第5話 閑話 航空計器について

 初めての総員査察に合格したのは、全体の四分の一にあたるおよそ二百名だった。その中には、勿論我らがシャルロッテも含まれていた。

 総員査察後に実施されたのが適性検査だった。この適性検査は、候補生を操縦員コースと偵察員コースに振り分けて、操縦分隊と偵察分隊に再編成して専門教育を実施するために行われるものだった。検査の内容は、現在でも会社や職業訓練所等で実施されているものと同じクレペリンテストと身体検査である。身体検査は多岐に渡っていた。まずは、握力や背筋力、視力や肺活量と言った身体能力の測定等の検査。次に眼球検査。これは斜視ではないかどうかや視野を確認する精密検査、視覚反応を見る検査などである。次は平衡検査。これは機器を使って静平衡と回転機による動平衡を検査するものである。その他にも、運動神経に関する検査や観察力、計算力等の検査も行われた。シャルロッテはいずれも検査結果は良好どころか超優秀であり、教官たちは彼女に対して大いに期待した。

 さて、シャルロッテは操縦分隊に配属された。そこで、遂に念願の飛行訓練が開始されることになった。とは言え、いきなり素人を飛ばすはずはない。まずは、地上操縦練習機による航空機の操縦練習と操縦感覚の取得が行われるのだ。この地上操縦練習機とは、現在で言うところのシミュレーターである。まだデジタル技術の無い時代であるから、アナログの機械式のものである。

 最初は飛行機のコクピットを忠実に再現した席につき、指示された角度の旋回操作を繰り返し行った。これらの操作が目を瞑っていてもできるようになると、次はコクピットにカバーが掛けられ、気流設定もなされた。これは模擬的な夜間の計器飛行状態を再現したもので、相当操作は難しくなった。

 シャルロッテは目を輝かせ、ドキドキしながら訓練に臨んだ。模擬とは言え、コクピットに乗って飛行機を操縦できたことに、シャルロッテは空軍士官学校を志願した思いがようやく満たされたようだった。運動神経の良い彼女は皆に先んじて訓練を完了させ、次の段階である滑空機による訓練に移った。

 滑空機は動力を持たない飛行機で自力では離陸できない。そこで、金属製のワイヤーロープを取り付け、他の飛行機が曳航することにより離陸する。飛行機の上昇とともに滑空機も上昇していく。六百~九百mほどの高度に達したところで、滑空機側でフックを操作してロープをはずし、飛行するのである。

 滑空機訓練の目的は、航空機において共通する六つの計器、すなわち対気速度計、高度計、水平儀、定針儀、旋回計、昇降計の読み取りが行えるようになること、そしてトリムやフラップなどのコントロール装置の使い方を学ぶことにある。これらを習得すれば、どのような航空機でも操縦できるようになるからだ。

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 六つの主要な航空計器の内、対気速度計、高度計、昇降計の三つは気圧を測定するもので、ピトー静圧計器と呼ばれている。名前の由来は、三つ全てがピトー管と呼ばれる静圧ポート(吸気管)に接続されていることによる。ポート(吸気管) から、それぞれの計器内部に外気を取り込んでいる。航空機が上昇すると気圧は下がり、降下すると気圧は上がる。この気圧の変動を高度計では高度として、昇降計では上昇率または降下率として表示されるのである。また、対気速度計は、静圧とラム圧の差を計測するためのものである。ラム圧とは、外気がピトー管に取り込まれる際に発生する気圧のことである。航空機の速度が上がると、外気がピトー管に流れ込む速度も上がりラム圧が上昇する。対気速度計には、静圧とこのラム圧の差が対気速度として表示されるのである。

 残りの三つの計器は、ジャイロスコープを使用して航空機の高度、針路、旋回の割合などを示すため、ジャイロ計器と呼ばれている。ジャイロスコープには、空間に対する方向保持性と摂動という二つの特性があり、この特性を航空計器として利用している。

 水平儀と定針儀は、ジャイロの “空間に対する方向保持性” の原理を利用した計器である。傾きに抵抗するというジャイロの性質を利用して、実際の水平線または特定の方向を常時示している。旋回計は、ジャイロの摂動を利用して方向と旋回率に関する情報を表示している。

 当時のほとんどの航空機では、エンジン駆動の真空ポンプによって、水平儀と定針儀の中にあるジャイロが回転するようになっていた。ジャイロとは、軸が枠に取り付けられている回転する円盤のことである。回転する円盤にはその状態を保とうとする性質がある。これを“空間に対する方向保持性”と呼ぶ。例えば、回転しているコマはこの原理を利用して直立を保持しているのである。また、回転する円盤にはもうひとつの特性がある。それが摂動である。回転するコマの軸を横から押すと、その力に対する抗力がコマに生じ、押された方向から 九〇度の方向にコマが動く。例えば、手放しで自転車に乗っているときに、曲がりたい方向に体を傾けると自転車もその方向に曲がることが知られているが、これも摂動の効果である。 摂動は予測可能な動きなので、ジャイロ計器にその原理が利用されている。これらの計器の読み取りには熟練が必要なので、滑空機訓練でこれらの読み取りを学ぶのである。

