05-吐瀉物スワンプマン




 ……ブウウ――――ンンン――――ンンンン…………。

ミツバチの唸るような、奇妙に弾力のある不可思議な音。

眠気に似た倦怠感からどうにか逃れようと、強張った体を動かすうちに、恐らくは耳鳴りの一種であるそれは収まってゆく。

僕は自分が全裸でベッドの上に横たわっている事に気づいた。

掛け布団を掛けるでもなく、その上に、何故か。


 白い部屋、いつもの僕の自室。

乾ききった空気、外から入る真っ直ぐな朝日が、薄っすらと浮き沈みする埃を照らしている。

生活音が全くしない、冷たい温度の部屋。

いつも通り整理整頓された物の少ない部屋の中、僕は淡々と手を開け閉めしていた。

握って。

開いて。

また握って、開いて。

違和感。

ジャメヴ、というのだったか。

既視感の逆、未視感。

何度も体験した事があるはずの事を、まるで見慣れない事であるかのように感じてしまうモノ。

それはある単純作業を何度も繰り返し続ける事で起こる事が多いと聞く。

では僕は一体、何を繰り返していたのか?


 違和感への疑問符を、しかし僕は一端置き去りにし、服を着替える事にする。

クローゼットを開けて、下着を出して着る。

鍵付きの引き出しを開けると、いつものファウルカップが一つ欠けて保管されていた。

首を傾げつつ、ファウルカップを装着する。

家族の気配を感じない今必須ではないが、どの道戦闘の可能性を考えると装着はしたかった。

その上に仕事着として、いつもの装備を着こむ。


 服を着て人心地付いた僕は、まずは自分の部屋を一度見まわした。

気づいたのは、机の上の本がいくつかなくなっている事だった。

幸いといっていいのか、ナギの残した中二病ノートは残っているが……うんまぁ、多分幸い。

首を傾げつつ、本棚の本を取り出して確認してみる。


「……ん?」


 すると幾つかの本の底面に、粘ついた悪臭のする何かがくっついていた。

埃が混じって分かりづらいが、それ自体は白い部分と黄色い部分に分離しているように見える。

触れると脂っこく、気分の悪くなるような感触があり。

あ、と直感がそれを指し示す。


「これ、僕の脳みそだ……」


 自分の脳みその欠片に触れたのは、初めてではない。

ミーシャとの決戦、不死者同士の殺し合いで、自分や相手の零れた脳みそに触れる機会はあったのだから。

その経験が、覚えていたくなかったその感触を想起し、それらが同一であるのだと指し示す。


 そうだ、僕は一度死んだはずだ。

あの日の夜、僕は外から起爆用と思わしき術式起動の力を受信。

咄嗟に全力で魂の術式による再生機能を全開にして、そのまま気を失ったのだった。

そして恐らくは……それから暫く魂のみの状態で過ごしつつ、肉体の再生に成功したのだ。


 辺りを今一度見まわす。

少しばかり埃っぽく、何日か人の手が入っていない事が分かる。

生活音はなく、少なくとも家族は今外出中なのだろう。

とすると、恐らくは僕が死んで、部屋が掃除されて、その後に何日か経ったという……。

そうか、掃除。


「僕の……死体は、死体安置所にあるのか? それとも、もう火葬されて……?」


 自分の死体の存在。

それは少しばかりぞっとしない存在だった。

これで万が一、僕が九死に一生を得ていたのならば。

死ぬと思ったのが勘違いで、もう一人僕が存在してしまっていたのであれば。

僕は、二人存在することになってしまう。

その場合は僕が偽物なのは明らかで、本物を前に僕はどうすればいいというのだろうか。

最も大切なものを、本物に譲り渡す必要があるとでも言うのだろうか。


 想像してしまう。

本物の僕が家族と一緒に居て。

この僕が、"ここ"に居る資格がないと言われてしまう未来を。

父さんが、姉さんが、ミドリが、僕から目を逸らしもう一人の僕へと視線をやる未来を。


「……落ち着け、僕」


 多分蘇生直後の不具合か何かで、ナーバスになっているだけだろう。

流石にいくら何でも、体の内側から爆発させられたら、生き汚いほうである僕でも死んでいるはずだ。

それに、と僕はため息をつきながら、廊下に出た。

そのまま一階に降り、洗面所へ。

鏡を覗き込む。


「……君たちは、本物の僕に付き添うに決まっているからね」


 黒い瞳の上、青い光と赤い光とが、キラキラと輝き始める。

僕がこの手で殺した、愛しい人。

ナギとミーシャの魂が、輝き煌めいていた。

まるで僕を慰めるような、優しい輝きの仕方で。


