第8話

 最悪のコンディションで迎えた中間テストの結果は散々だった。

 平均点以下は免れたものの、決して喜べる精神状態にはなく、その原因と大元となるグループへ視線を向ける。

 二年二組の実質的なスクールカーストの頂点に君臨する彼女達にはその自覚は無いと思うけど。

 わたしが想いを寄せている小深と、その他三人の仲間達は、テスト結果の内容について楽しそうに団欒している。


「わたしの……」


 言葉にしかけて我に返る。「わたしの友達なのに」そんなドロドロとした独占欲の塊が、喉の奥から顔を覗かせている。

 わたしが友達と呼べる存在は小深だけなんだから、別の友達と仲良くすればいいじゃないか。今すぐにでも叫びそうになる。

 でも、理解ってる。この醜い感情は間違ってる事くらい……嫌という程に。

 こんな気持ちになるなら見なければいいのに、それでも私の目は、花の香りに惹き寄せられる蝶のように小深へと注がれる。


「……あっ」


 バレないようにこっそりと眺めていると、不意に小深と目が合った気がした。いや合ったはずだ。

 思わず、何かしなければと思考を巡らせ、軽く手を上げたものの空を切る。

 次の瞬間には、小深は他の三人との談笑に戻ってしまっていたから。

 胸がチクチクと痛む。わたしだって小深と話したいし、笑ってほしいのに。


「小深は嘘つきだ」


 友達扱いしない事もそうだけど――

 汐ノ宮千早。テスト前日、わたしに嘘をついてまで会っていた女へと視線を移した。

 あのグループで小深と並ぶもう一人の淑やかな空気を纏う美人。

 小深と汐ノ宮が並ぶと、わたしみたいな平凡な存在は、近付いてはいけないのだと言われているように感じてしまい。わたしの嫉妬心を焚き付けてしまうのだ。


 ーーーーーー


 テストは赤点もなく、唯華や千早のおかげで晴れ晴れとした気持ちでお昼休みを迎えていた。


「テスト期間が終わると六限って長く感じない?」

「分かる〜もう帰りたぁい」

「小塩さん、小深の真似をしては不良になってしまいますよ?」

「不良って……」

「ふふっ、冗談です」

「いやいや、小深の遅刻癖は不良と言っても遜色ないと思うけど」


 軽口を叩きながら、各々が用意した昼食を机に広げる。

 弁当なんて手間のかかる面倒なものを、我が家で作るモノ好きはいないので、必然的に私はコンビニ飯になる。

 菓子パンとミルクティーが入った袋を取り出して顔を上げると、全員の視線が私へと向けられていた。


「えっ、なになに?」


 先程までの緩い空気はどこにもなく、どこか困惑している様子さえ感じられる。

 三人の顔をよく見ると、その視線は私を通り越して背後へと向けられていた。

 恐る恐る背後を確認すると、機嫌の悪そうな清水が私を見下ろしていた。

 前髪がない事もあって、つり目が相まって不機嫌さをより顕著に感じたのは私だけではないようだ。


「清水……?」


 いつもは見下ろす側なので、清水を見上げる事に新鮮さを感じていると、不意に腕を掴まれる。


「……きて」

「いや、今からお昼ご飯――」

「きて……!」

「ちょっ!? 一体なんなの!」


 グイグイと引っ張られる私は、抵抗も虚しく教室の外まで連れ出される。

 廊下まで来ると、不審に思われるのも嫌で、清水に手を引かれるがまま大人しく着いていく。

 清水はちっちゃいのに力が強くてすごいんだね! と褒めたら許して手を離してくれないだろうか。

 それにしても、清水との事をなんて説明しよう。告白云々は置いておくとして、新しいトモダチと言えば追及してくる事もないだろうけど、千早は以外は。

