―セイ―
ひなの。
1
始まり
―――2年のニヤ先輩
あの人には気をつけて―――
クラスメートたちの会話から、1日1度は聞こえて来る。
引っ越して来たばかりの街で、1番最初に覚えた名前。
ニヤ先輩。
……何に気をつければ良いのか、未だそれは、わからない―――
校庭の隅にある、ひっそりと大きな桜の木。
学校内で1本しかないその桜の木は、異様なまでの存在感がある。
そして、2階のあたしの席からはその桜の木が良く見えた。
7月初旬。
転校して来て10日。
「1年5組」。
それがあたしのクラスだった。
喋る友達はいない。
1人もいない。
最初の2、3日は話しかけてくれる子もいたけど「うん」と「ううん」しか言わないあたしに、その内誰も話しかけて来なくなった。
1人のあたしは、窓から桜ばかりを眺めていた。
いや。
正確には「桜の木」を見ていたわけじゃない。
あたしが見ていたのは……
「あ、またニヤ先輩だ」
「好きだよね、あの場所」
彼の姿が見えるたびに、そんなクラスメートの声が聞こえて来る。
だからあたしも必然的に彼の名前を覚えてしまった。
―――両手をズボンのポケットに突っ込み、ダルそうな足取りで桜の木に近づく彼。
遠目からでも、目の覚めるような黄色い髪が目立つ。
彼はいつもそうして桜の木に近づくと、ずっと桜の木の根元を眺めていた。
ずっと。ずっと。
何分間も。
何10分間も。
「いつもあそこで何やってんだろうね」
誰かがそう言った時、3時間目の予鈴が鳴った。
3時間目は移動教室だ。
机の中から教科書とノートを取り出す。
それを両手に抱え、もう1度窓の外を見た。
「ニヤ先輩」に、赤い髪の毛の彼が近づいて行くところだった。
こっちは目の覚めるような「赤」。
2人が並ぶと、これも異様な雰囲気だ。
「ニヤ先輩」と「赤」は、1言2言言葉をかわしたようだった。
桜の木の下から動こうとしない「ニヤ先輩」。
その横で、つまらなそうにしゃがみ込む「赤」。
いつもの光景。
いつもの毎日。
―――真っ赤になっちゃって、可愛いねェ―――
「赤」の、からかうような声が甦る。
見上げるような長身も。
意地悪そうな笑顔も。
優しい声も。
「ニヤ先輩」の低い声も。
綺麗な顔も。
見つめられると動けなくなってしまいそうな、深い目の色も。
ふと気付くと、2人がこっちを見てる……
……ような気がした。
慌てて顔を背けると、丁度本鈴。
しまった、移動……!
いつの間にか、教室の中にはあたし1人だった。
眼鏡をかけ、あたしは足早に教室を後にした。
あの「赤」と「黄」には、1カ月ほど前に初めて会った。
編入試験のため、この学校に来た時だ。
裏門から入れば職員室が近いとわかってれば裏門から入ったものを、初めての学校なので勝手がわからなかった。
だから正門から入った。
設置されている校内マップを眺め、職員室へ行くには広い校庭を端から端まで横切らなきゃならないとわかった時は、帰ろうかと思った。
ただでさえ昨日から始まった生理の所為で、お腹は痛いし頭痛はするし。
しかも何だかいつもより量も多い。
朝起きた時には、シーツまで汚れてしまっていた。
その上、慌てていた所為で眼鏡まで忘れてしまった。
帰ったらシーツ洗濯しなきゃ、とか、やたら量が多くても横モレしないナプキンはないかなぁとか。
そんな事を考えながら校庭を横切り始めた時に、その気配に気付いた。
左側にある大きな木。
時期が過ぎているのでパッと見良くわからないけど、丁寧に「さくら」とネームプレートが付けられていたのでそうなんだとわかった。
目を合わせちゃいけない……
そう思った。
大きな桜の木の根元。
正面向いてても嫌でも目の端に入る、そこにしゃがむ「赤」と「黄」。
今は多分授業中のはずなのに。
黙ってその横を通り過ぎようとしたその時。
「おねーさん、パンツ見えてるよ」
からかうような声がした。
いつもなら軽く無視するそんな言葉に、不覚にもあたしは動揺してしまった。
だってあたしは生理だった。
しかもいつもより量が多い。
モレないようにナプキン2枚重ねでモコモコしてたし、パンツだって生理用のちっとも可愛くないヤツだった。
パンツくらいなら良い。
別に見られても良い。
でも、もしもモレてたら。
それを見られたら。
しまった羽付きだ!
パンツからよりによって羽が出てる!
一瞬の間に、そんだけの事を考えていた。
慌ててスカートを押さえた時、持っていた手提げ袋の片方の取っ手が指から外れ、中身が散乱した。
死にたい。
と思った。
消えてなくなりたい衝動に駆られながらも、そのまま立ち去るわけにはいかない。
急いで散乱した中身を拾い集めるあたしの上に、ふっと影が差した。
「俺の所為だと思うから手伝ってやりてェけど、それって迷惑だよな?」
上から降って来る声は、やっぱり笑いを含んでいてムカついた。
恥ずかしさで耳まで熱くなる。
今朝時間がなくて、裸のまま大量に手提げに放り込んで来たナプキン。
こんな事なら2枚重ねなんて考えずに、たとえモレてでも少しだけ持ってくれば良かった!
