閑話『とある猫の話』
覚えている。
花畑の中で、一人の幼女が走り回っている。しかし石につまずいたのか、派手に転んでしまった。オレは慌てて幼女のもとに向かい、泥を払い落とす。これが夢だと分かっているのに、幼女のその温かさをなぜか手のひらに感じた。
あれは、なんだろうか……
「────────────成功だッ!!!!」
だだっ広い広間の中央にオレは立っていた。周りには何十人もの人間がいたと思う。
どちらにしても、もう個人的にはどうでも良いことで、その記憶に関してもおぼろげだ。何よりも周りにいた奴らの驚いたような、気味悪がるような顔と感嘆の声が何よりも癪だった。
最初に浮かんだのは『醜い』という嫌悪の感情。
(…………この顔をする奴らはだいたいロクでもない………………………『あの夢』のような奴はいないか…………)
一人の男が立ち上がった。小太りの中年だ。
「これで我が一族は繁栄だ!!やっと!!やっと先祖が残したことを成せる!このチビがいれば、今までの『無意味』がなくなる。」
男は乱暴にオレの肩を掴む。少し加減を覚えてほしいし、何よりも無理やり叩き起こされ、こんな醜い視線を向ける連中に囲まれる。
機嫌が悪くなるのも仕方がなかったのだ。
「──────────うっせぇな。」
オレは鋭い爪を振り上げて、肩を掴んでいた手を引っ掻いた。「ギャア!!」と甲高い声を上げて、男は尻餅をつく。オレの爪には赤い液体がついている。とたんに周囲はざわつき始める。それが耳障りで、鬱陶しくて仕方なかった。
「黙ってろ。豚が。」
「な、な、なんだとっ!!この!!使い魔風情がっ!!」
金魚のように口を動かす男を無視して、オレは足元に置いてあった一枚の紙に目を向け、拾い上げた。稚拙で見にくかったが、あの夢と同じ絵が描かれていた。そして、それを見て『オレ自身が何か』なのはすぐに分かった。
ただ消費される道具。使い魔の調達に苦労せずに喚び出し、魔を祓う『絵』。
(………………の、はずなんだが。これを描いた奴はそんなことを思ってないのか?)
「オイ」とオレは、手にしていた紙を掲げ、どよめいている人間達に声をかける。なぜだか神の如く、コイツらはオレを崇め讃えている。多少、言葉がキツくても問題はないだろう。
「この『絵』を描いた奴は誰だ?」
人間達は互いの目を見る。言いたくない、ということか。思わずオレが舌打ちをすると、一人の化粧が濃い女が手を上げた。
「わ、私の息子が描いたんだよ。」
「なっ!!」と男は目を丸くして、女を睨んだ。女は鼻を鳴らし自慢げに男を見てから、オレに愛想笑いをした。
(なるほど…………『この術』自体が出来れば、この家の……………ねぇ。)
おそらくこの家は、退魔業界の中では大家なのだろう。周りにいる男達の中には元からこの家に住んでいる本家か、本家の援助により新しく創設した分家達なのだろう。『知識によれば』、この術自体が成功した者はあまりいない。それが運によるものか、体質によるものか修行不足か。それを、その術を使うことを生業としている中で、『出来ない』は致命的である。
(今の『当主が死ねば』なおさら、次期当主を決めねぇとならねぇのか。要するにオレは、当主になるための道具ってことかい。)
仕方ないとはいえ内心、悪態をついてからオレは腕を組み「へぇ」と、わざとらしく女を見下ろした。
「あんたの息子が。」
「えぇ!出なければ、『優秀な能力』を持ったあなたを喚び出すことなんて、出来ませんわ。今はお手洗いのため席を外しておられますが、すぐにここに息子を呼びましょう。」
「『優秀』…………ねぇ?こんな『妖もどき』をあんたは、いや。あんた達は『優秀だ』って言うのかい。」
女は戸惑ったように首をかしげた。
「え……えぇ。当たり前でしょう?」
「言っておくが。オレは。『妖術は使えねぇぞ』」
「え、」と女は固まる。
「な、何を…………あなた、猫又でしょう??」
「確かに、猫又ってのは人に、物に簡単に化けることが出来る。だが、この耳を見て分かる通り、『オレは完全に人に化けることは出来ない』。さらに言えば、オレはただの猫だ。妖術も使えず出来るのはこの爪で切り裂くことだけの『出来損ない』だ。だがな、」
