2.

詰め込み式夜会準備

 ポーラリア星王国第一王子アルトラシオン・ディア=ポーラリアスから、夜会のパートナーになる指示を受けたその晩。第一王子宮にあるステラシアの居室に、大量の資料が運び込まれた。

 つい数刻前まで、アルトラシオンと夕食を共にしていたのだが、まさかこんなに早く届けられるとは思わなかった。

 第一王子付きの護衛騎士であり従者でもあるクリフォードと、第一王子付きからなぜか側仕えのステラシア付きになった護衛騎士イアンが、ニコニコしながら両手いっぱいの紙の束を持ってきたとき、ステラシアの入浴の世話をしようとしていたステラシア付きの侍女であるマリンは非常にご立腹だった。

 その前に、側仕えに護衛騎士やら侍女やらがいるのが本当におかしいのだけど。そのあたりは誰もなにも気にしないらしい。

 ――いや、気にしてほしいんだけど!

 と、まあ、そんなことよりも。


「もおおお! 殿下ってば無粋です! こんな紙ばっかり運び込むなんてどうかしてますよ! いままでみたいに花束のひとつやふたつや十や二十くらいは持ってくるべきでは!?」

「いやいやマリンちゃん。二十は多いでしょ」

「……色気がなさすぎるのは、認めますけどね」

「いえ、あの、三人とも落ち着いて……?」


 机にドサリと置かれた紙の束に目を通しながら、ステラシアは苦笑する。あの三人はとても仲がいいようだ。

 マリンいわく『私は魔法騎士団にいたので、近衛騎士団所属で王子殿下付きのお二人にはお会いしたことありませんでしたけど。まあ、お噂はかねがね』ということらしいので、単純にウマが合ったということなのだろう。その噂がどんなものだったのかは、想像に難くない。


(きっとモテモテなんだろうなー)


 ふざけあっていても、なんだかんだ見目の良い男たちである。おそらく、城内どころか城外でも秋波を寄せる女性が後を立たないに違いない。

 そんなことを考えながら、ステラシアは片手をこめかみに当てた。

 ああ、やだ。頭痛がする。これを本当にあと一ヶ月ちょっとで覚えろと……?

 夜会のある豊穣祭は、双星ふたつぼしの月の始まりの日。いまが東雲星しののめぼしの月の十一日の週だから、間に紅星くれないぼしの月が二十五日間入って、実際には一ヶ月以上はあるとはいえ、この量である。


 (殿下、たしかって言ってたような……ウソでしょ)


 いったいこの国にいくつの貴族家があると思っているのか。大きなところでは星の名を冠する三大公爵家、四大侯爵家、筆頭伯爵五家があるが、それ以外にも大きな領地を持つ伯爵家や、領地は小さくとも事業展開をして潤っている子爵家や男爵家が星の数ほどある。それこそ、東の大陸との交易に成功して勢いをつけているのはとある子爵家だったはずだ。広大な北の大陸にある二大大国の一つというのは伊達ではないのだ。


(もしかして、って、騎士爵まで含まれてたりしないよね!?)


 そんなことになったら本当に膨大で、ステラシアの頭だけでは処理しきれない。たしかに貴族名鑑は最初から最後まですべて読み漁って頭に入って入るけれども、アルトラシオンは『その家の当主と後継、担っている職務とその家の執り行っている事業と人となりさえ叩きこめば……』なんて空恐ろしいことを言っていた。

 要するに、ステラシアをただ王子殿下の隣でニコニコ笑っているだけのお飾りのパートナーにするつもりがないということだ。


(ひっ……ひえ……っ)


 気づいてしまった恐ろしい事実に頭を抱えたくなる。


「む、むり……きっと殿下、わたしに挨拶までさせる気だ……ぜったいムリ……」


 紙の束を抱えながら頭を振るステラシアに気づいたのか、考えごとの最中もずっと言い合っていた三人の声がピタリと止まる。


「そ、そんなことないですよ! ステラ様はきっとぜったい、無事にご挨拶もできますから!」


 拳を握って鼻息荒く詰め寄ってくるマリンが怖い。そういう意味で無理って言ったわけじゃないのに。できるとかできないとかの問題じゃないと思うのコレは。

 その彼女をドウドウと宥めながらイアンがステラシアの片手を取る。ニッコリと穏やかに笑うその瞳が、夜のせいかいつもより濃い茶色に見える。


「大丈夫。ステラ様なら、できますよ。なにかあったら、私に声をかけてください。息抜きに美味しい紅茶を淹れて差し上げますから」


 紅茶を淹れるのは私の仕事です! と憤慨するマリンをそっと押しのけて、クリフォードがステラシアに向かってその長身を傾けた。


「だいじょーぶだいじょーぶ。ステラちゃんならできるって。なんなら殿下だってすぐそばにいるんだし、あの人ぜっってぇそばから離れねぇだろーし? なんか困ったら殿下の手をこう……キュッて握ってやればいいんだよ」


