05-肉触ペンフレンド・後


 二階堂ヒマリがこの世で一番信じられないのは、自分だった。

明らかに天才の末妹。

精神力で自分をはるかに超える弟。

世間は弟をまるで劣っているかのように扱うが、何のことはない、3姉弟で一番劣っているのは自分なのだろう。


 それでも、と二人に恥じぬよう努力を続けてきた。

二人に心配をかけないよう、明るく振舞い、愛を言動で表現し続けてきた。

しかしそれでも、特に弟に対する依存心は拭えなかった。

辛いことやくじけそうなことがあって、心に淀みができると、弟はすぐにそれを察してヒマリの傍に来た。

彼に素直に甘えられるようになるまでは幾らかの時間が必要だったが、今は最早弟が居なければ甘える先が思いつかないぐらいに彼に依存してしまっている。

ヒマリは、弟が居ない生活を、今や想像できなくなっていた。


 今でもヒマリは、覚えている。

10歳ぐらいの頃だっただろうか。

切っ掛けは些細な事で、小学校のクラスメイトと喧嘩をした。

しかし固有が殴打を機に発生するヒマリは、感情で制御が未熟になり、喧嘩相手のクラスメイトを強く殴りつけてしまったのだ。

幸い相手の位階が高かったので大した怪我にはならなかったのだが、クラスの担任や父親に、酷く怒られたのを覚えている。

それでふさぎ込んでしまったヒマリを慰めたのは、ミーシャでもミドリでもなく、ましてや父でもなく、ユキオだった。


 ユキオは、何も言わずヒマリを抱きしめてくれた。

一つ下の弟は、攻撃的になり涙ぐむヒマリを抱きしめ、叩かれてもそのまま我慢してヒマリを抱きしめ、撫でてくれた。

暫くするとヒマリの口から愚痴が出始めて、けれどユキオはそれを否定せず、ただただ同調し、慰めの言葉だけを吐いた。

決して暴力を肯定しはしなかったが、ヒマリの事を否定するような言葉は吐かなかった。

ヒマリが物心ついてから、もっとも無償の愛を意識したのは、この年下のユキオの、抱擁だったのだ。


 それから、ヒマリは自身がユキオの姉であることを意識し始めた。

今のヒマリの表向きの振舞の過半は、ユキオの姉であるために身に着けたものだ。

ユキオに対する愛情の表現として、ハグをよく用いるのは、この思い出が根底にあるのだろう。

ヒマリの根っこの部分には弟が居て、その姉であることが自身の定義であり、そこから他の人間関係へとつながっている。


 だからこそ、ヒマリには不安があった。

弟や妹が居ない時、姉ではない自分の時に、どうしようもない壁に当たった時。

自分は果たして、一人で壁を超える事ができるのだろうか?


「――くっ」


 一瞬、気を失っていた。

それを理解するが早いか、ヒマリは即座に自分の胸を握りこぶしで叩いた。

"よろずの殴打"で、体内に侵入した毒や種子、胞子を打撃し、たたき出す。

対応が遅れれば、体内から毒に侵されたり植物に食い破られかねない面倒な罠だ。

そして対応を行えば、それが隙となり、星衛の動作を許してしまう。


 遠く振るわれる魔杖剣が指揮棒であったかのように、植物たちが呼応した。

床からは若木がコンクリを叩き割って成長、ヒマリを捕縛せんと伸びてくる。

花からは甘い蜜が飛び出てヒマリを狙い、毒と眠気を誘ってくる。

つる性植物は、四方八方から無数のつるを伸ばしてくる。


「じゃ……まぁぁっ!」


 ジャブで圧縮した空気越しに"殴って"木をへし折り、汎用術式の衝撃波で蜜を"殴って"弾き飛ばし、つるは無視して、万力で元の巻き付いた土台ごと破壊しながら前に。

しかしその僅かな時間で、砲台花の準備が整った。

圧縮された空気により、直径数メートルはある巨大な種の砲弾が飛んでくる。


「シィィッ!」


 砲弾を拳で迎撃。

艦隊砲撃に比する質量エネルギーを、ヒマリの肉体に込められた魔力による、疑似質量が破壊する。

しかし砕けた種の中から、その殻の裏に張り付いた無数のキノコが顔をのぞかせた。

ボフン、と衝撃に伴い胞子を吐き出した。

歯噛み、再びの拳に衝撃波を乗せ、胞子たちを弾き飛ばす。


(また一手、止められた……埒が明かない)