 ついでに顔を洗い、口をゆすぐ。

そのままリビングを経由してキッチンへ、水をコップに一杯飲んで人心地を得る。

生活音がないため想像してはいたが、家の中に家族は誰も居ない。

どころか、辺りから殆ど音がしない、ような気がする。

生活音と言えば、冷蔵庫のコンプレッサーぐらいか。


「水道は通ってるし……うん、冷蔵庫も音の通り動いている」


 開けて中の冷気に頷き、電気が通っている事に納得する。

とすると、ライフラインは生きているが、人は居ないと。


「……まず食事、か」


 悩んだが、まずは腹ごしらえをすることにした。

とりあえずあまり大きな音や匂いを立てずにできる食事ということで、ストックしてあるカロリーバーを引っ張り出して並べ、食べる。

もさもさと今一な食感を水で流し込み、栄養補助にプロテインやビタミン剤を摂取。

腹八分目という所で収め、少しばかり考える。


 情報が欲しいのだが、僕の携帯端末は生前の僕と一緒に爆散してしまったはずだ。

多分寝室で携帯端末を弄っている時に爆発が来て、一緒に吹っ飛ぶか何かしてしまったはずなので。

――蛇足ながら、ここ1年で僕の携帯端末は3回壊れている。

ナギとの決戦、ミーシャとの殺し合い、そして今回の爆発。

中々の出費で悲しいが、それはさておき。


 僕は自分のコンピュータを持っておらず、ミドリや父さんのコンピュータは残念ながらパスワードが分からない。

ということで、ネットに繋がる方法はない。

電気が通っているのでテレビは見られそうだが、音を出してよい状況なのかは分からない。

まずは、外の様子を見るか。


 外は、人っ子一人見当たらなかった。

索敵糸は逆索敵を警戒し、視界の範囲を大きく超えないよう、百メートル程度に収めておく。

生きる人の気配は存在しない。

高級住宅街なのでペットも居るはずなのだが、気配を感じないので連れ出されているのか。

索敵糸は死体らしきものを見つけていないので、恐らくは避難勧告でもあったのだろう。


 少し悩んで、そのまま駅の方面へと進むとする。

凡そ500m、駅までの距離の1/3程度を進んだところで索敵に反応があった。

相手側の反応はなし、僕は近場の家屋の屋上に上がらせてもらい、そこからうつ伏せに隠れながらその光景を見やる。


 青い警察服の人間が数人。

赤いコーンに封鎖線の黄色いテープが貼られており、道を塞いでいる。

少しの間様子を見るが、慣れた様子でさほどの緊張感は感じない。

とすれば、この封鎖線は突破しようとするものも、イレギュラーも、今のところ存在しないという事か。


 僕はそのまま封鎖線に沿うように移動、どの範囲が封鎖されているか確認した。

先日のフェイパオが襲撃してきた公園を中心に、半径1km程度という所か。

どこの警官も同じような感じで、緊張感は至って普通のレベル、何かを強く警戒している訳では無さそうだ。

しかし一方で、その表情は深刻そうで、何かを危惧しているようだというのはすぐに分かった。

合流するかは悩んだが、どう動くべきか、先に情報が欲しい。


 僕は次に、最寄りのコンビニに侵入し、新聞を確認する。

日付は恐らく僕が爆死した日の翌朝、朝刊まで。

大した情報はなく、舌打ちしながら僕は自宅へと帰る事にする。


「ただいま、と」


 返事の来ない挨拶をしつつ、リビングへ。

相変わらず人の気配が全くしない中、深呼吸、テレビをつけ、ニュースチャンネルに合わせた。

画面の操作で日付と時刻を確認。

現在は、12/3の朝10時。

僕が倒れた日が11/30の夜半のはずなので、二日半ほど意識がなかったという事だろうか。


『……電波ジャックから数日、解決のめどは立っておらず、〇〇テレビの電波は未だにかの宣戦布告動画を配信し続けています』

『警察は一体何をしているのか……。国民の安心のためにも、早期の解決が望まれますねぇ』


 ふむ、と首をかしげつつ〇〇テレビにチャンネルを変える。

映像には、見覚えのある男が一人映っていた。

薬師寺、アキラ。

先日別れた銀髪に丸眼鏡の、僕の実父。

恐らく映像の切れ目だったのだろう、ジッ、と画像が切り替わる演出と共に、冒頭から動画が始まる。


『皆さんこんにちは。私は、薬師寺アキラという者だ。

 此度は〇〇テレビの電波を拝借し、また幾つかの動画配信サービスを利用し、全世界にお届けしている。

 この度私は……この宇宙を滅ぼす事に決めた』


『現在12/1の正午だが……12/4に、宇宙を滅ぼす。

