第29話 シャケナベイベー(鮭と米だべー)

 あと少しで十月だ。この国唯一の田んぼも黄金色に染まってきた。今年も天候に恵まれ、イネ以外の作物も順調に生育してくれた。


「本当に凄いですよね。あの一本の苗がこんなに。触ってみると、中身が詰まってるのがわかります」

「うまくいったみたいだな。来月初旬を稲刈り予定にしよう」

「これで作業は終わりですか?」

「いや、最後の水管理として落水らくすいがある。簡単に言うと、水を止めることだな。出穂しゅっすいして三十日前後を目安にしてね。ただ、水を落とすのが早いと完熟不足、逆に遅いと熟れすぎになるから注意な」


 ノノとシルムがメモを取ったり穂の状態をスケッチしている中、義行はモカたちを呼んだ。


「おーいお前たち、こっちおいでー」


 呼ばれたモカたちが『クワックワッ』言いながら義行の方へ集まってくる。


「お疲れ様。来月の稲刈りに向けて今日から田んぼの水を抜くけど、どうする。川に戻るのか?」

「クワクワ」

「わかった。まあ、いつでも遊びに来い。来年もこの田んぼはあるからな」

「クワッ」


 田んぼから上がったモカたちは、用水路の縁に作られた日光浴台に移動して行った。


「あのモカたち、絶対に魔王さまの言ってること理解してますよね?」

「俺もよくわからん。田植え後に現れて、働くっていうから居てもらったけど、俺がなにか言えば動いてくれるんだよな」

「……」

「来年も来るかもな」


 田んぼの水を落として十日が経った。その間、雨が降ることもなく登熟は順調に進んだ。そう、それが意味するところは稲刈りだ。


「魔王さま、この状態が収穫の目安ということですか?」

「ひとまずね。今後のデータ次第で変わることもあるだろうけどね」


 今日の稲刈りを一番喜んでいるのはノノとシルムだ。特にシルムは、一番大変な芽出しを経験したこともあり、今にも田んぼに飛び込みそうになっている。


「それじゃ、収穫は去年のとおりやってくれ。俺は、稲架はさを準備するんで、刈り取った稲は一旦リヤカーにでも乗せておいてくれ」


 去年も稲刈りをしたメイドたちは手慣れたもんだ。しかし、初参加のシルムは刈り取った稲を纏めるのに苦労しているようだ。


「マリーさん、この紐をこっちからこう持ってきて、えーと、どうするんでしたっけ?」

「ああ、そこはそうじゃないっす。ここで縛って、稲をこう持って、クルクルーっと回転させて、下から通して輪っかを作るっす。ムフーッ!」

 マリーが先輩風を吹かしている。

「おやおやー。マリー先生、去年それができなくて泣いてませんでしたっけー?」

「まっ、魔王さま。泣いてないっす。ちょっと聞いただけじゃないっすか。シルム、魔王さまの言うことを信じちゃダメっすよ。ちょっとだけ、ちょーっとだけ聞いたんすよ。そしたら、もう、ちょちょいのちょいっすよ」

「ふふっ、でも去年よりは上手くなってるな」


 一度覚えてしまえば、それほど難しいものではない。その後はシルムも難なく稲刈りをこなしていった。僅か二枚ほどの田んぼなので、一時間もかからず収穫と稲架がけまでが終えた。


 そして案の定、翌日に筋肉痛で動けなくなったのは義行だけだった。


 一日ベッドで過ごした次に日の朝、いつもの時間に食堂に向かった。


「あら、魔王さま。もう少しお休みした方がよろしいのでは?」

「そうですよ、おじいちゃん。無理はダメっすよ」

「こら、誰がジジイじゃ。若いもんには負けんぞ!」

「魔王さま、『若いもん』なんて言う時点でジジイです」


 三対一では分が悪い。義行はさっさと飯を食って食堂から退散した。


 稲刈り以降の天気もよく、イネの乾燥も順調に進んだ。そんなある土曜の昼、義行は一人市場を歩いていた。フリッツ商店は、今日も店主自ら販売に立っている。


「フリッツさん、調子はどうですか?」

「魔王さま。塩はいつもどおりですが、干物が……」


 フリッツさんが指さす先には、魚を扱う店があった。しかし、川魚もそれほど出回っていないはずだ。


 義行はフリッツさんと別れ、その店に行ってみた。


「あれ、鮭じゃないですか」

「さけ? これのことですかい?」

「ええ、そうです」

「今日取れたサーモですよ」

「(どうせなら、「ン」までつけろ……)そこの川で採れたんですか?」

「へい、この時期は川を上ってくるんです」

「それなら、お腹の膨れたのを一匹まるまる売ってください」

「毎度あり」


 スキップしながら屋敷の玄関前まで来たとき、半ドンで退勤する職員の流れに逆らって執務棟に入るサイクリウスを見つけた。業務命令で、土曜日も休みにしてやろうかと考える義行だった。

