03-運命ポジション




 時計の音が、嫌に大きく響いた。

早めに昼食を終えてしばらく、もうすぐ午後3時に差し掛かるところ。

いつもゆったりした空気が流れているはずのリビングルームは、どこか緊張して背筋を伸ばしたくなるような感覚に満ちていた。

僕と、父さんと、姉妹。

四人の誰一人口を開かず、ただただ黙っている。

暫くは携帯端末を弄っていたが、時間が近づくにつれて誰からともなく辞めて携帯端末を仕舞っていた。


 カチリ。

時計が午後三時を指し示したのと、チャイムが鳴るのとは同時だった。

あまりにタイミングの良いそれに驚く間に、ミドリが立ち上がりインターホンに、そのまま玄関へと迎えに出る。

僕は迷った末に椅子から立ち上がり、遅れて姉さんも僕に従うように立って彼らを迎える。

最後に父さんが、溜息をついたうえで、ホストの役割としてか立ち上がり来客を迎える形とした。


「久しぶりだな、龍門」


 低いアルトボイス。

先んじて入ってきたのは、天仙フェイパオ。

白い肌にポニーテールにした漆黒の髪、小柄な体を黒を基調としたチーパオにて包んでいる。

仙人特有の獣耳は、猫耳。

一瞬いつかの女仙を思い出してドキリとしたが、スカートの丈はひざ下半ばまできちんと伸びており、煽情的という感じはしない。

背は僕よりも低いぐらいだが、姿勢がとても良いからか、何処か威圧的に感じる。

その彼女が逸れたその奥から、もう一人の男が現れる。


「久しぶりです、龍門」


 どこか、粘度を感じる声。

賢者・薬師寺アキラ。

灰色のくすんだ髪、生白くさえ見えるどこか生気のない肌、長身痩躯で父さんにほど近い背丈……185cmぐらいだろうか。

紺色の踝まであるコートを羽織り、中には使い古されたホームスパンのジャケットにカーキのカーゴパンツ。

どこか古めかしい冒険家染みた格好は、賢者に感じるイメージに違わない。

メガネ――レンズの歪みが見えないから、伊達だろうか――をクイッと上げながら、父さん、姉さんと視線を動かし……最後に僕に視線を合わせて。

ピタリと、アキラが動きを止めた。


「君が……」


 レンズ越しに、アキラの目が見開かれたのが、分かった。

彼の口が開き、閉じ、もう一度開く。

そのままポカンと口を開けたまま、数秒。

潤んだかと思うと、その目からポタリと、涙が溢れだす。


「あ、え?」

「……ああ」


 何と言って良いか分からず、声にならない声を漏らす僕に、泣きながらふらふらとアキラが近づいてくる。

立ち尽くす僕の前に辿り着くと、がっしりと、僕を抱きしめて見せた。

背丈の差は大きく、僕はアキラの喉辺りに鼻を埋める形となる。

ぼんやりと僕は、埃っぽい匂いだな、と思った。


「ユキオ……だね」

「……はい」


 つっかえながらの言葉に、応える。

するとアキラが漏らす嗚咽がその強さを増し、僕を掻き抱くその腕がより強さを増す。


「あ、ありがとう……ありが、とう……」


 僕は何も言えないまま、黙り込んでそのまま立ち尽くしていた。

あまりにも予想外の態度と言葉に、僕の頭の中は真っ白だった。

"1歳の僕を捨てた""冷笑的で自己中心的な""失踪していた術式研究家"。

その印象には全くそぐわない、はっきり言って全く予想していなかった反応。

抱き返す事もできず、ぼんやりと立ち尽くす僕を、アキラは抱きしめながらポロポロと涙を流していた。


「生きていてくれて、ありがとう……」


 僕が、マトモな人間ならば。

ここで貰い泣きをしたり、抱き返したり、慰めてやったり、できたのかもしれない。

けれど僕は、頭が真っ白で何も思いつかないままに、ぼんやりと突っ立っている事しかできなかった。

