十八章 潮時

 生きている間に何度も思い出すことがあったかと聞かれたら、それは弟が死んだ時のあの瞬間だと答える。


 母親に、あたらしい男が出来た。

 その男と母と二人が揃うと、自分と弟を殴った。

 自分はまだ大丈夫だった。弟より5つも年上だ。体も大きい。

 だが殴られるだけ殴られた弟は、そのまま顔を腫らして、冷たくなった。


 ジョナサンが悪いんでしょ? 泣くなって言ってるのに泣くから、悪いんでしょ?

 

 そう何度も言って弟を殴った男と母を前に、自分は二人を止めることが出来なかった。ただ、別人のように顔を腫らした弟が、同じ布団の中で動かなくなった時、大きな声が部屋中に響き渡ったのを覚えている。

 それが自分の声だと分かったのは、男と母を傍にあった椅子で殴り殺した後だった。



 その後はお決まりのパターンと言えたのかもしれない。

 当時は戦時中だったから、警察もわざわざ「家庭内」の「痴話喧嘩」による「暴力事件」にそこまで色めきだつことも無かった。住んでいた場所も今とは違う、北部の貧困地域だ。警察に一時預かりとなった数日後には、別の施設に連れていかれた。

 そこは問題のある子供ばかりが集められた施設だった。

 家庭環境に問題がある、性質に問題がある、知能に問題がある。

 それら全てが一緒くたに集められ、まるで家畜のように扱われる。

 食事がもらえないことは日常茶飯事で、職員からの暴行も当たり前だった。

 一人、また一人と子供達が消えていくのは、何も施設から出て行ったからではないのを理解しつつ、次は自分の番なのかと考える度に思い出すのは、冷たくなっていく弟の体温だ。

 

 このままここにいても良いことはない。

 どうせ死ぬのならば、自分で選んだ道で。

 

 施設を飛び出してすぐに、空腹で動けなくなった。

 だが幸いにも、路上で冷たくなる前に、犯罪集団の一味に拾われた。

 賢く生きる方法として、窃盗、強盗、恐喝を学び、それよりも賢い方法として会社を立ち上げることを教わった。

 お前は一見すると穏やかな様相だと言われ、罪のない人々を上手にだまし、彼らから搾取する方法を学んだのだ。

 

 助けるふりをして、すべて奪い取れ。

 気づかない奴が馬鹿なのだから気にするな。

 

 そう言われて、そうだよなと思う。

 幼い子供を連れた親が助けを求めてくると、親切な顔でその手を取ってあげた。

 そして丁寧に頷き、同情して、可哀そうにと慰めた。

 それからはすべてが簡単だ。

 親は子供を守るためになんでもした。なんでもしたから、何でもさせて、全てむしり取った。残った子供は可哀そう。なので、その子たちも同じように全てむしり取って、親の待つ安寧の世界へと送ってやる。

 きっと彼らは天国で出会えるだろう。

 生きている地獄よりも、全てが穏やかな天国で再会できるのだから、自分は人助けをしていると思った。


 ある時、以前自分に多くを教えてくれた人が「大戦中のおこぼれだ」と、ある魔導具を渡してくれた。

 今のお前は魔導具の会社をしているだろう? 

 ここでそいつを完璧に仕上げておいてくれ。

 いずれ大きな戦争おっぱじめる時に、必ず役に立つからな。

 その魔導具は、無学な自分でも当時聞いたことのあるほどの兵器だ。

 人に攻撃魔力をそのまま注入し、人自体を兵器へと変える。兵器に変われば通常の攻撃はほとんど効かないらしいし、疲労したら手あたり次第、術を用いて相手を取り込めばいいらしい。そうすると、たちどころに自分は回復し、すぐさま攻撃に転じることが出来る。

 ただ維持するのが大変だ。

 昔はその兵器を維持するために、魔力を多く保持する者が使われたそうだが、今はそういった人間は少ない。なので、その兵器をそのまま維持するためにも、常に外部から魔力を注入しなければならない。

 魔導製品の会社において、道具を用いて大気中の魔力を抽出することは出来るものの、容易ではないし時間も費用もかかる。

 それならば外道と呼ばれても、人体からそのまま抽出する方が楽だ。

 大戦中に使われていたという、人体から魔力を抽出する装置を手に入れた際に、そのバイヤーから手を組まないかと言われた。

 少女に見えたが、その目と能力と、何より食事風景を見てそいつが人間でないことが分かった。

「この装置をあげるから、たまに捕まえた子供をちょうだいよ」

 言われて、リスクと装置の購入金額を天秤にかけた際、明らかに彼女の言う方が割が良いと思い即決する。

 何より「食事」という方法で死体処理してくれるのは助かった。

 

