きらびやかな会場で①

 夜会の開催される王城と、アルトラシオンが住まう第一王子宮は、それなりに距離があった。

 マリンたちは「少し離れているところ」などと言うが、とんでもない。馬車で十数刻はかかるところは"少し"とは言わないと、ステラシアは思う。

 先日抜け出したときも感じたが、第一王子宮はやたら街に近いところに位置しているようだった。

 普段、第一王子宮で公務をこなしているアルトラシオンの元には、ひっきりなしに王城からの使いが来訪するが、彼らはみな馬に乗ってやってくるらしい。

 そんな説明を馬車の中でされる。しかし、特に王城に知り合いもいないステラシアは、「大変だなぁ」と他人事のように思うだけだ。


「――だが、急ぎの用件ともなれば、馬では少々時間がかかりすぎる。それで、ほかにも通信手段があってな」


「ほかにも……方法があるんですか?」


 正面に座るアルトラシオンを見つめ、ステラシアはゆっくりと一つ瞬いた。

 その様子に、アルトラシオンの口元に薄く笑みが浮かぶ。


「……ああ。伝言鳥と言って、魔力で作った手紙だ。指定した相手の手元に届くまでは、ただの鳥にしか見えない」


「へぇ……そんなのがあるんですね」


「魔法騎士団の副団長が得意でな、執務室によく鳥がやってくる」


「鳥が……ふふっ」


 あの執務室で、アルトラシオンが鳥にまとわりつかれている姿を想像し、ステラシアは笑ってしまう。

 笑わない美丈夫の肩や頭に鳥が乗っている姿は、さぞかしかわいいに違いない。きっと、アルトラシオンの眉間の皺も深くなっていることだろう。

 それとも逆に、癒やされて力も抜けてしまっているのだろうか。

 そう――いまの、ように。

 小さく笑い続けているステラシアを見つめる彼の表情は穏やかだった。眉は顰められていない。口元は緩く弧を描き、紫の瞳の奥では銀色がゆったりと瞬いている。


「……ほら、着いたぞ。少しは肩の力が抜けたようだな」


「あ……はい。そう、ですね」


 ――ああそうか。緊張していたのが、丸わかりだったのか。


(なに考えてるかわからないけど、やっぱり――優しい、ひと)

 

 馬車が止まり、アルトラシオンが先に出る。その後を追って、踏み台に足を乗せようとすれば、すかさず横から手が差し伸べられる。


「足元、気をつけろ」


 その手に触れることを、ステラシアはやはり躊躇してしまう。けれど、振り払いたいとは思わない。

 息を吸って、吐いた。そっと指先で触れれば、柔らかく握りこまれる。

 その温かさに勇気をもらって、ステラシアは地面へと降り立った。


「ところで、どちらに向かわれるのですか?」


 馬車が付けられていたのは、人気のない出入り口だった。警備の騎士以外に人の姿がまったく見えないせいで、ステラシアにもここが王城の正式な出入り口でないことはわかる。


「ここは、王族専用の出入り口だ。正面から入るのは目立ちすぎるだろう?」


 ステラシアの手を引いて、恭しく開かれた扉に向かいながら、アルトラシオンはそっとステラシアの腰を引き寄せる。

 耳元に落とされた声に項をくすぐられ、ステラシアは首をすくめた。吐息が肌を滑ってくすぐったい。

 要するに、ここでもアルトラシオンが気を使ったということなのだろう。大きな体越しに周囲を見渡して、ステラシアはそっと目を伏せた。


(ぅ……なんか、恥ずかしい……)


 扉を開けた騎士たちは、アルトラシオンの顔を見つめ、驚いた表情をしていた。後ろからついてきていたクリフォードたちに至っては、同僚の動揺を前に苦笑を浮かべている。

 視線を落としたままそそくさと彼らの横を通り抜け、けれど通り抜けざまに「ありがとうございます」と頭を下げる。


「……礼など言わずとも」


「――なにかをしてもらったらお礼をするのは当たり前じゃないですか? そこに、身分の高い低いは関係ないと思うんですけど……」


 王族専用の出入り口から王城の最上階までは、階段が緩やかに螺旋を描いていた。二人はそこをゆっくりと上りながら、そんなことを話す。


「……それも……そう、だな」


 少しだけ、前を行くアルトラシオンの声のトーンが落ちた。チラ、と紫眼が後ろへ流される。その視線がなにかを思うように細められ、そのまま前方へと戻る。そして、彼は僅かに顎を引いた。

