02-嘘アンドストーク・前
「す……好きです! 付き合ってください!」
ユキオがミーシャに告白した当時、ミーシャ15歳、ユキオ11歳。
当然ミーシャのほうが背が高く、見下ろす形で緊張したユキオの顔を見ていた。
かつてのユキオは今よりも影が薄く、正統派の美少年と言って過言ではない姿だった。
男らしさの宿る前、あどけない顔を緊張させながらの言葉は、驚くほどにミーシャの胸を高鳴らせた。
確か、その数日前に中等部の同級生に告白されて、断ったように思う。
もしかしたらその光景を、ユキオに見られていたのかもしれない。
それがユキオの告白を後押しし、このタイミングでの告白となったのだろうか。
それは本人に聞かなければ……そして数年が経過した今、本人問うても曖昧かもしれない、誰も知る由もない事となってしまったが。
11歳と、15歳。
10代における4年の年齢差は大きく、それを真剣な恋愛と捉えるには、世間一般的に言ってハードルが大きい筈だ。
しかし当時のミーシャは、ユキオの告白にどう答えるべきか、迷った。
どう答えるべきか、大人になるまで好きで居たら改めて~と言うべきか、いや、しかしそんな事をして本当にユキオを縛るような真似をしてよいのか? というか、自分こそ本当に待てるのか?
真剣な少年の表情は、強くミーシャの心をくすぐった。
ミーシャの視線はユキオの唇に縫い付けられていた。
視線の先がどこにあるのか、相対するユキオも気づいたのだろう、僅かな動揺の色が漏れる。
ミーシャは少し息が荒くなった自分を自覚していた。
そんなミーシャを見て、ユキオもまた、頬を赤く染め、ミーシャを熱の籠った目で見た。
しかし結局のところ、ミーシャにはそのように答えられない理由があった。
ミーシャは生まれつき、ユキオと結ばれてはならない理由があった。
仕方ないのだから、どうしようもないのだから。
ミーシャは、告白された事への喜びで笑顔になりつつ、内心の悲哀を全力で押し殺しながら、ユキオの告白を断った。
余裕は一切なかった。
笑顔で告白を断られたユキオが、どのように感じるか、そんな風に思いやる余力はなかったのだ。
その後ミーシャは、ユキオが家政婦の川渡に慰められているのを見た。
お風呂に入ってあったかくして、それから美味しいご飯でも食べましょう、などと言った内容だったと記憶している。
流石に気まずくなってしまい、ミーシャは暫くユキオに話しかけるのを遠慮し、遠目に見るだけで済ませるようになった。
少なくとも当日の夕食、少し気合の入った食事が出て、あぁ、川渡が有言実行していたのだな、と思った事は記憶している。
しかしそれから、ユキオは憔悴し始めた。
最初、ミーシャは自分が告白を断ったことが理由なのだろうか、と考えた。
しかしそれにしては、ユキオの態度がおかしかった。
ミーシャを避けるのは分からないでもないが、出会った時に怯えるような表情をするのは妙だ。
ばかりか他の家族とも距離を取り、特に川渡相手には強い恐怖を覚えている様子だった。
そしてその当の川渡は、他の面々に隠れてユキオに接しているようだった。
接しているその場面そのものを見たことはないが、同じ場所から出てくる所を見たり、ユキオの後を川渡が追う事が何となく多かったりと、二人に何か隠された関係があることが想起された。
ミーシャは、密かに小型のカメラとマイクを入手した。
そしていくつか考えた箇所に設置するためのアタッチメントを用意し、部屋に隠しておいた。
幾度か試しに録画録音を試しているうちに、果たして、その機会は来た。
ある雨の日、ユキオが汚れて家に帰ってきた。
龍門は仕事でヒマリは合宿でミドリは友達の家、家にはユキオと川渡、ミーシャの三人しかいない状況。
川渡はユキオを風呂に入れ、自身は洗濯物の予洗いのため、脱衣所で作業をしているという。
二人が脱衣所に入っていくと、ミーシャは外に出て風呂場の窓の辺りに回り込んだ。
雨具や傘は使わなかった。
夏場の短時間だ、屋根の内側だし、多少跳ねた雨で濡れるぐらいは構わない。
予め少しだけ開けた状態で閉め切れないように工作しておいた窓に、用意したカメラをアタッチメントを使い設置する。
深呼吸。