 おかげで、兵器は順調に仕上がっていった。

 後は時が来た時に、その兵器に誰かを取り込めばいい。

 

 だが、事態が変わった。

 カーロン教の神父と言うのがやってきたのだ。

 

 別に神父なんてものを恐れたわけではない。武器を携帯する警察だって、まったく恐れるに足らないのだ。

 ただ、今回来た相手は直感で「まずい」と思える何かがあった。

 長く死地を歩いてきたからだろうか、今度の相手は確実にこちらを追い詰める何かがある。

 神父達は、以前会社で雇っていた女とその娘を探している様子だった。

 夫に暴力をふるわれて逃げ出してきた女だ。金に困っていると言ったから仕事を紹介してやった。後で全部奪い取る、そういうつもりだったのに、隠していた兵器を見られたことで流れが悪くなってしまった。

 女は、どうやら魔導具を所持していたらしい。

 その魔導具によって、まず行方が分からなくなった。

 人外の力を借りてもなかなか見つからず、神父が彼女たちを探していると聞いた時は正直肝が冷えたものだ。

 だが、賢い女ではなかったらしい。すぐさま警察や教会に駆け込めばよかったものの、夫の追跡を恐れてかなかなか踏み込めなかったようだ。

 愚かな女だ。

 もう後がないと思って警察に連絡した瞬間をみはからって、母親を殺害することが出来た。子供も連れ去ることが出来た。

 それで終わりになるはずだった。



 だが、結果、その神父達がどちらも助けてしまったのだ。

 母親は命を取り留め、娘は保護された。

 何故だ?

 何故、今回に限ってこんなにもうまく行かない?

 思い悩む自分に対して、人外のバイヤーは「ならばアタシが相手してあげる。今回は特別。魔力のある神父を食べてみたかったから」と嗤って言ったが、結局そいつも倒されてしまった。

 金髪の神父の能力を、兵器の陰に隠れながら目の当たりにした時に「潮時だ」と思えた。

 もう、潮時だ。

 なんの?


 自分が、人として生きている時間の。


 兵器は出来上がっている。

 後はそこに誰かが取り込まれれば完成だ。

 まだその時ではないと、兵器を預けた人間からは言われるかもしれないが、知った事ではない。

 もう、人であることに疲れていたのだ。

 

 兵器にその手を差し出した時に、ふと笑えた。

 おかしくて堪らなくなった。

 あれほど守りたいと思っていた弟を、何もできずに死なせただけでなく、同じような子供を何人も殺してきたのだ。

 こんな笑える話はあるだろうか。

 助けずに、もっとひどいことを平気で出来る人間になってしまった自分が、可笑しい。

 そうか、人として生きている時間をやめると思ったが、自分はとうに人では無かったのだ。

 笑いながら兵器が自分の精神と体を浸食していく感覚に支配される。

 支配されつくしたら、どうなるのだろう?

 そのまま座り込んでいるのだとしたら、より滑稽だ。

 ならば、せめて願おうではないか。



 最後はせめて、全てを壊してしまえることを。

 人も、世界も、全ての成り立ちも、全部壊してしまることを。


 人をやめる潮時だと思ったが、もうその時はずっと前に来ていたのだ。 

 そうだ。

 弟が死んだ、あの時から。

  

 


 思考も何も存在しない世界のはずなのに、唐突に正面から何かが近づいてくる気がして、見えない目でそちらを見た。

 何が来る? 視界には何も映らない。青く燃え上がる世界の中で、金色に光る大きな影がこちらに駆けてくるのが分かった。

 なんだ? 何が来る?

 訳も分からないのに、嫌な気分になって瞬間「光」を照射する。これに当たれば相手は自分に取り込まれることを、感覚で分かっていたからだ。

 が、当たるはずの光は相手には届かない。

 凄まじい速さで間合いを詰められたかと思うと、痛みを感じないはずの顔面を激しく強打された。瞬間、背後の風景が見えた気がした。既に機能していない首が、殴られたことで半回転したのだろう。

 だがそんなことでは倒れない。

 すぐさま首をグルンッと元の位置に戻して、目の前の金色の陰に掴みかかる。

 だが、相手はそれを見越していたようだ。伸ばしたこちらの炎を弾き返し、同時に下の方からこれまた凄まじい衝撃が響いて宙に浮かんだと思ったら、今度は頭上から凄まじい衝撃が打ち下ろされ地面に叩きつけられる。

 

 不思議だ。

 感覚も無いと言うのに。

 人としての感覚もないというのに。何故、こんな風に考える?


 思ったところで、金色の影の向こうに、白い影が見えた気がした。

 その白い影を見る度に、己の人としての思考が戻る。

 人としての思考が呼び起こされる。


 


 やめろ。

 やめろ。

 やめろやめろ。





 おれは、もう、にんげんで、いたくないのに。

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