 そうなると、目下心配の種は現在進行形で私を誘拐しているこの子になる訳だけど。


「ねぇ、逃げないから手、離してくれない?」

「……」


 ふむ、どうやらご立腹らしい。何か怒らせる事したかな……この手の人種って怒らせると何するか分からないから怖いんだよなぁ。

 手を引かれ、屋上へと繋がる最上階が目的地だった様で、ようやく私の腕は解放される。

 以前来た時よりも蒸し暑く感じるのは、もう夏だからかな。お昼ご飯は食べたいし早く終わるといいな。

 そんな私の淡い期待は、清水の一言目で無理なのだと悟る事となる。


「許せない……」


 そんな物騒な言葉に、幾度となく経験した告白の中で一番ドキドキしてしまう。もちろん別の意味でだ。


「えーっと、なんかごめんね」


 とりあえず、怒っている理由に全く検討がつかないので謝ってみる。

 私の顔に免じて許してとは、冗談でも言えない空気なのは肌で感じていた。


「別に、謝ってほしいわけじゃ、ない」

「ならどうしたらいいんでしょうか……」

「自分で、考えて」


 うーん、面倒くさい彼女みたいな事を言い出してしまった。

 以前、千早に注意された事を思い出し、早々に謝った事は悪手だったと反省する。


「そうだなぁ、じゃあ私が質問するからイエスかノーで答えてくれる?」

「……わかった」


 自分で考えろと言うのに、質問は大丈夫なんだ。

 もしかしたら、清水なりのヒントなのだと解釈する事にした。


「まず、私に改善してほしい事がある?」


 こくり、と頷いたのを確認して次の質問に移る。


「改善してほしい事は、三つ以内?」


 少し逡巡してから、またこくりと頷く。

 という事は、清水が私に不満を抱いている問題な多くても三つに絞れた。


「じゃあこれが最後、それは今すぐ改善できる?」

「……それは、小深次第」

「ふむふむ」


 これなら清水の機嫌を直すのは、そう難しくないかもしれない。


「清水、私への不満を全部ここで吐き出して。改善できそうなら善処するけど、私とトモダチになる時に約束した事だけは譲れないからね」


 既に不用意に干渉してくるし、束縛もされてる気がしなくもないけど。

 私の言葉を聞いた清水は、少し考える素振りを見せたかと思うと、ゆっくりと話し始めた。


「……小深はそのままで、いい。わたし以外と仲良くするのも嘘をつくのも、寂しいけど、いい。いいけど、わたしと友達だって事だけは、絶対に守って……ほしい」


 清水の怒るどころ、震えるような声で私との友人関係を望んだ。

 その言葉には、私を束縛する意思も、不用意に干渉する意思も感じられない。

 思い返してみれば、トモダチという甘い言葉で拐かし、清水を傍に置いて制御しようとしたのは私自身。

 清水の告白が発端とはいえ、最終的には自分で持ちかけた関係なのに、彼女がこうも震えているのは、雑に扱っていた事への結果なのだと理解する。

 らしくない。そんな事は私が一番分かっているけど、何故か面倒くさいと吐き捨てる事はできなかった。

 震える清水の肩に、手を添え、私は心を決める。


「ごめんね、清水。改めて私と友達になろっか」

「……ッ! うん……!」


 正直、清水の事を面倒だなと思う事はある。

 けれど、少なからず清水が私との約束を守ろうとしている限りは、友達として接する努力はしていこう。


「じゃあ、その、一つだけいい、かな?」

「いいよ、ドンと来い」


 胸を張ってそう答えると、嬉しそうに頬を緩ませ、清水はポケットからスマホを取り出した。


「連絡先の、交換がしたい……です!」

「あ〜、連絡先!」


 そういえば交換してなかったなぁ。


