第15話
オロチが消えたのを見送った満月の背中に、今度は杏が満月を呼んだ。
『満月、僕も先に行くね』
「ああ。できれば寒緋桜だけは生まないでおいてくれると助かる」
『それは………ちょっと無理かも…』
目をそらす杏に、満月はチッと分かりやすく舌打ちをすると、杏の背中を押した。
「はやく行って、母さんの為に桜並木でも作っていろ。僕も母さんが目覚めたらすぐ行く」
『分かった』
満月の言葉に杏は微笑むと、宇宙の中を動物達と共にゆっくりとした足取りで歩いてゆく。
杏が踏み出す度に、足元にはたくさんの花々が咲き乱れ、花道が作られていく。
新しい命やものが現れるのは、
満月は星屑の散りばめられた宇宙の中で独り、月が現れるのを待っていた。
「母さん…」
そうしてどれくらいの時間がたったのか、ゆっくりと惑星が現れ初め、満月の待っていた月は太陽と共に現れた。
「母さん!」
満月は月を見るなり目を輝かせ、一瞬、駆け寄ろうとしたが、すぐに動きを止めた。
月には愛しい母がいる。
しかし、満月は母に会ってしまったら最後、二度と離れられないことを知っていた。
母は満月の役割がなんであるのかを知っている。
世界を調和させるバランサーとしての役割は、月の人間にしかなし得ない。
純粋無垢で清廉潔白な者にしかバランサーは務まらないのだ。
太陽の光を受けて輝く月を満月はしばらく眺めた後、意を決して踵を返し、歩き始めた時、突然背後から声がした。
『災厄と悪を司るオロチが、あんなに情緒のある方だとは皮肉ですね』
上品な口調で、しかし嘲笑の意を感じるその声に、満月は金色の瞳を見開いた。
「いつから居た…?」
振り返った満月の驚いた表情に、上質な執事服を纏ったミディアムのグレイの髪をした男がくすくすと笑う。
『さあ?いつからでしょう?』
おどけるようにして両手を開く執事服の男を、満月は鋭く睨みつける。
「コチラに干渉するな」
満月のその脅しにも近い圧力のある物言いに、執事服の男は『おやおや怖いですね』と眉を下げて尚も愉快そうに笑う。
終始口元に手を当て、上品な仕草の執事服の男は、その琥珀色の瞳を妖しく光らせ、満月を見つめる。
『貴方の立場は私もよく分かっています。しかし、時にはトリックスターも必要ではないですか?』
「そんなもの要らない、失せろ」
キッパリとした満月の言葉に、執事服の男は『ふふっ』と笑いを零しながらも『そう断られては仕方がありませんね』と言いながら満月に背を向けて優雅に歩き始める。
そして、広大な宇宙の最果ての深淵に沈みこんでしまった
『いつでもお呼びください、私はいつでも喜んでお伺いいたしますので』
そう微笑む執事服の男に、満月は「誰が呼ぶか」と乱暴に吐き捨てると、星屑の煌めきとなって姿を消した。
独り、"世界の始まり"の地点に取り残された執事服の男は、闇の中に煌めく満月の余韻を眺めながら最後に猟奇的な笑みを浮かべた。
『まあ…
先程までの上品な表情からは想像もつかないほど恐ろしい笑みと、怪しい声は誰にも聞かれず、気付かれることもなかったが、
深淵の中で深い眠りについていた、醜い少年の瞼をピクリと動かす程度に刺激した。
【………夢のなかでもいい、もう一度君に会うために僕は眠り続ける】
世界最後の夏休みは、見知らぬ貴方と。 椿 @Tubaki_0902
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