第19話 育苗と分蜂
多分そうだろうとは思っていた。しかし、去年は花が散っていたので確認はできなかった。そう、ここにも桜の木があるのだ。
「こちらでしたか。魔王さまが花を気にかけるなんて……」
「なんだかね……、この花は」
「楽しい気持ちになることもあれば、ちょっと寂しくもなる不思議な花ですよね」
「昔は咲いてるな……程度にしか思わなかったんだけどなー」
義行が無言で眺めていると、いつのまにかクリステインはいなくなっていた。
「ふふっ、気い使わせたかな」
変にツッコまれることもなく、しばらく桜を愛でた義行は振興部に向かった。
「改めて今年の目標だ。一つはポテに次ぐ作物を見つけ出すこと。もう一つは稲作だ。これは最重要ミッションと思ってくれ。ただ、俺も完璧に栽培方法を知っているわけではないので、二人もサポートを頼むな」
そう、義行は経済学部卒の地方公務員だった。農業の情報は、全てネットから拾ってきたものなのだ。
「まず稲作だが、今年は二枚の田んぼで始める」
「どのくらいの収穫量になるんですか?」
「たしか、十メートル四方の田んぼで約六十キロだったかな。四月頃から苗づくりを始めて、収穫の十月までやることも多い。シルム、これからの記録が、来年以降の一般公開に繋がるからしっかり記録をつけてくれ」
シルムが、「わかりました」と元気に返事をした。
「で、今日は苗づくりの前段階だ。塩水選をする」
義行たちは裏庭に作ったため池の前に移動した。
「魔王さま、塩水選というのはなんですか?」
「簡単に言うと、発芽するしっかりした種を選ぶ作業だな」
「種を見て、よい種とダメな種がわかるってことですか?」
「絶対とはいえないけどね。でも、蒔いても発芽しない種籾を選別するくらいはできるぞ」
「それはすごいですわ」
義行は木桶と塩を準備した。
「まず塩水を作る。塩の量だが、卵を入れて卵の頭が見える程度の濃さだな」
「『卵の頭が見える程度』というのはどういうことですか?」
口で説明するより見てもらった方が早いと思った義行は、作業を続けた。
「今、桶に泉の水を汲んだだけだ。これに卵を入れると」
「沈みました」
義行は卵を取り出し、そこへ塩を加える。
「これでもう一度卵を入れると……」
「あっ! 途中で浮いてます」
「もう少し塩を入れた方がいいな。そして改めて卵を入れると」
「卵の頭が少しだけ出てます!」
「このくらいの塩水を作るということだよ」
シルムは一生懸命メモを取っている。
それを見て感心する義行だったが、メモを覗いてみると、文字であれこれ書かれている。このとき、濃度計算といった基礎教育も進める必要があると感じた。
「ここに種籾を入れる」
義行は昨年収穫して保管していた種籾を桶に流し込んだ。
「あっ、沈んだ種籾と浮かんでる種籾があります」
「これが、塩水選の目的だ。中身が詰まったよい種籾は下に沈んで、軽くて状態がよくないものは浮いてくる」
「なるほど、こうやって種を選別するんですね」
「塩水選が終わったら、水で
ここまではなんとかなった。ここからが問題なのだ。当然、この国に農薬なんて物はない。そこで義行は、ネットに書いてあった方法を試すことにした。
「次の種籾の消毒だが、これは稲を病気から守るために必要なんだけど、正直、上手くいくかわからない」
「そんな不確かなことをしても大丈夫なんですか?」
「やりたいことはわかってるんだ。ただ、ここではそれができないから、別の手段を取らざるを得ない」
ここで『殺菌剤で~』とか説明しても理解はできないだろうし、入れ替わりが明るみになる可能性が高い。
「桶の水にビネグーを加えて、種籾を一日浸けるんだ」
「ビネグーって、あのビネグーですか?」
義行が読んだネットの記事では『酢』と書いてあった。
「そう、そのビネグーだ。この木桶の水の量なら、カップにこのくらいでいいと思う。これで今日の作業は終了」
翌日になり、義行たちは次なる作業、
「次に、一日消毒した種籾を目の細かい網に移して、七日前後水に浸けておくんだ」
この作業のために義行は、ため池の横に小さな池を作っていた。
「この作業で一番重要なのが水温だ」
「そんなに重要なんですか?」
「この水温によって、
「でも水温だと触ってみて、冷たい、ぬるい、熱いといったことしかわかりませんよ?」
シルムの言うとおりなのだ。残念ながらこの国に温度計はない。
「だからこそ、泉の水と日陰が重要になる」
「どういうことですか?」
「泉の水温はほぼ一定だ。さらに直射日光を遮ってやればほぼ変わらない。そうすれば、発芽に適した浸種日数を決められると思う」
「でも、スプリーさんの泉は魔王の森の中です。そうなると、一般公開しても処理が難しいんじゃないですか?」
シルムもこの半年で多くを学んできており、的確な疑問が発せられた。
「そこは大丈夫だ。スプリーが管理してる泉もそうだし、街の井戸も出所は同じだ。井戸の水も、基本、温度が一定なんだよ。だから、ここでの成果を基に、各農家が共同で同時期に作業をすれば対応できると思うんだ」
「だから、私たちの記録が重要になるんですね」
「これが終われば
そこからは、義行とシルムで朝、昼、そして夕方に水と種の状況を観察し、七日で予定していたものを六日で切り上げ、次の
六日で切り上げたのには明確な理由はない。ヴェゼが遊びに来て、「そろそろいい」って言ったからだ。ズルい気もしたが、背に腹は変えられなかった。
「シルム、これが最後の下準備だ。浸種処理が終わった種籾を、ちょっとぬるめのお湯に二十時間ほど浸ける作業だ」
