ex01-ユキオの"そして"
目が、覚めた。
見慣れた天井、思い出深い我が家。
そのままなんとなく、少しの間ぼうっとしていると、天井の隅に染みを見つけた。
白い壁紙の天井に、灰色に近い、僅かに赤味を帯びた……、あぁそうか、あれは僕の脳みそだ。
かつて薬師寺アキラに脳みそを爆散させられた、部屋に飛び散った。
あの後の清掃で取り切れなかったのだろう。
爆死して敗北した事を思い出して、目が覚めた瞬間から落ち込みつつ起き上がる。
立ち上がって、机の上に視線が行き、生成り色の生地張りのノートが目に入る。
ナギの遺品。
そうだ、昨夜埃が気になって軽く払って、そのままにしていたのだ。
僕はそっとノートを手に取り、卓上の本立てに入れてやる。
数秒、手放すのを惜しんでから手を離した。
そのままドアを開けて出ようとして、次に部屋の中にある花瓶が目に入った。
ミーシャと選んだ花瓶だ。
その中には、リリが飾っていた生け花を、ドライフラワーにしたものが飾り立ててある。
数秒見つめてから、視線を切り、部屋を出る。
時刻は午前8時。
居間で朝食を取っている面々の気配を感じながら、洗面所に。
顔を洗って、鏡を改めて見やり、左右の目に宿る赤青の光、ナギとミーシャの魂を確認。
輝きが年々強くなり続けているような気配を感じながらも、それを心の奥底にしまい込んだ。
「……おはよう」
「! おはよう!」
「……おはよー」
「おはよう」
「…………!」
無理に元気そうに返したのがヒマリ姉、テンション低そうに返すのがミドリ、短く返すのが父さんだ。
アキラは口がいっぱいで、なにやらモゴモゴさせながら軽く手を振っていたので、振り返してやる。
僕は席を立とうとするヒマリ姉を仕草で押しとどめ、台所へ。
食パンをトースターに突っ込み、フライパンにベーコンを敷いてざっと焼く。
ついでにスクランブルエッグを作って皿に、ケチャップを適当に盛る。
誰かが入れたホットコーヒーがポットにあるので、一杯マグカップに拝借。
その辺りで焼けたパンと共にトレイに乗せて席へ。
姉妹に挟まれた真ん中の席に腰かけ、テレビがついていない事に気づきリモコンを手に取った。
「……あ」
ヒマリ姉が呟くのと、僕がテレビの電源を付けるのとは同時だった。
ニュース番組、キャスターが司会と共に告げる。
『あの奇跡の日から、一年が経ちました。
世界は、救われました。
目立つところでは前大戦で焼き払われた欧州の炎、その他竜国の湿地帯に暗黒大陸の激動の陸地。
その他さまざまな前大戦で残った傷跡が、世界から消え去りました。
あの奇跡に救われたのは、我々人間だけではありません。
仙人や竜達からも、正式に感謝の言葉が送られています』
『その奇跡の礎となったのは、"二階堂リリ"さんと英雄"二階堂ユキオ"さん。
奇跡を起こし代償として没した二階堂リリさんは、正式に聖女として認めるべきという運動が起こっているそうですね』
思考が、固まる。
全身が動きを取れず、停止したままじっとテレビを見つめて体が止まっている。
映像が、切り替わる。
『こちらは連合から欧州の大地へ戻った人々です。
一周年を祝い、この日世界が救われた祭りが行われています。
あの日から一年、もう故郷に戻れるとは思っていなかったと涙する人々も居れば、生まれて初めて踏み入れた故郷の大地に戸惑う人々もいます』
『お、あれは連合で英雄と名高い"異邦人"プレオベール氏ではないでしょうか。
仲間と共にワインを傾け、故郷の大地に再び足を踏み入れる事が出来た事を、祝福しています』
一年。
食べて惰性の鍛錬をして倒れるように寝るだけの、死体のような生き方を続け、一年。
その間に、彼らは取り戻した故郷を復興させようと必死に働き続けていた。
20年以上前、焼き払われる前の故郷は殆ど原型が残っていなかったようだが、僅か一年である程度の復興は進んでいるようだ。
連合の盟主にどれほどの借りを作ったのか分からないが、土木系の術式の使い手が死ぬほど動員されているという事は聞いていた。
そしてその中心、純粋な位階の高さで統制を効かせる役割として、ガスパルさん。