 辛うじて星衛は視界内に収めたままだが、彼は中遠距離を保ち、絶対に近づいてこない。

今の立ち位置を、再確認。

粗方壁をぶち抜いたのでどこか分からないが、ヒマリは別館一階のどこか。

一階と二階の間の床はこれまでの攻防で破壊され、ほとんど吹き抜けのようになっている。

星衛は二階の壁際から、チクチクと砕けた床越しに攻撃してきている。

のであれば。


「おぉぉおおぉ!」


 絶叫とともに、ヒマリは床に全力の拳を突き立てた。

ヒマリは脳内で、自分を囲む別館の壁を"このステージの壁"と定義した。

そして床を殴った拳が"壁越し"のモノを殴打すると定義した。

故に視界の端、2階の壁際に居る星衛に、ヒマリの壁越しの全力の殴打が、炸裂する。

鈍い音とともに、星衛の肉体が、階下へと弾き飛ばされた。


(チャンス!)


 多重の定義を行った殴打は、消耗が大きい。

ふらつきつつも、ヒマリは背後を殴打。

自分の相対位置を殴ることで、慣性や重力を無視したかのように、凄まじい速度で星衛に接近する。

予想外の殴打に集中が途切れたのか、星衛からの追撃はない。


「これで……終わりだぁぁっ!」


 絶叫とともに、ヒマリは万力を込めた拳を叩きつけた。

地を割り山を崩すほどの力が込められたそれに、星衛が……砕ける。

その断面は、年輪描かれる木材そのものだった。


「なっ!?」


 瞬間、影がヒマリを覆った。

それは、全長10mを超える巨大な食虫植物だった。

その顎は裕にヒマリの全長を超えており、消化液らしきものが内部を滴っている。

バクン、と食虫植物がヒマリを丸のみ、そのまま根本へと戻ろうとする。

直後食虫植物はヒマリの拳で爆散、次ぐ拳でヒマリを襲った消化液も殴打されてはじけ飛び、しかし三回目の殴打は間に合わない。

食虫植物がヒマリを引きずり込もうとした位置エネルギーは消えず、空中のヒマリは、そのまま植物が群生する罠地帯に突っ込んでゆくことになる。


 勢いを殺し切れず轍を作りながら着地し、踏みしめる感触が草土であることに眉を顰めるヒマリ。

続く攻撃がないことに眉を顰めていると、パチパチパチ、と拍手の音が聞こえた。


「流石は二階堂ヒマリ。私よりも格上であることは間違いないか」

「……器用だね、木のデコイをそんな風に使うなんて」

「ふふ、お褒め預かり光栄だよ」


 拍手をしながら現れたのは、星衛の形をしたデコイであった。

先ほどのような距離があればともかく、近距離であれば流石に感じる力の量で本物か否かは分かる。

声すらもそのデコイからしているように感じるあたり、何らかの方法で声を転送しているのだろう。


「さて……君の父君は、ここに来ているのかい?

 ならば文句の一つや二つ言って見せたくてね、どうかな?」

「…………」

「だんまりか。君には二階堂龍門の、勇者の娘という自覚はあるのかね?

 君の父君の始めた聖剣レプリカは……」


 その後もペラペラと語り始める星衛に、無言で警戒をにじませるヒマリ。

ここで時間が欲しいのは、ミドリの増援を待つヒマリ側。

その上で攻撃ではなく時間稼ぎに付き合うかのように振舞うのは、一体どういうことか?

疑問符がヒマリの脳裏をよぎり、決断を鈍らせ、判断を濁らせる。

どうすれば。

そんな言葉がよぎった時。

不安に何すればよいか分からなくなった時。

足が震え、決断の恐怖に泣き出しそうになった時。

いつもヒマリの頭の中に浮かぶ言葉は、同じだった。


(大丈夫。姉さんなら、上手くやれるよ)


 ユキオが、幾度となくかけてくれた、励ましの言葉。

それがヒマリのから回り始めた思考を、解きほぐした。

深呼吸。

吸い込んだ毒素は、軽く胸を叩き追い出して。

不敵な笑みで、星衛を睨みつける。


(ユキちゃんなら、敵に不安そうな顔なんてみせない)


 重心を低く、体に満ちる力を流動させる。

スカートがはためき、花弁のように揺れ動く。

靴裏の踏みしめる地面の形を、視覚ではなく、五感で感じとる。

地面の中を、しかも靴裏を殴打と解釈し探査するには、時間とリソースの消費が必要。

しかし、語りに夢中になっている様子の星衛が相手であれば、できない話ではない。


「……つまり、私たちの守った世界は、勇者の私物ではない。

 彼が魔族同様に世界を汚すのであれば……」


 まだ語り続けている星衛に向け、前進。

貯めた拳を、木のデコイに向け叩きつける。

星衛の目が、デコイ相手と知って殴りかかる相手に対する蔑みに染まり、そして……すぐに驚きに染まった。

むき出しの地面から、土が吹き上がった。

否、正確には、その中心に居る星衛の本体が。

デコイと繋がっていたが故に、星衛の本体を"殴る"拳を避けきれずに。


(やっぱり、地面の下に居たんだね。

 声を届けるため、そして空気を補給するため、デコイと植物で繋がったままで)


