04-肉触ペンフレンド・前


「あれ……あいつら、補充メンバーかなにかか?」

「臨時だってさ。三番隊のメンバーが負傷して大半が治療中だろ?

 腕利きを呼んだっていう話だったが」

「ガキじゃないか……役に立つのか?」

「勇者サマの子だってよ」

「あぁ、二階堂姉妹は英雄級なんだっけか。息子のほうは聞かないが……知ってるか?」

「知らん。オマケかなんかだろ」


 ざわめき。

大型の会議室の端で、パイプ椅子に体を預けながら、僕はひたすらに携帯端末を弄るフリをしていた。

右手窓際のミドリは携帯ゲームと格闘中で、左手側のヒマリ姉は不機嫌そうに前のめりで、プラカップの紅茶をストロー越しに吸っていた。

多分、僕の微妙な噂話が気に入らないのだろう。

携帯端末を置いて、机の上に伸びた姉の手の甲に、そっと手を重ねる。

驚くヒマリ姉と視線が合い、微笑みかけると、答えるように微笑んでくれた。


「……んへへ」


 弟ながら、安い姉である。

機嫌を直した姉にほっと胸をなでおろそうとした、その瞬間である。


「うわ、キモ! ユキオ、お前ヒマリさんになんてことしてるんだよ……」


 聞きなれたくなかった声。

見やると、顔をしかめた城ケ峰が、僕とヒマリ姉の重なった手を指さしていた。

思わず手放すと、あ、と呆けた声が隣から漏れた。


「ったく、油断も隙もねーな。ヒマリさん、俺が守りますんで安心してくださいね!

