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@aiba_todome
第1話 〒
暗い取引には似つかわしくない場所だ。
ほのかな光球が蛍火のように舞っている。昼下がりの少し強い陽光は、大樹の枝葉を通して穏やかなものに変じ、森は幻想的な光景を閉じ込めた箱庭のようだった。
そしてこの光景が幻想そのものであることは、ここにいる人間皆が知っている。現実に住む彼らのやっていることは、この森の底にある黒土よりも、なお薄汚れた行為だった。
「これが、そっちの要求したブツだ。数はきっかり100。間違いないな」
フードで顔を隠した男が、宙に浮いたウインドウを操作し、タンスの一段分ほどの箱を呼び出す。
男が話しかけたのは、対面にいる露出度の高い女、むしろ少女と言える見た目の取引相手だったが、箱の中身を改めたのは別の人間だった。
まず、周りの雰囲気に合っていない。
両側にいるのはそれぞれ、全身を黒いぼろ布で隠す男と、センシティブにならないギリギリのビキニアーマー未満をまとう少女だ。対照的ではあるが、それはこの世界の
しかしその真中に位置するのは、黒に近い紺色の服。誰が見ても何らかの制服だと思うだろう、近代風の
肩にかけるタイプのカバンを下げている。どこのものともつかないが、郵便配達員の格好だった。
性別は分かりづらい。身長は高いが、今どきそんなことは何の判断基準にもならない。首元を隠す程度の短髪と、冷たい
配達員は箱を開け、中に入っていた巻物を一つずつ確認する。大きな箱にせよ、どう見ても入りきらない量の巻物が出しては入れられ、十分ほどをかけて全てが検分される。
「問題なし。等級限界突破の
「いいわよ。横から見てもおかしな点はなかったし、仲介人の目を信じるわ。取引は成立。二人ともご苦労様」
露出度高めの少女の一声に、フードの男の緊張が目に見えてやわらいだ。対等な取引ではあったが、納品した男と買い取った少女では、この世界における権力において天と地の差がある。
それは見た目から明らかだった。できるだけ自身の特徴を隠そうとする、低級品質のぼろ布をかぶる男と、むしろ自らを誇示するような少女の派手な格好。
現実以上に、この世界では見た目が重要になる。だからこそ、周囲とは隔絶した外見の配達員は、やはりこの世界の権力構造の外にある、異質な存在だった。
「取引の成立を確認した。それでは、今から二人にパスコードを渡す。注意事項を説明する。期限は二十四時間。場所は先日伝えた通り。双方がパスコードを提示して契約が成立した時点で、たとえ代金を受け取ったのが別人であっても、仲介人は責任を負わない。パスコードは指定された人物以外には触らせないように」
「ああ、分かってる」
フードの男だけが返事した。少女の方は現実には出張らない。彼女は大ギルドのそれなりの地位にいる。リスクの高い行為をわざわざする必要は無いし、何より若すぎた。
伝え聞く話によれば、最低でも学生らしい。たかが遊びで人生を棒に振りたくない、というのは当然の心理である。ギルドもそれを分かって、言い訳のきくこの世界での仕事だけを振ったのだ。
なので彼女の仕事はここで完了となる。重荷から解放されて、ただでさえ明るい語調の明度を一段上げた。
「にしても早かったわね。この量を2週間で用意するって、寝る暇なかったんじゃない?」
「いろいろかかってるんだよ。生活とか安全とか。ビジネスは早さが肝心。あんたもそう思うだろ?配達屋」
配達員は話を振られると思っていなかったのか、彼にしか見えないウインドウをしばらく眺めたままで、ふた呼吸のちに振り向いた。
「ビジネスは信用だ。俺からはそうとしか言えない。でなければあんたは、俺とリアルで会いたいと思うのか?」
フードの男は肩をすくめた。
「そうツンケンするなよ。信用してるって。そのためにわざわざ日本一の仲介人を呼んだんだ。だろ?ハルマちゃん」
「ちゃん付けしたってサービスしないぞ♡っていうかそうだ、あなた、その、見た目どおりの歳なの?」
「ずいぶんなマナー違反だな」
ハルマ、この中で唯一プレイヤーネームが知られているために名前で呼ばれた少女は、自分でも失礼と思う質問をした。好奇心に負けたためだ。
「いや、分かってるけどさ。でも気になるのは気になるでしょ?だって見た目どおりならわたしと一回りも違わないのに、それで日本一の仲介人なの?リアルマ」
「よしておけ。ログが残る」
ハルマは口を押さえた。
「ふぉふぇんなしゃい」
「そういうことに巻き込ませないために、上はあんたを外したはずだ。それと、俺は年寄りってわけじゃない」
配達員はログアウトを開始する。この場所は町の外であるため、一分ほど待つ必要があった。
「あ、やっぱり若いんだ。そんな雰囲気ある」
「俺が一番なのは、つまりあんたみたいな知りたがりが皆消えたからだ」
これ以上会話を成立させる気もなく、配達員は会話を放り投げる。皮肉にも聞こえる配達員の言葉に、ハルマは口をとがらせた。
「ちぇー、どうせわたしは好奇心で死ぬタイプの猫ですよー」
「そっちの方が多数派だ。だからこの仕事を長く続けられる奴は少ない」
配達人の体が薄れてきた。ログアウトの合図だ。
「ねえ、そういやさ。あなたの名前、それなんて読むの?郵便番号?」
ハルマが尋ねる。配達員の頭上を注視すると、文字が出てくる。それはプレイヤーネームの表示機能である。最新のゲームにふさわしく、目立たないながらも確実に認識できるよう、巧妙なタイミングで浮かび上がるようになっていた。
ハルマの上にはもちろんハルマと。フードの男は装備で表示できないようにしてある。
配達員の上には、一文字しか映らない。それは名前というより、文字通りただの記号である。
「
それだけ言い残して、配達員は消えた。
〒 @aiba_todome
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