02-芽生えの否定と解脱の論法
幼い頃、自分がこの家の子供ではないんじゃないか、と思ったことがある。
父さんは勇者、母さんは聖女で、姉さんも妹も天才で、僕だけが落ちこぼれで。
父さんは黒髪、母さんと姉妹はピンクブロンドで、僕だけが灰色の髪で。
あまりにも僕だけが出来が悪くて、本当に血が繋がっているのか自信が無くて。
髪の毛の色は一人だけ違っていて、むしろ血が繋がっていないはずのミーシャのほうが似ている色で。
だから僕は、どこか橋の下で拾われてきた他所の子なんじゃあないかと、そんな風に思った日があった。
父さんはそういう事をしそうにないから、それを行ったのはきっと殆ど覚えていない母さんだ。
母さんはある日散歩をしていて、橋の下に捨てられた赤ん坊を見かけて、見捨てられなくて連れて帰ったんだ。
そして色々あって――子供らしく、色々の部分はあまり考えていなかった――、父さんと母さんは僕を家の子として育てる事にしたのだ。
僕は永遠に白鳥になれない、みにくいアヒルの子。
けれどこんなにも愛してくれる家族に、そんな妄想は失礼なのだと。
そんな妄想をするような性根だから、僕は家族で一番劣っているのだと。
そう思って、自分が他所の子なんじゃあないかなんていう妄想は、捨て去ろうとしていた。
それが、現実だった。
ここは昨日と何も変わらない僕の家のはずだ。
けれど朝起きた時からフワフワと、足元がおぼつかない心地でどうにも落ち着かない。
見慣れたはずの廊下が、階段が、まるで初めて見た光景みたいにさえ思えてしまう。
ぐらつく内心を抑えながら、身支度を整えてリビングに辿り着いて、息をのむ。
三人が、座っていた。
六人掛けのダイニングテーブルに、僕以外の三人が座っていた。
父さんがチーズを垂らしたトーストを齧っており、姉さんは目玉焼きに塩を振っていて、ミドリは眠そうにホットコーヒーを啜っていた。
一瞬、僕はそのテーブルが四人掛けかもしれなかったことを幻視する。
母さんが座っていたはずの席と、父さんの席と、血のつながった子である姉妹の席。
僕とミーシャが省かれていた、本当の家族だけの席。
「ん、おはよ」
「あ、あぁ……、おはよう」
立ち尽くしていた僕に気づき、ミドリが会釈して見せた。
僕は返礼しつつ、キッチンへ。
仕込み終えてあるトーストの一つをトースターに突っ込み、焼ける合間にベーコンを焼き目玉焼きをサッと作って皿にあける。
ついでに誰かの入れたコーヒーをサーバーから拝借し、自分の席へ運んだ。
焼けたチーズトーストを齧りながら、テレビに目をやり、時刻表示を見て気づく。
「……寝坊、しちゃったなぁ」
そもそも朝の運動ができていなかった時点で気づくべきだったのだが。
その余裕すらも無かったのだと、改めて自分の不安定さに舌を巻いた。
食事をしつつ携帯端末のカレンダーを確認し、今日の予定が何もない休養日であることを再確認。
安堵のため息を漏らす僕に、眠そうなミドリが口を開いた。
「今日は兄さん、休養日でしょ? ゆっくりして、って言いたいけど、こういう時に暇があるのって逆に辛かったりするかな」
「うん……そうかも」
「私は今日、CMの撮影だから……。友達と遊びに行くとか、そっちの方がいいかも?」
友達。
僕はコトコの顔を思い浮かべて……いやなんか、昨日の会話の後だと気まずいな。
昨日のコトコとの会話は、割と内心を奥底まで引っ張り出した話だった。
コトコは僕を理解したいと言い、僕も理解してほしかったので、思っている事を素直に言ったのだけれど……。
足りなかったのか、ズレていたのか。
なんとなく後ろ向きの保留っぽい会話の終わりになってしまい、顔を合わせずらい。
ならば、とソウタ……いやないな、と頭をする。
そもそも多分、友達ではなくただの腐れ縁だ。
アイツとは学生時代はともかく、仕事を始めてからは仕事以外で会ったことはほぼ無いのだから。