僕を抱きしめる、僕の父親らしい人の体温とその匂いを感じて、それでもその先の何かを感じはしなかった。

ただただ僕はぼんやりと、埃っぽいなぁ、少し生ぬるい体温で、なんだかちょっと気持ち悪いなぁ、と思っていた。

そしてそれは姉妹が再起動するまでの、数分間続く。


「って、私のユキちゃんが!?」

「兄さん、されるがままになってないで!?」

「……あ、アキラ!? 急にどうしたんだ! 何が!?」


 それぞれに女性陣が叫び、姉妹が僕の両手を取り、フェイパオがアキラの肩を掴む。

アキラがぴくりと肩を震わせて、それからゆっくりと、僕から離れた。

未だ涙目で、充血したその目が、じっと僕を見つめる。

小さく、口だけが動く。

"あるのか"。

何が?

"決めた"

何を?


 僕の疑問符を置き去りに、アキラは数歩下がると、芝居がかった仕草で頭を下げた。


「……失礼。少しばかり、感極まってしまってね。僕としたことが、申し訳ない」

「あ、いえ、お構いなく。だよね、父さん?」


 と言いつつ振り返って見せると、父さんが口を開けてぽかんとしていた。

どうやら他の面子に負けず劣らず衝撃を受けていたらしく、再起動が一番遅れていたようだった。

僕の声かけから数秒、はっと現実に戻ってきた様子で、確りと頷き肯定の意を返す。

それを確認してから振り返ると、アキラは呆然とした様子でいた。

どうしたのかと目を見開くと、小さい声が、ポツリと漏れる。


「そうか……そうだな。そうだったな」


 瞑目。

目を見開くと、その目は優し気な、しかしどこかねっとりとした光を携え、僕をじっと見つめていた。

僕が戸惑っているのを見て、そっと手を差し伸べる。


「さぁ、ユキオ。席に案内してくれ。君の隣に……座る経験を、許してほしい」


 僕は、一瞬躊躇してから、両手を姉妹の手から離す。

あっ、という声をステレオに聞きながら、僕は手を伸ばす。

初めて触れた実父の手は、少しかさついていて、指が太く感じる手だった。




*




「…………」


 無言の父さんは、なんとなく白目をむいていそうな気がする。


「……ちっ」


 舌打ちながら、頬杖して指でトントンとテーブルを叩いているヒマリ姉。


「ん。ん。ん」


 小さく呟きながら、少し貧乏ゆすりをしているミドリ。


 三人が対面に座っているのを見るのは初めてだが、何とも言えない光景だ。

ミドリの入れてくれたコーヒーを飲みつつ、左右に視線をやる。

僕の左側に、フェイパオ……僕の実母。

全く興味なさそうにコーヒーをマドラーでグルグルかき混ぜているが、時折視線を僕に……というか、恐らくその先のアキラにやっている。

薬師寺アキラに首ったけで、一目惚れしてから結婚まで辿り着いたというだけあり、彼が全てと言った感覚なのだろう。

ある意味予想通りだが、薬師寺アキラの態度が予想外なのと噛み合わないのが、不気味と言えな不気味だ。


 次いで右側、薬師寺アキラ……僕の実父。

コーヒーを楽しみながら、視線の多くは僕に向けている。

そして距離が近い。

いや、普段姉妹ともに、ダイニングの椅子は僕に少し近づけた位置を使っているので、何時通りと言えばいつも通りの距離だ。

ただしフェイパオが僕から少し離れた、通常の位置に椅子を置きなおしたので、彼だけが近い位置に感じるだけだろう。

そして。


「あの……アキラ……さん。手……」


 テーブルの上に乗せていた僕の手に、アキラの手が重なっていた。

単に上を覆うように置かれただけなのだが、それでも何とも言えない微妙な気分になる。

僕は他所の家庭の父子の関係を詳しく知る訳ではない。

けれどこれは、本当に父子の関係としてあり得るような接触なのだろうか?

