八章 むじなのあな

 空が赤みを増してきた。

 セリン町へ向かうのに車一台では足りないというわけで、なんとコダマ婦人が車を出してきて、それに大人五人で乗り込み、時間短縮を図る。レーピン医師の車と違って、広々としたワゴンタイプであり、後部座席は取り外し可能となっていた。

「ケータリングの際に使うのよ」

 意外とワイルドなハンドルさばきを見せながら、コダマ婦人が笑った。

 これまで謎だった彼女の職業だが、どうやら外食産業のオーナー夫人らしい。夫人と言っても、事業を立ち上げた夫は数年前に死去、その後を引き継ぎ事業主として活躍中だそうだ。

「夫よりも私の方が商才はあったわねぇ」

 ハンドルを握ると性格が変わる人種はたびたび存在するわけだが、彼女はまさにそれで、やや豪胆な物言いになっている。

「魚介料理専門店を立ち上げたのだけど、いろいろな所に拘りと無駄が多かったのよね夫の場合。意見を言おうものならば、すぐ怒鳴りつけてきたし。自分よりも先に休むことは許さないタイプだったしね。何度呪ってやろうかと思ったことか」

 物騒な発言が飛び出すものの、他の誰もツッコムことも相槌を打つこともできない。

「あ、ここ左ね」

 言って角を曲がる時、体躯のクルーガーさえ進行方向に体を持っていかれるほどの速度である。コーナーでこの速度だ。平坦な道ならば言う必要もないだろう。


 これは。

 メイ・リーの家に到着するまでに。

 みんな、死ぬかもしれない。


 信号を守り、標識もちゃんと見ている。後続車に知らせるための指示器も早くにだしているので、安全運転と呼べるのかもしれないが、とにかく急加速急発進なため、その都度心臓が口から飛び出そうになる。

 あれほど激しく怒鳴り散らしていたイリヤママでさえ、今は助手席で身を固くしている。

 なるほど。

 これほどの運転を見せる相手である。

 物腰に騙されたが、こんな人ならば見ず知らずの母子のためにカーロン教の神父達を手玉に取るし、医院に怒鳴りこみにもいくだろう。夫の死後、業績を上げたというのも、彼女の本来の肝の太さを考えれば、納得がいくというものだ。

「あと数分で到着するから。次の角を右に曲がって真っすぐよ」

 言うなり、また凄まじいスピードで右折した。体にかかる重力に、左に座るイリヤが倒れこみ、その右側にいたリロイに図らずも伸し掛かる。座席中央に座っているリロイとしてもその右に座るクルーガーに体を預ける形となってしまい、巨肉と巨体に挟まれ「ぃういぃっ……」という意味不明な呻きを漏らした。イリヤの顔もすでに青い。酔ったのだろう。揺れない地面が恋しい。到着までの数分がどこまでも長く感じる。

 道の途中で突然車体が停止する。その反動で、乗っていた全員の尻が座席から少し浮いたわけだが、運転していたコダマ婦人は勿論そんなこと気にも留めなかった。

「さあ、到着しましたよ。このアパートね」

 ニッコリ笑顔で言われても、誰もがぐったりして声を上げることもできない。

 ただ言われた先に見えたのは、こじんまりとしているが清潔感あふれる白壁のアパートだった。二階建てでそれぞれの部屋は小さいようだが、ちゃんと外部も清掃が行き届いている。それを確認して、クオリテッド班の二人は勿論だが、レーピン医師達も眉をしかめた。

「……金が無いにしては……良すぎないか、ここ?」

「確かに、指輪を売ってまで金を用意しなければいけないような人間が住むには、手入れが行き届きすぎている」

 いまだに車酔いの残る体で見ても、そのアパートが先ほど向かったコンラッド商会のある地域とは雲泥の差であることは明らかだ。

「……ここに移り住むときは金があったのかな?」

「それの返済に困って、指輪を売った金を先に家賃支払いに使ったということか?」

 あり得ない話ではない。

 レーピン医師たちの後払いOKに乗っかり、先に支払わなければならない家賃に指輪代を当てたとしてもおかしくないわけだ。家を追い出されたら、それこそ路頭に迷うこととなる。一人ならばなんとかなるかもれしれないが、子供を連れてとなると家は守りたいのだろう。

