星の名を冠する貴族

 マリンを伴いはじめて訪れた第一王子宮の執務室には、アルトラシオンと、二人の騎士がいた。

 一人はよくアルトラシオンのそばにいる従者兼護衛騎士のクリフォード。もう一人は最近よく、ステラシアの近くに控えている近衛騎士である。


「来たか、ステラ。緊張しなくていい、まあ、座、れ……」


 アルトラシオンに声をかけられ、ステラシアはスカートを摘んで礼を取った。その瞬間、執務室内がシンと静まり返る。顔を上げ、小さく首を傾げるステラシアの肩から、金のような銀のような髪がスルリと落ちる。

 今日のステラシアは、髪をまとめてはいなかった。サイドを少々頭の後ろで留めているだけ。腰まである髪はそのまま背へと流されている。その揺れ落ちる髪を目で追って、わざとらしく咳払いをすると、アルトラシオンは執務机からソファへと移った。

 その第一王子殿下のギクシャクした姿を眉を寄せて確認してから、ステラシアも対面のソファへと腰を下ろしたのだが――なぜか少しだけムッとした気配を感じる。

 背後でブフッと言うおかしな音が聞こえたんだけど、なに?


「んっんんっ……さっさと本題に入るぞ。とりあえず、先日言ったおまえを側仕えにするという件だが、」

「そのことですが、殿下」


 不敬と知りながら、ステラシアはアルトラシオンの言葉を遮った。

 それでも、アルトラシオンは怒ることなく、逆にどこか楽しそうな雰囲気を纏わせながら、ステラシアの言葉の続きを待つ。だから、ステラシアも、ピンと背中を伸ばしたまま口を開く。目上の人との話し方は師匠が叩き込んでくれたのだから、きっと、だいじょうぶ。

 

「側仕えになる、というのはお断りしません。ですが、わたしはただの平民です。うまくできるとは思えません。ですので――期間を決めてほしいと思います」

「期間?」

「はい。そうですね、たとえば……1年間。1年間、わたしは殿下の側仕えとして一生懸命働きます。ですが、その後は、ただの平民としておそばを下がらせてください」


 ピクリと、アルトラシオンの眉が動いた。最近はステラシアの前では寄ることのなかった眉間のシワが、グッと深くなる。


「それは……どうしてだ?」


 跡残っちゃうからやめたほうがいいのに、と対面で話しながら思うが、そこまで言う勇気はステラシアには無い。背後の騎士様たちが後ほど遠慮なく伝えてくれるに違いない。たぶん。


「先日もお伝えしました。わたしは……師匠を探しに行きたいんです」

「師匠、ね……その師匠は、おまえにとってなんだ?」

「師匠は、わたしにとっての家族です。どうしようもなく生活能力の無い人でしたが、あの日、怪我をしながらもわたしを逃してくれた。本当は、逃げちゃいけなかったのに……わたしも残って師匠の手助けをしないといけなかったのに……だから、わたしは師匠を探して謝りたいんです。そしてまた一緒に暮らしたい」

「その師匠とやらが怪我をしていたと言うなら、もしかしたらもう、」


 ガタン! とソファの鳴る音がした。ステラシアは、思わずテーブルに手を突いて中腰になっていた。形の良い眉を寄せ、いまにも泣き出してしまいそうな表情に、アルトラシオンの言葉が滑る。だけれどそんなことはどうだっていい。そう、どうだっていいんだ。そんなこと言われたらもう、なりふり構っていられない。だって、ステラシアにとって、師匠はすべてだ。


「それはありえません! 師匠はあんな魔獣ごときにやられる人じゃない! 魔力も星の――あ、いえ、膨大な魔力を持ってるんです! 魔獣だって瘴気だって消しされるんです!」