 あ、席ここ使わせてもらいますね!」

「……名前呼びを許したつもりは、ないよ。キミ如きに守られるつもりもない」

「相変わらずクールで素敵ですね、その、二階堂さん!」


 叫びながら、ドスンとパイプ椅子に腰かける城ケ峰。

四人分の長机なので誰か一人部外者が来るのは予想していたが、コイツが来るとは思ってもみなかった。

そして声がでかい。

近場に座っている秩序隊員たち数人程度だった視線が、大きく増加する。

溜息。

話題と頭を切り替えるしかないと、頭を振る。


「あー、城ケ峰。淀水はどうしたんだ? いつもならペアだろ?」

「生理」

「…………そっかぁ」


 僕は二倍になったと思わしき頭痛をこらえるため、額を抑えた。

知るつもりのなかった友人の情報を、なるべく頭に残らないよう意識する。

代わりに、この馬鹿を誰かが制御せねばならないと思い当たり、視線を左右に。

ミドリはゲーム中で話を聞いていない。

ヒマリ姉は、絶句して生理的嫌悪感を顔に露わにしている。

思わず視線が宙を泳ぐが、結論は変わらない。

冒険者の品位のため、と心の中で唱えながら、僕は口を開いた。


「あー、城ケ峰まで呼ばれるのか。とすると、今回は結構な大捕り物になりそうだな」

「秩序隊ってアレだろ? アレをアレしてる所だろ?」


 片頭痛がする。

誰か、外付け頭脳の淀水を呼んできてほしい。

気のせいか、周囲の秩序隊委員の視線が厳しいものになって来た気がする。

一般若手冒険者が誤解されそうな状況に、深い、深いため息をついた。

気持ちを入れ替え、淀んでいることが自覚できる目つきで、城ケ峰を睨む。


「……冒険者を取り締まる側の人間だからな。

 大規模な"人の領域"の再奪還なら、もっと質より量を優先する。

 ってなると、犯罪組織の摘発とか、そっちっぽいな」

「はえー」


 脳みその質量が低そうな感嘆の声に、疲労が目と首と肩に来る。

秩序隊。

冒険者資格を持つ人間の一部であり、冒険者を取り締まる側の人間たちだ。

最低でも金級冒険者以上の人間がスカウトを受けて所属する部隊であり、警察とも軍ともまた違う機構である。

かつて、賢者たちが汎用術式を開発するまで、人々の多くは固有術式をのみ用いていた。

故に軍や警察のような集団戦闘を得手とする組織は中々機能を発揮できず、故に個の力を発揮する秩序維持機構が求められ、それで生まれたのが秩序隊である。

汎用術式の開発以後は徐々に規模を縮小していたのだが、人魔大戦を機に再び拡充されることになった。


 彼らは一般冒険者たちに、特定の案件に対して、使命で招集を募ることができる。

秩序隊と一般冒険者が同時に出ねばならない案件は、"人の領域"を再奪還する際と、犯罪組織の相手の場合ぐらいだろう。

前者は人手を確保するためもっと多くの冒険者を募るので、後者である可能性は高い。

特に今回集められた一般冒険者は、金級以上の上位冒険者のみだ。

となると、相手方の組織が強力である可能性は高いだろう。

特に、今回は。


「……呼ばれたのは、僕たちだけじゃあないようだし」


 と、主催者席で座る父を見やる。

今日もいつも通り黒のスーツ姿で、腕組みし静かに時間を待っている。

正確には、父が僕らを推薦し呼んだ形になるのだが、そこをわざわざ口にするつもりはなかった。


 僕の視線の先を見て、分かったのか分からなかったのか、ほうほうと頷く城ケ峰。

彼がようやく黙ったのに、深い溜息。

携帯端末で淀水に文句のチャットを伝えようとした、その時だ。


「えー、そろそろ時間になるので、会議を始めたいと思う」


 とは、壇上の女の声。

ミドリに声をかけてゲームを中断させ、女に視線をやって気づく。

童顔ポニーテールにスーツの女で、胸ポケットにハーモニカを刺している人間など、一人しかいない。


「さて、今回の司会進行は私が受け持つ。

 部外者もいるからな、自己紹介をしよう。

 荒間シノ。秩序隊の総隊長を務めている」


 有名人だった。

確か固有は"調和の奏で"、音楽系の集団戦闘に向いた術式だったと記憶している。

そのために常に楽器を持ち歩いており、刃物で言うナイフがハーモニカに相当するのだとか。

そこら中に隠し武器ならぬ隠し楽器を仕込んで持ち歩いているらしいが、見ても自然な立ち振る舞いで、どこに隠し楽器があるのかは全く分からない。


「では、早速だが今回の標的についての解説から始めよう。

 "自由の剣"。

 それが今回の突入捜査の対象となる、組織の名だ」


 "自由の剣"。

リーダーはかつての人魔大戦でも活躍した英雄の一人、星衛謙一。

かつては地方の弱小自治体などを魔物の被害から守るための互助組織の一種だったが、今はテロ組織として暗躍している。

政治家に対する暗殺未遂が2回で実行犯のみ捕縛、あとは分派による公共施設の占拠があり、こちらはほぼ全員捕縛。

主な目的は、聖剣レプリカによる貢献度判別の中止だという。


 20年前に終了した、人魔大戦。

最終的に人類は勝利したものの、負った傷はすさまじく、当時30億ほどだった人口が5億以下まで落ち込んだとされる。

現在は人口は増加傾向にこそあるようだが、若年層が多く経験豊富な働き手が少ないという状況にある。


 そんな状況だから、勝利を収めた人類の英雄たちも、その後さまざまな道をたどった。

故国の復興を目指す者、世界を旅する者、隠遁する者、復讐のため魔族の残党を狙う者。

そして中には、袂を分かった者。

勇者の批判を公然と行い、武力をもってそれを正そうとする星衛のもとには、そういった人間が集うようになっているらしい。

つまり現状"自由の剣"には複数の、かつての英雄が集っているのだという。


 壇上に呼ばれた父が、静かに語る。


「かつての戦友が、私の協力した政策に反発してテロリズムに傾倒している。

 悲しむべき事態だろう。

 聖剣レプリカによる貢献度検査について、批判意見があることそのものは問題ないし、むしろ批判意見を表現できることそのものは、健全ともいえる。

 しかしその主張を暴力で通そうなどと、法治国家において許されるものではない。

 戦友たちの反発を招いてしまった所は、私の不徳が致した部分もあろう。

 だが、彼らの暴力による要求に屈してはならない。

 そのために、私、二階堂龍門も本件について協力させていただく」


 満場の拍手で迎えられた父に代わり、再びマイクを荒間隊長が。


「次いで、さすがに英雄級が複数人相手となると、我々も幾分手が足りない。

 そこで若手の冒険者たちから、何人か声をかけさせてもらった。

 ……起立願います。

 二階堂3姉弟。次の竜銀級と目される城ケ峰さん。それから……」


 パチパチとまばらな拍手がされる中、周りのざわめきが聞こえてくる。


「……二階堂さん家の息子さんは"赤"じゃないか?」

「噂のレッドリストにも名前はあるそうだ。

 他はともかく"自由の剣"相手に連れて行って大丈夫なのか?」

「勇者も人の親って事かね……」


 口元に、力を入れる。

目元は笑みを見せる形のまま固定。

そのまま視線だけ両隣にやり、不機嫌そうなミドリと、爆発寸前と見れるヒマリ姉を確認。

そっと両手を伸ばし、机の下で二人の手を握る。

驚いたようにこちらに視線をやる二人に、順に視線をやって、ニコリと微笑みを返した。


 紹介が終わるタイミングで、そっと手を放し、腰を下ろす。

目配せして、二人が落ち着いているのを確認してから、視線を再度壇上の女傑に。


「さて、続けて"自由の剣"の組織規模と現状についての説明だが……」


 続く地名のうち、知らない部分をメモしようと携帯端末に手を伸ばす。

と、そこでスリープが解けて、無数の通知が見えた。

会議前に通知は消したはずだが、と確認すると、淀水からのチャットだった。


"チャット入力中になってるけど、どうしたの?"

"からかってる?"

"面倒くさくなった?"

"ちゃんと言いたいこと言ってよ"


 そこからさらに続く、10以上のチャット。

目が滑るほどの量であるそれに、思わず口から小さくうめき声が出る。

見なかったことにしよう、とアプリ自体は開かず通知画面での確認に留め、既読通知が行かないようにする僕なのであった。

もちろん、後ほど、淀水に死ぬほど機嫌悪くされてしまった。




*




「先日"自由の剣"の本拠地を強襲するも、幹部級含め多くの構成員は逃亡。

 そのうち本隊と思われる集団を追跡し、成功。

 〇〇県の"人の領域"の外れ、放棄されたホテルが彼らの現在の一時避難地のようだと分かった」

「妙だな……。その辺のザコならともかく、星衛は位階70近い本物の英雄の一人だ。

 やり口も結構キレてるし、頭が悪い感じはあまりない。

 とすると、こんな袋小路みたいな所に集まっているのはなんでだ?」

「ん。私もそこは疑問に思った。

 見つかったらどうせ勝てないし、見つからなくてもこんなところに避難する意味ある?