「……先行き考え無しのタイプなのかもな」

 きつい物言いになるが、リロイは呟いた。会ってもいないメイ・リーだが、今のところは考えがないように思える。夫に暴力を振るわれてとびだしたのならば、実家に帰らなかったのは何故だ? 警察にだって相談できるだろうに、それもしなかったのは何故だ? ただ当てもなく飛び出し、そうして金に困って今に至るこの状態の先行きはとてもじゃないが明るくなるとは思えない。

「大丈夫。いざとなったら、私のお店で雇います」

 そんなみんなの気持ちが分かったのか、コダマ婦人が唐突に宣言した。

「お金の感覚がないというのならばちゃんと教えるし、子育ての仕方が分からないのならば私が手伝います。あとの面倒は私が必ず見ます」

「……あんた、なんでそこまで?」

 横合いから、訝し気にレーピンママが尋ねた。もっともな意見だ。たまたま指輪を売り買いしただけの仲である。義理を感じるほどの関係ではないはずだ。


「ご本人には言わないでね」

 コダマ婦人が少し困ったような顔で笑った。

「身内びいきみたいなものです。彼女の顔や様子がね、死んだ娘に本当によく似てるのよ」

「……あ」

 リロイは思わず声を出した。

 そう言えば、確かにそう話していた。

 コダマ婦人もメイ・リーに「どうしてそこまでしてくれるのか」と聞かれた際に、娘に似ているからと答えたのだと。

 そうか、娘さんは、つまり、あのポヤッとした孫のお母さんは、もう亡くなっていたのか。

 だから、ついつい肩入れしてしまうのか……。

「だからね。悲しそうな顔をしているとね……どうしてもね」

 そこまで呟いてから、コダマ婦人はパっと顔を上げた。

「さて、それじゃ本人に会いにいきましょう! 昨日の今日でまだ疲れているだろうけれど、昨日よりも元気になっていることを願って!」

 わざと明るい声をだして、車を降りる。その後を各々付いていくようにして降車したが、一人腑に落ちない顔をしているクルーガーに気が付いて、リロイはこそっと声をかけた。

「どうしたんだよ?」

「……いや。愛する娘が残した孫に、出所のよく分からないような魔導具の指輪を贈るという発想が、オレには無いもので、正直驚いている」

「……おお、たしかに」

 言われてリロイも頷いた。

 そんな大切な娘の孫に、なぜ声をかけられただけで購入した指輪を贈ったのか。

「孫の嫁さんが気に入らなかったとか?」

 リロイがこれまた小声でささやくと、クルーガーは首を横に振った。

「それにしては、嫁に嫌なことをするのは孫だろうと思っていた…と話していただろう? まるでこうなることが分かって指輪を贈ったようなそぶりだった」

「……ということは、アラサちゃんは実はあの孫のことをあまり好きじゃないとか?」

「あり得るだろうな。穏やかそうな青年だったが、何かと気が利かなさそうだった」

「気の利かない男子は、祖母にも嫌われるもんなのか……」

 怖い怖いとリロイは首をすくめる。

 だが、それにしても。

 それにしても、あれほど考えがありそうなコダマ婦人が、そもそも何故その指輪を孫に贈ったのかはリロイ自身も引っかかっていたのだ。

 正規のルートで手に入れたものではないのに、自分の手の内で止めて置かず、孫に贈った理由とは。他に結婚祝いを贈れるくらいの財力を有しているのは、レストランでの高額な蟹の話もそうだし、彼女が店を営業していることや、その立ち居振る舞いでも十分に分かった。それなのに、それなのに……。

「深入りはやめておこう。少し疑問に感じただけだ」

「……そうだな…。とりあえず、今俺達がすべきことは、メイ・リーに会って話を聞いて、問題があれば対処する。魔導具関係の問題がなければ、もうアラサちゃんに丸投げする」

