08-運命転変:私たちだけのユキオ




 二階堂ユキオの運命転変術式は、遠い空においてその陣を描き、ゆっくりとその発動準備を始めていた。

あとは時間さえかければ、用意した魔法陣は発動する。

ユキオは敵対者の打破は必要なく、時間稼ぎこそが主目的となり。

それ故に、勇者たちこそが先手を取る事になる。


 それは雷速に近しい速度にまで強化された、音を超える疾走。

先頭となる前衛、ヒマリが両腕で顔面を守りながら突っ込んでゆき、ユキオとの距離を詰める。

その背後からアキラが距離を縮め、後衛としてミドリが銃杖を構えユキオを見据えている。


「ん」


 初手、ミドリの牽制の弾丸がユキオを襲う。

ユキオは軽く避けつつ糸槍を放ち後衛らに対応を強制し、そのまま進むヒマリを待ち受ける。

糸剣が、蒼く煌めく。

袈裟に閃光を残し振り下ろされる剣閃、ヒマリは肩鎧の丸みと柔軟な体裁きで受けきった。

急激すぎるヒマリの強化幅を、ユキオが読み切れなかったとでもいうのだろうか?

疑問符を抱きつつも、ヒマリは糸剣を弾きつつ前に出る。


 踏み込み。

コンクリが破裂し圧壊、地割れが広がりユキオの足場を崩す。

吐気、ヒマリの拳が握りしめられ、放たれた。


「シィイイッ!」


 轟音。

空気が破裂し、圧壊。

空間ごと捻じ曲げるような、凄まじい剛腕が振るわれた。


(浅い……いや、これは!?)


 それは、無数の糸の盾だった。

透明な、触れると青く光る薄盾が薄皮のように無数に重なり、ユキオの前の空間を埋めていたのである。

ユキオの肉体を目標に振るわれていたヒマリの拳は、勢いに乗り切れず威力を殺される。

圧縮された時間の中、ヒマリの拳は次々に糸盾を砕いてゆくが、徐々にその勢いで減じてゆく。

やがて聖拳はその勢いを完全になくし、中空で停止した。


 中途半端な姿勢のまま硬直したヒマリ。

そこに体勢を立て直したユキオが糸剣を構えなおし……。


「そこ」


 糸剣を、銃弾が弾く。

咄嗟に手放したユキオは新しい糸剣を生成するも、一手遅れる。

その一手で、ヒマリは横に飛びのいた。

その背で隠していた背後、アキラが突き出した両手の先に溜めていた、巨大な黒い重力球を放った。


 全長3メートルはあろうかという防御不可の重力球が、超音速で全てを破壊しながら突き進む。

対するユキオは雷速化、体の向きを変えての疾走で重力球を回避し、直後目を細める。

巨大な高速重力球をブラインドとして、並行詠唱していた無数の重力球がユキオ目掛け放たれていたのだ。


(紙一重で避けようとしていたら、当たっていたのに!)