二年ほど前、僕が世界中を回った時、連合国の外国人街を案内してくれた、旧共和国の……いやもう旧が付かなくなった共和国の英雄。
彼はワイン片手に現地の人々と騒ぎまくっており……そしてカメラを見た瞬間、動きを止めた。
まるで、僕と目があったのではないかと錯覚するような瞬間。
彼はどこか申し訳なさそうな笑みを浮かべて……再び、祭りの喧騒の中に身を投じる。
……勘違いか何かのような気もするが、彼の"異邦人"なる謎の大きい固有術式も、どのように働くのか今一分かっていない。
空間系の機能がメインのようだが、どこか運命系の挙動もしているらしく……その通りであれば、本当にそのカメラの映像が後に僕の視界に映る運命を感知出来ていてもおかしくはない。
そして彼は立場上、僕がどのような選択をし、今どのようにしているのか、知っているはずだった。
その上で僕に遠慮するより、故郷を同じくする者達と祭りを楽しむ事を優先していた。
何年か前に一度あった年下の子供よりも、仲間の苦労を労い一体になって騒ぐことのほうを、優先する。
あまりにも当然なことだというのに、その事実を目の前に出されるだけで。
僕がそれをされて当然の罪人なのだと、改めて自覚させられる。
「…………」
僕はかろうじて自分を取り戻し、リモコンのボタンを押してテレビの電源を切る。
途端、静かになる室内。
深呼吸をして、コーヒーを口に。
少し冷めてしまった苦味を飲み込み、そのまま視線をテーブルの上に落とす。
今は誰にも顔を見られなくなくて、誰の顔も見たくなくて。
結局、無言のままに僕は食事を終えた。
朝食の味は、良く分からなかった。
*
リリによる運命凍結の詳細は、世界的に報道規制がされ、正確な報道は行われていない。
あの雪はリリが世界を憂い救うために使った力で、リリはその命と引き換えに世界中に満ちる傷跡を治した、としている。
それを薬師寺アキラの遺産が阻もうとし、僕……二階堂ユキオはリリを守ろうと尽力。
しかしその奇跡を成し遂げる事はできても、リリの命を守る事まではできず、力及ばずリリは命を落としてしまった。
リリは実年齢一歳半、肉体年齢十一歳前後であり、その衝動的な行いに僕の補助が追い付かなかった、という補足も混みで。
川渡サユキ……川渡の娘は行方不明扱いとなり、新たに二階堂家に住まうようになった二階堂アキラとの関係性は表向き知られていない。
当然その母である川渡にも知られていないまま。
これが、表向き報道された内容だ。
一応、報道内容については僕の意向に沿ったものでもある。
リリの名誉に傷がつかないよう、そして行った事への称賛を……死後のものであっても、得られるよう、という考えだ。
そのためなら僕の名誉は割とどうでもいいと父さん越しに政府筋に話したところ、こんな感じの内容となったのである。
「まぁ、間違ってはいないかな。
リリは……姉さんは、運命凍結の……迷惑料代わりに、余った力で世界を癒せる範囲で癒した。
"世界を憂い救うために使った力"というのも完全に間違っている訳ではない……迷惑料をそうとも言えるからね。
薬師寺アキラの遺産……つまり姉さん本人が、その力で自身を傷つけるような使い方をしたのも事実。
父さまが、リリ姉さんを守ろうとしたのも事実。
姉さんを守るために、薬師寺アキラの遺産……当人と戦ったのも。
報道されていない事実があるのと、説明の順番を恣意的にしているのは間違いないけどね」
とは、いつの間にかリリを姉と認めた、アキラの言である。
そのアキラと言えば、彼女も二階堂家に住まう事となった。
今までリリが使っていた部屋をそのまま使うようになった彼女だが、その肉体の成長速度は通常通り。
おおよそ肉体年齢十二歳となり、リリより少し高くなった背丈に成長している。
……それは未だリリと、見間違う事があるぐらいで。
それ故の配慮なのか、ストレートヘアだったリリと異なり、最近アキラはツインテールを好んでいる。
「配慮……あーうん。
いやまぁ自分の都合……鏡を見た時に、時々その、ね。
……兄さんは、私がツインテールの方が嬉しいかい?
