第8話『違和感』
ぱ、と視野が明るくなる。大会のホールが消え、青暗い靄の空間に戻された。
胸を押さえ、蹲る。いつの間にか酷く汗をかいていた。驚いた顔でレヴィが駆け寄って来る。
「メモリさん? 大丈夫ですか?? シビルさん、これって」
「急速にシンクロ度合が上がっちゃったから、吃驚したよ……いや、ごめん。う~んやっぱりまだ制限具合が難しいな……」
シビルが近寄ってきて、メモリは慌てて姿勢を正す。
「大丈夫です。実際に殴られた訳じゃない、って頭では……分かってますから」
「そう? でも体験とはいえ、精神的なダメージって見えない分、大きいからね」
年上の女性研究者らしい、落ち着いた眼差しでシビルが確認してくる。
恥ずかしながら、その優しさに少し緊張が解けた。
「大丈夫ですって」
思わず声が上ずる。立ち上がって深呼吸をすると、頭がクリアになってきた。
なるほどショックで心身に異常を来すかも、という意味がよく分かった。
装置を付けなきゃ体験出来ない、のではなく安全のためにチェック装置が付けられている。
暴走した鹿の害獣の事件を思い出す。
(洗脳とか支配とか、憶測やデマが沸き起こる訳だ……ゲームなら、遊戯なら。安全でなきゃいけないんだから)
「まあ、ちょっと吃驚しただけで。続きを……」
メモリが立ち上がってそう告げると、シビルが慌てて止める。
「いやいや! 流石に御薦め出来ないよ!」
「あの、でしたら、反対側の、タイセイさん視点なら大丈夫じゃないでしょうか」
レヴィがおずおずと言う。薦めた責任を感じているのか、耳が随分下がっていた。
対戦相手側からだと威圧感を感じるかも、でも逆なら、だとかをどうこう言っている。
(レヴィの奴、……タイセイさんに対する苦手意識を持たせたくなくて必死だな、これは)
「うん、じゃあそれを」
「もう……、やる気だなぁ。三倍遅くして再生なら許可出来るけど」
それでいいです、と引かない姿勢を見て、シビルが「モニタリングは続けるからね」と念押しする。
(あ、そうか。これもシビルさんやレヴィ側からしたら、『俺の』観察ってことになるのか)
──まあ、問題行動をする気はない。
ふ、と視界が再び暗くなった。
目の前に虎の亜人種が居る。これがタイセイ視点側か、と妙な気がした。
歓声は遠く、何も響かず、ただ淡々と世界を見ている。興奮とは程遠い。
スキルで読み取れば、対戦者である虎亜人種の動揺度は既に30超えだった。熱気に呑まれているのがよく解る。
(逆サイドだと、分かりやすいな。いや、このタイセイさんが冷静なのか……)
動揺度ゼロの人間の視野が、これか。
平坦だ。それでいて全てが見通せている。
(違う、逆だ。全てが見通せる、予測範囲内だからこんなにも──平静なんだ)
何故かぞくっとした。変化のない映画の1シーンみたいな、静謐さ。
まるで無感動に試合が始まった。右からの一撃。躱す。既に左の拳を見て動いている。
掌底で相手の重心をずらす。服の布地に力が伝わり、相手は気付かないまま傾く。
(こんなことしてたか?! 気付かなかった!)
僅かな操作。姿勢と、力の誘導。社交ダンスのように相手を導き、後ろに回り込む。
そこに初めて感情の機微が乗る。仮説、遂行、結果。全て想定通り。
相手を踊らせているような、力の配分。完璧な隙が生まれる。
す、と腕を下ろし。全て計算し尽くした一撃を、叩き込む。
(これが、あの時の……!)
何をされたかすら理解出来なかった瞬間は、タイセイ視点では至極簡潔に完了してしまう。
全てを淡々と、最小限の力で。
どっ、と汗が流れる。まるで機械だった。感動も興奮もない。仕事でだってもう少し感情がある。嫌だとか面倒くさいだとか。それすら──だけど、なんなんだこれは。感情制御システムですらない!
タイセイの感情まで記録されている訳じゃない。それでも、これは、分かる。
(──この人は。視野の全てを均質に把握できる『能力』がある、としか思えない)
あるいは達人の域なら可能なのかもしれないが。
奇妙な鳥肌と、冷や汗。感想を纏める間もなく、辺りがふわりと明るくなる。
「はい、終了。どう、メモリ君」
声だけは明るく、シビルが顔を覗き込む。目が心配そうに揺れていた。
「──凄かったです。タイセイさん、って」
笑いながらゴーグルを外すと、レヴィが身を乗り出してきた。
「でしょう?!」
「でも、これ……人間の感覚じゃないですよ」
メモリは震える手を見つめる。かろうじて、本当に僅か、『まともな』人間の、などと口走らずには済んだ。
人間としての性質が、根本的に違う。まるで計算されきった、機械だ。
(いやこれ、下手したら自分との能力差に絶望を感じて落ち込む──どころじゃなくないか……?)
