第42話 醤油と肉じゃが

 激論を交わした翌日から義行たち三人は、慌ただしい日々を過ごしていた。マニュアルの確認とアップデートに始まり、その複写作業。さらには種芋の催芽さいが処理だ。

 今後は基本的に農家の自主性に任せるとしたのだが、鬼になりきれない義行は、催芽処理は城で行い持ち込むことにしたのだった。


 その他の細かい準備を終えた二週間後、義行たちは芽だしを終えた種芋とタマネギの種を持って開拓地に向かった。


「皆さん、今日は秋植えポテの下準備と、タマネギの種を配布します。ただ、初めにこちらをお渡しします」


 義行は、全員にポテとタマネギの栽培マニュアルを手渡した。


「魔王さま、これは?」

「これは、ポテ、そしてタマネギの栽培記録を纏めたものです。これをどのように使うかは皆さんにお任せします」

「これを見て勝手にやれということかいのお……」

 そう不安そうに聞いてきたのは、未経験者の一人だ。

「いえ、これまでどおりシルムは週に三日はこちらに常駐します。しかし、シルムがいないときでも作業ができるようにと思い作成しました。これを読んで不明な点があれば遠慮なく相談してください」

 それを聞いた未経験者の表情は、穏やかなものに戻った。

「ここで指導を始めて数ヶ月が経ちました。振り返ってみると、我々が一方的に押し付けるばかりでした。その部分を反省し、今後はお互いが意見を出し合い、改善できるところは改善していきたいと思っています」

「なるほど。そういうことであれば、我々は構いませんよ」


 この説明を聞いた自由組の五人は、ニヤニヤしていた。

 しかし義行はそれを見ても、気にすることなく話を進めた。


「今日の作業ですが、マニュアルの二番目です。ちょっとした事情があり、催芽処理は我々で行いました。次回からは皆さんで行うことになるので、後で必ず読んでおいてください」


 義行は、『必ず』の部分を強調してからポテの種芋とタマネギの種を配っていった。

 ここで、『作業を委託するんだから、その下準備までしてこい』と文句の一つでも出るかと義行はビクビクしていた。しかし、誰からも文句は出なかった。それもそのはずで、種芋とタマネギの種を受け取った自由組五人と契約変更のない経験者のうち三人は、そそくさと自分の家に戻り始めていた。


 義行はその姿を静かに見守った。

 最終的にその場に残ったのは経験者二名、そして未経験者三名とマリアさんだった。未経験者は本当に作物を栽培すること自体、経験者の二名にしてもポテの栽培は初めてのことだ。マニュアルとにらめっこで処理をしている。


「あの魔王さま、この切り方のところがようわからんのだが?」

「大きい種芋なら、二等分から三等分しましょう。実験結果から、分割した種芋が五十グラムほどあった方がいいようです」

「魔王さま、注意事項に『切らずに植える方法もある』と書かれていますが?」


 そこに気付いたのは経験者の一人だった。参考として記述した部分だったが、しっかり読んでいるようだった。


「秋植えは分割しない方がよい可能性もあります。これについては今後、シルムやノノを通じて情報共有します」

「この、切り口を乾燥させる作業は、省略するとよくないんですか?」

「実験の結果を精査しましたが、わずかですが発芽率に差が見られました。切断後に乾燥させるのは、種芋が腐るのを防いだり、病気にならないようにという目的です。植え付ける個数が多くなれば、そのロスも増えます。わずかな手間で収穫量が変わるならやらない手はありません」