「そして、早々にイースティン行の列車に乗って、帰りはしっかり眠ることだ」

「異議なーしっ」

 そろそろ眠さも限界である。おかしなスイッチが入りそうになりながら空元気の声をリロイが上げた時だった。

 前方を行くコダマ婦人が「え、なんで?」と困惑した声を上げているではないか。

 その横では、イリヤ親子もまた戸惑った様子を浮かべていた。

「なになに? なにごと?」

 慌てて三人に駆け寄ったリロイ達をふりかえり、コダマ婦人は困った……というよりも、狼狽した様子を見せた。

「ここに、ここに、メイ・リーさんやアリサちゃんの住んでいるお宅があったのよ? 私、彼女に連れられてここまで来たのだもの。それに今朝だって、ここから、この家の扉から外に出て、あなた達との待ち合わせ場所に向かったのですよ? ……それなのに」

 言われて、表札を見る。

 別人の名前がさげてあった。

「別人の家みたいだけどね」

「違うのよ! この部屋じゃないの! この隣に、そう、この左隣に、もう一つ、もう一つ扉があったのよっ!」

 言われてそちらを見る。

 扉はない。

 というよりも、目の前の部屋の左隣には壁すらなく、アパートはそこで区切られて終わっている。

「そんなことないっ。だって、私、ちゃんとこの横にある扉から出て、その扉には子供の書きそうな絵が描かれていて、だから間違えないわってそう思ったんだから!」

 言ってコダマ婦人は、目の前の部屋の扉をおもむろにたたき出した。

「すみませんっ! すみませんっ!」

 あまりの勢いに、驚いて誰も声を出すことが出来ない。

 だが、ややあって、叩かれていたドアが開き、中から若い男性が顔を出した。出かける前だったのか、肩に鞄をかけて、恐々とドアの隙間からこちらを見てくる。

 その隙間にすかさずコダマ婦人は自分の靴のつま先を突っ込んで、力任せに開いた。

 とんでもない力技である。

 だが、驚くその部屋の住人や、後ろにいる同行者の心情も無視して、コダマ婦人は部屋の住人に問い詰めた。

「この部屋の横に住んでいる親子のこと、ご存じないですか?! 小さな女の子と、三十代前後の女の人の二人暮らしで!」

「え……いや、この部屋の隣は僕と同じくらいの男性一人暮らしで……」

「そちらの部屋じゃないの! こっちの! あなたから見て、右側の方!」

「……え?」

 熟女の物言いに、明らかに部屋の住人が困惑した様子を見せた。彼は律儀にも顔を出して、言われた方向をのぞいてみる。無論、そこには何もない。

「……何もないと思うんですけど」

「そんなはずないっ!」

 至極まっとうな答えに対して、怒気をはらんだ声を上げたコダマ婦人に、いよいよ住人は怯えた顔を見せる。それはそうだろう。何もない場所に人が住んでいたといって聞かない熟女がいるのだ。これほど怖いことは早々ないだろう。

 仕方なく、背後からリロイが顔を出した。

 突然現れた美形に、住人は更にビビった様子でのけぞったが、その美形が更に神父服を着ていることと、その背後にこれまたごつい神父服を着ているのがもう一人いて、もう声も出ない様子になる。

 なのでリロイは出来る限り人当たりの良い笑顔を浮かべて見せた。

「すみません、突然。ちょっとここいらで調査していることがありまして、その件でお話を聞かせてもらえますか? あ、私、カーロン教のロイロードと申します」

 にこやかに微笑みかけると、いまだに警戒を解いた様子ではないものの、住人は少し落ち着いたようだった。

カーロン教が根強く市民に知られていて本当に良かった。

餅は餅屋、魔法で困ればカーロン教だ。

「この人が話しているような親子を見かけたことありませんか? それから、この人」

と言って、コダマ婦人を指さした。

「昨夜から今朝までここいらで見かけたことありません? このすぐそばの家にいたそうなんですけどね。夜遅くということもあって記憶違いがあるかもしれない」

「記憶違いって、そんなこと……!」

 反論しかけたコダマ婦人を笑顔で制して、リロイは住人に更に続けた。

「あまり慣れない土地なので、勘違いもあると思うんですよ。いなくなったのは、この人の娘さんとお孫さんなんですが、悪い魔導具の影響で消息が分からなくなっているんです」

