第10話 紅茶の香りとゆらぎ

 騒々しい昼休みとハイペースで進む授業を終え、放課後を迎えた。


 今日から部活動体験が始まるらしく、廊下には勧誘の声が飛び交っていた。


「俺サッカー部体験してくる!」


「おー頑張れー」


 元気に教室を飛び出す秀を投げやりに見送り、荷物をまとめる。


 結衣と同居している現状、部活動にかまけている暇はない。そもそも一人暮らしの高校生が部活動をやるなど至難の業なので部活動に入る気もなかった。生徒の自由意思を尊重するという教育理念なので部活動参加が強制でないことが幸いだった。


 教室を出て勧誘の手をくぐり、外に出た。暖かな春風が吹き抜ける。


(紅葉先生はまだ仕事だし、どうしようかな……)


 今後のためにと結衣と交換したメッセージアプリの連絡先。そこで「なるべく早い時間で上がるから待っててもらえないか」という趣旨の丁寧なメッセージが届いていた。


 現在時刻、三時四十五分。


(とまりぎで時間潰すか……)


 恐らく結衣の仕事は七時くらいまでなのであと三時間と少し。一度家に帰ってもよいが、またここに戻ってくるのも面倒なので学校の近くにある「カフェ とまりぎ」で待つことにした。


 のどかな春風に吹かれながら校門を抜け、歩くこと三分。見慣れた看板が目に入る。


「いらっしゃいませ」


 いつも通りのダウナーボイスが出迎えてくれる。


「あ、お客さん。学校終わり? お疲れ」


「環さんもお疲れ様です」


「今日もお客さん少なくて暇だったから疲れてないけどね。いつもの飲む?」


「お願いします」


 そう言うと環は「はーい」とカップを準備し始めた。


 透華も鞄から筆箱と課題の冊子を取り出し、勉強の準備をする。


「お待たせ」


 白磁のティーカップが目の前に置かれ、しばしの沈黙が流れる。店内に流れているピアノの音色と紅茶の香りが空間を満たした。


「そういえばさ、お客さんっていっつもカウンターで勉強してるよね。勉強するならテーブルの方が良くない?」


 普段なら透華が勉強している最中に話しかけてくることのない環が、おもむろにそう問いかけてきた。


「環さんとのこの距離感が妙に心地いいんですよね。あ、カウンターだと邪魔ですか?」


「いや、お客さん来ないし全然いいんだけどさ」


 出来るだけ気を付けているが、それでも多少は広くスペースを使ってしまっている。もしや邪魔だったのではと思っての問いだったが、不要な配慮だったらしい。


「そっか、お客さんは私と近づきたかったんだね」


「いや、そういうことじゃないですけど……」


 すらすらとペンを動かしながら答える。


「駄目だな、こういう時にお世辞でもそうだよって言えなきゃ可愛い女の子は落とせないよ?」


「じゃあ環さんはセーフか」


「ねぇ、なんでお客さんは私が揶揄うと倍の火力でいじめるの?」


「ふふっ」


 実際に環さんが可愛くないとは思っていないが、揶揄われっぱなしでは面白くないので揶揄ってみた。


「笑ってないで慰めようよ。泣くよ? 喚くよ? いいの?」


「はいはい、環さんはかわいいですよ」


「適当じゃない?」


「面倒だな」


 時々面倒な発言もするけれど、環さんとのこの時間がどことなく心地よかった。


「うわ、傷ついた、もう店じまいかな……。お客さんが真剣かつ具体的に褒めてくれないと心が傷ついたままだ……」


「はぁ……環さんは紅茶に詳しくて、ワンオペなのに接客ちゃんとしてて、本当に真摯にこの仕事に向き合ってるんだなって思ってますよ。……満足しましたか?」


「……お客さんって、昔からそうだよね。人たらしだ」


「今日それ言われるの三回目なんですけど……?」


 忘れた頃に思い出させてくる。


「はぁ、そんなにたらしって言われるならもうそっちの道を目指そうかな……。環さん、一緒に飲みませんか? 暇ですよね?」


「なんか棘を感じたけど、まあいいよ」


 そう言って環は自分の分のカップとソーサーを取り出し、流暢な所作で紅茶を注いだ。


「うわ、なんか難しそうな課題だね」


 広げていた課題を見て、環はそう言った。


「量は多いけど難易度はそこまでですよ」


 初回の授業だったので内容はオリエンテーションがほとんどだった。この課題もこれからの単元に必要な中学校知識の確認がメインだ。


「そっかー、でも国語って苦手だったんだよね。得意教科は家庭科だった」


「料理が上手いのは高校の頃からだったんですね」


「お客さん、うちのペペロンチーノ好きだったよね。サービスしようか?」


「ちょろすぎでしょ……なにもお願いしてないし……」


 とまりぎには食事のメニューも数多く存在している。どの料理もハイクオリティでとても美味しいのだが、特にペペロンチーノは絶品だった。


「あー、それ聞いたら食べたくなってきましたね……。でも今食べ過ぎると晩御飯食べられなくなるんで、また今度にします」


「一人暮らしなんだっけ? すごいね、しっかり自制して生活してるんだ」


(まあ、一人じゃなくなったんだけどね……)


 これからは結衣と生活することになる。より一層自制した生活が求められるのだろう。しかしそれ以上に楽しみを見出しているのも事実なので文句はない。


 そんな話をしていると、不意にスマホが鳴った。結衣からのメッセージだ。開くと、仕事が終わったという旨のメッセージだった。


(意外と早かったな……)


 まだ五時を少し回ったところなのだが、仕事が終わったのだろうか。


 なにはともあれ、結衣の仕事が終わったのであれば迎えに行かねばならない。


「環さん、お会計お願いします」


「あ、最後に、聞いてもいい?」


「え? 良いですけど……」


「お客さんって、知り合いに紅葉さんっている?」


 神妙な面持ちでそう問いかける環は、普段とは明らかに様子が異なっていた。


「いますけど、どうかしましたか?」


「その人って、悪い人?」


「え? いや、優しくて良い人、ですかね」


 結衣と同居していることが広まるのは避けたいが、環に嘘を吐くのも忍びないので、情報は最低限に留めた。別にその情報は環に関係ない──はずなのだが。


「そっか……そうなんだね……。別人か……?」


「……環さん?」


「いや、なんでもないよお客さん。お会計だったね」


 手早くお会計を済ませて店を出る。ちなみにとまりぎはかなりリーズナブルで、学生のお財布にも優しい。


 結衣とは校門で合流することにしておいたので、透華も校門へ向かう。


 すぐ校門が見える距離まで来たので、一度立ち止まって結衣にメッセージを飛ばす。


 外聞があるので、流石に生徒と教師が一緒に帰るわけにはいかない。そこで、結衣に少し前を歩いてもらい、いつでも対処できる距離を保ちながら透華が後方をついていくという方法で家に帰ることにしたのだ。


 メッセージを送ると、結衣が歩き出すのが見えた。それに合わせて透華も歩き始める。


(これだけ見たら完全にこっちがストーカーだよな……)


 どうか誰にも通報されませんようにと強く祈り、帰路に就いた。




──────────

 ついにこの作品の話数も二桁です! ここまでお読みくださっている皆様、本当にありがとうございます。遅筆ゆえにここまで来るのにもかなりの時間がかかってしまいましたが、これからも継続して投稿は続けていこうと思っていますので、何卒よろしくお願い申し上げます!

(♡や☆、コメント等で応援して頂けると筆者の執筆意欲と更新頻度につながるので是非お願いします! フォローも是非に……!)(松柏)

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