 私の固有術式である時間操作と、手に入れたいくつかの汎用術式を用いて。

 魔王とその娘が敷いた、未発の終わったあの人魔統合術式に相乗りさせてもらってね。

 ……宇宙崩壊術式を、これから組ませてもらう』


『私は旧連邦の旧魔王軍東部前線基地に居る。

 この宇宙を滅ぼされたくない者は、自由に来てくれたまえ。

 おもてなしの準備はしているよ。

 ……以上だ』


 と、話し終えるとむっつりと黙り十数秒。

再び画像が切り替わり、動画がループする。


「……なるほど?」


 思う事はあったが、内心に留めてそのままチャンネルを変える。

各局このニュースで引っ張りだこで、様々な情報が錯綜していた。

この動画が公開されると同時、凄まじい術式が旧魔王軍東部前線基地に観測され始めた事。

皇国を含め、世界各国の生き残りの国たちが次々に表明を出し、これに毅然と対応する事を示した事。

とんでもないことに、僅か二日、つまり今朝には現地に各国の英雄とその仲間が集っているという事。

動画配信サービスのコメント欄に術式学の質問を書くと、アキラが返信してくれる事。


「いや何やってるんだよ、最後……」


 ぼやきつつ、凡その情報収集を終える。

纏めると、以下のようになるだろう。


・薬師寺アキラは旧魔王軍東部前線基地を占拠し、明日12/4に宇宙を滅ぼすとし、巨大な術式の発動準備をしている。

・術式の規模が大きすぎて推察は難しいが、研究者たちの報告によると実際に宇宙を滅ぼせる可能性が高いとのこと。

・各国の英雄とその配下とした軍勢が、今朝に現地に到着。準備を整えて侵攻予定。

・薬師寺アキラはコメント欄に置けるその知見の深さから、本人かそれに準じる術式知識を持っているとされている。


 そして事前にアキラが宣戦布告をしたのは、各国の足並みを揃えさせるため。

つまるところ、恐らくは父さんからの急襲を恐れ、足手まといと行動を共にさせるため。

そんな所だろうか。


「しかし、一日半で5000人を現地に送り込めるのか……。

 それも皇国の戦力だけじゃなく、各国の混成軍で。

 出来ないと人類は滅びるだろうと言っても、相当無茶したな……」


 呟きつつ、頭の中を整理する。

まず、僕はこれからアキラに対してなんらかの攻撃を仕掛けるのは確定事項だ。

ナギの時とは違う、僕の強さは既に天仙フェイパオに匹敵するほどで、これを遊ばせておく余裕はない。

だがそれに、どうやってという選択肢が付く。


「恐らくアキラが宣戦布告をしたのは、父さんからの奇襲が一番嫌だから。

 今のように国籍混合軍にしてしまえば、父さんの奇襲による功績独り占めはやりづらくなるし、足手まといを守らせて足も引っ張れる。

 それを思えば、僕はアキラがされて嫌であろう、単独での強襲を仕掛けるべき、なんだろうけど……」


 しかしそこに、僕を何故爆破したのかという考えが絡む。

まず、アキラは僕が魂の術式を持っており、自己蘇生が可能な可能性が高いと理解できていたはず。

であれば、普通に宣戦布告をして、戦闘前に僕を爆破。

その動揺をつく形で攻勢を強めれば、優位に立ち回れたはずだ。

しかし実際のところ、僕は事前に爆破され、今こうして復活を許してしまっている。

……なら、僕を事前に爆破する事が、必須だったとしたら?


「予め僕を爆破しておきたかった……いや、予め僕の……魂の汎用術式を見ておきたかった?」


 魂の汎用術式は、僕がミーシャ相手に運命転変で可能性を引き寄せ、無理やり会得した術式である。

故に現在利用可能なのは僕一人しかいないはずで、つまり僕が魂の術式を使い、その状況を観察しなければ、新たに会得する事は不可能なはずだ。

アキラが魂の術式を覚えたかった理由は、思いつかない。

単なる知的好奇心で、宇宙を滅ぼす前に見ておきたかっただけなのか。

それとも宇宙崩壊術式なるそれに、魂の汎用術式が欲しかったのか。

しかしまぁ、そう考えると説明はつくか。


 とすれば、次に考えるのは僕を爆破した方法。

前日にアキラと接触してはいたが、流石にそこで術式を仕込まれればいくらなんでも分かる。

父さんの監視下だったので、尚更だ。

ならば僕が1歳の頃、二階堂家に預ける前の僕に仕掛けておいたのだろう。

趣味が悪い事この上ないが……。

父さんは当時、既にアキラをある種危険視していたようだ。

であれば、その対策の一つとして動機はあった。

……既に全部の仕込みは起爆済みと考えて良いのだろうか?