 バラバラになって通信で連携を取りつつ一度離れ離れになったほうがマシ。

 まるで囮なんだけど、星衛を超える戦力がない以上、本命がどういった事か分からない」


 現地へ向かうバンの中、向かい合わせの席で彼ら6人は座っていた。

ユキオを中心に、ミドリと淀水コトコ。

父龍門を中心に、ヒマリと城ケ峰ソウタ。

頭脳労働を多くする三人が固まり、オブザーバーの龍門が彼らと離れるついで、娘と他所の男の間に入った形だ。

助かると言えば助かるが、過保護と言えば過保護。

そんな感情に、ヒマリは眉を顰めながら、向かいの三人を眺める。

移動中のブリーフィングは通常再確認に等しいが、此度のそれは城ケ峰からの伝言ゲームしか聞けていないコトコのフォローをも目的としていた。


「まぁ、彼らの組織の裏事情は現状踏み込み切れていないからな。

 具体的な事は良く分からないが、組織内の政治事情とかがあるのかもしれない。

 僕らは実働部隊だ。

 予想戦力に大きな変化がないとする以上、あまり変な先入観を持ちすぎてもいけない」

「規定された作戦目標に文句はないさ。


 ・星衛謙一の生存確保

 ・幹部級の確保(なるべく生存)

 ・下部構成員の確保(なるべく生存)


