第41話 西都リジナス(2)

 ルワンの父・メクスワン六世は温厚な人格者として知られ、その統治は公明正大で慈悲と寛大さにあふれたものであったと広く評されている。批判的に見れば少々甘く手ぬるい面もあるとさえ陰では言われてもいたその人情家な国王が三年前、ただ一度だけ烈火の如く激怒して皆を驚かせる大鉈おおなたを振るう措置をしたことがあった。


「父上、一体何があったのですか?」


「まだよく分からぬ。ワラドーンほどの重臣を宰相であるわしにすら一言もご相談なくいきなり粛清なさるなど、普段の陛下からは考えられぬような話じゃが……」


 当時十四歳だったラットリーも、父のジラユートが当惑していたその時のことはよく覚えている。寵臣の一人だった有力貴族のワラドーン・ガーケーウを、メクスワン王は突如として死刑に処したのである。ある日突然、王に呼び出されたワラドーンはその場で身柄を拘束されて王宮の地下牢に放り込まれ、国王と王子たち直々の尋問を数日間に渡って受けた末、毒杯を呷って獄中で自害させられたのであった。


「父上も……私たちマノウォーン家も同じようにお取り潰しになったりするのでしょうか?」


「いや、陛下に限ってそこまでのご乱心はないと信じたいが……。ワラドーンの奴は確かに以前から、何を考えておるのかよく分からぬところがあったからな」


 もし一族が処断される事態となれば真っ先に首を刎ねられてしまう人質という立場にあるラットリーの不安を察して、実の姉のような存在だった三歳年上のピムナレット王女は彼女を優しく抱き締め、穏やかな、しかしどこか無理に怯えを抑え込んだような声でこの愛する従妹に言い聞かせた。


「大丈夫よ。ラットリー。あなたもよく知っている通り、陛下は決して怖い御方ではないわ。恐ろしいのは陛下ではなくて、我が王室の上に起きてしまったこと」


 それ以上の詳しい説明は、ピムナレットも口をつぐんで絶対に話そうとはしなかった。ナピシムの王朝内を大いに動揺させたワラドーンの抹殺だったが結局、マノウォーン家など他の家臣にも粛清の手が及ぶようなことは一切なく、ただガーケーウ家だけが罪状を極秘としたまま改易・断絶となったのである。


 一年前の火事で記憶を失い療養していたルワンが王宮を離れ、デーンダー僧院に入って修業を積むよう父王から命じられたのは、それから間もなくのことであった。




「殿下、ウークリット殿下」


 崩れかけた廃教会の前に降り立ったコウモリ型の魔人が変身を解き、痩せた長身の老紳士の素顔を見せながら中へと入ってくる。礼拝堂の木椅子に腰かけて考え事をしていた黒い鉄仮面の若者――ウークリットは、鬱陶しそうにゆっくりと声のした方へ振り向いた。


「何事だ。ワラドーン。騒々しいぞ」


「はっ、申し訳ございませぬ。殿下。……あの偽王子の行方が掴めましてございます」


 プテロプスゼノクとなって各地を飛び回り、情報収集をしていたこの気品と怪しさが混在したような奇妙な空気を纏った白髪の老人は、ウークリットに名を呼ばれると恥じ入るように胸に手を当てて恭しく一礼した。


「あの僭称者めはマノウォーン家の領地のリジナスへ逃れ、そこでゾフカール軍と戦うため兵を集めておるようにございます。亡き国王陛下から王剣を受け継いだ王家の正嫡として、全ナピシムを自らが糾合し王都奪還を目指すなどと豪語しておるとか」


 憎々しげに感情を込めてワラドーンは言ったが、ウークリットは仮面の下の表情をわずかな苦笑に歪ませたのみで冷静だった。


「そういきり立つな。ワラドーン。奴は記憶を失っているのだ。自分がただ一人生き残った王子だと本気で信じていれば、そのような行動に出るのも当然だろう」


「それは仰せの通りにございますが……」


「今はせいぜいそう思い込ませておけ。奴がゾフカールを相手にどこまでやれるかは分からんが、例えほんの一時いっときだけでもコサックどもの注意を引きつけて、互いに潰し合ってくれれば俺たちとしては好都合だ」


 ナピシムの王朝をたちまちの内に攻め滅ぼしてしまった強大な侵略者を相手に、今すぐ立ち向かうにはこちらもまだ準備が足りない。ゾフカール帝国の侵攻という想定外の事態に、以前から密かに練っていたウークリットらの計画は大幅な軌道修正を強いられることになった。だが今や新たな方針ははっきりと定まりつつある。ゾフカール軍もそれに組するチェンロップらもルワンも、まとめて葬り去る策は考えてあるのだ。


「ところで殿下、宣教師のキャメロン殿はいずこに? 先ほどからお姿が見えぬようですが」


「フィリーゼ人の仲間たちと作戦会議をしに行ったよ。あちこちの植民地から兵をかき集めて、この俺を王にするために動いてくれるそうだ」


 アレクジェリア大陸の列強の一つであるフィリーゼ王国は、既にウークリットの即位を全面的に支援するという密約を結び水面下で動いている。ナピシムへの進出に関しては他の西洋諸国に遅れを取っている彼らからすれば、新たな王の擁立はそれを覆す一発逆転の秘策になるという算段からだろうが、そうした下心ありきでも一向に構わないとウークリットは思う。


「それは心強い……。ですが殿下、他国の軍隊ばかりに頼りきりではナピシムの王としてはどうにも足元がおぼつかぬと申すもの。我がガーケーウ家の残党を主軸として、殿下直属の兵も集めねばなりますまい」


「無論分かっている。奴らを噛み合わせている間に没収されたお前の旧領へ行き、そこで兵を挙げるぞ。だがその前に……」


 下らない興味本位の道草ではあるが、と自嘲して、ウークリットは直近の目的地を示した。


「まずはリジナスに行って奴の顔を拝んでやろう。その戦いぶりも、な」


 顔を拝むと言っても、もう散々見飽きた馴染みの面相をまた目にするだけのことでしかない。黒い仮面をわずかに横へずらし、右目を眼帯で隠した自分の顔を鏡に映して眺めながらウークリットは再び自虐的にわらった。

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