第26話 バターそして冷蔵庫
干物の作り方は伝授した。ここから先は、フリッツさんと町民のやる気にか掛かっている。日本人なら、やはり米と魚だ。干物でもいいので、魚が食べたかった義行だ。
そして、今日は以前から考えていたことを実行するため朝食後、マリーと洞穴の保存庫に向かった。
「魔王さま、今日は『バター』ってのを教えてくれるんすよね?」
「この国はパン食が中心だから、結構使えると思うぞ」
「バター自体を食べるんじゃないんすか?」
「どちらかと言うと、調味料的な使い方かな」
『調味料みたい』と聞いたマリーが、「パンに調味料すか?」とまずそうな顔で聞いてくる。
「でき上がりを食べて見ればわかるよ。そうそう、作るのにはちょっと体力を使うから覚悟しろよ」
義行とマリーは殺菌処理しておいた牛乳を持って食堂に戻り、そっとテーブルの上に載せた。
「マリー、牛乳を涼しい場所に一日置いたものだ。ちょっと濃くなった感じがしないか?」
「うーん、なんとなく?」
透明な桶なら判別しやすいのだろうが、そんな物は無い。わかりやすくするために、義行は上部の濃くなったクリーム部分だけを慎重に掬って別の瓶に移した。
「これでどうだ、明らかに色の違いがわかるだろう?」
「ホントっす、残った方は色が薄いっす。一日置いてただけっすよ?」
「牛乳の中の脂肪分は、他の成分より軽いから浮いてきたんだ。残ったこれは脱脂乳で、こっちの濃い液体がクリームだ」
「脱脂乳?」
マリーは、クリームより脱脂乳に興味を示した。
「ちょっと飲んでみるか?」
義行は、別のコップに少しだけ注いだものをマリーに渡した。
「ほのかに甘味があるっす。でも、牛乳よりあっさりしてて物足りないような……」
「まあそうだな。牛乳の中の脂肪分の大半が、こっちのクリームにきちゃってるからコクがないって感じかな」
「これは捨てちゃうっすか?」
「捨てるなんてもったいない。栄養の大半は、この脱脂乳に残ってるんだぞ。ただ、今回使うのはこっちのクリームだけどね」
義行は台所に行き、蓋つきの持ちやすい形の瓶を取って来た。
「さて、ここからマリーの出番だ。瓶の半分くらいまでクリームを入れて蓋をする。で、少し湿らせた布でくるんで、マリー、この瓶を上下に思いっきり振るんだ。瓶を落とすなよ」
マリーは気合一発、瓶を上下に振り始めた。
大事なのは一気に力強く振ることだ。なので義行は、その役をマリーに任せたのだ。
「そう、そうだマリー君。もっと、もっと強く振るんだ。君ならできる。勝利を掴むんだ」
熱血体育教師の如く、声援だけ送る義行。
「はいーっす」
こんなときでも語尾は忘れないマリーを、義行は感心して見ていた。
そんなやり取りをしつつ五、六分ほど経っただろう。
「ま、魔王さま。バ、バシャバシャ音がしなくなったっす」
「よしいいぞ、そのままもう少し振り続けて」
「こ、今度は、バ、バシャってお、音がしたっす」
さすがにマリーでも、パワー『強』で瓶を振り続けるのはきついようだ。
「もうひと踏ん張り、あと少し頑張ってくれ」
「魔王さま。も、もう腕が……」
「よし、もういいよ」
合図と同時にどかりと椅子に座り込み、肩で息をするマリーに義行は容器の中を見せてやった。
「マリー見てみろ。成功だ」
瓶の中には、いい感じの塊ができていた。
「これがバターだよ。こっちの水分は避けておいて、この固まったほうを食べるんだ」
「こっちの水みたいなのはなんすか?」
「これはバターミルクっていうんだ」
「これも飲めるんすか?」
「勿論。味はやっぱり薄い牛乳って感じかな」
「脂肪分がないんすね」
「パン生地を
このときマリーの目がキラッっと光ったが、義行は気づかなかった。
義行は台所から塩と皿を持って来て、瓶からバターを取り出した。それを二つに分け、片方に塩を加えた。
「塩をいれるんすね?」
「パンに塗って食べるなら、塩を入れたバターの方が合うんだよ。今日のお昼に食べるぞ」
続けてもう一桶分のクリームからバターを作った義行は、みんなが揃った昼食時に今日の成果の発表をした。
「これがバターだ。こっちが塩を足したもの。こっちは塩なしだ」
食べ比べのために、義行は両方をだした。
「あら、ただパンだけの時より断然おいしいですわ」