 シンプルで分かりやすいしな」

「裏を知っても結局、私たちに政治的な動きをする力はない。

 ただまぁ、現地で得た重要な情報とそうでない情報を理解するためには、あらかじめ考えを巡らせておくことは必要だよね。

 ヤバイ話を相手が漏らしたとして、それを優先報告できないとまずい」


 外部協力者であるからこそ、報告の流れは明確にしておかないといけない。

普段テロ組織ではなく魔物を相手にするからこそ、普段と異なる事情は明確に認識を共有せねばならない。

当たり前と言えば、当たり前の事だった。


「で、ユキオ。配置は結局どうなったんだ?」

「ヒマリ姉とミドリのペア、君と城ケ峰のペアは、突入隊。

 僕は外で包囲網に参加。他の外部協力者も包囲網側だね。

 父さんはあと詰めってことになる」

「私は大絶賛抗議中」


 コトコが、眉をひそめた。

握った手を口元に、アゴを覆う形にする。

コトコが感情を抑えて考え事にふけるときの、いつものポーズだ。


「龍門さんはまぁ、オブザーバーみたいな立ち位置だからな、政治的な配慮ってやつなんだろうが。

 ……まぁ、施設内がそんなに広くなさそうだから、トリオではなくペアで行動させたいってのは分かる。

 私ならヒマリさんとユキオで組ませるが、外部から見て位階の高いミドリを組ませたい気持ちも、一応分からんでもないが」

「それはそれで私ハブられて泣くけど、相性を見るならその通り。

 兄さんの糸は障害物が多いほど強くて、屋内だとかなりヤバイ。

 最近はヤバさに磨きがかかってて、外でもおかしいけど」


 ユキオが、ちらりと運転席の方に目をやった。

釣られてヒマリも視線をやると、運転中の秩序隊員の表情が目に入る。

ミラー超しに彼らの表情は、少し硬い。

秩序隊に批判的な意見を垂れ流されて、顔に出る程度には気にするということか。

ヒマリは内心、秩序隊の評価をもう一段階下げた。

ユキオを有効活用できない時点でヒマリにとっての秩序隊の評価は低かったが、さらに落ちる。

対面側のユキオが、小さく溜息をついた。


「とはいえ、攻撃手段が遠距離に偏っているミドリは、包囲網にあまり向いていないのは確かだ。

 遊撃に置いておけば役割は持てるが、僕の方が包囲網に向いている、という見方もできる」

「最優先は星衛なんだから包囲網重視してどうすんだ」

「兄さんいきなり知能指数落とすのやめて」

「ユキちゃん唐突に寝不足になった? 大丈夫?」

「……もうちょっと手加減してくれない?」


 集中砲火され、涙目になるユキオ。

秩序隊からの心象を和らげたかったのだろうが、それはユキオの扱いを許容してまで行うことではない、というのがヒマリの考えだ。

妹と幼馴染が同じ考えであることに、ヒマリは一先ずの満足を置いた。

父はともかく城ケ峰が静かなのが不穏だが、見やると腕組みしたまま目を瞑っている。

というか、寝息を立てている。

体力の温存という意味では間違っていないのだが、図太いにも程があるのではないだろうか。

呆れつつ、ヒマリはユキオの表情を楽しみながら現地到着を待った。


 東北地方のとある秩序隊拠点から、車に揺られて一時間半ほど。

現地近くの人気のない駐車場に、たどり着く。

先行して時間を空けて進んでいたバンがさらに数台、降りてきた数十人が静かに集まった。


「ユキちゃん、包囲網側、気を付けてね」

「ま、無理せずともなんとかなるさ。姉さんこそ、気を付けて」


 ユキオの位階は52。

"自由の剣"の幹部級のほとんどに勝っており、彼に位階で勝るのは精々3人程度か。

星衛と1対1にでもならない限り、遅延戦闘で助けを待つぐらいはどうにでもなるだろう。

どちらかと言えば、星衛に強襲されうる突入側の方が危険か。


 改めて気を引き締め、ヒマリはユキオに向け微笑みかけた。

返ってくる、どこか儚いユキオの笑みに、胸を締め付けられそうになる。

何時からだろうか、弟の笑みが満面の笑みばかりではなく、儚く切ないものが混じるようになってきたのは。

弟のこの笑みを見るたび、ヒマリは言い知れぬ感情を胸に、弟を抱きしめたくなる。

世間では姉弟でハグのようなスキンシップはしないと聞くが、このあまりにも儚く健気な弟を見ていると、到底信じられない情報だと思う。

恐らくは、それは母性本能の一種なのだと、今のところヒマリは認識していた。

今もまた、ヒマリは歯噛みし、抱擁の衝動を抑えねばならなかった。


 踵を返したユキオが、所定の配置に向けて移動する。

ヒマリら突入隊は、木陰に隠れたまま、彼らの配置完了をじっと待つ。


 秩序隊隊長の荒間は、後方指揮を執る。

音楽を用いた強化と主とする彼女は、基本的に前線には赴かず、後方からの支援に徹する形だ。

代わりに指揮を執る突入隊の隊長は、ヒマリから見て実力は今一と言った所だ。

位階こそ50前後はあるのだろうが、体裁きやにじみ出る魔力の運用がやや拙い。

位階はあくまで、その人間が持つ魔力の量を意味する。

位階とそれを運用する技術とは、必ずしも比例しない。

位階を上げるには鍛錬や魔物討伐が必要であり、多くの場合は結局技術が比例していくが、例外はある。


(促成栽培オンリー、って程じゃなさそうだけど)


 促成栽培――あるいは、パワーレベリング。

瀕死だったり身動きできない魔物を殺させ、位階を上げさせる行為。

あまりやり過ぎると技術が伴わない他、位階の上限が低くなりやすいと噂されるが、それでも行う者は少なくない。

特に一般人のうち富裕層は魔物退治の予定がなくとも、最下級魔物に殺されにくくなるために最低限のパワーレベリングをすることが多い。

逆に冒険者志望の子供はパワーレベリングを避けるため、場合によっては同い年でも冒険者志望の子供の方が位階が低い事さえあったが。


 位階50まで上げるパワーレベリングなど聞いたことがないが、30前後まで上げて、そこからは雑魚狩りを続けて限界近くまで位階を上げてきたのだろう。

今一頼りにならない隊長に、咄嗟の判断は自己判断を優先、と再度決断。

視線の動きで、妹と意志は同じと再確認する。


「……包囲隊が配置についた。各自突入準備。

 ……3、2、1、作戦開始」


 姿勢を低くし、駆ける。

前衛の反応の遅さに内心舌打ちしつつ、速度を合わせてホテルへと侵入する。

"自由の剣"が潜伏するこの廃ホテルは、5階建ての本館と、3階建ての分館に分かれる。

本館と分館は1階にある2本の連絡通路で繋がり、その間が中庭という形になる。

ヒマリとミドリは分館、城ケ峰とコトコは本館側に突入する形だ。


 分館側の裏口にたどり着き、ミドリ含めた後続を視認確認。

爆発物がないことを確認し、静かに玄関ドアを開け、内部に入り込む。

射程が短く防御力に優れたヒマリが先頭に、T字路で分断。

連携と位階の優れたヒマリとミドリのペアで進み、残る2小隊がもう一方に進む。

と、外で轟音。


(本館側で接敵か。分館側の相手も気づいただろうな)