 ヒマリが舌打ちすると同時、ユキオはそのまま雷速で空に向かって包囲網を脱出。

同時、空間のそこかしこに配置された無数の水に目を見開いた。

その瞬間、ミドリの銃口がユキオを覗き込む。


「てー」


 気の抜けた声と共に、銃口から光が放たれた。

光線は目前に生成されたプリズムで拡散、同時に形状変化した空中の水鏡を蒸発させながら反射される。

数千の光線が一点に集まろうと、無数の角度から突き進む。

それはまるで、ユキオを中心に光が織りなす花弁だった。

文字通り光の速度で突き進むそれが、一秒の輝きと共に花咲かす。

三千度の火、鉄ですら溶解を通り越し気化する地獄の熱量が、空間全てを焼き尽くし。


「……中々の殺意だけど、こんなものかな?」


 されど、世界最強の男には至らず。

ユキオの糸結界は超絶の熱量と、瞳を焼く超光量をも遮断に成功しており。


「……この術式は、ここから」


 次の瞬間、ユキオは目を見開いた。

超高熱をまき散らさないよう、ミドリとアキラはその超絶の術式を結界で閉じ込めていた。

故に次に始まるのは、超熱量で膨張した空気による、圧迫である。

三千度となった空気の膨張率は、単純計算で約12倍。

同じ空間に閉じ込められた空気は、その圧力の逃げ先を探し始める。

すなわち、ユキオの糸結界とミドリとアキラの合同結界、どちらかを破り抜け出そうとする。


 純粋な出力では、ユキオは二人の合計の十倍以上となり、結界同士の押し合いなら有利なはずだ。

しかしユキオは、咄嗟に糸結界の体積を小さくし、その力の密度を高めた。

直後。


「お姉ちゃん、パーンチッ!」


 "勇者の聖剣"x"よろずの殴打"。

純粋な出力ではユキオを超える力が、結界と膨張空間を超え、ユキオの糸結界を揺るがす。

出力で上回り、かつ概念系の固有により一点に集中された力が、糸結界にヒビを入れた。


「……う゛っ」


 肉を焼くどころか融解、気化させて余りある熱量と、人肉など容易く押しつぶしてミンチにしてしまえる圧力とが、ユキオに襲い来る。

結果として、ユキオは瞬く間に消し飛んだ。

文字通り肉片一つすら残らない、完全な消失。

それを見届けたうえで、ミドリとアキラとは結界の上部を伸ばし開放した。

轟音と共に圧縮された空気が立ち上ってゆき、その熱量と共に宙へと突き進む。

ユキオの肉体を構成していた原子もまた、宇宙の彼方まで追放されていった。


 それは、壮絶な殺意の塊だった。

機動力も応用力も高いユキオに対し、空間ごと焼き尽くす光学系の術式で強制的に足を止めさせる。

その上で間に圧縮空間を置き、結界同士の押し合いという力押しの戦いを強制し、そこでヒマリという出力のみであればユキオを上回る戦士を使用する。

最後にはユキオの肉体だった気化したタンパク質を、復活を警戒し宇宙まで放逐までしてみせた。


 無数の接戦を制してきたユキオを相手に長期戦は不利。

故に短期決着、ミドリの力の大半を絞り出す大規模術式を用いた殺意の攻撃であったが。


「……これぐらいじゃ、死んであげられないな」


 声が、降ってきた。

青い糸が、空中に現れた。

それは瞬く間に立体的な人型を編み込み、ぱきんと割れて砕ける。

その中からは服装すら変わっていないユキオが現れ、続けその背に再び翼を生やしてみせた。


「……やはり、魂の術式の、練度が足りませんか」

「私とアキラの攻撃では、トドメはさせない……。姉さんの拳で決めないと、兄さんはいくらでも復活できるか」

「せ、責任重大だなぁ」


 二階堂ユキオは、魂の術式を極めた不死の存在である。

肉体を消し飛ばされた程度であれば容易く復活できるし、元肉体が宇宙にあっても他の場所に復活する事は可能だった。

同じ魂の術式を極めた相手にしか殺害は出来ず、ユキオに魂の術式の練度で劣るミドリとアキラでは、ある程度のダメージを与える事は出来ても致命傷を与えるには足りなかった。

それでも若干の消耗を見せるユキオに、三人は心を奮い立たせてみせる。


 改めてユキオを見やり、今一度ヒマリは震えた。

左目には青い光、長谷部ナギの魂の光。

右目には赤い光、ミーシャの魂の光。

背には青い翼、二階堂リリから継いだ、運命の術式。

嗚呼、とヒマリは幻視した。

左右からナギとミーシャとが、背後からリリがユキオに抱き着き、縋りついている光景を。

彼が手にかけた愛する者たちに、縋りつかれ続けながら歩んでいる光景を。


「……まだ、まだ! 行くよ、ミドリ、アキラ!」


 叫び、ヒマリは地を駆けてゆく。

二人が頷き、ヒマリに続いてゆく。

対するユキオは、昏い瞳のまま静かに彼女たちを待ち構えていた。




*




 時間の感覚がなくなるような、激戦。

三人の殺意が次々にユキオを狙い、彼を消耗させてゆく。

光と水の交響が、重力の嵐が、ユキオを引き裂いてゆく。

その血肉をまき散らし、臓腑を零し、魂を削り落としてゆく。

天に座す術式は、既にその準備の半ば以上を終えていた。


 それは、糸罠の拘束がミドリとアキラの二人ともに決まった、数秒の刹那。

ヒマリが全霊を賭してユキオを止めるべく、その前に立ちはだかった交錯の時であった。


 振り下ろされる青い剣閃を、青い拳が弾く。

半回転、下から抉りこむような軌道で反対側の拳を繰り出すも、ユキオがさらに一歩踏み込んだ。

アタックポイントより早く、十全に威力を発揮できない位置で、ヒマリの拳がユキオの腹部に突き刺さる。

骨を割り臓腑が潰れる感触、しかし同時にヒマリの目前に青い切っ先があった。

生成された糸剣が、ピンポイントでヒマリの眼球の目前に生まれたのである。


「……あ」


 死。

あと数ミリ突きこまれるだけで確定するそれに、圧縮された時間の中、ヒマリは絶望した。

全身の肌が泡立ち、心臓が大きく脈打ち、喉の乾きが異様に強く感じられる。

思考すらも前、言語化される前の原始的な恐怖がヒマリの中を巡った。

涙腺が刺激される。

その眼球を抉られるよりも遅い、辿り着かない涙がその発生を指示されて。


「まだです!」


 黒線に、ユキオが弾き飛ばされた。

それは重力の反対、斥力の力を込められた光線。

文字通り光の速度で到達するそれは、アキラにかなりの消耗を強いるがゆえに、ピンポイントでしか使えない強力な支援だった。


「な、なんとか……間に合いましたね」

(……間に合った? 本当に?)


 遅れ垂れてきた涙をぬぐいつつ、ヒマリは疑問符を抱いた。

違和感。

ユキオとヒマリは、ほぼ互角の力の持ち主である。

位階による純粋な出力はヒマリが勝るが、繊細な制御はユキオに劣り、若干力に振り回されている所がある。

しかし、互角では二階堂ユキオには勝てない。


(ユキちゃんは、今まで数倍以上の力を持つ相手に勝ち続けてきた、本物の英雄……。

 この程度の戦力差で、なんでこんなに戦えているの?)