「……ああ」

 リロイの説明にコダマ婦人の取り乱した様子を納得したのか、住人は声を上げた。でもすぐさま申し訳なさそうに頭をかく。

「すみません。僕、仕事が夜なので今くらいの時間に出て、朝9時くらいにしか帰らないんですよね。だから言われている時間は全然家にいなくて」

「あー、そうでしたか」

 リロイはさも残念そうな声を上げた。その口調が胡散臭すぎて、背後でクルーガーが口をひん曲げたが、そんなこと無論本人は気にしない。

「それなら、他に夜から朝の間お家におられた住民の方とかご存じないですか? 急を要する事件なんです。もし姿を見たり、親子の声をきいたりしていそうな人がいたら教えてもらえません?」

「それなら……」

 といって、住人は自分の家の隣―つまり自分の家の左側にある部屋の扉をノックする。ややあって、中からは眼鏡をかけてボサボサ頭の男が出てきた。年齢で言うと確かに先の住人と同じくらいにみえるが、こちらは仕事にいくようないでたちではない。というか、仕事に行っていた様子にも見えない。

「お隣さんは、ライターをされてまして。ほぼ一日家の中におられるから、何か知っているかもしれません」

「なに? 何の話?」

 明らかに不機嫌かつ胡散臭そうな様子に困惑した口調で、そのライターがお隣さんとリロイ達とを見比べる。その彼に、先の住人が簡単に尋ね人の件、そしてその親子を見かけなかったかと問いかけた。

「見てないけど……あ、でも」

「なにか知ってるの?!」

 ライターのつぶやきに、コダマ婦人がすぐさま食いつく。その様子に少し引きながら、ライターはボサボサ頭をかきながら思い出したように話した。

「昼前、だったかな。なんか慌てた様子の女の人の声と、子供の声が部屋の前を通ったように思う」

「本当にっ!?」

「いや……こちらも仕事に集中していたから何時かまでは詳しくみてないけど……でも、文句言う子供に対して母親が厳しめの声を出して叱ってたから、うるせーなーって思ったのは確か」

「……ここいらに、他に同じような親子は住んでいますか?」

 リロイが尋ねると、ライターは首を傾げた。

「いや、そこまで知らないですけど。でも、あんな風に叫んでいる声はここいらでは聞いたことなかったし、なんか母親の方の声が切羽詰まってる感じで怖かったから」

「……切羽詰まってる」

「じゃあもういいですかね。それ以上は何も知らないし、分からないし。仕事も明日が納期なんで時間が惜しいんですよ」

 そう言って、ライターはばたんと扉を閉める。時間が惜しいのにちゃんと出てきてくれて一応は協力してくれた。いいやつである。

そして彼を紹介してくれた住人も「仕事に遅れますんで」と頭を下げて、そそくさとその場を後にした。彼もいいやつである。

 だが、そんないいやつ二人を見送って、いよいよコダマ婦人は困惑した様子でブツブツ言い始める。

「いったいどういうこと……? 私が見たのは何だったの……? 幻だったとしたら、ここの人が聞いた声というのも幻聴なの……?」

「……とりあえず、車内に戻ろうじゃないか」

 すっかり気が動転しているコダマ婦人の方を優しく叩いて、レーピンママが車へと促す。

 運転席ではなく、後部座席に彼女を座らせ、同じくその横にママが座ったので、運転免許を有しているイリヤ医師が自然と運転席に座った。この状況でコダマ婦人が運転するのは不可能だと考えたのだろう。