脳髄と腹部を爆散させられたのだが、これで全てだったのだろうか?


 そもそも、アキラが僕にみせた異常な愛情は何だったのだろうか?

当たり前だが、脳髄が爆散したら普通は死ぬ。

僕は魂の汎用術式を持っているので自己蘇生ができるが、流石に完全に脳髄が爆散した状態になるのは初めてなので、確実に蘇生できるとは言い切れない。

妻であるフェイパオが嫉妬で狂気に陥るほどの愛情だったのだが、それなら何故僕を傷つけ、また死ぬ可能性のある爆発をさせたのだろうか?

脳髄と腹部に仕掛けた爆発術式を両方作動させているので、間違いということはなくほぼ確実に故意だろう。


「駄目だ、アキラの感情面は何も分からない……。

 一端そこは無視して考えると……。

 やはり、単独での強襲が丸いか」


 アキラは父さん≒一定以上の強者による単独奇襲を嫌がっていそうだ。

僕はまだ爆発術式を仕込まれている可能性があり、他者と連携しながらの戦いに不安がある。

だから単独での強襲が望ましい。


 問題があるとすれば、それはアキラも読んでいる可能性が高いという事か。

僕が自己蘇生に掛かる時間は自分でも分からないので、アキラもある程度の予想はできても確信はできない。

であれば、僕が宇宙崩壊前に蘇生成功し、アキラの作戦の意図と爆発の不安から単独行動することは、アキラからも予想の内の筈だ。

事前に相手に読まれている単独行動ほど、脆い物はない。

しかしかと言って、多国籍軍勢に同行しても、爆発時の被害が僕一人に限らない可能性が高い。


「現地の状況次第だけど……。

 説明しつつ、とりあえずは足の確保からか」


 こういう形での後追いだと転移系の術式使いを探すのが一番だが、今は恐らく物資の現地転送で手一杯だろう。

とすると、それを担っていると思われる、秩序隊やそれと協同している政府に行くのが一番か。

溜息と共に、自室の引き出しにしまってある名刺を取り出す。


「春先以来か……固定電話とかで急なアポ、取れるかな……?」


 "血吸い鎌切"の赤井との戦いで知り合った、秩序隊総隊長の荒間シノ。

トップと直接話が付くのはいいのだが、恐らくは登録されていないであろう我が家の固定電話からの電話に出てくれるのか、まずはそこから不安だった。

前途多難な状況に、思わず深い溜息をついた。




*




 旧連邦国。

北端は皇国の北、西端は連合と接する東西に長い国である。

広大な国土ながら北方に位置する険しい寒さが故に、冬の大部分は氷点下となる気温が特徴的だ。

政治体制としては当時所謂独裁国家であったとされるが、20年以上前に滅んだ国家であるが故に、当時を生きた大人以外はそれを肌で感じたことはない。

人魔戦争の最初期、首都の間近に魔王軍が出現してきたそうで、殆ど対策もできないまま首都が陥落。

そのまま首都を魔王城とし、魔王軍らが世界に侵攻して行った。


 そのうち、当時残った国体を維持した先進国家は、連合、州国、皇国の3国が主な国家だったという。

そのため旧連邦東西に対連合・皇国向けに魔王軍の基地が作られており、州国には西海岸側に上陸し前線基地が作られたという。

そのうち皇国向けに作られたのが、"旧魔王軍東部前線基地"。

かつて四死天の"雷と呪怨"アンバーが支配していた基地である。


 東西に長い連邦の東側、南方の海に面した辺りの地域に作られた基地は、12月となるこの時期は最高気温が氷点下を下回り、海辺ながら降雪が続く天候となる。

元は風光明媚な都市で洒落ものの集う、連邦極東最大の港湾都市だったと言う。

不凍港である本基地の港は接岸可能なのだが、流石に対策はされているだろうし、船に悠長に人を集めていては時間切れの可能性がある。

よって近くに建築系の術式・技術持ちを送り込み、出来た本営に転送術式使いを酷使して軍勢を詰め込んだ、というのが現状だった。

それもかつて張り巡らされていた妨害結界が無いがために出来た事であり、薬師寺アキラによるある種の誘いであることは各国の共通認識となっていた、


「んー、朝かぁ……。寒いねぇ、連邦は」

「ん。……私もモコモコになってしまった」