 ただ、ちょうどよかったので呼び止めた。


「サイクリウス、ストルピの様子はどうだ?」

「彼なら初日に乳しぼりをした後、塩づくりに向かったまま行方知れずでございますよ」


 義行はやり過ぎたかと思った。それが顔に出ていたのかもしれない。


「まあ、彼もあそこまで主張したんですから、いいじゃありませんか。切られる前に自分から辞めたんでしょう」

 サイクリウスは平然と言ってのける。

「だが、大臣がいないんじゃまずいだろう?」

「それが問題なく業務は回っております」

「じゃあ、大臣はなしで」


 大臣がいなくて回る部署というのも問題な気もしたが、義行はこの先のことも考えていたので、話を切り上げ台所に向かった。


「マリー、台所使うぞー」

「あれっ、サーモじゃないっすか」

「市場で見かけてな。買ってきた。マリーはさばけるのか?」

「いつも切り身を買ってくるんで、捌いたことはないっす」

「そうか、じゃあ見とくといい。あ、ざるとぬるま湯を準備しておいてくれ」


 義行はぬめりがなくなるまで鮭を洗っていく。その後、鮭の肛門部分に包丁を入れ腹を裂いていった。


「うほー、いいすじこが入ってるねー」

「魔王さま、これ食べられるんすか?」

「あれ、食べないの?」

「いや、いつもは切り身を買ってるんで、こんなのが入ってるって知らなかったっす」

「これはすじこだ。鮭の卵だな」

「へー」


 語尾に『す』のないマリーは珍しいなと義行は思った。


「で、すじこを取り出したら、内臓とエラ、腎臓をスプーンで掻き出してよく洗う。次に頭を落とし、中骨に沿って包丁を入れて半身、ひっくり返して同じようにすると三枚おろしの完成だ」

「鮮やかな手さばきっすね」

「いやいや、もっと褒めたまえ」


 小鼻ぴくぴくの義行である。


「こっちのすじこはどうするんすか?」

「これは湯にくぐらせて、ポロポロになったら水でしめて塩漬けにする。ちょっと食べてみるかい?」

 マリーは数粒口に放り込んだ。

「うーん、よくわからないっす」

「塩いくらは通の食べ物なんて言われるからな。明後日にでもご飯と一緒に食おうか」


 塩いくらを瓶に詰めたあと、義行たちは脱穀作業に入った。昨年との違いは量だ。今年は二面分もある。

 ノノとシルムが脱穀作業をしている間に、義行は森の中に入っていった。


「ヴェゼー」

「魔王さま 呼んだ?」


 最近は、呼べばすぐに来てくれるようになった。


「今日、お米を炊いて食べようと思うんだ」

「わかった。アニーとスプリーに 伝える」

「シトラさんも呼んであげなさい」

「ブー」


 まったく……、面白い子だ。

 屋敷に戻り、おかずの準備を始めたころ裏口のドアがノックされた。


「魔王さま りんご 取ってきた」


 四人と一緒に食堂へ入る。すると、シルムの目がヴェゼとシトラさんを往復する。


「シルム、紹介するよ。シトラさんだ。シトラさんは……」

「ヴェゼの姉でーす」


 その設定は大丈夫なのかと義行は思ったが、ギリギリいけそうではあった。


「シルム ちがう。この人のこと 信じちゃだめ。私の母親」


 さすがにヴェゼから修正が入った。


「もうヴェゼったら、いけずー」

「えーと、シトラさんは川向うの山。そこのボスだ」

「ちょっと、魔王さま?」

「あれ、違いました? まあ、このように楽しい人だ」


 シトラさんの紹介も終わり、義行は簡易冷蔵庫から鮭の切り身を取って来た。


「マリー、新作料理を教えるぞ」

「わかったっす」

「そんなに気合を入れる必要はない。ものすごく簡単な料理だ」

「鮭の切り身に小麦粉をまぶし、とき卵を絡める。それにパン粉をつけて油で揚げる。ソースはタルタルソースだな」

「へー、簡単すね。切り身を買ってくればすぐっすね」


 ついでに鮭のムニエルも教えた。


「これは鮭の切り身に小麦粉をまぶして、油を敷いたフライパンにバターを入れて焼き上げる。マリー、なにかソースって作れる?」

「簡単なものなら」

「じゃあ、それを作っておいて」


 手早く二品作って、新米と一緒に食堂に運んでいく。

 久しぶりに豪華な夕食になった。特に、サーモンフライは大絶賛された。ただそれは、タルタルソースのお陰のような気もした義行だ。その証拠に、みんな口の周りにタルタルソースを付けまくってた。

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