 そのことがなんだか無性に嬉しく思えて、ステラシアの頬に朱が散る。緩む口元を指先でそっと覆い隠す。


「ここだ」


 そうして、手を引かれながら階段を上りきり、しばらく歩いた先の扉の前で、アルトラシオンが足を止めた。

 重厚そうな扉を仰ぎ見る。

 背の高いアルトラシオンの身長さえもゆうに超える扉には、この大陸の神話が模られているようだった。星と、月と、太陽と……そして、光と闇の神話だ。

 荘厳な趣に、思わずステラシアは後ずさりそうになる。


「呼ばれたら、行くぞ」


 繋がれた手にほんの一瞬力を込められ、そのままアルトラシオンの腕へと導かれる。軽く曲げられた腕に片手を添え、息を何度も吸って吐いて胸を張った。


「第一王子アルトラシオン殿下、並び、に…………失礼しました。並びに、ステラ・エル=フィールド嬢のご入場です」


 微妙な間を挟んだ口上とともに、扉が開かれる。

 隙間から、眩い光が、溢れた。漏れ聞こえていた人々の談笑が扉の開放とともに静まり、柔らかな楽団の奏でる音だけが響いてくる。

 添えた腕に導かれるように、ステラシアはそのただ中へと足を踏み入れた。


 ◆ ◆ ◆


 そこは、まるで星の海に迷い込んでしまったかのような空間だった。

 天井は高く、果てが見えず、ステラシアは視線だけを上向かせてほう、と息を吐く。

 吊り下げられたシャンデリアはいくつもの星の形をしていて、ホール全体を明るく照らしていた。そして、その一つ一つが魔光燈だと気づき、息を呑む。

 こんな精緻な作りの魔光燈は見たことがなかった。

 しかも、この広いホールのすべてを照らす数の魔光燈。一つずつ魔力を流していたらそれだけでまる一日は過ぎてしまう。

 きっと、ひと息に魔力を流し込み、まとめて起動させたに違いない。そんなことができる魔力持ちを、ステラシアはまだアルトラシオンしか知らないけれど。


(王都って、すごい人がたくさんいるんだ……)


 魔光燈に視線を奪われていると、その間をふわふわと光の粒が通り過ぎていく。その光に思わず釘付けになる。

 それは、純粋な魔力だけで作られた光だった。おそらく光属性だろう魔力を、あたかも星に見立てて会場中にばら撒いているようだ。

 ステラシアの師匠も相当な魔力量を誇っていたが、こんな使い方は見たことがない。

 キラキラと眩しいその光景に、目眩がしてしまいそう。


「口、開いているぞ」


 不意に添えていた腕が引かれ、ステラシアは慌てて口を閉じた。その様子に吐息だけの笑みを零し、アルトラシオンが階段を降り始める。

 ステラシアが入場した場所は、他よりも高い場所だったようだ。

 魔力光に照らされながら階下を見下ろして、ステラシアの足が竦む。

 階段下のホールには、色とりどりのドレスが花のように広がっている。いくつもの香りが混ざり合い、咽せ返りそうなほどだ。晩夏の熱気もまた、ホールに充満している。

 合間に見える夜会服の男性やドレスの女性たちの視線が、容赦なくステラシアへと突き刺さる。


「……ステラ。前を見ろ。大丈夫だ」


 かたわらから降ってくる低い声にハッとして、ステラシアはゆっくりと顔を上げた。

 恐る恐る見上げれば、凪いだ紫の瞳と視線がぶつかる。アルトラシオンは、ステラシアをジッと見つめていた。

 先程まであった柔らかな笑みは鳴りを潜めてしまったようだが、それでも、その瞳の奥にステラシアを案じる色がある。

 その目を見返して、ステラシアは口元に笑みを浮かべた。馬車に乗る前と同じように、気を引き締めて、胸を張る。

 今日、ステラシアは、彼のパートナーなのだ。それがどんなに分不相応なことだとしても。


「そう、その調子だ。……安心しろ。俺がいるだろう?」


「…………ぁっ」


 階段下に降り立った瞬間、添えていた腕が離れ、腰を引き寄せられた。

 次いで、ちゅ、という軽く濡れたような音が、頭上から聞こえた。なにやら熱い風が頭部の肌を擽って、髪を優しく揺らす。

 その瞬間、ざわり、と会場の空気が揺れた気がした。


「――殿下があのような振る舞いをなさるなんて……」


「しかし、殿下が女性を連れて来られるとは……」

 

「――そういえば、最近も、討伐に出られたと言うが、まさか……」

 

「いや……だがあの殿下だぞ……?」

 

「戦場の、死……」

 

「――シッ。それは口にしてはならん」


 集まった貴族たちのささやき声が、波のように大きくなって耳に届く。そのほとんどは、アルトラシオンの行動に対してだったが、いくつかステラシアに言及しているものもある。

 だが――、言葉よりも、大勢の視線のほうが、ステラシアには苦痛だった。


「――第一王子殿下」


 階段を降り、会場の中心へと歩き始めると、必然的に貴族の波が割れていく。

 その間を堂々と歩むアルトラシオンに、横から声がかけられた。その声に反応し、アルトラシオンの歩みが止まる。

 立ち止まった二人の前に、装飾の派手な夜会服を着た人物が進み出てくる。焦げ茶の髪を撫でつけ、口ひげの先までクルンと巻いたように見える男性だった。

 可愛げのある口ひげとは裏腹に、ステラシアたちを見る焦げ茶の目は鋭く、きつい。

 けれど、王族の足を止められるだけの人物だということに思い至り、ステラシアはコクリと喉を鳴らした。

 口元だけを優雅に笑ませて、男が口を開く。


「今年の豊穣祭もつつがなく終えられましたこと、誠にお喜び申し上げます。また、夜会へのご招待をいただき、恭悦にございます」


「……ミザーリ卿。貴方も豊穣祭の成功に助力してくれた。感謝している」


「そんな、もったいないお言葉にございます。……それにしても、」


 チラリ、と侯爵と呼ばれた男の鋭い視線がステラシアを射抜く。


(この方が、ダリオ・エウリコ=ミザーリ侯爵……。星の名を冠する、四大侯爵家のひとつ……。イアンさんやクリフォードさんのお家とはだいぶ雰囲気が違うのかも)