 思うが早いか、視界内のドアが向こうから開く。

ドアの向こうは食堂、ある程度広い。

考えるより早く、ヒマリは地を蹴った。

数メートルの距離を瞬きの時間で詰め、ドアが開ききるより早くたどり着く。

回転しつつ裏拳、"よろずの殴打"で人影を、ドアが隔てていた"部屋と廊下の境界"ごと殴り飛ばす。

轟音。

廊下と食堂の間の壁が、全て砕ける。


「な……!」

「なに……!?」


 驚きの声が上がるより、さらに早く。

"陽光の泉"が内包する、光と熱の力が彼らに牙をむく。

固有術式の紋章が輝き、建物に入った時から隠密詠唱されていた、5本の閃光が放たれた。

近場の5人を狙ったそれは、熱の逆位置である超低温を内包した光線であった。

文字通り光の速度で迫るそれを防御も回避もできず、触れた5人はそのまま凍結。

コールドスリープの原理で、命を保ったまま完全に無力化されたのである。


「くそッ! こっちにも敵襲だ!」


 残り4人。

幹部級は1人、位階40ぐらいか。

残り3人は位階20-30前後。

叫びながら青い魔杖剣を翳す男を直接打破と定め、ヒマリはコンクリ床を蹴る。


「青い剣持ちが幹部想定!」

「おけ」


 遅れてミドリの放つ、3つの冷光線が宙を踊る。

構成員は慌て遮熱系の一般防御術式を張るが、術式が甘く、遅い。

2人は防御を貫通されて凍結、1人は防御を一瞬持たせるうちに飛びのき回避するも、片腕を凍結され、悲鳴を上げ崩れ落ちる。


「貴様らぁっ!」


 絶叫とともにヒマリに接近する幹部。

距離を取ればミドリの援護を避けきれない、と判断しての近接戦闘なのだろう。

しかし、こちらもまた、ミドリ以上に実力差のある死地である。

ヒマリは、幹部の剣を持つグローブが断熱材でカバーされた分厚い物であることを確認。

ジャブで"温度"を打撃、"よろずの殴打"による風圧に相当する温度圧というべきものが届き、冷気が幹部の剣から離れ幹部自身を襲う。


「なっ」


 扱う本人には耐性があるのだろう、それほど堪えた感じはない。

思わず止まった幹部に踏み込み、刃の側面に拳を入れ破壊。


「ふぅううう!」


 吐息。

跳ね上がるような蹴りを幹部の腹に叩き込む。

白目を向き2歩3歩と下がる男に、次いだ蹴りが顎に撃ち込まれた。

下顎が砕けた激痛と揺れる脳に、幹部はそのまま失神し倒れた。


「……冷気系持ちだから素手で触れるのは避けたけど、そこまでしなくても大丈夫そうだったかな?」

「まぁ、転ばぬ先の杖転ばぬ先の杖」


 言いつつミドリが光線を発射、幹部と一人残っていた構成員を凍結拘束する。

恐らく冷気耐性持ちだった幹部も、気絶してしまえば楽にコールドスリープさせてしまえた。

さて、とヒマリは辺りを見回す。

本館は5階建てで、別館は3階建て。

星衛の能力を考えれば高い建築物に居る可能性は低く、別館側に居る可能性が高い。

現状一階で一番大きな一部屋である食堂は制圧したが、動きがあるかどうか。

ミドリがコールドスリープの上から汎用術式で拘束をかけるのを尻目に、インカムを起動。


「チーム二階堂より報告。別館一階食堂を制圧、構成員8名と幹部1名の、計9名を拘束完了」

『了解。予定通り、続けて2階に……』


 ミシリ、と異音。

ハッと視線をやると、リノリウム張りの床に複数、亀裂と、緑色の芽が出ていた。


「ミドリ避けて!」

「……くっ!」


 瞬く間に、芽は直径数メートルはあるだろう大木へと成長。

メキメキとコンクリを砕きながら、床どころか天井を突き破る。

複数ある大木は、それぞれが複雑に絡み合いながら伸びてゆき、視界に大木の壁が途切れる箇所は見えない。

距離を取ることには成功したヒマリだが、ミドリや捕縛した幹部勢とは反対側に分断される形となる。

歯噛みするヒマリのもとへ、コツコツと、靴が床を叩く音が聞こえた。


「……なるほど、秩序隊では力不足だとは思っていたが……。二階堂姉妹が充てられたか」

「……星衛」


 男は、狩衣姿の中年だった。

こけた頬の痩せぎすの顔に、立烏帽子は被らず、センターで分けた黒髪を肩まで伸ばしている。

手には、紫色の宝玉が嵌められた、片手剣サイズの魔杖剣。

情報通りの星衛の姿であった。


『何があった! 応答しろ!』

「星衛と遭遇。今の大木でミドリと分断され、単独となった。これより応戦に入る」

『なっ、待て、応援を……!』


 インカムを切り、浅い呼吸を意識しながら星衛に向かい構える。

ちらりと、視界の端の大木に意識をやる。

さきほどちらりと見たところでは、最低限別館をまるごと横断する規模の、大木の壁だった。

1本1本は直径数メートルというところだが、複数絡み合っているのでどれほどの厚みかは分からない。

それでもミドリの火力であれば打ち抜けるだろうが、この大木を破壊できる規模だと、周りの秩序隊員の被害は免れないだろう。


(ユキちゃんが居れば……)