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 それでは、各計器について細かく見て行こう。まずは高度計だが、これは海面を基準とする高度を示すように設計されており、この値は標準大気状態における海面高度を示している。実際の気温と気圧が標準大気状態と一致することはほとんどないので、操縦者はさまざまな高度に関する理解を深め、標準ではない状態で発生する高度計の誤差を修正する方法を知っておく必要がある。

 次に水平儀であるが、これは別名姿勢計とも呼ばれている。水平儀に取り付けられたジャイロは水平方向に回転していて、航空機がバンク、上昇、降下すると、実際の水平線に対する回転方向を維持しようとする。この原理を利用してピッチとバンクの情報を同時に表示するのである。ただし、水平儀だけでは、航空機の水平飛行の維持や、上昇および降下を確認することはできない。水平儀は、水平線に対する航空機の姿勢だけを示している。飛行経路については、対気速度計、高度計、定針儀などの他の計器のデータも含めて、総合的に判断する必要があるのだ。

 定針儀では中のジャイロが垂直方向に回転している。針路を示すコンパスカードは、航空機が旋回してもその方向を保とうとする。そこで、このカードの見た目上の動きによって、パイロットはすばやく正確に航空機の針路と旋回方向を読み取ることができる。ただし、定針儀は磁針路を測定できないため、コンパスがなければ役に立たないという点に注意を要するのだ。磁気コンパスだけが地球の磁場を読み取ることができるが、コンパスは、加速、減速、および地球の磁場のひずみから生じるさまざまな誤差の影響を受けやすく、乱気流の中や大きな姿勢変化を伴う飛行の間は特に読み取りにくいため、逆に定針儀の助けが必要になる。

 旋回計は、ジャイロ部分と傾斜計と言う二つの計器から成り立っている。ジャイロ部分は、航空機の旋回率つまり方向転換の速度を示す。航空機が旋回すると、力がかかるためジャイロが摂動を起こす。旋回が速ければ速いほど摂動も大きくなる。この摂動の大きさを表示しているのである。次に傾斜計(滑り指示器とも呼ばれる)だが、これはボールの入った管からできている。旋回の際にかかる力のバランスがとれていて、航空機が調和飛行を行っている場合は、滑り指示器内のボールは二本の垂直参照線の間に留まっているが、ボールが旋回に対して内側に動く場合は、機体が内滑り(スリップ)しており、ボールが旋回に対して外側に動く場合は、機体が外滑り(スキッド)をしていることがわかる。

 昇降計は、航空機が上昇または降下する際の高度変化の速度を示している。昇降計は静圧システムに連結されており、昇降計内部の気圧は、航空機が上昇すると低くなり、降下すると高くなる。 計器内部では、密閉されたウエハーが気圧の変動に応じて膨張、縮小している。ウエハーが伸縮すると、ウエハーに連結されている指針が回転して上昇率および降下率を示す仕組みになっている。ウエハーには小さな調整孔があり、この穴によってウエハー内の気圧と昇降計内の気圧が等しくなる。ウエハー内の気圧が計器内の気圧と等しくなると、指針は0に戻り、水平飛行をしていることを示すのだ。ただし、昇降計だけを見て、水平飛行を維持しているかどうかを判断することはできない。航空機が上昇または降下を始めると、昇降計は上昇または降下を正しく示すが、航空機の動きよりも遅れて反応するため、昇降計の値が航空機の実際の上昇率または降下率を表示するまでには数秒かかってしまう。そのため、昇降計よりも対気速度計と高度計の方が、水平飛行から外れた場合に正確な数値が即座に表示されるため、信頼できる。この二つの計器と昇降計を交互にチェックすることで、航空機が適切な割合で上昇または降下していることを確認しなければならないのだ。