「これは! 牛乳がこんなものに化けるとは。さすがです魔王さまです」
ノノもクリステインも豪快にバターを掬い、パンに塗りたくっている。
「あぁ……ノノ、そんなにパクついたらダメっすよ。これ作るの大変なんすから」
マリーの苦情が入るが、ノノは「こんな美味しいもの、毎日お願いしますわ」と呑気に返事を返す。
「まおうさまー」
さすがにマリーから泣きが入った。
「まあ、その頑張れ。暇なときは俺も応援してやるから」
「応援じゃなくて、手伝ってほしいっす……」
バターは高評価を得たが、マリーの仕事が増てしまった。ただ、バターはクリステインやノノでも作れる。一度やらせてみれば、バター作りの大変さがわかるはずだ。
昼食後、紅茶を飲んでいるとマリーから、「こっちの脱脂乳は、結局、なにに使えるんすか?」と聞かれた。
「簡単なのは、バターミルクのときにも言ったが、パンの生地に混ぜ込むとおいしいパンになるかな。あとは、クッキー生地にいれたり、シチューなんかにも使えるぞ」
「シチューっすか?」
「作り方は簡単だ。ポテや玉ねぎ、あれば肉も。それを炒める。次に小麦粉と脱脂乳を加えて煮込んで、最後に味調整だな」
「スープみたいな物っすね。それなら量を消費できるっす」
「他にも、チーズが作れるんだが、材料がな……」
「それは仕方がないっす。無駄にならないのなら問題ないっすよ」
昼食も終わり、皆が午後の仕事に向かう。義行も定例会議に出席するため、会議室に向かった。
そんな一日が終わり、夕食後に今日の記録をつけてから義行は床に就いた。
その夜、トイレに行きたくなり廊下を歩いていると、台所のドアの隙間から明かりが漏れていた。そっと覗いてみると、マリーが一心不乱にメモを取っていた。『無理すんるんじゃないぞ』と思いながら、義行はそっとドアを閉じた。
その翌日の朝、食堂に行くとマリーがしょんぼり顔でこちらを見てくる。
「魔王さま、バターがドロドロっす」
「あちゃー、どこに置いてた?」
「台所の調理台の上っす」
もう八月の中旬な上、台所だとこれは仕方がない。
「なにかマズかったすか?」
「バターは常温でも保存はできるんだが、温度が高いと溶けちゃうこともあるんだよ」
「それじゃあ、使った後は保存庫に持っていくのがいいっすか?」
「それが無難だが、使うたびに取りに行くのも面倒くさいよな」
これにはマリーも頷いている。朝昼晩となると、相当な手間になる。
「でも、あそこがあるだけでこの時期の食糧保存は助かってるっすよ」
朝食を取りながらのマリーとの話を、クリステインは口を挟まず聞いていた。『魔王さま、お仕事です』の命令が下るかと思っていたが、それはなかった。
部屋に戻って自分が持つ知識を義行はほじくり返してみた。地下に保存庫、雪をため込んで氷室、氷穴を利用するといったことしか思い出せない。完全に行き詰ってしまった義行は、裏庭に出た。庭では、ノノが大きな植木鉢に畑の土を入れていた。
それを見てピコーンときた義行は、ノノを楽しい実験へ
「ノノ、植木鉢の予備ってあるかな?」
「あら、魔王さまもなにか植えられますの?」
ノノも変な実験に付き合わされるとは微塵も思ってないだろう。
「いや、冷蔵庫を作る。このくらいの深さで、素焼きの鉢と
義行が思い出したのは、気化熱を使った電気を使わない冷蔵庫だ。この国は湿気が少なく、適度に風が吹くので効果があると予想してのことだ。
「大小取り揃えてますわ」
ノノと義行は、執務棟の脇にある倉庫に入る。そこには、玄関前に並べてある植木鉢が保管してあった。
「確か、大小二つの鉢が必要で、内側に入れる鉢は釉薬がかかっている方がよかったはずだから……」
ノノに聞いてみると、倉庫の奥から、素焼きと釉薬のかかった大きめの植木鉢を持ってきた。
「ちょうどいいな。ノノ、これと同じものをあと二組用意してくれないか」
一組は義行が持って倉庫を出て、砂を探し始めた。裏庭にはいくらでもある。それっぽいものをかき集めて、義行は気化熱式冷蔵庫づくりを始めた。
「♪大きーいー 鉢のなーかに」
「♪小さいー 鉢を入ーれてー」
「♪まわりに 砂を入れるーのーよー」
ノリノリで作業を進める義行を、背後から静かに見つめるノノだった。