少なくとも父さんとこんな風に手を重ねた事はないが、それはたまたまであって、父子の関係によってはあり得るような事なのだろうか?

困って父さんに視線をやるが、父さんも困った様子で目を泳がせるだけだ。

多分、言葉にすれば"私にも分からん"ってところだろうか。


「おっと、失礼」


 と言いつつ、その手は動かない。

なんだか不安になってアキラの顔を見てみるが、優し気で粘着質な光を見せ、僕を見つめたままだ。

重ねられた手とアキラの顔で視線を行き来させるが、表情に変わりはない。


「手! どけたら、どうですか!」


 と、姉さんが声を上げるのに、ようやくアキラはその手を持ち上げた。

持ち上げた手で、そのままメガネをクイッと押上げ……、手をそのままに静かな呼吸音。

数度の呼吸を終え、それから名残惜し気に、手を組み落ち着かせる。

……なんとなく、手の残り香を嗅がれた気分になるのは、気のせいだろうか。


「……キモい……」


 ミドリの小声が、嫌に大きく響いた。

恐らく全員耳にできる音量だったが、誰も反応せずに流す。

しかし、やはりこれを変だと感じてしまうのは、ミドリも同じだったか。

少し安堵しながら、僕は独りミドリに目を合わせ、ほんのわずかに頷き礼を返した。

目配せで、それを受け取る意志が返ってくる。


「ユキオは、姉妹と仲良く過ごせているかい?」


 どこか、冷えた温度の声だった。

僕はなんとなく背筋を伸ばして、頷く。


「二人とも僕にとても良くしてくれます。辛いときも二人が支えてくれて……。二人が居なければ、今の僕はないでしょう」

「ユキ、ちゃん……」

「…………」


 と、何処か痛ましい声が聞こえてきて、反応に困る。

内心を素直に言ったつもりなのだが、二人ともが顔をゆがめ、じっと僕の顔を見つめていた。

一瞬自分の言葉の内容と過去を想起するが、なんら間違いはなかっただろう。

どうしたものかと思うも、答えに辿り着くよりも早く、アキラがぽつりと呟いた。


「……戦闘面以外では、支えられているという事かな?」

「いえ、戦いの中でも、いつも支えてもらっていますよ」


 僕の足手まとい時代は長かったが、二人は僕を見捨てなかった。

ナギとの闘いは、二人の援護がなければ負けていただろう。

ミーシャとの闘いも、二人が四死天の残りを封殺してくれたからこそ、ミーシャに辛うじて勝利することができたのだ。

今では強くなってきて、世話になりっきりというほどではない。

けれど二人が居なければ、僕はここまで辿り着く事はできなかっただろう。


 そんな話を回想を交えて告げると、話を聞き終えたアキラは、ふむと頷き視線を姉妹に。

乾いた、皮肉気な声色で告げる。


「君たち姉妹の意見も同じかな?」

「……は、い」

「……その通りです」


 どこか硬い声の応酬。

何と言うか、僕を連れていかれる事を嫌がる姉さんが僕の実父に対して攻撃的なのは、分かる。

ミドリも面に出さないが内心同意していたというのは、分かる。

けれどアキラが姉妹に対してどこか冷淡で攻撃的なのは、よく分からない。


 父さんに対して含みがある感じはしないので、アキラはヒマリ姉とミドリだけに冷たいと言える。

とすると、母さん……聖女関係になるのだろうか?

