that summer

高校二年の夏、藤本陽生と付き合って三ヶ月頃の事。



シゲさんは毎年、藤本陽生を含む三年の先輩達数人と夏祭りに行っているらしく、「春ちゃんも来たらええやん」と、いつもの調子であたしを巻き込んでくれた。



当時も、シゲさんは相変わらずシゲさんで。突然誘われたお祭りに、夜はバイトをしていたから「行けるかわからない」と曖昧に返事をしていた。



あの頃のあたし達は、何もかもが曖昧で…連絡を取り合う事も、交流する事も無い。まさに肩書きだけの関係で…夜のバイトを休めたとシゲさんに伝えたのは、終業式の日だった。



その時あたしが聞かされたのは、日時と待ち合わせ場所。



お祭りに行く事もそうだし、彼氏やその友達と遊びに行く事もそう…あたしには全てが未知の体験で、嬉しいと緊張が入り混じって暫くは変な気分だった。



藤本陽生と二人で遊ぶ訳じゃないけど、彼らのテリトリーに入れて貰えた事が、自分が彼女として許されてる気がして、もっと距離を縮めたい。



…そんな、あわい期待を抱いていた。



お祭りの当日、待ち合わせ場所だった川沿いにかかる小さな橋の前で、あたしは一時間待った。


一時間しか待てなかったのは、降り出した雨によって撤退てったい余儀よぎなくされたから。雨が降っていなければ、もう一時間は待っていたかもしれない。



何故なら、その場を立ち去った後も、駅前の駐輪場で雨宿りをしてたたずんでいた。もしかしたらシゲさん達がこの場所を通るかもしれないし、もしかしたらあたしを探してくれているかもしれないし。



でも、そんな思いとは裏腹に、藤本陽生は勿論もちろんの事、シゲさん含めその他先輩達誰一人、現れはしなかった。



駅の前は雨だからか…帰ろうとする人達が押し寄せていて、あたしも渋々その場を離れる事にした。



電車に乗って自宅に向かう帰路きろは、何も考えられず…悲しいとか寂しいとか、悔しいとか情けないとか、何も湧いて来ない。



ただ、折角誘って貰ったのに待ち合わせ一つ実現出来ない不甲斐無ふがいなさに、落ち込んでいたのは覚えている。



始業式の日、シゲさんはいつもの様にあたしを屋上へと連れ出す為、教室へ現れた。



夏祭りの日の事を何て言おうかと思案するあたしに、シゲさんは一切その件には触れて来なかった。



“あの日、何してたん? 俺らずっと待っててんで? 何かあったん?”



そんな風に、シゲさんから掛けられるだろう言葉を勝手に想像していた。



雨が降ったから帰りました…なんて、身勝手な返事をしたらガッカリされるかな…なんて、悩むあたしを余所に、何も無かったんじゃないかと思わせるぐらい話題にならない。



あたしが何か勘違いをしているのだろうか…そう思い始めて聞くに聞けず、心ここに在らずな状態で過ごしていた。



でも現実は、残酷な程…容赦なくとどめを刺してくる。



それは屋上に着いてすぐ、藤本陽生にお弁当を手渡そうとした時。



変わらずそれを受け取って貰えないあたしの横で、先輩達がお祭りの話をしていた。



「え?あいつ行ったん?」


「らしいな」


「マジか!バカじゃねぇの…」


「バカなんだって。行かねぇって言ったじゃんな?」


「そうなんだよ。人の話聞いてねぇんだよ」



数人で語られるその会話が、やけに耳に付いた。



「結構行った人居たって」


「そらそうだろ、陽生が面倒くせぇって言わなかったら俺らも行ってたんじゃね?」


「…行きゃあ良かったじゃねぇか」


その声は、藤本陽生本人で…



「俺は行かねぇって言っただけで、おまえらまで行くなって意味じゃねぇ」


少し不機嫌そうな言い方。



「わざわざ人混みに行くとか面倒くせぇんだよ」



そう言った声も、やっぱり不機嫌そうだった。



お弁当を握り締める手が震えていた。心臓がバクバク鳴り動き、足下から崩れ落ちそうになった。


…なっただけで、現実はしっかり立てていて、お弁当もきちんと抱えている。口から心臓が飛び出る事も無く、ゆっくりとその場を離れた。



シゲさんの元へ戻ると、遠くはないその距離で、シゲさんが口を開く。



「また要らん言うたん?」



手に持ったままのお弁当を指差し、呆れたような口調。



「ハルはほんっまにアホやな」



シゲさんはお祭りの話を一切して来ない。



「春ちゃんの弁当、ほんまに美味うまいのにな」



あたしを誘った張本人だと言うのに…



「シゲさん…」


「ん?」


「……」


「どないしたん?」


「夏休み…」


「ん?夏休み?」


「…夏休みって、」


「うん」


「何してた?」



チキンなあたしは、お祭りの話を切り出せない。



「夏休みはバイトばっかしてたわ」


「うん…」


「いや、聞いといて全然興味ないやん!」


「うん…」


「うんって…どないしたん?」


「え?」


「何かあったん?」


「何が?」


「いや、こっちが聞いてんねん」


「え?」


「…人の話聞いてないのはよう分かったわ」


シゲさんが呆れたように笑ってくれたから、上手うまく誤魔化せたんだと安堵あんどした。



「結局すげぇ雨降ったろ?」


まだ続く先輩達の会話が、こちらにまで耳に届く。



「降ったよな…あいつ結局とんぼ返りしたってよ」


「え?電話かかって来たん?」


「そうなんだよ、俺ら行かねぇって言ってんのに、人の話聞く気ねぇから放っておいた」


「最初は降ってなかったろ?」


「知らね。気づいたら降ってたな」



聞こえて来る会話が、あたしの事を言われてるみたいで…


あたしがバカだって言われてるみたいで…


お祭りに行った事を、言うに言えなくなり、中止の知らせがあたしには入らなかった理由を、聞くに聞けなくなった。




———あの時の事は…今も思い出す度に胸が痛む。


待たされたのが許せないんじゃない。雨に濡れたのが悲しいんじゃない。会えなかった事が辛いんじゃない。



どこまでも浅はかな自分に、嫌気が差していた。



連絡手段なんて持ち合わせて無くて、「行かない」と、一言伝えて貰う事すら叶わない。



それを、あたしに誰かが伝えるだろうと思われたのか…雨だから行ってないだろうと、分かりきった事のように相談がなかったのか…もはや確認の仕様が無い。



ただ、シゲさんからも、藤本陽生からも、もはや誰一人からも…あたしに何も聞いてくれない事が、惨めで、可哀想で、それだけの事…



連絡手段が無い事は分かりきっているのだから、こうして顔を合わせた時にでも、お祭りに行かなかった事を伝えてくれたらそれで良かった。



それすらも、話題にして貰えないあたしは、“バカ”だと言われた、“あいつ”と呼ばれた人よりも、バカで惨めで情けなかった。



そんな自分が居た堪れず、あたしはあの日の事が許せていないのだと思う。



別に、シゲさんや藤本陽生に腹を立て続けている訳じゃない。



あの時の自分を、あたし自身しか知らない事が、あたしだけでもあたしをなぐさめてあげたい…そんな気持ちだったように思う。

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