 三人とも、無策でユキオに挑んだわけではない。

限界まで仕込みはしていったし、頭を突き合わせユキオに対抗する策は練ったうえでここに辿り着いてきた。

しかし、ユキオはその程度で戦いが成立するような相手だっただろうか。

戦い始める前の想定では、とっくに四肢のいくつかは失いミドリとアキラは戦闘不能となっていたはずだったが。


 試してみるか、とヒマリは下がり、肩で息をするアキラの隣に立った。

疑問符を視線に乗せるアキラに、微笑みかけてからヒマリはユキオに視線を戻した。


「ユキちゃん」

「……何だい?」


 ヒマリは、手を掲げた。

ユキオがしっかりとその動きに注目している事を確認したうえで、アキラの頭蓋に振り下ろした。


「あ」

「え」


 音速に倍するような、超速度の拳。

不意を打たれ回避もままならないアキラの頭蓋に、それが突き刺さろうとした、その瞬間である。

糸盾。

無数に張り巡らされた結界が、次々に割られながらヒマリの拳の動きを鈍らせる。

同時、青い稲妻が走った。

咄嗟に構えたヒマリのもう片拳と激突、吹き飛ばす。


「な……何をやっているんだ、姉さん!」

「……こっちに飛ばして、良かったの?」


 体勢を整えたヒマリの傍には、ミドリが困惑したまま銃杖をユキオに向けていた。

目を見開くユキオに、ヒマリは微笑みかけた。

再びその拳を掲げ、ミドリの肩口に向け振り下ろす。


「待てえぇぇぇえっ!」


 絶叫と共に、ユキオが雷速化、飛び出した。

振り上げる形になった糸剣が、ヒマリの拳を阻止、ミドリへのダメージを押しとどめると同時。

困惑したままのミドリの銃口が、輝く。

ユキオの脇腹が、銃弾にえぐり取られた。


「ごほ……!?」


 血塊を吐きつつも後退しようとしたユキオに、背から轟音が近づいた。

アキラの重力球である。

回避、しようとしてユキオは気づいた。

その射線上にミドリが居る事に、そしてそのミドリが避けようともせずに力を貯めている事に。

再びの雷速化、ミドリを突き飛ばすと同時、その手から放たれた二発目の弾丸がユキオの肩を抉る。

歯噛みしつつ続け跳躍、重力球を回避しようとするも、足先をかすめる。

靴ごと足指を数本持って行かれ、ユキオは呻いた。

そのまま着地に失敗、肩から倒れゴロゴロと転がる。


「シィイイッ!」


 そこに、超速度で突っ込むヒマリのストンプ。

ユキオは糸で己を引っ張り、跳ねあがるように回避。

そのまま再生した足で地面を踏みしめ、糸剣を生成、袈裟に振り下ろした。

肩口を狙うそれに、ヒマリは肩を跳ね上げる。

それは、常と逆の反応を狙った動き。

肩鎧の丸みで剣を弾く事は変わらないが、外側に弾いて剣を回避するのではなく、逆の内側に弾いて。

露わになったヒマリの首元へと、青い糸剣が吸い込まれるように進む。


「――――!?」


 咄嗟にユキオは、手にした糸剣を消し。

つまるところ、ヒマリの目前で無防備な姿をさらして。


「ごほ……!?」


 聖拳が、ユキオの腹にめり込んだ。

再生したばかりの脇腹に、運命と魂の術式を練り込まれた拳が、再生阻害の力と共に激突。

骨を砕き臓腑を破裂させ、一瞬ユキオの動きを停滞させる。

続けヒマリは、股下を狙い蹴り上げ。

金的を防ぐため咄嗟に膝を閉じたユキオだが、その凄まじい筋力がユキオの膝を打ち砕いた。

両膝頭が破裂し、骨片と血飛沫が跳ねる。


「……が、クソぉ!」


 絶叫と共に、ユキオの翼が羽ばたく。

雷速で飛翔、空に逃げるも、そこにミドリの光線とアキラの重力球とが迫る。

縫うような軌道でそれらを避けきり、ばさりと音を立て、空中に静止して見せた。


 ユキオは、既に満身創痍だった。

他の傷はともかく、ヒマリの聖拳による腹部の傷は一切治らないままだ。

聖拳による直接攻撃以外も効果があるのか、砕けた両膝も再生が遅く傷が残っている。

その傷だらけの姿を見て……ヒマリは、ぽろりと涙を零した。


「ユキちゃん……本当にもう、戦士として……壊れちゃってるんだね」

「…………」


 元より殺し合いであれば、三人がユキオに勝つ方法はない。

ユキオは三人を殺せないだろうが、しかしそれでも四肢切断や五感を奪うぐらいはするだろうと、そう想定して三人は戦いに挑んでいた。

しかしユキオは、三人に深い傷を与えることすら、できなかった。

失神するような傷や四肢を失うような大きなダメージは、例え回復可能だとしても与える事ができない。


「ユキちゃんは……もう二度と、大切なものを傷つけることができないし、目の前で傷つけられることも……許せない。例えその大切な物と戦っている、最中でさえも」


 これまでユキオは、目的のためならどんなに大切な相手だろうと傷つける事ができた。

殺す事が出来た。

だから最悪、殺される事さえ覚悟していた三人だったが……。

ユキオは、三人の想像を超えて、既に壊れ切ってしまっていた。

ユキオは自らの手で三人を傷つけるどころか、三人が傷つく事すらも許容できない。

もはや通常は、戦場に立つ事が許されない精神状態。


「ユキちゃんは、ここに居た英雄たちでは、戦いを成立させることすらできなかった。

 一瞬で、かつ後遺症ゼロにして倒す事が出来たけど……。

 むしろ、逆。

 今のユキちゃんは、戦いが成立する相手とは、マトモに戦えない。

 少なくとも私たち相手では……戦いにすら、ならない」


 相手が殺そうとしてきても、深く傷つける事ができない。

相手の仲間撃ちを許す事ができず、庇ってしまう。

圧倒的格下であれば勝利可能で、かつユキオが世界最強でありほとんどの相手が圧倒的格下だからこそ、判明しなかった弱点。

それが今、ヒマリによって暴かれていた。


「よくよく考えると、あの人……父さんが聖剣を覚醒させた時も、そんな動きだった。

 最後の最後、あの術式の誤作動が起きるまでは、ユキちゃんは父さんに大怪我をさせるような攻撃は一切できなかった。

 きっと、一年半前のあの日……ユキちゃんは既に、戦士として、終わっていたんだね……」


 一年半前。

ユキオがリリをその手にかけた、その日。

その日はリリの命日であると同時、戦士としてのユキオの命日でもあったのだった。


「ユキちゃん……降参して?」


 ヒマリは、満身創痍のユキオに問うた。

いつの間にか隣に来ていたミドリとアキラも、共にユキオを見つめていた。


「ユキちゃんは、私たちとマトモに戦える状態じゃあない。

 私たちが互いに傷つけ合おうとしたら、ユキちゃんはその全てを庇わずにはいられない。

 流石にその状況で負けるほどの力量差は、ないよ。

 ユキちゃんが私たちに勝つ可能性は……万が一にも、ない」


 ユキオが、顔を歪めた。

今にも崩れ落ちそうなその悲痛さに、見ているヒマリですらも胸中が痛む。

今からでも言葉を覆し、目の前の青年に歩み寄りたくなる。

誘惑に負けそうな自身の体を、必死に抱きしめ、ヒマリは押しとどめた。


「……まだだ」


 ユキオは、吐き捨てるように言って糸剣を構えた。


「僕の目的は、みんなを傷つける事じゃあない。

 術式の完成までの、時間稼ぎだ。

 術式を完成させるのが僕の勝利条件であって、姉さんたちを殺す事でも、傷つける事でもない。

 ならば……まだ、僕の勝ちは、消えていない!」


 翼が、輝く。

その手から放たれる糸が、ヒトガタを形どる。

それは、運命の糸で編まれた、青く輝く編みぐるみ。

全長100メートルを超える、超絶の質量が形を成す。


(いつかの薬師寺アキラ戦と同程度……運命転変の準備と戦いで、消耗しているからか)