その方が、その、少しでも癒されてくれる……かい?」
いじらしく言うアキラもまた、リリを失い深く傷ついた人間だ。
……僕は、アキラからリリを奪った人間と言える。
しかしアキラもまた、自分が選択を間違えねばリリを失わずに済んだのでは、と苦悩している様子だった。
自分の選択が、僕にリリを奪わせてしまった、と。
その苦痛を見ていると、耐えがたい痛みに胸が襲われる。
元々胸を渦巻いていた悲鳴が、二重奏になって悶え苦しむ。
それから逃れるかのように、アキラの頭を、髪を乱さないように撫でてやる。
普段あまり変わらないアキラの表情が、微笑みに変わる。
懐いてくれる娘/妹を撫でてやり、それを嬉しがられる。
あまりにも胸が温かくなり、安心するような心地で。
……リリを殺した僕が、こんな幸せを得て良いのだろうかと。
そんな風に、思えてしまう。
*
その相談をしたのは、夜半、父さんと僕が二人の日だった。
「一人暮らしをしたい、です」
その相談をするための気力を捻出するだけで、どれだけの時間が必要だっただろうか。
全霊を賭してどうにかそうやって口にする事が出来た僕に、父さんは目を細める。
この数年、父さんは変わらぬ容姿でずっと居る。
長くのばした黒髪をリボンで纏め、どこか愁いのある顔に、僕より幾分ガタイのよい身体。
服装は常はスーツばかりで、夜の寝巻もどこかしゃんとしたパジャマだ。
夜半故に、いつもの母さん……二階堂ヒカリの形見のリボンではなく、適当なゴムの髪留めを使っている。
相変わらずモテるらしく、次代の英雄たちに最強の座を託したという世評があっても、むしろ異性からのアピールは増えたらしいと愚痴っていた。
「……もうすぐ二十歳になる息子から聞く言葉としては、妥当と言えば妥当、なのだろうが……」
と、小さくため息をつく父さん。
複雑な感情と乗せた視線が、僕を見る。
反射的に、動揺に心臓が跳ねる。
「ユキオ、お前は……そうだな、この家に居るより、一人で暮らしたほうが……むしろマシなのかもしれないな」
見透かされたような言葉。
リリを手にかけたあの日から、僕は……他者の視線が怖くなってしまった。
いつも誰かに責められているような気がするし、誰とも目が合わせられない。
トレーニングのため早朝に家を出るのだが、その際もなるべく人が居ないコースを移動するし、誰かとすれ違う時も髪を弄るフリをしてなるべく顔を隠そうとしてしまう。
家族の物であれば少しマシにはなるが、それでもやはり、辛い。
……そして家族が僕に見せる優しさが、辛い。
僕は間違いなく罪人で、むしろ何故リリを助けられなかったのだとなじられても仕方ないぐらいなのに。
誰一人、僕を責める人は居ない。
むしろテレビ越しの称賛が聞こえてくるぐらいで、まるでリリを殺した事を世界中に褒められているかのようで。
そんな僕を、家族が、"ここ"が慰め続けていて。
「だが、そうだな……成人するまで、待て。
私はお前を引き取った身として、お前を成人まで無事に育てる義務がある。
未成年のお前を、今の状態で一人暮らしをさせるのは少し懸念がある。
マスコミ避けのできる物件についてや、あまり人と顔を合わせずに暮らせる環境を作る準備時間も含めれば、ちょうど誕生日ぐらいにはなるだろう。
こう言っては何だが、お前には一生遊んで暮らせるだけの金はあるからな」
「……は、い」
思ったよりもすんなりと行って、驚いた。
……いや、というより、僕は引き留めてほしかったのだろうか?
