04-踊る会議室




 罪悪感。

例の映像で致してしまって以来、ミーシャは正面からユキオの顔を見る事もままならなかった。

暗く沈み切った表情、時折見せる暖かな顔、まれに見せる羞恥の赤く染まった表情。

どれをとってもミーシャは例の映像を思い出してしまい、全てがミーシャにとって性的なものへと繋がってしまった。

だから、ミーシャがユキオの顔を見る事ができるのは、盗み見だけだった。

影から、こっそり。

ユキオにだけはバレないように、柱の陰から、あるいは斜め後ろから、あるいはカメラ越しに。

カメラ越し。

つまるところ、例の映像を取るために使った機材を用いて、引き続きミーシャはユキオの事を隠し撮りしていた。


「……ふぅ」


 中でもミーシャを強く魅了したのは、ユキオの浴室盗撮であった。

川渡は家の目立たない所で頻繁にユキオに行為を行っていたようで、浴室もまたそのうち一か所だったようだ。

川渡がユキオに浴室で迫ったのは、あの日一度ではない、ということ。

だからかユキオは、その後しばらく浴室に入るたび、緊張し、そしてその可愛らしいモノを硬くしたりしていた。

それを見てミーシャは、心痛め、罪悪感を持ち、そしてなにより興奮してしまった。

ミーシャのコレクションには、ユキオの浴室盗撮が10本以上ある。


 ミーシャの性欲は、エスカレートしていた。

自身が15歳の少女とは思えぬ性欲の持ち主だと、ミーシャは自覚していた。

11歳の少年に対する行為は明らかに常軌を逸しており、ミーシャはいずれ自身がその性欲から罪科を数えることとなると確信していた。

そしてまた、自身の罪は生まれや血ではなく、その本性によるものなのだと。


 裁きの時は、想像より早かった。

翌年に予定された、ミーシャの保護者にしてユキオの父龍門の、聖剣レプリカによる人類貢献度判別。

ユキオを守るために行われた、犯罪者のあぶり出し。

その予定を聞き、ミーシャは自身が犯罪者予備軍の印を押されるのだと確信した。

ミーシャの保護は龍門の妻ヒカリの願いだったが、しかし当人亡き今ミーシャが二階堂家で保護されているのは、半ば惰性に過ぎない。

流石に犯罪者予備軍の印を押されては、家族の傍に置いてはくれないだろう。


 だから。

ミーシャ16歳、ユキオ12歳。

その判別の前日の夜、ミーシャはユキオを自室に誘った。


「緊張しますね……、男の人を部屋に招いたのは、初めてですから」

「う、うん……」


 梅雨明けの初夏、二人は薄っすらと汗を滲ませながら、隣り合わせでベッドに座っていた。

ミーシャは自身の恰好まで詳しく覚えておらず、薄着だったというぐらいの記憶しかない。

ユキオはTシャツにハーフパンツという薄着のスタイルで、当時の背丈はミーシャの視線でその頭頂部が見えるぐらいの差があった。

当時、髪にすっと鼻を埋めると、汗と皮脂の酸っぱい臭いの奥、ほんの僅かにミルクのような香りがして、あぁこれが少年の匂いなのだ、とミーシャは実感したものだった。


 ユキオは極度に緊張して、顔を赤くしたり青くしたりと七変化させながら、チラチラとミーシャに視線をやり、顔を見て、あるいはその胸を見て、すぐに視線を逸らしていた。

自身の顔や肢体を見て赤面してみせる美少年の姿は、ミーシャの自尊心を強く満たした。

自身の価値をユキオが高くみてくれる事が、例えようもなくミーシャを高揚させた。


「さて、ではそろそろ少し暗くしましょうか……」


 そう言って、ミーシャは電灯を常夜灯のみとし、ユキオを連れて横になった。

薄掛けの布団が二人の体の線を、浮かび上がらせる。

ユキオとミーシャとの視線が、重なった。

青白い夜の帳と、常夜灯の暖色とが、互いの顔を、躰を、そのコントラストで染める。

暗い中、それでも互いの口唇の蠢きが、完全に伝わっていた。


 いざ。

覚悟を決め、ミーシャがユキオを押し倒そうとした、その時である。

ふわり、と。

ミーシャの頭が、柔らかいものに包まれた。


「だいじょうぶ」


 それはまだ薄い、ユキオの胸板だった。

細く華奢な腕がミーシャの頭を覆い、小さい手がポンポンとリズムよく、ミーシャの背を優しく叩いていた。


「怖いよね。明日になったら、僕たち、良い人か悪い人か、解っちゃう訳だ」

「それは……」


 その場にユキオを招いた表向きの理由は、その通りだった。

寝る前のユキオにそっと話しかけて、ミーシャはユキオに不安だから同衾してほしいと、そう誘って部屋に来てもらったのだ。

しかしそれは、建前で。

そう言おうとしたミーシャだが、そっと頭を撫でられ、その言葉も掻き消える。


「ミーシャは、自分がどっちになると思う?」

「それは、その、私は……」


 悪い子だ。

年下の、自分に告白してきた少年が性的暴力を振るわれる映像で致している。

その後も盗撮を続けており、ついには少年をベッドに誘い込んで襲おうとした。

どう考えても醜く愚かで、血肉に関係せず、ただただ魂が醜悪な存在。

そうとは言えないミーシャに、しかしユキオは、微笑んで見せた。


「僕はきっと、悪いやつかもしれない」

「そんな事はありません!」


 思わず、ミーシャは叫んだ。

ユキオは動揺を見せず、慈愛に満ちた表情でミーシャを撫で続けている。


「ユキさんは優しくて、何があってもそれを忘れることがなくて、努力家で、誠実で、素敵で……!」

「ミーシャも。可愛くて、ちょっと天然で、なんだかいつもどこか辛そうにしていて、それでもそれを言い訳にせずにずっと胸を張っていて。素敵な人だよ」


 ユキオの言葉に、思わずミーシャは息をのんだ。

なんだ、それは。

胸の中が、言葉にならない何かで一杯になる。

口を開けて何か言おうとしても、何も思いつかない。

頭の中が真っ白になって、その時ミーシャの中には、非言語の感情のみが暴れまわっていた。

辛うじて絞り出すように、内心でだけ、拙く唱える。

……ズルい。ズル過ぎる。


「僕もミーシャは悪い人なんかじゃないって、知っている」


 声変わり前のボーイソプラノが、ミーシャの耳へとそっと囁くように響く。

ミーシャの芯まで、声が染み渡るように響く。

小さな手が髪を撫で、背にポンポンとリズムよく触れてくれて。


「大丈夫、明日はきっと、ミーシャが良い人だって分かる、いい日になる。僕は、そう信じてる」


 天使のような美しい声が、ミーシャの不安を解きほぐした。

理由の分からない、奇妙に熱い温度の涙が溢れ出る。

言葉になる前の感情が立ち上り、嗚咽に変換されて口から漏れた。

泣き疲れるまでミーシャは撫でられて、そのまま寝かしつけられて。

そして夜が明けて。


 ――ミーシャは青で、ユキオは赤だった。




*




『ある。仙人達がユキオの子を欲しがるだろう理由は、3つある』


 最寄りのギルド会議室。

報告もほどほどに、僕らは父さんに電話をかけて、状況を説明していた。

というのも、僕らは仙人に対する知識はさして多くはない。

私生活や文化まで知るのは、仙人と共に行動していた父さんや、その仲間ぐらいか。

という事で、手っ取り早い相手として父さんに電話を掛けてみたところ、開口一番にコレだった。

3つて。そんなにあるのか。


『一つ目に関しては、電話口では少しな……。時期を見てユキオに伝えるべき事なのだが、私の判断で未だとしていた。その理由自体も、それほど強いモノではない。高位階の大仙人に誘惑を強制させるほどではな』


 言われて、僕は思わず視線をヒマリ姉とミドリに。

彼女らもまた首を横に振るのを見て、致し方なし、とその理由は僕も保留とする。

コトコやソウタも勇者の判断を支持するようで、興味は薄いままだ。


『二つ目の理由は、仙人達の学問……道教と呼ばれるモノのためだ』

「……道教?」

『私も詳しく語れるほどではないが……不老長生を得て「道」と合一するのが目的とされる。「道」とは現実世界を超越した根源世界、神秘の世界であるとされ……、それは万物の理、つまり運命とも同一視されることがある』

「はぁ……」


 流石に抽象的過ぎてちんぷんかんぷんなのだが、つまる所僕の固有術式"運命の糸"が目的ということか。

今一のみ込めていないのが電話越しにも解ったのだろう、咳払いから続きが父さんによって語られる。


『つまるところ、仙人はこのような学問……道教を極めていくことが最大の目的とされる。いわば種族としての大目標と言えよう。

 個々に別の目的を持つ者も居るだろうが、全体としては、ということだ。

 ユキオの固有はあまり隠していなかったが、同時に公開されている範囲の情報だと特殊な糸使いの範疇を超える物ではなかったはずだ。

 ならばなんらかのタイミングでユキオの切り札の情報が漏れて、その固有を仙人界に引き入れるために誘惑した、という線はある』

「……なるほど」


 とすると、五人の仙人が皇国に侵入したのは先の"自由の剣"事件の前だったため、それ以前にという事か。

特段思いつくタイミングはないので、頭の片隅に入れておく程度に留めておく。


『三つ目は、運命の人、という奴だ』

「……運命の、人?」


 ちらり、と脳裏を藍色の髪色が過った。

ゴシック姿で魔剣血吸い鎌切を手に持ち、血の雨の中ビニール傘をさす少女の姿。


『フェイパオ……天仙もそうだったが。仙人達の多くは、生まれながらにして運命の人……異性というものが居るのだと言う。

 彼らはその運命の相手以外と子を作る事は滅多になく、それ以外に性欲や恋愛感情を殆ど抱かないのだと言う。

 フェイパオも、出会った直後は運命の人などくだらない、と言う態度だったが、アキラ……賢者の薬師寺明と出会ってからは態度を一変してしまってな』

「え? 天仙って、祖国を滅ぼされた復讐に力を貸そうとして、それで徐々に……って感じじゃなかったの?」

『徐々に、ではなく一瞬だったな……』

「そ、そっかぁ……」


 これまで見てきた勇者物語を全否定され、思わず僕は目を遠くした。

腑抜けている僕を尻目に、隣の姉さんが腕組みしたまま、ポツリと。


「つまり、女仙どもがユキちゃんを運命の人と感じて、それで、ってこと? でも運命の人って、周りの奴らが協力したりするもんなの?」

『ふむ……。一般的な友情として、他の仙人の運命の人との関係性を助ける事はあると聞く。また、運命の人は被る事があるそうだが、その場合に囲うか競争するかはケースバイケースだそうだ。そして、この運命の人というのは必ずしも双方向性ではなく、片方向性の場合がある。相手が仙人ではない場合だな』

「あぁ、そりゃまぁそうか……」


 と納得してみせる姉さんに、しかし、と僕は目を細めた。


「今聞いた2個の理由のどちらか、または複合である可能性はある。

 しかしどちらにせよ、都合が合わない部分はある」

「女仙三人は明らかに本位じゃない誘惑をしていた。男二人も、それに文句一つ言わずに付き添っていた。まぁ、どー見ても上位者による強制だよな」


 と、コトコ。

頬杖を突きながら、ジロリと僕を見つめてくる。


「仙人が言葉の通り、ユキオを拉致しようとしていた可能性はある。また上位者により強制されていた可能性はある。そして……ユキオ、運命転変の前後の状況を、もう一度説明してくれるか」

「あぁ」


 頷き、僕は先ほどの光景を思い出しながら語った。

自爆の術式の光、肉片となる五人。

それを運命転変で覆し、何を覆せばよいか分からなかったので、直感で感じる違和感をどうにか操作した。

ファジーな操作だったので消費はかなり大きかったが成功し、自爆の術式の光が解除されると、そこには別人五人の死体が残っていた。


「これは大分ファジーな感覚だったから、正直無視してもいいんだけど……。

 多分僕が操ったのは"魂"……って感じがする。

 それを引っぺがしたら、別人の死体が残ってたって感じ」

「ってーと……こんな感じか?」


 コトコが立ち上がり、ホワイトボードに書き加える。

・発見済み:仙人五人の魂(仮)、行方不明の冒険者五人の死体。

・未発見:仙人五人の死体。行方不明の冒険者五人の魂(仮)

・犯人:行方不明の冒険者五人の死体に、仙人五人の魂を憑依させて操っていた。仙人五人がユキオを襲う合理的理由があるため、あのまま五人が自爆していれば、犯人の存在は発覚しなかった。「未発見:仙人五人の死体」の事実も判明せず。=それを隠したかった?


「で、仙人の魂ってどーなったんだ?」

「……男二人の方は、消滅してしまったと思う。女仙の方は、うーん、分からない……」

「なるほどねっと」


 言いつつ、コトコは魂(仮)の部分に注釈を加えた。


「まぁ、書いといてなんだが、よっぽど特殊な冒険者じゃない限り、未発見の冒険者の魂はあんまり重要じゃなさそうだな。

 どっちかというと、仙人の死体の方がヤバそうだ」

「……まぁ、情報を見た感じ、犯人は「未発見:仙人五人の死体」の事実を隠したそうだったね。……あぁそうだ、事前情報より仙人達、ちょっと弱くなかったかい?」

「あぁ……平均位階60前後のはずだったか。……位階は密入国前後で判明したんだったか。とすると、少し不自然か。実戦では黒が70、他が50ってところだったな」


 密入国の前後で位階の情報を拾えたのであれば、それは恐らく隠密活動中に漏れた気配から想定された位階である。

隠密活動専門ということでもない限り、戦闘態勢に入れば更に位階が上がる可能性は高い。

とすれば、こうも考えられる。


「密入国時は生きていた五人の仙人が、消息を絶った前後で、反応のあった魔族と激突。結果仙人が死亡。犯人が仙人の死体と魂を確保し、その後別途確保した冒険者の死体+仙人の魂を使い、傀儡を作成。仙人の死体が行方不明となった事を悟られずに消えてもらうため、僕たちに自爆術式付きで嗾けてきた」

「で、仮にだが……生前の仙人の方が強かった可能性がある。傀儡にしたら弱くなるのか、それともより弱い肉体を使ったら弱くなるのか。どちらなのか、それとも両方なのかは分からん。だがまぁ、強い魂には強い肉体がないと足を引っ張ってしまうというのは、イメージがつきやすいな」

「逆に言うと、生前の仙人達……僕たちが相手した奴らより強い肉体が欲しくなるような、強い魂を用意している可能性がある……? いや、魂の用途が傀儡作成だけとも限らないから、何とも言えないな」


 と、僕とコトコが煮詰まってきた所に、不意にミドリがポツリと呟いた。


「犯人は「未発見:仙人五人の死体」を隠したかった……。何故?」


 何故って、とコトコと視線を合わせ……あ、と気づく。


「そうか、僕らが犯人による死体利用方法を想像できているのは、恐らく犯人の想定外か。僕の運命転変のファジーな発動で魂を剥がせたのは、あくまで幸運だったからだ」

「とすると……仙人が関東で行方不明になっていた場合、その死体の用途を想像できる……犯人の敵対者が居る? 犯人が、仙人の死体を保持している可能性を、知られたくなかった相手が」

「うーん、ちょっとここまでくると頭がこんがらがってきた……。父さんは、何か思いつくことはない?」


 煮詰まってきてぐったりとしつつ、僕らの知ってはならない情報も知る父さんに聞いてみる。

数秒、沈黙。

躊躇いがちに、小さく言った。


『……実を言うと、心当たりは、ある』

「えっ!? たったコレだけの情報で? どんな!?」

『……言えん』


 頭を振る父に、思わず閉口する。

立場上知りえた機密情報が多いとは言え、それだけで止まってしまうと少々困る。

視線を姉とミドリに、二人ともが諦めの目を見せるのに、僕は思わず溜息をついた。

気を取り直して、再度。


「……父さんが僕らに言えない事があるのは、解る。

 その判断は間違いないと信じるよ。

 それはそれとして、その心当たりの信憑性はどれぐらい?

 他の捜査を辞めてしまっていいぐらい? それとも、並行して僕らが他の可能性を探った方が良いぐらい?」

『並行して探ってもらったほうが、良いだろうな』

「解った。ならこちらはこちらで、動いてみるよ。

 ……あんまり長く繋いでると、こっちもついつい探っちゃいそうになるから、この辺で……」


 と切ろうとすると『いや』と止められる。


『その……皆は今、U市に居るんだったな?』

「あぁうん、そうだけど」

『土産に餃子、買ってきてくれるか。急に食べたくなってな。家族全員パン派だが、たまになら……』

「ミーシャ」


 ポツリ、とミドリが呟いた。

声量はそうでもないのに、奇妙に響く声だった。

見ればミドリが、スピーカーモードにした受話器に冷たい視線をじっと向けている。


「ミーシャはご飯派。いつもは皆に合わせているけど。なんなら今朝だって、先にサッとご飯で朝食食べてた」

『あー、うん、そうだったな。すまん……。

 ごほん。

 その、ユキオは確か、焼き餃子が好きだったよな。賢者餃子と言えばこっちだし……』

「ユキちゃんが好きなのは、水餃子だよ。あんな事あったのに、忘れたの?」


 蹴倒す勢いで椅子を弾き、ヒマリ姉が立ち上がった。

どん、と大音を建てて机に両手を叩きつけ、前のめりになる。

両手は震え、その背は呼吸で大きく上下していた。


「ユキちゃんが九歳ぐらいの時だっけ。父さんが焼き餃子買ってきて、作ろうって言ってユキちゃんと二人で焼き始めて。油が跳ねて、ユキちゃんが火傷して……。瞼まで火傷ができてていた大怪我だったよね、痕が残らなくて本当に良かったって……! 覚えてないの!?」


 最後には、姉さんの言葉は叫び声のようになっていた。

微かなハウリング、余韻が空間から消えてゆき、荒い呼吸音だけが残る。

肩で息をする姉さんの、その背後で、チクタクと規則正しい置時計の秒針が規則正しい音を奏でている。

数秒、父さんの返事はない。

再び姉が激発しそうになる気配を感じ、僕は立ち上がった。


「姉さん、ありがとう」


 そっとヒマリ姉を、後ろから抱きしめる。

残念ながら僕の方が小柄なため、姉を背から覆うような事はできず、お腹の辺りを後ろから抱きしめてやる事しかできない。

ぁ、と小さいうめき声が上がる。

前かがみだった姉さんの背が持ちあがり、僕の胸板に、背を預ける形になった。

振り向く姉と僕とで、視線が合う。

悲しい事に僕の背丈が足りず、想像の中では胸に抱きしめてやっていた姉の顔は、まるでこれからキスでもしようかという距離だ。

代わりにコツン、と額を合わせてみせた。


「僕の代わりに怒ってくれたんだよね? ありがとう。上手く怒れない時も、姉さんが代わりに怒ってくれるから……。いつも助かってるよ」

「……うん、まぁ、その」


 ぽん、ぽん、と姉の頭を軽く叩く。

落ち着きを見せた姉から一度離れ、僕は今度は父さんに声を掛ける。


「父さん」

『……あぁ』


 少し拗ねた声。

仕事中はあまり見せないが、時々家族サービスをしようとして上手くいかないと、父さんはこんな感じの声を出す。

多分亡くなった母さんに甘えたいのだろうが、その先が居らず自分の中に貯めこんで、それが漏れ出てこんな声になっているのだろう。

今のところ深刻ではないな、と判断、なるべくゆっくりと口を開く。


「賢者餃子っていうぐらいだし、昔の仲間とも食べた思い出の食べ物なんだったよね?

 その思い出の食べ物を、家族みんなで食べたいと、そう思っての話だったんだよね?」

『……まぁ、うん』

「ありがとう。お土産に買ってくよ。ちょっと荷物だから宅配にするかもしれないけど。

 ……今度は失敗しないように作ろうか」

『……そうだな』


 言葉の角が取れて、柔らかな返事に変わる。

それに思う事があるのか、姉の硬い感情を感じ取り、僕は再びヒマリ姉を抱きしめる手を強くした。

あ、と小さい声。

誤魔化されてくれる姉に感謝しつつ、続ける。


「じゃあ、こっちはこっちで調べてみるよ。

 父さんは父さんで、よろしく」

『ああ。……またな。……ありがとう』


 通話が切れて、一息。

すると、ヒマリ姉が腰に回されてた僕の手に、ぴとりと触れた。

視線が合う。

何故か、怯えた目。


「お姉ちゃん……少し、気分転換にブラッとしてくるね」

「私も」


 そっと手を離すと、ヒマリ姉とミドリが会議室を出て行った。

一瞬ついていくか迷うが、感情を爆発させた後だ、すこし一人になって落ち着く時間が欲しい所だろう。

黙って見送った後、ふぅぅうう、と深い溜息が、ソウタとコトコから出てくる。


「悪いね、ウチの家庭事情でちょっと……」

「いや、お前ん家、相変わらず……こんな感じなんだな」


 絞り出すように言うコトコに、僕としては何も言い返せない。

ソウタもそうだが、コトコも僕の家庭事情に巻き込む事が少なくない。

迷惑をかけている以上反論しづらいのだが、それでも。

可能な限りの笑みを浮かべ、言う。


「それでも、みんな素敵で、尊敬できる……人たちなんだ」

「……そうか」


 コトコが目を伏せる。

ソウタは頬杖を突きながらボーっとその辺に視線を泳がせる。

我ながら上手くいかないな、と内心溜息をついていると、あ、とソウタ。


「そういや、行きの車の中で、挨拶してくれたらチーパオのスカート開けて中見せてくれねーかな、って言ったけど、挨拶しなくても見せてくれたな……得した気分だ」

「………………そうか」




*




「……予想外の所から、情報が来たね」

「ふふふ、これがお姉ちゃん人脈なのだよユキちゃん」


 おどけた声で言いつつ、ヒマリはユキオの手を握りしめた。

じんわりと熱い夏の日差しの中、手を手を握りあうと、汗と汗とが混じり合う。

ヒマリは、握り手を少し弱め、親指を除く4本の指でそっと、ユキオの手の小指側を撫でた。

くすぐったそうに、ユキオの手が震える。


 二人は、U市南側の繁華街に来ていた。

あれから、冒険者の死体の身元特定が取れた。

その一人の経歴に覚えがあったヒマリが、彼女が後輩の同期であると確認を取ったのである。


「まぁ、大した情報にはならないかもだけど……。どんな人間で、どんな所で行方不明になったのかは、聞いておいたほうがいいよね」

「うん。父さんの心当たりが合っているとも限らないしね」


 先の事を口に出され、ヒマリは内心チクリとするものを感じた。

先の激高、そしてユキオに宥め役をさせてしまった姉という状況。

客観的に見ても情けなく、年長の人間として恥ずかしく、そして何より。


(ユキちゃんに、叱られるかと思った)


 父との通話を終えて、まず最初に思ったのはそれだった。

腰に回された腕が解かれ、そしてユキオがヒマリをじっと見つめて、やんわりと……けれど断固として叱る。

そんな光景が想起され、ヒマリはユキオの手が自分から離れてゆくのが怖くて握りしめてしまい……、そして今度は、ユキオの行動を拘束して怒られるのが怖くて、力を緩めて。

そして逃げ出した。

気分転換とのたまって。


 冷却期間を空けたからか、それとも元々ヒマリを叱る気がなかったからか。

ユキオは何も言う事なくヒマリを再び受け入れ、そしてヒマリの言の通りに動いてくれた。

皇都に戻ったのは、ユキオとヒマリの二人だけ。

残りの冒険者たちについてはギルド側で情報を集める事となり、その情報の収集連携のため、三人は残る事となっていた。


(うん、暗い事考えててもダメだよね……。それよりデート……うへへ)


 ヒマリは、思わずユキオの手をより強く握りしめた。

ビク、とユキオの手から力が抜ける。


「姉さん……ちょっと、痛いよ」

「え、あ、う、ご、ごめんね……」

「うん。姉さん何かぼうっとしてる? 大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ、うへへ」


 誤魔化しの笑みを浮かべつつ、ヒマリは脳内で先ほどの言葉を反芻した。

(姉さん……ちょっと、痛いよ)

ちょっとエッチすぎやしないか?