 ステラシアはアルトラシオンに大量の教材を渡され頭に叩き込んできたが、それはあくまで文字だけのものだ。名乗られるまで相手の顔と名前が一致しない。

 それがわかっているから、アルトラシオンは彼の家名を口にしたのだろう。

 ダリオから注がれる鋭い視線に、ステラシアの体がこわばる。それを宥めるように、アルトラシオンの手がステラシアの腰を軽く叩いた。

 その感触に、未だ腰に手を回されたままだったことを思い出し、頭の中が別のことでいっぱいになってしまう。


(で、殿下! たぶん、わたしの緊張をほぐすためにこうしてるんだろうけど、逆に心臓がおかしいというか、覚えたことがふっ飛びそうなんですが……!)


「そちらは、どちらのご令嬢で? 失礼ですが、私も覚えのない家名だったもので、少々気になってしまいましてね」


 クルンとした口ひげを指先で撫でながら、ダリオの視線がステラシアの頭から腰のあたりまでゆっくりと這う。

 絡みつくようなそれにゾッとする。けれど、ステラシアはスカートをつまみ、ゆっくりと頭を下げた。


「ご挨拶を賜り、光栄に存じます。ミザーリ侯爵閣下」


 ふん、と鼻を鳴らすような音が聞こえ、体が震えそうになる。そんなステラシアの心情をわかっているとでも言うように、腰に添えられた手がステラシアを軽く引き寄せる。

 触れ合っている右半身が熱かった。背を回り腰に触れている腕の熱が、ステラシアを包むようで安心を覚える。

 殿下、とステラシアは胸中で呟いた。

 守られていると感じる。言葉はないけれど、そばにいると励まされているような。

 そしてたぶん、これは――。


(試されても、いる)


 ステラシアが、ここでどういう対応をするのかを。

 もしもここで対応を間違えたら、アルトラシオンはステラシアを見限るのだろうか。そう考えて、内心で首を振る。


(おそらく、殿下がわたしを見放すことは、ないだろうな……でも、)


 失望はされたくないなぁ、と思った。

 たとえ、これが側仕えの、それも平民である自分に不相応なやり取りだとしても。


(師匠は、引き受けたのなら最後までやり通せ、っていつも言ってた。まあ、最後までやってみてどうにもならなかったら丸投げして逃げてこい、とも言ってたけど)


 アルトラシオンは、ステラシアにできると思ったから、あの膨大な量の教材を届けてくれたのだろう。

 ――信じてくれたのだ。

 やり方は少し強引だったかもしれないが。

 だったら、ステラシアはそれに応えたい。たとえ、仮初の、身分違いで歪な関係のパートナーだとしても。


(えっと、たしか、星の名を冠する四大侯爵家のひとつミザーリ侯爵家の内情は……)


 ゆっくりと顔を上げ、口の端をゆるりと持ち上げる。失礼にならないほどに、目の前の焦げ茶の瞳を見返した。


「ミザーリ侯爵閣下は昨年あたりに新しい奥様をお迎えされたと認識しておりました。本日はいらっしゃらないのですか? ご挨拶をさせていただきたかったのですが、残念です」


 ピクリ、と腰にあるアルトラシオンの手が震えたのがわかった。励ますでも、宥めるでもなく、ふるふると震え続けるそれをさすがにおかしいと思い、ステラシアは恐る恐る隣に視線を向ける。

 斜め上にあるアルトラシオンの表情は、いつもと変わらず……いや、いつも以上の仏頂面を見せていた。

 そっと視線を戻せば、ダリオが頬を引つらせているのが目に映る。


(あ、あれ? なんか……まちがえた? え、えっと……ミザーリ侯爵家は確か……確か……)


 異様な雰囲気となってしまった空間に混乱しつつ、ステラシアはあわあわと口を開く。


「あっ、あの! えっと……ミ、ミザーリ侯爵閣下にはお嬢様がいらっしゃったかと思うのですが、どちらかにおいでですか? あの、年齢も近いようなので、仲良くなれたらいいな、と思いまして……!」


 グッと、腰にある手のひらの圧が強まった。頭上から、「クッ」という震える声が小さく降ってくる。

 前面からは「き、さま……」という押し殺したような声音が漏れ聞こえ、ステラシアは震え上がった。間違えたくないと気合を入れたそばから、なにかを徹底的に間違えたらしい。


(えぇっ、な、なに……どうして!?)


 楽団の音楽だけが緩やかに場を満たす。そんな状況に、ステラシアがなんとか表情を変えずに焦っていると、背後から忍び笑いが聞こえてくる。


「ふっ……ふふっ、ステラ様、最高ですね」

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