「魔王さま、ちょっとぬるめとは?」
「そうだな、今の時期のお風呂で気持ちいいなと思う状態から、少し低いお湯かな。シルム、夜までの十時間はシルムがお湯を見ていてほしい。俺が夜中の十時間を見る」
ここまでやってきて、義行は便利な時代にいたのだと実感した。
夜、シルムと交代して九時間ほど経った朝五時に、シルムが起きてきた。気になって仕方なかったようだ。しかし、ちょうどいいタイミングでもあった。
「シルム、見てみろ。白いひげみたいなのがチョロンと出てるだろう? この状態になったら、お湯から出して、笊に広げて少し陰干ししてやる。午後になったら播種をしよう。悪いけど、少し眠ってくる。シルムももう少し寝てくるといいよ」
そう言って義行は自室に戻り、四時間ほど仮眠をとった。
その後、義行たちは納屋の前に集合した。
「種蒔きは、四角い小さい枠の中に一粒ずつ蒔いて、篩で土をかぶせてやるだけだ」
蒔き終わった箱は、セセがアーチ状に組まれた畑に運んでいった。なんだかんだで並べられた数十箱を見て、義行とシルムはニヤついていた。
「やっと種蒔きが終わりましたね。で、セセをアーチ状に組んだこれ、なんですか?」
「これか? 温度調整をしたいんだよ。天気のいい日は上の厚い布をめくり、薄い布越しの日光に当てる。夜はまた布をかぶせるようにしよう」
こうして、義行たちは稲作の第一歩を踏み出した。
それ以降は育苗管理が中心になり、大変さは減った。そんな中、義行が振興部で昨年からやりたかったことを考えていたときだ。
「魔王さま。た、大変です」
「どうしたシルム。ノノと食べられる食材を探しに森に入ってたんじゃなかったっけ?」
「ハチ、ハチです」
「ああ、四月の下旬にもなれば活動を始めるのか。あまり刺激しないようにね」
「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないんです」
シルムに引っ張られながら義行は森に入っていく。
(えっ……、こんな美少女と森の中に……)
「あっ、魔王さま。あれ、あれですわ」
(チッ……)
いつもの空き地に向かう道から少し逸れた横道にノノが居た。そうは問屋が卸さなかった。
「魔王さま、あれを見てください。あれ、ミツバチですよね?」
「ミツバチだな。ん? 確か……。アニー、ちょっといいかい?」
スッと現れたアニーに聞いてみる。
「アニー、あれってもしかして……」
「あ! 新しい子 生まれた」
「やっぱりそうか。こうして固まってるから、新しい住処は決まってないってことだよな?」
「うん」
どうしたものか。このタイミングを逃すと、次いつになるかわからない。義行は悩みに悩んだ。
「アニー、次の住処ってすぐ決まるかな?」
「わからない。でも このあたりに 適当な木はない」
「あの……魔王さま。さっきからなにを話されてますの?」
「ゴメン。これは、
二人とも義行とアニーの話を理解できずにいたのだ。
「蜂蜜をもらってる巣があるだろ? あの中は女王蜂を頂点に、働き蜂や子供が居る。そこに、新しい女王蜂が誕生したんだよ」
「それがさっきアニーさんが言ってた、『新しい子』なんですね」
「そう。で、新しい女王蜂が誕生すると、その親である女王蜂は、働きバチの半数程度を引き連れて、巣を出ていくんだ」
「え! 娘が親を追い出しちゃうんですか?」
そのシルムの発言を聞いて、そういった見方もおもしろいなと義行は少し感心した。
「まあ、その言い方が正しいのかどうかわからないけど、親の方が出て行くんだよ。でも、新しい住処が決まっていないと、見つかるまでこんな感じで一か所に固まることがあるんだ」
そんな説明をしながらも、義行はある決断を下した。
「アニー。この子たちの家を俺たちで準備しようと思うんだけど?」
「聞いてみる」
アニーと働きバチの一匹が会話を始めた。義行たちにはなにを言っているのかわからない。
「『気に入れば入る』 言ってる」
「そりゃ、そうだな」
義行は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、二日後にもう一度くるから、一度見てほしいと伝えてくれる?」
「わかった」
そこまで話を詰めて、義行たちは振興部に戻った。
その次の日から義行は、記憶にあるネットの情報を頼りに巣箱を作り、当日、再びアニーに通訳を頼み、偵察蜂に巣箱まで来てもらった。
「さあ、気に入ってもらえるか」
偵察蜂は巣箱の中、そして巣箱の周りの環境等を確認して、アニーのところに戻ってきた。
「『女王に話してみる。でも 少し条件ある』 言ってる」
「なんだい?」
「『もう少し 森側に置いてほしい。採集の範囲 たくさんほしい』 って」
「巣の位置は問題ないし、蜜を採集するための範囲も制限しないよ」
そう伝えてもらうと、偵察蜂は戻っていった。
その数分後、蜂たちがやってくる羽音が聞こえてきた。
「あの数が移動するとすごい音がするんだな」
「半分近く 出てきた」
「そうか、結構な数がいたんだな」
そうこうしているうちに、女王蜂も巣箱に入ってくれたようだ。
「そうだアニー。女王と話はできるかい?」
「大丈夫」
「少しだけハチミツをわけてもらいたいって伝えて」
会話が終わるとアニーから、「少しだけなら」と答えが返ってきた。
昨年、ミツバチをみつけてから密かに狙っていたミッションを一つクリアできた瞬間だった。
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