 だが、クオリテッド班の二人はすぐさま車内に戻らず、コダマ婦人が「家があった」という場所を眺めていた。

「……成分の臭いとか、するか?」

 リロイの声に「いや」とクルーガーは首を横に振る。「お前の方はどうだ?」

「俺の方もだめだ。何かあるかと思ったけど、ちっとも引っかからない。だけど……」

 言って、リロイは己のカソックの中からメモと鉛筆を取り出した。

 そこにサラサラと絵を描くと、車内でふさぎ込むコダマ婦人に声をかけた。

「アラサちゃん。アラサちゃんが見たドアの絵って、こんなん?」

「……え?」

 言われてコダマ婦人は顔を上げた。

 ドアを開けたままで、リロイが描いたメモを彼女に渡す。

 いびつな形で、両目のサイズが違う猫のような生物が描かれていた。が、それを見てコダマ婦人は激しくうなずいた。

「そう、そうこれ! どこで見たの?! やっぱりドアはあったの?!」

「いや、今見たわけじゃないんだけどね……」

「どういうことだい?」

 動揺するコダマ婦人の手をさすりながら、代わりにレーピンママがリロイに尋ねる。

「メイ・リー達が住んでいる部屋が消えたことと、何か関係あるのかい?」

「あると言えばあるかもしれない。というか、多分、あると思う」

 言いながらリロイはため息をついた。

 その横にやってきたクルーガーも、絵を見てしかめ面になる。

 過去に何度か見たことのある、刻印だったからだ。

「これは『むじなの穴』ってよく呼ばれる魔導具の一つでさ」

「貉というには猫みたいだけどね」

 思わずそうつぶやいたママだったが、すぐさま「ごめんよ」と話を元に戻させた。

「そう、猫みたいな形なんだけど、これは実は絵じゃなくて、刻印。魔導の刻印なんだよね」

 言ってリロイは絵の中の線を指でなぞる。

「ここからここまでの線で実社会からの拒絶、ここからここまでの線で架空世界への接続を表す。だから絵に見えるけれど魔法を発動させるためのサインなんだよな」

「拒絶と接続……? というと、別の世界につながるということですか?」

 聞いていたイリヤが前の座席から身を乗り出した。

「ご名答。さすがお医者さん、頭の回転がはやいね」

 リロイはその様子に唇の端を上げたが、すぐさま真顔に戻る。

「言っている通り、これを発動させると、別の世界につながる。だけど瞬間移動というわけじゃないんだ。あらかじめ作られている世界、今回の場合で言うと部屋だな。その部屋と、別の世界とをつなげることが出来る刻印なんだよ。この大きな目の方にあたる側にあるものを模写して扉が現れ、反対側の方にあたるところに別世界へとつながる部屋への扉が現れる。今回のアラサちゃんの話を聞くと、メイ・リーはこれで同じようなアパートの扉を作り上げて、そこにアラサちゃんを招いたんだ」

「……そんな……だったら、あの空間が魔法で出来たものだっていうの?」

 信じられないという様子でコダマ婦人が声を漏らした。 

 あの空間が。

 あの世界が。

 あの、幼子のいた部屋がすべて魔法で出来ていたなんて。

 だが、リロイはしっかり頷いた。

「だと思う。この魔導具は長くても丸一日しか持続できない。それ以上となると、部屋が形成できなくなるから、中にいた使用者はそのまま元の世界に放り出される。次に使用できるまでは前に使った時間分、魔導具を休ませないといけない。だから」

「今回の場合だと、住民が声をきいたという昼前、つまり明日の正午あたりまでは使用できないはずだ」

 横合いからクルーガーが言った。

「兵士が昔戦地でよく使っていたものだ。夜間にこれを使用されると、目で探すものたちはかなりの確率で隠れている場所を見過ごすことになる」

「模写できるのは外部だけで、内部はあらかじめ作られた空間。だから生活感があったのは、その内部にいろいろと持ち込んで暮らしていたからじゃないかな」

 リロイが言うと、呆けていたコダマ婦人の目に鋭い光が戻ってきた。

「……にわかに信じられないけど……そんな魔導具があるならば納得がいくわ。彼女がどうして私を直接連れて行ったのかも、いなくなったのかも」

 だが、表情はすぐに険しくなった。

「彼女、私を信用しているわけではないのね……信用していたら、こうして逃げるようにいなくなるなんて無いものね……」

「違うんじゃないかい?」

 その時、これまで黙って聞いていたレーピンママが声を上げた。横合いからコダマ婦人の手をしっかり握り、だが、その表情は同じように険しい。

「あんたから逃げているんじゃないね、これは。あの子、まだ何か違うものから逃げているんだよ」

「違うもの……?」

 訝し気なコダマ婦人に対して、リロイも頷いた。

「俺もそう思った。クルーガーが言ったみたいに『むじなの穴』はもともと戦時用として作られたものだ。シェルターじゃない。相手の目をごまかして、一時的に身を隠し、移動することを前提に作られてる。だから作動させる方法は魔力じゃないんだ」