無言で拾い続けるあたしに、尚も楽しそうな声が降って来る。
「タンポンの方が楽らしいぜ?」
サイテー!!
こいつマジ最低!!!!
身体中から汗が噴出す。
そもそも男には慣れてない。
今通ってる学校は女子高だし!
ナプキン見られて恥ずかしい思いなんてしないし!
すべて拾い終わったのを確認し、あたしは顔を伏せたまま立ち上がった。
一刻も早くその場を立ち去りたかった。
むしろ消(エンドレス)
しっかりと手提げの取っ手を握り、足早にその場を後にしようとしたその瞬間。
「待てよ」
腕が掴まれた。
振り向いて、初めてその顔を見た。
見上げるような長身。
ちょっとだけウェーブがかった、全体的に後ろに流した髪。
一筋だけ額に落ちた前髪。
ただし色は激赤。
意地悪そうに片方だけ口角の上がった唇。
くっきり2重の目元。
多分「モテる顔」の部類だろうと思った。
顔よりも頭の方に気を取られるのは間違いないだろうけど。
「赤」はあたしの顔を覗きこむと、ぎゃははと大声で笑った。
「真っ赤になっちゃって、可愛いねェ~~」
自分が真っ赤になっている事を自覚していたあたしは、熱さで眩暈がしそうだった。
俯き、必死で腕を振り解こうとするあたしに「赤」は「ごめんごめん、もう言わない。はいこれ。」と言って、腕を掴んでない方の手を出して来た。
そこには、あたしの生理用ナプキン。
いつの間に!!
目を丸くするしかないあたしに、やっぱり「赤」は大笑いする。
ムカつく!!
マジでムカつく!!
全力で腕を振り解き、あたしは職員室へ向かって走り出した。
「お~~い良いのかよナプキン~~」
声デカいバカッ!!!!!
「俺が持ってても仕方ねェんだけど~~」
持って落として恥かけば!!??
「一目惚れしちゃったよ~~~」
ナプキンに!?どんな趣味!?
「おいナプキン~~」
あたしの名前みたいに呼ぶな!!!
「ナプキンいらねェのかよ~~」
だから声デカいってばッ!!!
「愛してるよ~~」
あたしは前を向いたまま大声で叫んだ。
「さようならっ!!!」
後ろからは、また大きな笑い声が聞こえた。
そして。
「またな!」
―――それは思いのほか、優しい声だった。
試験と簡単な面接が終わり、裏門の方に回ったあたしは、そこに頑丈な鍵がしっかりかかっているのを見て肩を落とした。
また、あの桜の木の横を通らなきゃならない。
それにしてもなんで1本だけなんだろう。
学校=入学式=桜だから?
1本もないとなると、学校的に世間体が悪いんだろうか。
それとも……
……なんて、いつまでも桜の木について考えていても仕方ない。
興味があるわけでもない。
あたしは正門の方に向かって歩き出した。
遠目にも、そこに「黄」がいるのはわかった。
「赤」がいないだけでもラッキー!
……と思った方が良いんだろうか。
あたしと「赤」のやり取りを、全く興味なさそうな顔で見つめていた「黄」。
ううん、違う。
むしろ、あたしたちなんて目にも入ってないかのようだった。
あの時彼が見つめていたのは……
そして今も見つめているのは……
“目を合わせちゃいけない”
そう思ったはずだった。
黙って通り過ぎるはずだった。
なのに。
あたしは足を止めてしまった。
あまりにも、1本だけの桜の木が悲しくて。
―――何、見てんの?―――
初めて「黄」と目が合った。
切れ長の目。
すべてを見透かされてしまいそうな目。
なのに、何も映ってないかのような目。
眉。目。鼻。口。
すべての均整がとれたパーツ。
綺麗すぎて、人形のような顔。
整いすぎて、むしろ冷たくさえ見える顔。
ゾっとするほど美しい顔だと思った。
ここまで綺麗な顔を見たのは初めてだった。
そして、本当に鳥肌の立っている自分に気付く。
「……何、見てんの?」
もう一度「黄」が口を開いた。
思ったよりも、低い声だった。
「………」
……あの時、あたしは何て答えようと思ってたのか。
こうして考てみてもさっぱりわからない。
でも「黄」には充分だったらしい。
もしかして、最初から答えなんて求めてなかったのかもしれない。
それ以上何も聞いては来なかった。
ただずっと。
「黄」はしゃがんだまま。
あたしは立ったまま。
寂しい桜の木を眺めていた。
―――それが、赤と黄との出会いだった。
“ニヤ先輩に関わっちゃダメだよ”
クラスメートたちの会話から、1日1度は聞こえて来る。
前後の会話がわからないから、何に気をつければ良いのか、あたしにはわからない。
ニュアンス的に、それが良い話ではないのがわかる程度。
どんな話にしろ。
毎日毎日、誰かに噂されるのと。
全く誰の目にも止まらず、もちろん噂にもならないのと。
……どっちが痛いだろう。
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