第24話 牛乳

 先日作った紅茶だが、すぐに売り切れると思ったら、今の時期は麦茶の方があってるということであまり飲まれていない。なので、義行がちびちびと飲んでいる。


 食後にストレートティーを楽しんでいると、ノック音が響いた。


「はいは~い、優雅にティーを楽しんでま~す。って、裏口か?」


 そんな呑気な雰囲気の義行とは対照的に、このときのクリステインの行動は素早かった。既に箒をもって裏口に向かおうとしている。


「うほっ、なんか戦うメイドっぽいぞ。これはこれでありだな」

「ちょっと魔王さま、なに呑気なことを言っているんですか。こんな時間に、それも裏口……。怪しいでしょう」


 クリステインは静かに食堂のドアを開け、裏口に進んで行く。

 だが、義行は来訪者の予想がついたので、紅茶を飲みながら待つことにした。そもそも、怪しい奴がノックなんかするわけないのだ。


 そして、クリステインが裏口のドアを開いた音が響いたそのときだった。


「魔王さま 大変」

 食堂にアニーが姿を現した。

「アニー、どうしたんだ?」

 義行は普段どおりに話しかける。

「大きい茶色 いっぱい来た」

「茶色?」


 義行は、以前アニーが『茶色が来た』とか言っていたのを思い出した。


「今朝 何頭か 移動始めた」


 そんな話をしていると、クリステインが食堂に戻ってくる足音がする。するとアニーはパッと消えた。


「魔王さま、怪しい者はおりませんでした」

「そう。じゃあ、俺は一回部屋に戻るよ。マリー、なにか持ってきてくれるかい?」


 ニヤニヤしながらマリーにお願いすると、いつもよりニヤニヤしながら「了解っす」っと返事が返ってきた。


 義行は自分の部屋に入り、一声掛けた。


「アニー、大丈夫だよ。出ておいで」


 ドアの前にスッとアニーが現れた。

 取り合えずソファーに座ってもらい、義行が机の椅子に腰かけたとき、マリーが紅茶とパンを持って入ってきた。


「なあアニー、クリステインとは何度も会ってるだろう。なにがそんなにダメなんだ?」

「皆といっしょのとき 大丈夫。でも 一対一のとき 『グヘへ』がキモイ!」

 それを聞いた途端、マリーが噴き出した。

「きっ、キモ、キモ……」

「おっ、おい、マリー。だっ、黙っとけよ」


 マリーは笑い過ぎて、「キモイ」と言えなくなっている。

 そんな会話と紅茶に安心したのか、アニーも平静を取り戻したようだ。


「それで、大きな茶色が移動してるって?」

「屋敷の方に 向かってる」

 ありがたいことに、向こうから来てくれているようだ。

「今どのあたりかわかる?」

「まだ 森の西側。奥の方」


 この辺まで来るのは十時頃だろうと当たりを付けた義行は、作業着に着替えて森に向かった。

 森の入口を過ぎたころ、アニーが姿を現した。なんとも便利な機能だ。そのままいつもの空き地に向かっていると、ヴェゼも現れた。


「アニー もうそこまで来てる」


 思いのほか移動速度は速かったようだ。


「ヴェゼ、あとどのくらいでくると思う?」

「三十分 ううん 十五分」


 空き地に到着した義行は台所からくすねてきたパンを二人に渡し、倒木に腰かけて待った。いつもなら嬉しそうに食べる二人が、今日は周囲を警戒しながら食べている。


 そんなとき、アニーが反応した。


「魔王さま 来る」

「アニー、大きい茶色が来たら、この場所に留まるように話ができるか?」

「わかった」

 

 そこから五分も経たずに、八頭のウシがやってきた。


「魔王さま。この子たち 飼うの?」

「この子たちは、牛乳を出してくれる役に立つ動物だ。どうにかして手に入らないかなと思ってたんだよ」


 義行は、「明日の昼にまたここで」と約束して屋敷に戻った。


 ニワトリのときは、少々クリステインに怒られた。なので、今回は事前に話しておくことにした。ただし、義行の中では飼うことは決定事項だ。故に、策を弄しても面倒になると思い、ズバッと直球勝負に出ることにした。


