第23話 寝違え王子がやってきた

 艶やかな黒髪に、輝く紺色の瞳。

 無駄の一切ない整った相貌で、誰がどう見ても平民ではない上質な服を身に纏っている。

 下町の路地に似つかわしくない美少年は、鋭い眼差しを向けたまま男性に近付いた。


「ま、待て。動くな!」

 慌てて叫びながら剣を抜いた男性達を見て、エリクは面倒くさそうにため息をつく。


「動くなと言ったのは俺だ。聞こえなかったのか?」

 命じることに慣れ、従えることを当然とする声の響きは抗い難く、男性達の動きが止まる。


 それを恥じたのか忌々しそうに眉を顰めた男性の一人が、エリクを睨みつけた。

 だがまったく気にする様子のないエリクは、そのまま男性の横を通り過ぎるとコレットの目の前に立つ。



「ここで何をしているの」

「な、何と言われても……」


 どちらかといえば、こちらの方が訊ねたい。

 次期国王である多忙な王子が、何故下町の路地の奥に一人でいるのだ。

 一瞬コレットを探したのだろうかとも思ったが、いくら何でも早すぎる。

 それにエリクはこちらを見ないし、とても心配しているとは……いや、何か変だ。


 顔を背けてはいるのだが、妙に力がこもっていてプルプルと震えているし、表情もエリクらしからぬ必死さに違和感がある。

 コレットの方を向こうとしてはバネの力で押し戻されているように見えるのは、気のせいだろうか。


「それを寄越して」

「え? こ、これ?」


 首に筋が浮かぶほどの力を込めた状態で、エリクが手を伸ばす。

 恐る恐るペーパーナイフを差し出すと、受け取るとともに眉間には皺が寄り、頭が勢いよく真横を向いた。

 よくはわからないが御機嫌は斜めだし、動きは珍妙だ。


 エリクはペーパーナイフを見てため息をつき、自身の懐から取り出したハンカチを手に持って再びプルプルと首に力を入れている。

 すると横目で位置を確認したらしく、ハンカチがそっとコレットの頬に触れた。


「しっかり押さえて」

 これは止血目的ということなのだろうか。

 ちらりとハンカチを見ると確かに血が付いてはいるが、たいした量ではないし、恐らくもう出血は止まっている。


 それでも珍行動と無言の圧力に負けて大人しくハンカチを頬に当てると、エリクの表情がほんの少しだけ和らぎ、同時にぐいんと勢いよく顔を背けた。


「く、首、大丈夫?」

 先程から人としての限界を超えた揺れ方なのだが、一体何なのだろう。


「寝違えたのなら、無理にこっちを向かない方が」

「違う。その……ああ、とにかく……負けられない」


 一体何と戦っているのかわからないが、エリクは真剣だ。

 いや、必死というべきか。



「ちょ、ちょうどいい。そっちの兄さんも綺麗な顔だし、身なりもいい。まとめて来てもらおうか」


 ようやくエリクの圧から解放されたのか、男性達が剣を抜いて一歩近付く。

 こちらも麗しい顔が目当てならば傷を負わせるつもりはないのかもしれないが、そもそも王子に剣を向けた時点で人生終了だ。


 後はさっさと護衛なり騎士なりが男性達を連行してくれれば……。

 コレットはきょろきょろとあたりを見回すが、それらしい人物どころか誰の人影も見当たらない。


「あの、護衛の人は」

「今頃、慌てて探しているだろうな」

「え⁉」


 ということは、まさかエリクも何らかの用事があって王宮を抜け出してきたのだろうか。

 それでうっかりコレットを見つけてこうなったのなら、何とも不運としか言いようがない。


 明らかに不審な男性に囲まれた女性を放置できないというのは、王子として大変に素晴らしい。

 だがしかし、これでエリクが怪我でもしようものなら、コレットの人生もまとめて終了してしまうではないか。



「さあ、まずはそのナイフをこちらに渡してもらおうか」

 男性の一人が剣を向けながら、少しずつ距離を詰めてくる。

 コレットが持っていてもたいした脅威ではないが、さすがにエリクが持つと武器というくくりに入るのだろう。


 エリクが男性達の方を向くと、頭の揺れが嘘のようにすっと止まる。

 するとペーパーナイフを握り締め、素早く橋の向こうの男性に投げつけた。


 太腿にペーパーナイフが突き刺さった男性が叫び声を上げるよりも速く動いたエリクは、路地側の男性に駆け寄り、その剣を蹴り上げる。

 くるくると回転しながら日の光を反射する剣に視線を奪われていると、男性を蹴り飛ばして空中の剣を掴む。


 そのままもう一人の手首を打ち据えると、男性は剣を取り落とした。

 無防備になった男性の鳩尾を、エリクは剣の柄で勢いよく突く。

 あっという間に三人の男性は地に伏し、持ち主を失った剣がカランカランと音を立てて転がった。


 ――まさに、一瞬。

 麗しい姿に似合わぬ俊敏な動きと圧倒的な強さに、コレットはただ目を瞬かせることしかできない。

 先程まで寝違えて頭をプルプルさせていた人は、どこに行ってしまったのだろう。


「とりあえず、こっち」

 エリクはコレットの手を掴み、そのまま路地を走り抜けた。

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