猥褻物陳列罪で弟がしょっぴかれないかと、思わずヒマリは辺りを見まわした。

警察が居たら、その身を挺してユキオを隠すつもりである。


「何やってるのさ、姉さん……。やっぱり疲れてない? 朝から運転もしてもらってたし、少し休憩したほうがいいんじゃない?」

「きゅう……けい?」


 ヒマリの脳内に、ドピンクの怪しいホテルが描かれた。

そのハートマークの玄関口には「ご休憩」「ご宿泊」と料金が書かれた看板が打ち立てられており、次々とラブラブカップル達が吸い込まれるように入っていく。

どこからか「あーん」とハートマークのついたセクシーボイスが再生された。

赤面と同時に、あまりにも飛躍した光景に、ヒマリの脳が冷え始めた。

ユキオをじっと見つめ、手が早すぎる弟に、流石に窘めの声が出る。


「ユキちゃん……流石に早すぎるよ……ちょっと……ダメだって……」

「……? 約束の10分前だけど、そんなに早いかな?」


 とユキオが腕時計を眺めるのに、釣られてヒマリも腕時計を覗き込む。

ヒマリが後輩と約束をしたのは14時で、今はその10分前。

そして面を上げると、後輩と出会う約束をした喫茶店が、もうすぐそこだ。


「…………ふむ」


 ヒマリは、ユキオの顔を見た。

まるで「僕は性的な事なんて一切考えていませんよ」という顔で、ヒマリの事を首をかしげながら見つめている。

ヒマリは、そっと携帯端末を取り出し、内カメラを起動して自分の表情を確かめた。

赤面しデレデレに緩んだ「今えっちな事を考えています」と全顔面で主張する女がそこに居た。

ついでに髪色も濃いめのピンクブロンドなので、表情と相まってなんだかえっちだ。


「………………」


 ヒマリは、何となく頷いた。

咳払い。

パン、と軽く頬を張り、くるりと一回転、スカートを翻らせる。

少女然とした仕草で揺れるスカートを抑え、そのままカーテシー。

淑女となった事にしたヒマリは、ユキオに微笑みかけ言った。


「さ、行こうか、ユキちゃん」

「え、ああ、うん……」


 釈然としない様子のユキオを引き連れ、喫茶店に入る。

真夏の日差しが遮られ、冷房の効いた冷たく乾いた空気に思わずため息をついた。

まだ初夏とは言え、そろそろ暑い日の外出は体調に堪える頃だ。

店員に一人追加で来る事を伝え、テーブル席にユキオと隣り合って座る。

冷たい飲み物を頼み、来たアイスラテを数口ストローから飲み、ようやく人心地がつく。


「ふぅ……暑くてちょっと変な言動をしちゃったかもしれないけど、まぁ仕方ないよね。

 太陽がまぶしかったのが悪いよ太陽が」

「はぁ……」


 首をかしげながら、ユキオはブラッドオレンジジュースを口にする。

本当は炭酸飲料が一番好きなユキオだが、この所喫茶店では会話の橋渡しや聴取をすることが多く、炭酸飲料を口にできていない。

コーラを飲めばゲップが出るのは自然の理だが、だからこそ少し公的な会話の役割を担う時、自主的にユキオは炭酸飲料を避けている。

その避ける先がコーヒーでも紅茶でもなく甘いジュースというのは、ある意味彼らしいが。


 数分、約束の時間の少し前に、彼女は辿り着いた。


「お久しぶりです、先輩」

「こちらこそ久しぶりだね、ハルカちゃん。急に呼び出して悪いね」

「いえ、先輩の頼みならいつでも! 今回は特に、たまたま近くに来ていた事ですし。……ユキオさんに、借りもあることですし」


 匂宮ハルカ。

ヒマリの一つ下の冒険者であり、三人組の女性冒険者として活動中。

先日の"自由の剣"事件では民衆の避難誘導に協力しており、斬首結界の範囲ギリギリで活動していた。

つまるところ、ユキオが死力を尽くして早期解決をした故に生き残る事のできた娘である。

先日ヒマリだけではなくユキオと面識が出来ていたので、今回は二人で彼女と出会うことにしていた。

彼女らはちょうど三人でU市近くの依頼をこなしている所だったので、合流しリモートではなく直接話を聞く事になったのだ。


 ちらりと見てくるハルカに、ユキオは素知らぬ顔で静かに微笑むに留める。

ユキオとしては複雑な心境だろうが、今は耐えてもらうほかあるまい。

コホンと小さく咳払い、鞄から写真付きの書類を出して見せる。


「さて、早速だけど……この娘と面識がある、って事だったけど、一応再確認してもらえるかな」