 ミドリ側にユキオが居れば、合流は然したる難易度はなかっただろう。

ユキオの運命の糸は、ミドリの火力に指向性を与える使い方もできる。

逆にヒマリ側にユキオが居れば、星衛との能力の相性で上手く立ち回れたに違いない。

特にユキオの切り札は、ヒマリの安心材料になっただろう。

秩序隊の判断に内心悪態をつきながら、ヒマリは目前の男に意識を切り替えた。


 "千草の剣士"星衛謙一。

位階70前後とされる、人魔大戦の経験者。

英雄級と異なり真の英雄と称される、古強者。

植物を自在に操る自己定義系の固有持ち。

位階で勝りながらも総合的には格上とも思える相手に、ヒマリは改めて気を引き締めた。




*




「……チッ」


 舌打ちの音。

待機時間が始まって10分も経っていないが、もはや何回目か数えるのも馬鹿らしいほどだ。

コールナンバーだけで、名前も知らない相手の二人に、内心溜息をつく。


 定められた包囲網の配置、僕は秩序隊2人と合わせた3人で、少し離れた森の入口あたりを守っていた。

本来であれば2人組を複数作って配置していたが、僕だけ秩序隊と合わせて3人。

そして事前に他の包囲網が気づく可能性が高い、少し外側の待機。

僕がテロ組織に同調するのではないかと、疑いの目で見ているのが丸わかりの配置だった。

普段感情を表に出さない父さんでさえ、あからさまな配置に少し険しい顔をしていたぐらいだ。


 まぁ、敵組織に同調しうる要素のある外部協力者が、その家族である上役による身内人事で、現場で味方に混じっている。

その観点から言えば、秩序隊員の態度にも理解はできた。

とはいえ、僕に警戒の過半を預けているようなので、もう少し包囲網として真面目な仕事をしてほしいというのが本音なのだが。


 と、不毛な時間を過ごして暫く。

轟音。少し間をおいて、もう一度。

接敵し始めたか、と思って身構えると、続けて別館から巨大な木々が生えだす。


「星衛か……。"千草の剣士"、ここまでできるのか」

「さすがに事前準備ありだろう。防衛側でこそ、という事だ」


 別館が発生源ということは、恐らく接敵したのはヒマリ姉とミドリ。

大木は百メートル以上に渡る壁となって分断を作り出しているので、二人が分断されたのだろう。

ミドリなら相性の関係で問題ないだろうが、ヒマリ姉が星衛に狙われたとなれば苦戦の可能性は高い。

とはいえヒマリ姉なら、自力の高さでなんとかできるだろう。

どちらかと言えば淀水と、あとついでに城ケ峰が狙われなかったことを喜ぶべきか。


 ――イィン、と、響く。知覚結界の反応。


 反射的に手を振り、糸針を複数射出。

銀閃が煌めき、金属音とともに針がはじかれた。

その結果を確認するまでもなく駆け出し、秩序隊二人の前に出て糸剣を生成、構える。

凄まじい速度で迫る影による袈裟斬りを防ぎ、鍔迫り合いの形となった。


「おー、コレを防ぐのか。やるねぇボウズの癖に」

「フッ!」


 吐息とともに、糸針を生成、射出。

半身に避ける男の、その刀を打ち払う。

続け男の足元に近寄っていた地を這う糸は、跳躍により回避された。

反応が早い、0からの生成射出では基本間に合わないか、と内心舌打ち。

距離ができ、お互いに構えながら、相手を見やる。


「あんたは……幹部の赤井か」

「おじさん、思ったより有名人だったのかねぇ……」


 青い作業着姿の長身の男。

真っ直ぐな黒い前髪は目を隠すほどに長く伸びており、無精ひげを空いた片手で撫でながら、ニヤニヤと笑っている。

位階はおおよそ60前後か。

打ち合った感覚でも、事前知識からも、格上と明らかに分かる。

そしてその固有は、国内でも有数の知名度を誇る。


「ならまぁ、おじさんの刀も知っているかなぁ」


 赤井が手に持つ刀は、黒光りする打刀だった。

ゆらゆらと刀を揺らしながら、赤井が作業着のポケットをまさぐり、瓶を取り出した。

投擲物かと身構えたが、違う。

瓶の中身は、赤黒い肉だった。

食肉のような処理はなされておらず、黄色い脂肪が鮮血に濡れ、赤井が瓶を揺らすのに応じてチャポチャポと垂れた血液が揺れる。

視覚的に悪臭が漂ってきそうなそれに目を顰めると、赤井は微笑んでみせた。


「これは、瓶入りの心臓だよ~」

「……ヒッ」


 背後で隊員の悲鳴。

続けて赤井がその刀で、瓶ごと心臓を突き刺して見せた。

刀が、脈打った。

金属がまるで生きているかのように、ドクドクと脈打つ。

次第に、瓶の中の心臓が萎れ黒く染まっていくにつれ、刀が赤く染まり始めた。

おぞましい光景に、思わず顔が険しくなるのが分かる。


「……"血吸い鎌切"か」

「正解だよ。よく勉強してるなぁ、ボウズ」

「勇者物語にも出てくるぐらいだよ、誰でも知ってるさ」

「……今度、取材料でも貰いに行こうかなぁ」


 器物系固有"血吸い鎌切"。

かつて皇国を襲った四死天の"水と疫病"との戦いで、人類側として猛威を振るったと聞く。

斬った相手の血を吸って強化され、持ち主の傷と疲労を癒す特殊な打刀。

侵攻開始から四死天討伐までの間、一睡もせずに戦い続け、人類を守り続けた英雄の力。

父さんも直接顔を合わせた事はないそうなので、僕としては眉唾物と考えていた力だ。

しかしこうして実物を見ると、本当にそれほどの力があったかもしれないと感じる。

持ち主の名前は今回の事件で初めて知った訳だが、この露悪趣味の男を英雄扱いしたくなかったとすれば、理屈は通るだろう。

知りたくなかった勇者物語の裏側に、内心顔を引きつらせた。


 赤井が、刀を振るい、瓶を捨て去る。

気づけば"血吸い鎌切"は、その刀身全てを深紅に染めていた。


「じゃあ、やろっか、ボウズ」


 と同時に狙われるのは、当然僕……ではない。

言葉を聴くと同時に、跳躍。

金属音。

残っていた隊員を狙う剣戟を防ぐが、先ほどと膂力が段違いだ。


「おや、おじさんの狙いに気づくもんなんだねぇ」

「"血吸い鎌切"は相手を斬れば斬るほど、血を吸って強くなる……。斬りやすい相手から順に斬っていくのは、当然予想できるだろ」