気落ちした時に会っても遠慮せず会話できそうな反面、別に会っても元気は出なさそうだ。
もしかしたら苛々はするかもしれないが、という程度か。
お互いそれぐらいには雑で適当な相手なので、こういう時に会いたい相手かと言われると首を傾げる。
すると、と友達という位置からは少しずれるが、チセの顔が思い浮かび。
それと同時、携帯端末にチャットの着信。
ぼんやりとトーストを齧りながら、通知に飛ぶと、当のチセからのチャットだった。
「へぇ……"今日遊びに行きませんか"だって。兄さん、女の子からこんなチャット来るんだぁ」
「……食卓で携帯を弄った僕も悪いんだけどさ、あんまり人の端末覗き込まないでね……」
心なしか冷えた声で言うミドリに、苦言を呈そうとするも、普通に僕も行儀が悪いのであまり強く言えない。
端末をスリープさせて、食事に専念しようと決める。
すると、む、と父さんが小さく呻いた。
「そういえば昨日は、伝え忘れた事が一つある。
……一週間後に、アキラとフェイパオがここにやってくる」
ピタリと、動きが止まる。
傾けていたマグカップを、震える手でどうにか食卓に置いた。
見ると、父さんはどこかばつが悪そうに、視線を背けていた。
「要件は聞けていない。ただ会いに来るだけだとは思うが……」
「本当?」
か細く、鋭い声。
見るとヒマリ姉が、目を見開いて父さんを見つめていた。
朝食中黙り込んでいた姉さんの、第一声だった。
「ユキちゃんを、連れていかれたり、しない?」
よく見ると、姉さんの目は少し充血していた。
肌はいつもに比べてかさついていたし、少し頭がゆらゆらと揺れているように見える。
夜、あまり寝られなかったのだろうか。
椅子から立ち上がろうとして、一瞬躊躇する。
昨夜の拒絶が痛みとなって蘇り、しかし、それでも。
「大丈夫だよ」
僕は立ち上がり、姉さんを抱きしめた。
普段に比べて、少し強い花の香り。
柔らかく弾力のある体、何時もよりか細く感じるそれを、確りとかき抱く。
驚いていた様子の姉さんは、すぐに静かに、僕に体重を預け始めた。
そっと、その頭を撫でてやる。
「僕は何処にもいかない。"ここ"にいるから」
強張り。
どうしたのかと顔を覗き込もうとした瞬間、背後から衝撃。
暖かいものが、背中側にピッタリとくっつく。
「姉さんばっかりズルいので、私もハグする権利があると思わない?」
「いいけど、手はそれ以上下げたら怒るよ?」
と、視線を下げ、僕の腰に抱き着くミドリの手を見やった。
へその下あたりを抱きしめたその手は、ずりずりと下がってあと少しでデリケートな部分に辿り着こうとしていた。
ファウルカップを付けているので本当に不味い事にはならないが、それでも絵面的に色々と不味いものがある。
ビクンと震えた手が少し位置を上げるのを見てから、小さくため息をつく。
「ごめんね兄さん。代わりにお尻撫でていい?」
「チョップじゃなくてグーで殴るよ……?」
「ごめんなさい……」
と、背中にミドリが顔をグリグリと擦りつけているらしい感触を感じながら。
その間、ずっと姉さんを撫でながらポンポンと背中に触れていたのが功を奏しただろうか。
強張っていたはずの姉さんは体を弛緩させ、今一度僕に体重を委ねていてくれた。
その内心は今一読み取れなかったけれど、少しでも心安らかになってくれたのであれば嬉しい。
と、言うか。
「姉さん、寝てる?」
「あれ、ほんとだ。まぁ寝不足っぽかったし、姉さんの予定も……多分今日はなかったはずだから、寝かせてあげていいはずかな?」
ひょいと横から顔を出したミドリの言葉に、なるほど、と頷く。
ミドリの手をぽんと叩いて離させ、そのまま姉さんの体を抱き寄せ横抱きにした。
「とりあえず、姉さんを部屋に連れて行って寝かしつけて来るよ」
「しょうがない、ドアとか空けてフォローする。褒めてもいいからね?」
と。
そういう訳で、ミドリに先導される形で僕は久しぶりにヒマリ姉の部屋に入り込む。
薄桃色を基調とした配色の部屋、相変わらず少し少女趣味なフリル満載の掛け布団をどけてもらい、姉さんを寝かしつける。
最後に頭を軽く撫でてやると、少し強張っていた顔が安らかな寝顔になった。
ほっとしつつ、電灯を消して。
その光景に、一瞬立ち尽くす。
「……兄さん?」
ドアの外、光に満ちた廊下には、彼女が立っている。
僕は姉さんの部屋の暗闇の中からそれを眺めている。
これから僕は光の中へと歩き始め、彼女が居る場所の隣に辿り着くはずで……。
いつか。
ミーシャと、そんな光景を見たような気がして。
「……いや、なんでもないよ」
僕は頭を振ると、想像した通りに外に出る。
後ろ手にドアを閉め、隣のミドリの頭を、ぽんと撫でてやった。
目を細め、ミドリは自身の頭を僕の手に押し付けるような仕草をする。
素直に甘えてくれるその仕草に、僕はどこか、ほっと安堵するのであった。
*
「夏時間があるのに冬時間がないのは何故なんでしょうか?」
チェスターコートにニットにロングスカート、ブーツ。
冬らしい装いのチセは、僕を見上げる姿勢でそう問うた。
思わず胡乱な目つきで見つめると、同意と取ったのか、少し得意げにふふんと鼻を鳴らす。
「こんなに寒くては、朝は元気に通学通勤も、勉強やお仕事も、出来ないとは思いませんか?
夏は日照時間の関係で1時間時計を早めるんですから、冬は日照時間の関係で1時間時計を遅めてもいいとは思いません?」
「さて、分からないけど、仮にあったとしても11月に冬時間は適応されないと思うよ」
「む~」
プクリと頬を膨らませるチセに、苦笑しながら僕は前に歩む。
何時ぞやの夏にも訪れたU市だが、秋終盤とはいえ流石にコート姿の人はまばらだ。
かく言う僕も上着は少し厚手のミリタリージャケットで、冬らしい恰好とは言えない。
そんな中でコート姿のチセと連れ合う僕は、少し目立っていた。
T県U市、薬師寺家のかつての本拠。
この地は当時の薬師寺家が音頭を取ったのが始まりで、11月の下旬に毎年秋祭りを開催している。
由来はよくある収穫祭のような物なのだが、近年の薬師寺餃子、賢者餃子に因んで餃子祭りと呼ばれる事もある。
デートに行くには少しニンニク臭い場所だが、勇者マニアのチセとであれば楽しめるだろうと連れ合う事になったのだった。
「はむ……。熱々の餃子、つよつよですね……」
「温まるねぇ」
と、露店で買った餃子を摘まみながら歩く。
僕が率先して水餃子を買ったので、チセも折角だからと合わせて水餃子を買っていた。
ゴマダレが合っていて中々美味しい。
チラリと辺りを見やると、食べ歩きをしている人たちの餃子は焼き餃子ばかりだ。
賢者餃子と言えば焼き餃子のイメージが強いので仕方ないかもしれないが、水餃子派が少ないようで寂しい限りだ。
美味しいのになぁ、と内心ぼやく。
「さて、薬師寺家の展示を見に行く流れでいいですよね? 神社の方に資料館があるみたいなので、そっちに歩いてますけど」
「うん。個人的にも知っておいたほうが良い事情ができてね……」
「なるほど?」
首を傾げつつも深くは問わないチセに、内心で感謝する。
薬師寺アキラ、フェイパオ。
僕の遺伝子提供者にして、近しく訪問してくる相手。
これまで僕は、彼らについて父さんの仲間としてある程度の情報は得ていたが、十分と言えるほどかは微妙なところだ。
フェイパオに関しては国内に殆ど足跡は残っていないが、国内で生まれ育った薬師寺アキラについては調べようがある。
彼らが何を目的に僕ら二階堂家に来るのかは分からない。
警戒したところで、何となく様子を見に来た程度で、何事もなく終わるのかもしれない。
けれど何かあってから、警戒しておけば良かったと後悔する羽目になるのは嫌だ。
それこそ姉さんじゃあないが、僕を連れて行こうとしていたのであれば、それを予想したうえで理論整然と断りたい。
ミドリの言う「友達と遊んで」には少し反する内容かもしれないが、じっとしていられないのは性分なのだ。
餃子を食べ終え、僕らは手をつないで近場の神社へと向かう。
少しばかり郊外側、鳥居をくぐるとそこは、木々に囲まれた別世界と見間違うような場所だった。
喧騒は近く人の行き来も多いのに、どこか外と区切られた場所であるかのように感じる。
魔物の領域に良く突っ込んでいく僕ですらそう感じるのだから、チセは尚更だろう。
僕の手を握るチセの力が、少し強まった。
深呼吸。
ぎゅ、とチセは僕の腕を抱きしめた。
「ユキオさん、まずはお参りしましょうか」
「うん。手水を取ろうか」
「……寒いので省略したいですぅ」
「無理にとは言わないけど、とりあえず僕だけでもやっとくね」
とひしゃくを手に取り手水をすると、難しい顔でチセが僕の置いたひしゃくを手に取り、手水をし始めた。
ひゃあ、とかにゃあ、とか悲鳴を上げながらしているので、どうにもやはり冷たいのが駄目らしい。
終えてぶるりと震えるチセの、その両手をそっと手に取った。
冷たい手の温度に少し驚くが、逆説、彼女からは僕の手が暖かく感じられているのだろう。
見ると、ぼーっとした様子で僕の手を見つめているので、多分大丈夫そうだ。
「手は温まったかい?」
「……もう少し。……そういえば、手の暖かい人って、心が冷たいんでしたっけ」
問うと、チセは上目遣いに悪戯に言って見せた。
その青い瞳は深く青く輝いており、どこかヒマリ姉を思わせる。
しかし仕草はミドリのような悪戯な甘えに似ていて、そしてその金髪は姉妹のピンクブロンドと似ていると言えなくもない。
家族と似ているようで似ていない少女に、思わず僕は微笑みを形作った。
「心の冷たさでチセを温められるなら、歓迎すべきことかな」
「……ズルじゃないですか。ユキオさん、ズルいです」
またもやプクッと頬を膨らませるチセに、苦笑で返してやる。
暫く僕の手を握り返してモチモチと触っていたチセだが、やがて手を離すと、僕を先導して参拝に歩き出す。
二拝二拍手一拝、作法通りの参拝を終えて、僕らは連れ立って資料館の方へと歩いていった。
資料館は、少しばかり古めかしい、白い漆喰で固められた二階建ての建物だった。
達筆な表札を眺めながら玄関に入ると、入口の板張りの廊下の時点で、壁側に展示がなされている。
僕らは二人、資料を眺めながら内部へと歩みを進めてゆく。
薬師寺家は、汎用術式の大家である。
薬師寺家そのものは千年以上前から続く古い家だが、約四〇〇年ほど前、彼らは汎用術式を生み出した。
固有術式しか存在しなかった当時、多くの人々で共通に使える汎用術式は社会を大きく変革してみせた。
それまで戦士の素質は、生まれつきの固有術式が殆どを占めていた。
持ちえた固有術式が戦闘向きか否か、そして戦闘向きとしてもどれほどの効果を持ち、肉体的・精神的素質と噛み合っているか。
それが汎用術式の誕生以降、固有術式が弱くとも汎用術式を鍛え、生まれつき強い固有術式を持った者以上の戦闘能力を発揮する可能性ができたのだ。
勿論、汎用術式にも難易度や適正があり、誰にでもどの術式でも使えるという訳でもない。
しかし固有術式のみだった時代、人々は術式を得たその日に、その素質の凡そを定められていた。
それが汎用術式の誕生により、人々は希望を得たのである。
自分の素質の全てはまだ明らかになっていない、努力すれば強い固有を持って生まれた天才に対抗できるかもしれない、と。
また、汎用術式は当初戦闘向けが多かったが、続け産業・医療向けの汎用術式が作り出されるようになり、戦士だけではなく広く社会に広がってゆくことになる。
故に薬師寺家は、多くの人々に尊敬される名家として名高いのである。
「勿論当時は、大変だったみたいですけどね」
「既得権益と真っ向からぶつかるからね」
その解決に、薬師寺家は海外との提携を模索した。
世界各国で汎用術式による既存体勢への革命を起こさせ、皇国がそれに乗り遅れれば国力が足りず世界に遅れる事になると脅す形としたのだ。
そのため、敵対する家の残した資料には、薬師寺家に対する罵詈雑言や恨みつらみが残っていたそうだ。
一方で、薬師寺家は皇国のみならず世界的にも有名で、比較的友好的に見られやすい立ち位置となった。
「確か、現代の州国最強の星の英雄も、薬師寺家と血縁関係にあるんだっけか」
「大洋を挟んだ遠い東なのに、いえ、だからこそ仲良くしやすかったんですかね?」
「まぁ、約400年前だと州国は独立前だから、当時協力したのは西の連合あたりだろうけど……」
さて、そこまでは家自体の予備知識。
ここからは現代の英雄たる薬師寺アキラに関する話となる。
薬師寺アキラは958年の11月、薬師寺家の次男として生まれる。
祭りの時期に生まれた子として、当時から少しニュースになっていたそうだ。
彼は幼い頃からその桁外れの才能を露わにしており、なんと8歳で初めての汎用術式に成功する。
本来その才能に震撼しつつも祝い褒めちぎる所なのだろうが、そうはならなかった。
「最初の汎用落としが長男の……お兄さんの固有だったっていうのは、なんとも……」
「まぁ、うん……」
意図してやったのかどうか分からないが、当時の薬師寺家は揺れに揺れたそうだ。
新たな汎用術式の作成は、所謂スラングで"汎用落とし"とも言う。
汎用術式となった固有はそれ以前に比べると価値が下がってしまう、という考え方からできた言葉だ。
口さがない言い方をすると、汎用に落とされた固有術式を持つ人間を、固有ガチャに失敗したなどと言うもの居る。
実際の所、汎用術式を多くの人が改良した結果、固有術式も改良強化の余地が発見されむしろ価値が上がった固有があるので、その考え方は暴論にすぎるのだが。
薬師寺家としては先の例を元に、汎用術式の作成は元の固有術式を棄損するものではなく、むしろ多くのフィードバックを貰い価値を上げる事さえ出来る物。
仮に汎用術式を作られたことで元の固有術式の使い手が価値を減じたと感じるのであれば、その使い手が未熟なだけ、と公言している。
とは言え。
如何に汎用術式を重視した家だとはいえ、生まれて初めて作成した汎用術式が兄のそれというのはどのように扱うか悩ましかったそうだ。
汎用術式の作成は元の固有術式所持者に喧嘩を売るようなもの、とする声が大きい。
薬師寺家は立場上それを否定しているが、それはそれとしてその声を一切無視されるのはそれはそれで困る。
次男が、本人に断りもなく、次期当主候補である長男の固有術式を汎用化したという状況も、話をややこしくしていた。
幼さ故にその意図がないのでは、しかしこれほどの天才であれが可能性は、その才能を可能性だけで潰そうとするのか……などなど。
「で、結局周りがドタバタしているうちに、次は自分の固有を汎用に落とし込んじゃったと」
「長男のが"星の重力"、本人のが"時間の総舵手"。まぁ、時間の汎用化は、難易度が高すぎて単独で使える人がほぼ居ないらしいけど……」
重力の汎用術式と、時間の汎用術式。
どちらも取得難易度はトップクラスであり、単独でこれらを運用可能なのは最低でも皇国でいう竜銀級、英雄級の人材のさらに一部だけだ。
特に時間の術式は、世界トップクラスの使い手でも加速方向、それも最大3倍速までしか使えないそうだ。
よって基本的には実験室レベルでの利用や、一部産業に利用されている程度だと聞く。
この事態を持って、薬師寺家は次男薬師寺アキラを制御不能と判断。
スペアとしてされていた当主教育も放棄され、薬師寺家の継承権も形だけ下位の物が残る形となる。
とは言え、その才能を惜しまれるが故に勘当のような事もされず、それからも暫くの間薬師寺アキラはいくつかの術式の汎用化を続ける。
汎用化しやすい術式は粗方汎用化を終えている現代、薬師寺家とは言えども固有術式一個の汎用化に数年以上かけることはざらだ。
無論並行して幾つかを同時に研究しているが、家全体で一年に1~2個の汎用化が限界というところである。
それを薬師寺アキラは、自己術式の汎用化を成功させてから成人までの11年間、一人で20の術式を汎用化することに成功する。
そして彼の成人の数年前から、人魔大戦が勃発していた。
成人を機に薬師寺アキラは、自らの術式を試すためと公言しながら、前線で術式の研究がてら多くの魔族を屠るようになる。
そうするうちに出会った勇者龍門と聖女ヒカリと共に行動するようになり、そして彼に一目ぼれしたフェイパオが続く事となった。
冷笑的で自己中心的な言動は周りの反感を多く買っていたようだが、同時に彼の実力は確かなものだった。
勇者パーティーで最も範囲攻撃に秀でた彼は、最も多くの魔族や魔獣を屠って見せたのである。
そしてそれは、味方の守りにも影響していた。
「水の四死天がとんでもない津波を放ってきたときも、それを凍らせて届かせないように守って見せたらしいし。
地の四死天の自身攻撃で皇都の結界が耐えられなかった時も、咄嗟に簡易結界を張りなおして被害を防いだそうだ。
逆に攻勢時、連邦の旧首都結界……魔王城の結界を解いたのも彼だったね」
「勇者パーティの四人全員、誰が欠けてもキツかったというのはよく聞きますよね」
それ故に、彼を批判する声だけではなく、擁護する声も多い。
つまるところ、薬師寺アキラは、功罪が極端だがやる事が大きく、その上で社会的評価にあまり興味がない人間なのだと分析されていた。
魔王を倒したのちに、もうやる事は終わったと言わんばかりに名誉を投げ捨て失踪したが、それも上記の評価を後押ししていた。
それは、僕の知る私人としての薬師寺アキラ。
僕に名前もつけることなく二階堂家に預けたというエピソードとも、何となく合致する人となりだ。
元々知っていた情報が殆どなので、資料館で得られた情報は補完的な物が多く、出来た事は再確認に近い。
けれど、何も先が分からないような不安は、どうにか薄れてきた。
彼の人物像を改めて心に、ゆっくりとチセとともに資料館を出た。
「お昼行きましょう、お昼。お腹がすきました」
「さっき餃子食べてたけど、ちゃんとお昼ご飯入るかい?」
「大丈夫です。私、沢山食べる女の子で可愛い! って言われるタイプなので!」
「なるほど? まぁ、確かにそれは可愛いだろうね」
返事になっているようななっていないような。
しかしまぁ、チセは金髪青眼ロングヘア、服装もフェミニンで、仕草も上品でいかにもお嬢様という見目だ。
その彼女がご飯を沢山食べてニコニコしていたら、それはもう可愛いだろう。
なので同意を示すと、数歩歩いてチセが立ち止まる。
遅れ振り向くと、何故か苦虫を噛み潰したような顔で僕を見ている。
はてと首をかしげると、またもや口をぷくりと膨らませてみせた。
「ユキオさん、誰にでもそんな事言ってません?」
「そうかな? チセが初めてだと思うけど」
僕の知人で食事量が多いのは、冒険者であるヒマリ姉にミドリ、そしてコトコだろうか。
とは言え、コトコは僕の前で食事する様を見せるのをなんとなく嫌がっていたし、姉妹は逆に全く気にしていなかった。
ヒマリ姉もミドリもご飯を食べて幸せそうにしている所は可愛らしいのだが、記憶にある限り口に出してその話をしたことはないように思える。
そして実際のところナギやミーシャも高い位階を持つ以上、かなり大食いだったのだろうが、あまり僕の前にそういった様子を見せる事はなかった。
なんとなくジト目で僕を数秒睨んでから、チセはずんずんと大股で近づき、僕の手をぐいと掴んで歩き出す。
僅かに遅れ、僕もそれに続く。
「そういう事にしておいてあげます。では、ご飯を食べましょう。お腹いっぱいになって、元気になってください!」
「……うん、そうだね」
彼女なりに、僕がメンタルに来ているのを察して元気づけようとしてくれたのだろうか。
掌から伝わる冷たさに、けれど、胸の中が少し暖かくなるのを感じつつ、ずんずんと進むチセに追い付く。
握った手をぶんぶんと振る彼女に歩調をそろえ、その隣を僕は前に進んでいった。
*
チセとのデートは、昼食を終えた後、ぶらぶらと祭りの中を歩きながら少しばかり買い食いして終わった。
チセは恐るべき勢いで屋台の食べ物を口にし、凄まじい量の炭水化物を摂取した。
沢山食べて可愛いとは言いはしたが、ちょっと想像を超えた物量である。
最後、晩御飯食べられないかも、とぼやいていたのを聞いて、然もありなんとなったのが記憶に新しい。
下野間さんには僕からもごめんなさいと伝えておいた。
と、途中の駅の乗り換えで別れ、最寄り駅で降りて数分。
夕焼け空の帰路、僕が長く伸びる自分の影を追いながらぼんやりとしていると、不意に角を曲がってきたソイツと目が合った。
「あ」
「お」
城ケ峰ソウタ。
燃えるような赤茶けた髪が夕焼けに溶け込み、その筋肉質ででかい体をより強調させている。
恐ろしいことにこの男、この11月に上着なしで、生成りのシャツ1枚で過ごしている。
理解不能な光景に、友達リストに名前が入っていない相手で良かった、と内心胸をなでおろした。
お互い相手を友達ではなく腐れ縁ぐらいにしか思っていないだろうし。
何となく会釈をして通り過ぎようとして、そこで声をかけられた。
「そだ、ユキオ。最近コトコと会ったか?」
「……あぁ、昨日、久しぶりにね」
振り返り言う。
すれ違った僕らは位置取りを逆にし、今度はソウタが夕焼けを背にする。
その顔は逆光になり、表情のディテールが分からなくなる。
どんな顔をしているか分からない相手に見られているのは、なんとなく嫌な感じだ。
けれどわざわざ立ち位置を変えるのも、ソウタと長話をしたがっているように見えてしまうかもしれない。
さっさと家に帰りたい現状、僕はそれを嫌いすれ違った位置のまま、立ち尽くしてソウタを見やる。
「……んー、最近なんか調子が悪そうだったんだけど、特に今日は苛々しててな。
昨日って事はお前が後押ししたかもしれないけど、原因は別って感じか?」
「…………」
瞑目。
雰囲気が良くないままコトコと別れてしまった昨日。
何かこちらからも聞けることがあったんじゃあないかと思うが、後悔先に立たずとしか言えないか。
内心溜息をつき、目を開く。
「分からない。上手く、話せなかったからかもしれないけど」
「それは何時もだろ……」
点数先取される。
思わず口をひくつかせながら、悪態をつく。
「上手く話せたことがない奴が言う台詞は違うな」
「おう……」
と、呆れたようにすかされて、僕は再び、口を引くつかせた。
逆光はソウタの表情を読みづらくしており、普段顔に書いてある感情が読み取りづらい。
だが、どうやら気が抜けた様子で、夏頃にあった僕への苛立ちは感じられなかった。
喧嘩腰になっていた自分が馬鹿らしくなり、溜息をつく。
「コトコとのペアが、上手くいかないぐらいなのか?」
「いや、仕事はどうにかこなしてるよ。ただまぁ、このまま悪化するとどこかでやらかしそうだ。
だから、休暇なりなんなりでもとって、早く調子を戻してほしくてな。
ユキオも会ったらなんか、こう、いい感じにフォローしてくれ」
絶句。
思わず術式を励起、第六感を持ってして目の前の男を探知するが、完全にソウタと気配が一致してしまう。
それでも、驚愕が口を突いて出た。
「お前本物のソウタか!?」
「本物だよ……。大げさすぎないか? お前」
「今までのお前なら、絶対コトコの心配を人に頼んだりできなかっただろ!?
調子を落とした奴のフォローは全部自分でしようとして失敗する感じだろ!?
絶対他人に何も頼まないだろお前は!」
驚異のデリカシーゼロ男、城ケ峰ソウタは恐ろしいエピソードに事欠かない。
特に落ち込んだ他人を慰めるのは不得意注意の不得意で、それ故に喧嘩になることが非常に多い。
これまでのソウタであれば、コトコに正面から落ち込んでいる理由を答えるまで聞き続け、答えたら答えたで「そんな事で落ち込んでたのか」と言って爆発させていただろう。
目を見開き、幻術でも食らったのかと辺りを見回す僕に、ソウタは両手を広げ溜息をついた。
半目で微笑みながら、僕に流し目を送ってくる。
「分かっちゃうかな~、この大人の余裕」
「は?」
「出来たんだよね~、彼女」
僕は思わず、ぽかんと口を開いた。
こいつに彼女?
知り合いにいきなり外国語で話しかけられた気分だ。
「あーでもお前には会わせないぞ。彼女にお前の成分移ったら嫌だから」
「あ、ソウタだ、良かった……」
と、いきなり本物のソウタっぽい事を言い始めたので、僕は今ソウタが話している内容が現実の物だと理解する。
とすると、こいつに本当に彼女が出来たとでも言うのだろうか。
まずそれが脳内彼女ではなかろうかと疑い、仮にそうであったとしても実害がないと気づく。
次に美人局や詐欺ではないかと疑い、その場合被害に合うのがソウタだからいいかと思う。
万が一こいつを彼氏にしたがる女性が居ても、奇特であるか勘違いが含まれていると思うが、正直言って他人事なので割とどうでもいいか。
「あーうん、おめでとう? でいいのか」
「はー、素直におめでとうぐらい……言えたのかよ。うん、ありがとう」
素直に返礼してみせるソウタに、なんとなく毒気が抜ける。
「お前の事は嫌いだけど、別に積極的に不幸になってほしい程じゃないからな……」
「あぁうん、まぁ俺も同じ感じかな。
嫌いだけど。お前の事本当に嫌いだけど」
雑にお互いに嫌い嫌いと言い合えるのは、ある意味貴重な相手なのかもしれないな。
そんな風にぼんやりと思いながら、じゃあまた、と立ち去ろうとした僕に、ソウタが少し真剣味を増した声質で、言った。
「……これは本気で言うんだけどよ。
お前も、彼女作った方がいいと思うぞ」
「……は?」
と。
僕は立ち去ろうと半ば振り返りかけていた体を止め、戻す。
反射的に、思考より早く怒りのような何かが胸の奥から湧き始める。
言葉の内容を頭が読み取るより早く、畳みかけるようにソウタ。
「色々その気になれない事情があるのは分かるけどよ。
事情があるからこそ、彼女に支えてもらうのもいいんじゃないか?
最初からそのつもりで近づくのは微妙だけどよ、例えば既に知り合っている相手ならまぁ……アリだと思わないか?」
「…………」
思ったより、マトモな内容だった。
何時もの癇に障る発言とばかり思って構えてしまったので、頭の切り替えが追い付かない。
硬直している僕にどう思ったのか、ソウタはシュッと手を上げ、じゃあまたな、と僕に背を向けて見せた。
なんとか返事をしつつ、立ち尽くす。
「……彼女、ねぇ」
あのソウタがここまで変わったのだから、個人差はあれどその効果は確かなのだろうが。
その言葉に思い浮かぶ相手は、どうしてもまずナギで、次にミーシャが出てくる。
あまりにも血生臭く、心が張り裂けそうな光景。
それらに覆い隠された、その奥に出てくる女性は、いるような気がしつつも今一誰なのかピンと来ない。
それでも、あれで多分、心配して言ってくれたのだろう。
あのソウタが、なんと僕の事を。
そう思うと、少しだけ真剣に考えてやったほうがいい気がして。
僕は残る帰路の途中、今一度異性について真剣に考えながら歩き始めるのであった。
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