 星衛は、最初の遭遇時以外、ヒマリの前に姿を現していなかった。

最初に位階差を感じ取らせる事で、星衛の本体が近くにいると勘違いさせたうえで、本人は植物による煙幕や視界切りの合間に地中へ避難。

木のデコイと交代し、安全な地中から距離を取るデコイを操作しつつ、植物を操って攻撃していたのだ。

恐らくペラペラと話し始めたのは、先のデコイ破壊が予想外だったから。

断たれた空気の再補給や、予備デコイの生成に、星衛にも時間が必要だったのだ。


 空中に飛び出た星衛本体が、歯噛みしながら魔杖剣を輝かせる。

突撃槍の勢いで伸びる、直径1メートル近い巨大な枝達。

ヒマリはそれらを避け、或いは受け流し、前進を続ける。

次ぐ輝き、今度は伸びた枝が輝き、その内側から枝自体を食い破り、次の枝が生えてきた。

予想外の方向からの一撃に、防御に成功するも、ヒマリの足が一瞬止まる。

その静止を狙うつる植物がヒマリを拘束しようとし。


「かぁあっ!」


 気合を込めた咆哮の音波が、周囲全般を殴打、枝もつるも、すべてを破壊する。

規定外の殴打の消耗に足が一瞬ふらつくが、ヒマリは止まらない。

約10m、射程距離に星衛を捉える。


「もう逃さないよ!」


 ヒマリ自身のリソースは、既に半分以下といった所。

ここで本体を逃がせば、敗北は必至。

ここが、勝負の決め所。

お互いに意識し、全霊の力が体を覆う、その前兆を感じた所であった。


「姉さん!」


 天から、複数の青い光線が降り注いだ。

それは、マイナス100度以下の冷気を光の属性で閉じ込めた、冷凍光線であった。

植物が生育できる限界温度はマイナス30度程度と言われるが、その3倍の冷気光線は触れた植物を即死させる死の光線であった。

触れた植物だけを選択的に死滅させ、燃え広がることなく、周囲への被害はない。

流石のヒマリも肌寒さぐらいは感じるが、その程度だ。


「ミドリ!」

「ごめん、幹部を引き渡してから射角取りに行ったら、時間かかっちゃった!」


 叫ぶミドリは、崩壊した3階から、半ば吹き抜けた床を覗いて射撃をしていた。

見ればその周囲には球形の青白い光がいくつか浮いており、おそらくは植物攻撃へのカウンターとして機能するのだろう。

油断なく魔杖銃を構えるミドリに、星衛はため息をつきながら諦念を表情に浮かべ、魔杖剣を手放し両手を上げた。


「時間をかけすぎたか……。想定以上に、君が強かったようだ」

「……うん」


 不完全燃焼となったヒマリは、思わず神妙な顔を浮かべた。

遅れミドリの術式が発動、星衛を凍り付かせ、コールドスリープ状態にし拘束する。

完全な拘束を見届けてから、ミドリが屋上から落下、着地。

ボロボロになったヒマリを見て、目を顰める。


「姉さんが、こんなに苦戦するなんて……思ったよりヤバイ相手だったみたいだね」

「……うん」

「……姉さん?」


 結局のところ、ヒマリは今日、試されることはなかった。

ユキオがおらず、ミドリがおらず、姉ではないただ一人のヒマリとして、困難に打ち勝つことはできるのか?