「えー、皆さん。明日からお友だちが増えます。仲良くしてください」


 一斉に冷ややかな目を向けられ、身悶える義行だった。


「冗談です。明日、ウシを受け入れます。彼らは牛乳を出してくれます。余りやりたくはないですが、お肉も取れる有用な動物です」

「かしこまりました。なにか準備するものはございますか?」


 誰一人疑問を呈することもなく、あっさりと受け入れが決まった。それはそれで『おかしくね?』と思う義行だ。


「まずは牛舎だな」


 相談の後、義行は日が落ちるまで牛舎作りに専念し、基礎まで完成させた。

 夕食後は、ウシとニワトリの管理・繁殖・流通を考えていたら深夜十二時を回っていたので切り上げ、義行はベッドに潜り込んだ。


 それでも、翌朝六時前に起きて義行は食堂に向かう。


「魔王さま。本日ですが、昼にウシを受け入れるということでよろしいですか?」

「はっきりした時間はわかんないけどね。マリー、またお弁当用意しておいて」


 今日の予定を話していると、外が賑やかになってきた。


「あれ、今日はなにかあったっけ?」

「ウシが来るっす」

「そんなんで人が来るのか?」

「初めて見る動物が来るんすよ。一大事っす」


 義行は裏口から外に出た。大男数人が丸太や角材、切りそろえられた板をニワトリ小屋の近くに運び込んでいる。


「魔王さま、申し訳ございません。私の方で勝手に手配しました。専門家ですので作業は早いかと」

「いや、クリステイン。ありがたいんだけど、お金は……」

「ご心配には及びません。塩のおかげで、年間使用予算が多少増額されています」


 サイクリウスとフリッツさんで、利益配分の相談がされていたようだ。丸投げして正解だったと義行は思った。


「彼らには簡単な説明をしておりますが、詳細な図面がほしいとのことです。籾すり機を作った棟梁ですので、信頼していただければ」

「そりゃ面白い。ちょっと教えてみるか……」


 義行は図面を見せるとき、釘を使わないほぞ組みや筋交すじかいの入れ方等々、木造建築の基本を教え込んだ。

 やはり職人だ。一瞬で理解し、あっという間に壁まで組み上げてしまった。


 そんな小屋作りに夢中になっていると、マリーに昼前だと告げられ、慌てて森に入った


「魔王さま 待ってた」

「ごめん遅れた」


 義行はまずウシの状態を見て回った。雄が二頭、雌が三頭、仔ウシが三頭いる。仔ウシはホントに産まれたばかりなのか、よちよち歩いていた。


「それじゃ屋敷に連れていくか」


 ヴェゼとはここで別れて、ウシを連れて屋敷へ戻る。その途中、ひょいっとアニーを持ち上げ、ウシの背中に乗せてみた。


「はわわわ」

「大きな動物とかに乗ったりしないのか?」

「しない。飛べるし」


 なんともファンタジーな言葉が出てきた。気にしたら負けだと思った。


 乗せられたウシの方も嫌がってはないし、このまま移動することにした。

 途中、ウシがあっちゃこっちゃ行くのを抑えこみつつ、一時間ほどかけて裏庭まで戻った。そこに待ち構えていたのは……。


「魔王さま、おかえ…り……、いやーん、アニーちゃーん」


 あからさまに嫌そうな顔をしたアニーが、パッと見えなくなった。


「おい、クリステイン。アニーが可愛いのはわかるが、少しは自重しろ」

「なにを言ってるんですか、魔王さま。ウシの背中に乗ったアニーちゃん。エンドルフィン出まくりです」

「ヤバッ、マジもんやん」

「なーにーかー」

 義行は、一瞬で体中の毛穴が開くのを感じた。

「えへへっ。お口チャック」

 茶目っ気たっぷりにチャックを閉める仕草をする義行だった。


「アニー、放牧場には大工連中がいるから、念のため、このまま姿は隠しておいた方がいいぞ」


 近くにいるだろうと思い、声だけ掛けて義行はウシを誘導していった。ウシたちは、俺に付いて来ているというより、見えないアニーに付いて来ているようで、無事放牧できた。


「おう魔王さま、お帰り。取り合ず、丘の途中くらいまで囲ってる。牛舎は屋根が半分だな」

「ありがとうございます。で、申し訳ないんですが、明日も作業をお願いしていいですか?」

「三日ほど取ってるんで、問題はないですぜ」

「ついでに、あのニワトリ小屋の拡張もお願いしたいんです」

「小屋の拡張ですかい? 材料が足らねーな……」

「アクサス、それなら明日は休養に充てなさい。私の方で材料を手配しておきます」

「さすがお嬢、話が早い。残りの屋根半分と、小屋の拡張なら一日あれば完成できます」

「それじゃ、クリステイン。悪いが手配を頼むね」


 義行は材料の差配をクリステインに任せ、放牧場に放たれたウシをみながら聞こえるか聞こえないかの音量で会話をする。


「アニー、ウシたちの反応はどうだい?」

「問題ない。気に入った みたい」


 その日の作業も終え自室でくつろいでいると、裏口から出て外を歩くクリステインが目に入った。まだ仕事があるのかと思う反面、なんとなく面白そうな予感がした。

 廊下に出て外を眺めていると、放牧場に立ち入るクリステインが見えた。その先には仔ウシが三頭いた。


「ふふっ、邪魔はしない方がいいかな……」


 夕食のとき食堂に入ると、クリステインが艶々して見える。うーん、かわいいはやはり正義なのだろうか。

 