雨の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ミーシャはリアルタイムの、その映像を見た。
中では、裸の11歳の少年に、全裸の成人女性が迫っていた。
「ユキオくん……いけない子ね。こんなにして、期待していたのかしら?」
「ちが、ごめ、ごめんなさい、許して……」
静かに泣くユキオに、川渡は膝をつき、両手で少年の腰を掴んだ。
そのまま口を開き、準備運動とばかりに舌をグルリと動かしてみせ。
そして頭ごと、少年の股間に体を近づけ……。
動画はその後、30分以上に渡り続く。
謝り、許しを請うユキオだが、その力は川渡には敵わない。
川渡はそれなりに裕福な家の出で、いわゆるパワーレベリングによりある程度の位階を持っていた。
故に当時、まだ本格的に位階を高める段階ではなかったユキオでは、純粋に力で敵わなかったのである。
動画の中で、ユキオは三度果て、その度にごめんなさいごめんなさいと、誰かに謝り続けていた。
川渡は、ユキオが川渡を襲ったように見える写真を複数枚撮影し、ユキオを手慣れた様子で脅した。
これまでも同じような写真を撮っているようで、川渡はコレクションが増えた事を喜んでいた。
それを、ミーシャは独り身動きせずにただただ見て聞いていた。
その理由を、ミーシャは誰にも説明できない。
乱入して止めようとしなかったのは、ミーシャに他者に対する暴力が許されておらず、川渡を止められなかったからか。
それともユキオに自身の痴態を、よりによって告白したばかりの異性に見られたと、知らせたくなかったからか。
それとも、もっと下卑た……。
雨の中、ギリギリ屋根の下とは言え長時間しゃがんでいたミーシャは、斜め降りや跳ねた雨で下半身を濡らしていた。
だからその事実は、ミーシャ自身にも分からなかった。
兎角その映像を元にミーシャが龍門に報告し、川渡は解雇されることになった。
結論から言えば、その事態は公のものとはならなかった。
龍門がユキオの経歴に傷がつくことを嫌ったことや、勇者の家庭に関するトラブルが厭われたことなどから、内々に済まされる事になったのだ。
解雇される日、川渡はミーシャと二人きりになった時、言った。
「私が最初にユキオくんとしたのは、何時だと思う?」
「……何を、言っているんですか」
「ミーシャちゃん、貴方がユキオくんの告白を断った日よ。……その日ユキオくんは、精通した。言っている意味は、分かるよね?」
勝ち誇った顔だった。
ミーシャは生まれて初めて人間に殺意を感じ……しかしそれを振るう事ができないことに、涙した。
ミーシャには他人に暴力を振るう権利はなかった。
元より法はミーシャに限らず他者への暴力を規制してはいるが、その立場から、ミーシャにはその罪がより重くのしかかってしまう。
仮に川渡に暴力を振るえば、ミーシャは恐らく二度とユキオと会うことを許されまい。
それを川渡は知る由もなく、しかし怒りに震えるミーシャを嗤いながら去っていった。
川渡が去ったその日の夜、ミーシャはその言葉を反芻していた。
あの日。
仮にミーシャに断らねばならない理由がなく、ユキオの告白を受け入れる事ができていれば……。
ユキオの初めて……そして初めての射精よりも先のオーガニズムは、ミーシャのものとなっていたかもしれない。
その事実は奇妙なほどミーシャを高ぶらせた。
ミーシャは、意を決して携帯端末を手に取り、保存していた映像のコピーを再生した。
涙を流しながら許しを請うも大人に汚され、そのまま快楽に負けて達する、哀れで愛おしい、ミーシャを初恋の人とする少年。
そのユキオの映像で致してしまった時、ミーシャは、初めて自分もユキオに初恋をしていたのだと気付いた。
それと同時。
隠し撮りした、初恋の少年が暴行される映像で致してしまっている自分は、あの憎く汚らわしい女と、同種の女なのではないかと。
*
生ぬるい違和感。
かつての川渡の指の、口の、体の感触。
溺れそうになる、忌まわしい、それなのに離れられない悪辣さ。
まるで吸う空気全ての粘度を高くしてしまうような、気分の悪くなる攻撃性。
それらが詰まった柔らかい何かから、引き戻されるようにして……僕は、起きた。
「……あー……」