「これで砂に水を含ませる。いや待て、水を含ませたら重くなる。先に設置場所を決めた方がいいな。ノノ、直射日光が当たらなくて、風通しのいい場所ってどの辺かな?」
「裏庭は北側で、壁際であれば直射日光は当たりませんし、風もとおりますわ」
それを聞いた義行は、納屋に大工道具を取りに行き、鶏小屋拡張の余りの木材で棚と囲いを作った。囲いはない方がとも思ったが、丸見えなのも気持ち悪かったのだ。隙間から風はとおるだろうという勝手な想像も入ってる。
「ノノ、さっき俺が作ったみたいに、その二つを仕上げてくれ。あ、重くなるから、先に棚に置いてから作業するといいよ」
十五分もかからず、三つの簡易冷蔵庫ができ上がった。
「食材を収納した後は、濡れた布で口を覆うんだよな。植木鉢全体か? いや、気化熱を使うから普通に考えたら内側の小さい鉢だよな」
そんなことを考えていると、裏口から出てきたマリーに「まーた変なもの作ったんすか?」と言われた。
「おいおい、変なものとはなんだよ。うまくいけば、バターや牛乳の保存期間が延びるぞ」
「この植木鉢で?」
マリーは、冗談でしょという目で見てくる。
「ただの植木鉢じゃないぞ。明日を見ておれ。ということでマリー、保存庫に行くぞ」
「俺っちもちょうど行くとこっすよ」
二人は食糧保存庫に向かった。ここは涼しくていいが、やはり少し遠い。
義行としては、肉や魚を入れて効果を確かめたいところだが、失敗しては食材が勿体ない。結局、バター、牛乳、そしてポテ数個を持って戻った。
「そうだマリー、麦茶ってできてる?」
「できてるっすよ」
義行は台所から瓶に詰められた麦茶と、ついでにマヨネーズ瓶も持って来た。なんだかんだで、冷やして保存したいものがあった。
「これらを入れて、布を被せて蓋をする」
「魔王さま、外に出してるとよくないっすよ?」
誰しもそう思うだろう。
「大丈夫だ。絶対の保証はないがな。明日の結果で驚くことになるぞ」
義行はウキウキしながら振興部に戻り、量産に向け簡易冷蔵庫のマニュアルを書き上げた。
次の日の朝食後、マリーとノノを連れて簡易冷蔵庫の前にやってきた。
「マリー、布をめくって手を入れてみな?」
別に食わるわけでもないのに、恐る恐る手を入れるマリーだった。
「えっ……、冷たいっす」
マリーは眼を見開いて見てくる。義行も、目を瞑って手を入れてみる。保存庫よりやや冷たく感じた。
「すごいっすよ。食糧保存庫より冷たいっす」
「できれば、もう少し下がってほしいところだが、これが限界かな」
「まだ、冷たくなるっすか?」
「最適な環境と設置場所があれば、まだまだ下がるぞ」
義行はキンキンとはいかないまでも、普段より冷えた麦茶をコップに注いで二人に渡してやった。
「まあっ、冷えてておいしいですわ」
「今の季節は、冷えた麦茶がいいいっすね」
「一日に数回、この砂の部分に水を入れてやる必要があるんだが、これだけ冷えれば一時的だが肉も保存できるだろう」
「いちいち保存庫まで行かなくていいのは楽っすね」
「この大きさだと量は保存はできないから、腐りやすい物を中心に入れておけばいい」
実験は成功だった。洞穴の保管庫に比べるとはるかにスペースは小さいし、温度も少し低い程度だが、上手く使えばかなりの効果を発揮すると義行は思った。
※数日後の昼食時
「今日のパン、おいしいですわ」
「明らかに味が変わったね」
「えへへ、脱脂乳を入れたパンを作ってみたっす」
「上手く活用できてるみたいだな」
「ただ、三頭のウシから牛乳を搾ってるから、量があり過ぎて困ってるっす」
「毎日だもんな。でも、
「そうなんすね」
しかし、義行はあることを思いついた。
「マリー、午前中は時間に余裕があるか?」
「あるっすよ」
「よし、牛乳たっぷりパンを大量に作ってくれ。昼に城の職員に販売しよう」
「そんなことしていいんですの? サイクリウス様に怒られますわよ」
「別にいいじゃん。捨てるのはもったいない。お金にして城に貢献しよう」
翌日から売り出したところ、めちゃくちゃ売れた。でも、サイクリウスにめちゃくちゃ怒られた。
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