第27話 魔女の口づけ

「浮舟のご店主、ハルのおばあちゃんなんだ」

「そう、この町で魔女は私とおばあちゃんの2人だけ」

 魔女の話はしたくない


「綺麗な方だな、ハルと同じで和服が似合いそうだ。おばあちゃんとは思えない。ハルの母親でも通用するね」

「会ったことがあるんだ。魔女は人と時間の流れが違うみたい。だから老けないのかもね」


 人類は既に、マイケルソン=モーリーの実験を経験している。地球が完全な慣性運動をしているならば、時間の定義は地球の自転か公転で定義できる筈だ。でも人類は1日の1/86,400を1秒とすると、支障が出るほど、現在は精度を必要としている。そもそも物理でいう量は⋯⋯


「なに、考えているの」

 ハルが僕の手を取っていることも気付かなかった。僕はこんな時でも科学のことを考えてしまうと自分に呆れた

「ハルにいやらしい格好をさせている姿を想像していた」

「嘘つき」

 ハルの全身をなめるような視線で見ると、本当にいやらしい格好をさせている姿を想像した

「イヤ!」

 ハルは手を離して距離を取った。検証する気はなかったが魔法が存在することを証明してしまった


「本当に僕の考えていることが分かるんだね」

「私に、犬みたいな格好をさせないでよ。ヘンタイ!」

 学校でずっと僕に触れようとしなかった理由が理解できた。話を浮舟に戻そう


「浮舟は去年の春、キタと一緒に行った」

「キタ?」

 驚いた。確かにキタの話題どころか、夏祭りの事故の話はハルとはしていなかった。例外なく夏祭りの事故の話は相手からしてくる、自分からしたこともないし、したくもない。そういえば、ハルから事故の事を聞かれたことはない

「僕の考えていること分かるんじゃないの」


「そんな莫大な情報量をこなせる訳じゃないのよ」

 僕は思い違いをしていたようだ。確かに人は目で見えること、耳で聞こえること全てを脳で理解できるほど優秀ではない。無意識のうちに取捨選択している。視線の端にある風景は大抵記憶にも残らないし、音楽を聴いているときの鳥のさえずりは聞こえていても意識しない。この理屈と同じなのだろう


「そうか、検索と言ったね」

「そうよ、例えば池にタカムラという魚がいたら、それがどこにいるかは魔法で分かる。でも池にいる全ての魚の位置は見えても、それを全て情報処理するのは無理だよ

 ネットの検索サイトみたいなもんよ」

 ハルが楽しそうに話すので違和感を抱いた


「なるほど、相手に触れて、調べたいことを探しに行くんだ」

 ハルはイタズラな笑顔をした


「ムラはお尻が大きくて、貧乳が好きなんだ」

 さすがにこれには照れた

「えっ、あのっ、◁☆αεψ≪%∅∌⋯⋯」

 ハルは笑った

「面白い! いつも冷静沈着のムラが取り乱すなんて」

 あの夏祭りの事故以来、忘れていた感情かもしれない。動揺のあまり言葉が出てこない

「ムラはやっぱり、身体目当てで私に近づいたんだね。私自身が大嫌いなところが好きなんて、世の中は広くて不思議ね」


「もう、許してよ」

 声を振り絞った。しかし、こんな楽しそうなハルを見るのは初めてかもしれない。ハルは右手を出して

「手、繋ごう」

 と微笑んだ

「与えられた能力は、正しく使用しましょう」

 ”今夜、ハルのことを思い出して1人で楽しませてもらおう”とからかおうと思ったが、僕に今夜が来ないことを思い出して止めた。ハルの右手に僕の左手を絡ませて、手の平と手の平を合わせた


「あら、手をつないでくれるんだ、随分男前ね!」

「惚れた女に嘘は吐かない主義でね」

「私に惚れているんだ」

「その慎ましいお胸と、無駄にでかいケツにな」

 女性の左手にしては、結構な力で叩かれた。


 浮舟に着くまで魔法の話をしてくれた。

 ・魔法にはエネルギー源(以降”マナ”と呼称する)が必要で、毎日少しずつ回復するが、その仕組みは分からない

 ・魔法は共通魔法と固有魔法があって、人を消す魔法はハルの固有魔法である

 ・魔女はいるが、魔法を使う男は過去に絶滅した

 ・魔女にも遺伝の法則がある

 ・魔法使いに魔法は効かない

 ・魔女同士の交流はある


 学校のハルとは別人のように明るく振る舞っている。

 誰にも言えなかった魔法の話を話す機会が得られて嬉しいのだろうと思ったら

「そうだよ」

 とハルは微笑んだ。忘れていた、心は読まれているのだ。

 

 こんな能力に気づかれたら、国家レベルで確保されるだろう。いや、日本ならいいが、大国に目をつけられたらどんな手段を使っても、ハルを確保するだろう。僕は消えることが一番合理的だ


「だめ! 私と一緒に明日を見つけるの

 遺愛寺の鐘の音、香炉峰の雪

 ずっと私は一緒だよ」


 ハルが好きだと言った清少納言の枕草子の一節だ。


 ハルは以前こんなことを言っていた。小説家を生業としている著名な作者の小説を読んで単独で理解できるのはIQ115以上だという、IQ90以上あれば、解説を聞けば理解できる。IQ90を割ってくると活字から意味を理解するのは困難と言った。当然これは問題発言で、正規分布に従えば40%程度の人は日本語を理解できていないことになる。僕以外には話したことがないと言った。


 そこで枕草子の「雪のいと高う降りたるを」につながるのだが、この段の感想が聞きたいと、枕草子を渡された。ハルの気を引きたかったのでかなり真剣に考察した。


 読解力が浅い人が読むと、この段は、清少納言が自慢話をしているとしか読み取れない。白居易の詩を引いた意味や権力を持った道長が、定子后の周辺の人物を取り込んでいる背景状況を読み込めない。逆に言うと清少納言の本意が万人に読み込めたならば、道長はこの作品を後世に残すことはしなかっただろう。そんな感想を述べたら、無愛想のハルはひどく喜んでくれた。


 ハルの考察では、枕草子の枕は実は枕詞の枕、定子后の無念を後世に残したかったというのが枕草子の本意だという。「雪のいと高う降りたるを」の感想はほぼ一緒で、”清少納言は定子后がどこに追いやられても、自分はついて行きます”という暗号がこの文章に取り込まれていると、この段を読んだ。同級生達が嫌う書いていないことの理解だ。そして、試験のためだけに古典文学に付き合っている人にはどうでもいい話だ。


 ハルは恐らく、この世で一緒に明日を迎えないつもりだ


 手をつないでいるハルには、僕の考えていることは筒抜けだ。

 僕はハルを抱き寄せて、その唇を重ねようとした。

 ハルは僕の口に人差し指を当てて、口づけを拒んだ


「それはないよ、ハル」

 身体を許すとまでいったハルに、拒む選択肢は想定できなかった

「ごめんムラ、私とキスするとムラを消し去ってしまう」

 意味が直ぐに飲み込めなかった。


 人を消し去る魔法の発動は口づけだったのだ。


 <つづく>


 



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