しかし賢者と聖女の関係性は良いビジネスパートナーという感じだったと聞くし、特別不仲という言説も残っていない。

何が空気を悪くしているのかも分からず、僕は気まずい顔をしながらもう一口、ホットコーヒーを口にした。

コーヒーの、程よい酸味の果実っぽい香り。

少量のミルクと砂糖を入れたそれは、甘苦く僕の喉を通ってゆく。


「ふふ、"ここ"で良くやっていけているようで、安心したよ。ユキオが幸せに過ごせていて、嬉しいさ」

「は、い。ありがとう、ございます」


 ぎこちなく礼を言うと、アキラがそっと目を細める。

そっと指を口唇に当てながら、じっと僕を見つめ……数秒。


「ユキオ。君は、自分の名前の由来を何と聞いている?」


 予想外の質問に、僕は目を瞬いた。

いや、しかし彼らは僕に名付けずに二階堂家に渡したというのだから、その名の由来について聞きたくなっても不自然ではないか。

なんとなく、チラリとテーブルの対面に視線をやり、彼らもじっと僕らを見つめているのを感じてから、そっと口を開く。


「二階堂、幸雄。幸せな男(雄)として、人生を送れるように……と。母さん……二階堂ヒカリが、そう名付けたのだと聞いています」


 一つ頷き、アキラは視線を父さんに。

戸惑いを見せつつも父さんは頷き――なにせこの由来、教えてくれたのは父さんなのだから――それにアキラは瞑目して見せた。

僅かな感情。

苛立ち、或いは……悲しみ。

そんな風に形容される何かを醸し出しながら、アキラは目を見開き、僕を見つめた。


「そうか。君はその名に込められた期待に応えるべく、生きているのだね……」

「……はい」


 そう言われると、判断に難しいが。

しかし僕はとりあえずの肯定を返して見せた。

僕は今、幸せか。

幸せだ。

世界で最も素敵な家族に、父さんと姉さんとミドリに囲まれていて。

マイナスがない訳じゃあないが、それでも明らかに他者より多くの幸せに身を包んでおり。

だから僕が今幸せであることには、疑いの余地もない。


 例え運命の人をこの手にかけたとしても。

初恋の人を手にかけたとしても。

僕は、幸せな男なのだ。


「……そろそろ、本題を聞いてもいいか? アキラ」


 とは、どこか疲れた表情をした父さんだった。

その言葉にアキラは、名残惜しそうに僕を数秒見つめていたが、やがて視線を父さんに戻し、頷く。


「まず、目的は達成されたよ。

 ユキオを……、僕の息子を一目見て、できれば少し話す事だ。

 恥ずかしながら少しばかり、感極まって泣いてしまったがね……」


 と、アキラはぽりぽりと頬を掻いた。

事前の印象からかけ離れた仕草に、思わず辺りに視線をやる。

姉妹は嫌そうな顔をしているし、父さんは再び絶句して遠い目をしている。

アキラに体ごと顔を向けている都合、フェイパオの表情は分からないが、どうも鋭い視線が刺さっているのは感じる。

これは、アキラに好かれているせいで嫉妬でもされているのだろうか。


「そして会話する上で、もしよければユキオを、引き取るという事も考えたのだが……」


 ガタン、と姉妹の椅子が音を立てた。

父さんが剣呑な表情になり、僅かに威圧をし出す。

アキラはそれを見て鼻を鳴らした。


「……ユキオは、君たちの事をとても愛しているようだ。

 ユキオと君たちを引き裂き離れ離れにすることは、僕にはできないとも」


 告げて、アキラはぐるりと姉妹を、父さんを見つめ……最後に僕を、じっと見つめる。

何処か、僕を見ていないように感じる目。

先ほどまでの薬師寺アキラとは、どこか違う瞳。

それはほんの一瞬で終わって、また僕をなんだかねっとりした目で見てくる。

視線の先が、鎖骨のあたりを彷徨っているのに気づいて、妙な気分になってこほんと一つ咳払いした。