計器類の概要は以上である。次にトリムコントロールについて説明してみよう。トリムコントロールとは、航空機を一定の速度や姿勢に保つ必要があるときに、トリムを使用すると、パイロットが操縦桿などの操縦装置に力をかけ続けなくても、これらを特定の位置に保持することができることを指す。機体が水平巡航飛行を維持できるように正しくトリムを取っている場合は、時折発生するバンプや針路の小さな修正のために操縦桿やペダルで微調整する以外は、手放しで飛行することができる。しかし、出力を上げると機体は加速し、より多くの空気が尾翼上を流れるため、機首上げ傾向が発生する。そのため、高度を維持するために操縦桿を向こうに倒し続けなければならない。また、逆に出力を下げると、機体は減速し、尾翼上を流れる空気が減少するため、機首下げ傾向が発生する。この場合は、高度を維持するに操縦桿を手前に引き続けなければならない。こうした姿勢を数分間以上続けるのは、パイロットの大きな負担になる。そこで、機首上げ傾向が発生した場合は、水平尾翼についている動翼=昇降舵エレベーター上を流れる空気が発生させる力の変化を補正するエレベータートリムを下げて尾翼にかかる負圧を補正し、逆に機首下げ傾向が発生した場合は、そこで、エレベータートリムを上げて尾翼にかかる負圧を補正してやるのである。トリムコントロールを行う場合、パイロットはトリム操作用のホイールを回転させてトリムタブを動かした。機首下げ方向にトリムを作動させるには、ホイールを前方または上方へ回転させる。逆に機首上げ方向にトリムを作動させるには、ホイールを後方または下方へ回転させる。トリムホイールを動かすと、トリムタブは操縦翼面と反対の方向に移動する。エレベーターを上昇位置に保つには、トリムタブを下に動かしてやればよいのである。

 次にフラップを説明しよう。フラップは主翼を変形させ、揚力と抗力を増加させる装置である。この二つの力を増加させることによって、航空機を低い対気速度で飛行させたり、速度を上げずに急角度で降下させたりすることが可能になる。フラップは、主翼の後縁部から下方に向けて折り曲がるよう造られている。それによって主翼の湾曲率、つまりキャンバ(翼断面の反り)が増すため揚力が増加する。また、フラップが下がることで抗力も増加する。ほとんどの航空機では、フラップを五~十五度下げると、よりすばやく離陸させることができる。また、フラップを 二十度以上下げると、揚力よりも抗力の方が増加するので、着陸はフラップを 二十度以上下げて行うことになる。ただし、フラップを下げたり上げたりした場合、ピッチを調整する必要が生じる。たとえば、フラップを下げると、機首は上がる傾向があるので、機首を水平に保つためにヨークを向こうに倒し、さらに操縦桿の操作を補助するためにトリムコントロールを使用する。 同様に、フラップを元に戻すと機首は下がる傾向にあるので、操縦桿を手前に引き、機体が安定したらトリムを使用して操縦桿の操作を補助するのである。ちなみに、フラップはスピードブレーキとして使用するものではない。フラップを下げられる最大速度よりも速いときに操作すると、フラップに構造的な損傷をもたらすことがあるので注意しなければならない。

 最後に、飛行中の機体の向を変えるには、どんな操作をしなければならないかを説明しよう。航空機が上空で曲線を描いて向きを変えることを“旋回”と言う。旋回を行うための手順を説明する。

 まず、操縦席の足もとにペダルがある。これを“ラダーペダル”と言う。これは垂直尾翼についている方向舵ラダーを動かすためのもので、飛行中に機体の向きを変えるときに使用する。左側のペダルを踏んでラダーを進行方向に向かって左に振ると航空機の機首は左に、反対にラダーを右に振ると機首も右に向く。しかし、ラダーペダルを操作するだけでは、機体を旋回させることはできない。機首の向きをラダー操作によって変えたとしても、機体全体が方向転換するまでには必要以上に時間がかかってしまう。そこで主翼に装備されているエルロン(補助翼)を使う。操縦桿を操作すると、エルロンが作動する。エルロンは左右の主翼の後ろ縁に取り付けられている動翼で、上下方向にパタパタと動く。飛行中に右主翼のエルロンを下げると、逆に左主翼のエルロンは上に向く。このとき、エルロンを下げた右主翼は揚力が増加して翼は上に持ち上げられ、エルロンを上げた左主翼は揚力が減少して下に引っ張られる。その結果、機体は翼を下げた左側に傾き、空中を横滑りするような形で移動していく。このように、航空機はラダーによる機首の方向転換とエルロンによる横滑り移動を組み合わせることで、左右に旋回する。ちなみに機体を傾ける角度のことを“バンク角”と呼び、バンク角を大きくとればとるほど、小回りな旋回になる。

 なお、前記した水平尾翼のエレベーター(昇降舵)は、飛行中に上に向ければ機首は上がり、下に向けると機首は下がる。機体の上昇・下降をコントロールするのがエレベーターの役割である。操縦桿を引き起こすとエレベーターは上を向き、引き倒せばエレベーターは下を向くようになっている。

 このようにパイロットは、両手両足を使って主翼のエルロン、垂直尾翼のラダー、水平尾翼のエレベーターという三つの「舵」を操作して鳥のように自由自在に空を飛ぶ。そのため、常に厳しい訓練を重ねる必要があるのだ。

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