「……魔力で瘴気を、だと?」


 呟いたアルトラシオンの声は興奮したステラシアの耳には届かない。

 声の大きくなったステラシアに、まぁまぁと言いながら近づいてきたのは、アルトラシオンの従者兼護衛騎士であるクリフォードだった。


「ほらほら、ステラちゃん落ち着いてー。そうそ、イイコだ。なぁ、ちょっくらお茶にしようぜ」


 優しく肩に手を添えられ、ステラシアはゆっくりとソファへと腰を下ろす。あやすようなクリフォードの声には、なんだか逆らえない気がしてしまう。


「ああ、そうですね。私がお茶をお淹れしますよ。美味しい焼き菓子も、ありますし」


 慣れない声に振り向けば、紺色の髪をした近衛騎士が、柔和に笑いながらティーポットに手を伸ばしたところだった。

 その腕を、ガッと掴むのは、壁際に控えていたはずのマリンだ。


「ちょっと待ってください! ステラ様にお茶を淹れるのは私の役目です!」

「……私のほうが、美味しいと思いますが?」

「なぁぁ!?」


 じゃれ合うような二人をポカンと眺め、ステラシアはふっと肩の力を抜いた。握りしめていたらしい拳をそっと開く。ずいぶんと力が入っていたようで、手のひらに爪の跡がくっきりと残ってしまっている。


「わーん! ステラ様ー! 私を捨てないでくださいー!」


 泣きながらマリンが注いでくれたカップを傾ければ、飲む前から芳醇な香りを振りまいていて、一口口にしたら動けなくなってしまった。


(え、なにコレ……とんでもなくおいしいんだけど)

「ふふ、美味しいって顔、なさってますね。どうです? 落ち着きました? では、こちらもどうぞ」


 柔らかな声音とともに、ステラシアの目の前に皿が置かれる。

 盛られた焼き菓子はなぜかステラシアが午前中に作っておいたものだった。目の前のアルトラシオンは躊躇なくそれに手を伸ばして口に放り込んでいる。


「え、これ……」

「とても美味しいお菓子ですね。お相伴に預からせていただいております」

「ええっ、もしかして食べ……? え、あの、あなたは?」


 チラリと、アルトラシオンを見た男が、ステラシアの前で膝をつく。片手を胸に当て、ステラシアの右手を掬い取る。紺色の髪がサラリと揺れた。執務室の大きな窓から差し込む光が、男の顔を照らしている。切れ長の薄茶の瞳は、優しげにステラシアを見上げていた。光の加減でたまに金色に見える。左の目元にあるほくろが色っぽくて、なんだか少しドギマギしてしまう。

 

「改めまして、ステラ様。私は、イアン・ヒューバート=アリオトルと申します。イアンと呼んでください」

「ステラ、おまえの専属護衛騎士だ」

「あ、アリオトル……え、護衛? 専属!?」

「おや、我が家をご存知ですか?」

「へ? あ、ええと……アリオトル侯爵家……星の名を冠する4大侯爵家のひとつ、ですよね」


 へえ……と誰かが呟いた。ステラシアの手を取るイアンが、笑みを深くする。対面からの視線がステラシアに突き刺さった。


「えー、じゃあ、俺の家名も知ってたの?」

「クリフォードさんは、アルカイディスですよね。そちらも確か、同じく4大侯爵家のひとつと覚えてます」


 どちらも雲の上の存在です……とぷるぷる震えるステラシアを、室内にいる四人はなぜかじっと見つめていた。

 星の名を冠する貴族。それは、星の力を宿した人間が生まれてくる北の大陸で、とても重要な家だ。ここポーラリア星王国だけではなく、おそらく隣の大国も似たようなものだろう。

 星の力を持つ者――特に星の乙女になれるほどの大きな力を持った存在は、各星の名を冠する貴族が保護及び国への報告をしなくてはならない。なお、神殿に関しては例外となる。これは、星王国暦法に定められている。


