが勝る。


「そ、そんな申し訳なさそうな顔しないでくださいっ! 私が祝いたくてしたことなので……!」


 気づかぬ間に表情に出ていたのか、慌てて捲し立てる結衣の説明に透華は気圧される。


「誕生日プレゼントだけじゃなくていつもお世話になってる御礼でもあるので……喜んでもらえると嬉しい、です……」


「あ、ごめんなさい、すごく嬉しいんですけど、紅葉さんに負担をかけたんじゃないかなと思うと心配で……。あの、ちょっと着てきますね」


 勢いが失われて悲しげになる結衣の語気に引き出されるように自分の意図を告げる。嬉しくないわけでも、結衣にそんな表情をさせたかったわけでもないのだ。


「……どうですか?」


 自分の浴衣姿に感想を求めるという行為に幾許かの羞恥心を覚えつつ、結衣に聞いてみる。


「……すっごいです……。似合い過ぎて凄いです……」


 何故か結衣は過剰な反応をしているが、自分でもこの浴衣は似合っていると思う。ある程度サイズにごまかしの効く浴衣といえども驚くくらい大きさもぴったりだった。


「……本当に、ありがとうございます。大切に着ますね」


「ぜ、是非たくさん着てください……」


 両手で顔の下半分を隠したままの結衣が、小声で言った。




 ◇◆◇




「……せっかくの誕生日ですし、一緒に……寝ませんか?」


「せっかくの意味がわからないんですが……?」


 日付が変わってすぐに誕生日を祝われるという人生初の体験をし、綺麗な浴衣をプレゼントしてもらった夜。寝室に入ると、ゆっくりとついてきた結衣がそんなことを言った。


「おろしたての浴衣で、眠れるまで一緒にお話ししませんか?」


「ちょっと恥ずかしいというか、なんというか……」


 寂しい、甘えたいという理由があった先日とは異なり、今回はせっかくの誕生日だからということで一緒に寝ることを提案されている。なんの大義名分もなしに一緒に寝るのは何だか気恥ずかしい。


「恥ずかしがらなくてもいいと思いますけど……。それとも、私と一緒だといやですか?」


「……ずるいと思うんですが?」


 そういう聞き方をすれば了承すると思われているらしい。事実ではあるが。


「透華さんにだけは言われたくないんですけど……」


 何やら結衣としてもずるいと言われるのは不服らしい。


 何はともあれ、結衣が構わないのであれば透華としては特に拒む理由もないので了承する。


 一緒に寝る気満々だった結衣は始めから枕を持ってきていたので、共に布団に入る。


「失礼しますね……」


 二回程度では到底慣れそうにない良い香りとぬくもりに、否応なく感覚が研ぎ澄まされてゆく。


「浴衣で寝ると、パジャマとは違った気持ち良さがありませんか……?」


「……って、ちょ、なにして……っ」


 細くすべすべとした足が、透華の足に絡まる。足を絡ませられたことにより、向き合った透華と結衣の距離は睫毛が触れ合うほどまでに接近する。


「こうやって素足を絡ませて体温を感じられるのも、浴衣の魅力だと思いませんか……?」


「そんなことしなくてもぬくもりは感じすぎなくらい感じてるんですけどね……?」


 人肌というものを強く意識してしまい、まるで眠気とは縁遠い。


「ごちゃごちゃ言っちゃだめですよ? ぎゅっ……」


 最近不定期で聞く可愛い声と共に抱きしめられる。


「そ、そうやって黙らせられると思ったら、大間違いですからね……!」


 そうは言いつつも、自分でわかるほどたじたじだ。


「わかってますよ、大丈夫。私が人肌恋しいだけですよ……」


 眠たげに蕩ける瞳で結衣が甘く囁く。甘美な響きだが、なんだか子供のような扱いをされているような気がしてならない。


「……今日くらいは、甘えていいんですよ……? いつも頑張ってるから……」


 快楽に引きずり込むような囁きに、透華は思わず短く息を吸った。

 人肌の温かさに包み込まれ、異常なまでの安心感と多幸感を覚える。


「よしよし……」


 まるで赤子をあやすかのような結衣の声に、透華の意識は沈んでいった。



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