「……はい、間違いありません。網田原レイ。私の同期で……まぁ、面識はありました。仲良しというよりは、やや対立気味でしたが……」


 と、ハルカは目を伏せた。

数秒、すぐに視線を上げる。

知人の訃報に、しかし最低限の弔意を示すのみということは、言葉の通り仲が良い訳ではなかったのだろう、とヒマリは受け取る。


「彼女は自信家で、何と言うか……自信家過ぎて人間関係に一部支障をきたしているタイプで。そのせいか冒険者としても、単独活動が多い女でした。実際に強くもあったので、同期の中では出世株でしたね。多分、位階は40近くあったのではないでしょうか」

「あぁ、うん、なんとなく想像はついたかな……」


 手渡していない資料に視線を、公式記録に置ける網田原の位階は42。

同年代のユキオ、ソウタ、コトコに次ぐ数字であり、世代トップクラスの力量の持ち主であることは間違いない。

尤も、人間関係の狭いユキオとコトコのみならず、ソウタも彼女と知り合いではなかったようなので、関係性はなかったようだが。


「既に調べはついているのでしょうが、例の"自由の剣"事件以降見なくなったので、恐らくそのタイミングで……亡くなってしまったのかと」

「……そうだね。行方不明として処理されたのはその頃だ。見つかった遺体は、首に傷はなかったそうだよ」


 言いつつ、ヒマリは見つかった5人の冒険者について思い出す。

遺体にはほとんど傷がなく、一撃で心臓を貫かれ即死している。

5人の冒険者の年齢や位階はバラバラで、いずれも単独行動時に行方不明になったと見られている。

最も位階が高いのが黒髪兎耳の肉体となっていた網田原であり、他は30前後と言ったところ。

年齢は平均20歳と言ったところで若いが、それは単に若くキャリアの少ない冒険者の方が警戒心が薄く狙い易かったから、と考えた方が良いだろう。


 匂宮ハルカは、当日に避難誘導をしており、アリバイがある。

実力的にも、同格である他4人を続けて殺害するのは難しく、格上である網田原についても同様だ。

三人がかりならば可能だったかもしれないが、それでも一撃でというのは難しいだろう。

暫定、疑う対象からは外して構わないだろう。


「"自由の剣"事件の当日、皇都で見たのが、最後でした」

「ふむ……あの日、か」


 とユキオが呟きつつ、携帯端末を弄る。

視線で追うと、コトコからのメッセージが来ていた。

他の四人の冒険者も"自由の剣"事件の当日、皇都付近で行方不明となっている。

"自由の剣"事件の前日に仙人達が上陸、当日に死体が用意され、翌日に仙人が恐らく殺害された。


「犯人は仙人の上陸を見て、突発的に犯行を行った……? それか、死体の用意は仙人を見てから行わねばならなかった?」

「あぁ、そういえば、仙人と死体の性別は同じだったね。そういう事かもしれない」


 とすれば、だ。


「ハルカさん。今回の冒険者連続殺害、および仙人達の殺害事件の犯人は、皇都付近に潜んでいる可能性が高い。

 一人とも限らないし、高位階の仙人を直接殺害したとも限らないけれど……。

 しかし少なくとも、網田原さんを殺害しただけの実力がある事は、間違いないだろう。

 一人で呼び出しておいてなんだけど、なるべく一人で行動しないように気を付けてほしい」

「は、はい。解りました」


 緊張気味に答えるハルカに、ヒマリは僅かに目を細めた。

尊敬する先輩というヒマリと会話するときハルカは僅かに緊張するが、それよりもユキオと会話するときの方が緊張が強く感じる。

それは彼が直近の命の恩人だからか、それとも。


 改めてヒマリは、ユキオに目をやった。

灰色の、艶のない髪が、目元近くまでサラリと伸びている。

輪郭は小さく細く、目はハッキリと大きい。

瞳は黒く、瞼は二重で、まつ毛が長い。

また薄っすらと不健康そうな隈ができている。

この目で、微笑みを浮かべながら見つめられると……、思わず抱きしめたくなってしまうような、儚く色気のある感じになってしまう。

夏なだけあって、ミリタリーシャツの襟から覗く肌色は少し多く、喉仏周りのゴツゴツとした凹凸が、いやにセクシーだ。


(やっぱり、ハルカちゃん、ユキちゃんの色気にやられてしまったのでは……?)