 二人は与えられた談話室で温まりながら、朝のコーヒーを口にしつつ呟いた。

二階堂姉妹は、現在対薬師寺軍本営に詰めていた。

ヒマリは動きやすさ重視で普段の装備の上にコートを追加したのみで、戦闘時はコートを脱いで耐寒術式を利用する想定。

ミドリは省エネ重視で耐寒装備をしており、モコモコとしたフード付きコートに手袋の姿だった。


 本営の仮宿舎は、お世辞にも寝心地がいいベッドとは言えなかったが、目に隈を作った設営隊に文句など言えない。

今にも死にそうな顔で往復し続ける転移部隊にも、頭が下がるばかりである。

とは言え、そう思う者ばかりではないようで、廊下からは甲高い声が響き渡る。


「んあー! もう、この私をあんなベッドとも呼べない物に寝かせるだなんて! 脳みそにウジ湧いてますの!? 一睡も出来ませんでしたわよ!」

「まぁまぁ、落ち着いてください、お嬢さん。俺たちはお互い、祖国を背負ってこの場に来た身です。文句はせめて口の中にとどめましょう」


 言いながら入ってくる二人に、姉妹は眉をひそめた。

金髪青眼のボブヘア、高慢な声を響かせる赤いドレスの少女がシャノン・アッシャー。

連合の発起国の、竜の英雄を名乗る10代の少女。

猫背の短い黒髪に青眼の青年、苦労人の雰囲気のチェインメイルの男がガスパル・プレオベール。

連合の大陸側の国家一つ出身で、騎士の英雄と謳われる三十代後半の男。

出身国家は違うものの、ここでは同じ連合から派遣されたという事でセットで動くことの多い二人である。


「シャノンさん、もう少し声落としてくれない?

 急造だから、音響くんだよ、ここの設備」

「それも気に入りませんわ! 相手はあのド腐れ賢者ですのよ!?

 多少の兵数や設備より、我々のコンディションを整える方が優先ではありませんの!?」


 ぷんすかと頬を膨らませる少女に、少し眠気の残るヒマリは口元を歪めた。

腹腔の底から、苛立ちと不安が弾けそうになる。

ミドリがその肘を引いてくれねば、口から罵声が飛び出てしまいかねなかった。


 そこに、バン、と大きく音を立てて扉が開いた。

見れば、ふわふわとした赤毛を肩まで伸ばした長身の女性が、キラリと歯を輝かせている。

上半身はピッチリとした青いスーツに身を包み、下半身は赤い膝上のスカートが翻る。

州国の星の英雄、アリシア・ハリントンがその気力に満ちた表情でニコリと笑い、胸を張って告げた。


「ハハハ、シャノンくん。元気なのは良いが、それで現場の兵士くん達に迷惑をかけてはいけないよ! 彼らは可能な限りできる事をやってくれているともさ!」

「その現場の兵士を盾にして手段を押し通す上層部のやり方に文句を言ってますの!

 芋引いてますのアイツら!? 数が頼りになりそうな相手ではありませんわよ!?

 なんならこれで死ぬのは現場の兵士もなのですよ!?

 あと、貴方の声の方がドデカくて五月蠅いですわ!?」


 当初の言葉から受ける印象より高い善性を秘めた言葉に、ヒマリはむ、と口をつぐんだ。

我儘お嬢様という風貌のシャノンだが、それなりに現場の兵士の事を思いやっているらしい。

しかしそれでもやはり、キンキンと響く声は五月蠅いので勘弁してほしい。

それに、と思ったヒマリの思考を、遮るものがあった。


「……それも、兵士の仕事だ」


 陰気な声と共に現れたのは、白い肌に銀髪ポニーテールを伸ばした、青いフード付きロングコート姿の女性だった。

碧眼の下に隈を作り、陰気な表情をした痩せぎすの女性。

当時十代でありながら連邦の生き残りを率い、人魔戦争で祖国の民衆を救うためゲリラ戦で戦った女傑。

冬の英雄、ニーナ・アントネンコがコーヒー片手に現れたのだった。


「君の精神の気高さは尊い事だが、無駄死にでない限り、民衆のために死ぬのも兵士の仕事の一つだよ。

 そしてあの賢者が、こちらに少数精鋭を許すような布陣をしているという賭けに、全人類を巻き込むのは……懸命とは言えないな。

 そも我々英雄級だけを突っ込ませるのは、悲しいことに政治が許さない。

 有事の役に立たなかった場合、予算を削減される軍部もね」

「その賢明って貴方とクソ上層部の感想ですよね!? 何かデータとかあって!?