 そう判断するヒマリだが、同時に危機感も感じ取っていた。

消耗しているのはユキオだけではない、圧倒的な力を持つユキオを相対するヒマリら三人もだ。

既に全員、スタミナは半分を割っている。

元々短期決戦を考えていた通り、もう長くは持たない。


「気を付けて! あの巨人に触れたら、拘束されちゃう!」

「ん、触手は一般性癖」

「ミドリ姉さま、寝言は寝てから言いましょう……」


 疲弊を誤魔化すための軽口だろうが、それでも肩の力が抜ける言葉だ。

緊張感のない二人に苦笑しつつも、ヒマリは停止、今度はミドリとアキラとがツートップで前に出る。

銃杖と黒い短剣が互いに向けられた、その瞬間である。


「待てっ!」


 糸巨人の拳が伸び、二人の間に落とされた。

ミドリの光線は糸巨人に防がれるが、防御不可の重力球は糸腕を貫きミドリに迫る。

その刹那、雷速のユキオ本体がミドリを抱き攫った。

横抱きに攫ったミドリに、ユキオの手から拘束の糸が発生しようとする、その瞬間。


「お姫様抱っこで攫うとか、えっちな事する気に違いない。えっち禁止」


 ミドリの体から衝撃波が発生、ユキオを重力球側に弾き飛ばした。

舌打ち、残していた雷速で重力球を迂回し着地するユキオに、ミドリの銃口が向き……弾かれるように動く。

目を見開くユキオ、その背後のヒマリに向け銃弾が放たれた。

頭蓋に向かう、致命の一撃。

ヒマリはその攻撃を避けようともせず、代わりにその聖拳に凄まじい力を込めじっとユキオを待っていた。


「……クソッ!」


 絶叫、ユキオは再び雷速で羽ばたき、ヒマリの目前の弾丸を切りはらった。

そのまま半回転、ヒマリに向き直ろうとするが、その拳が放たれる方が速い。

超音速の、正拳突き。

胸を狙うそれを、ユキオは糸剣の柄頭で撃ち落した。

超至近の距離、互いの吐息が肌で感じ取れそうな位置で、二人の視線が絡み合う。


 瞬間、ユキオの顔が強張った。

ヒマリの瞳に映る、ミドリとアキラの追撃を感じ取ったのである。

避ければ、ヒマリに激突する軌道。

対するヒマリはそのまま頭突きの仕草、軌道上に糸剣があるのに、一切躊躇せずに放ってくる。


「う、おおぉおお!」


 絶叫と共に、ユキオは糸巨人を操作した。

自身は背中に張り付けた糸を操作、一切の予備動作なしで背後に飛びのきつつ反転、速度で勝るミドリの銃弾を叩き落す。

直後、伸びた糸巨人の拳がヒマリを狙い、拘束能力故に回避を強制。

そのままユキオ自身は高く飛び上がり、重力球を回避し。


「うおおおえっち禁止ビーム! あ、やっぱり禁止はなしで」


 再び、プリズムに分化された光線がユキオを狙う。

その数は精々百程度、先だっての数千本には劣るも、それでも十分に回避は困難だ。

舌打ち、全力の糸結界で防御するも、その閃光がユキオの視界を奪う。


「えーと、触手禁止ビームです!」

「アキラはミドリの真似しなくていいよ……」


 ユキオの視界が戻った時には、昏い重力の柱が天高くつき立っていた。

糸巨人の消失を感じ、ユキオが顔を歪ませる。

同時、再びミドリとアキラとが武器を互いに向けていた。


「私がヒロインだビーム!」


 言いつつ、ミドリが放つのは雷速であれば間に合う銃弾である。

交錯する軌道、銃弾と重力球とがすれ違う。

舌打ち、ユキオは糸槍の投擲で銃弾を落としつつ、意図的に緩めた糸剣でミドリを切りつけた。

糸が、激突の瞬間ほどける。

まるで投網のようにミドリの胴体部分を拘束、そのまま飛翔するユキオごと重力球の軌道から離れた。


「あ~れ~」


 妙に余裕のあるミドリの声、その胸元には白く輝く光と熱量の塊があった。

その塊が膨れ上がり、光が漏れ出し始める。

自爆。

その単語を思いつくと同時、ユキオは咄嗟に糸網で光の塊を拘束、全膂力で空中に投げ放った。

そのまま飛び立ち、三人や地上の人々を守るべく全力の糸盾を空に向けて展開し。


「本気で行くよ!」

「卑怯ビーム!」

「えーと、えい!」


 その背に、ヒマリの空拳、ミドリの光線、アキラの高速重力球が襲い来る。

まずミドリの光線がユキオの肩を焼き切り、その左腕を切断して見せた。

小型の重力球が骨盤のやや上に命中、背骨と腸を消滅させ拳大の穴を空ける。

最後に辿り着いたヒマリの拳は、ユキオの頭蓋を揺らし、糸盾の制御を困難に。


「しまっ……!」


 ユキオが悲鳴を漏らすのと、爆発はほぼ同時だった。

歯を食いしばり、ユキオはその全霊を賭して糸盾を維持した。

永遠にも思える、数秒。

揺れた頭蓋で満足の行く集中ができないまま、それでもなんとか爆発を地上への被害なくしのぎ切り。

そして、追撃の光線と重力球が、その翼を砕いた。


「……ぁ」


 ぐらりと揺れ。

ユキオの体が、墜落を始めた。


 地上からは十数メートル、位階による保護が残った体であれば大けがはない高さではある。

だが、それが頭から落下する形であれば、話は別だ。

消耗しきったユキオがこのまま落下してしまえば、頭蓋が割れ砕けてしまうのが目に見える。