「いいけど、私あんまり電話したりメッセ送ったりしないけど大丈夫?」

「大丈夫……!」

「そっか、ならいいや。インスタやってる?」

「イン……スタ?」

「あー……大丈夫。女子高生がインスタ知らないのはまずい気がするけど」


 清水のスマホの画面を見せてもらうと、見事にSNSの類が一切ダウンロードされていなかった。

 ジジババですら、もう少し現代社会に染まってるというのに……

 仕方なく、電話番号とメールアドレスを交換したけど、それも少し新鮮だった。

 清水は分からないと思うけど、私の電話番号とメールアドレスを知ってるなんてレア中のレアなんだぞ。


「じゃあ戻ろっか。お昼休みが終わる前に昼ごはん食べたいしね。あと、千早達に紹介した方がいい?」


 清水にコミュ力がなくとも、友達として接するなら早いうちに紹介しておいた方が色々と都合が良いんだけど。


「……いい。私は小深だけが、いい」

「そっかー」


 まぁそうだろうなと予想はしていた。

 そうなると今後の班決めとか色々面倒くさい事になりそうなんだけど……今はまぁいいか。

 悩むならその時に悩めばいい。そんな問題の先送りに身を任せた矢先だった。


「ねっ、上から声しない?」

「でもこの先、立ち入り禁止ですよ?」

「うち知ってるよ〜。不良は立ち入り禁止の場所を好むってね〜」


 聞き覚えしかない声が、階下から聞こえてきた。

 恐らく、清水を不良だと思ってる三人が私を心配して探しに来てくれたんだろうけど、その優しさが今はありがた迷惑でしかなかった。

 まぁ見つかったら、その時は清水には悪いけど新しい友達として紹介してやり過ごそう。


「おい、何してる。屋上は立ち入り禁止だぞ」


 次いで聞こえてきたのは声からして、名前はまだ覚えていないけど我がクラス担任で間違いないなかった。

 これで千早達が教室に戻ったら、何事も無かったように私達も戻ればいい。渡りに船とはまさにこの事!


「違うから! 上から声がしたから気になっただけ」

「本当か? ったく、立ち入り禁止の立て札が見えない奴らが多すぎるぞ」


 前言撤回、かなりまずい状況になった。

 千早達ならまだしも、教師に見つかるのは面倒極まりない。

 清水にアイコンタクトを送ろうとするも、楽観的に構えているのか状況を理解していないのか首を傾げている。

 そうだったね。君は鬼メンタルだったね。でももう少し危機感を抱こうね!


「おい、いるなら降りてこい」


 そんな声を皮切りに、階段を上る足音が聞こえ始める。

 素直に謝る? それとも悪あがきで屋上に逃げる? 暑さと焦りで思考がまともに働かないのに、足音だけは着実に近付いてくる。


「小深、こっち」


 耳元で囁かれたと同時に、私の手を掴んだ清水は、積まれた机の山の間を通り抜け、奥にある掃除用具入れを開き、私を奥へと押し込んだ。

 掃除道具がなかったのは不幸中の幸いで、残った狭いスペースには小柄な清水だからこそギリギリ潜り込み、そっと扉を閉める。


「せ、せまぁ……ッ」


 腕を曲げてはいるけど、あの時とは真逆で両手で清水を壁ドンしている形になっていて、狭さ故にお互いの顔がとても、近い。

 私が少し屈んでいる形になり、薄暗いとは言え、顔の造形が嫌でも見えてしまう。

 睫毛、やっぱり長いな……美人ではないけれど可愛らしい顔立ち、キメ細かい白い肌。

 それに、清水から香る柑橘系のシャンプーの匂いが鼻をくすぐる。


「しー……」


 清水なら漏れる吐息の熱に、この状況の異常さを再認識する。

 もしこんな所を見られでもしたら、普通に見付かるよりも、あらぬ噂が立ってしまうのではないだろうか。今度は疑惑どころの騒ぎじゃない!