 いえ時間が無さ過ぎて上層部だけの独断で判断しなきゃいけないのは分かりますが、滅茶苦茶腹立ちますわ!

 ああ、人類が滅びそうな状況でお政治ゲームし遊ばれてる脳みそスカスカどもめ!」


 ため息交じりのダウナーな説明に、キンキンとシャノンが叫ぶ。

険悪な空気が立ち込めてきたのに、ヒマリは眉をひそめた。

シャノンの苛立ちも分かるが、ニーナが諭すように言う内容もよく分かる。

現実的に時間制限が近すぎて、誰かが独断で動かねば進められない状況だったのは確か。

ならばそれは現場の暴走より政府の決定であるべきで、その判断に口をはさむより、権限の内で現場でどうにかする努力をする方が建設的だ。

それに。


「……現場の意見を反映してもらえるのならば、私の速攻単独奇襲になっていただろうな」


 低く、存在感のある声。

黒スーツの上に更に黒いコートを羽織った、黒髪を伸ばした中年の男。

美麗な顔に愁いを帯びた表情を浮かべた、人類史上最強の、人類滅亡の危機を救った真の英雄。

勇者、二階堂龍門が、そこに合流していた。


「奴は現時点でも、聖剣の討滅対象となっていない。

 つまり、人類存続に対する危険性は"赤"以下に留まっている。

 しかし全世界の研究者たちによると、あの"宇宙崩壊術式"とやらは、実際に宇宙を崩壊させうる力を持っている。

 であれば、状況として考えられるのは二つ。

 なんらかの方法で聖剣を欺く方法を見つけたか。

 "宇宙崩壊術式"はブラフで、真の目的は他にあるか。

 もしくは、その両方かだな」


 流石に最強の勇者を前に、シャノンも口をつぐんだ。

聖剣未覚醒の状態の龍門の位階は、132。

この中で龍門を除いて最強の力を持つのは、星の英雄アリシアであり、位階91を誇る。

しかし位階は10違えば2倍の出力差があり、龍門の力はアリシアの16倍以上となる。

工兵や転移術士を除いたこの場の兵士5000名の平均位階は30程度だが、龍門はその兵士1000人分を超える力を持っている。

単純計算では兵士5000人の方が強いが、最早龍門は位階30程度の相手では傷つける事すら難しい。

この場で龍門が奇襲を強行しようとすれば、止められる者はいない。

そういった意味では、この作戦自体、龍門の許容によって成り立っているとも言えた。


「アキラの初手全世界放送というのは、少なくとも狙いの一つは私の奇襲を防ぐことだろう。

 残念ながら私も、しがらみに囚われた一人の人間だ、事あるごとに独断専行という訳には行かない。

 奴は状況を世界中に状況を知らしめ、足並みを揃える事を強制してきた。

 つまるところ、アキラは私という単独戦力を恐れている。

 故に、奴を討ち"宇宙破壊術式"を中止させる最も良い手は、私の単独奇襲なのだろうがな……」


 その後の言葉を飲み込み、龍門は溜息をついた。

判断の是非は置いておき、仮に龍門の単独奇襲が人類を救う最良手だったとして。

当然、この場に居る中で龍門が単独で世界を救う事を認められる人間は、その娘である二階堂姉妹ぐらいだろう。

人類が危機に陥った時、勇者が単独で世界を救えてしまうのであれば、それは世界中の軍部兵力の発言力が激減することを意味する。

この場に居る人間は少なからず武や暴によって英雄と謳われた人間で、また自分独りではなく国家を背負いこの場に立っている人間でもある。

故に、誰一人龍門に賛同する者はいなかった。


 話を変えようと小さく咳払いし、アリシアが口を開く。


「……そういえば、龍門さん。息子さん……二階堂ユキオさんは、どうでした?」

「現状では、報告がないままだな。

 最もユキオは、会得した魂の汎用術式で複数回自己蘇生を成功させている。

 脳髄ごと爆発したのは流石に初めてだが、恐らくはそろそろ復活するだろう」

「何度聞いても、とんでもない話だな……」


 龍門が答え、ニーナが小さくつぶやく。

二階堂ユキオ、勇者の息子。

彼が薬師寺アキラとフェイパオの血縁であることは、各国政府やこの場の英雄に知らされている。

しかしながら、その点はさほど世界的にも重要視はされておらず、むしろ彼の英雄としての側面を見る向きが多い。


「あの牛糞面の魔族どもが、我々と混ざろうとした糞便術式……"人魔統合術式"を阻止した、英雄ですわね。