事実とはいえ、言いたくはなかった。徐々に悪くなっていく機嫌をなんとか抑えながら、女を睨み付けた。
「──────てめぇらは、オレが『自分の主を間違えるような大バカに見えると、本気で思っているのか』?」
鋭い爪をちらつかせると、女は「ひっ」と青ざめた。
気味の悪い愛想笑いが消えただけだが、少しだけ気分がすっきりして、オレは鼻を鳴らし、もう一度、女に問う。
「……………この『絵』を描いた奴は、どこにいる?」
嘘はもう許されない。もう自分の手柄にすることも出来ない。女は視線を横に反らして「に、庭に」と小さく呟いた。オレは広間を出て、廊下を歩く。背後から男達の悪態をつく声が聞こえた。
「まさか、木偶を作るとはな……あの小娘。」
「本当に使えないグズめ。」
「なんで伊三郎殿はあの娘を甘やかすのか。術の一つも使えないくせに……」
「使えない者同士だからだろうよ。」
「あの時、あの小娘も死ねば良かったのに……!!いつもいつも私の邪魔をして………!!」
………………………………あぁ、気分が悪い。忌々しい。空気が悪い。己の欲しか見ていない傲慢な連中共め。
(今すぐ、この家の連中を殺せば、少しはこの空気の悪さも晴れるだろうか。)
そう考えているとふと、わずかに聞こえた物音にオレは足を止める。幼い子供の声と男の声だ。オレはその方向に向かうと、中庭があった。そしてそこで、幼女と老人が石遊びをしていたのだ。
一目見たとたんに分かった。
アイツだ。アイツが、オレの主………いや。
「──────『緋莉』、か?」
思わずオレは幼女に声をかける。彼女は振り返りきょとんとオレを見ていた。
老人はオレの姿を見て「おぉ………!」と慌てて立ち上がると驚いたように目を見開いた。すっかり見慣れた態度だったが、老人はオレを見てから顔をしかめて少女を見ていた。
それはまるで、悲しげだった。
「そうか…………孝一と同じものを……………」
オレは中庭に降り立つ。すると、少女はパァッと笑顔を見せ、「くろ!」と叫んだ。
欲深い人間とは真反対の、清みきった青空のようなその笑顔は、『あの夢』に出てきた笑顔とよく似ていた。
「わぁ………わぁぁ!!くろだ!!おじいちゃん!!このこが『くろ』だよ!」
「おぉ、そうか………そうか……うん。初め、ましてじゃな。」
老人の視線と合わさり、オレは長い沈黙の後で「あぁ」とうなずいた。そしてオレは少女と目線が合う姿勢になると、手にしていた紙を見せた。
「この絵を、描いたのはお前さんか?」
オレの問いに少女は両手を口元に当てて、可笑しそうにクスクスと笑った。
「くろったら、おかしなこというのね!あ!!ねぇ、いまからね。私ね、おじいちゃんといっしょにちかくのかわにあそびにいくの!!くろもいこう!!」
自分の成したそれがどれだけ異常なのか。目の前の幼い彼女には分からない。両親が亡くなったこともまだ理解が出来ず、何色にも染まっておらず、汚れていない。
ただただ純粋にそう言うと少女はオレの手を掴み、走り出した。あまりの力の強さにオレは「うわっ!?」と声を上げて、思わず助けを求めるようにそばに立っていた老人を見てしまった。老人は相変わらず寂しげに見ていたが、やがて微笑を浮かべてオレと、オレの『妹』の後を追うように歩き始める。
「ちょっ!!オイ!引っ張るな、コケる!!」
しかし、オレはその手を振りほどくことは出来なかった。おそらく、この手を離せば彼女は一人で走っていって、着ている着物とかを足で踏んで、転ぶかもしれないと思ったからだ。
オレは覚えている。
あの手の温かさを。そして、走る彼女を心配したオレ自身を。
オレは、彼女によって喚ばれたのだとその時にはっきりと分かった。
彼女が、オレの主であり、そしてオレの『妹』である、龍神緋莉である。
了
緋色妖奇譚 林さん @hayashi_s
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