その答えは未だ、分からない。

格上と見る相手に互角の戦況まで持っていく事ができていたと、そう感じてはいるが……、結果までは出せなかった。

深呼吸。

両手を胸に、ユキオを抱きしめる時の心地を思い出し……、頭を切り替える。


「よし、じゃあ星衛を連れて戻ろうか。他の戦況は、大丈夫そう?」


 朗らかに言ってのけたヒマリに、ミドリが顔をしかめた。

視線をわずかに躍らせ、躊躇しながら口を開く。


「兄さんが、幹部の赤井と戦っている。格上、劣勢……みたい」




*




 赤井の転機は、20年前、二十代半ばだったころだ。

人魔大戦、皇国における大規模戦の初戦である、四死天の"水と疫病"による侵攻。

北西の竜国を滅ぼしてから渡ってきた彼は、まず滅ぼした国の死霊を操り先兵として送った。


 竜国は、竜により支配された国であった。

皇竜とその配下をあがめる者たちが政府を作っており、仙人たちが別勢力として竜国内部に住んでいた。

"水と疫病"と彼が率いる魔族の軍勢は、竜国の竜を皆殺しにした。

仙人達もその過半を打ち取られ、その各勢力の長である三大仙人も重症を負い、異界である"仙人界"に逃げ込んだという。


 故に最初に侵攻してきたのは、竜と仙人の死霊であった。

赤井の"血吸い鎌切"は、当初死霊の血を吸う事はできなかった。

故に全力を発揮できず、追い込まれることになる。


 味方に死者が出るのも秒読み、ギリギリまで追い込まれ、決死の状況に追い込まれ。

赤井自身、致死の手前の傷を負い、もはやこのまま死ぬしかないと悟った時。

赤井は、自分を看取ろうとした味方を、斬り殺した。

思い出せる限り、最も不味い血肉だった。

しかしそれでも、赤井の傷を治癒し、戦闘可能な状態に戻すのは容易かった。

そのまま味方を皆殺しにすることで一気に自身を強化し、そうして何日も、一睡もせずに死霊を斬り続けるうちに、赤井は死霊の血を吸うことができるようになっていく。

最早流動していないはずの血をすら吸いつくし、死人をもう一度殺して見せる、地獄の獄卒が如き存在となった赤井。

無数の竜や仙人の死霊を斬り続けるうちに、赤井はその力を増していった。


 途中からは、魔族たちが死霊を盾に侵攻してきた。

魔族たちの血肉は、最高だった。

血の味、その肉を斬り裂く感触、すべてが赤井を魅了し、心底から興奮させた。

そんな赤井を、ともに戦う人間たちは英雄とたたえた。

最初に仲間を斬り殺した事はバレていなかったのか、それとも戦意高揚のために隠ぺいされたのか。

どちらにせよ、斬って斬って斬って、称えられて。

赤井は次第に、増長し始めた。

竜も仙人も魔族も敵ではない、俺は最強なのだと。


 しかし、人魔の決戦が赤井の慢心を打ち砕いた。

特別性の皇竜の死霊を従えた"水と疫病"と、それを迎え撃つ勇者たち。

桁が、違った。

世界を均し平たくせんとする最強の"竜の吐息"、全てを飲み込まんとする巨大な津波。

光り輝き吐息を跳ね返す聖なる守り、津波を消し飛ばす凄絶な爆発。

そして、聖剣の光。

遍く人類を存続に導かんとする、道標の輝き。

後に、この時前線に出ていた魔族は比較的弱卒が多く、死霊たちは生前より劣化していた事を知ったのも、赤井の慢心を砕くのを助長した。


 赤井は、生きるために倫理観を捨て味方を斬り殺した。

そして力に酔う事でそれを誤魔化し続けたが、その酔いも本当の頂点を見て冷めてしまった。