 ぜひ一度会ってみたかったのですが……生まれたばかりから仕込まれていた爆破術式とは、あの賢者らしい下種チンさですわ」

「チンとかその口で言わないでくれよ、お嬢さん……。

 まぁあの天仙と引き分けたほどというと、頼りになる戦力なのは間違いないんだがね」


 シャノンの罵声混じりの敬意に、ガスパルが戦力としての期待を漏らす。

対しヒマリはむっつりと頬を膨らませた。

龍門に散々言われたので、ヒマリもまたユキオが自己蘇生を成功させるのだと信じている。

しかし遺体をその目で見てしまったヒマリは、不安で仕方がないのだ。

本当に、アレが生き返る事が出来るのか。

ぐちゃぐちゃに体中が爆発して、顔も中身も分からないぐらいで。

なのにそれがユキオなのだと証明するかのように、ああ、あんなに美味しかったユキちゃんのカレーが、胃から直接ぶちまけられて、その辺りに広がっていて。

吐き気。

怒り。

不安。

そんな感情に似た黒い物が、ヒマリの臓腑にて黒くとぐろを巻く。

沈黙したまま俯いているヒマリのその隣、ミドリがポツリと呟いた。


「兄さんも、父さんみたいに単独奇襲が一番と考える?」

「……む、そうか。

 蘇生に成功するタイミングと、それからの情報入手の順番によってはそうなるか。

 すると場合によっては、ユキオは奴への単独奇襲を目論むかもしれん」

「ん。私はそれも、心配。

 薬師寺アキラ……あの変態近親ショタコンストーカー加虐フェチを相手に、兄さんが単独行動するのは……なんて言うか、色んな意味で」

「……ああ、うん、そうか……」


 龍門が遠い目をし、ヒマリが溜息をつくのに、周囲の面々が顔を引きつらせる。

アキラがユキオに強い興味や愛情のようなものを示している事は共有されていたが、当事者の家族から明らかな言葉で表現されるのはまた違う感慨をもたらしていた。

気まずい沈黙に陥った彼らの空気を打破するのは、出立時刻が近くなるまで時を要することになるのであった。




*




 時刻は正午。

前線基地前の雪原は、珍しく晴れだった。

済んだ空気の中を、煌めく陽光が真っ直ぐに降り注ぐ。

氷点下の気温の中、鋭く降り注ぐ陽光を、鏡面のように雪原が反射して見せた。

目が痛くなるほどの強い照り返しが、戦士たちの目に襲い来る。


「はは、こりゃあ中々の壮観ですなぁ……。ありゃゴーレムの一種ですか」


 横でつぶやく戦場記者に、龍門は目を細めた。

"旧魔王軍東部前線基地"の中心は、レンガ造りの古めかしい直方体を重ねた施設だった。

ざっと一辺の長さが長辺部分で200m近くある長大な建物は、20年の月日を感じさせる色褪せた外観であった。

それらを守るように、無数の巨大な人形が配置されていた。

見るに凡そ身長3mから5mほど、ある程度大きさにばらつきがある。

ディテールは全体的に曲面で作られた、すこしずんぐりとした銀色に輝く鉄人形というところか。

白い雪と銀色のゴーレムとは、コントラストが低く、視認性が悪そうな相手だ。


 嫌味な相手に、龍門は溜息をつきながら両手を伸ばす。

両手で四角を作り、その中に入るゴーレムの数を数える。

そしてその四角が敵陣に何個作れるかを確認すれば、概算の敵数は分かる。

本来は高台などからやったほうが正確だが、軽く概算を知りたいだけならこれで問題ない。


「ざっと4000体という所か。感じる位階は、40という所……集まった戦士でも戦えない相手ではない、か」


 平均位階30という5000人集まった戦士たちは、故国でも平均を超えるエリート戦士ばかりである。

それでも、アキラがたった一人で用意した兵力に、単純計算では敗北しているのが実情だ。

龍門に同行する各国の英雄級の戦士たちはその差を覆せるが、アキラがその対策を用意していない訳がない。

内心の溜息を押し隠し、龍門は隣の戦場記者へと視線をやった。

ジロリと見る視線に押し負け、戦場記者の額に汗がにじみ出る。


「さて、二度は言わないが……。

 戦場記者の配置はもっと後方だったはずだ……中央後部、指揮本部のある辺りだな。

 ここは貴方の配置ではないし、私も安全のための配置を守らない人間を助けてやるほど、暇ではない」

「……き、危険が怖くて戦場記者なんてやってられませんが!