「有名税って辛いなぁ」


 嘯く赤井だが、その膂力は本物だ。

万力を込めて剣を押し込もうとしているのだが、鍔迫り合いは僕の劣勢で、徐々に刃が僕に近づいてきている。

内心舌打ち、犬歯を合わせて唇を開き、首を振るう。

近場の森の木々を支点に、視認できないほど細く、糸を展開。

噛み合わせた歯で糸を振るい、赤井の首を狙う。


「うお危なっ」

「……!!」


 が、察知したのか狙いを読んだのか、屈んであっさりと回避。

一瞬早く体制を整えた僕は、糸剣を小手斬りの形で振るうが、それも容易く撃ち落される。

次ぐ、打ちあがってくる死の刃。

しかし僕は、小手を撃ち落された時点で、すでに古い糸剣を手放し新たな糸剣の生成を始めていた。

どうにか剣を差し込み、血吸いの刃を防ぐ。


「おおぉぉおっ!」


 そのまま姿勢を下げる肘の動きで、宙に張った糸を押し込む。

森に予め用意した罠が発動、葉の間に隠していた糸針が、赤井目掛け襲い来る。


「げげ!」


 が、それすらも赤井に傷をつける事すら叶わない。

容易く僕の糸剣を打ち払い、そのままの剣の軌道で糸針を迎撃。

更に僕へ追撃しようとして、停止。

後方へ全力跳躍、大きく距離を取ってみせた。

足元で、先の古い糸剣が解け、赤井を拘束する罠となりかけていたことに気づいたのだろう。


「ボウズの武器、ズルすぎないか? なんでもアリすぎるだろう」

「全部避けるアンタのほうが100倍ズルいだろ……」


 息を整えながら、歯噛み。

一撃でも貰えばさらに相手が強化される上、最悪傷を回復される可能性すらある。

だというのに、先ほどからこちらの攻撃は全て危なげなく回避され、逆に攻撃を貰う寸前だった。

位階の差以上の、経験の差。

攻撃の、防御の、展開の予測と行動決断が早すぎる。


 頭を振り、弱気になる内心を捨て去る。

次いで、振り返ることなく背後に叫んだ。


「アンタたちは、さっさと逃げるんだ! 生半可な増援は足手まといだ、英雄級以上を連れてきてくれ!」

「え、その、ユキオ、あんた、俺を庇って……」

「いいから早く!」


 叫びながら、糸を編む。

空中に作られた支点をもとに、編み込まれた布が生成、隊員を狙い飛んできた赤黒い血の短剣を防いでいた。

そのまま布を折り込んで血液を捕まえようとするが、寸でのところ所で取り逃がしてしまう。

戻ってくる血の短剣を回収しながら、赤井はヒュウ、と口笛を吹いた。


「ユキオ、つったか? 油断も隙もねーな、ボウズ」

「斬れば斬るほど強くなるアンタが、敵を逃がす理由がない。そう考えれば、飛び道具での追撃ぐらいは予想できて当たり前だろ」

「それができない奴、結構いるもんだぜ? まぁ、そーゆーのは大抵死体にしてきたけどさぁ」


 嘯きながら、赤井はゆっくりと距離を詰め始めた。

準備時間を力にできる僕相手に、時間を与えたくないという所なのだろう。

僕は静かに剣を構えつつ、迎え撃つ形をとる。

僕としては、父を含む増援を待つ形で問題ない。

対し赤井は罠塗れであろう森に突入する前に僕を排除したいが、遠距離戦では埒が明かないと考えたのだろう。


 ゆっくりと歩く赤井が、次第に速度を速め、そして突如トップスピードに。

跳躍、足元の糸の罠を回避しながら僕に向け斬り下ろしの一撃。

後方に跳躍して回避した僕を、飛来する血の短剣が狙う。

斬りはらうが、その隙に開けた距離をつぶされ、袈裟の剣戟が振るわれた。


「――フゥゥッ!」


 勢いよく息を吐きながら、跳躍の着地をつま先だけで行う。

重心を一気に前に倒し、体を投げ出す勢いで姿勢を低くし、回避。

そのまま、糸剣の柄を青白く光る地面に叩きつけた。

反発の勢いで、跳ね上がるような突きを放つ。


「なっ!?」


 肉を切る感触。

咄嗟に振るわれた反撃を回避し、距離を取る。


 それは、三重の詐術だった。

一つは、地面の下から生えるような角度で差し込まれる突き。

通常の剣戟で飛んでこない角度からの突きは、意識の裏側にあり防御の意識が一手遅れる。

一つは、事前に仕掛けた地面の糸罠。

柄を叩きつけた地面には、最初の攻防で仕掛けられた小さな糸のトランポリンがあり、跳ね上がった突きは相手の予想外の勢いで射出される。

一つは、糸剣の刀身を伸ばす技。

突きの一瞬で伸ばせる刀身は精々10cm程度だが、近距離戦闘においては恐るべき間合いの破壊を生む。


 想定外の角度からの攻撃、と思わせておき想定外の速度の一撃、と思わせておき物理的に間合いが伸びる、想定外の間合いの攻撃。

想定外を重ね相手の処理能力を殺す、三重に詐術を重ねた、僕の対人の必殺剣と呼べる技。

条件が厳しくそうポンポンと打てないが、上手く地面の糸罠に誘導して放てたそれは、確かに赤井の喉を大きく抉っていた。

勢いよく鮮血が噴出し、そして……。


「……"血吸い鎌切"……だから、か」


 血が、空中に浮いていた。

昔に見た、無重力化の映像みたいに……血が、シャボン玉のように空中にとどまり浮いていた。

異様な光景に、思わず足が止まる。

そのまま巻き戻しの映像を見るかのように、血が赤井の喉元に巻き戻り……そして、喉の傷がプクプクと泡立ち始める。

ものの数秒で泡が消えたかと思うと、そこには元通り、傷がふさがった喉が見えていた。


「お゛う゛……ん、んん! おう、見ての通り、血を吸えるコイツは、ある程度血を操れるのさ」


 見れば、先ほどよりも"血吸い鎌切"の赤味は薄くなっている。

時間経過、というよりも。


「逸話の傷を癒すというのは……新しい血じゃなくて、ストックの血でもできた、ということか」

「まーな……。いやぁ、今のはおじさん、ビビッたぜ。あと少し深ければ、即死してたかもしれん」


 ニヤリと微笑む赤井に、冷や汗が滲んでくる。

奴相手に二度同じ技が通用するとは思わない。

最大の対人剣技が必殺に繋がらなかった以上急所からの即死を狙うのは厳しく、通常はリソースを削り殺すしかない。