 ここも経験者の一人が、「それはもっともなことだ」と賛同してくれている。ある意味、シビアとも言えるかと義行は思った。


「タマネギも、このマニュアルどおりでいいですか?」

「そうですね、できれば苗にしたものを定植したかったたんですが、準備する余裕がありませんでした。だだ、昨年は直播きで栽培しましたので、大丈夫かと思います」


 残った農家は、ここであらかた種芋を切り終え、笊に乗せて持って帰っていた。

 すべての指導を終え、義行たちは屋敷に戻った。裏庭で麻袋の中を確認すると、百五十個程の種芋が残っていたたため、二面分の予定を一面に減らし植え付けることにした。


 こうして食糧増産の第一歩をスタートさせた義行は、もう次の目標に向かっていた。

 この日、義行は朝からウキウキしていた。仕込みから約十一ヶ月、醤油はこれが最後の工程になるはずなのだ。

 味噌は一度味見をしているので、問題がないことはわかっている。さらに料理の幅を広げるには、この醤油が必須なのだ。


「マリー、昨日お願いした袋や木枠の準備はできてる?」

「ばっちり熱湯消毒してるっすよ」


 メイドたちは、義行がなぜここまでウキウキなのかはわからないだろう。しかし、日本人の義行からしたら一大事なのだ。


「よし、じゃあ蓋を開けるぞ」


 義行は静かに蓋を持ち上げた。

 するとあの懐かしい香りが。


「あー、これこれ。これぞ醤油の香り。懐かしいー」

「あの、魔王さま。醤油はこの国にはありませんでしたよ?」

うことを言ってはいけません!」


 これには四人もドン引きだった。

 思わぬ失言を、呆れされるという手法で乗り切ることに成功した義行だった。


「マリー、どうだ、この香りは?」

「いや、どうだと言われても、味噌のときもそうだったすけど、なんとも……」


 周りを見回してみると、クリステインたちも微妙な顔をしてこちらを見ていた。


「魔王さま、これででき上がりなんですか?」

「いや、これはまだ諸味もろみといって、すべてが混ざった状態だ。ここから搾り作業をするんだ」


 そう説明をしながら、義行は手早く諸味を布袋に詰めて搾り用の箱に並べていった。


「これにおもりを乗せて、三日から五日かけて醤油を搾りだす」

「まだ時間が掛かるんすか?」

「そう慌てるな。最高の肉ポテを食わせてやるから」


 義行は諸味を詰めた箱を台所の隅に置いて、醤油が抽出されるのを待った。


 抽出具合を確かめつつ、三日ほどで抽出が完了した。しかし、まだ諸味に醤油が残っている感じがする。


「力を加えて搾ってもいいのかな……。マリー、この袋に圧力を加えられるようなものない?」

「魔王さま。そこの蓋を押し当てて、残った液体を搾りだせばよろしいのではないでしょうか」


 クリステインが、「フンッ」と掛け声一つ圧搾していく。


 これを見て、クリステインを怒らせてはダメと義行は心に刻んだ。

 ただ、このクリステインの圧搾のお陰で、最後までしっかりと搾り取れた。


「魔王さま、この、袋の中身は食べられますの?」

醤油粕しょうゆかすか。旨みは全て醤油の方に出てるから、そのまま食べてもおいしくないらしい。ただ、乾燥させてウシの餌に使えるぞ」

「じゃあ、研究してみますね」


 義行は搾った醤油を鍋に移し、三十分ほど火を入れてゆっくり冷ましていった。

 その間に、ミャーコと荒節の出汁を取るようにマリー頼み、義行自身はポテ、玉ねぎ、そしてイノシシの肉を準備していった。


「本格的に食べられるのは、秋植えポテが収穫された十二月になってからだろうけど、作り方は今のうちに覚えておいてね」

「わかったっす」

「まずポテと玉ねぎを炒める。人参があれば、人参も入れていいよ。炒めたら出汁を入れて煮込む。煮ていると灰汁あくが出てくるから丁寧に取ってね。次に味付けだけど、まずは砂糖だけね」

「醤油は入れないんすか?」

「この段階では砂糖だけにしておいて。そして、ここで薄切りにした肉を入れる。そしてワイン。正直、どのくらいが適量なのかわからないので、作っていく中で調整かな」

「赤でも白でもいいんすか?」

「そこも要研究だな。で、最後に醤油で味付けだ。これででき上がり。火から外して自然に冷ます」

「工程自体は単純すね。重要なのは調味料の分量っすね、やりがいあるっすよ」

「冷ましながら時間が経つと、味が染み込んで美味しくなるからな」


 味をしみこませている間に米が炊かれ、干物もつけた夕食になった。

 テーブルでは肉ポテがいい香りを放っていた。


「ポテが残り少ないんで、量は少ないが食べてみてくれ」


 と言ってはみたが、誰も手をない。いまではポテの嫌悪感はなくなったものの、見知らぬ醤油のせいか、はたまた色味のせいなのか箸がなかなか伸びない。


 しかし、料理番マリーは違った。


「あはっ、出汁と醤油と砂糖が絶妙のバランスで、すごくうまいっす」

「むふふっ、そうだろそうだろ。これが肉ポテだ」


 これを見てか、ノノ、シルムやクリステインも肉ポテに手を付けた。


「あらホント、このお醤油って、お出汁と相性がいいんですわね」

「ぐぬっ。マヨネーズ以上の調味料が存在したとは……」


 皆の反応を見て、次の段階に移れると義行は確信した。


「マリー、醤油と味噌だけど、来月新たに仕込むんだが、当面は今日搾ったものと保存庫にある分しかない。うまくやりくりしてくれないか?」

「あら魔王さま、そんな心配は不要ですわ」


 ノノが自信満々に宣言する。


 食後の茶を飲み終えた義行とマリーは暗い中、ノノに押されながら食糧保存庫に向かった。


「ジャジャ~ン。ご覧くださいですわ」


 小部屋の左右に棚が作られ、同じような木桶が数十と並べられている。


「ノノ、もしかして?」

「はい、そのもしかしてですわ」


 義行は仕込んだ醤油の攪拌のために、何度も食糧保存庫に足を踏み入れていた。だが、この小部屋のことは全く気付いていなかった。


「これ、どうしたんだ?」

「昨年、味噌と醤油を仕込んだ後、シトラさんに見てもらいながらコウジカビを採取して、私とシルムで少しずつ仕込んでいったんですわ」

「これだけあれば、来年まで十分持つっすね」

「いやいや、醤油なんて毎日大量に使うものじゃないから、幾らか販売してもいいくらいだぞ」

「試験販売してみるっすか?」

「それいいな」


 と言ったものの、いきなり販売しても使い方も味もわからないだろうとなり、試食会を開くとが決定された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る