残されたのは、これまでの人生観が全て破壊された存在だけだった。

赤井は、快楽に縋った。

"血吸い鎌切"の力がそうさせるのか、最も愉しく悦楽に満ちた、魔族を斬るその感触に。

それだけが己の存在理由なのだと、赤井は己を再構成させた。


 その後の勇者と魔族との闘いで、赤井はなんとか生き残る事ができた。

勇者と直接顔を合わせる事はなかったが、彼らに集う英雄の一人として扱われ、多くの魔族を斬り続けた。

"血吸い鎌切"で魔族を斬っている間、赤井は食事どころか睡眠すらとる必要がなかった。

永遠に前線で魔族を斬って斬って斬り続けて、そうこうしているうちに、人魔大戦が終わった。


 赤井が斬るべき魔族は、大きくその勢力を減じた。

暫くは北の旧連邦圏で魔族の残党狩りをしていたが、ほとんどが非戦闘員であり、斬り甲斐があまりない。

また、寒冷地であるがゆえに環境も厳しく、魔族を次から次へと斬り続けられるのであれば兎も角、そうでなければ長時間の戦闘は厳しかった。

失意のうちに、赤井は皇国に戻った。


 英雄の一人と称えられた赤井は、暫く魔族を斬る感触に近い快楽を探し求めた。

美食、女、栄光……。

しかしいずれも赤井を満足させることはなく、皇都を離れての魔物狩りも同様だった。

やがて赤井は、秩序隊の合同任務で犯罪者を斬り、確信する。

魔族を斬る快楽に近いのは、人斬りなのだと。


 赤井は表社会から姿を消し、裏社会で殺し屋として名を挙げた。

人斬りを日常として楽しみながら、時にある英雄やそれに連なる者たちを斬る事を、至上の悦楽として扱った。

そうこうしているうちに、かつての戦友の組織がテロ組織化したと聞き、合流したのであった。

そこでやったことは、ほとんどが退屈な隊員たちの指導。

面白い相手は居たが、それでも赤井の本懐とは異なる。

選択を間違ったかと思い、このまま組織壊滅を切っ掛けに抜けるつもりでいたが。

それを覆す、今正に羽化しようとしている最中の、英雄が居た。


「ユキオォォ!」


 "血吸い鎌切"を、赤井は死神殺しと定義する。

"血を吸い"強化回復することにより、死神の"鎌"を遠ざけ、それどころかその死神の"鎌"を"切り裂く"事さえ可能な名刀と。

故に赤井の切り札たる"死神の狂貌"は、"死神"の血を浴び、それを啜り取るために限界を超えて口を開いた"狂貌"であり、相手にとっての新たな"死神"と化すことを意味した。

効能は単純で、一時的に限界を超えた身体能力の強化。

位階70超に比類する力は、魔族幹部とすら互角以上に戦える圧倒的な力だが。

目の前のユキオは、それに抗っていた。


 罠の反応すら間に合わない、超速度の踏み込み、袈裟の剣戟。

ユキオはまるでそれを予知していたかのような速度で反応、打ち合いを避けて糸剣で受け流す。

超膂力で叩きつけられた刀は糸剣の結合をすら緩ませるが、そのままユキオは古い糸剣を手放して見せる。

舌打ち、打ち上げるような軌道で切り返す刃を、新しい糸剣で受け止める砕けると同時、ユキオは両足を浮かせた。

あまりの膂力の違いに、ユキオが体ごと跳ね飛ばされるも、同時に追撃の回避ともなる。


「くらえっ!」


 砕けた糸剣が、切断面をそろえて赤井に向ける。

大きく回り込んで避けるが、その間にユキオは態勢を整えることに成功。

赤井は視界の端で、古い糸剣や砕けた糸剣が、解けて宙に消えてゆくのを見る。


(超反応の原因は、コレか)