メモリ自身は戦闘で身を立てる気など一切無いが、それこそ下手に自負と自信のある格闘家が、こんなものを体感したとしたら。
──感情制御システムを使ったバトルアスリートの話は、過去に読んだ事がある。
加虐に興奮しすぎる性質の選手に導入された、とか。
動揺を抑えるまでが精神性だとも、病状と見做すべきでは、とも……その是非について、一時的には盛り上がった。
だが、それは致命的な問題を生み、自然消滅したのである。
導入された選手の意欲自体が減退し、結局、表舞台から去ることになったからだ。鬱と診断されて。
興奮の抑制、それ事態がモチベーションの維持を不可能にしたと。
よくわからない興奮と緊張で、どくん、どくんと心臓が鳴る。
(タイセイさんは違う。意欲が無いならあそこまで緻密に出来ない、見れない。それに──大前提だ。感情制御システムをこの辺境で扱える程──設備も回路も、構築されてない! 物理的に使えない筈なんだ、アレは)
戦いへの執着も、勝利への渇望もない。そうだ、単純作業をするようなごく軽い、達成感と作業感を感じる視点。
(なんなんだよ、こんなの試合で感じる感覚か?! どうかしてるだろ……)
タイセイという存在が、ひどく不気味に感じられた。
*
「せっかくだし、外で一緒にご飯でもどう?」
考え込みそうになったメモリを、シビルが誘う。その一言でふわりと空気が軽くなった気がする。
それなら、と中央広場まで足を延ばすことになった。
粒子が青く漂う道並みは、昼下がりの陽気に輝いている。
「賑やかですねぇ」
レヴィが嬉しそうに耳を揺らす。
通りには屋台や露天が並び、フリーマーケットを楽しむ人々が行き交っている。
「あっ、ベッラ・セレステ! シビルさん、空いてますよ」
「お、良いね~。メモリ君、あそこのテラス席どう?」
賑やかな広場に面したレストランだ。
青と白の爽やかなパラソルの下、ゆらめくサフィラ粒子が風に舞う。
運ばれてきたのは、ブルーに輝くスープパスタ。
「これ、喉ごしで弾けるんですよ。吃驚しないでくださいね?」
一口流し込むと、不思議な味わいが広がった。コク深く、でも後味は爽やか。確かに炭酸のような刺激がある。
「おお」
「でしょう? シーフードとハーブのブレンドなんですけど、サフィラ粒子が溶け込んで──」
美食家のような知識で説明するレヴィに、シビルが笑う。
「相変わらず美味しいものには目がないねぇ」
「む。いえ、そんな。そこまででは」
レヴィの耳がぴくぴくと動く。否定しきれない仕草に、メモリも思わず吹き出した。
陽射しは柔らかく、料理は美味しく、会話は弾む。
そんな昼下がりの風景に、メモリはすっかり心を奪われていた。
遠くでは何処かのプレイヤーのパフォーマンスが歓声を集め、露店の香りが風に乗って漂う。
そんな、コグニスフィアの「日常」──。
ふと、レヴィの耳がピン、と広場を向く。不穏な動きにメモリもそちらを見た。
「うわ!?」
広場の中程で遊んでいた、亜人種のプレイヤーが露店の屋根に落ちる。
「レヴィ、あれ」
尋ねるより先にレヴィが走り、メモリも追う。落下地点には羽毛が散って居た。鳥系の亜人種だ。
「失礼します!」
たん、と軽い跳躍でレヴィが屋根に飛び、亜人種の少女を抱えて戻ってくる。
シビルが集まってきた他のプレイヤーを誘導し、セキュリティロボットたちに進入禁止ケーブルを引かせた。その隙間から、狼系と思しき亜人種が走り込んでくる。
「あ、ちょっと君!」
「イナ!! 俺、関係者です!」
シビルの制止を振り切って、レヴィの抱えた少女の側に来る。
俺、と言った声はやや高く、男性的な服装をしているが見るからにこちらも少女だ。
治癒スペルを唱えるレヴィは何処か沈痛な表情をしていた。発動するも、変化がない。
「……やはり。これは、おそらく」
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