呟き。視線の先に置いている目覚まし時計は、朝四時半。
いつもセットしている時間は五時なので、それよりも早い。
しかし二度寝しようにも、股間の違和感がそれを許さず、僕はしぶしぶ掛け布団を避けて起き上がった。
そのままスリッパをつっかけ、全身鏡の前に立つ。
パジャマには幸い影響はなく、しかし臭いと感触とが、その事態を明らかにしていた。
僕は、夢精をしていた。
「クソ……はぁ……」
早起きで少し重い頭が、更に重くなる。
川渡の事件が起きてしばらくの間、僕は自慰行為ができなくなっていた。
性的な行為が、恐ろしく罪深く、醜いものに思えていたのだ。
それでも性欲は溜まるもので、少なくとも僕の場合は、自分でできずとも夢精により解消されていた。
それもしばらくするうちに、時間が癒したのか、増していく肉体の性欲が罪悪感を凌駕したのか、自然と僕は自慰をするようになっていたが。
それができなくなったのは、先だって、ナギをこの手にかけてからだ。
数年ぶりにパンツを汚して起きた朝は、筆舌し難いほどの苦痛だった。
暫くして、慣れてはいけない状況に慣れてしまい、ただの憂鬱な朝ぐらいの状況になってしまったが。
「いっそ、紙オムツでも買ってみるか……?」
自分の言葉があまりにも情けなく、僕は泣きそうだった。
僕は、世間的におおよそ大人だ。
義務教育を終えて数年たつ17歳、自分で自分の生活費を賄える以上の収入があり、社会的にもトップクラスの冒険者という名声を得ている。
成人年齢は18歳だが、そこまではあとたった1年。
それが、肉体の衰えのような致し方ない事情でもなく、精神的にオムツを必要としているとは。
ティッシュや消臭スプレーでの凡その処理を終えた僕は、パンツを手洗いしに行く。
夢精したパンツを手洗いするときの情けなさは、筆舌し難い。
家族に見つからない事を祈りながら洗面所に辿り着き、パンツを洗う。
情けなくて、吐き気がして、泣きそうになる。
誰に見つかっても死にそうな気分だが、父さんに見つかるのが、一番嫌だ。
川渡に手籠めにされた事を知っている父さんに、僕の性的な要素を見せる事だけは、したくない。
小さく縮こまりながら、淡々と洗い、絞って洗濯籠に入れておく。
部屋に戻ってチラリと時計に視線を、何時も起きる頃の時間であることを確認し、最低限の荷物で家の外に出る。
夏の朝、辛うじて澄んでいる空気を吸い込み、頭の中をスッキリとさせる。
普段のランニングコースを、設定したペース通りで無心に走り始めた。
無理に力んでペースを上げるより、こちらの方が無心になりやすいから。
暫くして、近所の公園に到着。
中の道をペースを落としながら走り、奥の大広場の1スペースに陣取る。
汗を拭い持ち込んだスポーツドリンクを口にしつつ、軽く柔軟をして準備運動。
本格的にやるならもっと時間を取ったほうがいいが、毎朝のトレーニングなので柔軟は10分程度だ。
そして糸の結界で簡単な感知結界を設置。
そのまま携帯端末を三脚で設置、撮影ボタンを押したうえで、刃を潰した糸剣を生成。
型をなぞり、剣を振るう。
唐竹、袈裟、胴、小手、切上。
翻って金的、逆切上から逆胴、逆袈裟と逆の剣戟を型を守って打ち込む。
終えて、携帯端末の動画を再生、自分の型を客観的に確認。
切上と逆切上の剣戟に違和感を感じ、動画を見ながら軽く体を動かし確認する。
携帯端末の角度を変えて再設置し、再度一通りの剣を撮影、確認。
型通りの剣が出来たからといって強いとは限らないが、型通りの剣が出来ないやつは間違いなく弱い。
型どおりに剣を動かせないということは、効率の良い剣の動かし方ができないということと、正確に剣を動かせないという事を意味する。
それらは当然ながら、実戦では致命的だ。
しかしながら、どれだけ体に叩き込んでも型をなぞるだけの剣でさえ、毎日のように少しづつズレていく。
こうやって毎日のように矯正しないと、正確な剣は扱えない。
まぁ、こんな偉そうな事言っているけど、コイツは紙オムツ希望未成年なんだよな……。
そんな、他人事のような自虐が頭をよぎった。
「……やめよう」
ポツリと呟き、僕は天を仰いだ。
今日は雑念が多すぎる。
幸い最低限型の矯正はできたので、この辺で切り上げてあとは基礎トレにしよう。