しかし、格上を相手にリソース勝負になれば、敗北は必至。

なによりこちらが一撃受けるたびに相手のリソースが回復するとなれば、勝負にもならないだろう。

時間を稼ぐにしても、一方的にやられるだけでは厳しいものがある。

不利すぎる状況に、どうすれば、という言葉だけが頭をから回る。


 それでも表情だけは、こちらも余裕の笑みで取り繕う。

それが効いたのか、悪かったのか。

赤井は、くるり、と刀の刃を返した。

自身に刃を向ける形に。

前髪で隠された顔は、口元のニヤニヤとした笑みしか見えない。


「しゃーない、おじさんももうちょい本気で行くか」


 しゃっ、と。

赤井は、何気ない仕草で、自身の口を引き裂いた。

耳までつながりかねないほどの深い傷に、鮮血が溢れ、赤井の頬を染める。

しかし傷跡から大きく離れた血は全て"血吸い鎌切"に吸い込まれ、脈打ちながらその刀身をより赤く染めていく。

故に傷の周りだけが真っ赤に染まって……。すぐにそれは、酸化し黒く染まっていく。

それは、まるでピエロのメイクのような、大げさな大きさの唇と化していた。

黒い前髪で目を覆い隠した、裂けた大口を黒い口紅で塗りつけたような様相。

悪夢に出てきそうな、狂貌だった。


 どすん、と。

それは重い物を押し付けられた感覚に似ていた。

遅れて、熱さ。

焼けるような熱さが腹部の、内側で。

その辺りで、ようやく赤井が既に目の前に居る事に気づく。


「じゃあな。楽しかったぜ、ボウズ」


 すぱり、と脇下から熱さの元が抜けていく。

いや、斬られたのだ、圧倒的な速度で。

突き、腹部を刺しぬかれて、そのまま脇下から切り抜けられて。


「お、ぼ」


 咳、とともに血塊が吐き出される。

立っていられない。

膝をつき、思わず傷を抑える。

確実に、内臓が傷ついた……いや、切断された。

致命傷。

その言葉が脳裏をよぎり、意識が――。




*




「あー疲れた疲れた。まぁ、行きがけの駄賃に、もう2,3人は斬っておくか」


 呟き、赤井は動かなくなったユキオの前を離れた。

彼の血を吸いつくさないのは、単なる趣味である。

若手であるユキオならば、ここから少し成長すれば、もう少しギリギリの戦いができるかもしれない。

赤井の切り札である"死神の狂貌"を引き出すほどだったのだ、それはそれは楽しい戦いになるだろう。

ここから生き残れるかは五分五分といった所だろうが、そうなれば後の楽しみとなるだろうと。


 赤井の索敵術式の精度はそこまで高くないため、基本は五感を使った索敵となる。

足跡に踏みつぶされた草、よほど急いだのか、痕跡を隠す様子はさしてない。

大陸での魔族狩りより楽だなこりゃ、とぼやきつつ、赤井は隊員を追った。

追跡開始から数分、インカムに怒鳴りつける二人を発見する。


「いやいやもうちょっと距離取ろうぜ~」


 独り言とともに"血吸い鎌切"を構える赤井。

"死神の狂貌"は既に切れているが、一般隊員ごときには必要ないだろう。

リソースもかなり消耗してしまったが、目の前の二人を吸いつくせばある程度は回復する。


 踏み込み、突く。

片方の隊員の腹部を貫通、ごぽり、と男の口から血があふれた。

勿体ないな、と思いつつも、赤井は趣味を優先させる。


「お前は~」


 ぐるり、と下を向いていた刀を、内臓をかき混ぜながら反転。

空気が流入し、血が大量に零れるのを尻目に、一気に切り上げる。


「上半身の開きぃ~」


 一閃。

遅れて、噴水のように血を吹き出しながら、一人の隊員の上半身が、左右に分かれた。

べろり、という擬音が似合う動きで、中身をこぼしながらゆっくりと下に垂れてゆく。

遅れて、ようやく自分が死んだことに気づいたかのように、下半身が力を無くし、ひざをついた。


「ひ……ひゃあぁあっ!?」


 絶叫し、もう一人の隊員が崩れ落ちた。

どうやら腰を抜かしたようで、ひざ下だけ使って距離を取ろうとするが、大した距離は稼げていない。

普段の赤井なら、指をさしてゲラゲラと笑う光景なのだが。

先の若い英雄との闘いの火が消えていないのか、今一興が乗らない。


「んー、つまんねぇな。さっさと斬ってから、ゆっくりと吸い付くして……」


 と、"血吸い鎌切"を構えなおした、その瞬間である。

ヒュ、と。

覚えのある風切り音。

反射的に姿勢を下げ、遅れて頭上で、一瞬前まで首があった場所を、見覚えのある糸が通り過ぎる。


「……オイオイオイオイ」


 赤井は、自分の頬が自然と笑みの形を作り出すのを感じた。

残っていた隊員が悲鳴とともに逃げ出すのを尻目に、振り返る。

満身創痍のユキオが、そこに立っていた。


「まだだ……!」


 腹部から脇を抜けていった傷跡は、青白く光る糸で縫合され、上から糸布で覆われていた。

恐らくは、その奥にあるだろう内臓の傷もまた縫合されて。

いや、と赤井は頭を振る。

あの糸は、恐らく回復系の汎用術式も込められている。

とすれば、いわゆる鋭い傷である刀傷は、内臓側を優先し、既に回復されている可能性すらあった。


 無言で赤井は、試しに"血吸い鎌切"を素振りした。

血を吸う異能の射程は約20m程度。

範囲内に居るユキオの傷からは、しかし血を吸うことは敵わない。

吸い込めた血は、自身についた血と、先ほど切った隊員の死体の血だけだ。

先ほど血の短剣を糸布で防いだ時から分かっていたが、ユキオの糸布は赤井の血液操作を遮断するような効果がある。


 重症を負ったまま、応急処置だけで無理やり動くユキオ。

対し赤井は傷こそ回復しているものの、傷の回復と"死神の狂貌"でリソースを消費しており、今吸収した隊員一人分込みでも残る血の力はさして多くない。

どちらも残る力は少なく、しかし戦意も殺意も衰えるどころか、ますます燃え上っている。

死闘の予感に、赤井は口元を大きく歪めた。


「ククッ……! 楽しませてくれるじゃあないか、ユキオォ!!」



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