 とはいえ、清水の選択を責めれる筈もなかった。


「ん? 誰もいないじゃないか」


 すぐ近くで担任の声がし、体がビクリと震える。


「寺本、誰もいないぞ!」

「苗字で呼ぶなし。あたしの事は唯華って呼んでくださーい」

「今の時代、生徒を名前で呼べるか! 報道部にでも目をつけられたら教師人生が終わっちまうよ」


 扉を一枚隔てたすぐ近くで、そんな会話が繰り広げられる。

 物音を立てないように息を潜ませる。目を閉じると、聴覚が敏感になっていく気さえする。

 だからだろう、担任と唯華の声に混じり、清水の浅い呼吸音が嫌でも耳に入る。


「ね〜どこかに隠れてたりしないのかな〜」


 小塩の余計な一言に驚いて目を見開くと、視界に飛び込んできたのは、真っ直ぐに私を見つめる黒い瞳だった。


「こ……ぶか」


 艶やかな声で、私の名前が囁かれる。

 ギョッとしたものの、薄暗くて最初はよく見えなかった清水の顔は、先程と比べて目に見えて真っ赤に染まっていた。

 汗でおでこに張り付いた前髪から、尋常じゃないほどの汗をかいているのだろう。

 私も噴き出るような汗に、キャミソールが肌に張り付いてる嫌な不快感すらある。

 熱中症になる危険とバレる危険の板挟みって訳ね……。

 どっちも面倒そうで嫌だなと思っていると、清水の顔がゆっくりと近付いてきていた。


「こ、ぶか……っ」

「しーっ」


 今度は私が喋るなという意味を込めたが、なにやら清水の様子がおかしかった。

 熱中症の三文字が頭に浮かんだが、すぐに違うのだと理解し、私は戦慄する。

 清水は目を閉じ、桜色の唇を軽く突き出していた。

 こ、コイツ! この状況で正気なのか!?

 さっきまで私と友達になるって話をしていたのに、暑さで羞恥心と危機感が消し飛んだとしか思えなかった。

 物音を立てれず、私が両手を使えない状況だと理解し、吉と捉えたのだとしたら非常にマズイ。

 ああは言っても、友達とは形だけで清水はまだ私に好意を寄せているんだから、最悪、こうなる事は予想すべきだった。

 そんな事を考えている暇はなく、清水の唇はゆっくりと私の唇へと向かっている。

 顔も背けられないこの状況、腹を括るしかなかい――

 清水の唇が私に届く前に、私が今出来る事は、額で清水の頭を抑える。下手したらキスしかねないが、それしか私に取れる道はない。

 清水の顔がこれまでで一番近い。どちらか分からない荒い息、少し動くだけでぶつかる鼻、合わさった汗は、睫毛で流れを止める。

 密着してきる事もあって私の視界もボヤけてきたけれど、もう持久戦だ。暑さで私が倒れるか、清水が倒れるか……!


 キーンコーンカーンコーン。そんな昼休み終了を報せる鐘の音が構内に鳴り響いた。


「って授業の準備できてないってのに! お前達もさっさと教室戻れよ!」

「ちぇ〜結局、小深いなかったじゃん」

「もう教室に戻ってるのかも〜」

「私達も急いで戻りましょう」


 そんな声と共に足音が遠ざかっていくのを確認し、掃除用具入れの扉をゆっくりと開ける。


「し、死ぬ……」


 全身汗まみれになったけど、意識を保ち続け、なんとか貞操と唇を死守する事ができた。


「全く、油断も隙もないな……」


 清水と言えば、掃除用具入れにもたれ掛かるようにして完全に目を回してダウンしていた。


「はぁ、これじゃ五限目は無理かな……」


 朦朧とする清水に肩を貸し、彼女の軽さを感じながら保健室へと放り込んだ。

 保険の先生からは何事かと聞かれたけど「友達が熱中症になった」とだけ伝えて、メモを枕元に置いておいた。

 清水が起きるまで待っているほど、私は友達思いな人間ではないのだ。


「今更、授業に出るのもなぁ」


 それに乙女としては汗まみれなのは少しいただけない。

 早退の意志を固め、お風呂に入る為に学校を後にした。

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