時計を確認、荷物を纏めながら帰宅予定までの時間を元にランニングコースを練る。
遺したものがないか確認、再び走り出す。
なるべく無心になれるよう、一定のペースで駆けだす。
しばらくして、帰宅。
出る時に人気のなかった家は、既に生活音が鳴り響き始めていた。
「おはよう、二人とも」
「おはよう」
「おはよー」
父とヒマリ姉に挨拶をして、一度荷物を部屋に置く。
降りてきてからキッチンに顔を出し、料理中のミーシャに声をかけた。
「おはよ、シャワー使うね」
「え!? あ、お、おはようございます」
妙に驚くミーシャに、思わず僕は目を瞬いた。
ミーシャの視線が、僕の顔を、そして首を、胸板をたどりながら下がってゆき……股間の辺りで止まった。
釣られて自分の股間に視線を、普通に汗で湿ってはいるが、それは全身が同じことだ。
「……ミーシャ?」
「な、なんでもないです! お、お料理頑張らないと……ってうええ焦げてる!?」
なんだか大変そうだな、と思うに留めて僕はシャワーを浴びることにした。
着替えをもって脱衣所へ。
脱いだ服を洗濯籠に入れて、裸になって、浴室に足を踏み入れる。
一瞬の白昼夢、川渡の裸体の残響。
先ほどのミーシャの、視線の先。
頭を振って、熱いシャワーを浴びて欲望を追い出す。
シャワーを終え、着替えて髪を乾かす。
そして廊下を歩いてリビングに戻った辺りで、寝ぼけ眼のミドリと遭遇した。
「ん。美少女の妹と出会ったら抱っこして席まで運んであげるべきだと思わない?」
「思わないかな。あぁでも、今朝もミドリの顔を見られたのは嬉しいよ?」
「ばーか。ばかばかばーか」
プリプリと怒るミドリの後ろをついて、ダイニングテーブルの自席に辿り着く。
ちょうど、ミーシャの朝ごはんが並んだところだった。
香り高いトーストに、スクランブルエッグとベーコン、グリーンサラダ。
残る配膳を手伝いつつ、ミーシャの顔を見て、おや、とその口元に手を伸ばす。
「おべんとついてるよ」
「おっと、こりゃ失礼しました」
ヒョイと取って口にすると、生卵と醤油の濃い味がする。
二階堂一家は基本朝はパン食派が幅を利かせており、朝はご飯派はミーシャ一人だ。
大抵朝の料理前に、生卵と醤油を基本とし、トッピングに佃煮やちりめんじゃこ、海苔なんかを気分で散らして食べているらしい。
たまに見ると実に美味しそうに感じるが、ミーシャの洋朝食は絶品なので、宗派を変えるには至らない。
何時もならお互い大して気にせずこれで終わりなのだが……。
どうしてか今日は、ミーシャがそのまま止まり、僕の口を凝視している。
穴が開きそうなほどの視線に、思わず声をかけようとしたところで、不意にミーシャの視線が切られた。
翻り、配膳の続きを再開するミーシャ。
僕は何とも言えないまま、自席につく。
さて、とテーブルのケチャップを取ってスクランブルエッグにかけていると、テレビのニュースの声が耳に入った。
どうも、今年の勇者展の話をしていた所らしい。
パンをかじりつつ、キャスターの声に耳を傾ける。
「さて、毎年ながら、勇者パーティーのおさらいをしてみましょうか」
「今でも表向き活動しているのは勇者様本人だけですからね、小さい子にもぜひ覚えてもらわないと」
「ええそうですね。まずは……」
勇者パーティーとは、魔王に挑んだ四人を呼ぶ俗称である。
勇者、二階堂龍門。
聖女、八重樫ヒカリ。(のちに二階堂ヒカリ)
賢者、薬師寺アキラ。
天仙、フェイパオ。(のちに薬師寺フェイパオ)
うち三人が皇国の出身で、残る天仙のみが隣国竜国の仙人の一人。
随分人種の偏った四人だが、そもそも皇国と州国、連合の一部以外の国はほとんど滅んでしまった以上、仕方がないのかもしれない。
当時は国家間の連携もままならず、ほとんど皇国のみの戦力で反撃作戦が行われたというのだから。
そしてテレビ画面のコメンテーターも言っていた通り、この中で表向き活動しているのは我らが父さん、二階堂龍門のみだ。
母さん……二階堂ヒカリは僕が物心つく前に亡くなっており、賢者と天仙は行方をくらましている。
とは言え、父さん以外のメンバーの人気もかなり高い。
母さん、聖女は勇者パーティーどころか当時の対魔軍の中心的な存在だったらしく、今でも年配の人を中心に絶大な人気を誇る。
