【Side:Cliff&Iain】次は、必ず護る

 『叱られてこい』

 そう言ってステラを主の部屋に押し込めたあと、クリフォードは大きく息を吐いて項垂れた。

 その後ろでは、イアンが同様にため息をついて、廊下の壁に凭れていた。その体は、気配すら壁に溶け込みそうなほど沈んでいる。

 そんな男二人の様子を呆れた様子で見つめ、マリンは扉付近に背筋を伸ばして待ちの姿勢を取った。


「お二人とも、心が乱れまくっていますよ。少し離れて落ち着かせてきたらどうですか」


 言外に、反省会なら他所でやれ、と言われ、イアンとクリフォードは、静かにマリンから距離を取った。

 護衛のためにいる二人は、マリンの姿を目に収めつつ、顔を見合わせる。


「イアン、悪ぃ。俺がお前を呼び出したせいで、ステラちゃんに隙を与えちまった……。あのタイミングじゃなきゃ、きっと出ていくことなんてなかっただろうに」

 

「……はぁ。それは言っても仕方ありませんよ、クリフォード」


 自身の長髪を指先で弄りながら、イアンがクリフォードを嗜める。

 ステラを侮ったのは、イアンも同じだった。彼女に宮を抜け出そうなどと大胆なことができるわけがないと、高を括っていた。

 別に監視をしているわけではない。あの、アルトラシオンが気にかける唯一の女性だ。それがどれほど重たい意味を持つか、イアンは痛いほどわかっている。

 そうでなくとも、彼女の知識や品性を、イアンはとても好ましく思っている。だからこそ、どんな危険からも護るのだと、そう思っていたのに。

 クリフォードの考えは、おそらくイアンとは異なるのだろうが。


「それで? アルト様が怪我をしたというのは、どういうことなんですか?」


 イアンの切り返しに、クリフォードが喉の奥で呻いた。

 イアンがステラの護衛に抜擢され、アルトラシオンの護衛は彼ひとりになった。イアンより、クリフォードの腕のほうが立つとはいえ、誰よりも前線へと赴くのがアルトラシオンだ。

 いままでは二人がかり――いや、時には諜報を担当しているウィルフレッドも交え三人で護衛をしていたものを、クリフォードひとりでは手に余っただろう。それはよくわかる。

 だが、それ以上に、彼の主は強い。

 そう簡単に魔獣に遅れを取ることなど、ありえない。

 だからこそ、イアンはクリフォードに尋ねた。

 眉間に皺を寄せ、クリフォードが口を開く。


「たぶん……ステラちゃんのこと、だろうな」


 そう呟いて、クリフォードはぎゅっと拳を握りしめた。

 今日の主は、いつもよりも荒れていた。

 馬を最速で飛ばし、二刻もせず魔獣のあふれる現場に到着すると、アルトラシオンは真っ直ぐに瘴気の中に突っ込んでいった。

 それはきっと、いなくなったというステラを、すぐにでも引き返して探しに行きたかったから、なのだろう。

 隣領の主都市へと繋がる東の街道は酷い有様だった。あそこは流通の要衝となる場所で、通行が多い。

 魔獣の数も多かったが、食いちぎられ、瘴気に溶かされた人間も多くいた。

 そのどれもを、アルトラシオンは、握る剣で切り裂いていく。

 いつものごとく、主の通ったあとには魔獣どころか救護するべき者さえ残っていない。あるのは燻り続ける瘴気の靄と、息絶えた死体だけ。

 数年前にあった、大量発生した魔獣の討伐作戦後から、人間を殺すことに僅かに躊躇いを見せるようになっていたが、今日はそれすらも見られない。


「……ステラちゃんには見せられねぇよなぁ」


 瘴気を避けつつ、魔獣の首を落とし、返す剣で今まさに腹を食いちぎられていた男の心臓を突く。

 その主の姿にクリフォードがポツリと零した瞬間、アルトラシオンの動きが鈍ったのだ。


「……っ、殿下! 横から来てる!」


 魔獣に知性があるのかは知らないが、動きの止まった相手を見逃すようにはできていないらしい。爛れたあぎとをめいっぱい開いて、アルトラシオンへと肉薄していた。


「…………チッ」


 ヒュン! と白刃が煌めいた。無理な態勢で迎え撃ったせいだろうか、いつもなら避ける魔獣の瘴気混じりの体液が、アルトラシオンの頭から降り注ぐ。


「ぐっ、う……」

 