瞬き、アキラの視線が動き、僕の目をじっと見つめる。


「約束しよう。僕はユキオを、二階堂家から引き離すような真似は……しない」

「……ありがとう、ございます」


 ぽふん、と頭の上にアキラの掌が乗る。

指が太く、どこかかさついた手が、僕の頭をくしゃりと撫でる。

ん、と小さく声を漏らすと、アキラがそっと口元を歪めた。

引きつった三日月のような、ぎこちない顔の形だった。

多分それは笑顔を浮かべていたのだろうと、後からそう思った。




*



 薬師寺アキラとフェイパオの来訪は、1時間半程度で終わった。

最初のコーヒーを飲み終えた後は、2杯目のコーヒーと共にケーキを出して堪能してもらったが、何とも言えない空間だった。

父さんはほぼ無言で、ずっと遠い目をしていた。

姉妹はずっとイラつきながらモリモリとケーキを食べており、フェイパオは興味なさそうにケーキは遠慮し、コーヒーをゆっくりと飲んでいた。

だから殆ど、喋っていたのはアキラと僕だけである。

薬師寺アキラはその後も僕を質問攻めにした。


――付き合っているような女性は居るのかい?

いいえ、居ません。好きな人は居ましたけれど、結局そういう関係にはなれず。


――好きなご飯、何かな?

カレーとか、ハンバーガーとか、焼肉とか……。餃子は水餃子の方が好きです。


――へぇ、餃子……僕と……ふふっ、同じだねぇ。

はい……。


 話の内容自体は、別段おかしな内容ではない。

十数年ぶりに息子と再開した父親が、息子の交際関係や好きな食べ物を知りたがるのは、多分そんなに常識外れではないだろう。

けれど、そのねっとりとした声色が、そして目の奇妙なほどの優しさが、何とも言えない不気味さだった。


 気疲れした僕を見て、アキラは今日のところはここまで、と言って去って行った。

羽織ったコートを風になびかせながら、薬師寺アキラはフェイパオを連れこの家から去って行った。

塩でも撒きそうな顔をしている姉妹を、まぁまぁと宥めてどうにか家に戻して少し。

疲れ果てた僕を見かねて食器洗いを任せてほしいとのことなので、僕は厚意に甘えてソファにぐったりと深く座り込んだ。

追って、父さんが僕の隣に腰かける。


「お疲れだな、ユキオ」

「うん……流石にね……。一応聞くけど、薬師寺アキラは……これまでは"あぁ"じゃなかったんだよね?」

「あぁ、それはもちろんその通りだ。もっとシニカルな奴だったんだがな……」


 今日はずっと遠い目をしている気がする父さんに、思わず僕も遠い目をする。

ヒマリ姉にミドリとの会話はシニカルさの欠片ぐらいは感じられたが、僕との直接の会話はずっとあのねっとりとした感じが離れなかった。

――僕を1歳で捨てた冷笑的な父親と十六年ぶりに再会し、号泣ハグされ、そのままなんだかねっとりとボディタッチをされる。

斜め上に想像から外れていった感のある一日だった。


 溜息が、父さんと重なる。

視線を合わせ、なんだか乾いた笑みを互いに浮かべた。


「……元々ユキオに、アキラの印象で聞きたい事があったのだが……。

 今回少し……いやかなり想定外の態度だったから、何とも言えんが」

「……まぁ、期待した答えを返せるかどうか分からないけど、努力はしてみせるよ」


 うむ、と頷き、父さんはじっと僕を見つめた。

その目に真剣さを感じ、僕はだらけきっていた姿勢を正してみせた。


「アキラは、世界を滅ぼしそうだと思ったか?」

「……いや、別に?」


 と、反射的に答えてから先の言動を計る。

彼は僕になんらかの好感を持っていたし、場合によっては僕を引き取ろうとしていた。

僕を引き取ってから、僕を巻き込みかねない世界を滅ぼす行為を行うだろうか?

僕の恋人の有無を聞いておいて、もし僕の恋人が居たら、その恋人の住まう人間社会に影響を与えようとするものだろうか?