賢者は歴代の薬師寺家の中でもかなり優秀で、大量の汎用術式を生み出した事で学術的な功績が多く、多くの学校で銅像が建てられている。
天仙は祖国を滅ぼされた復讐のために勇者パーティーに力を貸し、最後には賢者に恋をして結ばれるというドラマティックな要素が、演劇でよく取り上げられていた。
無論父さんも、非常に人気が高い。
いわゆる無固有……固有の術式を持たず、落ちこぼれ扱いされつつも、鍛えた剣で聖女を守り続け、その果てに勇者の聖剣に認められ覚醒する。
愛のために非才にもめげず鍛え続けた結果、世界を救ったという英雄譚そのものである。
そのヒロイックさに、様々な勇者物語が生まれては放映され、そのたびに父さんが遠い目をするというのがお約束だ。
今日もまた、毎年行われる勇者展の紹介に、父さんは限界まで渋そうな顔をしていた。
「勇者展……今年は8月からか。土日は親子連れが多いから、平日の休養日かな……」
ポツリと呟くと、父さんの渋面が姉妹二人にもうつる。
無趣味な僕だが、勇者展だけは物心ついた時からほぼ毎年欠かさずに行っている。
小学生の頃一度姉妹を誘った事はあるのだが、姉妹二人は一度行って以来もう行きたがらないのだ。
別に一人で行けばよいだけなので然したる問題ではないのだが、僕が自発的に一人で行動すると、二人とも少々不機嫌になってしまうのである。
ならばと我慢して行かないようにしていると、今度は我慢せずに行くことを勧められるのである。
なので僕は一人で勇者展に行き、帰ってからは不機嫌な姉妹に埋め合わせをするのがほぼ毎年の事なのであった。
そうこうするうちに僕ら三人は朝食を終え、身支度を整えてリビングに集合。
互いに装備の軽点検を行っている所に、ミーシャがお弁当箱を抱えてやってきた。
「はい、三人とも、お弁当です。今日は外で、しかも外食するタイミングがあるか分からないんですよね? ってことで、久々に頑張っちゃいました!」
「ありがとう、ミーシャ。懐かしいな、学生時代はいつも助けられていたけど……」
と、三つある弁当箱を受け取ると、サッと僕の横に並ぶ影があった。
ヒマリ姉とミドリ、二人の姉妹だ。
肩が触れるほどの近さで、姉からは華やかな香りが、妹からは柑橘系の爽やかな香りが。
香水かシャンプーの香りか、ほんのりと漂うものがあった。
「ありがとね。……ユキちゃんの弁当がどれとか、決まってたりするかな?」
「いえ、どれを取ってもらってもいいですよ?」
「ありがと。……良く作ってもらってたキノコのソースのハンバーグ、ある? どれ?」
「うふふ、ミドリの好物ですもんね。入ってますよ、中身は全部同じです」
なんとなく、妙に緊張感のある会話だ。
最近、元々近かった姉妹との距離がより近くなっているように感じる。
それはどこか排他性を感じるほどで、僕が他の誰かと接する事をより明らかに嫌うようになってきた。
それはやはり、ナギとの事があってからか。
僕がナギと接し始めたころは寂し気にするだけで強く引き留めるような行動はなかったのだが、その結果は悲惨なものとなった。
僕はナギをこの手にかけ、そして自身も死にかけた。
心配をかけさせてしまうのも、そして僕が誰かと新たに接することを怖がるのも、致し方ない事かもしれない。
それでも、同じ家族であるミーシャに対してまで表情が硬いのは、どういった事なのだろうか。
元々ミーシャと一番打ち解けているのは僕で、二人はやや他人行儀な所はあったが。
僕が疑問に思ううちに、不意に姉妹が僕の腕を取った。
弁当箱を持ったままの僕の、二の腕あたりを掴む。
「じゃあ、ミーシャ、行ってきます。帰りの時間は分からないから、また連絡するね」
「父さんも、遅れないようにね」
「えっ、あ、二人とも、行ってきます」
二人に連れられていくままに挨拶を済ませ、僕は姉妹と共に家から外出していく。
背にはどうしてか、ミーシャの視線を強く長く、感じていた。
*
本日の任務は、五人で行われる。
という事で、ヒマリ姉の運転するバンは近場の二人を回収し、それから目的の隣県へ向けて走っていた。
助手席には眠そうにしたミドリ、僕は後部座席の左側で運転するヒマリ姉の表情が見やすい位置。