次第に落下の勢いが増してゆき、ユキオの頭蓋が地面に激突しようかという所で。


「ユキちゃーん!!!」


 叫び、跳躍したヒマリがユキオを空中で抱き留めた。


 時間が圧縮された一瞬、二人の視線が交錯する。

疲れ果てたユキオの視線と、濡れたヒマリの視線とが合った。

鼻と鼻が突き合いそうな距離。

唇から漏れる吐息が、互いの唇を撫でてゆく。

そのまま口づけでも始まりそうな、甘い刹那の時間が流れゆき。


 次の瞬間、ヒマリは掴んだユキオを下に勢いよく地面に激突した。

ユキオは二人分の体重で勢いよく背中を強打し、思わず血を吐く。

対しヒマリはユキオに跨り、マウントポジションを取る形となる。

ユキオが目の光を明滅させる間に、ヒマリはその両手の聖拳で、ユキオの残る右腕を掴み。

ガリィ、と奥歯を噛みしめる。

ブチブチと、分厚いものが伸びる音。


「うわぁぁあっ!」


 絶叫と共に、ユキオの右腕を引きちぎった。

ユキオが目を見開き、声にならない声を上げる。

アゴが外れんばかりに大きく開き、目からは血の涙を零しながらも、しかしその目にはまだ殺意が残っており。

だからヒマリは、即座に右腕を捨て去り、聖拳をユキオの左肩に差し込んだ。

先ほどミドリが焼き切った傷を、再生し始めるその瞬間に。


「がっ……ぐ……!」

「再生は……させないよ!」


 そのままヒマリは全膂力をつぎ込み、ユキオの左肩の傷を、握りつぶした。


「がぁああぁあっ!!」


 絶叫。

血泡の混じった唾を飛ばしながら、目を見開きユキオは叫んだ。

肩で息をしながら、ヒマリは唇近くに飛んできたユキオの唾を舐めとる。

ユキちゃんの味がするな、と疲弊したヒマリはぼんやりと考えた。


「……ギリギリ、だった……」


 呟き、ヒマリは疲弊と安堵に溜息をつく。

血涙を流すユキオが、力なく、それでもヒマリを睨みつけた。


「私はユキちゃんと同格で、総戦力では確実に上で。

 ユキちゃんは私たちに重症を与えられなくて、私たちの同士討ちを庇う他なくて。

 それでも……本当に、勝てたのはギリギリだったよ……」


 実を言うと、ヒマリはもうガス欠寸前だった。

近づくミドリにアキラもかなり消耗しており、あと数十秒でも戦闘が続いていれば、敗北していたのはヒマリら三人だっただろう。

微笑みかけるヒマリに、しかしユキオは、歪んだ笑みを浮かべて見せた。


「……そうだね……勝ったのは、僕だ」


 次の瞬間、空が蠢いた。

思わずヒマリが空を見上げると、天に座す運命転変の魔法陣が、動き始めていたのだ。

グルグルと回転を始めるそれは、術式光を放ちながらその圧倒的な力を全世界に満たし始める。


「ギリギリのところだったけれど、術式は……運命転変は、発動を始めた。

 もう僕を殺しても、この術式は止まらない。

 僕の……僕の、勝ちだ」


 ヒマリは、嗚呼、と小さく呟いた。

ある程度、想定はしていたのだ。

世界規模の運命転変ともなれば、発動停止できない帰還不能点から実際の発動まで、やや時間がかかる可能性がある。

その場合、期間不能点に辿り着いてしまえば、運命転変の術式発動そのものは止められないと。


「そうだね……ユキちゃん。

 もう、運命転変の術式そのものは止められない。

 術式がユキちゃんの魂が望む結果を出す事を……止める方法は、ない」

「そうだ、だから……みんなもう、これでお別れで……」

「"魂と肉体は、相互に作用している"」


 ヒマリの言葉に、ユキオはキョトンと目を瞬いた。


「だから……混ざるね」


 ヒマリは、胸の前で両掌を合わせた。

聖拳の蒼白なオーラが指先に集中し、凄まじい力を見せる。

そしてヒマリは、その輝く指を、そっとユキオの胸に置いた。

指を縦に揃え掌を外側に、胸の中心にそろえる形で。


「姉さん?」


 ヒマリは、ユキオに微笑みかけた。

そしてその指で、ユキオの胸を貫いた。


「が、はっ!?」


 ヒマリは、そのまま指を下方に下げてゆき、へその下あたりまでユキオの胸部から腹部にかけてを切開した。

途中短い悲鳴と共にユキオが跳ねるが、ユキオに跨ったままのヒマリの体重が抑え込み、動きを止めるには至らない。

微笑みの表情を変えないまま、ヒマリは縦一直線に切り裂いたユキオの傷に、指を入れ込んだ。

そのまま皮膚を握りしめ、バリバリと開く。


「げ、げほ、な、なに、なにを」


 折しも秋も深まった時期、この日は少し肌寒かった。

ユキオの開きにされた腹部からは、外気との差で湯気が上がる。

テラテラと人血の油分で赤黒い臓腑が輝き、零れ落ちた黄色い脂肪がアクセントのように散らされ、コントラストを作っていた。

変わらず微笑みかけながら、ヒマリは血に濡れた聖拳を、今一度胸の前で合わせた。


「なにって……だから、混ざるんだよ」


 そしてヒマリは、自身の腹部に聖拳の指を突き刺した。

慈母の笑みを変えぬまま、ゆっくりと突き刺した指が下りてゆき、股間近くまで切り裂いてゆく。

