第δ話 暗殺と宿屋



 唯一の光源である月明かりが、今にも身を隠そうとしていた。なぜ、あの人が付いてくるのか、皆目かいもく検討もつかない。

ただ、宿屋にまで入ってきてあの視線、漠然とした不安が脳によぎった。


俺は厚手袋を付けて、銀蜘蛛ぎんぐも鋼糸はがねいと老木ろうぼくの樹液という接着剤を塗って、ドアに張り付けた。

誰かが急に入ろうとしてきても少しは足止めになると思った。

寝込みを襲おうとする輩なのであれば、最悪殺すしかないと思った。


武器の弓矢とレイピアだけは常備しておいて、皮プレート一式、それと雑貨屋で買った道具を馬の革袋に入れて、掛け布団にくるんだ。

少しの視線誘導になれば良いと思った。


俺は扉から見て右手前、コートツリーがあるところの裏で寝ることにした。

そこなら入ってきた時ベッドに視線が向かってるうちは、死角になると考えたからだ。


弓矢とレイピアを地面において寝ようとしたその時、窓が割れた音がして床に矢が刺さっていた。


一瞬にして脳が覚醒状態に戻り、 驚いた俺は少し前に起き上がろうとしてしまっていた。

窓ガラスが割れた音と同時に、目の前の扉が開いていることに気づいた。

完全に開ききり、正面に居る俺に気付いたその者は、無情な顔で殺しに掛かってくる。


反射的に後ずさるが、その者は俺を殺すことしか眼中になく、自分が殺されることなど微塵みじんも考えていないようだった。


設置していた「銀蜘蛛の鋼糸」で、首が千切れるところをただ眺めるしかなかった。

少し体を逸らしたが、血のシャワーを浴びてしまった。


もう、先程撃ってきた弓士がすぐに来るだろう。

改めて、死角になるであろうコートツリーの裏に隠れて作戦を練った。

すぐにバレたり、扉前でうろつけばレイピアで刺し、バレずに速攻でベッドの方へ行った場合は、弓矢で仕留めると決めた。

近接戦には自信は無いが、矢を外してしまったら、レイピアで決闘するしかない。


「211号室はどこですか!?」

大きな声が聞こえた。


それから5秒も経たずに、ガタガタとドアを鳴らす。押戸と勘違いしているらしい。それに気づいたのか一瞬音が止み、思い切りドアが開いた。


「ヒッ……」


相手が驚いて出た声に、こちらも驚いてしまうところだった。

彼は鋼糸をくぐり抜け、目の前を通った。

こちら側を向いたらこのレイピアを刺す以外無かったが、相手は背中を向けて後ろから刺す猶予もなく、布団の方へと直行していた。

俺は左手に弓と右手に一本の矢を持った。


弓道の動画は、見たことがある。

確か、弓を空に向けて、矢を弦に掛ける。

そのまま、ゆっくりと重力で下ろしながら、背骨を寄せ、弓を引く。


床の傾きでドアが閉まった。


木材が掠る音で、相手はようやくこちらの存在に気づき、全てを悟った様だった。

月明かりが逆光となって、どんな表情だったかは分からなかった。

右指を離した。直線を走った矢が、相手の眉間に直撃した。


俺の口角は、気が付けば、吊り上がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る