それらを考えると、彼はそも世界も人間社会も存続する前提で会話をしていたし、それはとても自然でなんらかの虚偽ではないように思えた。

そのように告げると、父さんは俯き小さくため息をつく。


「そうか。そうだな。……今日の印象だけでいえば、私も同じだ」

「……ナギとの戦いの時。父さんは、切り札を切るのを躊躇ったって聞いたけど」

「知って、居たのか」

「うん。ナギの……"自由の剣"事件の後、姉さんとミドリから聞いた」

「……そうだ。私はその切り札を、世界を滅ぼすだろうアキラへの対策として隠匿しておきたかった」


 とすれば、回数制限があるか、もしくは初見殺しでしかなく、対策が容易であるか。

薬師寺アキラは、人類史上最強の勇者と、異世界最強の魔王の力を知っている。

それら上限を知った上で世界を滅ぼそうとしているのであれば、それらを封殺しうるだけの対策を練っているという事になる。


「なるほど。かの賢者相手ということなら、父さんが切り札とやらを温存するのも分かる。

 確かに今日の印象ではその気配はしなかったけれど……父さんが予感していたというなら、僕も暫くは供えておくべきだね」

「……ユキオ?」


 と。

疑問符を吐き出され、首をかしげる。

父さんは目を見開き、唇を僅かに震わせながら僕を見つめた。

視線が一定しない。

何に動揺しているのか分からず、僕はポツリと呟いた。


「……父さん?」

「私は」


「ナギも」

「ミーシャも」

「きっと、切り札を切れば殺せた」

「それを温存するために、ユキオに、二人を殺させたんだ」


「……うん」


 知っている。

僕がそれを知ったのは春先の退院して割とすぐで、もうすぐ知って半年になるだろうか。

だから僕はそれを知ったまま父さんとずっと過ごしてきたし、あの都庁での決戦、それを知ったうえで父さんに背中を預ける形としたのだ。

だから。

まぁ。


「信じている。父さんの判断が、正しいのだと」


 父さんが、少なくとも当時薬師寺アキラこそ世界を滅ぼそうとしていると判断したのが、正しいのだと。

そのためには切り札を隠し続ける必要があるという事も、正しいのだと。

勇者が。

人類存続のための光、聖剣の選んだ人が。

僕の家族が。

僕の父さんが、正しいのだと。


 それは僕としては、当たり前のことを言ったに過ぎなかった。

父さんが僕に罪悪感のようなものを抱いているのは、すぐに分かった。

だから僕は、父さんが目をそらしてしまった当たり前の事実を、今一度突き付け、教えただけというつもりだった。

だから、その罪悪感は消せなくとも、父さんの心にとりあえずの納得を与える事はできるのだと、そう予想していた。

だって、それは正しい事なのだから。

けれど。


「……そう、なの、か」


 父さんは、信じられないものを見る目で僕を見つめていた。

僕は何も分からず、首をかしげる。

父さんは静かに口を開け閉めして、そして言葉が見つからなかったようで、そのまま口を閉じた。

そっと、僕から視線を逸らす。


「……父さん?」


 疑問に父さんが答えるより早く、姉妹の声が届いた。


「洗い物終わったよ~、ユキちゃんがお姉ちゃんを褒めるターンだよ~」

「コーヒーメーカー、もうちょっと洗いやすいのにしない? 毎回だるい……」


 同時、父さんが僕に背を向けソファを離れる。

その背に視線をやるのと殆ど同時、二人が入れ違いにソファに着席。

そのまま左右からぎゅ、と僕の腕を抱きしめてきた。

それでも視線を父さんの背にやるが、父さんは何事もなかったかのようにこの場を去って行く。

声をかけようか迷って、疲れた姉妹のハグの強さに、諦めた。

離れかけた背をソファに預けながら、二人の顔を交互に見て。


「……お疲れ様、二人とも。いつもありがとう」


「うへへ、お姉ちゃん偉い? いや~困るなぁ」