残る二人、コトコが真ん中、ソウタが後部座席の右側に座っていた。
ソウタは、決して僕の顔を見ようとはしなかった。
まるで先日のギルドでの遭遇がなかったかのように振舞い、けれどいつものように姉さんに話しかける事はしなかった。
その先にあるのが、僕に話しかけられる状況だと、知っていたからかもしれない。
僕はそんなソウタの行動を受け入れ、ソウタに話しかけずに静かに車の中で俯いていた。
僕とソウタは、お互いが見えていないかのように、嘘を振りまいていた。
コトコを含め、誰一人先日の話を蒸し返すような事はしなかった。
「今回の任務は……まぁ、一言で言えば、仙人失踪事件の調査だ」
「仙人ってーと、勇者パーティーにも居た、あの?」
とソウタの疑問符にコトコが頷いた。
コトコの紺色の髪はウェーブした重みのある長髪で、だから頭を揺り動かしても安定したまま相対位置は変わらない。
代わりにその翡翠色の瞳が、キラキラと輝きながら揺れるだけだ。
僕は、彼女の容姿で一番好きなのは、その瞳だ。
コトコは夏でも暗い色の露出の少ない服を好み、今日も紺色のワンピースに黒い薄手のアームカバーという装いだ。
そんな歩く暗闇のような彼女だから、場違いなほどにキラキラと輝くその瞳が、より強調されて美しく感じるのだった。
「まぁ、天仙……フェイパオさんは前大戦の時に仙人界を離れてしまったんだが……。
そうだな、ソウタが居るし、基本的なところからいくか。
仙人は隣の竜国に隠れ潜む超越者で、排他的でめったに外に出ない種族とされている。
外観上は人間と大きく変わらないが、頭頂部左右に獣の耳がついている。いわゆるケモミミって奴だ。あとはまぁ、見たことないが、尻尾もあるらしい。
また恐ろしく長寿で、不老とも言われるほどに長い寿命を持つことで有名だな。
汎用術式は皇国に伝わっているものと違う体系のモノを使っていて、仙術と言われる術式を使うそうだ。
竜国の半分以上は千年前から竜が支配していたそうだが、内陸の一部地域を仙人が支配していたという。
で、そこは仙人界なる異界とつながっているらしく、その多くはその仙人界に住んでいるんだそうだ。
秘密主義者が多いせいかあんま勢力の内実は大っぴらになっていないが……三大仙人と言われる者が内部勢力のトップなのだと言われている」
「三大……三つ仙人の勢力があるって事か?」
「いや、崑崙、金鰲の二つの勢力があり、崑崙に三大仙人のうち二人が所属しているそうだ。
そしてその崑崙所属の三大仙人最強の仙人が、天仙フェイパオの師匠なんだとか。
名を呼ぶことさえ恐れ多いとかで、名前は知られてないが……」
残念なら僕も天仙と出会ったことはなく、知っている情報はコトコと大差ない。
気になって父さんに聞いたこともあるが、世間一般で知られている情報以上の事は知らないようだった。
「そして人魔大戦の時、竜と共に水の四死天に挑み、竜族は滅亡、仙人達は多くの犠牲を払って敗走したそうだ。
三大仙人も大きな傷を負ったとか負わなかったとか。
まぁ、普通に勝てなかったのか、勝てるけど消耗を嫌ったのか、よく分からないが……。
天仙の発言からすると、最強の仙人は少なくとも位階100ぐらいありそうだから、勝てない事はなかったんだろうが。
竜族は殆ど死ぬか死霊……ゾンビになったが、残党は知性を無くして魔物となって、魔族の傀儡になるか、知性のない人類の天敵となって世界に散るかした。
……ユキオはちょくちょく竜を狩ってるんだっけか?」
「今年は二回だね。春に黒岩竜と、この前白岩竜」
「岩竜ばっかだな……。まぁ、そんな感じに皇国内にも野生化した竜が居るぐらいだ。
んで、仙人達もまた、犠牲者の多くは死霊になって水の四死天の傀儡になった。
で、四死天が皇国に攻めてくるときの先鋒に使われてた訳だ。
その死霊仙人の強さからすると、生前の平均位階は40以上。皇国で言うところの金級が平均ってところだ。アホみたく強い訳だな。
まぁその死霊も完全に使いつぶされて、残る生き残りは本拠地と呼ばれる仙人界に引きこもって、ほとんど出てこなくなったんだとか」
水の四死天による皇国襲撃は、先だって戦った赤井と血吸い鎌切が活躍した戦いでもある。