「簡単にいうと生命力だ」

 横合いからクルーガーがきっぱりと言い放つ。予想もしなかった答えにイリヤ医師が驚きの声を上げた。

「そ、そんな、魔導具というのは魔力だけでうごくものじゃないのですか?」

「違います。魔力で動くものが殆どですが、護身用の指輪の多くはつけている人間の生命力を少量ながら使用するものが多いし、最新の魔導具になると電気で動くものも少なくありません。要は魔法や魔導を発動させるための燃料があればいいわけで、その燃料が魔力である必要はないのです」

「この魔導具を使うのは魔導や魔法に詳しくない兵士がほとんどで、そいつらが使いやすいように生命力を媒介にしていたものばかりだったんだよな。当時でも魔力だけの増幅は高価だったわけだし」

「そんなことが……」

「知らないもんだねぇ……」

熟女二人が眉を寄せながら唸った。

大戦を潜り抜けた二人でも知らなかった事実である。そして、そういった技術が今も残っているとは、平和になって統制がとられているはずの世界なのに信じられなかった。そんな二人の様子に眉を曇らせながら、リロイは続ける。

「多分だけど…リーさんがいつも具合悪そうだったのは、これを使っていたためだと思う」

「オレも同意見だ。そもそも、娘の具合が悪くなった原因も、大元はこの魔道具の副作用だと考えている」

クルーガーも頷いた。

中にいる者の生命力によって姿を隠せる魔道具。その副作用で幼い子供の体力が奪われたなら、風邪がそこまで悪化した理由にも繋がるというものだ。

「だが途中でその副作用に気がついたリーは、生命力の対価を己だけに課したのだろうな。毎日生命力を削られながら、週一で対価を支払うとなると余計に具合が悪くなるわけだ」

クルーガーはそう言ってから、イリヤ医師をじろりと見た。イリヤは慌てて

「毎回ちゃんと検査してから生命力を支払ってもらえるか確認していましたよ!?」

と悲鳴を上げる。そこまで具合が悪いとは気付かなかったことに、強い引け目を感じていたが、その様子にクルーガーは苦々しく頷いた。

「むじなの穴から生命力を搾取されても、体調として特に変わりは出ない。だが他の病気を発症したり怪我をしたりした時になって、異常に治りが悪いから気がつくんだ」

「そんなことが可能なのかい?」

信じられない面持ちでレーピンママがつぶやくと、クルーガーは吐き捨てるように言った。

「可能です。戦争用に作られたものは、大抵使う者への副作用が気付かれにくいように出来ています。兵士の士気が下がらぬよう、むじなの穴も生命力の搾取を気づかれぬよう行い、取られた方はある日突然倒れるのです」

「そして、倒れた相手を早く回復させるために、生命力譲渡の魔道具を併用するわけだな」

 リロイが合いの手をいれる。

 レーピン親子は絶句した。

 そうした恐ろしい使い方があるなんて、考えもしなかったからだ。

 知らなかったとはいえ、結果としてコダマ婦人が話していたように、メイ・リーを弱らせていたなんて。

 しかし、何故?

 そこまでして、何故メイ・リーは魔道具を使って隠れたのか? 何から彼女は逃げているのか? 夫からなのか? それならばいつまでもこの街にしがみつかず、子供を連れて更に遠いところへ逃げればいいものを。


黙り込む面々の中、リロイはさらに続けた。


「生命力を媒介にできる代表的な成分がヤシㇲっていうやつで、それを扱うには今でもかなり厳重な許可が必要なんだよな。だけど、メイ・リーが働いていたという会社では、その成分がダダ洩れだった」

「え?」

 レーピン医師がギョッとする。先ほどのやり取りは、リロイ達が相手をけん制するためのでまかせだと思っていたからだ。

「ダダ洩れだったんだよ、先生。もっともらしい言い訳をされたけど、やっぱりそれじゃ説明がつかないくらいにさ。全部が全部つながるわけではないかもしれないけど、これは早々にメイ・リーを探し出さないとな」

