春告国の桜姫

仏座ななくさ

序幕 桜姫の旅立ち

 桜の花びらがふりそそぐ。

 数十年前は薄紅色だったはずの花弁はいまやほとんど真っ白になっていて。淡くちいさな輝きは地面に落ちれば溶けていく。

 空を見上げれば天のほとんどを覆っている桜の枝と花々のすき間から陽光が降りそそいでいる。本来は私たちの身を焼いてしまうほどの輝きをやわらげる役目もまた、桜大樹さくらたいじゅのものだった。


 ──そして私、雛乃は今日桜大樹のふもとにある御所ごしょ薄桃殿うすももでんへと向かう。


 迎えがきている門へと歩みを進めるのは未だ十五・六ほどの年端の少女。黒い髪と紅色の瞳をもつ彼女は白と薄桃を基調にした桜模様の着物を重ね、ずいぶんと窮屈そうに歩いている。彼女が向かう先にはこの街にすむほとんど全てではないかと思うほどの人々が集まっていた。


「お雛!」

「ばか、呼びすてとか無礼だぞ。栄誉ある桜姫さまに選ばれたんだ」

「桜姫さま。どうかこの度の宵花よいはなの儀の成功をお祈りします」

「この国の桜の恵みがまた百年つづくことを願って」


 頭をさげる人々の意識はみな一様に雛乃へと向けられていた。これまで着たことのないような重たい衣裳いしょうにも増して肩が重くなる。

 買い出しをしていた時にこっそり小さな最中もなかをくれた団子屋のおばさんはうるんだ目でこちらを見上げている。

 領主さまのお屋敷に来ては使用人にいばっていやがらせをしていたおじさんは、大きかった肩をこれでもかと小さくして何度も頭を下げてきた。


 この国に舞う花吹雪は真っ白で、先代の桜姫の力はほとんど残っていない。この国に豊穣ほうじょうをもたらせるかどうかは私次第なのだと、直接の言葉ではない期待と圧力がしきりに降り注いでいた。


 許されるのなら逃げ出したい。大事なお役目だとわかっているが、だからこそ有力株だとうたわれていた三の姫さまではなく私が選ばれた理由は今でも分からなくて。


「……ありがとう、精一杯努めさせてもらうわ」


 だからといって、無理です出来ませんとやる前からしりごみして拒絶するのは雛乃の性根にあわなかった。

 ──何より、そんなことを言えば隣に立つ男が何をいうことやら。


 視線を右上寄りに向ければ、半歩後ろに控えていた狩衣姿の男が前にでる。精悍せいかんな顔立ちと白銀の髪、霊人れいじんならではの尖った耳が特徴的だ。美しいかんばせに彼をよく知る町の人たちから黄色い声があがった。


「もう迎えがきている。別れを惜しむのは終いだ。……行きましょう。桜姫さま」


 男……ずいの青い瞳が涼やかにこちらを見る。

 とってつけたような敬語にどうしようもなく腹が立つ心地を覚えたのはこれで何度目か。


 分かっている。ずいは自分のなすべき使命を果たしているだけだ。

 宵花の儀を無事に終えるその日まで、桜姫を守護する《武》と《術》のお役目。いずれも名家の中から特に優れた若者が選ばれるという。ここ寒緋かんひ領の領主の第一子であり、護法隊の中で唯一の氷術の達人ともあらば、彼が《術》のお役目を任されるのも自然なこと。


「言われずとも分かっております。瑞さま」

「敬称は不要だ。雛乃さま。あなたはもう我が寒緋かんひ家の使用人ではなく、桜大樹に選ばれた桜姫さまなのですから」

「…………」


 その物言いが気に食わない。まだいつものように雛と呼んで、皮肉げに笑って嫌味をいってこられた方がいい。原っぱに寝ころんだまま、お役目など面倒なことは御免だと不敵に笑ってみせればいい。それなら私だって文句を言い返しやすいのに。


 寒緋家の一使用人としての人生に不満があったわけではない。だというのになぜ私が選ばれてしまったのか。誰にもいえない不満をこぼす代わりに、途切れることなく降りそそぐ桜大樹を見上げた。

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