5.失念

八時五分。

もうすぐだ。


「おはようございます」

峰岡が喫煙室へ入って来た。


「おはようございます」

弘が挨拶を返した。

朝だけでなく、アックスでは、昼も夜も挨拶は「おはようございます」と云う決まりだ。

何故かは、一度、栗林市の石木店で、聞いた記憶はあるが、理由は覚えていない。


「早いんやなあ」

弘は、お愛想を云った。


「ええ。まあ」

峰岡は、応えに窮していた。


「それでえ…」

最近の大学生にしては、いや、撤回。

随分と、控え目な大学生だ。

間が持たない。


だったら。

弘は、峰岡が龍河大学の学生だと聞いたが。と確認した。

峰岡は、そうだと答えた。


この調子で会話していては、九時迄に話しが、終わらない。

何としても、夜勤に移ってもらいたい。


しかし、硯川の龍河大学生の遺体の件も気になる。

弘は、一番、興味のある事からにした。

直截、知りたい事を尋ねる事にした。


弘は尋ねた。

最近、硯川で、龍河大学生が、遺体で発見された。

知っているか。


峰岡が知っていると答えた。

実は、峰岡と同じ、学術探検部の先輩だと云う事だ。


当たりだ。

すると、実は…と。

先程とは、打って変わって話しを始めた。


龍河洞の学術探検調査は、半年以上前から準備をしていた。

本来は、板井が学術探検調査に、参加する筈だった。

板井が、今年の一月に殺害された。

弘は、ネットニュースで、内容は知っている。


板井は、峰岡と他、男女二人と何度も山歩きをしていた。

二人とも、龍河大学の学生で、板井と同じ中学、高校と同級生だった。


板井は、学術探検部員だったが、その男女二人は、学術探検部員ではない。


それは、初耳だ。

これは、大当り。

かもしれない。


峰岡の話しは変わって、学術探検部の話しに続く。

遺体で発見されたのは、沢井先輩だ。

沢井先輩は、四年生で、体格もしっかりして、体力もあった。

山歩きにしても粘り強く、本気で歩くと沢井先輩には、誰も追い付けない。


しかし、沢井先輩は、皆と一緒に歩く時は、ゆっくりと歩調を合わせてくれる。

優れていたのは、山歩きだけではない。


水泳も得意だったようだ。

学術探検部で、海水浴へ出掛けた時の事だ。


子供が溺れていた。

沖の筏から落ちたようだ。

父親が見ていて、筏まで泳いで、救出に向かった。

あまり速くはない。


それに気付いた沢井先輩が、救出に向かった。

見事、沢井先輩が、子供を救出して、岸まで戻って来た。


その事で、沢井先輩は、警察から感謝状を贈られた。

峰岡は本当に、沢井先輩を信頼していた。

ようだ。


板井に付いては、学術探検部で仲良くしていた。

峰岡は、学術探検部とは別に、坂井の友達と四人で、山歩きによく出掛けていた。


だから、警察に最初、聴取を受けた時、気になる事があった。

何度も、坂井とは、山歩きしている。

いつも、板井は、濃緑のリュックを使用していた。


しかし、硯川の下流の橋桁で、板井の遺体が発見された。

捜査の結果、硯川の上流で、板井の所持品が発見された。

その所持品に、青いリュックがあったらしい。

西原さんが、板井の母親から、尋ねられた。

青いリュックに見覚えがあるか。

西原さんは、記憶に無かった。

だから、そう答えた。


峰岡も、警察でも聞かれた。

しかし、青いリュックに見覚えがない。

峰岡は、青いリュックが、事件の手掛かりかもしれない。


そりゃそうだ。

もし、青いリュックが犯人の物なら。

板井の濃緑のリュックは、どこにあるのか。

犯人が持ち去った。

かもしれない。


実を云うと、峰岡は、刑事さんから、また、聴取された。

二日前、喫茶店で、刑事さんと待ち合わせしていた。


峰岡が、授業終了後、喫茶店に入ると、刑事さん二人が居た。

ふと、窓際のテーブルを見た。


西原さんと、樋田が刑事さんから聴取を受けていた。

板井の殺人事件の時、峰岡も、あの二人の刑事さんから、事情聴取を受けた。


峰岡は、会釈をして、待っている刑事さんの席へ行った。

席に着くなり、挨拶もなく「早速ですが」と聴取が始まった。


今度は、どんな事を聞かれるのか。

と思っていると。

沢井先輩の交友関係だった。

特に、学術調査の時、沢井先輩と同じ班だった中橋さんと、小川先輩の三人の関係だった。


峰岡にとっては、三人とも先輩だった。

だから、詳しい関係は、分からないと答えた。

しかし、そう云えば、大山先輩が云っていた。


班分けが決まった時に、大山先輩が云った。

少し、苦笑いしたように、あの三人が同じ班で大丈夫か。


最初は、沢井先輩に負担が大き過ぎないか。

と云う意味だと、思っていた。

もしかすると、もつと、別の意味があったのかもしれない。


当然だが、中橋さん、小川先輩、大山先輩にも聴取をしている。

だが、もし、別の意味があったとしても、喋る訳がない。

勿論、他の学術探検部員にも、聴取をしている。


しかし、峰岡と同様、心当りが無い。

と回答した。


刑事は、また何かあれば、連絡する。

協力をお願いする。

何か思い出したら、警察署まで、連絡をお願いする。

と云って、聴取は終わった。


弘は、ちょっと整理してみようと云った。

板井君は、確実に殺人事件だ。

今、手掛かりと云えるのは、青いリュックだ。


沢井君の場合は、事件、事故の両方が考えられている。

ただし、警察が、捜査しているのは、事件の可能性が高い。

と考えているからだろう。

現状、捜査の中心は、交友関係だろう。


弘がそう云うと、峰岡が尋ねた。

何故、そんなに、興味を持っているのか。


弘が答えた。

沢井君の、遺体を発見したのは弘だ。


峰岡君は驚いたようだ。

しかし、納得もしたようだ。


本当は、千景なのだが。

それで、弘は峰岡に相談を持ち掛けた。

「一緒に、事件、調べてみいへんか」


今度は、本当に驚いたようだ。

ちょっと考えてみる。

との答えだった。


もう九時五分前だ。

峰岡の休憩時間は、十二時半から十三時半までだ。


バックヤードの掲示板に、当日の作業割当表がぶら下がっている。


峰岡は、喫煙室から出た。

朝礼のため、バックヤードの掲示板前へ向かった。


「十二時半。待っとるけんな」

弘は、声を掛けた。

峰岡は、振り向き、頷いた。

つまり、まだ、事件に付いて、話したいことがあるということだろう。


しかし、何か引っ掛かっる事がある。

しまった。


峰岡を夜間勤務になるように、説得するのを忘れていた。

ただ、まだチャンスがあり。


しかし、十二時半に、また喫煙室へやって来る。

その時が勝負だ。

事件の話しは、一先ず、置いておくしかない。

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