 ユキオは、この空間のあらゆる場所に脆弱な糸を張り巡らせていた。

引っかかると音がなり、相手を察知できる鳴子という罠がある。

これの感覚版、引っかかると第六感で相手を察知できるのが、感知結界である。

そしてユキオは糸による感知結界を超密度で張り巡らせる事で、五感以上に精密に、赤井の動きを察知していた。

あまりの速度の違いに赤井を糸の罠に引っ掛ける事を諦め、そのリソースを動きの感知に割いたのである。

だが、それでも基礎性能の違いは覆しがたい。


 胴体を狙った突き。

ユキオは半身になって回避、次ぐ横薙ぎへの変化を姿勢を低くしつつ、糸剣を用いて上に逸らす。

吐気。

踏み込んだ足から順にねじ込むように、体を捻転。

全身の筋力を総動員し、赤井は逸らされた斬撃をそのまま反転、姿勢が崩れたままのユキオへと袈裟に撃ち落す。

既に古い糸剣を手放し、反動を受け流し捨ていたユキオは、辛うじて反応。

糸剣で防ごうとするが、肩に刀身が食い込む。

途端、魔族を切った時以上の快楽が、赤井の脳に生まれた。


「はっはっはっ、気持ちイイ~!」


 ドクン、と"血吸い鎌切"が脈打った。

"死神の狂貌"を維持するリソースが枯渇しかけていたが、幾分か持ち直す。

即座にユキオが後ろに倒れこむように刃を外して回避、いつの間にか背に仕掛けていた糸に引きずられるように距離を取り、追撃も避けきった。

遅れ、ユキオが構えたまま肩を糸で縫合、上から糸布で保護され、遠隔の吸血もすぐさま対処される。


「ふふ、やるじゃーないか、ユキオ……ん?」


 見ると、ユキオは今までにない蔑みの視線をしていた。

視線の先は、股間。

英雄の人肉を斬った快楽に勃起した、赤井の股間を嫌悪しているようだった。

それを見て、思わず赤井は嗤ってしまう。


「おいおいユキオ、お前、おじさんが人を斬ろうとした時より、人斬りで勃起したことの方を蔑むんだなぁ」

「……別に、おかしなことじゃないだろ」

「そんなにおじさんが羨ましいのか? ユキオ」


 ユキオの表情が変わった。

歯を噛みしめ、何かを堪えるような顔。

羞恥、怒り、或いは……憎悪。

先ほどまでの、隊員の命のために臓腑に届く怪我を押して立ち上がった英雄性とは、まるで異なる感情だ。

想定とは違うユキオの感情的な面に、赤井は愉快な気分でケラケラと笑った。


「なんだ、お前さんも人に言えない事で勃起しちゃうお年頃な訳か。

 だから隠さず勃たせているおじさんを見ると、すげー嫌がる訳だ。

 「おれは必至で勃起を隠してるのに、ズルい!」ってか?」

「黙れ……」

「最近のオスガキは猿みてーな奴しか会わなかったけど、まぁ女のガキだけじゃねーよな、エロいこと嫌がって隠そうとするガキはさ。

 分かる分かる、俺もガキのときそんな感じだったよ。

 意外と似てるのかもな、俺とお前、だから斬ってキモチイイのかも?」

「黙れぇぇえ!」


 憎悪とともに、突きだされる糸剣。

感情的な一撃、と見せかけて突きの途中で間合いが伸びる。

とはいえそれ自体は先ほど見た、余裕をもって避ける赤井に、しかし途中でその軌道が変わる。

見れば糸剣の持ち手も伸びて、両手持ちの糸槍と言うべき姿に変身していた。


「へぇぇ……」


 赤井は関心の声を上げるが、そこまでだ。

確かに予想を外れた一撃。

しかし圧倒的な身体能力の差は、ユキオから仕掛ける形になると、より違いが顕著になる。

ユキオの予想外の動きを認識してから、赤井の防御が間に合ったのだ。

"血吸い鎌切"と糸槍がかみ合い、伸びた分脆くなったのか、容易く糸槍を破壊。

青白く輝く糸槍の破片が飛び散る。


「シィィッ!」


 続けて袈裟の一撃が、ユキオを襲う。

仕掛けた側だったからか、先ほどの攻防より糸剣の生成がワンテンポ遅い。

"血吸い鎌切"の剣戟が、糸剣を破壊。

そのままユキオの胸を切り裂き、裂傷を作る。

破壊された糸剣が威力を殺したのか、傷は浅いが、それでも吸血により更に勝利の天秤は赤井側に傾いた。


 勝利は決した。

確信とともに、再び赤井は"血吸い鎌切"を振るう。

迎撃を優先したのか、ユキオは胸の傷をそのままに糸剣を生成。

"血吸い鎌切"と、僅かに緩く形成された糸剣が打ち合い。


 ノイズ。

ざざ、と世界が一瞬モノクロに映り。


 ――ギィィィン、と。

鈍い金属音。


「……あ?」


 最初に赤井が感じたのは、酷い脱力感だった。

全身の服すらも重しに思えるほどの、立っている事がやっとの疲労。

視界が一瞬揺らぎ……遅れて、その光景を捉えた。

手に持っていた、半身、赤黒く輝く打刀が。

"血吸い鎌切"が、折れていた。

何故?

疑問符が過るも、答えより早く、ユキオのトドメの剣戟が振るわれる。


 青白く煌めく、剣線が2本。

赤井の両腕の腱を切り裂き、血飛沫が跳ねる。

続け、ユキオが放った糸が赤井の全身を拘束。

完全に動けなくなると同時、ようやく赤井は、自身の敗北を理解した。


 荒い呼吸で膝をつくユキオを尻目に、拘束されたまま呆然とする赤井は、ようやくのこと気づく。

折れて消滅し始めた"血吸い鎌切"の中に、青白く光る糸が見えた。


「……辺りを漂っていた糸は、感知結界になるだけじゃあない。

 血に紛れて"血吸い鎌切"の中に糸くずを蓄積させていたのか。

 そして緩く作った糸剣と打ち合った時に中の糸くずと融合して……起こりえない方向の衝撃で破壊された?」


 馬鹿な、と赤井は内心独り言ちた。

糸くずのように細かく分断された後の糸からは"受信"することはできても、それらに"送信"することは難しい。

血に紛れさせるぐらいは何とかできるだろうし、それを吸わせて"血吸い鎌切"の中に蓄積させることまではできるだろう。

しかしそれを操作して、緩く作った糸剣との激突時に融合させ、上手く武器破壊を成功させえる?