父さんに、最近僕に構ってくれる事がすくなってきた、僕の"ここ"の一人に。
そんな僕の内心を悟ったのか、父さんはすっと目を細めた。
「お前は……それでも、私にとって、大切な息子"だった"」
過去形。
僕は内心が冷えてゆくのを感じつつ、じっと父さんを見つめる。
目が合い、反射的に心臓が跳ねる。
跳ねる心臓を、力づくで抑え込むような心地で……辛うじて、父さんと目を合わせ続ける。
「私にとって最も大切なのは……。
今も昔も、ヒカリ……妻であることには変わりない。
けれど、その次に大切なのは、ユキオ……お前だ」
人と目を合わせているだけで、脂汗が滲んでくる。
その緊張を押し込めて、父さんからにじみ出る感情を読み解こうとして……余裕がなく、できない。
「一人暮らしするのは、良い。
もともと子供が独り立ちするのは歓迎するべきことだ。
お前の独り立ちは、少しばかり変則的な理由だったが……。
それでも、それが今はお前自身のためであるのならば」
言葉を切り、父さんは静かに目を伏せた。
僕は、自分の呼吸が止まっていたことに気づいた。
ゆっくりと、深く、長く、呼吸をする。
高鳴っていた心臓が、落ち着きを見せ始める。
「……いつかお前が落ち着いて、そうだな……人の目を見られるようになれたら。
酒を飲みかわそう。
ゆっくりと、二人で」
そうして落ち着いた僕が読み取れた父さんの感情は……穏やかな、優しさだった。
ただただ僕を慮って、僕を心配してくれている。
そして僕が立ち上がる事ができるのだと、信じてくれている。
その信頼が、重くもどこか心地よくて。
「……はい、約束します」
だから僕は、そうやって口にすることができた。
そもそも自分が酒の味が分かるかどうかすら、分からないのだけれど。
それでも虚勢の言葉を漏らせるぐらいには、僕は回復しているようだった。
*
それから。
父さんが思ったよりポンコツな賃貸選定をしていた所に、ヘルプとしてやってきた福重さんのインターセプトが入ったり。
ヒマリ姉もミドリも、僕の一人暮らしの予定を聞いて大騒ぎし、四六時中僕にくっつくようになったり。
アキラがショックを受けた様子で、僕に甘えたいができないような仕草をしてみせるようになり、こちらから死ぬほど甘やかしたり。
そんな風にあれこれしているうちに時がたち、僕の誕生日を経て。
初夏の季節。
僕はスーツケースを手に、実家に向かい合っていた。
「ユキちゃん、絶対遊びに行くからね!」
「むしろ入りびたるのでよろしく」
「えっと、約束したからね……。定期的に、顔を見せるよ」
姉妹にアキラの言葉を受けて頷き、最後に父さんの顔を見る。
静かな、しかしどこかに達成感のようなものを感じる表情。
……結局、誰かと視線が合うと緊張をしてしまうのは、無くせなかった。
緊張が思考のリソースを奪い、他社の表情を読み取る力を奪ってゆく。
だから、僕を見つめる誰かが僕の事をどう考えているのか分からなくて。
父さんが、僕を見つめて何を思っているのか、見当がつかない。
父さんは僕に何か言おうとして、口を動かして……最後には閉じてしまう。
対し僕は、微笑んで見せて、告げる。
「……行ってきます」
踵を返す。
自分の家から、"ここ"から、僕の罪が住まう場所から、背を向けて進む。
歩いてゆくにつれ、全身からゆっくりと力が抜けてゆくような気がする。
例えようもないほどの寂しさが、全身を蝕んでゆくような気がする。
本当にコレで良いのかと、疑問符が僕を責め立てる。
辛い。
間違いなく辛くて、胸の奥を掻きむしりたくなるような心地だ。
それでもそれは、むしろ……僕という罪人に。
与えられてしかるべき、罰であるかのように思えるのだった。
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来週更新はお休みさせていただきます。
次章開始は7/10(木)を予定しております。
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