「うん。とっても偉いし、素敵だよ」


「兄さんを吸わないとやってられない……必須栄養素だからしょーがない」

「ふふ、しょうがない娘だね。どうぞ」


 二の腕辺りに頭をこすり付けられるのも、首筋に鼻を押し付けられるのも、どちらも困ったものだ。

けれど今日ばかりは、二人も疲れ果てているだろうし仕方ないと許すことにする。

なんだかいつも仕方がないと許しているような気がするのだが、気のせいということにしておいた。


 今日は、もう家政婦が来る予定もない。

夕食の仕込みもないので、出前でも取ろうかという話になっている。

つまるところ僕らの家事も含めほぼ終わっているので、あとは今日一日何の予定も残っていないということになる。

このまま暫く二人の抱き枕係をしていようかなと思った所、ぽつりと、ヒマリ姉が呟いた。


「ねぇ、ユキちゃん、ミドリも」

「何だい?」

「ちょっとだけ外いこ」

「えー」


 隣でミドリが長い悲鳴を上げるが、姉さんは立ち上がり、そのまま強引に僕の体を持ち上げようとする。

慌て立ち上がると、ミドリは不満げに頬を膨らませながら、追従して立ち上がる。


「ね、ミドリお願い、お姉ちゃんに甘えさせてほしいなっ」

「しょうがないなぁ、姉さんは。甘えん坊め」


 と、ミドリは僕の腕を抱きしめながら告げた。

僕がついていく事は聞かないのね、と苦笑しつつ、ずんずんと前に進んでいく姉さんに追従する。


 僕ら三人は、父さんを残しそっと家を出ていった。

僕らは道を三人縦に並んで歩いた。

一番前は姉さん、真ん中に僕、後ろにミドリ。

三人手をつないで離れないようにしながら、アスファルトを蹴って。

僕は前の姉さんが転んだりしないか、後ろのミドリが遅れていないか、前を見て後ろを見て忙しくしながら真ん中を歩いて行って。

そして姉さんの先導で、僕らは公園に辿り着いた。


 冬もほど近い近所の公園は、昼間はたくさんいる子供たちが帰ってしまい、伽藍としていた。

乾燥した空気の元、空は早くも日が翳り、薄明、紺色の夜空に地平線が赤く燃えるように輝いていた。

人通りの多い場所でもないためか、まるで世界に僕ら三人しか居ないかのようにさえ思えて。

その奥にぽつねんとあるベンチに、僕ら三人は座っていた。


「ねぇ、ユキちゃん」

「何だい?」

「なでなでして」


 そっと姉さんが腕を解いて、すっと頭を差し出す。

ピンクブロンドの、輝くような美しい頭。

薄明の陽光の名残を反射し、燃えるような天使の輪を描くそれに、僕はそっと掌を乗せた。

髪が乱れないよう、そっとその頭を撫でてやる。

さらさらと、気持ち良い感覚。


「ん……。続けて……」


 この半年に、僕の身長は伸びた。

大体、5cmちょっと。

姉さんと僕は殆ど同じぐらいの身長になって、殆ど身長の伸びていないミドリとの差が広がってしまった。

だからもう、姉さんが猫背にならなくとも、軽く頭を下げるだけで簡単に撫でてやれる。


「ユキちゃん……は……」


 俯いたまま、姉さんはぽつりとつぶやいた。


「お姉ちゃんの……大切な……弟」

「うん」


「ユキちゃんは、家族のためなら、"ここ"のためなら何でもして、できて」

「……うん」


「私たちは……血が、繋がっていない」

「…………うん」


 どこか、強張った声。

なんとなく緊張しつつも、続く言葉があるのか待っていると、すっと姉さんは両手で僕の手首をつかんだ。

その頭を撫でていた手を、外し……俯いたままだった面を上げる。

外したその手を、姉さんはそっと、その胸に抱きしめた。


「私たちは……家族だよね? 私は、今でも、ユキちゃんの……"ここ"だよね?」

「うん、勿論。それは変わらないよ」


 くしゃりと、姉さんの顔が歪んだ。

思わず目を見開くと、ヒマリ姉はふるふるとその頭を振る。


「ごめんなさい……。信じ、きれない。