現実的とは思えないし、成功率は天文学的な低さだろう。


「僕は……敗者に、冥途の土産をくれてやるのは、好みじゃあなくてね」


 敗北の理由が掴めず混乱する赤井を尻目に、溜息とともにユキオが告げる。

理由を解説する気のないユキオに、ぼんやりと赤井はうなずいた。

いずれにせよ、"血吸い鎌切"による強力な身体強化をいきなり失った赤井は、倦怠感で上手く物が考えられない。

完全に敗北し拘束された赤井は、ぼんやりと、ユキオに促されるままに歩き始めた。




*




「ユキちゃん! 大丈夫!?」

「ダメだから抱きしめないで姉さん、ヤバイって怪我!」


 と。

赤井を拘束して連れて行った先、秩序隊の合流地点。

聞きなれた二人の声を聴いて、ようやく僕は人心地がついた気分だった。

すぐに僕の致命傷ギリギリの傷に手を当て、ミドリが回復系の術式を発動してくれる。

いくら回復効果のある糸で立体的に縫い合わせていたとは言え、僕の扱えるヘボ回復術式では、万全にはほど遠い。

本家本元の回復を受けてほっと溜息をついていると、む、と眉を顰めミドリ。


「兄さん、使った?」

「……回復には、使っていないけれど」

「傷の割に、ダメージが少なすぎる、気がするけど……」


 僕の切り札は、今のところ1日に1度しか使えない。

赤井との死闘の決着に使ったので、無意識に回復に使っていたとすれば、僕は今頃赤井に敗北していたはずだ。

切り札の許容量が増えていて2度目の発動に成功していたという可能性は、あるが。


「…………」


 無言で、自身の掌を睨みつける。

集中するが、既に今日はリソースを使い切ってしまったのか、全くその手の感覚は感じられない。


「分からないけど、僕が成長していたって可能性はある、かな」

「だとすれば、兄さんはやっぱり凄い……」


 後日の訓練にでも考えておくか、と頭を切り替える。

凄いです係をやり始めたミドリの頭を、苦笑しながらなでつつ、姉に視線をやった。

ヒマリ姉は、僕と、拘束された赤井とを見比べていた。


「ユキちゃんは……、たった一人で、打ち勝ったんだね……」

「……相手が不利な条件で、かつ舐められまくって、それで辛勝だったけどね」


 集団戦闘を得手とする"血吸い鎌切"に向こうから1対1を挑んでもらい、かつ一度は致命の一撃を食らいながらも、相手の情けか何かで見逃された身だ。

流石に勝利を誇る気にはなれず、苦笑しながら言うと、ヒマリ姉にじっと見つめられた。

真っ青な、青い空のようなキラキラした瞳が、僕を捉える。

まるでそのキラキラと輝く空の中に、吸い込んで捕らえようとするかのように。


「ユキちゃんは……偉い」

「う、うん」

「偉い! 超偉い、天下一!」

「完璧偉い、最強、百万石!」


 前後から、謎の誉め言葉っぽい叫び。

いきなり謎の言語にさらされ、思わず目をぱちくりと瞬いてしまう。

フフッ、となぜか不敵な笑みを浮かべ、両手を広げるヒマリ姉とミドリ。


「凄い、偉い、ちょー偉い!」

「偉すぎ、尊すぎ、ちょーえらえら」


 そのまま二人は、なぜか僕を囲んだままグルグルと回り始めた。

なんだろう、コレ。

疑問符を胸に二人を見るが、彼女らの顔は謎の自信に満ち、まるで困惑している僕が間違いなのではないかと思えるほどだ。

助けを求めて回りに視線をやるが、秩序隊を含め、誰も目を合わせてくれない。

視界の端に父さんを見つけるが、一瞬こちらを見た後、体ごとこちらに背を向けられた。

うそでしょ。


「ぷっ」


 それを終えさせたのは、一人が思わず漏らした哄笑からだった。


「ぷっはははは! あーそっか、そうだったのか! あーなるほどねそっかそっかそういう事な!」


 赤井。

拘束されたまま、次の輸送車を待って見張られていた奴は、まるで顎が外れんばかりに笑いながら叫んでいた。


「"二階堂3姉弟"の真ん中が、二階堂ユキオだったか。

 流石に下の名前だけじゃ咄嗟に繋がんなかったわ、わりーわりー」

「おい、黙れ! 誰か猿轡持ってこい!」

「なるほど、マジで俺は完璧に負けた訳だ! ヒヒヒ、ようやく分かったぜ!

 ホラ、ホラ、ホラ、見ろよ!!」

「……げっ」


 叫びながら腰を振る赤井。

その腰の辺り、拘束の隙間から勃起した奴自身が、ズボンの布地を大きく押し上げていた。

思わず呻いて数歩引く秩序隊員に、ゲラゲラと笑ってみせる。

気づけばヒマリ姉もミドリも、動きを止めて赤井に注目していた。

誰も治す者のいない赤井の顔は、先ほどまで同様頬が大きく切り裂かれ、耳近くまで裂けた巨大な口と化していた。

漆黒の血化粧は既に半ばまで剥がれていたが、それが余計にその狂貌に迫力のようなものを醸し出していた。


「夢だった! 人生の全てだった! おじさんはなぁ、最初から最後まで、お前たちの奴隷だったんだよ!

 ユキオ、お前がお前たちの奴隷であったみたいに!

 スゲー面白い、マジかよ! おじさんの人生、スペクタクルじゃん!

