第十章 葬列歌
#19 葬列歌 (上)
家のインターホンを押す屋代。だがそれは壊れているようで、中から音は聞こえない。玄関ドアを繰り返しノックすると、中から自分と歳が近いくらいに見える、白髪交じりで影のある女性が出てきた。
「坂下麻美さん?」
「そうですけど、なんでしょう?」
「実はある事件の調査中でね、いくつか尋ねたい事がある」
「警察の方なんですか?警察が来たなんて言ったら、またあの人に殴られる!帰ってください!」
「落ちついて!旦那さんと息子さんは今どこに?」
「だ、旦那は酒を飲んで今は奥で寝ています。息子とはもう長い事会っていません」
「なあ、殴られるというのは旦那にか?」
「も、もう帰ってください。誰かと話してるの見られたらまた殴られる」
「力になれるかもしれない。息子を虐待してたのも旦那か?」
「どうしてそれを?でも息子とはあれ以来音信不通で」
「あれ以来、というのは少年院から出てきた後の事か?」
「そうです」
女性はしきりに部屋の奥を気にしながら、暗い表情で語りだした。
「息子が居なくなってからは、また私を殴るように。息子にあの人の目が向いている間は、私は痛い思いをしなくて済む、どこかそう思って目を背けてきた罰なんです、きっとこれは。そう、あの時だって」
「あの時?息子が暴力を振るった時の事か?」
「私達に怪我を負わせたのは息子じゃありません。夫はあの時も酔っていて、息子に殴られたと思っていますが」
「息子じゃない?」
「警察でも話しましたが、まともに取り合ってもらえませんでした」
「と言うと?」
「息子の部屋にあった古い人形に・・・・、と言っても信じてもらえないでしょうね」
それを聞いた屋代は何かを確信し、急いで話を切り上げる。
「そうか、色々聞く手間が省けた。時間を取らせてすまなかったな。旦那の暴力の件は、民事トラブル担当に報告しておく。必ず早めに相談しろよ?」
屋代は女性に名刺を渡すと、足早に車へと乗り込み署へと戻る。
民事を担当する部署へ先ほどの件を報告すると、屋代は自分のデスクに向かう。そこで真琴に電話をかけ、出るのを待ちながらデスクの上に放置された資料に載る、坂下の息子の名前を指でなぞる。
「ああ、日笠か?犯人が分かったかもしれん」
「本当ですか!?今樹さん達の工房にいるんですけど、実はこっちでも新たな事実が判明しまして」
二人は知り得た情報を交換した。
「坂下
「ああ。しかし、樹達の実家の件も人形殺人の一環だったとはな・・・・」
「屋代さんの勘、当たってましたね。それで今その男は?」
「署で調べていたんだが、保護観察が終わって以降はどこで何しているかまだわからん。前科持ちとは言え、当時未成年だ、個人情報保護とかで容易じゃないんだ。組織で調べてる事件ならまだしも」
「そうですよね、今私達は非公式の捜査ですもんね・・・。私の方でも調べてみます。しかしその坂下昇という男は、山納家の犯行の後、自分の親のカルテなんて調べてどうするつもりだったんでしょう?」
「さあな、樹達と同じ訳の分からん能力を持っているかもしれない容疑者の名前が分かったんだ、そんな事捕まえてから聞けばいい」
「でも屋代さん、何の容疑で捕まえればいいんです?上に掛け合うにも、犯人は人形を操る不思議な力で殺しをしていました、なんてとても言えませんよ。もし適当に理由を付けて逮捕したとしても、すぐにまた野放しです」
「そこなんだ。警察として動く手立てがありゃしねぇ。確固たる証拠でもあればいいが・・・・。樹達を交えて話をしたい。今からそっちに向かってもいいか?」
真琴は受話器の向こうで姉弟に確認を取っている。
「樹さん達もそうしたいらしいです。ではお待ちしてますね」
電話を切った屋代は署を出て車に乗り込んだ。フロントガラス越しに、高々と伸びた入道雲を見上げた。
「一雨来そうだな」
人気の無いバス停のベンチに一人の男が座っている。その男の前の路側帯に不規則な異音をエンジンから上げる車が停車した。
「故障か?」
そう言って車から降りてきた屋代。ボンネットを開けて中を覗くが故障の原因が分からない。車体の下を覗くとガソリンが滴っていた。
「やれやれ・・・・」
立ち上がりボンネットを閉めると、目の前にベンチに座っていたはずの男が立っていて、屋代は思わず驚いた。
「故障ですか?」
「ああ、ガソリンがどっかから漏れちまってるらしい」
「人間で言えば血液ですからね。流れ出したらすぐ動かなくなっちゃいますよ」
突然、屋代の内ももに激痛が走りその場に崩れ落ちる。ポケットに手を突っ込んだまま、表情を変えずにそれを見下ろす男。
「大腿動脈、壊れちゃいましたね」
屋代の脈に合わせ、地面に真っ赤な染みが広がっていく。意識が混濁してきた視界の中に、刃物を持った一体の人形がカタカタと躍り出る。その人形はガソリンを浴びたのか、樹脂製の体の一部が解け、顔は不気味に変形が始まっていた。
「あーあ、こっちも壊れちゃったか」
男が人形の頭に手をかざすと、人形はピタリと動きを止め、その場にコロっと転がる。
屋代は何とか胸ポケットにある携帯端末を取ろうとするが、血が失われ過ぎて腕の力が入らない。真夏の蒸し暑さが周囲を包むにもかかわらず、寒さで体の震えが止まらなくなっていた。
ポツリポツリと雨音が聞こえ始めると、重く暗い雲が稲光を伴い歌う。その雲の下、開いたままになった屋代の目に雨粒が落ちる。土砂降りになった雨は、広がる地面の赤を薄めながら、その飛沫を周囲に飛び散らせた。
男の姿はいつの間にか消えていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます