06-大好きな貴方と結ばれるために




 夜の帳が下りた町を、消えぬうんざりとした熱気が包んだままでいた。

張り付くような湿った空気の中、繁華街から離れた高級住宅街の中心の、その家の中。

空調により熱気から遮られた二階堂家のリビングダイニングにて、龍門は腕組みしながら呼び出した二人を眺めた。

ヒマリとミドリの、姉妹。

二人は苛立ちを隠せないようで、体をゆすったり、トントンとテーブルを指で叩きながら、龍門に向け険しい眼差しを向けている。


「父さん解ってるの? ユキちゃんとミーシャが行方不明になったんだよ?」

「魔族反応が、兄さんを休ませていた部屋にあった……。転移系の術式で、ピンポイントに襲撃したとしか思えない。逆探が切られた以上、情報源から相手を突き留めないと」


 姉妹の反応は、龍門の期待を下回っていた。

これがユキオであれば、龍門の真意を考え始め、もしかすると当てる事ができていたかもしれない。

仮に姉妹のどちらかが行方不明になっていたとしても、その程度は出来て然るべきだろう。

ユキオに比べ姉妹が不出来であることに、失望の念が龍門の中に沸き上がる。


 ――それは、姉妹から龍門への信頼が薄いからなのだと、龍門は自覚していなかった。

ユキオは妄信的なほど龍門を信じているからこそ、その行動をまず正しいと仮定して動くことができる。

姉妹は龍門を家族として全く信頼していないからこそ、その行動が間違っている想定で動くことができる。

ただそれだけの差であることに、龍門は気づくことができなかった。

それは皮肉にも姉妹と同じように、愛する妻とその残り香を持つユキオに、視野を狭くしているがために。


 内心の溜息を抑えつつ、同時に龍門は自身も苛立っている事を自覚した。

なるべく冷静になるよう努め、口を開く。


「少し、ミーシャの来歴を話す必要がある」

「……それ、本当に今必要なんだよね!?」

「…………」


 激高し、テーブルを叩くヒマリ。

冷え切った瞳を向けるミドリ。

二人を無視し、龍門は続けた。


「ミーシャは、魔王の娘だ」


 ピタリと、二人が動きを止めた。

流石に、動揺の色が見える。


「魔王を倒し、人魔大戦が終わった当時、ミーシャは1歳。

 しかし魔族故なのだろう、既にある程度の知性は備わっていて……そうだな、小学生低学年程度の受け答えはできた。

 捕縛したのち、彼女を討つべきか討論され……。

 最終的にはヒカリが、引き取り育てる事となった」


 ヒカリは、魔族とも最終的に共存が必要になると判断していた。

魔族は、滅びゆく異世界からの侵略者である。

次の異世界侵攻が何時になるか分からないが、異世界の侵略者と戦った最前線の人間として、人類が力を蓄える必要性を誰より感じていたのだ。

また、本人が幼く可愛らしいミーシャに絆されていたというのもあったのだろう。

当時ヒカリは、既に魔王の今際の際の呪いで、多くの寿命が削がれたことを自覚していた。

年下の誰かに何かを託すことに、何処か拘っている様子だった。


「条件は表向き、本人が持つ魔族としての力を封印すること。

 これはミーシャが持つ固有……"魂の奏者"を外部から操作する事で行われた」

「"魂の奏者"……魂を、操作する固有術式!?」

「じゃあ、今回の犯人は……」

「ミーシャの可能性が、高い」


 とは言えこれらは、トップシークレットの情報だ。

途中経過の情報を聞いた時点で龍門も同じ想定に辿り着いていたが、安易に通信で話すわけにもいかず、開示できないという話しかできなかった。


「……話を戻すぞ。表向きと言ったな、裏向きの事情もあった。

 ミーシャには、旗印となりうるその血を遺さない、という制約が成されていた。

 厳密にいえば、契約術式による命の拘束だ。

 契約内容は"世界人類および魔族との性交渉の禁止"。

 つまるところ、現存する知性あるヒトすべてと、子を成す事を禁止していたということだ」


 契約術式は、本人の力を以てして発動をさせる術式である。

破れば術者本人の力によってペナルティが発動するため、ペナルティを防御する事は不可能。

この手の本人の力でペナルティが発動する類の術式は、原則外部からの解除は不可能とされる。

よって契約術式は、術式の隙を潜り抜ける事は不可能。

契約した内容の隙を潜り抜ける他に、ペナルティを回避する方法はない。


「それは……そう、だったんだ」

「うわ、むごい……」


 絶句する二人に、龍門は目を細める。


「とはいえ、魔族の王女を生きたまま保護するためには、この程度の措置は必要だった。

 ヒカリの……人類を救った聖女の意向があっても、それ以上の譲歩は難しかった」

「分かるけど、それが今こうなっちゃってるからなぁ」

「因果応報というか、なんて言うか……」


「……ん?」

「「……は??」」


 神妙な顔をする姉妹に、はてと首をかしげる龍門。

姉妹は、胡乱な目つきで尖った声を上げた。


「……まさかと思うけど、父さん、ミーシャがユキちゃんの事好きなの、気づいてるよね?」

「…………???」

「正直、私もミーシャが兄さんを誘惑しないようガードしてたけど」

「…………初耳だが???」


「嘘でしょ節穴すぎない!?」

「……本当に家族に興味ないんだね……」


 信じられないと絶叫するヒマリと、心底からの軽蔑の目で見てくるミドリに、思わず龍門は目を逸らした。

言われてみれば、ミーシャは当初ヒカリに最も懐いていたが、ヒカリが亡くなってからはユキオと最も多く接していた。

はたから見ても、その目が熱を持っていたのは感じられた。

龍門としては、懐いていたヒカリの面影を見てユキオに接しているのだろうと思っていたが、言われてみればそれは異性を見る目であった気もする。


「コホン、兎も角、だ。

 そういった状況だ、ミーシャが犯人の可能性が高く、ユキオはミーシャに拉致された可能性が高い。

 だが、ミーシャはこれまでの20年間、少なくとも表向きに一度も人類に危害をくわえておらず、聖剣の判定でも青になっている。

 状況証拠はミーシャを示しているが、個人要素はそれを否定している状況だ。

 そして同時に、仮に犯人だったとして、ミーシャがユキオを害する可能性は低いだろう。

 実際に異性を見る目だったかどうかは分からないが……我が家で一番親しい相手だったのは間違いあるまい」


 龍門としては、ミーシャは正直気まずい事この上ない相手だった。

龍門はミーシャの母、つまり魔王をその手に掛けた本人であり、ミーシャにとっての母の仇である。

ミーシャの母である魔王は、ヒカリに呪いをかけた、いわば龍門にとっての妻の仇である。

ヒカリが存命のうちも接触は避けていたし、亡くなってからは尚更冷え切った、ほとんど会話のない関係になっていた。

精々、ユキオの前でだけ不自然にならないように会話をする程度だ。


 ヒマリとミドリにとっても、恐らくミーシャとの関係は微妙だ。

幼い頃からミーシャはユキオに良く構い、姉妹とユキオの取り合いのような関係になっている所があった。

それでもある程度姉妹じみた関係はあったが、それもメイド服に身を包み、家事を始めた頃から変わってしまう。

曖昧だった関係から家事手伝いという立場になったミーシャは、皆に明確に敬語を使うようになった。

ユキオを含め姉妹とも明確に距離を取るようになり、特に姉妹との関係はかなり表面的なものになってしまった。


 故に元より、龍門はミーシャがユキオにだけは危害を加える可能性が低いと見ていた。

その感情が異性愛だと言うのであれば、尚更か。

勿論、ミーシャがユキオを愛しているというのであれば、かけられた契約を解きたいという現状反逆の動機はでき、犯人の可能性はあがるのだが……、それが殺人事件やユキオの拉致に繋がる理由が不明だ。


「それならまぁ、ユキちゃんの貞操は無事なんだろうけど……。

 でも万が一ユキちゃんを傷つけるような事があれば、ミーシャ……犯人は、許さない……」


 怒りに燃える、ヒマリ。

政治的な嗅覚はなく、他者を従えるようなカリスマはなく、そこには弟に対する異常な執着と独占欲、そして他者への興味の無さから来る加虐性しか見えない。

鏡写しに自身の汚い部分を見せられているようで、龍門は目を瞑った。


「何にせよ、早く兄さんを助けないと。

 犯人は……まぁ、兄さんの二の次かな」


 冷たく、しかし粘ついた執着を口にするミドリ。

愛情溢れる暖かさや、心の底に溜まった澱みを払うような明るさはなく、そこには兄に対する異常な執着と愛、そして他者への興味の無さから来る排他性しか見えない。

自身の醜さを切りだして彫刻したような姿に、龍門は目を伏せた。


(やはり、私の後継は……私の子は……ユキオしか、いない)


 目の前の醜さを示す姉妹から目をそらし、龍門はそう考えた。

単純に勇者の、英雄の後継という意味ではない。

龍門の人生で得たものを次ぐ誰か、人生の中で手にしたバトンの多くを渡したくなる誰か、それは龍門にとってユキオしかいなかった。

旧友も、家族も、龍門にとって仲間であるし、守るべき、そして時には頼るべき相手でもある。

しかし龍門が自らの大切な部分を継ぎたいと、そう思える相手は今やユキオ一人だった。


 龍門の冷静な部分は、指摘している。

この家族は、おかしいと。

誰もがユキオに依存し、ユキオ一人に身を預け、彼一人を中心に回っている。

それは血のつながりのないミーシャも同様であり、血ではなくとも家族という枠組み丸ごとが、ユキオを求め続けている。

そしてそのユキオは、家族に求められながらも、家族に奉仕されるのではなく、むしろ家族に奉仕し続けている。

家族のために、愛する運命の人をその手にかけてさえも。


 二階堂一家は、一人残らず狂っていた。

それは唯一正気だったかもしれないヒカリが命を落とした時から、逃れる事のできない運命だったのかもしれない。


(それでも私は、祈り、家族のために戦おう。

 ヒカリと、そして……ユキオのために)


 姉妹が、食事をとって装備を整え即応状態を作ろうと、席を外す。

ミーシャに対する怒り、ユキオに対する身勝手な期待を口にしながら、離れてゆく。

その内容は半ば以上龍門の耳に入らず、意味を吸収されることなく耳朶の中を素通りしていく。


 龍門は、静かにテーブルの上、両手を組んだ。

そのまま首を下ろし、額を組んだ両手に当てる。

深呼吸。

ただただユキオの無事を、何に対してでもなく祈ってから、立ち上がる。

安穏とした団欒の場を離れていった。




*




「……ぁ」


 乾いた声が、漏れた。

視界が像を結び、灰色の天井を映す。

上体を起こすと、掛けられていたシーツがずり落ちた。

そのままぼんやりとあたりを見まわす。


 間接照明だけの、仄暗い部屋だった。

古めかしい濃色の木の家具が、暖色に照らされている。

僕が寝ているベッドのほか、タンスにサイドボード、机と椅子に、それとは別に揺り椅子が一つ。

いや、その揺り椅子の上に、人型のシルエット。

目を凝らしてその人を観察しようとし……。


「――っ!?」


 寒気、魔族の気配。

飛び起きて戦闘態勢に入ろうとして……力が、入らない。

立ち上がろうとした脚がそのまま崩れ落ち、僕はペタンとベッドの上に座り込んでしまった。

何が、と考えるより早く、パタンと音。

見れば人型が、持っていた本を閉じる所だった。


「無駄だよ。その腕輪がある限り、キミは術式を練ることができない」

「な、に……!?」


 パチン、と音を立て、電灯がついた。

人型は、女性型の魔族だった。

水色の髪に青いイブニングドレス、魔族の特徴として角に翼、そしてドレスの穴から尻尾が出ている。

肌と角は白いが、翼と尻尾は青く染まり、ドレスと調和した色となっている。

目元がぼんやりとしており、どこかダウナーな雰囲気の女魔族だ。


「ちょっと待ってね……。主様達を呼ばないといけないから」


 と彼女が額に指をあててもにょもにょと口を動かしてみせると、すぐさまドアが勢いよく開く。


「ユキさん、起きたんですか!?」

「……ミーシャ」


 現れたのは、魔族の姿をしたミーシャだった。

真新しいフレンチメイド姿で、翼や尻尾は専用の穴を空けたものを着ているようだった。

近づき僕の体を触診し始めるミーシャに身を任せつつ、続々と部屋に入ってきた面子を見やる。

ミーシャを除き追加で4人、最初からこの部屋に居た女を合わせて5人か。

それぞれ髪の色が異なり、黒、青、黄の女に、赤、茶の男2人。

聞き覚えのある数に目を細めると、黒髪の女が呆れたように言う。


「ミーシャ、そろそろ我らの自己紹介ぐらいはさせてくれんかの」

「あ、はい。ユキさん、無理はしないでくださいね」

「……うん」


 手短に答えるのに満足したようで、ミーシャが下がり、残る5人から少し離れたところで待機。

一人ずつ順に前に出て、口を開く。


青髪のドレスの女が、

「……ぼくは"水と疫病"、サフィン」


金髪のピッチリとしたレオタードの女が、

「わたくしは"雷と呪怨"、アンバーですわ」


赤髪の赤黒い鎧の男が、

「俺は"火と破壊"、ルビアナだ」


茶髪の白い法衣の男が、

「"土と地震"、スチーグ」


そして最後に黒髪のドレスの女が前に出る。

「我は今の立場となった時、名は捨てておるのじゃ。

 故に名乗る名は、ただ一つ。

 ……魔王、そう呼ぶがよい」


 深呼吸。

ミーシャが魔王の娘であるという情報、そして肉体を用意された仙人が属性違いの5人という所で、四死天の復活は予想していた。

しかし魔王当人まで復活しているというのは、流石に予想外だ。

それでもどうにか最低限の落ち着きを得てから、口を開く。


「……なる、ほど。こちらも礼儀として名乗ろうか。

 僕は、二階堂ユキオ。

 肩書は……強いて言えば、"勇者の息子"って事になるかな」

「……まぁうむ、そうなるの」


 頷く魔王だが、その表情は柔らかく、慈しみに満ちたものだ。

生前の自身を殺した男の息子に向ける目とは、思えない。

違和感の正体に頭を悩ませつつ、小さく溜息をつく。


「初対面でベッドの上からで悪いけれど……。

 どういう状況なのか、誰か説明してくれる気はあるかい?

 ……ミーシャが魔王の娘と名乗った事。

 そのミーシャが、魂の固有術式所持者であること。

 ミーシャが仙人を始末し、その肉体で貴方たち5人の魂を復活させたであろうことぐらいしか、分からないからね」

「うむ、冷静で結構。こういった説明は、ルビアナ、お前がよかろう」

「俺ですか……」


 と、ルビアナがその赤髪をポリポリとやりながら、一歩前に出る。

彼は、筋骨隆々の大柄な男である。

浅黒い肌の上に赤黒い無骨な鎧を身にまとい、背には大剣を背負っている、いかにもな前衛型の剣士だ。

本来なら、その肩書のように凄まじい威圧感のある男なのだろう。

しかし僕相手にはどこか親しみのある目を向けており、気のいい兄貴分のような雰囲気しか感じられない。


「まぁお前の知っての通り、ミーシャ様はこの世界で言う固有術式に目覚めている。

 "魂の奏者"。

 人類側は把握してなかったみたいだが、ミーシャ様は1歳時点でも既にそれなりの練度で使いこなしていてな。

 例えば死んだ仲間の魂を回収したり、その魂を自身に保管し続ける事ができるぐらいは可能だった。

 つまるところ、俺たち5人を含めた魔族幹部は、ミーシャ様の中に暮らしていてな。

 中からユキオ、お前を含めた勇者一家の生活は見ていたんだ。

 赤子から今の通り成長するところまで、ずっとな」

「……なる、ほど」


 と頷いて見せる僕に、うんうんと女性陣三人が深く頷いて見せる。


「ぼくは子供の頃のユキオの着替えを手伝う時が好きだったな……。永遠保存しちゃってる」

「あら、わたくしは今の雄々しくなりつつあるユキオの方が好ましいですわ」

「うむ、我も同じく。この前の裸は……」

「ちょっと黙ってくださいね母様!?」


 つまり、ずっと成長を見ていた子に対し、なんとなく親しみを持ってしまった、と。

なんというか、物心つく前に世話になった親戚(認識外)と出会うと、こんな気分なのだろうか。

相手は人類の敵なのだが、現状ミーシャを目上と置いているようなので、敵愾心も今一湧いてこない。

大戦前からの戦士からすれば「これだから近頃の若者は」と怒る事なのかもしれないが。

そんな事を思いつつミーシャに視線をやると、溜息をついてみせた。


「まぁその、時々見ていてくれるなー、ぐらいには感じていたんですけどね?

 蘇生して細かい話をするまで、ここまで頻繁に見ていたとは知りませんでした……」


 ミーシャが頭痛を堪えるかのように、軽く頭を抑える。

まぁ、自分の行動が二十年間、母親とその部下に筒抜けだったというのはショックなのだろう。

僕で言えば、勇者パーティーに福重さんあたりに相当するだろうか。

想像しただけで気が遠くなりそうなので、本当に同情するしかない。


「んでまぁ、その先は……必要かね?

 チビチビと事故でなくなった遺体は確保していたんだが、中々俺たち四死天クラスや魔王様クラスを疑似蘇生できる肉体は見つからなかった。

 そこで、ユキオ、お前の術式と身柄を狙って、仙人がやってきた。

 お前を渡さないためにも、そしてその肉体を確保するためにも、仙人をどうにか始末。

 ただまぁ、魂を扱えるミーシャ様の身の回りで高位階の行方不明者ってのはちと怪しいからな。

 確保していた遺体に魂を使って、きちんと公的に自爆で死んでもらうつもりだったが……予想外の出来事で、そうはならなかった。

 そこからジリジリと情報を辿られて身柄を確保されそうだったから、お前を拉致しつつ身を隠した。

 最終目的が何かとか、お前を拉致した理由は……、まぁ、ミーシャ様が話すだろ」


 とざっくりの説明を終えて、ルビアナが下がる。

これまでの行動の履歴だけだったが、予想だけだった内容を埋められて、混乱は幾分収まった。

まぁ、そこまでは良い。

予想と大きく外れなかったが、だからこそ大きな疑問はなく、ルビアナの言に疑問を差し込む部分はないのだが。


「……とは言え、それだけにしては、女性陣が……妙に目が強いというか」


 と言って、魔王、サフィン、アンバーの三人に順に視線をやる。

三人それぞれ、視線を返し、ペロリと唇を舐めたり、流し目をやったりと、どこか色気のある反応が返ってくる。

再び溜息をつき、ミーシャ。


「ユキさんは、仙人の……運命の人を求める性質については、聞きましたか?」

「うん……とすると、今回仙人が皇国に来たのは、やはり」

「はい。切っ掛けはユキさんの固有術式に仙界が興味を持ったことのようですが、加えてうち女仙三人が立候補したのは、ユキさんに運命を感じたからのようです。

 とは言え、写真越しでは可能性がある、程度の感じ方のようでしたが……。

 その肉体を使って疑似蘇生を行っているからか、どうも肉体の感情に少し引っ張られているらしく」


「つまり……我ら三人は、ユキオ。お前に発情しておるのだ」

「発情……」


 思わず、オウム返しに言ってしまった。

発情て、この言葉を口に出して言ったのは多分生まれて初めてだぞ。

そんな風に呆れる僕に、三者三様に反応が返ってくる。

魔王が、ドレス越しに自身のヘソあたり、下腹部に掌をあて、さすった。

サフィンが、腕組みして自らの胸を持ち上げ、へらっと緩んだ笑みを浮かべた。

アンバーが、自身の指をそっと咥え、ちゅぷりと音を立てる。


「って何やってるんですか!? そこの発情三人組は一回出て行ってください! 話が進まないでしょう!?」

「えー」

「えーじゃありません!」


 叫びながら、ミーシャは男性二人と共に女性陣を部屋から押し出そうとする。

無抵抗に押し出されてゆくその最後方、魔王が僕を見つめながら、最後に告げる。


「まぁ、そういうことじゃから……。

 ミーシャを選ぶような事があれば、我ら三人、発情した女が三人セットでついてくるということじゃ。

 我らの相手が必須という訳ではないが、なんとなくお得と覚えておいておくれ。

 ……光に魂を焼かれた、哀れな子よ」


 意味深な台詞だが、ミーシャと男性二人に追い出されている最中だと、その内容も耳を素通りしていくのみだ。

残る男性二人も、なんとなく申し訳なさそうな顔をしながら出ていった。

肩で息をしていたミーシャだが、しばらくして息を整えると、振り返り僕と視線を合わせる。


「も、申し訳ありません……。本当に……」

「まぁ、うん……」


 返す言葉も見当たらず、そんな風に言うしかない。

身内が自分より年下の異性に発情している姿を見せてしまった人に、なんと言えばいいのやら。

暫くの間、僕らは黙り込んでしまうのであった。




*




 暫くして。

落ち着いたミーシャとユキオとは、二人ベッドに並んで腰かけていた。

肩が触れそうなほど近い距離、手と手が重なるどころか、二の腕のあたりまでピタリと触れあい、互いの肉の感触が分かるほど。

ベッドの上に置かれたユキオの手の上に、ミーシャの手が重なり捕まえるようにして見せている。

ミーシャの指が、ユキオの指の隙間に、入り込んでゆく。

指と指の間、ユキオの柔らかく無防備な部分に、ミーシャの指が侵入してゆく。


 ミーシャは、翼を大きく広げ、ユキオを包むようにしていた。

ミーシャの翼は、骨組みの部分に翼膜が張られた、コウモリのそれに近い形状のものだ。

所々に爪があり引っ掛ける事もできるそれを、爪が当たらないよう慎重に大きくのばし、ユキオをかき抱くようにしてみせている。


(翼を使うと、隣のユキさんの両肩、同時に抱きしめられるんだ)


 二十年ぶりに解放した翼は、記憶より随分自由に動く。

想像ではもっと不自由しそうなのだが、と思いながら、ふと思いつく。


(二十年ぶりだからちょっと動かし方ミスっちゃいました、って言えば大胆な動かし方しても問題ないのでは?)


 思いつくが早いか、ミーシャはふらふらと揺れていた尻尾を動かし、そっとユキオの逆側の腰に触れた。

ミーシャの尻尾は全長60cm程度、細長く伸びたその先端が矢印のような形となっている。

このように隣り合って抱き合いながら、体とは反対側の腰を抱きしめる事ができるし、余った尻尾を操作ミスした体で、少しデリケートな部分に尻尾の先端を伸ばす事ぐらいはできるのだ。

ふんすと鼻息を漏らしながら、尻尾の先でそっとユキオの内股を撫でる。

少しどころではなく恥ずかしいが、謎の発情モンスターが三人誕生した今、ミーシャもアピールせねばユキオを奪われかねない。


「……ミーシャ。僕はあの三人の誘惑に、負けたりはしないよ?」

「え、あっ」


 ドキッと震え、尻尾と翼がピンと張ってしまう。

否定のために思わず上げた手を、そっとユキオの両手が、包み込んだ。

暖かな感触に、ミーシャの思考が停止する。

ユキオが頭を下げ、ミーシャの顔を見上げる形で覗き混む。


「その、色々。……ミーシャから、話してほしいんだ」

「その……はい」


 余裕のない声を漏らしてしまってから、コホンと咳払いして気持ちだけリセット。

年上の姉貴分らしく、余裕を面に出しながら口を開く。


 ミーシャが1歳の時に人魔戦争の決着がつき、ヒカリの提案で二階堂家に居候となったこと。

政府との取り決めで、"魂の奏者"により人間に魂を改変していたこと。

また、政府の指示による契約術式で、現ヒトおよび魔族との性交渉を禁止されていたこと。

"魂の奏者"は既にある程度扱えており、四死天や魔王、魔族幹部の魂は保持していたこと。


「だから……私は誰かの愛に答える権利がなかったから……。

 あの日私は、貴方の告白を、断るほかなかった」

「…………」


 打ちのめされたように呻く、ユキオ。

それを見て、思わずミーシャは想像する。

あの日ミーシャが逆に告白していたら、どうだっただろうか?

自分が魔族であると、性交渉を禁止されており貴方と添い遂げる事はできないと。

そして、それでも私の事を、愛してくれますか? と。


 ユキオは、受けてくれたかもしれない。

ミーシャはきっと、ユキオに尽くしただろう。

自分が本当の意味で性愛を受け取る事ができない女なのだという劣等感を払拭するため、それこそなんでもしたに違いない。

それでもユキオが他の女に目移りするかもと不安になり、面倒くさい女になっただろう。

不安が奉仕を助長し、奉仕が不安を助長し、これでもかと言うほど重い女になっただろう。

それこそ何時かは、捨てないでもらうため、他の女を捧げようとするような本末転倒な行いにさえ手を出していたかもしれない。


 それはそれで、川渡とナギにユキオを奪われた今より、幸せだったのかもしれない。

それでも、今のミーシャには、それを超えて幸せになるための道筋が、見えていた。


「今、私は魔族で……魔王の娘。ユキさんは人間で……勇者の息子」

「……うん」

「だから、これから……そうではないように、します」


 ユキオが、目を瞬く。

灰色の髪の隙間、長いまつ毛の元、黒々とした瞳が疑問符を浮かべている。


「長谷部ナギの斬首結界は、皇都の結界を無茶苦茶にしたうえで、多くの力を遺していきました。

 それこそ、残った斬首結界の力と、皇都の結界の力、両方を掠め取る事が可能なぐらいに。

 それらの力に母様の力を合わせ、私の術式で指向性を与え、全世界に散らすことが、可能なぐらいに。

 "人魔統合術式"

 私は可逆の範囲でしか自分を人間に寄せられませんでしたが……。

 これを用いれば、不可逆に……人間と魔族の間の存在、半魔と言えるモノに、人間と魔族を変質させることができます」


「これは、母様や四死天への口説き文句ですが……。

 魔族の生き残りが人類と共存できるかは、現状微妙なところです。

 共存派と殺戮派の勢力は五分五分と言ったところで、あと一押し欲しい。

 我ら魔族は、完全に敗北しました。

 私の力を使って皆を疑似蘇生しても、人類を押し返すには至らない。

 ならば人類と魔族の区別をつかなくさせて……強制的に共存を、行わせる。

 それが魂だけ辛うじて生き残った皆の、行うべきことなのだと」


「けれど私の目的は……ユキさん、貴方です。

 私の契約術式が縛る性交渉の対象は、現存する全人類と魔族が相手。

 半魔は……これから生まれる新しい種族は、契約した時点で存在しなかった種族は、対象に取れなかった」


「貴方と……添い遂げることが、できるようになる。

 それが私の……目的です」


 半魔が具体的にどのようなものなのかは、術式を試したことのないミーシャには分からない。

隠ぺいしづらいかなり派手な力が発揮される事が予想され、事前に試せば術式の存在が暴かれかねない。

そうなれば警戒されてしまい、全世界への発動は不可能となるだろう。


 しかし"人魔統合術式"には、開発者である魔王の協力が必須である。

わざわざ危険を冒してまで全世界に発動せず、ユキオ一人にだけ発動して欲しいと考えはしたが、それを魔王は良しとしなかった。

魔王はミーシャ一人の欲望のため、生き残りの魔族を見捨てるつもりはなかった。

魔王の協力を得るために、"人魔統合術式"は全世界への発動が必至だったのだ。


「そしてそれは……聖剣にとって、害ではないのでしょう。

 長谷部ナギの事件の前、既に大雑把な計画を立て、いくつかの条件を満たせば進められるという状態になっても、私は……青の判定でした。

 "人魔統合術式"は、人類の存続にマイナスとはならない。

 判定が青ということは……恐らく、人類の存続に良い影響を与えるのでしょう」


 それは聖剣を信じるユキオへの口説き文句であるのと同時、勇者が全力を出せない可能性を示唆する物でもあった。

勇者の聖剣は、人類存続評価"赤外"にのみ、全霊を発揮する。

流石に疑似蘇生された魔王達の聖剣レプリカによる判定は行っていないが、ミーシャが青判定である以上、ミーシャの能力影響下にある他の面子にも全霊を発揮できない可能性は考えられる。


「魔族の企みであり、少数とは言え人の命を使って魔族が利益を得る行いです。

 龍門さんを含め、人類の抵抗は予想されますが……、それでも聖剣が全力を出せず、実力が劣化しているとはいえ母様、魔王がこちらにつく以上、勝つ見込みはあります。

 そして聖剣が認定している以上、最終的には人類の存続に良い影響を与えると保証されてもいる。

 強制的な共存であっても……、いつか分かり合える……」


 と、そこまで語って、ミーシャは口を閉じた。

そうでは、ない。

ミーシャは結局のところ、魔族にさしたる愛着はない。

魔族として生きたのは人生の5%以下、ミーシャの自認は人類に近しく、魔族であることに不利益を受けた記憶しかない。

だからお為ごかしの、口当たりの良い、建前の言葉を並べたところで、うすら寒く響くだけだ。

だから。


「……ユキさん」


 ミーシャは、ユキオを抱きしめた。

押し倒すぐらいの勢いで抱きしめて見せたが、流石の体幹で、ユキオはその場で留まって見せた。

横並びから抱きしめたため、腰を捻るようにしており密着しづらい。

ミーシャは腰を浮かせ、そのままくるりとユキオの膝上に、腰を下ろした。

腕をより深く回し、ユキオの熱い胸板に、自身を強く密着させる。


 心臓の音が、聞こえる。

触れあう頬が、互いの温度を伝える。

ミーシャは、そっと抱きしめる腕を下げ、ユキオの腰を下腹部に押し付けるようにした。

荒い息が、漏れる。

背の翼を大きく広げ、今度はそちらでユキオの背を強く抱きしめた。


「好きです」


 ユキオの耳元に、ハッキリと告げた。

息をのむ音、言葉が伝わった事が、言葉よりも明白に反応で返ってくる。


「愛しています」


 今度の言葉は、少しかすれてしまった。

それでも返事であるかのように、ユキオの手が、ゆっくりとミーシャを抱きしめ返す。

弱弱しく、慎重に。

まるで壊れ物を扱うかのように。


「私が、魔王の娘でなくなれば……あなたが、勇者の息子でなくなれば。

 同じモノになれば」


 気づけば膨れ上がった感情が、目尻から涙になって零れ落ちていた。

頬を伝い、ユキオの頬を濡らし、その喉元へと垂れてゆく。

同じ涙が、二人の喉を、ゆっくりと濡らしていた。


「私は、貴方の事を好きでいて、いいでしょうか。

 貴方と添い遂げることが、許されるでしょうか」


 ユキオの背を、腰を、一段と強く抱きしめる。

少しでも、この体の熱が、伝わるように。

この燃えるような恋が、愛が、伝わるように。


 未だミーシャは、自身の愛の正体を知らない。

この愛が性愛の果てなのか、純愛の果てなのか、分からない。

ミーシャは幼い頃から、性愛の成就を禁じられていた。

その抑圧が少年愛や盗撮として発露し、川渡に愛する人が汚される事で破壊され、元に戻らない何かになり果ててしまった。

それでも確かに、最初にユキオから告白された時の、胸の躍るような暖かさも、やはりあったはずなのだ。

だからやはり、その愛が何者なのか、自身でも理解できずにいる。


 そんな化け物のような愛を、受け入れてほしい。

受け止めて、そして、求めてほしい。

私を、求めてほしい。

そんな愛が、少しでも、伝わりますように、と。


 どれほど時間がたっただろうか。

抱きしめ合い続けた二人は、そっと体を離した。

ミーシャはユキオの両肩に手を置き、コツン、とその額に額を当てる。


「……答えは、まだ聞きません。

 突然すぎますし、ね」


 そして口には出さないが、ユキオはナギを亡くしてまだ数か月しか経っていない。

この場で答えられないのは、ある意味予定通りだ。

ミーシャは額を離すと、額同士がくっついていた赤いその痕に、そっと口づけた。

ゆっくりと顔を離すと、赤く染まったユキオの顔が一望できる。


「……行ってきます、ユキさん」


 数秒見つめて、名残惜しみながらミーシャはユキオから離れ、背を向けた。

コツコツとヒールで床を叩きながら、前へ、前へと進んでいった。




*




「扉は……まぁ、鍵ぐらいついてるか」


 ミーシャが部屋を去ってから。

とりあえず体を動かしたくて部屋の中を調べまわったが、特段して見つかるものはなかった。

扉は鍵がかかっており、部屋から繋がっているのはトイレだけ。

腕輪を外したり壊したりするのに使えそうな器具や家具はない。

素手でどうにかするのは、至難の業だろう。

身体強化の術式も使えないままで扉をこじ開けるのは難しく、腕輪を破壊しなければどうしようもない。


 僕の術式行使を妨げているという腕輪を、改めて確認する。

両腕についたそれは、銀色で幅広の金属製、装飾も継ぎ目もない。

どう見ても手首を通らない太さで、どのように腕にはめ込んだのか分からない。

術式を使おうとすると腕輪が反応を見せるので、この腕輪が僕の術式を妨害しているということは確かなのだろう。


 ベッドに座り込んで、溜息をつく。

腕輪を外す方法は、思いついた。

消耗はそこそこあるが、致し方あるまい。

しかし問題点はそれではなく、自分が何を、どのように行動すべきかという事だった。


「告白……された」


 初恋の人に。

結果的には、お互いに。

運命の人だと信じた人に、お互いできなかったことを。


 それを断る理由は、僕にはない。

未だナギの事は何度でも思い出すし、胸の奥を焼き続けている。

それでもかつて恋した人に、今もどこかで想う人に、あそこまで愛を告げられ、揺れ動かないはずなどあるだろうか。


 僕は思わず、ミーシャと二人寄り添う未来を思い描いた。

応接間、二人掛けのソファの上に僕らは二人。

僕たちは半分魔族の、今とは少し違う形で、先ほどのように二人で手を繋ぎ腰かけていた。

ミーシャの腹は大きくなっており、そこには新しい命の芽吹きが感じられて……。


「ミーシャは……人類を変更しようとしている」


 聖剣に肯定された変化。

正しいと世界に保証された行い。

人類存続のための光。


 それに反抗する理由は、僕にはない。

僕は魔族に直接恨みなどなく、どちらかと言えば共存派という程度の考えだ。

なった直後は様々な論争が成されるだろうが、20年30年と経つ頃には半魔という名前すら薄れるような当たり前の光景となっていくだろう。


 僕は思わず、半魔たちの街を歩く自分を想像した。

繁華街、互いに無関心な大勢の人と人がすれ違う光景。

人によってツノが生えていたり尻尾が生えて居たりという程度で、今と何も変わらない雑踏の光景が過ぎ去っていく。

学校では異世界魔法の授業が追加され、暫くして頭の異世界の名前がなくなり……。


 僕が立ち上がる理由は無かった。

僕はここでじっと待っていれば、それでよかった。

戦力比で勝り、相手の戦力を把握しいくつもの手を打っているミーシャは大きく有利だろう。

それでも勇者の力は侮れないだろうが、どちらの勝利も僕に不利益をもたらさない。


 父さんたち人類が敗北したのであれば、何もすることはない。

僕はミーシャと魔王達に意見できる可能性のある元人間として、彼女たちの意見調整を主とすれば良い。

女性陣三人から謎の好意を得ているから、良くも悪くもそれを利用できる立場なのだから尚更だ。


 ミーシャ達が敗北したのであれば、その擁護は僕の役目だ。

聖剣が本領を発揮できなかった時点で、どのような目的で何をしようとしていたのかは、必ず調査される。

これも女性陣三人からの謎の好意がある僕が、彼女たちからの意見聴取に役立つだろう。


 だから僕は、座っていればいい。

何もする必要はなくて、ただ、ただ。


 大きく、息を吸う。

震える右手を力一杯に握りしめて、自分が震えているのを誤魔化そうとして。

それでも気づけば、奥歯は噛み合いギリギリと鳴り響いている。

心臓が強く脈動し、目からは涙がポロポロと溢れ始めて。


「違う!」


 力いっぱい、拳をベッドに叩きつけた。

マットレスの中のスプリングが、ギイギイと泣く。


「違う!!」


 僕は重要な決断の時、正しさを元に動いた事なんてあっただろうか?

僕が正しさを元に動いていたのであれば、僕はあの日、ナギと共に戦うべきだった。

ナギは、僕が家族を殺そうとすることが正しいのだと言った。

聖剣は僕を邪悪だと、聖剣の失墜を望むナギに賛同するのが正しいのだと、その輝きで示した。

そして何より、僕はナギの言葉が正しいのだと信じた。

けれど僕は、正しさを裏切った。


「違う!!!」


 喉が裂けそうなぐらいの、絶叫。

世界が、論理が、愛する人が、正しいと信じる聖剣が、そして自分自身が。

あらゆる全てが僕の間違いを断じ信じていても。


 それでも。

僕は。

間違いだと知る、その道を選ぶ。


「だって……父さんは、どうなる? 姉さんは、ミドリは?」


 魔王に敗北し、生きながらえた勇者。

聖剣が魔族に、今度こそは敵わなかった事を証明する男。

そしてその子でありながら、魔族に敗北した英雄。

魔族に与したようにしか見えない僕を、きっと庇うだろう皆。

民衆に死を望まれ、権力者にはサンドバッグとして生きる事を要求されるだろう。

ひょっとしたら政治的に死を望まれることもあるだろうし、その機微までは読み切れないが。


「僕は……決めたんだ」


 殺すと。

"ここ"を奪われるぐらいなら。

大好きな運命の人も、大好きな初恋の人も、どちらも。

この手で、殺して見せると。


 "僕の夢は……家族を、"ここ"を守り続けて……最後には、お父さんに殺されることです"。

どんなに間違っていても、僕はこの夢を、諦められない。

正しさを、その父の聖剣に否定されてさえも。


 立ち上がる。

少し進んで、両手を前に。

深呼吸、目を見開きながら集中する。


 赤井。

かつて僕が辛うじて勝利を収め、秩序隊謹製の拘束術式を使われながら自決した男。

奴の行いが、ヒントだった。


 青白く光る"運命の糸"が、僕の腕の中から僅かにその光を漏らした、次の瞬間だった。

両腕を巻き込んで出現した糸剣が、僕の両腕を切り落とした。

ポトリと手首から先が、遅れて糸剣と腕輪がカランと床に落ちる。

一瞬吹き出た血が、それらを真っ赤に染めるも、すぐに留まった。

何時ぞやの自己ギロチンの慣れで、出血は最低限ということだ。


「……魂の汎用術式、結構使えるな」


 独り言ちながら腰をかがめ、僕は床に落ちた手首に腕の切断面を近づけた。

簡素な回復術式が、術式光を漏らしながら発動。

この程度では不可能なはずの、手首の再接着が僅かな消費で行える。

元の魂の形を覚えている事が、再生や回復を容易化しているようだった。

首がそうであったように、アタッチメント化しないといけないと考えていたから、想定外の僥倖という奴か。


 続け僕は、床に落ちたままだった、糸剣を拾った。

青白く光る糸で編まれた、本物の、聖剣の偽物。

正しさを詐称し、保証された正しさに向けられる僕だけのための剣。


 その剣は今や僕自身の血に濡れ、真っ赤に染まっていた。

剣自体が青白く発光しているが、べっとりとしみ込んだ血が、それを赤紫色に染めている。

血に汚された偽物の正しさを掲げ、僕は言った。


「好きです」


 いつか告白した通りに。


「愛しています」


 貴方の愛ほどに、僕が愛せているかは分からないけれど。


「けれど僕は……」


 それが間違っていると、信じながら。


「これから貴方を、殺しに行きます」



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