【Side:E&N】とある少年と白猫

「……ねぇ、本当に大丈夫ですか? エルさま」


 地に四足で立ち、ピルピルと頭を振っている白猫に、少年――リオは問いかけた。

 手触りの良い白い毛並みに、血のかけらがこびり付いてしまっているのを、無念そうに指でこすって取り除く。これは、あとで風呂桶に浸からせないといけない。きっと鳴いて騒ぐんだろうなーと思うと少々憂鬱だ。

 にゃぁーと細く鳴きながら、後ろ足でカリカリ首の後ろを掻く姿にクスリと笑い、リオは先程までいた少女――ステラが去った路地の先に視線を向けた。

 明るい、いい子だった。

 身の内に溢れんばかりの星の力を宿しているにもかかわらず、なにかに押さえつけられているのか治癒の力は控えめ。けれど、金に近い銀の髪に、濃藍に銀の混じる瞳――。それらが『彼の方』とまるでそっくりで、驚いてしまった。

 落ち着いた身なりをしていたがとても仕立ての良い服を着ていて、どこぞのお嬢様かと思ったが、白猫を、リオを癒やしてくれた手はとても誰かに傅かれているようなものではなかった。

 だからといって、不遇な扱いを受けているわけでもなさそうで、彼女には倦んだところが見受けられない。

 ああ、これは、本当にいわいの星だ――。

 ステラの力だけでなく心に触れて、リオは純粋に、直感的にそう思った。


「ねぇ、エルさま。あの子、不思議な子でしたねー。とっても澄んだ星の力で、あったかくって、優しくて……でも芯の強さを感じさせて。もしかして予言の子の片割れとかなのかなー?」


 ひとり呟きながら白猫に手を伸ばすリオをちらっと見上げ、エルと呼ばれた白猫はプイッとよそを向いてしまう。「勝手に友だちにするなんて!」とか「ヒトを食い意地張ったみたいに言って!」とか「なにさっきの少年っぽさ!?」とかいうかわいらしい声が頭の中に響き渡り、リオは柔らかな肉球に振払われた手をぶらぶら揺らしながら苦笑した。頭の中ではまだ、他者には聞こえないにゃあにゃあした声がリオに文句を言っている。


「それにしても、エルさま。殴られて重症だったのは本当のことなんですから、帰ったらお休みしますよ。……え? まだ獲物を捕まえてないからダメ? ちょ、心まで猫になってどうするんですか。戻ってきてくださいよ!」


 ゆらゆらとどこからか迷い込んできた蝶を追うように、路地の奥へ走りだそうとする白猫を両手で羽交い締めにしたリオは、その先へ去っていった少女の銀髪を思い出しツ、と空を見上げた。


「……エルさまはイジワルですね。もしかして殴られたのに治癒させてくれなかったのは、あの子を待っていたからなんですか?」


 空は、どこまでも遠く、青かった。けれど、この路地裏からではまるで、手に入らないもののように小さく見える。本当はこの空一面に、星々が夜になるのを今か今かと待っているというのに。人々の営みをキラキラとして見つめているのに。

 ――我らはいつだって人々を見ている。数多の人間が織りなす生の輝きを見守っている。

 ぼんやりと上を見るリオの手から地面に降り立ち、白猫はにゃあとひとつ鳴いた。脳内ではなく、風がリオの耳に確かな『声』を届ける。


「これも『運命』だよ、ノヴィリア」


 とりあえず、「運命って意図的に作り出すものじゃないと思うけど」という言葉は胸のうちに。深緑色の瞳を細めた白猫と目を合わせ、リオは見た目にそぐわないほど大人びた笑みを浮かべた。


「ええ、そうですね、エル――エトワールさま」


 願わくは、あの星の輝きの少女に幸あらんことを。

 運命にも、予言にも負けることのない、優しく強い心を。

 数多の星々が織りなす煌めきに、揺蕩い、抗い、己の道を進んでいけるように。

 彼女の幸いを願い、リオ――ノヴィリアは、王都の路地裏で静かに真昼の星々へ祈りを捧げた。

 

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