一度死んだはずの死霊の生命力をもう一度吸い取って殺せる赤井は、死霊を回復材代わりに使って前線で無限に戦い続ける事ができたのだとか。
奴らしい逸話に、苦笑すればいいのか溜息をつけばよいのか、何とも言えないところだ。
「でまぁ、それを踏まえてだ」
腕組みしていたコトコが手を眼前に伸ばし、人差し指をピンと立てた。
中指、薬指……続けて五本の指を立てる。
今にも鼻でもほじりだしそうな気の抜けた顔でいたソウタが、緊張を戻した。
「五人の仙人が、皇国に不法入国をしていたことが最近判明した。
かなりの高位階で、おそらく平均位階60前後。
時期はちょうど……"自由の剣"事件の前日だったそうだ」
皇国の主要な戦力は国直下の"軍"、ギルド直下の半民半公の"秩序隊"、民間の"冒険者"に分かれる。
中央値の位階は軍が30、秩序隊が40、冒険者が20と言ったところか。
とすれば、位階60前後の五人の集団というのはかなりの脅威だ。
位階が10違えばおおよそ2倍の戦力差があると言われており、4倍や8倍差の戦力では文字通り勝負にもならないだろう。
「その五人の仙人とやらの足取りは見つかっているのかい?」
「最初期の物だけな。北陸方面の港で密入航の監視映像が残っている。自由の剣事件のゴタゴタで、情報が上がってくるのが遅れたらしい。
で、どうやらそこから二日掛けて関東地方まで移動して、つまり自由の剣事件の翌日に、関東北方のある地域で消息を絶った。
……そして。今回の件と関係あるかは、怪しいんだが。
どうも、こいつらが消息を絶ったあたりで……魔族の残党っぽい反応があったらしい」
「魔族!?」
といきり立ったソウタが立ち上がろうとし、天井にゴツンと頭をぶつけた。
うごご、と呻きながら姿勢を下ろし、後頭部を抱えて動かなくなる。
アホかな? と内心溜息をつきつつ、僕はコトコに問いかけた。
「魔族反応っていうと……聖剣に反応があったって事かい?」
「ああ。現地のギルドに管理されていた聖剣レプリカに、数秒だけ魔族反応があったらしい。ちょうど消息を絶ってから数時間って頃だったそうだ」
「ならまぁ……仙人達が始末されている可能性もある訳か」
「逆に魔族どもが始末されてる可能性もあるし、完全に別件という可能性だってあるがな」
肩を竦めるコトコに、数秒、思索を巡らせたうえで呟く。
「とすると……。五人の仙人自体が強大な戦力で危険。
魔族反応があったので、それとは別に魔族が居て、やはり危険。
それらが交戦した可能性があり、仮に仙人達を倒したのであれば、更に強大な戦力を持った危険な魔族が居るってことか」
「あぁ。だから今回、高度な戦力があり、かつ一定の捜査能力を持った私たちが、調査と、場合によっては現場判断での交戦、捕縛ないし殺害を求められている訳だ」
言いつつ、コトコが手持ちの封筒から五人の仙人の画像資料を取り出した。
痛がっているソウタと共に覗き込もうとし、一瞬目が合う。
刹那緊張が走り、しかしそれが勘違いだったとでもいうように、霧散した。
何事もなかったかのようにソウタが資料を覗き込み、僕も無言でそれに追随した。
若い、というのが第一印象だった。
男二人に女三人、十代後半から二十代といった容姿を見てそう思ってから、仙人がほぼ不老であるという情報を思い出し、頭を振る。
彼らの年齢は、外観からは想定できまい。
男は赤髪と茶髪、いわゆるチャイナジャケットに太いパンツを着ており、服装事態はフレンチワークで説明がつく範囲。
髪色がやや派手だが、街中に若者として歩いていてもさして違和感のない姿だ。
仙人の特徴である獣耳は、髪と同色で、小さくピョコンと出ている程度。
帽子などで隠せばすぐに分からなくなるだろう。
代わって女性陣はチャイナドレス、あるいはチーパオと呼ばれる深いスリットの入ったドレスを着ており、すれ違ったらコスプレにしか見えないだろう。
髪色は金、青、黒と色とりどりで、それぞれ頭部に髪色と同色の獣耳が生えている。
耳の形もそれぞれ異なり、金髪と青髪は短く広い犬猫っぽい獣耳、黒髪は細長く兎っぽい獣耳。
男性陣に比べ獣耳は大きく、隠すのは少々難しいかもしれない。
それぞれに長く伸ばした髪を纏めており、ドレスにもスリットが入っているので、動きやすそうな服装と言えなくもないか。