そして先と同じく、バリバリと自身の腹部を開けて見せた。

再びの、湯気。

ユキオとほど近い、赤黒く輝く臓腑が顔をのぞかせる。


「ユキちゃんと……一つに」


 そして、ヒマリは前のめりの姿勢を作り。

ヒマリの臓腑が、ユキオの臓腑へと零れ落ちた。


「あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああっ!!!」


 ユキオの喉から、絶叫が迸った。

小腸がどっさりと。

大腸はどこかに引っかかっていたのか、小腸のスペースが空いてから引きずられるように。

ユキオの腹部にこんもりと積もってゆき……次いで、ヒマリの両手が、そこに入った。

揉みこむようにして、二人の臓腑がかき混ぜられる。

ユキオは痙攣し、目の光を明滅させた。


「私が……ユキちゃんの中に」

「あ、あああああ、あ、ああ」

「ユキちゃんが……私と、一つに」


 もはやユキオの喉は叫びすぎてパックリと割れ、血の咳を漏らしながら、言葉にならない声を漏らす他なにもできなかった。

そして、影が差す。

ユキオが瞬きをし目に溜まった涙を落とすと……ミドリとアキラとが、両膝をついてユキオを見下ろしていた。

丁度、ユキオの頭を二人で囲む形だ。


「な、なに、なにを」

「姉さん……おてて貸して」

「いいよ。ほら、アキラも」

「はい……」


 ユキオの言葉を意に介さず、三人は目配せすると、まずヒマリがその両手でユキオのこめかみを掴んだ。

たっぷりの血で濡れた聖拳が、ユキオの頭に手甲の手形を残す。

次いでミドリとアキラの二人が手を伸ばし、ユキオの頭蓋、その前半分を縁取るように、そっとその指でなぞってゆく。

痕には術式の力が残り、最後に二人はそれぞれ、ヒマリの聖拳に手を重ねるようにしてみせた。

自身とヒマリの血が入り混じった異臭が、ユキオの鼻を突いた。


「兄さん……"魂と肉体は、相互に作用している"」

「老子も言っていた事で……だから、そういうことです」


 次の瞬間。

パカリと、ユキオの頭蓋が割れた。


 ミドリとアキラが縁取ったそこを基準に、ヒマリの聖拳……つまるところ、魂に影響を与える事ができる装具にて、ユキオの頭蓋が割れ外されたのだ。

丁度、ユキオの眉から上、前半分。

脳髄が、外気に触れ湯気を上げる。

脳髄には感覚器がないはずなのに、不思議と不快で、ユキオは身震いした。


「……いいよね?」

「……はい」

「兄さんの脳みそ、結構セクシー。あ、オッケーね」


 言いつつ、ヒマリがズリズリと零れた臓腑を引きずりながら、姿勢を前に。

三人が、頭を突き合わせた。

丁度ユキオの真上で、その頭蓋が合わさるようにして。

そして、ヒマリはミドリとアキラに。

ミドリはヒマリとアキラに。

アキラは、ヒマリとミドリに。

三人それぞれ、両手を伸ばして互いの頭蓋に手を触れて。


「……これで、寂しくないよ」

「もう二度と、離れない」

「永遠に、一緒です」


 三人の頭蓋が、砕けた。

桃色に銀色の髪の毛、肌色に血と脳髄の灰色が、色乱れる。

割れた頭蓋から、三人の脳髄が零れ落ちる。

ユキオの、露わになった脳髄目掛けて。


「…………あ」


 どちゃ、と。

重い音と共に、だからそれらは、混ざり合った。


「ああああああああああ」


 "魂と肉体は、相互に作用している"。

ユキオは魂を元に自己蘇生が可能であり、また二階堂ヒカリによる脳髄への術式は、ユキオの魂を不可逆に変質させた。

つまるところ、肉体への強い変質は、魂をも変質させる。

今、四人の脳髄は混ざり合った。

誰が誰がか分からないぐらいに、分離不可能に混在。

脳みその指令が、入り混じる。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ」


 魂の意志が、混じり始める。

運命転変の術式が……世界の運命を変える術式が、どのように運命を変えるかの参照元を、取り違え始める。

ユキオの魂の願い、自身の消失、生まれなかった事にする運命の改変だけではなく。

残る三人の願いが、世界の運命を変えようとしてゆく。


 その三人の願いに呼応するかのように、輝きが生まれた。

ユキオの左目に宿る、長谷部ナギの魂が。

ユキオの右目に宿る、ミーシャの魂が。

ユキオの背に宿る、二階堂リリの魂の、その名残が。

それらが三姉妹の魂の混在に便乗して、流れ込んでゆく。


 ユキオ一人の願いではない。

愛し、愛された者達の願いが注ぎ込まれて。

運命転変の術式が……今、発動した。




*




 運命が、変わった。




*




(朝だよ、コトコ。起きなって)


 低く、しかし輪郭のはっきりした優しい声。

淀水コトコは、聞きなれた愛おしい声に、ゆっくりと意識を覚醒させた。

見慣れた天井、ぼんやりとしたまま掛け布団を避け、ベッドから足を下ろしつつ上半身を起こす。

なんとなく、違和感。

首を傾げつつ、欠伸交じりにコトコは内心で口を開いた。


(おはよ)