「では、マリンの家は」


 ティーカップを傾けながら、アルトラシオンが問いかける。視線が外れたことに気が付き、ステラシアはほっとした。イアンが、ニコリとしながら手を離してくれる。


「マリンさんのお家は、シスル……は確か子爵家の家名で、ミモザラスはイアンさんたちと同じく星の名を冠する、伯爵家のものか、と……」


 思いますけれど、という言葉が出てこなかった。沈黙が怖い。誰も言葉を発さない。

 ポーラリア星王国で星の名を冠する貴族は、12家。それぞれ三大公爵家、四大侯爵家、筆頭伯爵五家と呼ばれているらしい。そのうちの四大侯爵家のうち、二家の人間が騎士としてここにいる。しかも、筆頭伯爵五家の御令嬢がステラシアの身の回りの世話をしているのだ。そして、目の前には膨大な魔力と星の力を宿したこの国の第一王子殿下。やだもうなにこれ平民にはツライ。高貴すぎて目眩がしそう。

 というか、待ってほしい。切実に。ステラシアはただ、問われたから自分の知識を総動員して答えていただけなのに、なんでこんな重苦しい雰囲気になってるの。


(なんでー! もう、勘弁して……助けてよ師匠ぉ)


 なになに、なにかダメなこと言った? まさかなにかやらかした? わからない。どうしよう。どうしたら。助けを求めた脳内の師匠は、「まぁがんばれ」と片目を瞑って親指を立てている。ダメだ。これはなんの役にも立たない。わざわざ舌出してるところが小憎らしい……っ。


「とりあえず、側仕えの件は、期間を決める、ということだな」

「ぅえっ、ははは、はい!」

「一年か……まあ、いいだろう。だが――ただ期間を決めただけでは俺がつまらん。条件がある」

「じょ、じょうけん?」

「ああ。おまえが条件をつけてきたんだ。こちらにだって条件を提示する権利はあるだろう?」


 まあ、それはそう。仕方なく、コクリとうなずく。警戒心がだだ漏れになっている気がするが、この際もう気にしない。

 

「……まるで餌を横取りされた猫みたいだな」


 クスリとアルトラシオンが笑った。なんだか室内の気配が騒がしい。

 その、笑みを浮かべた表情のまま、第一王子が対面から身を乗り出してくる。テーブルの向こうから、ステラシアの手を取って指を包み込まれた。先ほどイアンに触れられた熱が、アルトラシオンに塗り替えられる。くい、と持ち上げられ腕を引っ張られた。


「側仕えの期間中、俺を心底から満足させてみろ。そうすれば、俺がおまえの師匠とやらを探してやる」

「……えっ」

「それから、おまえの仕事だが……まず、朝晩の俺の身支度を手伝うこと。それから、俺のパートナーとして、夜会や舞踏会などへともに出席すること」

「え……っ?」


 ちゅ、と指先にアルトラシオンの唇が触れた。

 こちらを見る上目遣いの紫の瞳が、とても色濃く煌めいている気がする。


「なお、おまえが俺を満足させられなかったら……側仕えは無期限延長だ」

「あ、あわわ……え、えっ?」


 朝晩の身支度はまあいいとして、パートナーってなに!? む、無期限延長ってなにー!?

 言っていることがわからない。なに言ってるのこの人。ハクハクと口を開いたり閉じたりしてみるが、言葉がそこから出てこない。

 その沈黙を肯定と捉えたアルトラシオンの笑みが、いままで見たことないほどに深くなる。

 甘い顔立ちに、広がるそれは甘い笑顔――なんかではなく、とてつもなくイジワルそうだ。

 

「契約成立ということでいいな。ここに契約書を作成したから、サインをするように。ステラ? 聞いているか、ステラ」


 手を差し出したアルトラシオンへ、イアンがどこからか取り出した契約書を渡す。

 ほら、早く。と急かされ、ペンを持たされたステラシアは呆然とそこにサインをした。

 そう、うっかり、愛称ではなく「・エル=フィールド」と正式名で。


 それを見たアルトラシオンが目を細めたことにも気が付かなかった。

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