 そして、ウシの受け入れも無事終わった翌日の朝食のときだ。


「そうだマリー、朝食後に付き合ってもらっていいかな?」

「なんすか、魔王さま。俺っちにメロメロっすか?」

「アホっ、牛乳をしぼるぞ」

「牛乳?」

「ああ、麦茶、紅茶に続く、次なる飲み物だ。といっても、別に俺たちが作るわけじゃないけどな」


 一方的に予定を決めた義行は一旦部屋に戻り、作業着に着替えてから再び食堂に戻る。


「マリー、木桶を三つ準備しておいて。念のために沸騰ふっとうしたお湯を掛けて、一つには水を張っておいてね」


 その後、腰掛と濡れタオル等を用意して牧場へ向かった。


「仔ウシも可愛いっすけど、大きいのも可愛いっすね」

「目が可愛いよな」


 お腹の大きな一頭のメスを連れて、二人は牛舎に戻った。


「で、なにをするんすか?」

「乳しぼりだ」

「いやーん。魔王さまのエッチ」

「お前、変なことを考えるな。俺は妖精にも魔法使いにもなれるんだぞ。うん? だからすぐに妖精が見えたのか」


 義行は、全く関係のないことを独り言ひとりごちた。


「マリー。まず手をきれいに洗って。で、おっぱいもきれいに拭いてやってと」

「いやーん、おっぱ……、あいてっ」

 義行は、マリーにチョップをかます。

「もう、ええっちゅうねん」


 そんなことをしていると、どこからか視線が……。ウシがジト目で見ていた。

 義行は改めて腰掛に座り、搾乳さくにゅうを始めた。


「マリーには、これを覚えてほしい」

「わかったっす」

「最初に、親指と人差し指で、乳頭をつまんで。あ、ウシが痛がらないようにね。そしたら、少し下に引っ張りながら、中指、薬指、小指と閉じていくように搾ってみて」


 マリーは難なく牛乳を搾りだしている。


「おっ、初回から搾れるなんてすごいじゃないか。じゃあ、別の乳頭で、左手で同じようにやってみよう。で、問題なかったら、右、左、右、左と交互に搾乳してみて」

 マリーがテンポよく搾っていく。ウシも暴れる様子がないので、このままマリーに任せることにした。


「よし、このくらいで十分だろう。マリーお疲れさん」


 ウシを牛舎から出して、茹でたジャガイモを出してみた。おいしそうに食ってるが、食べさせた後になって本当によかったのか心配になった。


「それじゃあ台所に戻るぞ。早速、牛乳を飲めるようにしよう」

「魔王さま、これを飲むんすか?」

「ああ、俺は好きだな」

「動物の乳っすよ。俺っちが出すっすよ?」

「出るんかーい!」


 最近メイドたちの言動がおかしくなってきてる気がする義行だった。

 そんなことを思いながら台所に戻り、生乳を火にかける。


「難しいことはない。六十五度くらいで三十分くらい殺菌する」

「これはなにをやってるんすか?」

「ああ、目に見えない悪さをする菌を殺すんだ。搾りたてがダメと言うわけではないぞ。そのまま飲むこともできるが、安全を考えて殺菌した方がいいかな」


 殺菌も終わり、冷めたのを確認して飲んでみる。


「うまい。マリーも飲んでみるか?」


 恐る恐る口をつけるマリー。


「へー、これが牛乳っすか。俺っちも好きっすよ」

「それなら、これはどうだ」


 紅茶を準備して、ミルクとハチミツたっぷりのミルクティーを出してやった。


「魔王さま、これうまいっす。牛乳ってこういう使い方もできるんすね」

「ああ、他にも料理に入れることもあるし、バターを作ることもできるぞ」

「バターっすか?」

「パンに塗って食べるんだ。また今度作り方を説明するよ。結構手間がかかるからね」

「楽しみにしてるっす」


 などと話をしていると、クリームシチューが食べたくなった義行だった。材料はあるので、そのうちマリーに教えようと思った。

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