(おはよう、コトコ)


 愛おしさを声に乗せたそれに、コトコはニンマリと微笑んだ。

昨晩の彼の激しさの、その余韻を体に感じたためだ。

とは言え、朝からそれに浸って発散を始めると、流石に彼にも同居する母にも怒られる。

頭を振って甘い誘惑を追い出すと、コトコはカーテンを開けて日光を浴び、朝の身支度を始めた。


 彼と会話しながら、一階のリビングダイニングに降りてゆく。

母と挨拶しながらキッチンへ、パンをトースターに突っ込み、取り置きされていたサラダをトレイに。

牛乳、ドレッシング、食器にバターを取り出しているうちにパンが焼け、取り出して皿に乗せ、自分の席に行く。

両手を合わせ、いただきます。

もしゃりとバターを塗った食パンを口にしつつ、テレビ番組に視線を。


「セルフ恋愛特集、ねぇ」


 もう一人の自分との恋愛している人の、特集であった。


(僕らみたいな人の事?)

(みたいだが……うーん)


 特集の内容は、どこか批判的だった。

最近、もう一人の自分を恋愛対象にする人々が増えている。

そのために出生率が下がり、現代の若者はけしからん、という論調である。


(はー、マスゴミすぎる……。昔から普通に居ただろ、セルフ恋愛。

 歴史を勉強してないし、大河ドラマとかすら見てないのか?

 つーか出生率は経済とか自由恋愛が理由だろ、何言ってるんだコイツら)

(スポンサーの意向なのか、この方が面白いと思っているのか、何とも言えないね)


 コトコの中で呆れた声を零す彼に、内心頷きながらコトコはリモコンを手に取った。

母に了解を取りチャンネルを変えると、朝のテレビドラマがやっているところだった。


「あぁ、新しいのが始まったんだっけ……。

 えーと『人生一人プレイ』?」


 見ると、どうにもそれはよく似た異世界に迷い込んでしまったドラマのようだった。

その異世界では、人類にはもう一人の自分はいない。

生まれた時から魂の中でずっと付き添ってくれる、人生の伴侶が居ない、一人きりの人生。

余りにも寂しいそんな人生を送る人々は、寂しさを埋めるために愛する人を強く求めてゆく。

成就し幸せになり、或いは裏切られて破滅し、或いは寂しさに耐えられると強がって壊れてゆく。


(うわエグ……。おまえが居なかった世界なんて、想像もしたくないぞ。朝からスゲーの見せられるな……)

(うん、そうだね。まるで……人類の運命が、変わってしまったかのような世界だ)

(詩的な感想だなぁ)


 コトコはもう一人の自分にかなり依存しているが、これは珍しい事ではない。

人類は、寂しさに耐える事はできない存在だ。

孤独に生きる事はままならず、もう一人の自分が居なければ生きることに耐えられない生き物である。

まれに見るもう一人の自分を拒絶した人々は、ただ一人の例外もなく、寂しさのあまり自決してしまっている。


(こんな世界に生まれたら……私は生きていけそうにないよ。寂しくて、耐えられない)

(今は僕が、ここに居る。だから、あまり辛い想像を、積極的にしなくてもいいんだよ?)

(ん……ありがと)


 もう一人の自分と直接触れ合えるのは、夢の中だけ。

だから感じないはずの肉の温度を、しかしコトコは夢想した。

自分を抱きしめ慰めてくれる、そのヒトを。


 朝食を終えたコトコは、時計を見つつ身支度を整えた。

母にいつもの倶楽部活動に行くと告げ、靴を履き玄関を出る。

鍵を閉め表に視線をやると、紅葉の葉が舞い落ちるのに、深まってきた秋を感じ取った。

小さくため息、もう一人の自分に声をかけた。


(……行こう、ユキオ)

(うん、一緒に)


 コンクリを、ブーツの靴裏が叩いてゆく。




*




「こんにちはー。コトコです」

「いらっしゃーい!」


 近所の広い一軒家、二階堂一家。

ヒマリとミドリ、リリとアキラの四姉妹の元を訪ね、コトコはそこにやってきていた。


「今日も親父さんは外出か?」

「うん! 龍門さんは、ヒカリさんとお出かけです! ラブラブデートだって!」

「彼の嗜好には何とも言えませんが……まぁ、口出ししないようにはしています」


 リリとアキラの言葉に、あぁうん、とコトコは生返事をする。

二階堂ヒカリは龍門の妻で、二十年近く前に亡くなっている。

彼女は精神操作系の術式を持っており、亡くなる前に龍門のもう一人の自分の精神を成形し、ヒカリそのものの精神に削りだしたのだという。


(もう一人の自分について、口出ししないのがマナーとは言っても……。

 中々エグくてちょっとキツいな)

(うーん、それがコトコのためだと信じる事が出来れば僕は身をささげられるかもしれないけど……。

 中々想像しづらいシチュエーションなのはそうだね)


