第19話
「不良娘、起きろ〜」
私の朝は、そんな姉のアラームによって始まった。
珍しく、部屋の中まで入ってきた姉に、恨めしげな視線を向ける。
「まだ八時じゃん……もう少し寝かせ……て」
「こら、寝るな!」
二度寝の体勢に入ろうとすると、毛布を没収されてしまい、ゆっくり眠れない事を悟り、体を起こしベッドに座る。
姉がこうして部屋にまで来るって事は、面倒事の押し付けか、姉の思いつきの道楽に付き合わされるかのどちらかで、これまでに逃げ切れた試しがなかった。
「もぉ、なんなの……」
安眠を妨害された恨みつらみを吐き出したい気持ちを堪えて、姉の用件に耳を傾ける。
「学校から電話かかってきたよ」
「えっ、なんで……」
「小田巻って先生から。なんか謝ってたよ。とりあえず学校に来てほしいってさ」
「そうなんだ」
素っ気なく答えると、姉は不服そうに頬を膨らませる。
「なんか反応薄くない? もっとこう面倒くさーいとか、学校行きたくなーいとか駄々こねないの?」
「お姉ちゃんは私の事なんだと思ってるのさ」
まぁそう思っているのは事実ではあるけれど、その話を聞いたら不思議と目が覚めてしまっていた。
「誤解が解けたって事は、清水は学校にいるのかぁ」
という事は風邪も治ったようで看病した甲斐があったと言うものだ。
清水母には私が看病をした事を口止めしている。
本人が覚えていたらそれはそれだけれど、恩を売ってどうこうなんて考えはもうなくなっていた。
それに、よく考えると恩返しを理由に付き纏われても面倒だしね。
「その清水ってアンタの友達の子?」
「そうだけど、なんで?」
昨日、清水の事を少し話した筈なのに姉は覚えていない。興味のない話には我関せずと、周りを気にしない自由奔放な所が私とは違って、少し羨ましい。
そんな姉が、さっきの流れで清水に興味を持つとは思えないけど。
「いやー、あんたが誰かに頼ってるって事が珍しいなって思ってね。八方美人なんて七面倒臭い事をしてる癖に、自分の事は誰にも頼らず一人で解決してたじゃない」
「……そうだっけ?」
姉の言う事は正しかった。私は誰かに自分の人生を預けたくない。それは家族であってもだ。
裏切りという猜疑心が、いつだって私の心を酷く冷ましていく。
大切な事を他人に任せて後悔するよりも、自分の選択によって後悔する方がすんなりと受け入れられるからだ。
ただ、今回は少し事情が違うだけだと抗議する。
「そもそもさ、清水の風邪が治れば誤解は解けるのに、怪しまれてる私が先生達に直訴したって面倒なだけじゃん。効率的に考えるなら待つ一択なんだよ」
はい論破! 私以上の面倒臭がりな姉も、これには同意せざるを得ないだろう。そう思っていた。
「ほら、それよそれ。気付いてないかもしれないけど、中学の時のあんたなら、その子が治るまで待たずに、
「えぇ……いやいや、流石に非効率だって」
そう否定したものの、姉の言葉に、私の心は酷く揺さぶられていた。
私も丸くなった。そう言い切れれば良かったけれど、クラスメイトの言動全てに疑心暗鬼になって、利用し合う関係だと割り切っていた当時の私なら確かにやりかねなかった。
「まぁ、地元の高校に進学してからは憑き物が落ちたみたいだったけど、あんたの口から信用だとか待つなんて言葉が出る程度には、そのお友達の事が気になってる証拠だったりするのかしらねー」
「気になってる……? わたしが?」
清水の事を? 確かに、これまでの人生で出会った誰よりも濃いキャラをしているとは思っているけれど、ただそれだけの筈だ。
たった数日、時間にしてみれば僅か数時間ほど言葉を交わしただけの相手に、私がどんな影響を受けていると言うのだろうか。人間一人が変わる様な出会いなんて……そんなの、まるで。
「ねー、その子の写真とかないの? 妹を取られた気分になってジェラシー感じちゃうんだけど!」
「ないから。清水とは写真撮ったりする関係じゃないし」
「友達なら写真くらい撮るでしょう? じゃあ今度合わせてほしいなー」
「清水は人見知りで、多分お姉ちゃんみたいな人間とは相性が悪いと思うけど。と言うか、着替えるからもう出ていって」
写真を見せろと騒ぐ姉を、部屋から追いやり扉を閉めた。
「清水との写真ねぇ」
私の写真フォルダに保存されているデータは多くはない。猫の写真が一番多くて、何を思って撮ったのか分からない空の写真が次に多かったりする。
あとは千早達と撮った写真や映そうな食べ物の写真くらいだろうか。
口煩い姉の為に機会があれば清水と写真でも撮ろう。本人もきっと喜ぶだろうしね。
ーーーーーー
学校に到着してからは、職員室、生徒指導室、校長室とたらい回しにされ、教室に辿り着いた時には、既に四時限目が終わっていた。
何やら大事になっている様で、顔も見た事もなかった校長からも謝罪をいただいてしまった。
謹慎処分自体は、休めてラッキーとしか思っていなかったけれど、小田巻からの謝罪は胸がスカッとしたものだ。
「小深、遅いわよ! 絶対わざと遅れてきたわよね」
教室の扉を開けると、同じく謹慎処分が解かれた唯華と共に、千早と小塩が私の帰還を祝ってくれる。
「ははは、まさかー」
朝食とシャワーは必要最低限な事なので、嘘は言っていない。