 私だって命がけでカメラを持ってるですわ!」


 溜息。

龍門は今後記者を一切無視することに決め、捨て置いた。

代わりに同行する英雄たちに視線を戻す。


「……そろそろ、アキラの性格だとこちらを煽りに来る頃だろう。

 どういった形か分からないが……」

『やぁ、人類の運命をかけて戦う、多国籍軍くんたち』


 龍門が言うが速いか、アキラの皮肉気な言葉が拡声され響き渡った。

空中に、巨大な映像が浮かび上がった。

基地の奥と思わしき広々とした暗い部屋の中心、シンプルな椅子に腰かけた薬師寺アキラの映像である。

クイッ、と中指でメガネを押上げ、その爬虫類染みた目で辺りを睥睨した。


『丸二日で、全人類が必至でかき集めた寄せ集め部隊が、このたった5000人か……。

 今にも踏みつぶせそうなこれが全力とは、こちらの同情を誘う罠なのかな?

 血液が紅茶だと脳みそがスカスカに成長するのか? 龍門の足を引っ張って用意した頼みの数でこれとはな。

 それにどこぞの正義好きの国家も、正義を謳って得られる人数がこれとは……。

 そろそろ自分が正義でも何でもない事に気づいたら良いのだがね』

「あ゛あ゛ッ!?」

「……は?」


 一瞬で沸点を超えたのは、シャノンとアリシアだった。

見ればシャノンは握りこぶしをポキポキと鳴らしているし、アリシアは真顔で目を見開いている。

溜息、龍門は拡声術式を発動し、二人を制して一歩前に出た。


「アキラ。人を煽って時間稼ぎをするのが、賢者の素晴らしい知性とやらの使い道か?

 相変わらず低俗な用途しか思いつかない人品なのだな」

『おや、足手まといを守るお守係は楽しんでるかな? 龍門。

 旧交をじっくりと温めたい所だが、まずは君たちオマケには、ちょっとしたアトラクションを楽しんでもらうとしよう』


 互いに軽い皮肉を言い終え、龍門は視線で殺意を送る。

交換するようにアキラも視線を返すが、その視線に殺意を感じられず、龍門は内心首を傾げた。

しかしその疑問符が結実し答えを出す前に、アキラがパチンと指をはじいた。

映像の下、無数のゴーレムたちを背に、七つの光が集う。


『私は魔王の娘と違い監視がなく、この20年自由に世界中を回る事が出来た』


 それは、白い竜だった。

鱗がなく、白い昆虫染みた虹色の翼を持つ巨大な竜であった。


『この世界に眠る、五つの死骸と魂を手に入れることができた』


 それは、鋼の鱗を持つ竜だった。

口元から毒を滴らせ、その緑の瞳は所謂斜視であり別々の方向を向いていた。


『それらに捧げる死体を、無数に集める事ができた』


 それは、20の腕を持った巨人だった。

首元には自分自身の頭蓋と同じ顔をした生首がいくつもついたネックレスをしており、その20の手には別々の武器を携えていた。


『そして魔王の娘の戦いを、魂の術式のオリジナルを観測する事が出来た』


 それは、牛の頭を持った巨人だった。

豪奢な青い衣に身を纏った、身の丈100メートルはある超絶の巨人であった。


『そして、これは予期していたのではなく後付けになるが……幸運にも、ユキオ、我が愛しい子がそれを汎用に落とす所も記録できていた』


 それは曲がりくねった角の生えた、絶世の美女であった。

赤銅色に染まった肌に金の長髪、空色の衣に身を包んだ片腕の無い鬼女だった。


『最後のこれらは、その魂こそ得られなかったが、血肉からその影は起こせた』


 そして暗く黒い影の塊が、二つ。

龍門にとって見覚えのある姿、魔王とミーシャの二人。


『旧魔王の5体の疑似蘇生体と、最新の魔王にその娘の影だ。前座として、楽しんでいってほしい』


 龍門がその肌で感じる威圧は、その七体の全てが位階100前後というところ。

龍門一人であっても苦労するその相手を、彼はこれから足手まといを抱えたまま敵にせねばならない。

娘二人を除いて連携の訓練は付け焼刃にしか出来ておらず、殆ど別れて戦い数を生かせない状況で、だ。

空の映像が消えゆき、輝く陽光が目を逸らさせぬとばかりに強く、その光景を見せつける。


 ――人類滅亡の要因たちが、勇者たちに牙をむいた。



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