「どういうこと?」

 今日で何回目になるか分からない疑問の声を上げて、コダマ婦人がリロイに食って掛かる。

「彼女の指輪が原因でこうなったということなの? 私が彼女から指輪を買ったからこんなことになってしまったの?」

「違うよアラサちゃん。アラサちゃんが指輪を買っていろいろあって俺達に知らせてくれたから、どうにか出来そうなんだよ」

 リロイは優しい声でコダマ婦人にそういった。

「まだ何もわかっちゃいないけど、彼女がここまで街の中で隠れて、出ていこうとしないのは理由があると思う。出ていく機会を伺っているのかもしれない。」

「アリサちゃんというのは、よく泣いてましたか?」

 唐突にそう聞いてきたのは、空気の読めない男と言われる、クルーガーである。

「コダマさんと一緒にいる間も、よく泣いていましたか?」

 再度そう聞き返されたので、コダマ婦人は戸惑いながらも、思わずうなずいた。

「……ええ、ええ。ママがまだ帰ってこないと言って泣いて、ママが帰ってきたと言って泣いて、よく泣いていたけど、同じくらいよく笑う女の子よ」

「ならば、大丈夫です」

 なにが大丈夫なのか分からないが、クルーガーはそういうと相棒の方を見て頷いた。

 それを見て、リロイも頷く。

 何が何だか分からない他の三人は、二人の神父の顔を交互に見比べるばかりだ。

「とりあえず三人はレーピンさんの病院で待っていてください。あとはオレ達が彼女達を見つけます」

 言うとクルーガーは何かに集中するようにスッと目を閉じた。その様子が真剣すぎて声をかけられず、イリヤ医師が「……何をしているんですか?」と相棒であるリロイに尋ねる。

「クルーは物凄く鼻が利くんだよ。今、アリサちゃんの臭いをたどってる。子供が泣いたときの臭いって特徴的なんだってさ。すぐ分かると思う」

「……そ、んな、警察犬みたいなことが出来るんですか?! 人間に!」

驚いて思わず声を大きくしてしまったイリヤに対して、リロイは苦笑した。

「できるんだよなぁ。人間だけど」

 丁度その時、クルーガーが目を開けた。金色の瞳には確かな光が宿っている。

「……それほど遠くないと思う、今ならば間に合うぞ」

「分かった」

 そう言って、リロイは改めて車内にいる三人に話しかけた。

「とりあえず、みんなはさっき言った通り病院で待っていてくれよ。大丈夫、ちゃんと二人とも見つけて、無事に連れて帰るからさ」

「無事にって……何か危ない目に合いそうなのかい?」

 思わず聞き返したのはレーピンママだ。異常な事態が続いている中での「無事」という単語は、つまり今対象である二人の母娘が危険な目にあっている可能性があるということではないか。それを察したのだろう、コダマ婦人の顔も青ざめる。

 だが、それに対してリロイは慌てて「違う違う、言葉のあや」と訂正した。

「どういう状況なのかは分からないけれど、とりあえずちゃんと見つけて病院に連れて行くからさ。大丈夫。今回は思っていた以上に違法魔道具が出てきたから、ちょこっと言葉が強くなっただけだよ」

 ニコッと笑った顔は変わらず美しい。

「必ず連れて帰り良いようにします」

 ムスッと話したクルーガーは対照的だが、これはこれで頼りになりそうである。

 魔道具に接したというだけ、それ以外はただの一般人でしかない他の三人は、その言い分を信じるのみだ。


 日は確実に傾いていた。

 クルーガーは暮れゆく空を苦々しく見上げながら、横にいる相棒に声をかけた。

「急ぐぞ」

「合点承知」

 リロイも頷く。

 だが、それは汽車に間に合う云々で出た言葉ではない。

 2人が予想しなかった方向に、話は進んでいるように感じられたからだ。

 恐らくメイ・リー母娘は、誰かに狙われている。

 急がないと、取り返しがつかないことになりかねない。

 それを暗黙で互いに理解しながら、2人は寝不足の体とは思えない速さで、走り出した。

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