三人との会話をよそに、清水の席へ視線を向けると、清水も私を見ていたようで目が合った。
それなのに、何故か慌てた様に目を逸らすのはどういった了見なのだろうか。
誤解を解いてくれた立役者でもある清水に、感謝の言葉でも掛けておこうと思った矢先だった。
「あの……小深さんと寺本さん」
声の主の方へ視線を向けると、クラスメイトの男子が三人横並びに立っていた。
唯華を一瞥すると、不服そうな顔を隠そうともしていなかったけれど、ツインテールは揺れているので、戦闘の意思はないと安心する。
「すみませんでしたッ!」
あの時の一番ふてぶてしい男子の掛け声が合図となり、綺麗な土下座が三つも並ぶ。
わぁすごい。そんな感想しかでなかった。土下座って実際にされるとこんなに困るんだ。
「あー、別に気にしてないからいいよ。というか土下座はやめてほしいかも」
「いや、あんたは気にしなさいよ!」
「唯華ちゃん、合法的に踏めるチャンスだよ? ゴ〜!」
「あたしの事なんだと思ってるの!?」
小塩も気を使ってくれたのかその冗談で、固かった空気は少しづつ緩んでいく。
「でもよ、俺達、噂を信じて酷い事を言っちまって……こうして謝る事しか」
「
「僕達、い、陰キャだからイジメって言葉に過剰反応しちまって……」
あの男子、モブって言うんだ。名前を覚えるの苦手だけど、忘れなさそうな名前だ。
「ふーん、あんたモブって名前なのね」
唯華も同じ事を思っていたらしい。土下座するモブ達に近寄ると、唯華は手を差し出した。
綺麗に纏まりそうだから変に煽らないで。そんな事を後ろの二人も思ったに違いない。
しかし、そんな心配は杞憂に終わる事になる。
「……あたしも机蹴って、ごめんなさい」
「唯華……」
「唯華ちゃん……」
「唯華さん……」
「「「寺本さん……」」」
見事な六重奏が教室に響いた。モブ達の手を引く唯華に、私達は疑って申し訳ないと思うと同時に、誰に対しても変わらぬ言動に感動すら覚えた。
「なんなのよ、その反応……あと、あたしの事は唯華って呼びなさいよね」
「え、でも名前呼びは恥ずかしいと言うか……」
「寺本って苗字、あんまり好きじゃないの。唯華さんとか唯華様とかでもいいから。分かったわね」
「分かりました、唯華様……!」
唯華の普段通りの対応に、私達は顔を見合せて安堵する。
さて、今度こそ清水の所へ行こう。清水の席へ歩き出した所で、また別の乱入者によって私の歩は止まらざるを得なかった。
「失礼する。この教室に小深と言う生徒は……あぁ君か」
教室に入ってきたのは、百九十はあると思われる高身長の男子で、マッシュヘアーに眼鏡というキャラの濃い男子だった。
見掛けた事がなく、靴の色から三年だという事は分かった。
そう思っていると後ろから唯華の声が聞こえた。
「ゲッ、部長……」
部長? という事は部活関係の誰かなのかと思うと、その三年の背後に、金剛が立っていた事で報道部なのだと即座に理解した。
しかし、金剛は先日会った時の威勢はどこにもなく、意気消沈と言わんばかりに縮こまっていた。
「金剛、まずは君から言う事があるだろう」
優しい口調ながらも、語気の強い言葉に、金剛は背筋をピンと伸ばした。
「誠に、誠に、申し訳ありませんでした!」
そして九十度の綺麗なお辞儀、今日はあと何度謝られるんだろう。もうそんな感想しか浮かばなくなっていた。
「違うだろう。謝罪は当然の事、何がどう悪かったのかを言葉にしないと相手に伝わらないだろう」
「はい! ワタシはロクな調査もせず、小深さんの根も葉もない噂を流してしまい、大変申し訳なく思っています! 誠に申し訳ありませんでした!」
「あっ、はい」
私の知る、金剛という人物は本当にこの人物なのか甚だ疑問だったけど、もう考えるのも面倒になっていた。
「自己紹介が遅れたが、僕は報道部部長、
「あっ、はい……」
「金剛、今日中に謝罪文と訂正記事を書いて校内中に掲示、それを週明けから毎朝する事。分かったね」
「はいぃ……」
「では、失礼する」
嵐のように去っていった二人を見送り、妙な圧から解放され、ため息が漏れる。
「小深、大丈夫ですか?」
「あぁうん、ちょっと怖かったけど」
身長が高い事での圧迫感もあるけれど、何と言うか目に見えないオーラみたいなものを感じた気がした。
「報道部にはあまり近付いてはいけませんよ。金剛さんは兎も角、報道部部長には良い噂がないですからね……」
「今回の事で身に染みたよ……」
千早の忠言はしっかり覚えていよう。巻き込まれない限りは、もう会う事なんてないと思うけど。
さて、今度こそ本当に清水の所へ――
私の強い意志は、予鈴によって再度中断されてしまう。
視線を戻した時には、清水は机にうつ伏せになっていて、また除け者だと感じさせてしまったと胸が少しだけ痛んだ気がした。
それと同時に、ポケットに入れていたスマホが震え、メールの受信を報せる。
『人が多いので、放課後、家に来てくれますか?』
清水からのメールだった。誰にも邪魔されたくない意志を文面から感じ、私は迷わず『りょーかい』と打ち、返信のボタンを押した。
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