「アルト!!」


 背後から襲ってきた魔獣を両断しつつ、クリフォードは走った。金の髪が、紫眼が、瘴気に侵され、崩れていく。侵された瞳が、ゆるりとなにかを探すように揺れたように見えた。


「アルト! おい、しっかりしろ!」


 星の力を持たないクリフォードは、主に触れられなかった。


「…………だい、じょうぶ、だ。早く片付けて、もどる、ぞ」


「大丈夫なわけがあるか!」


 叫ぶクリフォードの目の前で、ジュッという音がする。アルトラシオンが自らに浄化の力を使ったのだ。

 ついでに、とばかりに、彼の体が淡く発光し始める。そして、ゴオオッと放射状に炎が渦を巻いて、辺りに漂った瘴気もろとも、魔獣を焼き尽くしていく。


「おま……これやると気を失うって……あ、おい!」


「いいから……あとは、たの、む……」


 そうして倒れたアルトラシオンを馬にくくりつけ、クリフォードは最速で馬を駆けさせて王城へと戻ったのだった。


「後始末は、残ってた魔獣討伐騎士団に任せてきた。アイツ、普段は水の力で浄化を行うくせに、今回は火の力で浄化したんだ」


「水の力は清流雨……ですね。火属性に星の力を混ぜた浄化は、普段は剣に纏わせて使っているはずです」


 魔を焼き払う浄化の焔。それは”明け星の乙女"と呼ばれる星の力持ちが得意とする技だ。

 そして、瘴気を洗い流す浄化の清流。さすがに"宵星の乙女"と呼ばれる王妃の息子である。

 清流を雨のように降らせて周囲一帯の瘴気を浄化するなど、歴代の宵星の乙女も使わなかった技だ。

 底の見えない魔力と、同様に果てのない星の力。どちらも持ち得るアルトラシオンだからこそできる技だろう。


「それでも、殿下は"乙女"ではないので……」


「ああ、魔力と星の力の併用なんて聞いたこともねぇけど、あまり広範囲に使用すると、星の力で生命力を使い過ぎちまう」


 そうですね、とイアンは呟いた。それでも、と彼は思う。


「そうまでしても、ステラ様のところに行きたかったのですね、我が主は」


 しみじみとそう零すイアンの目の前で、拳を握りしめたクリフォードの、赤茶の瞳が後悔に揺れていた。


「俺が、余計なことを言わなけりゃ……」


「…………グレン。言っても始まりませんよ」


「だが……っ」


 確かに、アルトラシオンの『殺しすぎる悪癖』は、魔獣討伐騎士団内に於いての深刻すぎる問題ではあるが。

 それをステラに見せられない、と思ったクリフォードは間違ってはいないだろう。タイミングは最悪だが。

 それがわかっているから、項垂れているクリフォードを、イアンは責められない。

 しん、とした沈黙が二人の間に落ちた。

 やがて口を開いたクリフォードの声は、固かった。


「今回は……守りきれなかった」


 その言葉に、イアンはクリフォードへと目を向けた。口元に、いつものように笑みを浮かべている。

 

「ええ。ですが、次は絶対に護りますよ」


 イアンの、常と変わらない――いや、僅かに熱のこもった声音に、クリフォードが俯いていた顔を上げる。

 こういうとき、気休めのような言葉を言わないイアンに、クリフォードがどれだけ救われているか、この男は知らないだろう。 

 

「こんな失態はもう懲り懲りだ」


 きつく握りしめていた拳を開き、今度は決意とともに握り直す。

 

「……強くなりましょう、クリフォード」


 イアンが、静かに拳を突き出した。

 そこにすかさず、クリフォードが腕を伸ばす。

 迷うことなく応じるその姿に、イアンの笑みが深くなる。その瞳を見返して、クリフォードの強張った顔にも、ようやく不敵な笑みが浮かんだ。

 

 二人は、コツンと拳を突き合わせて、頷きあった。

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