 ユキオ、お前の肉は最高だった! 本物の、英雄の血肉! あんなに斬って楽しかったのは、魔族ども以来だ!

 嗚呼!

 願わくば!

 お前を切って、喉はスパッと割いて輪切りみてーにして、腹は開くように切って内臓を引きずり出して、顔は目をぶっ潰すみてーに突いて、そしてひき肉にするみてーに全部の肉を刻んでやりたかった……!

 う、うう、うううっ……」


 そして赤井は、泣き始めた。

演技ではない、本物の涙だった。

頬まで裂け切った口を全力で噛みしめ、ボロボロと涙をこぼし続ける。

時折鼻を鳴らし泣き続けるその姿の異様さに、この場の誰一人がついていけていなかった。

一体、どれほど経ったのだろうか。

絶句したまま身動きできない僕らの前で、ようやくの事泣き止んだ赤井が、ボソリ、と呟いた。


「でも代わりに、最後にイイモノを切って終わることにするよ」


 瞬間、僕は臨戦態勢に移行する。

一瞬遅れて父さんにヒマリ姉とミドリが、続けて隊員たちが身構えるのと、ほぼ同時だった。

赤井が、大口を開けて天を仰いだ。

ズ、と。

ぬめった、柔らかい音だった。


「お゛、お゛、お゛」


 赤井の声にならない絶叫。

遅れて、その口から先に鍔と柄が現れて、ようやく気付く。

赤井は、自分の体内に"血吸い鎌切"を生成していた。

それも、刀身を喉から一直線に、天から自分の体を貫くように。


「お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!」


 決して、声量の大きな叫びではなかった。

しかし決死の叫びだった。

天を仰いだままの赤井のその形相は、本人を含めた誰にも見る事はできない。

けれど文字通り、命が限界まで込められたその叫びは、見るまでもなくその形相を、僕らの脳裏に焼き付けていた。


 凄まじい、死の咆哮。

それに入り混じって、ドクドクと、大きく脈打つ音が聞こえ始めた。

"血吸い鎌切"が、主の血を吸う音だった。

本来、脈打つポンプの音でしかないはずのそれが、僕にはどうしてか、人間の喉がそうするような、嚥下の音に聞こえて仕方がなかった。


 赤井は、しぼみ始めた。

ベコリ、と音を立てて赤井の腹がへこんだ。

まるで、中身をジュルジュルと勢いよく吸われた、ペットボトルみたいに。

赤井のサイズが減れば、当然の事、彼を拘束していた糸が緩んでいく。

ゆっくりと、彼を拘束していた糸が滑り落ちて地面にたまってゆく。

赤井の体が乾き始め、表面の皮膚がひび割れ始めた。

やがて無限とも思える時間、"血吸い鎌切"が血を吸い続けたのち……。

パキリ、と。

薄く乾いた硬い物が割れる音を残し。

赤井の残り物は、砕け散った。

粉々になって、大きな欠片が出ることもなく、完全に乾ききった粉だけになってしまった。

そしてその赤井だった肉粉は、そのまま風に乗り、消えていった。

後には、地面に突き立った"血吸い鎌切"と、奴の来ていた作業着だけが残っていた。


 あまりにも凄絶な最後に、僕たちは暫く、何一つ声を出せなかった。

音を出す事すらも、なぜか憚られ、まるでこの場に居る何かに咎められるのを避けるかのようにしていた。

だから、最初のその一言は……声量に比し、大きく響いた。


「アレで"黄"だったってマジか?」


 ポツリ、と。

誰が言ったのかも分からない小声。


「まぁ、魔族相手に戦っていたからそれでチャラだったのかもしれないが」

「あいつ、"赤"を切った感触が、魔族と似ているって……」

「……やっぱ"赤"と"赤外"だから似ているもんなのか?」

「"赤"って、こいつより、なのか?」


 咄嗟に、姉妹の腕をつかんだ。

動き出す寸前だったヒマリ姉が、懐の魔杖銃に手を伸ばそうとしていたミドリが、僕の顔を見る。

僕は、無言でそっと、首を左右に振った。


 パキリ、と少し大きな音。

見れば、こちらに歩いてくる父が、恐らくわざと小枝を踏み折った音だった。

隊員たちがそっと口をつぐみ、陰口を辞める。


 ちょうどその時、一人の隊員と目が合った。

先ほど、赤井との闘いで助ける事が出来た隊員だった。

バディを助けられなかった事を悔いるべきか、彼だけでも助けられた事を喜ぶべきか。

複雑な感情の僕に、彼は、そっと視線を逸らした。


 僕は、どうすればいいか少しだけ迷い……、目を閉じた。

何にせよ僕は、とても、とてつもなく、疲れていたのだった。



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