 そう言って、クリフォードもまた、ステラシアの手を取って軽く握りしめてくる。その二人の手をバババッと払い落とし、マリンがステラシアの両手を握りしめた。


「そうですよ! 困ったら殿下に頼っちゃえばいいんです! ステラ様が頼ってくれたら、あの殿下もきっと舞い上がってなんでもやってくれると思いますよー!」

「マリンさん、それはさすがに不敬では……」

「良いのですよ、殿下はきっと助けてくれます」

「……つーか、頼られなかったら逆に不機嫌になるんじゃね? ぐふぅっ……イアン、テメ……っ」


 ボソリと呟いたクリフォードの言葉が聞き取れずステラシアが首を傾げれば、すかさずイアンが彼の脇腹に肘をめり込ませた。


「ところで、わたしは平民なのですが……」


 ぜったいこの待遇はおかしいですよね? そうですよね? 侍女がいるのも専属護衛がいるのもなんだか豪奢なこの部屋にいるのも。それに平民が王子殿下のパートナーって、貴族に噂してくださいって格好のネタを投下しているようなものじゃないんですかね?

 だってそうでしょう。いまだ、王太子の決まっていないポーラリアス王家だが、いまのところ次期国王に一番近しいのは最年長のアルトラシオンのはずなのだ。


(たしか、王家には二人の王子殿下と一人の王女殿下がいるってアルフォレスタ国王陛下の生誕記念祭で、街の人たちが言ってたような……第二王子殿下はわたしの一つ上の十七歳だったはず)


 で、あるならば、アルトラシオンの二つ下だ。

 第二王子殿下との関係性がどのようなものかはわからないが、もしも、ステラシアのような平民を第一王子のパートナーとして連れて行ったら、アルトラシオンの評価や人望が落ちてしまうのではないだろうか。アルトラシオンの評価や人望がどれほどのものなのかもまた、ステラシアは存じ上げないのだけども。


(うん……でもなんか、それはちょっとイヤだな)


 強引な人ではあったけれど、横暴な人ではなかった。いや、多少横暴さはあったけれど、あれは身分ゆえの尊大さな気がする。そして、少しばかり、傲慢でもある。


(ああ、そっか。わたし、殿下のこと、なにも知らないんだ……)


 強引で、ちょっと横暴で尊大で。ステラシアを殺そうとする傲慢さがあって。王子だからなのか、なにかきっかけがあってなのか、ステラシアはなにも知らない。

 けれど、そんなステラシアでも、一つだけ知っていることがある。


(殿下はとっても、優しい、ひと――)


 ステラシアの見舞いに欠かさず来てくれて、花が好きだと知ったら毎日違う花を持ってきてくれて、お菓子にしても服飾品にしてもいらない多すぎると断ったステラシアの要望を、怒りもせずに聞いてくれて。

 近寄りがたい雰囲気だけど、とても優しいひと。

 だから、そんなアルトラシオンが他の貴族たちにアレコレ言われるのは嫌だと、ステラシアは思うのだ。


「大丈夫ですよ、ステラ様。殿下は体だけはお強い方ですから。それに、ステラ様がそばにいてくださればきっと殿下も、負けることはないと思います」


 やんわりとした声に顔を上げれば、イアンが優しくステラシアを見下ろしていた。隣ではクリフォードがニカッと笑ってみせる。マリンはその隣で澄ました顔をしているが。

 根拠のない『大丈夫』には不安しかないのに、この三人が言うと心強いのはなんでだろう。

 第一王子のパートナーなんてステラシアには勇気どころか心構えもないのに、じゃあちょっと頑張ってみようかな、と思わせるのだから、従者ってすごい。


「ふふっ……じゃあ、できるところまで、がんばってみます。当日、殿下に恥をかかせないように」


 とりあえず、第一王子殿下のパートナーとして隣で挨拶までさせられることの意味を考えないようにして(考えたら怖いからね!)、ステラシアは三人に向かって微笑んだ。なんだか丸め込まれたような気がしないでもないけれど、あまり深く考えてもいけない気がする。


 こうして翌日から、ステラシアの詰め込み式夜会準備が始まった。

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