 分かっている筈なのに、知っている筈なのに。

 ユキちゃんがどんなに苦しんで、それでも私たちを取ってくれたのか、知っていたはずなのに……」


 ヒマリ姉は、そっと立ち上がった。

ぐっ、とミドリが強く、僕の手を握った。

視線をやると、強張った顔で震えながら、じっと姉さんを見つめていて。

僕もその視線を追って、ヒマリ姉に視線をやる。


 燃え盛るような陽光の名残が、その身を炎に焼かれているかのように見せていた。

強烈な赤と生まれ始めた夜闇とが、強烈なコントラストでその姿を彩っている。

燃えるようなピンクブロンドの髪、紺碧の瞳が紅い輝きの中混色せずキラキラと輝いていて。

すっと少し風が出て、その長い髪がふわふわと踊る。

輝き、そして夜闇に紛れて消えていくように落ち着いて。


「家族ってさ。生まれつきの一つじゃあなくて、増える事って……あるよね」


 いつもの吸い込まれそうな、深い紺空の瞳。

あまりにも重くのしかかってくる空の圧力。

僕を縫い付け、そのまま動けなくしてしまいそうな。


「信じさせてほしい。私が……私たちがユキちゃんの、本当の一番なんだって」


 不意に頭を、先日のソウタの台詞が過った。

"お前も、彼女作った方がいいと思うぞ"。

何故と反芻するよりも早く、その唇が蠢き。


「ユキちゃん……けっ」


 どぼっ、と。

聞き覚えのある音が聞こえた。

一瞬遅れ、燃えるような熱が腹に生まれる。

視界が明滅して、戻ると今度は、姉さんの顔が真っ赤になっていた。


「あ……え……?」

「うあ……」

「……兄さん? 姉さん?」


 ごぽ、と僕の口から熱い物が零れてゆく。

対面の姉さんの口から、真っ赤な血がどろりと零れ落ちた。

震える手が、腹部の熱源に触れる。

棒。

いや、槍?

思考が結実し、一気に意識が復調する。


 槍。

背中から突き刺さり、姉さんの腹部辺りを含めて貫通、姉さんの背中にまで突き出ているようで切っ先は見えない。

恐ろしいことに背骨を叩き割りながら突き進んでおり、回転していたようで間にある臓器をぐちゃぐちゃにしながら僕と姉さんの腹に突き刺さっている。

当たりどころの問題か、死にかけた回数の違いか、僕より先に姉さんの目から光が失われかけている。

回復、いや追撃の気配がして――。


「運命、転変」


 視界がモノクロに染まる。

空気分子の動きや痛みの神経伝達すらもが止まり、僕の魂を除くあらゆる魂の動きが停止する。

逆再生が開始。

姉さんの口元に血塊が戻ってゆき、続き槍が抜け僕の腹部へと戻ってゆく。

視界にしっかりと収めた槍は、長さは3m近く、刃長は30cm程度のいかにも投げ槍という形だ。

背後に振り返るまではできず、戻ってゆく槍を視認し続ける事はできなかった。

槍を排除して数秒分、そこまで戻し切って運命転変を解除する。


「ユキちゃん……けっ」


 僕は姉さんとミドリを弾き飛ばしながら、糸剣を生成。

自身も避けきれる位置に移動するも、当然のように追尾してきた槍を糸剣で叩き落す。

想定以上の重量に、体ごと弾かれて後ろに揺れる。

視界の端、黒い風が迫るのに、体勢が崩れたままどうにか防御が間に合った。

全身が砕けそうな、踵落とし。

なんとか受け流しつつも、足から糸罠を伸ばそうとするも、察知した敵は退避。

一足半の間合いを空け、その人が降り立った。


「二階堂、ユキオ……そう簡単には行かないか」


 聞き覚えのあるアルトボイスで漏らすその女は、とても見覚えのある人だった。

黒を基調としたチーパオに、ポニーテールにした黒髪と光るような白い肌。

ぴょこんと覗く獣耳は黒猫のもの。

別れて1時間も立っていないはずの、英雄。

僕の血のつながった、実母。

天仙・フェイパオが、そこに立っていた。



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