ギリシャのパン屋

戸森

第1話

くせっ毛の黒髪に、髭の剃り残し。

だけど、その無造作に覗く甘いタレ目が、女を惹きつける色気を持っていた。


パン屋"麦畑"のオーナー兼店長 都鶴さん。


バイトの女性たちはみんな彼に夢中だ。


かくいう私も、パンを選びながら

覗き見する機会を伺うくらいには、 彼を見ていたくて仕方ない。


パンを運ぶ彼の仕草、揺れる髪、

ふとした時の流し目。


すべてがスローモーションに見えるくらい、私の目は彼に釘付けになっていた。


はたと気づいたときには、

彼と目が合っていた。ちょっとした苦笑いを浮かべる彼の表情から、自分がしでかしたことに気づく。

顔がサァーと青ざめるのを感じる。


見つめすぎた!


彼の隣でレジ打ちをしていた女の人にビッと睨まれてる。


あぁ〜!

居てもたってもいられなくなり、

私は持っていたパンを一つ、

すぐさま会計に持っていき、30秒で全てを済ませ、豪速でその店をあとにした。その間ずっと下を向いていた。


レジの女の人は、すごく冷たい声で、

「またお越しください」と言った。


帰り道、自転車を押しながら、私は盛大なため息をついた。


はぁー…。


もう、あの店に行けない。

一つだけ買ったメロンパンは、かごに入っている。


パン屋麦畑の女性スタッフは、都鶴さんに色目を使うお客さんを徹底的に排除する傾向があった。彼女らに睨まれて店に来ることを止めた(=都鶴さんをあきらめた)お客さんを何人も見てきた。

バレない様にこっそり見ていたのだが、今日ついに目をつけられてしまっただろう。


そんなことを考えトボトボ歩いていると、公園が見えてきた。

あそこで食べよう。


………おいしい。

表面はサクサク、中はふわふわの

黄金のメロンパン!


あー、もう、都鶴さんも見納めかぁ。

そう思ったら、涙がこぼれそうになる。


以下心の声_____

イヤだ!イヤだイヤだ!!そんなのイヤだ〜😭

女性スタッフは怖いけど、それよりも!

都鶴さんに気持ち悪いって思われてしまったかな?もう彼の姿を見ることはできなくなっちゃうのかな。

どんな顔してパン買いに行ける?

大好きなのに!! 


荒波のような心の声で、意識が沈没しそうになる。表情には出さないように努めて、メロンパンをかじるが、

次第に涙の味がしてきた。


こんなことで泣くなんて、豆腐メンタルすぎ…。惨めな気持ちに涙が溢れそうになったとき、


「あの…」

と声をかけられた。


えっ。ヤバ知り合い!?


思わず涙を拭って、顔を見上げると、

そこには、青いエプロンの…


一人の女の人が立っていた。


青いエプロンは、パン屋麦畑の、スタッフのエプロンだ。

都鶴さんは、麻布のエプロン。どちらも茶色の刺繍で、"パン屋麦畑"と施されている。


どうして、そんな人が、?

まさか、忘れ物!?


「あの、大丈夫ですか…?」


パニクって硬直していると、

女性が優しい笑みを浮かべた。

「あの、すみません。

つい追いかけてきちゃって。

これ、お詫びの品なんです。」

そう言うと、

"麦畑"の人気商品ラスクと、いちごジャムを差し出されていた。


えっ、なんでなんで!?

わたしが困惑した表情でアタフタしていると、

「先ほどの様子、見ていたんです。

うちの女性スタッフの中には、結構きつい対応をしてしまう方がいるのご存じでしょう?なるべくフォローをしたり、注意したりしているのですが、何分私が新参者のため、聞いてもらえず、、、」

と苦笑いをして見せた。

「なので、ごめんなさいね。あなたを悲しい気持ちにさせてしまいました。」


「そのためにわざわざ、、、」

私は彼女の誠実さに感嘆した。

私のように都鶴さん目当てに店に通うお客さんは多い。

それではこの女性は、そのお客さんたちをこうやって丁寧にフォローして回っていただろうか?負担が大きすぎる気がするが、、、。


そう思った疑問を素直に口にすると、苦笑された。

「さすがに、全てのお客様にそこまではできません。本当はそうすべきなのでしょうが、私も仕事がありますので。ですが今日は、運よく休憩中だったので、後を追いかける事が出来ました。お客様は、毎朝欠かさずパンを買いに来てくださるでしょう?それが私はとても嬉しかったのです。これは私の事情なのですが、常連さんがいなくなるのは、寂しいですから。」


優しく微笑まれて、わたしは嬉しかった。

さっき、とてもつらい気持ちだったので、麦畑のスタッフの方の中で私に好意を抱いてくれている人がいることが、私の心を安心させた。

都鶴さんにも、嫌われてしまったかもしれないし、、、

そしてまたズーンと心が沈んだ。


気持ちを切り替えて、女性スタッフの名前を尋ねてみる。

「どうもわざわざありがとうございました。

麦畑のラスク大好きなのでとっても嬉しいです!」

にこっと笑うと彼女も微笑み返してくれる。

「自己紹介がまだでした。私は私立 花ノはなのみや学園の立花春愛たちばな はるあです!明日の朝も、もちろん麦畑にいきます!!」

「それは嬉しいですね。私は広瀬朝子ひろせ あさこといいます。

またいらしたときにお声をかけてくださいね。」

広瀬さんは、真っすぐで艶やかな黒髪を持つ、美人だった。


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ギリシャのパン屋 戸森 @watashi_tensai_ikiru

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