 故に龍門の言うデートとは、肉体的には一人で遊びに行くモノである。

レストランでは二人分の料理を注文し、向かいにもう一人の自分……妻ヒカリを幻視し会話しながら食事をするというのだから、中々極まっているものだ。

怖いなぁ、と内心独り言ちつつ、人懐っこいリリと寂しがりやのアキラに両手を掴まれ、リビングに連れられる。


 リビングには、倶楽部のメインメンバーが集まっていた。

この家に住む姉妹の、ヒマリ、ミドリ、リリ、アキラの四人。

コトコと同い年の長谷部ナギ。

メイドとしてこの家に住まうミーシャ。

近所に住むミドリの一つ年下の後輩、チセ。

コトコを含めたこの8人が、倶楽部のメインメンバーとなる。

ここに海外住まいのシャノンやヴィーラも、リモートであったり時折渡航して参加する事になるが、今日は仕事の都合で居ないようだった。


「では、今日も……ユキオ倶楽部、開催です!」

「ま、大したイベントはない定例会だけどね」


 ヒマリとミドリの言葉を音頭に、皆が軽く拍手をしてみせる。

……この8人、サブメンバーも合わせた10人には、偶然のような共通した秘密がある。

彼女たちが生まれた時から持つもう一人の自分、それが全てユキオという名の男性なのだ。

そして奇妙なことに、その想定年齢ですら同じなのである。

――大抵は宿主と同一年齢という設定に生まれるもう一人の自分だが、時折宿主と離れた年齢で設定される事がある。

この場で言えば、最も大きく離れた年齢差として、リリとアキラの双子とユキオとは8歳差。

全員にとって今年20歳の青年が、彼女たちにとってのユキオなのであった。


(流石に父さま呼びで近親愛をずっとやってるっていうのは、初めて聞いた時引いたが……)

(まぁ、そこは個々の自由だから、口に出さなければいいんじゃないか?)


 皆の内心のユキオは、容姿もほど近く、少なくとも身長体重体形はほぼ同一。

髪型や服装はそれぞれに異なるが、それらは宿主の趣味の範疇で収まる程度。

そしてこの倶楽部メンバー全員にとって、ユキオは自分だけの恋人なのであった。

その偶然に首を傾げた面々が、何となく集まるようになったのが、このユキオ倶楽部の正体である。


「"私たちだけの……ユキオ"」


 ヒマリが唱えるその言葉に、皆が頷く。

皆にとってメンバーは同じユキオ像を共有して話せる相手であり、そして同時に夢想の中でさえユキオを決して渡す事の出来ない相手。

だからこの倶楽部の標語として決めるのであれば……まさにその言葉が良いと、全員一致して決めた言葉なのである。


「ボクの……運命の人」


 長谷部ナギが、ボーイッシュな紺の髪をかき分けながら告げる。

いつか、どこかの世界線で、長谷部ナギは世界の変革を望んだ。

直感で二階堂ユキオが地獄ですら生ぬるい狂気の道に歩まざるを得ない事を悟り、愛する人がそんな目に遭う世界は間違っていると、世界を破壊することを望んだ。

それは、叶った。


「ユキさんと……ずっと、ずーっと二人で……認められる」


 ミーシャは、そっと腹部を抑えて濡れたように湿った言葉を漏らした。

いつか、どこかの世界線で、ミーシャは愛し合う事を認められる事を望んだ。

勇者の息子と魔王の娘、結ばれることが許されない世界を変えて、ユキオと二人結ばれて祝福される日を望んだ。

それは、叶った。


「父さまと……愛し合い、続ける」


 二階堂リリは、自身を抱きしめ深い溜息を洩らした。

いつか、どこかの世界線で、リリはただただ父に愛される事を望んだ。

血の繋がった父、運命に縛られ何があってもリリに異性を感じるはずがない父に、それでも異性として愛してほしいと望んだ。

それは、叶った。


 下野間チセは、淀水コトコは、いつか、どこかの世界線で、二階堂ユキオと魂を共にしなかった。

サブメンバーであるシャノン・アッシャーやヴィーラ・アントネンコもまた同じ。

しかしその愛は、例え運命が変わっても、彼を自分の魂に引き寄せた。


「父さまと……永遠に、一緒」


 二階堂アキラは、唇を静かに撫でた。

いつか、どこかの世界線で、アキラは父との永遠を望んだ。

半身を失い大切な者を失う恐怖に苛まれ、父との別離を何よりも恐れ、命潰える時まで永遠に二人で共に居られる事を望んだ。

それは、叶った。


「兄さんに……ずっと、飼ってもらえる」


 二階堂ミドリは、首筋を撫でた。

いつか、どこかの世界線で、ミドリは兄に飼われる事を望んだ。

無償の愛を与えてくれる唯一の相手を、父とも母とも認識できず、だから自分の飼い主なのだと信じることにして、その夢を叶える事を望んだ。

それは、叶った。


「ユキちゃんは……私の、全て」


 二階堂ヒマリは、自身の乳房を撫でた。

いつか、どこかの世界線で、ヒマリは弟に全ての愛を受け取り、そして愛し返す事を望んだ。

自身の父に、母に、兄に、弟に、恋人に、夫になってほしいと望み、今はさらに息子にも娘にもなってほしいとも望んだ。

それは、叶った。


 ユキオは"私たちだけのユキオ"になった。

彼女たちのユキオは、もはや宿主である彼女たちしか見ようとはしないだろう。

決して彼女たちを裏切る事なく、永遠に共に居て、その人生に寄り添い続けるだろう。

その全てを、彼女たちに捧げ続けるだろう。


 だからこれで、みんな幸せ。


 苦しむかもしれない二階堂ユキオは、望み通り、その存在とその痕跡そのものがなくなっている。

存在しない彼は、もう二度と苦しむ事もなく、認識されることさえもない。

存在する事への耐えがたい苦痛に、苦しむ事もない。


 かつて誰かに認めらえるために英雄を目指した少年は、青年となり、誰にも一切認められない事を望み、叶えた。

だからこれは、非英雄譚。

その存在は消え去り、無かったことになり苦痛も悲哀も何もかもが消えていった。

だからそれは、悪夢だったモノ。

悪夢の非英雄譚は、存在しない誇大妄想となって消えてゆく。


「「「「「「「「あぁ、幸せだなぁ」」」」」」」」


 誰一人寂しくない世界、存在しなくなった青年の屍の上を、今日も乙女たちは幸せを謳歌しながら歩んでいった。




ナイトメア非英雄譚



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