 グヌヌと内心で呟くヒマリを捨て置き、二人の会話が続く。


「さて、最近の冒険者活動はどうかな? 遠征してたってことは、皇都内の仕事過多も落ち着き始めた感じ?」

「は、はい。そろそろ普段通り、我々のような銀級は遠征と半々ぐらいの仕事になり始めてきました。と言っても、まだまだ今回のように関東県内の仕事が多いですが……」

「なんやかんや、都内での仕事もまだ多いからね。自然公園の管理が行き届かず魔物が発生したり、動物園から逃げ出した下級魔物が下水で繁殖してたり……。君たちのような中~上級冒険者が必須となる事は少なくなってきただろうけど、それでも呼び戻せる範囲から出したくはない訳か」

「そうなりますね。逆にユキオさん達は、遠征も多い感じですかね?」

「うん。魔物の領域が残る地方も、忙しさが減った訳じゃあないからね。この前も岩竜とやりあったばかりか。逆に皇都の仕事で多いのは、危険性の高い仕事での中級冒険者の引率かな。あと、僕は受けてないけど、広報系もか」

「ユキオさんの広報系のお仕事……、その、ちょっと見てみたいな、っていうのは我儘でしょうかね」

「モノ好きだなぁ……。需要ないんじゃないかな?」

「そんな事ないですよ、先輩もきっと見たいはずです。ね? 先輩」


「ふえっ!?」


 急に声をかけられ、ヒマリは思わず叫んだ。

二人の視線が、ヒマリに集中する。


「べ、別に見てないよ? 見てないからね?」

「……何を?」


 胡乱な目つきで言われて、ヒマリはあはは、と笑いながら両掌を見せて振った。

じっとりと見つめてくるユキオと、その向かいで苦笑して見せるハルカ。

二人に兎に角誤魔化しの笑みを浮かべていると、ハルカがコホン、と小さく咳払いした。


「その、あまり二人のお邪魔をしてはいけないと思うので……今日は、ここでお暇します」

「別に邪魔なんて事はないけど……。送ろうか? さっき一人での行動を避けるよう言ったばかりだし」

「ええと、二人とはU市のギルドで合流する予定なんですけど、お二人も行先はギルドですかね?」

「ああ、送ろう。姉さんもそれでいいよね?」

「う、うん」


 腑抜けた返事になってしまったヒマリに、再びユキオが胡乱な目を向ける。

誤魔化しも思いつかず、赤面を俯いて隠すヒマリを連れ、二人が立ち上がった。

店を出ると、また強烈な太陽が照りつけてくる。


「うう……暑いよ~」

「すごい日差しですよね……」


 後輩と二人で気候に文句を言っていると、会計を終えたユキオが出てきた。

すっ、と手を差し伸べると、三人の頭上に糸傘ができる。

急に現れた日陰に、スッと暑さが和らいだ。


「どうぞ。UVカットできてるから、日傘並の性能だよ」

「おおう、ユキちゃんセンキュー! 両手が空くのすごいいいね!」

「ありがとうございます。……日傘は我々だと、片手が塞がってしまうのがどうにも、ね」


 見れば恐らく、糸傘は三人の位置と紐づいているようで、中棒にあたるような機構は存在しない。

古くからある被る傘が、宙に浮いているような形だ。

今まで見たことのない技なので、恐らくは他の技の練習ついでに生み出した新技か何かだろう。

弟の小器用な術式の活用に、どうにも胸を張りたくなるヒマリだった。


 雑談しながら歩くこと十数分、ギルドに辿り着き、ハルカと別れる。

その後会議室に向け歩きながら、ユキオとこれからの相談を口にする。


「で、どうしよっか。情報源もう残ってなさそうだし、現状の情報から掘り下げるのは、もうギルドお任せで良さそうかなぁ」

「うん。……僕を選択的に仙人に狙わせたということは、僕らの行動がある程度犯人にバレている可能性が高い。とすると、囮作戦も見破られる可能性が高いだろうね」


 現状、犯人の能力は不明である。

最大限で見積もると、生前の今より強かった仙人五人を殺害できるほどで、単独犯とすら限らない。

とすれば、最悪勇者パーティークラスの戦闘能力が出てきてもおかしくはない。

見破られる可能性が高い囮作戦など、むしろ危険度が高まるだけだろう。


 ならば確実とは言えないが、とユキオ。


「……僕に、考えがある」



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