第七章 焼芋令嬢は恐怖される

第24話 勉強と努力と黒いモヤと


 蝉が鳴き、夏休みが近づいてきた。

 私たち――アンソニー、ジャレッド、リリー、そして私の四人は、テラスで学期末テストの勉強をしていた。

 

「……まっったくわかりませんわ」


 私は数式の書かれたノートと向かい合っていた。

 先ほどから一時間くらいうんうんと唸っている。

 しかし、一向に問題が解けない。

 フロリアン魔法学園では、魔法の下地となる知識として、数学や物理学も叩きこまれる。

 前世でも学校に行ったことがほとんどなかった。

 だから、新鮮な知識であることは確かだ。

 けれど、苦手なものは苦手なのだ。


「これほど、数学というものが難しいとは……予想外でした」


 山積みになった課題から目をそらして、ため息をつく。


「ローズは昔から、感覚で実践する派だからなあ」


 アンソニーが向かいの席で苦笑する。


「昔言われたことだけれど、向き不向きってやつかもしれない」


「甘やかしてもいいことはないぞ」


 斜め向かいの席、アンソニーの隣に座ったジャレッドがノートを見ようと身を乗り出してくる。


「どこまで解けたんだ? 見せてみろ」


 顔が近い。

 ジャレッドは、こんなに距離感が近いタイプだったろうか?


「いやいや、ローズは僕の婚約者だよ。見せてごらん」


 二人して、こちらに寄ってきた。

 ……しかし近くで見ると二人とも、本当に整った顔立ちをしている。

 アンソニーは青い髪に碧眼。

 爽やか系で優しさが滲み出ている、正統派イケメン。

 ジャレッドは黒い髪に金眼。

 少し陰があるけれど、色気のあるタイプの美青年だ。

 

「……おい、聞いているのか。俺たちの顔ばかり見てどうする」


「す、すみません。二人ともお美しいなと思って」


 思わず正直に答えたところ、アンソニーとジャレッドは目を見合わせる。

 揃って席に座ると、同じタイミングでため息をついた。


「きみは本当に……。そういうところはやめてほしいんだけどな……」


「……諦めろアンソニー。俺は最初から諦めている」


「お二人とも、どうしました……?」


「だんだん、わたしもわかってきましたけど。ローズ様って素でこうなんですね……」


 隣に座って黙々と問題を解いていたリリーが、呆れたようにこちらを見る。

 リリーは桜色の髪と、同じ色の瞳をしている。

 彼女は、長く伸ばした前髪の下で目を細めた。


「リリーさん、もうこんなに解けたの?」


「勉強だけは得意ですから。他に取り柄なんて、なんもないんですけど……」


 へへ、と笑うリリーの表情は、どこか痛々しいものだった。


「リリーさん……」


「ところでローズ様。どこがわからないんですか?」


 まったく気にする様子もなく、リリーが自分の教科書を示す。

 彼女の教科書は、さまざまな書き込みで真っ黒になっていた。


「ええと、ここの式ね」


「図に書いてある、この数字を代入するんですよ」


「こうかしら? こうして、こう? あら? ……解けたわ!」


 彼女に教わったとおりにしてみると、あれだけ悩んでいた数式があっという間に解けた。

 嬉しくて、私はリリーに向きなおる。


「リリーさんは、素晴らしい人だわ。こんなに教科書に書き込みをして、人に教えられるようになるまで勉強したんでしょう? なにもないなんてとんでもないわ!」


 目を輝かせる私から、彼女はなぜか気まずそうに目をそらした。

 視線はアンソニーとジャレッドのほうへ向き、リリーはぽつりと漏らす。


「素でこうなんです、よね?」


 アンソニーとジャレッドが無言で目配せをすると、リリーはがっくりとうなだれた。


「……次の問題見せてください。勉強会くらいは、つきあいます」


 リリーはため息をつくと、こちらを向いて教科書を広げた。




  ★




 勉強会が終わって、寮に帰って部屋へ向かう。


 寮の廊下。

 曲がり角でリリーと分かれ、歩きだした。

 ふと、視線を感じる。

 リリーが、じっとりとこちらを見ていた。



「……悪役令嬢、のくせに」



「リリーさん……?」


 口を動かして、なにかを言っていた。

 けれどリリーはすぐに踵を返す。

 そのまま、すたすたと行ってしまった。

 その背中にまとわりつく、黒いモヤが見えた。

 私は思わず目をこする。

 まばたきすると、黒いモヤは消えていた。

 ……気のせいだったのかしら。

 私は首をひねる。


 人の背後に見える黒いモヤは、魔物が取り憑く前兆だ。

 まさかな、と思って私は部屋に帰った。




  ★



 

 

「ああもう、……どうして、悪役令嬢がアンソニー様ともジャレッド様とも、セオくんともエルム先生ともシオン先生とも、あんなに仲良くなってるの!? わたしがこの世界の主人公なのに! わたしが、仲良くなるはずだったのに! どうして、メインストーリーが始まらないの……!?」


 主人公、リリー・ブロッサムの部屋。

 ぐったりとベッドに横たわり、親指の爪を噛むひとりの少女。

 この世界のヒロイン――リリーが虚ろな目でぶつぶつとつぶやいている。


 リリーの部屋は黒いモヤに包まれていた。

 それは、彼女の背中にまとわりついていた黒いモヤと同じものである。

 モヤの正体は、魔物の種――人間の負の感情の、強い澱みだった。

 

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