角度的に全員尻尾は見えず、何の獣なのかは確定できない。
そして五人のうち四人は体格も良く、近接戦闘もできそうだ。
黒髪の推定うさ耳女性だけ一人華奢だが、術式や練度によっては近接戦闘が優位とも限らない。
「うお、生足……すげーなコレ……」
分かりやすく鼻の下を伸ばしたソウタを尻目に、僕は印刷された画像資料を、助手席のミドリに手渡す。
「ふ~ん……姉さんは運転中だから、終わってからね」
「りょーかい。あと二十分ぐらいかなー」
と話しつつ、ミドリも資料を確認。
ミドリから戻ってくる資料を受け取ると同時、ちょいちょいと軽くジェスチャーで呼ばれた。
前のめりに顔を出すと、片手で作った筒を、僕の耳に当てられる。
少し高い手の温度が、冷房で冷えた僕の耳を、温めた。
「チーパオ、可愛いね。後で着てみせてあげよっか。スカート、ミニのヤツ」
「……いや、その……」
こそばゆいひそひそ声が、僕の耳を打つ。
脳裏に着飾ったミドリの姿が思い浮かび、その魅力に咄嗟に返せなかった。
その間にミドリは体ごと席に戻ってしまい、僕は返事をする機会を失い、すごすごと体を戻す。
ジト目でこちらを見るコトコの視線が、どうにも痛い。
コホンと咳払い、空気を換えようと口を開く。
「その五人の情報は、映像だけかい?
名前や背景、戦闘方法なんかの情報は何もない?」
「なーんも。位階も各地にある位階計測系の機器に引っかかった情報からの推測値だしな。
仙人ってわかったのも、映像で獣耳が映ってたからってだけ。
皇国の仙人界との外交チャネルは存在しないから、問い合わせ先も存在しない。
しょうがないから現場で判断しろってさ。
基本は退去を求める予定だが、無理そうならぶちのめして捕まえて大陸に送り返す予定だ。
困難なら殺害も許可だとさ」
「とすると……はぁ、判断の記録のため、映像と音声は記録して会話しなきゃだなぁ」
呆れたように告げるコトコに、僕も小さくため息をつく。
自由の剣事件の直後で政府やギルドが混乱しているのは分かるが、現場にそこまで丸投げされると中々困った話だ。
戦闘記録を残すということは、切り札となる力を使えばその記録が残ってしまうということにつながる。
できればそれは避けたいものだが、高位階の仙人達を相手にどこまで通じる物か。
内心の苦悩を飲み込みながら、ソウタに視線をやる。
「う~ん、挨拶はどう行くべきか……「大将やってる~?」って言ったら、「いらっしゃ~い」とペラってスカートめくって中見せてくれないかな……チーパオのスカートってのれんみたいなもんだし……」
「…………」
下卑た妄想を呟き続けるソウタは、妄想に入り込んでいますよ、というポーズで僕に気づかない振りをしている。
僕もまた、そんなソウタに気づかない振りをして、座席の背もたれに背を預けた。
居心地悪そうなコトコを間に挟み、僕らは嘘をつき続ける。
何のためかすら分からない嘘を、おそらくは気まずさの限界にたどり着くまで。
「初手土下座の方が良いか……? ちょっとミニのスカートでもあるし、角度的に普通に見えたりしないか……? いや、仙人って尻尾生えてるんだよな? 位置がよく分からんけど、後ろに回ったら尻尾がスカートを押し上げたりしないか? もしかして、ペラッてめくってもらうより、土下座の方が見える範囲が広い……?」
……こいつ、本当にポーズでこの妄想を続けているんだよな?
なんだか不安になってきてコトコを見やるが、同じように不安に満ちた視線が返ってくるだけだった。
思わず、ルームミラー越しに姉さんの目を見ると、ゴミを見るような目でソウタを見ている。
集まった五人の空気の悪さが、無限大に増殖を始めている気がする。
どうしよう、とコトコを見やる。
どうにかしろ、と視線で返ってくる。
しかし僕は、身動きできない運転中の座席で、相性の悪いソウタと深刻な話をしたくない。
首を横に振ると、トス、と軽く脇腹に肘が入る。
唇を尖らせ、不満げにしたコトコの視線に、僕は口を紡ぎ視線を逸らすしかない。
遠い目をしつつ、小さく溜息を呟く。
何と言うか、目的地に着く前から前途多難だった。
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